このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、パーソナルメディア社、並びにYRPユビキタス・ネットワーキング研究所は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。
森永卓郎ってのは真性の気違いだな。
正月早々、碌でも無いもの読まされたわ。
天皇陛下のために死ねというのも、憲法9条のために死ねというのも、本質的には全く同じだ。対象が違うだけに過ぎない。
私はこういう連中を大日本帝国の残党と呼んでいるわけだが、ある種の詐欺なので犯罪として取り締まれないものかと思うことがある。
琉球新報が「「ざんき絶えない思い」 菅首相、沖縄の米軍基地集中に」として首相の年頭会見の質疑応答の一部分を拔粋し中心に据えて報じていたんだけど、報道としてこういう報じ方ってアリなのかね?
それはともかく、極東の安全保障のことを考えれば沖縄に基地が集中するのは地理的に已むを得ない。沖縄の基地負担の軽減は考えていかねばならないことだが、限度がある。
沖縄の基地負担を大幅に減らすためには、①中国が民主化する②台湾が平和裡に独立する③沖縄の地理的位置が移動する、くらいの変化が必要になる。しかし、①〜③の実現可能性を考えうると、沖縄を小笠原の辺りまで動かすか、空に浮かべる方法を考えた方が良いかも知れない。
大変残念な状態におちいっている金星探査機「あかつき」ですが、小惑星に寄り道を検討したり、逆に減速をかけて金星に追いつかせるプランが出たりと、運用も大変そうです。
いっそ、あかつきはこのまま実験機にしてしまって、手持ちにあるあかつきの為の予備機材でもう一機金星探査機を仕立て上げて射上げた方が良いのではないかと思うな。
最近話題の中国のステルス試作機、殲-20。
キャノピー内の人間の頭の大きさから見て機体が大きいなと思っていたら、en.wikipediaによると全長が推定で23m、翼幅14m以上とか、なんじゃそりゃ。戦鬪機のサイズじゃねぇぞ。
この世界には二乗三乗則というものがあって、スケールに対して面積は二乗で、体積(=重量)は三乗で増えていきます。飛行機の場合、空を飛ぶ都合上少しでも軽くしたい、特に戦鬪機であれば挌鬪性能を確保するために推力重量比を稼ぎたいのに、機体が大きくなればそれだけ重量は三乗則で増えてしまい、より強力なエンジンが必要になるという悪循環に陥ります。(当たり前だがエンジン自体にも二乗三乗則は適用される)
つまりこの殲-20とかいう機体が真実戦鬪機であるとするならば、F-22より2割程度大きな機体をぶん回し得るチョー強力なエンジンが積んであるか、あるいは未知の技術によって羽毛のように軽い素材でも使っているのか、どちらかでしょうな。もしくは、物理法則の裏をかく手段でも見つけたか。
機体サイズが大きくなれば純然たるレーダ反射面積では不利ですので、技術的限界からあれ以上コンパクトに作ることができなかったのか、あるいは他の意図があってあのサイズなのか。今のところ判断は付きませんね。
ただ、中国の用兵上の要求としてステルス性を有した戦術爆撃機というものは、台湾侵攻を考えればあってもおかしくないので、戦術爆撃機としてあのサイズが選択された可能性は多少考慮しておいても良いかな、と。
もっとも、戦術爆撃機だとすると、別にあんな戦鬪機然とした姿をしていなくても良い(B-2とかF-117みたいな形でも良い)わけで、ステルス性には不利とされるカナードの採用など、今の段階では「色んな航空技術を詰め込んで飛ばしてみる実験機」だと考えるのが無難だろうかね。というわけで、恐らくこの機体は実験機であり、もしこのまま開発が推移したとしても、完成するのは戦術爆撃機だろう、ってところかな。
あ、勿論日本の軍拡のための理由付けとして殲-20が脅威であることを確信犯的に主張する分には構わないと思いますけどね!
シンセージンが暴れる季節ですが、「成人式「羽織、はかまなら刀」模造刀所持し逮捕」というニュースを見て頭痛が。
刀を差したかったら、裃くらい着ろよな。
紋付袴って武士にとっては略装なので、礼式として着るものじゃない。商人(町人)にとっては礼装だけどね。礼装として紋付袴を着るのは、どっちかというと町人なんですな。なので「紋付袴なら刀」という発想が既に間違っているという……。
勿論、紋付袴を平服として着ているのであれば、腰に刀を差していても構いませんが、その場合も二本差しでないとこれまた間違いになります。記事を見る限り、一本しか持っていなかったようなので、これまた間違いです。
よく誤解されますが、江戸時代に武士にしか認められなかったのは、大小二本の刀を差すことなんです。「東海道中膝栗毛」で弥次さん喜多さんも腰に脇差を差して(竹光ですが)旅しているように、腰に一本を差すのは武士でなくとも認められます。
あと、袴を常用できるのも武士の特権ですね。庶民は礼装する場合にのみ許されました。ちなみに、葬式に限り裃の着用が下々にも認められた地域もありまして、私の田舎、富山の一地域では現在でも葬式の喪主が白の裃を礼服の上に着用する文化が残っていたりします。
ともあれ、実は江戸時代というのは身分によって服装規定が事細かく定められており、特に武士とそれ以外、そして武士の間は服装によって区別することができたのです。(というか、それが目的だった) 他にも、髷の結い方にも身分差があったりして、装いとはすなわち身分であった時代がかつてはあったわけです。
江戸時代に身分制度の面白さは、これら事細かな身分差があるにも拘らず、それらが一直線の上下関係を形成せず、階級鬪争を生み出さなかったことなのですが、その辺はまた機会があれば。
ロシア人がメチルアルコールだって構わずに飮む程酒好きなのは好く知られている所ですが、歯舞群島で酒盛りして4名死亡とかいうニュースが。
しかしよく考えると、23名がメチルアルコールを飮み、4名が死亡し15名が救急搬送されということは、救急搬送の必要すらなかったロシア人が4名いたという計算になってしまうのですが、やはりロシア人のアルコール分解能力の進化は着々と進んでいるのでしょうか。
中国外交官が「日本も空母持っていた。なぜ中国ばかり」とヤる気満々な発言。
戦前の日本が空母を以て何をやったかまで考えると、中国が目指しているのは、結局は20世紀前半的な覇権国家なんでしょうな。
この21世紀に実に迷惑な存在ですな。
web漢文大系、か。
底本が分からないのが難点だけど、読書として読む分には充分かな。
戦争関連といえば、土曜日にNHK教育でやっていた「Q〜わたしの思考探究〜 なぜ戦争はなくならないのか」が案外面白かった。
自らの体験を元に反戦を訴えるサヘル・ローズの薄っぺらい話に終始するかと思いきや、伊勢﨑賢治の誘導でいかに戦争の根絶が難しいか(あるいはいかに簡単に戦争は起こるか)を平易に説明していて、為になる話だった。
実のところ、失敗国家ランキングでも見ればわかるように世界には国が大凡200程もあります(国連加盟国193、その他含めて大体200)が、そのうち177箇国を評価すれば、失敗国家の指数が60を超える国が130箇国以上あったりするわけです。ランキング98位のメキシコでは、政府の統治が行き届かず、犯罪組織が警察や軍といい勝負をしていて、先日も警察署長が誘拐されて行方不明とかいうニュースが飛び交っていたくらい。113位のブラジルでも、一昨年だったか、軍と犯罪組織が市街戦をやらかしていたっけ。121位のチュニジアは、先日政権が崩壊しましたな。
我が日本は164位。最近の政情不安が響きましたかな。
日本では中国の軍事的脅威が新聞紙面をも賑わすようになってきましたが、中国では「武器大幅輸出すれば、日本は世界の艦艇市場でシェア60%」と、日本の脅威が相変わらず誇張して報じられているようです。
日本の兵器が海外に売れるか、という点については、そりゃ売れるものもあるでしょうが、多くの兵器はその特殊性によって、販路が限られると思います。(参考1,2)
記事には艦艇市場で60%とか勇ましいことが書いてありますが、たとえば日本の護衛艦は通常、機関を前後左右に分散配置しています。煙突が二本、前後に配置されているのはこのためです。このような配置は生存性には有利とされますが、機関室が複数になり吸排気路も複数系統になるなど船体構造が複雑化し、かつプロペラを駆動する軸が左右で不等長になるなどのデメリットがあるため、艦の価格が高くなることを嫌って採用されない事例が多々見られます。とりわけ、費用対效果を重視する場合は。韓国のチュンムゴン・イ・スンシン級などは典型ですね。
日本では、太平洋戦争の戦訓から艦の生存性を追求する傾向があり、結果として同クラスの艦艇としては高価に仕上がる傾向があります。無論、それが評価されれば良いのですが、そうでないケースもあるでしょう。
兵器というものはそれ単体での性能より、その兵器をどの様な戦術で、どの様な戦略に於いて用いるかがより重要でして、そういった戦略戦術はその国の置かれた地理的、政治的条件によって左右されます。従って、世界的に観ると絶滅した兵器であっても日本では現役どころか新型が作られたり、逆に世界的には広く普及していても日本では全く使われていなかったりといった現象が起こります。これはどこの国でも大なり小なり起こりますが、日本は置かれている地理的・政治的条件が特殊であるため、その傾向が顕著に見られます。
このことから、日本の兵器を単純に輸出しようとしても、そう簡単には行かないだろうな、と予想されるところなのです。
西ミシガン大学のジェフリー・アングルス先生が、米国で日本語を学ぶ学生のために本の寄付を求めているのですが、少女漫画(BL漫画も含めて):大歓迎です。
とか、学生層の偏りが懸念されるよーなしないよーな。
うちになんか良さそうな本ってあるかなぁ?
自動公衆送信は,公衆送信の一態様であり(同項9号の4),公衆送信は,送信 の主体からみて公衆によって直接受信されることを目的とする送信をいう(同項7 号の2)ところ,著作権法が送信可能化を規制の対象となる行為として規定した趣 旨,目的は,公衆送信のうち,公衆からの求めに応じ自動的に行う送信(後に自動 公衆送信として定義規定が置かれたもの)が既に規制の対象とされていた状況の下 で,現に自動公衆送信が行われるに至る前の準備段階の行為を規制することにあ る。このことからすれば,公衆の用に供されている電気通信回線に接続することに より,当該装置に入力される情報を受信者からの求めに応じ自動的に送信する機能 を有する装置は,これがあらかじめ設定された単一の機器宛てに送信する機能しか 有しない場合であっても,当該装置を用いて行われる送信が自動公衆送信であると いえるときは,自動公衆送信装置に当たるというべきである。つまり、相手が特定される通信であっても、インターネットに繋がっていれば公衆送信であると。
朝日新聞に次期ロケット“H-3”の記事があったんですが、ひどい内容だな、こりゃ。
東山正宜記者って、自らも天文blog運営している程度には知識がある筈なんだが……。
これまで日本の宇宙探査機が小型だったのはΜ-Vロケットを使って打ち上げていたためで、Μ-Vロケットが廃止された今、宇宙探査機の大きさを制約しているのはどちらかと言えば衛星バスの問題です。むしろH-IIAでの射上げを考えると、500kg程度という現在の重量は軽すぎでして、“あかつき”の射上げに際してはバラスト(錘)を積むか、とまで言われていました。(代わりにイカロスが急遽仕立て上げられて、同時に射上げられたのですが)
射上げ費用の問題はあるのですが、この通り、宇宙探査機の重量問題はH-3とは直接的には関係がありません。また、射上げ方向の自由度についても、H-IIAの二段目ロケットであるLE-5Bの再々着火運用が実現すれば、解決可能な問題と考えられます。
また、有人射上げのロケットに固体燃料ロケットを避けるのは、爆発安全性よりもアボートシステムの問題が大きく絡んでいます。スペースシャトルのようにそもそもアボートシステムがない有人宇宙機は論外として、人間を載せたロケットでは飛行経路の全域で安全に脱出できることが求められますが、現用のH-IIA/Bは固体燃料ロケットを使った大きな初期加速のため、安全なアボートシステムの構築が困難です。アボートシステムには高加速度が得られるよう固体燃料ロケットを使うのが普通ですので(なので三段目をアボートロケットにというのも間違い)、ロケット全体の加速度がそれ以下でないと安全に脱出できないわけですね。
人工衛星などの無人ペイロードの射上げであれば別にアボートは考える必要ないので、重力や空気抵抗による損失を小さく抑えるためにも高加速度で一気に大気圏を突破してしまった方が経済的なのですが、有人となるとそうはいかなくなります。しかし低加速度で低い高度で飛ぶということは、それだけ各種損失が大きくなる訳ですから、大推力でかつ効率の良いエンジンが一段目に求められます。
そしてそのエンジンが“H2Aの2段目と同じ形式のエンジン”とか書かれています。噓じゃないにしても「新規開発の」と付け加えないとLE-5Cではないかと誤読する罠。これは現在研究開発中のLE-Xのことでエキスパンダーブリード・サイクルを使った推力130〜140tfのエンジンのことで、二段燃焼サイクルを採用した現用のLE-7Aの推力が112.0tf(1,079kN)なので、実現すれば日本のロケットエンジン史上最強のLOX-LH2エンジンになります。というか、このくらいの推力がないと、固体燃料ロケット無しで上がっていくのは難しい。一度確立した二段燃焼サイクルを捨ててエキスパンダーブリード・サイクルに戻すことを不安視する声ならありますが、1段目に小さめのエンジンを複数使う
というのは、明らかに記者の間違いです。
しかもこれらの情報は既に何年も前から公開されてきている内容で、何一つ新味がありません。
総じて、この記事は訳の分からない内容になってしまっています。
asahi.comだけじゃないけど、web上に記事を載せる新聞社は、「これはすごい」「これはひどい」ボタンを記事に付ければいいのにと思わなくもない。そうすれば記事の品質についてのフィードバックが得られるのにね。
というか、日本の新聞社/通信社って、記事の品質を上げる努力って、してるのかね。
全くしていないとは思わないのだけれど、充分ではないと思える節が多々見られます。
5分くらいで見直したんだが……。(^^;>書き換わった
文章が冗長で焦点がぼやけてるなと思ったので箇条書きで整理しなおしてみた。
装置が特定個人としか通信できないことを以て自動公衆送信装置ではない、と判断することはできない、というのが最高裁判決の一番のキモなんだろうけど、じゃあどうやったらシロなんだよ?という点については答えていないんだろうな、これ。
しかし、複数台の物理的なハードウェアの上に複数台の仮想マシンを構築して、共有されたiSCSIストレージにデータが格納されていたら、最早何をもって装置と呼ぶかという所から訳のわからない状態になるなー。
今回のロケフリは一人一台なので間違いなく一対一の通信なのだけど、ストレージサービスは通常、一台のサーバを複数人で共有している(ハズだ)。末端ユーザから見れば一対一で通信しているように見えても、実際にはサーバは一対多の通信をしていることになる。
過去の判例では電磁気的な記録が納められた物理的なハードディスクが媒体とされたので、一つの物理的媒体の上に複数利用者のデータが展開されていると、ヤバいってのは間違いなさそうなところなんだけど。
昨日のH-3ロケットの話題は良いまとめがあった。LE-Xは死亡フラグ、という結論が……。
漢字検定大会で299点取って2位、とかいう記事があって、じゃあ一位は満点だったのか……と啞然とする。
漢字検定大会は漢検とは違う団体による試験で、60分300問のタイムアタック。点数に応じて博士、名人、参段、弐段、初段が貰えるのだが、博士は285点以上。
平均一問12秒で解いていかないといけないのに、その上満点って、人間か、そいつ?
サンコーレアモノショップから、キーボード一体型PCとか。
RCAコンポジット画像出力端子があるなどツッコミどころ満載の機械だが、RS232Cが標準装備など、一体どこら辺の層を狙っているのか問い質したい。小一時間問い質したい。
手元のUnicode 6.0のCodeCharts.pdfの1289〜1290ページ、U+20534からU+20539までについて、私の目には明らかに間違って見えるんだが、エラッタは出ていないっぽい。
報告しとくか……。
ロケフリが駄目なら、録画機はもっと駄目だろうなぁ。
世の中には「やってみなくちゃわからない」をキャッチフレーズにしている番組もありますが、科学実験なら失敗しても被害は大したことがない(ことが多い)のですが、政治でそれをやれば社会全体が大迷惑を蒙るわけです。
ですから、やらなくても事前の検討で失敗することが自明なことは、実行に移さない賢さが求められます。
今更「首相、事務次官に協力要請 「運営に行き過ぎあった」」というのは、知能程度に著しい問題があるのではないかとの疑いを抱かせます。
事前にそれは無理だと分かることであり、実際に実行してみればひと月もあれば身に染みたことでしょうに。
blog「中国語翻訳者のつぶやき」の「なくならない偽造通貨問題とインフレ懸念」によると、昨年中国で押収された偽札の額面総額は3億3800万元(約44億円)だったそうな。日本人から見れば驚きの金額ですが、これでも前年比46%減だとか。
一体どうなってるのか。
もっとも、中国では本物を作る連中が偽札を作っているという話もあるらしいので、最早何が何だか分からない。人民元って良く通貨として使用できるもんだな。
猪瀬副知事 | 「表現規制ではない。」 | |
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昼間たかし | 「取材させて」 | |
猪瀬副知事 | 「夕張を助けに行け。雪かきして来い。それならインタビュ—うけてもよい。」 | |
昼間たかし | 「自分は夕張は毎年行っております。次は、来年の2月に行きます」 | |
猪瀬副知事 | 「条件は出した。夕張で雪かきだ。」 | |
昼間たかし | 「わかりました。じゃ、雪かきに行きましょう。」 | |
浦嶋嶺至 | 「じゃあしてきてやる」 | |
スポニチ | 「きっかけはツイッター アダルト漫画家が雪かき 猪瀬副知事「約束守る」」 | ←いまここ |
渡辺さんは例えば「渡辺」の「辺」。JIS規格には「邊」「邉」をあわせた3文字しか含まれないが、100字近い異体字があるとされる。
と日本でも迷惑だが、米国でも「ワタナベ」の綴りは少なくとも22種ある
と迷惑を振りまいていた、という話題。
これは真面目に「ワタナベ氏撲滅委員会」とか作っても良いレベルかも知れん。
国際的な迷惑だ(笑)。
Watanabe delenda est! Watanabe delenda est!!
H-IIB F2の射上げは成功。HTV-2の分離まで順調。あとはHTV-2が無事にISSにランデブー、ドッキングできればおっけ。
そして実は今回、「第2段制御落下実験」なんてやってるんですよね。宇宙にデブリを残さないように、再着火して二段目を地球に落としていたという。
日本の宇宙開発の未来は迷走気味ですが、地道な成果の積み上げは素直に祝福したいところです。
NHKスペシャルが「”邪馬台国”を掘る」で、観てげんなりした。
以前にも書いたことがあるけど、「我が地こそ邪馬台国の在処なり」と主張している土地だけで200を数える。その中で有力とされるのが畿内説と九州説だけど、それですら畿内説の優位は搖るぎようがないところまで来ている。
かつて文献を中心に云々していた時代は終わり、考古学的な発掘調査が進んだ結果、3世紀の日本の勢力図が以前よりも明らかになった。それらを概観する限り、当時は畿内が日本の中心として機能していたのは疑いない。ということは、邪馬台国がヤマトの音写であろうことを鑑みれば、まず畿内が有力、ということになる。今となっては畿内のどこだったか、が興味の中心だったりして。
九州説の人たちが頑張っているのは知ってるけど、勝負はあったと思うけどな。
平成23年3月25日(金曜日)に国語施策懇談会(文部科学省・講堂)として開催予定(詳細は後日発表)らしい。憶えておこう。
なんか秋葉原の歩行者天国が規模を縮小して再開とのこと。
私にはよく分からないのですが、2008年6月8日に秋葉原で起きた通り魔事件と、歩行者天国の実施の間には、いかなる因果関係があったんでしょうか? つまり、犯罪と歩行者天国との関係です。
私の頭では両者に相関関係を認めるのは難しいように思われるのですが。
身も蓋もなく言ってしまうと、通り魔事件事態は池袋や池田や土浦や下関みたいな、それこそどこでも一定の割合で起こるもので、しかも予防は根本的に不可能です。現場に居合わせた人は運が悪かった、としか言いようがない。
自ら意図して無差別殺人に走る輩は、それを目的として準備するので、規制があれば掻い潜り、障害があればそれを乗り越えて犯罪を遂行しようとします。対象も、たとえば金銭目的のように金持ちを狙うとかいうのではなく、本人の趣味嗜好によって決定されますから、余人が事前に察知することは不可能です。
何らかの科学的、あるいは論理的な推論によって秋葉原の歩行者天国が事件に関係していた(つまり歩行者天国がなければ事件が起きなかった)と言えるのでなければ、歩行者天国を中止するのも再開するのも、同じくらい事件とは関係がありません。
記事ではしきりに「安全」という言葉を連呼していますが、実際には安全というものは確率的に表されるものであり、いかなる場所であっても絶対安全ということはありません。世の中には平地で転んで頭を打って死ぬ人だっています。
記事中で「安全」と称しているものは実際には「安心」であって、それは心理的な問題であり、技術的な解決が難しいものです。カウンセラーかセラピストを呼ぶべきです。
世間では、この手の安全と安心を履き違えてるとしか思えない言動がまかり通っています。そして報道もそれを訂正しようとはしていません。それは物事の合理的解決を妨げ、非合理的な政策によって社会を破壊する緩い毒ではないかと私には思えます。
USA通信に「変わるDH像と問われるDH制」という記事があって考えさせられる。私は元来DH制には賛同しかねる立場なのだが、それを踏まえてみても、現在DH制は本来の意味を失いつつある。
最も大きな問題は、記事中にもあるように、投手の増加だろう。
野球においては、ベンチ入りメンバーは25人と定められている。このうち、現在約半数が投手だ。先発、中継ぎ、抑えの分業制が確立した今、先発投手が5〜7人、中継ぎ投手が5〜6人、抑えが1〜2人という構成はごく普通に見られる。捕手は概ね3人。となると、残り7つのポジションに対して野手は10人ばかりしかいないという事態になる。これが近年の野球において、一つの守備位置しか守れない選手や、そもそも守備が下手な選手の出場機会を大幅に奪っている。
DHがあると、ただでさえ少ない野手をさらに一人先発で使わないといけない。DH専業選手が本当にDHしか出来ない場合、試合における戦術の柔軟性が大幅に失われる。
これを問題とし、どうにかするためには、ベンチ入りメンバーを増やすなどの対策が必要になるが、ルールの改正を伴うだけに困難であろう。
投手の人数が増えたのは、野球に於ける競技技術の向上が、一人の先発投手による完投を容易には許さなくなったからだ。先発投手を三巡目には捉えられるような各種戦術の向上があり、それ故に先発‐中継ぎ‐抑えという分業体制が確立し、結果として一試合あたりに投入される投手の数が増え、必要とされる投手の登録数が増えるに至った。
捕手は特殊技能職であり、捕手が他のポジションに回ることがあっても、他のポジションの選手が突如捕手を任せられることは(緊急時を除いて)ない。長丁場のシーズンを乗り切るため、正捕手と、正捕手に匹敵する控え捕手がいて、そして緊急事態に備えた三番手が用意される。(この三番手は試合に出ることはまずない。三番手を用意しない球団もあるが)
となると必然的に野手の人数が減っていくわけだ。
予備人員が少ない状態で試合に臨むため、本来のポジション以外の守備位置もこなせる選手は必然的に重宝されることになる。逆にDH専業選手は好まれなくなる。
だからと言ってDHを無くせば皆幸せか、というとそう簡単な話でもないのは上記の通り。投手が打席に立つことによるデメリットは、取りも直さず投手の投球回数の減少を生み、畢竟、投手の登録を増やす方向への圧力となるからだ。
これらを勘案するに、根本的問題は競技技術の向上に対し、野球のルールが陳腐化しているからではなかろうか。これを補正する良い方法が見つかれば良いが、その結果アメフトのように攻守でメンバーが全員入れ替わるようなシステムなんかは間違っても勘弁して欲しい。
フェラーリが四駆のハッチバックを発表した件。
フェラーリが作るなよ、そんなもん……。
以前から囁かれていたことだけに、やっぱりか、と。>「政府専用機:退役へ 経営再建中の日航、整備困難に」
日航だけではなくて全日空もB747を退役させる予定ため、国内で747を整備することができなくなるのですよね。自衛隊が自力で整備するには、たった二機では費用対效果が悪過ぎる。(自衛隊でB747のスコードロンを持ってれば別だけど)
普段は要人の送迎ばかりやっているけど、記事にもある通りテヘラン脱出の一件の反省として緊急時の在外邦人救出に使う
目的を有しているのですよね。困ったことに、現在この役割については、発生しそうな状況が高まっているようないないような。(まあ、快適な旅でなくて良いなら、C-2で運ぶって方法もありますけど)
如何せん、整備ができないのであれば、已む方なし。じゃあA380に機種変更で(おい)。
三菱自工の本社ショールームで、「世界に広がるアイ・ミーブまつり」とかいう催事を31日からやるらしい。個人的に目玉だと思うのは、2月3日から6日まで展示されるという、MINICAB-MiEVかな。現在ヤマト運輸で一台が実験中だという話なんだけど、電池をGSユアサから東芝の物に代えたり(多分SCiB)と色々弄っているようなので、情報が欲しいところ。
個人的にはミニキャブはデッキバン(ダブルキャブ)タイプが一番美しいと思う! 異論は認めない!
昨日の野球ネタであるが、野球から生まれたソフトボールは、かなりドラスティックなルールの改正が行われていることで知られる。
野球のDH(Designated Hitter)はピッチャーにしか設定できない打撃専門選手だが、ソフトボールではDP(Designated Player)と呼ばれ、どのポジションに対しても設定できる。この時、守備側となる選手を、かつてはDEFO(DEFence Only)、現在ではFP(Flex Player)と呼ぶ。
野球のDHは、DHが守備位置に付いたら消失する(DHの代わりに退いた選手の打順にピッチャーが入る)が、DP/FPのペアはFPがDPの代わりに打撃ができるし、DPがFPに代わり守備に就くこともできる。ややこしいことに、あるFP選手の打撃をするDPが、別の選手の守備に就くこともできる(その際DPに守備を譲った選手は攻撃のみを行い、OPO(Offensive Player Only)と呼ばれる)。守備9人、攻撃9人を10人で分担するシステムなのだが、野球からみると複雑怪奇に見える。これに先発選手のリエントリー(再出場)が加わると、代打が出された選手がフィールドに舞い戻ってきたりすることになる。
他にも一塁での接触を防ぐダブルベースや、延長戦でのタイブレークなど、新機軸が次々と導入されていて、野球との違いは見た目以上に大きい。
これらのうちで、タイブレークについては、アマチュア野球や国際試合で延長戦の短縮を狙った導入が行われている。
流石に野球でリエントリーやDP/FPをそのまま導入するのは難しいような気もするが、多少の参考にはなると思う。
日本の場合それよりまず高校野球のルールを国際AAAルールに合致させようぜ……。いつまで日本ローカルルールでプレーしてるんだよ。
東京都のアレの件。
「東京国際アニメフェア、イベント実施計画案の決定持ち越し 出展社減で開催予算にも影響」と、かなりの規模縮小を余儀なくされている模様。
記事によれば展示ブース数が124減で491ですから、ざっと2割減ですか。恐らくブース面積だともっと減っているでしょうから、会場を縮小するか、ブース配置を拔本的に見直すかしないといけないでしょうね。それでビジネスデーならなんとかなるかも知れませんが、パブリックデーは……。
本当に、何を考えているのだか。
一方のアニメコンテンツエキスポは公式webサイトを立ち上げた模様。しかしこっちも出展申し込み期間が2011年1月25日(火)〜2011年1月31日(月)とか、とんでもない強行スケジュール。
逆に、見込まれる效果が低すぎて問題だなと思うのが、宮城県の性犯罪前科者のGPS監視で、統計を見る限りこれは效果が非常に低い。
確かに性犯罪逮捕者の再犯者率は高いのだが、同一種再犯率は全く高くない。
平成19年の犯罪白書の特集が「再犯者の実態と対策」なのだが、性犯罪に一項を割いている。
これを見るとわかるが、性犯罪で有罪となった前歴者を追跡しても、再び性犯罪を犯したのは僅か5%に過ぎない。犯種を限らない再犯率全体でも30%で、これは全体平均(28.9%)とほぼ同じ数値だ。7割の出所者は、普通の生活を送っていることになる。
このことから宮城県の施策は、実施に移したとしても、金と人手ばかりを喰って実際の犯罪抑止については殆ど效果がないことが予想される。
再犯を起こす5%をピンポイントで選び出すことができれば費用対效果は上がるのだが、実のところ宮城県での性犯罪の発生件数は、県警の統計によれば、認知件数が27件、検挙件数が15件、検挙人員が9人。これをどれだけ減らすつもりなのかは判然としないが、たかだか5%の同一種再犯率を考えると、性犯罪前科者のGPSによる追跡が統計上の誤差以上の成果を挙げると考えるのは難しい。
同じように金をかけるのであれば、犯罪件数も多く、また同一種再犯率も高い犯罪に対して行うべきであり、そのような犯罪を探すと窃盗と覚醒剤取締法違反、そして暴行となる。
結論としては、金をかけるべきところを間違えている、といったところだ。
一昨日も言ったが、安全と安心を履き違えているのではないかとの疑いがある。
ついでに書いておくと、統計上日本の犯罪は減少傾向にあり、全国で見ても強姦の認知件数は減少している。にも拘らず、前歴者に対して一層の監視を行うことには些かならず疑問がある。
殺人事件は戦後最低を記録し、経済犯罪以外の重犯罪は軒並み低下している。交通事故ですら減少している。
現在日本は、戦後最も安全な時代と言って良い。
この状況下に於いて、世論が厳罰化や隔離、監視を支持しているのは奇妙なことだと私は思う。
白書などの情報から分かることは、前科者を再犯に駆り立てるのは、社会復帰の困難さだ。刑期を終えて出所しても社会復帰できず、生計を営む能わず、再び犯罪を犯すわけだ。
社会復帰の困難度は、拘留年月にほぼ比例する。長く拘留された者程、社会復帰が難しい。
厳罰化を志向すると、結果として前歴者の社会復帰を困難ならしめ、再犯を促す效果を持つと言える。前記の通り、日本の再犯率は全体で3割に及ぶ。
ある種の負のスパイラルだね。
日産Leafが発表された時に、その既存の自動車に範を取った動力配置に絶望的な気分になったわけですが、なるほど、生産工程を考えるとああなるわけか。既存の自動車の枠組みを流用しているからこそ、既存の自動車用の生産ラインで製造できる。これがフレームから動力まで電気自動車に最適化したものの場合、既存の工場では製造できなかった可能性もあったわけか。
なるほど、なるほど。
理解はした。同意はできんけど。
この辺の資料を見ながら、「地獄への道は善意によって舗装されている」という箴言を思い出した。
日本の長期国債の格下げの報。為替相場は全面安展開。
そして我らが首相は「そういうことに疎いので」。
なあ知ってるか?
菅首相って、前は財相だったんだぜ。
エジプトで起きている暴動で、ミイラが破壊されたとか。
エジプトは国外に流出した美術・博物の返還を強く求めている国の一つなのですが、こう言うことが起きちゃうと、返すのはいいけどちゃんと保存できるんだろうな?とか思っちゃいますね。
まあ、今のエジプト人と古代エジプト人なんて縁もゆかりもないから、どうなっても構わないとか思っている人の方が大多数なんじゃないかという気はするんだけど。だってねぇ、エジプト人盗掘者が外国人に売っ払った物だってかなりあったりするわけで……。
先日のHTV-2に続いて、ロシアのプログレスがISSにドッキング。近々ESAのATV-002“ヨハネス・ケプラー”が射上げられる予定で、その次にはスペースシャトルがラストフライト(の筈が一回増えた)、なんとISSに有人/無人宇宙機がソユーズ(脱出用)、HTV、プログレス、ATV、スペースシャトルと満艦飾。まるで80sに夢見た宇宙開発の姿だ……。
秋葉原の歩行者天国再開の件について、先週のクローズアップ現代でドキュメンタリー作家の森達也氏が私と同じようなことを言っていた。
そもそも物事には、リスクとハザードという2つの側面があります。リスクというのは危険性、ハザードはこの場合、毒性と訳してください。例えば、マムシいますよね、毒蛇の。マムシはハザードが高いんです。かまれたら死ぬ場合がありますから。でもリスクは低い、ほとんど住んでませんから、都市部には。だからその両方で考えなきゃいけないのに、それが今ごっちゃになってしまっている。誰もが浮き足立ってしまっている。その結果、本当の危機に対して、アンテナが働かなくなる。そういったことを危惧します。メディアがまず、このことを真剣に考えるべきだと思います。私もそう思います。通り魔事件のリスクとハザードを、適切に評価できていないと感じます。通り魔事件に限らず、様々な局面でそれは見られます。そして報道がそれらを区別していないことが、余計事態を悪化させていると切に感じます。
「日中の交流を妨げる? 不思議な漢字の力」が面白かった。
同じ文字を使っているからこそ通じるところと、逆に通じないところがあるという、当たり前といえば当たり前な話。
同じラテン文字を使っていても英語と仏語が相通じないように、日本語と中国語もやはり通じない。ただし、両者の交流の歴史から、共通に使われている単語も数多いため、なんとなく通じたりする。日本では中学、高校と漢文(古典中国語)の教育が多少なりとも行われていることもある。
この近さと遠さが、相互理解の利点となることもあれば、欠点となることもある。最後に書かれた「歌舞伎町」の例などは非常に典型だろう。
私も、例えば「康煕字典」を英語で説明するときに、ハタと「なんて書いたらええねん?」と困ることがある。取り敢えず調べれば「Kangxi Dictionary」と出てくるのだが、今度はなんと発音したものか頭を捻る。幸い、喋る機会がないのでボロを出さずに済んでいるが。
かつて漢字圏に於いては、漢字で書かれた固有名詞は相互にそれぞれの発音で読んでいた。ある程度以上の知識人は漢文を介して筆談が可能だった。越南、韓国・北朝鮮が漢字圏から離脱し、今や日本と中国・台湾だけがこの慣習に浸っているが、お互いの漢字字体の差も大きくなってきており、簡単には通じ合えなくなってきているのは、些か寂しいと思わずにはいられない。
しかし今や世界は漢字圏だけで通信をしていれば済む時代ではなく、表音体系の世界との転記は頻繁に発生する。温家宝がWen Jiabaoと書かれても咄嗟には誰のことか分からない。
いっそ英語圏でも漢字を使って「温家宝」と書いて「Wen Jiabao」とルビでも振ればいいのにと、身勝手なことを思ったりしなくもない。そう言えば最近、en.wikipediaに「武術」というエントリがあるのを見つけた。きっと英語圏民もこうやって漢字に慣れ親しんで行けば、その裡2,000や3,000位は平気で読みこなせるようになる。きっと!と願ってみたくならなくもない。
しかしそのような未来の果てにあるものは、みんながキリル文字やアラビア文字やハングルやタイ文字やビルマ文字やデヴァナーガリ文字を読めなくてはいけない悪夢の世界ではないかという気もしないでもない。
やはり世界皇帝[以下省略]のか。