哀愁日記
底に哀はあるの。

もしくは、

「常識日記 文科系的日常」


西紀2005年12月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、並びにパーソナルメディア社は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2005年12月1日(木曜日)
 師走になっていきなり寒くなったな!

 最近、こんなハンドルを見つけてしまい、微妙に物欲が刺激されていたりして。
 最近すっかり忘れていたが、私の自転車は一応フォールディングできるなんちゃってロードだったものが、部品交換の果てに今や折り畳み不能になっていたのですが、これを装着すれば再び折り畳みが可能になりそうな予感。
 問題は、ハンドルが前に出過ぎちゃうことだなー。

 話題の強度計算書偽造問題を見ていると、結局、検査ってやるだけ無駄なんじゃないかとか思ってしまいそうで怖いな。実際には、悪意を持った人間に対してシステムは元々弱いって面があるんだけど。
 ただ、今回の一件も、三菱のリコールもそうなんだけど、本来機能することが期待されていた制度が全然役に立ってなかったっていう点で、究明すべき点はあるんだよね。その能力がない人間に権限を持たせているんじゃないか、という疑いがあるわけで。それはまずいよね、と。


2005年12月2日(金曜日)
 広島の少女殺害死体遺棄事件の容疑者逮捕に絡んで思ったことなどつらつら。
 今回容疑者は日系ペルー人の出稼ぎ労働者だったわけだが、ペルーと日本は現在難しい状態にある。
 10月にフジモリ元大統領がチリで逮捕されたが、フジモリ氏の身柄の引渡に関して日本とペルーの間で2001年以来不毛なやり取りが続けられていて、チリでのフジモリ氏の逮捕拘禁を受けて、先月ペルー政府は駐日大使を事実上召還している。つまり、現在駐日ペルー大使は名目上不在である。(もっとも、実際に離任しているかどうかは知らない)
 ペルー政府内では対日強硬派と対日柔軟派が色々綱引しているらしく、在日大使の職務を解いた一方で、APECでは小泉首相に首脳会談を申し入れて断られている。ペルーと日本の政治的関係は至って冷え込んでいるわけだが、日本にとってのペルーも、ペルーにとっての日本も、貿易統計等から見る限りそれほど大きなものではないので、お互いに擦り寄る必然性も特に見出せず、動きがない状態が続いていると言ったところか。円借款が3,500億円くらいあるみたいだが、取り立てられるものでもなかろうし……。
 しかし日本に於いて対ペルー感情が悪化しているかというとそうでもなく、というか、多くの日本人にとって「ペルーってどこよ? 南米? アフリカ?」ってなもんだろうし、ペルーが意気込んで対日断交を実行したところで、些かの痛痒も感じないだろうことは疑いない。
 ペルーが実際日本と断交したいのか関係修復を図りたいのかについて、私は外交を専門とはしないのでよく分からないが、今回の容疑者逮捕を受けてペルー外務省が捜査協力を申し出たそうなので、不要に悪化させたいわけではないらしい。トレド大統領の支持率は相当低いらしく、硬軟使い分けて日本からの経済援助でも引き出せればと言ったところなのかもしれない(少なくとも日本からのODAを失いたくはないのだろう)。5万人いるという在日ペルー人の安全を気にしているのかもしれないが、それは杞憂だと思いたいところだ。
 ともあれ、微妙な時期に微妙な問題起こしやがってこの野郎くらいは思っているだろう、両国の外務当局関係者は。フジモリ氏の件で膠着している外交関係を動かすきっかけとするには、余りにもあんまりな事件で、お互い手札にするのが憚られるようなものだけに、扱いに苦慮しているのではないかと想像していたりする。

 しかし、嫌な事件が立て続けに起きますね。事件そのものは非常に痛ましいと思いますし、犯人の検挙に全力を挙げてほしいと思うのですが、一方で、このようなことが続くと、より一層世間が窮屈になりやしないかと心配です。
 
某奈良県じゃないですが、より一層“犯罪”要件が緩められるようになると、意味もなく逮捕されたりする社会が到来しそうで怖いですわ。
 今でも、下手に工具なんぞ持って歩くと逮捕されちゃうしねぇ……。


2005年12月3日(土曜日)
 韓国の大統領が、「日本の態度は人類社会の普遍的価値にそぐわない」と発言したとか。
 “人類社会の普遍的価値”ねぇ……。
 史学科出身の私と致しましては、“人類社会の普遍的価値”などというものは過去現在に至るまで存在したことはない、と言い切ってしまえますが(苦笑)。個人的には、将来的にも恐らく存在しないのではないかと思われます。
 “侵略は悪である”と盧武鉉大統領は仰りたいようですが、しかし私は韓国が応永の外寇について謝罪したという話を聞いたことがありません。それどころか“己亥東征”と称して、あれは正義の戦いだったと主張し、馬山市に至っては攻め込んだ6月19日を「対馬の日」に制定しておられると側聞しております。近代に限っても、GHQ/SCAPの占領統治下にあり主権を回復していなかった日本から、勝手に竹島を分捕っていったこともありましたが、これまた韓国では侵略と認めておりません。
 ということは、韓国的には侵略と認めなければ良い、くらいの話なのではないかという気がしてしまうのですが、それではやはり“人類社会の普遍的価値”の不在を傍証するものなのではなかろうかと思いますな。
 国の頂点に立とうかという人物が、“人類社会の普遍的価値”などという幻想を正気で抱いておられるのか、敢えてそのようなデマゴークを外交戦略として口にしたのかは存じませんが、疑念を抱かせただけなんじゃないですかね……。

 そいいえば、韓国では最近「韓国の国家危機マニュアル、日本右翼団体の独島上陸想定」とか報道されていて、はあ、まあ、そりゃ結構なことですが、「日本との関係に配慮して、日本政府が侵攻する状況は除外した」ってのは不可思議な話です。
 本気で対策を纏めるのであれば非公開に日本の侵略を想定するのが筋で、間違っても公に触れるべきではないですね。たとえ嘘でも「そんなこと想定したこともない」と言うべきものです。上の言い方だと、「内心日本が攻めてくると思っています」と言っているのと一緒で、言われた側としては「ああ、韓国は日本が攻めてくると思っているんだ」と認識して隔意を持ってしまうわけです。相手が仮想敵国であればそれが目的だったりするわけですが、韓国にとって日本は仮想敵国なんでしょうか。だというならば、日本も相応の態度を採った方が宜しいのでしょうか?とか考えてしまいます。

 ODA代替事業化が懸念されている中国における遺棄化学兵器処理事業ですが、共同処理機構を立ち上げることになったとか。
 とりあえず中国側の「200万発」の主張が退けられたことは僥倖ですね。当初の70万発から40万発程度と、これまでの調査結果を反映した形になっています。
 あとは、中国にたかられないように気をつけて事業を進めて欲しいものです。

 広島と栃木で連続した少女殺害事件にまつわり、思っていること。
 防犯ブザーの有用性について疑問を抱いています。広島の事件でも栃木の事件でも被害者は防犯ブザーを所持しており、にもかかわらず有效に機能していません。もちろん、ケースとしては防犯ブザーが機能した事件もあり、一概には言えないのですが、防犯ブザーを所持していることに安心してしまっているのではないか、という疑いはあります。
 防犯ブザーを有效に活用するためには、指導・実演に加え試用・練習などが不可欠なのではないかという気がします。「怪しい人にイタズラされそうになったらブザーを鳴らして」と言葉で説明しても、本当にその瞬間に行動できるかといわれれば、無理だろうという気がしてなりません。
 この辺、物品に対する過度の信頼があったのではないかと。
 そういえば以前、女性の方にスタンガンの所持について意見を求められたことがあって、その際「ナイフは使えますか?」と訊ねかえしたら驚かれた、なんて経験があります。スタンガンは武器様態としてナイフと同列ですので、ナイフで人を刺せるくらいの技量がないとスタンガンで不審者を倒すのは困難です。逆に相手がナイフの捌き方を知っていた場合、有效打を与えられない可能性があります。
 ちなみに催涙スプレーをお薦めしておきましたが、それだって咄嗟の時に使えるようにしておかないと意味がないことでは同じですね。そういう点では、自爆覚悟の催涙手榴弾とかの方がいいのかも。

 あと、事件そのものの痛ましさとは別に、これを社会問題化しようという動きには注意が必要でしょうね。こういった問題では、調査・統計資料を見て判断しないと、「印象」で動くと下手を打ちますからねぇ。
 少年犯罪データベースなんか見てると、そう思うこと多いから。


2005年12月4日(日曜日)
 昨日某所での雑談で、「FATを使うとMicrosoftの特許が怖い」ということで、リムーバブルメディアなどで使えるフリーで簡易なファイルフォーマットはないか?という話がでた。その場に集まった人外どもは「Linuxのext-3は重過ぎる」「ITRON/Fileはどうだ?」「あれも結構重い」とかなんだかんだ話し合った結果、「CP/Mフォーマット」という楽しい結論に落ち着いた。
 全く碌でもない連中である。

 統計の上で言えば、未成年者が被害者となる殺人事件は、去年は182件、二日に一人の割合だよね。一昨年が156件だから、増えることは増えている。ちなみに3年前は156件で2年前と同じ。今年はまだ上半期の統計しかないけど、殺人は75件で、昨年上半期の86件を下回っている。
 もちろん、一件一件の事件は痛ましいものであることには間違いなく、深い悲しみを覚えることに異論はないが、では犯罪全体の増減という話になると話はまた別で、これは印象で語ってはいけないことだと思う。
 2〜3日に一件、未成年者が死亡する犯罪が起きても、それは統計上不思議ではないのだから。


2005年12月5日(月曜日)
 強度計算書偽造問題にまつわるごたごたが続いているが、被害者への公的支援という話が持ち上がってきていて、これはどうかと。
 もちろん、強度を偽って作られたマンションの購入者などは犯罪被害者なわけで、犯罪被害者等基本法に基づく支援を行うことに異存はない。だが、その限度は議論の余地があろうと思われる。
 例えば、現時点で責任在所が明確でないために誰も出さない転居費用を貸し付けるとか、転居先として公営住宅を優先的に割り当てるとかであれば、問題はない。しかし、マンションの購入費用を弁済するだとか、公営住宅の家賃を捻出するとかいうのは、どう考えても犯罪を犯した側が負担すべきであり、現在関係数者が責任の押し付けあいをしているが、この連中の誰かもしくは全員が応分に負担すべきだろう。しかし、国土交通省が先月21日に告発状を持っていったら、警視庁神奈川県警千葉県警のいずれが受けるかで警察が調整していたために告発状を受け取ってもらえなかったなんて話があるくらいなので、この後捜査が行われ、裁判が決着するまで最低数年の時間がかかるだろうことは疑いなく、倒産や破産によって取りっぱぐれる可能性も考えれば、一時的に政府が被害者に対し無利息で貸し付けるという策はアリだろう。
 ところが現状、日本の刑法ならびに関係法ではこのような犯罪で加害者の財産を没収して被害者に配当するということができなかったりする。没收(刑法第十九条三)しちゃうと国庫へ直行してしまう。被害者が別途民事で加害者に直接請求するしかないのだが、そのためには刑法で財産が没收できない。この辺の不備は数年来主張されるところで、現在も国会で議論が進んでいるところではあるが、残念ながら現時点では法文化されていない。っちゅーことは、被害者救済の支出と没收による收入(?)は別立てということになってしまい、手続きも面倒なら決算も厄介極まりないものになる。
 これで下手に国の負担額が大きくなると、犯罪者側が「ヤリ得」などということになりかねず、「なぁに、最後は国がなんとかしてくれるさ」などという意識が生まれれば事件の再発も想定される。それは断じて避けねばならない。
 考えるだけでも難しい舵取りだが、次も見据えて禍根を残さぬよう、上手に対処して欲しいものだ。

 ASEAN+3での日中韓首脳会談が議長国中国によって延期されたようですが、その件について温家宝総理のコメントが人民網に載ってたんですが……。

1895年、中日甲午戦争(日清戦争)で、日本は中国の台湾を占領した。1931年の「9・18事変」(柳条湖事件)では、日本は中国の東北3省を占領した。1937年の「7・7事変」(盧溝橋事件)では、日本は中国への全面的侵略を開始した。
 柳条湖事件は関東軍の自作自演による侵略だったことは確かだし、盧溝橋事件はきっかけはともかくそれを侵略の糸口にしたことは間違いない。これらは確かに日本が一方的に仕掛けた侵略です。でも、日清戦争は違う
 日清戦争は日本と清国が半島覇権を争った戦争であり、そういう意味では被害者は李氏朝鮮であり、勝った方も負けた方も碌でなし。その賠償とされた台湾割譲を「侵略」と看做す中国政府の言行は異常に過ぎます。
 百歩譲って、日本軍が攻め込んだ遼東半島については侵略としても良いかもしれませんが、この土地について言えば後に三国干渉によって清国に返還された挙げ句ロシアに取られた。これが後の日露戦争に繋がるのだから、播かれた種は実に大きく育って炎の庭となったわけだ。笑うしかない。
 ともあれ、歴史認識という点では、日中韓の首脳の認識は五十歩百歩であり、私に言わせりゃ目くそ鼻くそ以上ではない。お互いがお互いを罵倒する言葉が見事に自分に跳ね返っている様は、新手の漫談を思わせるのですが、これが外交だというのだからやり切れない。
 いい加減なところで矛を收めて、他国の内政には不干渉という原則を思い出して欲しいものです。

2005年12月6日(火曜日)
 朝のNHKニュース「おはよう日本」内の「まちかど情報室」で「自転車“安定感”で乗りやすく」とおもしろ自転車を採り上げていて、2WD自転車はきさらちゃん所有だよなーとか思いつつ見てた。
 ただ、最後にアナウンサーが「マナーに気をつけて」と発言していたのには、ちょっとげんなり。
 いや、マナーより前に法律守れと言わにゃならんのですよ、自転車の場合。
 自転車は基本的に車道通行で左側を走らなければならない、という大原則を守ってない奴多すぎ。特に車道逆走は危なすぎなので、取り締まって欲しい。
 あと、自転車横断帯ってどうにかした方がいいと思うけどね。歩行者が平気で渡っているので、実際には自転車走れません。時速30kmとかで走っている自転車が、いきなり自転車横断帯に飛び込んだら、そっちの方が遙かに危険ですしね。
 そういえばそろそろ買い物用のママチャリが、8年選手になってあちこちガタが来てて、直しても直してもどこかしら軋んでるんだよね。代わりのママチャリ欲しいんだけど……はてさて

 6月にあんなことがあったわけですが、韓国側が捜査権譲渡を求めているというニュースが。韓国側は正気か?
 まず大前提なのですが、日本のEEZで操業する船は、その船籍がいずこの国であれ、日本当局の指示に従わねばなりません(除く軍艦)。停船命令が発せられたのに逃亡している時点で、国際法に違犯するんです。違法操業云々以前の問題です。
 これまでも、海上保安官が航走中に移乗するとか、カラーボールをぶつけるとか、はっきり言えば温情的な対処を取ってきています。これがオホーツクのロシア巡視船なら、発砲してますがな。
 それを何ですか、捜査権を渡せとは。主権侵害も甚だしい。盗人猛々しいとはこの事か。
 海保は突っぱねるようですが、当然だ。
 真面目に、発砲に関する規定を変更し、逃亡を企てる輩を速やかに砲撃して止めることを進言します。


2005年12月7日(水曜日)
 着陸成功から一転、姿勢制御を失って宇宙を放浪中のはやぶさですが、松浦さんのblogによれば、状況は更に悪くなっている模様(jaxa公式発表)。サンプルも採取されていない可能性が高いとか。
 しかし……イオンエンジン用のキセノンガスを噴射して姿勢制御って……。もう、やれることはなんでもやってますな……。
 リアクションホイールに冗長系があれば、とか、太陽電池パネルが可動式であれば、とか、ハイゲインアンテナが可動式であれば、とか、ロケットの射上げ能力にもっと余裕があれば、とか、予算がもっとあれば、とか……益体もないことだと分かっているのに、思ってしまう。
 あんな遠くに行ったんじゃ修理できないんだから、できるだけ安全を見込んであげたいと、思うのが普通なんだけど、それが出来ないもの悲しさよ。

 Sony伝説その3かな>「ソニーBMGのコピー防止機能付きCDにまた別のセキュリティ問題
 この翻訳記事がイマイチなので、ここからEFFにリンク張っちゃいますが、今回の俎上に上がっているのはSunnComm社のMediaMaxというDRM技術。一部では既に「EULA(End User License Agreement)でDisagreeにしてもインストールされる」()と話題沸騰中のアレです。
 今回のリストはこちら。パッチのダウンロードはこちらからどうそ。
 これはもうあれですかね、音盤買うなってことですかね?

 明日より再度帰省につき、休載予定。


2005年12月13日(火曜日)
 ようやっと郷里から東京へ戻ってきました。
 祖母の逝去に伴う通夜→葬儀→後始末の日々でした。
 まー色々ありましたが……次は来月後半の四十九日か……。
 私が死んだ時には遺族が楽をできるように、しっかりと遺言状を用意しとくべきだ、などと思いました。

 帰京の列車が雪のため目茶苦茶になってしまい、一時間ほど余計に時間を食いました。っつーか、駅にやってきた車輛が489系だった辺りで「あれ?」ですよ。
 帰路は特急はくたかで北越急行ほくほく線経由、越後湯沢乗換えで上越新幹線というルートだったのですが、ご存じの通りほくほく線は狭軌在来線で唯一160km/h運行を行う路線。そのため、車輛も160km/h運行に対応した681系でないといけないわけですが、編成の都合上489系が通行することもあります。ですが、本来681系用に組まれたダイヤ通り489系が走れる道理もなく、681系が来る筈のところに489系が来た時点で新幹線との連絡がどうなるんだと疑っていたら、やはり直江津で放送があり、行き先が越後湯沢から長岡に変更になった。当然、新幹線の指定席はパァで、振替て貰うにしろ、最悪指定席が取れない可能性すら出てきた。乗客の中には車掌さんを問い詰めている人もいたけど、車掌さんを苛めてもしょーがないですしねー。
 幸い、なんとか長岡で指定席を分捕れたのですが、本来Maxの筈が200系を堪能してしまいましたよ、ええ。
 なお、小熊は鉄ではありません。断じて。

 なんか塾講師が小学校6年生の女生徒を刺殺したとかいうニュースで沸き立っているようですな。
 にも書いたんだけどさ、驚くほどの頻度じゃないとは思うんだが……。
 それに、広島の事件と栃木・茨城の事件、今回の京都の事件って同列に並べていいのか?という気はするし。被害者が女子小学生だという点以外に接点も共通点もなさそうなんですが……。しかも、統計的に異常な数字を見せているわけでもない。事件が痛ましいのは当然なのですが、これほどまでに世間を沸騰させる何かがあるのかと、考えてもよく分からない。
 だって去年も一昨年もそれ以前からも、そんな事件いくらでもあったじゃないか。
 NHKのニュースによると、子供を狙った犯罪を減らすには「子供に対する性犯罪を誘発するような雑誌やゲームやインターネットサイトの規制強化」「子供に対する性犯罪者への罰則強化」が必要だという答えが20%以上を占めているようで。
 規制はここ10年強化され続けていますし、罰則というか法律も強化されています。にもかかわらず犯罪が増加しているのであれば対策には意味がないことになりますし、減少しているのであればそもそも「犯罪が相次いでいる」というのは心理的な思い込みに過ぎないわけです。ちなみに統計上は減少傾向にあり、去年やや多目でしたが、今年は一昨年水準にまで戻りそうなので、下げ止まってんじゃないかという気がしますが……。
 犯罪がゼロになればそれは素晴らしいことですが、それは無理だろうしねぇ。

 去年の12月にプロトタイプが公開されていた、新型ASIMO発表されましたね。着実に進化しているなー。
 今回の進歩は、地味なところから派手なところまで多岐に渡りますが、全身協調動作が一つ大きいですよね。これが可能になることによって、人間では当たり前の、体を傾けながら角を曲がる、などの行動が取れるようになりました。
 あと、仕様変更として大きいのは、手の改良ですかね。これまでのASIMOの手は握ったり開いたりできますが、基本的に物品の把持には使用できませんでしたから、手首から指にかけての駆動系を一新している筈です。
 個人的に惜しいな、と思うのは、HRP-3Pも書いたのですが、脚部自由度が増えていないことですかね。人間と共存することを考えると、姿勢制御範囲に余裕を持たせるのは大切だと思うのですが……。
 次の課題、なのかなぁ。


2005年12月14日(水曜日)
 TRONSHOW2006でした。
 昨日帰宅した後、明日何が要るんだっけといそいそと確認したら、セッション登録証が必要だといわれ、印刷しようとしたら、登録画面へのログインが受付終了と共にできなくなっており、登録証が印刷できなかった。誰だこんな馬鹿なことしたのは! 幸い、登録番号の控えがあったので、朝、受付で番号と名前を一致させてレジストしましたが、間拔けな話でした。

 と、いうわけで朝っぱらから坂村先生のありがたーいお話なんぞを拝聴したりして有意義だと思われる一日をまったりと過ごした。

 PMCのブースで超漢字4.2のアップデータは売っていないのかと質問したら、ネットのみと言われた。が、どうもその後同様の質問が相次いだらしく、BTRON Club会員に限り、事前にwebサイトで注文し、会場受け取りが可能となったとか。
 実は前回のBTRON Clubの時も同じことを訊いたんだけどねぇ。
 売る気あるんか?


2005年12月15日(木曜日)
 小惑星探査機はやぶさ救出ミッションへ移行、地球帰還は2010年以降に。
 それでも復旧の可能性があるだけマシか。
 ただ、その……正直言ってしまいますと……金があるなら、もう一機探査機仕立ててイトカワに飛ばすのと、時間的に大差なくなりつつありますな……。真面目な話、それが許されるのであれば、救出ミッションは救出ミッションとして、今回の反省に立った探査機を作って飛ばしたいってのはあるんじゃないかな。
 そんな金、今の状況じゃどこからも出ないだろうけど。

 えーと、あちこちで「T書体」のことが報じられてるんですが……今んとこ、ノーコメントかなぁ。っつーかさー、制定母体すら定かじゃない文字セットを「○○万字!」とか言って有り難がる時代はとっくに終わったんじゃね?とか思っている私がいたりするわけなんですが。
 この辺は次回のBTRON Clubで発表するつもりなんですが、下手なことを発言すると反作用が恐くてねぇ……。

 宮崎大学で兎の解剖写真をblogにupしていた医学部生6人が処罰された、と新聞で報じられていました。個人的には何が問題だったのかよく判りません
 人間だったら死体損壊罪でしょうが、兎じゃあねぇ……誰かが飼っていた兎を殺したのであれば、器物損壊罪だけど。
 魚を捌くとか精肉に包丁を入れる、なんて画は平気でテレビでも流しているだろうにとか思うわけですが、兎だと何が駄目なんですかね? 調理済みじゃないと駄目なんですかね?


2005年12月16日(金曜日)part 1
 きさらちゃんの見解は確かにアリかもしれないと思いました。
 実は日記をupした後もう一つの可能性に思い至っていて、それは「実は禁猟区で兎を狩った」というものだったのですが、該当のblogが既に消失してしまっているため、一体真実がどこにあったのか、今や藪の中です。

 どこの馬鹿がやったのかと思っていたんだけど、中学生だったのかよ。
 見てくれることは嬉しいし、データの増補や訂正に力を注いでくれるのであれば嬉しいのですが、悪戯は勘弁だね。
 中学生・高校生くらいのエネルギーって、wikiで巧く集約できればかなりお翁ものになると思うんですがねー。


2005年12月16日(金曜日)part 2
 今月のNHKみんなのうたの新曲「グラスホッパー物語」が素晴らしい出来で、思わず来月発売のCD+DVDを買っちまおうかと思っているわけだが、歌っているのが「高見のっぽ」になっていて苦笑。いつの間に芸名変えたんだ?
 遊佐未森の「クロ」も素晴らしいです。
 みんなのうたって、こう、子供向けとは言いつつも、大人まで広く楽しめるところが素晴らしいと思うわけで、NHKはこういう番組を大切にしてほしいと思います。
 惜しむらくは、webから視聴できると非常に嬉しいんですがね。でも、圧縮され過ぎてグシャグシャになった音声を送られるよりはマシと思うべきか……。

 NHKといえば、デジタル放送のスクランブル化が取り沙汰されていますが、個人的にはやめた方が良いかと。
 NHKは放送法第二章に定められる公共放送で、他の民放にはない多くの責務(研究開発や政見放送の実施など)を科せられています。税制的には優遇されていますが、予算は国会の承認を必要とし、また広告宣伝による收入を得ることができません。緊急警報放送設備を全国の放送局に完備しているのもNHKだけです。
 これは非常に良く出来た制度で、国家に近すぎず遠すぎず、民放とも一定の距離を置いていて、絶妙なバランスではなかろうかと思います。
 運用上の問題が起きていることは間違いありませんが、それは財政の透明性を確保するなどの運用上の努力で回復できるものだと考えています。もし国民の意志として、NHKが不要であるとの結論に至ったのであれば、閉局もやむなしでしょう。
 数年、耐える必要があるとは思いますが、今性急にスクランブル化などの方法で「見れない」人を作り出すことは、NHKの将来を禍根を残すだけのように思います。
 個人的にはデジタル放送でのコピーワンスも止めた方が思うがね。NHKの存在意義を考えれば、むしろ著作権については、悪用を取り締まる程度でいいんじゃないかと思うんですけども。

 先日ASIMOに続いて、SonyQRIOもバージョンアップしたそうな。
 モノを持てるように、主に手首と手を改良したようですね。他にも細々したところは変わっていそう。
 SDRシリーズはソニー再編の中で開発が大幅縮小と伝えられるところで、今後が危ぶまれていますが、これが最後のバージョンアップ、なんてことにならないことを祈っています。


2005年12月17日(土曜日)
 南麻布にある都立中央図書館まで資料を探しに行ったその帰り、思い付いて銀座のSonyビルに寄って「知る、考える、働きかける、ソニーの身近なインテリジェンス展」を見学。というか、要するに新型QRIOを見に行った。
 外見上大きな特徴は、これまでロール回転しかできなかった手首にピッチ軸と、不可動だった掌にヨー軸が追加されたことですかね。面白かった思ったのはヨー軸で、手の甲と掌が別パーツになってて軸で接続されていて、一軸ヨー運動するんですよ。人間は手首にヨーとピッチがありますが、ロボットなんだから制御さえできるんならわざわざ真似る必要もないんだな、と。この辺は仮想一点支持になってるHRPなんかも見習った方がよいかも。もっとも、三軸が直交しなくなるから制御は格段に難しくなるけれども

 あと顏認識だとかラベル認識だとか、どこぞの自律移動支援などにも転用できそうな技術があれこれ見られたわけなんですが、要素技術は凄いんだけど、製品に組み込まれているとそれほど魅力的に感じないというか、製品があまりにも単体として完結し過ぎていて、製品間の連携が全く取れていないのが、なんともはや。スゴ録のブースで、学習型の自動番組録画機能を紹介したと思えば、その対角線上の場所でweb上でユーザの好みを学習する電子番組表システムをVAIOで走らせていたりする。しかも両者には連携機能がないとか言われると、こいつらアホか?と
 ただ、ここの要素技術は確かに素晴らしかったので、音頭取る側がよくなれば一気に改善される可能性はありますね。それだけが慰めでしょうか。

 NHKスペシャル「欺かれた“安全性” 〜耐震強度偽装マンション〜」を流し観してて、他にもあるんじゃねーの?とか思った。この連中だけが特別だったと考えるより、これは氷山の一角だと考える方が道理のような気がするんですが。


2005年12月18日(日曜日)
 昨日から微妙に風邪っぽかったけど、体調が悪いというほどでもなかったので、クスリを飲んで出発。
 まずは五反野へ。王子からは微妙に乗り継ぎが悪いので、実は自転車で走った方が早いのだが、今日は次があるために電車で。
 遊輪舎で自転車のハンドルバーを購入。10,500円なり。

 続いて針路を西に取り、一路西荻へ。怪しい集団の忘年会に参加。まともな人物は私一人だった。
 お店にも多大な迷惑をかけ、出る時に「ご迷惑おかけしました」と言うと苦笑していた。なぜか人型ロボットとか繰り出してたもんなぁ……。

 平成17年版の消防白書によると、日本の火災で最も多い出火原因は、「放火」だそうで。総ての火災のうち13.6%(放火の疑いを含めると23.2%)が放火だというのですから、こりゃなんか拔本的な対策が必要なんじゃないかと思わんでもありませんな。あと、煙草の投げ棄てによる出火が多いのも気になります。これは放火に含めてもいいんじゃないか……。
 厳罰化しても效果が期待しにくい領域だけに、即効性のある対策も思い付きませんが……放火専門の特別司法警察職を創設するってのはどうでしょうかね。警察と縄張り争いするだけかなぁ?


2005年12月19日(月曜日)
 謎めいた記事があったので、採り上げてみようかと。  良く分かんないなぁ……。記事を読んでも、話が茫洋とし過ぎていて、どういう目的でこの授業が行われ、その結果何が問題なのか……。単に親が学校に怒鳴り込んだだけじゃないかって気もするんだけど。
 当時の日本の召集令状には拒否権(良心的兵役拒否)なんぞ無かったので、“非国民”どころか、見つかれば兵役法違犯で憲兵隊か警察に逮捕、收監されました。有名所ではエホバの証人の方々が、かなりの数、逮捕されています。それを逃れるために逃亡生活を送っていた人なんてのもいるくらいなので、当時の日本で徴集・召集を拒否するのはある意味命懸けでした。
 この先生が何を考えていたのか今一つ分からないのですが、不正確なことを教えた疑いはあるかと。“非国民”などと書くのではなく、「あなたは逮捕され、三年以下の懲役に処せられます」と書くべきだったのではなかろうか。まあ、非国民と呼ばれるのも間違いじゃないだろうけど、それはあくまで社会的な問題で、法的な問題じゃない。
 それから、当時の状況を考えると言っていましたが、これも時期によって大分違う話で、戦争をやっていなかった時代、あるいは日中戦争がまだ泥沼化していなかった時期には、実際に現役となるのは徴兵検査で甲種合格になった者のうち、さらに定数に必要な数だけが徴收されたので、誰にも彼にも召集令状が届くという事態はありませんでした。逆説的に言うと、予備役や後備役を対象とした召集令状が届く頃っていうのは、戦局いよいよ左前、現役兵の数が足りなくなってからの話。毎日のように日本の都市がどこかしら爆撃されていて、ラジオは景気の良いことを言っていたけど、多くの国民が薄々ながら「これはもう駄目かも知らんね」とか思っていた頃ということになります。そうなると侵略戦争のためというより、身近な人を守るためという意識が強くなってしまいますので、嫌だという思いよりそっちの方が先に来ることになります。そういう社会状況を踏まえないと話が成り立たないんだよね……。

 戦争に行って人を殺したくないって意見は、多くの人に共通する意見じゃないかな。普通の人は、自ら進んで傭兵になったりはしないし(そういう人がいることは否定しないが)
 でも、“そんな事言ってられない事態”に陥る時ってのはあるんですよ。別に何も悪いことしていないのに攻め込まれて国ごと滅ぼされるなんてことは、それこそペロポネソス戦争のメロス島の頃から歴史上あり溢れ過ぎていて、否定する要素の欠片もない。
 他国に攻めていくかどうかはともかく、自国の安全は自国で守らなきゃいけないってのが、歴史の示すところなわけです。しかも、実力と外交の両方で。
 その前提の上で、必要な議論ができるようにするための教育なら良いのですが、ただひたすらに戦争の悲惨さを教えても意味がないような気がする。戦争は悲惨だけど、それでも起きるんだから。

 その昔今年も)、下らない事件がありましたが、またまたそのドイツから「観光客に「ナチス式敬礼」をした女性2人、逮捕される
 僕はドイツ国民じゃないので論評する権利があるのかどうか怪しいところなんですが、行きすぎというかやり過ぎというか病的というか。もちろんナチのやったことを全面肯定する気はないのだけれども、一方でこのような思想・言論の規制を行うこともまたある種のファシズムじゃねーの?とか思うわけですよ。不文律的なタブーってのなら分かるけど、法律なんだもんなぁ。
 まあ、日本国民には分からない政治的・社会的事情ってのもあるんでしょうが、端から見ていると、言論の自由に制限がある不自由な国という印象を抱いてしまいます。別にドイツ国民の100人や200人がナチを信奉していても、それがドイツの主流派だと考えるようなことはありませんし、またそれが主流となることもないだろうと思えます。それほど神経質になる必要もないと思いますけどね。
 むしろ、こーゆーのの方がどうかと。


2005年12月20日(火曜日)
 昨年と今年で、「まんがで読む 防衛白書」の絵柄が全然違っていることについて。
 いや、いいんだけどね……。
 イトノくん辺りが力一杯何か説明してくれることを期待しよう。多分理解できないだろうけど。

 実は風邪が治らずに真っ赤なお鼻のトナカイさん状態なわけだが、こういう時はリポDだ!と思って買いに行ったら、復刻版なる箱が売られていたのでついつい手を出してしまった。


 ナカミは普通のリポDらしい。
 しかし、世界のリポビタンDによると、イタリア、イギリス、越南では缶入りで売られているらしい。缶の方が輸送や取り扱いなどに於いて便利なのではないかと思うわけだが、なぜに着色瓶での販売に拘るのだろうか。謎だ。
 多分文化的問題なのだと思うのですが、世界には私には理解できない謎が多くて大変です。

 「論文不正:京大教授を処分 女性助手に精神的嫌がらせもって、これで処分が停職3ヶ月ってぇんだから良い身分だな! ハラスメントがどうこうというより、研究者としてどうよ?


2005年12月21日(水曜日)
 「首都圏の鉄道・バス、ICカードで相互利用可能にはいいんですが、「PASMO」っていうネーミングはちょっとビミョーかなー。「パスネット」も大概だったけど。
 定着しちまえば一緒か。
 でもこれでようやく便利になりますね。特にJRとの相互乗り入れをしている路線で、うっかりSuicaで乗っちゃった、なんていうミスが減るのはあり難いことです。まあ、中にはJR常磐緩行線&東京地下鉄千代田線みたいに、どう考えても運用側が馬鹿打ったんだろうこれは、なんて所もありますけども……。

 以前米国におけるインテリジェント・デザイン論にちょっと言及したことがあったんですが、それに絡んだ裁判のニュースが米国から。
 私に言わせるとID論なんての似非科学もいいところで、こんなもん教えるくらいなら聖書を教えた方がまだマシだと思う。聖書が科学的に正確かどうかなんて議論の余地がないけど、ID論はそれを隠蔽しようとしているところが悪質だからねぇ。
 もっとも、この手の似非科学の蔓延は何も米国の専売特許じゃなくて、日本でもライフスペースから「水からの伝言」まで枚挙に暇がなく、どうしてこんなペテンに引っ掛かるのかと首を傾げるところがないでもなかったり。


2005年12月22日(木曜日)
 「「無防備都市攻撃」発言:条例制定請求の市民ら、撤回求めるですか……。この「市民の会」とやらって、頭おかしいんじゃねーの?
 地方自治体が非常時でもないのに“無防備都市”を宣言することの不当性は既に各所で論じられているところなので今更言を重ねませんが、仮に有事であったとして、無防備都市宣言を行えば敵軍が見逃してくれると考える能天気さに至っては目を剥かんばかりです。良くて占領の後略奪でしょ? 無防備都市宣言をすれば安心、なんて暢気なこと言ってられないと思うけどねぇ、その時は。

 兄が偽物なら弟も偽物、というわけで「トレス被告の“弟”収容 日系人「ヤギ」と偽り入国だそうな。
 日本国がなぜ“日系人”に対して就労目的のビザ発行が緩いのか、私には全く理解できませんが、きっとなにか私には分からない深遠なる理由があるんでしょう。私のイトコ達もそれで入国してましたからして。
 しかしそれって翻ってみればこういう偽装を横行させる温床でもあるわけですよね。法務省も遅まきながら規制強化に乗り出すようですが、フィリピンとのFTA交渉であれだけ看護師の受け容れに難色を示していたことを考えれば、そりゃぁ「実は旧日本兵の子孫だ」とか名乗りたくもなるでしょうよ。ところでフィリピンというと、芸能ビザなら比較的簡単に取れたのに、看護師だと政府間交渉になる……とか、日本の入国管理には不思議が一杯です。
 人口減少社会に入ったというこの日本ですが、今後の労働者人口の減少をどうにかして補わにゃならんわけで、今後単純労働にしろ頭脳労働にしろ、ロボット三等兵が間に合いそうにないからには、どういう形でか、受け容れていかねばならんのと違いますかね。


2005年12月23日(金曜日)
 激しく立腹したので、ここに書き散らす。

 NIKKEI NETの清水正巳編集委員によるコラム「研究の失敗に寛容な風土はできるか」ではやぶさのことを採り上げていた。だが内容は酷いものだ。
 冒頭に『日本の小惑星探査機「はやぶさ」による小惑星イトカワの探査ほど、成功したのか、失敗したのか分からないプロジェクトはない。』とされるが、そもそもはやぶさは「工学実験探査機」であり、そのミッションはなにもイトカワへのサンプル・リターンだけではない。主要な課題だけでも、電気推進、自律型の探査機技術、イトカワからのサンプル採取、地球帰還から再突入となっており、そのどれもが日本の宇宙技術開発に於いて未踏の分野だ。『今日のはやぶさ』のページ中の「ミッション達成度」にもあるように、イトカワの科学観測までは成功しているのであれば、いくつもの項目に「成功」の文字が並ぶだろう。単に「パーフェクト」ではなかったというだけだ。
 この清水編集委員ははやぶさを『一つ一つの技術を組み合わせ、全体システムをつくりあげるような技術開発プロジェクト』と分類し、『後者は着実にシステムをつくることが前提であり、出来上がったシステムが動かなかったり、目標を達成できなかったりすれば失敗であり、無駄な研究開発ということにもなる』と評したが、これは事実誤認に基づく讒謗だ。はやぶさは前述の通り工学実験探査機であり、その立場はむしろ『新発見やイノベーションにつながる発明』である。何しろ一度もやったことがない初挑戦の分野だ。
 未知の分野に挑戦すれば成功ばかりとは言えない。途上、史上最大の太陽フレアに曝されたことや、リアクションホイールの2基喪失など、天変地異に近いトラブルも経験し、はやぶさチームはそれを創意工夫や応用努力で乗り越えてきた。そして3億kmという、リアルタイム制御も出来ない空間での自律制御を行った。これらの挑戦を一つ一つ乗り越えた果ての、現在なのだ。
 そもそも、成功と失敗は二値的な排他関係にあるわけではない。失敗の中にも成果があり、成功の中に失策がある。成功したか失敗したか俄には判別がつかない事例とて少なくはない。
火星探査機のぞみは、その主任務たる火星探査は行うことができなかったが、一方で運用チームには故障した衛星の運用と復旧、軌道計算などに於いては大きな財産を遺した。それらは少なからずはやぶさに活かされている。無論、はやぶさのここまでの運用の中でも、成功もあれば失敗もあった。それらは、次の機会があれば貴重な糧となるだろう。
 予算逼迫の折りでもあり、成果主義の導入による效率的な予算運用は不可避だろう。だが、そうであるならばまず銘記すべき事は、成功と失敗は二元論ではないことだろう。この清水編集委員の冒頭の一言『成功したのか、失敗したのか分からない』のような考え方こそが、成果主義を結果論に落とし込み、本人が危惧する偽造捏造を誘発する苗床となるのだと警鐘を鳴らしたい。

 もっとざっくばらんに。
 『安い開発費では目標を達成できないというのであれば、失敗しないだけの開発資金を要求すればよかったではないか。』という一文には、殺意に近いものを感じましたね。
 日本の宇宙機関の予算は、世界的に見ても非常に少なく、NASAの1/8、ESAの1/3と言われます。
 予算がふんだんにあるのであれば、はやぶさのリアクションホイールだって冗長系が積めたし、ロケットだって震動が厳しいΜ-Vを使わなくても良かっただろうし、ハイゲインアンテナや太陽電池パドルを可動式にする事もできたよ。ミネルバだって宇宙の藻屑に消えずに済んだかもしれない。
 でもそんなセリフは、今の5倍くらいの予算をつけてから吐け、と。

 こんなこと書き散らしていたら、米国からサイエンス誌の「今年の科学的進歩ベスト10」に“はやぶさ”がランク・インしたと報じられていました


2005年12月24日(土曜日)
 昨晩のアレのためか、昼迄寝ていた。

 「日本と準戦略パートナーに 台湾与党、初の内部文書だそうな。まあ当然っちゃ当然やろうねぇ。
 海洋進出を図る中国に対抗するには、日本列島‐台湾‐フィリピン諸島‐カリマンタン島のラインを完成させてしまうのが一番ですから。これにインドネシアが加われば、完璧です。逆に中国からしてみれば、海洋進出のためにはこのラインを断つことが必要となりますので、離間策だの内政干渉だの内憂幇助だのといった手を打ってくることになります。台湾を例に取ると、野党である国民党と中国共産党が接近してたりしますな。つまり抱き込み。
 つい近年まで日本でも野党(与党もだけど)がやけに親中国だったりしましたが、最近はようやく目が覚めたのか何なのか、民間レベルでも対中国親近感が下がりっぱなしです。結局中国の覇権主義を前にしては、膝を屈するか仲間を募って対立するかしかないわけで、前者が採れないなら選ぶ肢は一つしかないわけでして。
 もちろん仲良くできればそれに越したことはないのですが、中国という国は節度を持ったお付き合いができそうもないのでしてね……。

 近所のスーパーに買い物に行ったら、これでもかとチキンが売られていたわけだが、“土用の丑の鰻”や“感謝祭の七面鳥”なんかと同じで、“クリスマスのブロイラー”というわけだな。


2005年12月25日(日曜日)
 今日がクリスマスなんだよね?……と確認しなきゃならないくらい、街は年末セールに切り替わってしまっている25日。

 「旧日本軍:裁判抜き処刑100人 捕虜の米英飛行士らをという毎日記事なんですが、どうも大元のPOW研究会は左がかった団体みたいですが、研究内容そのものは評価できるんじゃないかな。個人的感想ですが、共同代表の一人、内海愛子氏の研究は、これまでも内容は優れていましたし。ただ、朝鮮人BC級戦犯を“日帝の被害者”として補償を求める彼女の政治姿勢については全く賛同できませんが。
 私はこの手の調査研究は(能うならば)解釈を加えるべきではないと思っていて、統計がきっちり出ていればそれで良いと考えます。わざわざ「虐待を含め旧日本軍の捕虜の扱いは人道的とは程遠かったことが改めて分かってきた」などというコメントを付与したのは、研究の質を落としこそすれ、質の向上には寄与していないと感じました。
 彼らの研究からは、なにも日本軍ばかりを責めているわけではなく、誰も彼もを責めているように見えます。それが彼らなりの平和への道なのでしょう。


2005年12月26日(月曜日)
 「体感治安:犯罪認知件数減っても…ジワリ悪化とか嫌らしい記事。統計上治安は改善しているはずなのに、なぜか心理的な“体感治安”は悪化している、と。
 個人的な“感想”を述べるならば、報道各社による事件報道の加熱が一因ではないかと感じます。
 実際問題として認知件数が下がっていて、検挙率も下げ止まっているようなので、治安は改善しているとしか言い様がないわけです。こんなもんは印象よりも数字の方が圧倒的に正確なので、統計上そうなのなら、実体もそうであると看做せる。人心が惑う理由がどこにあるのかと言われれば、風説とか流言蜚語の類ではないかと思わざるを得ない所。で、煽ってんのは報道各社じゃない?と。
 とりわけ、広島、栃木、京都と立て続いた児童殺人については、異常な報道を行っており、徒に人心を惑わせている感が大です。
 私なんぞに言わせると、昨年の未成年者を対象とした殺人事件が182件、同じく昨年の未成年者の交通事故死者が642人、同じく昨年の未成年の自殺者数は589人。同じ“人死に”なら、一番問題にしなければならないのがどれであるか、考えるまでもないでしょうが、と。
 実際に、未成年者が犠牲になった交通事故の報道が、字数ベースでも時間ベースでも、殺人事件の3.5倍あるかというと、直感的にはないと思います。どちらがより危険かといわれれば、殺人に巻込まれる可能性より交通事故に巻込まれる可能性の方が3.5倍も高いのにね。

2005年12月27日(火曜日)
 昼食後、なんかふらふらするなと思って寝床へ。体温38.5℃。
2005年12月28日(水曜日)
 最高38.8℃まで上がった熱は、一部でははくほー氏からデンパで伝染ったとか、ミツルんのがTCP/IPで感染したとかとの噂もあったようですが、下痢も吐き気もない、ただひたすらに発熱だけという有り難くもない症状でした。
 食欲はそれなりにあったので、うどんなんぞを食したりして過ごしたのですが、頭が回らないのと体の自由が利かないのには困りました。
 メイドロボが欲しい瞬間ってこういう時ですかねー。

 気がつきゃ明日からコミケだよ……。

 「社説:特急転覆 安全管理で浮ついてないか」より、「突風とは言いながら、風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ。」ってあんた……。
 正直、こんな社説を載せてしまう毎日新聞の意識を疑わずにはいられません。頭おかしいんじゃないか?
 えーとですね、例えば自動車を運転していて「風の息づかいを感じて」「事前に気配」を察知できる方、どのくらいおられますでしょうか。ちなみに私はできません。以前は横風に無茶苦茶弱いドミンゴに乗っていましたが、その時は先行する車の挙動や高速道路なら吹き流しを見て、風を読んでいました。
 実際問題として「風の息づかい」なんぞが感じられたら、今頃超一流のソアラーになってるんじゃねーかって気もしますし。その辺どうなんでしょう、全国上位のソアラーであるところのさとみ君なんかなら感じられるんでしょうか。つかさ、そんなんで事故が回避できりゃマイクロバーストで墜落する飛行機なんざでねぇんだよ、って思いません?
 この社説は“全ての事故は人災である”という立場で書かれていますが、本当に全ての事故は人災なんでしょうか。私には到底そうは思えません。そもそも安全というものは費用対効果の中で確率的に語られるものであり、完璧な安全などというものは存在しません。事故は確率的に常に存在し、それが社会的許容限界を超えた時に問題となります。
 敢えて悪い言い方をすれば、社会は許容範囲内の事故と付き合っていかねばならないわけです。
 事故が起きることは悲しいことです。しかし未だ原因調査が端緒に付いたばかりであり、人災だったのか天災だったのか、あるいは避け得る事故だったのか避け得ぬ事故だったのかも判断付かない状況で、このような社説を載せることの無責任さを毎日新聞が理解しているのかどうか、そちらの方が心配です。


2005年12月29日(木曜日)
 一日目。ちょっと無茶なスケジュールを押して参加。
 ギリギリまで自宅で編集作業などして、出来上がったブツをCDに焼いてから家を出立。ルートは東京駅経由急行バスで。座れたので実に楽ちんでした。
 今回直前に熱出して寝込んでいたこともあって、殆どサークルチェックができませんでした。過去のデータからサークル名一致でチェックして重複排除しただけで、新規開拓ゼロ。過去一度でも行ったことのあるサークル名が鏤々並んでしまったリスト片手に途方に暮れる状態。しかも、館内配置を殆ど把握してなかったので、特技の人力ナヴィゲーションもマトモに動かず、右往左往。
 あと、一年振りくらいに企業ブースへ本格突入しました。というのも、四枚ほど、コミケット企業ブースが初売りというCDがあったため……。こういうの止めて欲しい……。一般発売日が一月中旬以降と言われると、流石に我慢できませんです。

 企業、西館、委託を回って、最後の最後に、東館に渡って某イトノくんのサークルへ向かい、挨拶だけでもしようと思ったのに、14時時点で彼は不在だった。まあ、企業ブースとか企業ブースとか企業ブースとかで行列に並んでるんだろうと思って、後が押していたので、脱出した。

 明日発行予定の新刊の印刷をしに、某所Kinko'sへ。年末ということもあってか結構混んでいて、お蔭で出力が錯綜して店員が二人の客のプリントを混ぜて渡してしまうという大チョンボの当事者になる。一体何のためにあの出力票書かせているんでしょうか。枚数の確認もしないなら、出さんぞ、次から。
 向こうの手違いで10分で終わるはずの出力が20分以上かかったのに、料金だけはしっかり取りやがった。
 FedEx系列になってから、店員教育が一層疎かになってる気がするなぁ。

 自宅に戻ってから、ちまちまと製本作業など。
 印刷したブツに誤字脱字を見つけてへこんだりする。


2005年12月30日(金曜日)
 二日目。
 一年振りのサークル参加になったので、とにかく新刊を出すべきであるという強迫観念に駆られて(嘘)新刊を出すも、見た瞬間に引く人多数。
 かの怪作と同じ装幀にしたんですけど、もう、引かれまくる。
 うるせー。書きたいものを書くのも同人じゃー。

 「風の息づかいを感じろッ!」の件。
 ソアラーさとみ君によると、翼があって浮いてりゃ感じられるかもしれんということなので、対策としては電車に翼を付けて……(違)。
 なんか報道によると、原因にマイクロバーストが疑われているようで、もしそうだとしたら、事前に察知してても事故が不可避であった可能性が高いですねー。どうすんだろう、毎日新聞。
 他にもツッコミどころは満載なんですが、一々ツッコミ続けると身が保ちそうにないので、このくらいで。


2005年12月31日(土曜日)
 大晦日にお買い物に……って、自転車屋へ行っている私。年内は31日まで営業していて、新年は1日から営業とか言われると、それって休んでないじゃんとか思いませんか。便利でいいけど。

 なんか「マガジン9条」とかいうwebマガジンで、“新春特別企画 国民投票”と題して、憲法9条改正についてのアンケートをやっているらしい。
 で、選択肢が以下の通り。

  1. 9条を変える。
    わが国の安全は日米安保条約にもとづく日米軍事同盟によってしか守れないと思う。アメリカに守ってもらっているのだから、アメリカが攻撃されたときは応援に出かけるのは当然だ。第一、武力の伴わない外交では相手になめられてしまう。非武装を主張する護憲派は、外国に侵略されてもいいと言うのか
    ---したがって、自衛隊を「自衛軍」にして海外派兵(集団的自衛権)も可とする自民党の改正草案に賛成。
  2. 9条を変える。
    わが国は独立国なのだから、戦後60年を過ぎてなお在日米軍の抑止力をアテにして米軍基地を受け入れている現状は情けない
    ---したがって、国の安全は自主独立の軍隊で守っていくことを9条に明記すべきだ。
  3. 9条を変える。
    日米安保条約の目的はいまや「日本とその周辺の安全」から「中東の安全」にまで拡大変質している。テロの未然防止のためには先制攻撃も辞さないという、アメリカの世界戦略に巻きこまれたら大変だ
    ---したがって、歴代内閣が表明してきた「専守防衛に徹して海外における武力行使はできない」という自衛隊の定義と存在を、9条の中に明記してアメリカの世界戦略と一線を画していくべきだ。
  4. 9条を変えない。
    日米安保条約の変質については「3」と同じ見解。アメリカは日本をアジア太平洋地域の戦略拠点と位置づけ、自衛隊を英軍なみの同盟軍として海外の戦闘地域でも協力させたいと考えている。しかし9条2項があるかぎり、海外での武力行使は阻止できるのだから
    ---9条も自衛隊も現状のままがいい。
  5. 9条を変えない。
    冷戦終結のいま、EUや東アジア共同体づくりの動きに見られるように、武力を背景にした外交は絶えざる武力競争(緊張)やテロを生んでキリがないことに世界中が気づき始めている。9条はまさにそんな新しい時代のお手本になる憲法である
    ---したがって、自衛隊は解散し、一切の外国軍基地も存在しない非武装の国のかたちをつくっていくべきだ。
  6. 9条を変えない。
    変えない理由は「5」に同じ
    ---ただし自衛隊は解散しないで、最小限の自衛力(抵抗権)をもつ陸海空の「国境警備隊」と、武力を伴わない「人道支援隊」に改組縮小する。後者はNPOと連携して、災害、医療、インフラ、貧困対策などで世界平和に貢献していく。
 それで、22時25分現在で、総投票11,285票で得票率はそれぞれ、
  1. 5,075票(45.0%)
  2. 4,557票(40.3%)
  3. 350票(3.1%)
  4. 154票(1.4%)
  5. 472票(4.2%)
  6. 677票(6.0%)
とまあ、発案者の意図をぶっちぎった回答が寄せられているようです。
 各選択肢の文章のうち、1と2には悪意的なものを感じるので、恐らく意図的に露悪的な表現を用いたのだろうと思いますが、3、5、6は論外に近い選択肢なので、「現状維持」という意味で4にするか、悪意的な文章に目を瞑って1か2に投じるしかないように思いますが。
 普通に考えれば1か2のどちらかを選ぶしかないんじゃないでしょうか。5.に投票する人間ってのは、ファンタジー世界の住人ってことで間違いないと思いますが、6.だって大概だよね。武力がなきゃ人道支援する側の身も守れないところへ行くって状況を意図的に無視してる。まあ、そういうときはPMC(民間軍事会社)でも雇えばいいんだと言われりゃそうなんでしょうが、それと9条の精神がどのように合致するのかは私には謎です。4.は現状維持でしょうからまあいいとして、3.は“専守防衛”が絵空事なんでねぇ。
 ちなみに私は1に投じました。2はねぇ……さすがに米国が不要なほどの戦力を揃えようってのは厳しいと思いましたんで……ええ……。
 しかし、この「マガジン9条」掲載記事群と、この投票結果を比べてみると、色々思う所がありますな。