このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、パーソナルメディア社、並びにYRPユビキタス・ネットワーキング研究所は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。
NHKオンデマンドがリニューアル。全面Flash化……してサイトが応答してくれない状態に。
Flashだもんで、メッセージもなくなんも反応しないから、何が起こってるのかわからん。
仕方なくコールセンターに電話かけたら、アクセスが集中して……とか言われる。
もうね、アホかと。サーバ負荷読み違えるとか、どこの素人だよ。
毎日の記事によると、新要領では小学校三年生で「ローマ字入力」を学ぶのだそうだ。
稀に「キーボードになんで仮名が印刷してあるの?」とか真面目に聞かれたりする訳だが、将来的に特殊な人を除き仮名入力をそもそも知らない時代が来るのかも知れない。
しかしそんな時代でも親指シフトに拘る本当に特殊な人はいなくならないだろうと私は思うのであった。
TRONキーボード? なにそれ、おいしい?
# ていうかwikipediaにエントリないのか>TRONキーボード
アフガニスタンで取材中だった戦場ジャーナリストの常岡浩介氏が消息を絶った由。
天気が良かったので、花見に出かけることにした。
自転車のサドルを1cm弱上げた。前々からやろうと思っていたのだけど、踏ん切りがつかなかった。上げると漕ぎやすくなるだろうが、同時に止まった時に足が着きにくくなる。現状が結構ギリギリの高さだったから。
で、上げて、確かに漕ぎやすくなったのだけど、やはり止まった時に足を着くのが……。
悩ましいことで。
結局35kmほど走った。
上の件とも絡むのですが、「現場撮影中の警官を殴った疑い 岡山県の会社員逮捕」とかいうニュースがあって、もうどうしようかね、と。
もしかしたらこの逮捕された会社員は炎上している倉庫の関係者だったのかも知れませんが、今眼前で災害が起きていると、人の意識はどうしても短絡的に目の前の事態に対処したくなります。
しかし、全体を見通した場合、消火の現場に警察官が駆けつけても消防の邪魔になるだけですし、警察の仕事はむしろ鎮火してからであり、そのための証拠集めを燃えている時から行うことは合理なのです。もしかしたら彼が撮影していた写真から、原因が割り出されるかも知れない。
この逮捕された会社員を短慮と笑うことは簡単ですが、同じ状況で果たしてどれだけ自分は頭が回るだろうか、と考えると厳しいものがあります。
その時、果たして、結果最善ではなく、最も合理な行動が取れるだろうか、と。
確かあの新裝版って、同人誌「ひみつのひみつの階段」を收録しているのではなかったか。同人誌持ってりゃ用ないんじゃね?
尤も私は、同人誌も新裝版も、旧版2種も全部持ってますがね!
紺野キタは今月「Cotton」の新裝版が出る予定。
「1970年代からの漫画雑誌・コミックスの数の変化と、販売額の変化から見えてくるもの」というエントリを興味深く読む。
実のところ危機的状態にあるのは漫画だけではなく、出版全体なのですが。
ホント、どうするのかね。……って、10年以上前から言われてる。
中国において、覚醒剤密輸未遂で逮捕され死刑判決を受けた日本人が、処刑されたそうな。
是非もなし。
個人的には法相のご意見が笑えた。日本の制度と比較するとかなり刑罰が重いことがあるようだし、刑事手続き等も日本ほどの適正な手続きが担保されているのかなど、いろいろ意見がある。中国の対応が日本の世論の反発を招くことにならないか、大変懸念する
だそうな。法相、あなたは日本の手続きに従って適正に仕事を遂行していますか? 具体的には、死刑とか死刑とか、死刑とか。
流石に法相のコメント、読売のwebサイトに当初載っていたのですが、今は消されていますね。
あと、福島瑞穂社民党党首は、「麻薬で死刑にするのはいかがか」「死刑の執行をやめてもらいたい」「日本人だから(中国の)法律を熟知していなかったかもしれない」などと発言された模様。今すぐ閣僚を辞めて頂きたいと切に願う次第。
昨日のNHKニュースでも報じられていましたが、JR東日本と東京臨海高速鉄道が埼京線を走る車輛の一号車に防犯カメラを設置するんだとか。
4年程前に「なぜプリンタには白インクがないのか」と書いていたら、とうとう実現した。
素晴らしい。また一歩世界は常識的になった。
もっともっと、世界は常識的になるべきだと思う。
2003年にシラスウナギの人工生産に成功していた水産総合研究センター養殖研究所が、とうとう鰻の完全養殖に成功との報。世界的にシラスウナギ資源の減少が問題となっている昨今、この問題に光明を齎す一大発明ですね。
関係者諸氏の長年に亙る苦鬪に称賛を惜しまないものです。
「「玻」は名前に使えず 両親の特別抗告を棄却 最高裁」ということなので、人名漢字にも、ましてや常用漢字にも「玻」は入らないでしょう。終わり。
「防衛相「(米軍施設は)迷惑施設」 参院外防委で」とか。
まあ、事実NIMBYだからこんなに揉めているわけで。
ちなみに、米軍基地は米国内でも忌避されていたりする。
ポーランドの大統領ら政府要人を乗せたポーランド軍所属のTu-154が着陸に失敗して墜落。乗員乗客96名全員が死亡との報。大統領らはカティンの森の追悼式典に参加する予定だった由。
クレヨン社の加藤秀樹監督作品の上映会+花見に、川口まで。
深い作品作るなぁ……。
きしもとくんの「電子書籍と横書き」について。
90年代初頭にデイリーコンサイス国語辞典とか横組国語辞典が流行ったんだけど、あんまり浸透せずに現在に至る。世の中これだけ横書き、横組が普及しているというのに、文学作品と新聞は頑なに縦書きなのは、恐らく何らかの嗜好性による選択が行われているのだろう。新聞は業界紙で何紙か、文学作品は文字通り数えるばかりが横組で存在する。
しかし新聞のwebサイトでは平気で記事を横に流しているし、青空文庫だって表示させるだけなら横組になる。(HTML+CSSで縦書きできないじゃん、という話は取り敢えず置いとく)
私個人は、日本語の表現形として縦組と横組は非互換であると考えているが、無理矢理変換して読んで意味が通らない程でもないと思っている。一例を挙げれば、縦書きの時に数字は漢数字位取り記法で書くことが多いが、横書きなら算用数字を用いる。両者は縦横を変換しても意味が変わるものではないが、読者に与える印象や組版上のルールが異なるため、場合によっては美しくなくなる。
あとは約物の一部では縦横の変換が一意ではない場合があるので注意が必要、とか言うのもあるな。(数学記号や矢印など)
印象としてならば、縦→横の変換は比較的楽だが逆は制約条件が多いため手間がかかる、と感じている。
なので、取り敢えず横組でやっちまうのも商業上はアリかな、とは思うが、その結果著作者人格権が侵害されたとかという訴訟が起きても俺は知らん、と思うのであった。
でもまあ、左横書きだけじゃなくて、右横書きや右縦書き、果ては左縦書きに対応するのも、技術的には今や既にそう面倒ではないと思うのだが。
戦争劇画の第一人者、小林原文の同人誌「御巣鷹山の暑い夏」。「大人の事情で決してメジャー出版社から刊行できない問題作。」なんだそーだ。Comic ZINに積んであったわ。
ていうか、なにも劇画にせんでも、図書館にでも行って当時の写真週刊誌……EmmaとかFriday、Focusなんかを見れば、嫌って程現場の写真見れますよ。
あれ、ヒドいですよねぇ。遺体というか遺体の部品が崖面に散らばってたり、木に引っかかってたりするのをモザイクも入れずに載せたんですから。どういう神経をしていたのか。
あ、一応マンガの方が絵である分マイルドだとは思う。
写真は現物、それもモノによってはカラーだからねぇ。生半な興味で見ることはお勧めしません。
ヨハンナ・シュピリ(Johanna Spyri)作の「アルプスの少女ハイジ」(原題:Heidi, 1880)に盗作疑惑が持ち上がっているそうな。
記事によれば、ヘルマン・アダム・フォン・カンプ(Hermann Adam von Kamp, 1796 - 1867)作の「アルプスの少女アデレード」(Adelaide - das Mädchen vom Alpengebirge, 1830)と酷似していることがドイツの文学研究者ペーター・ビュトナー(Peter Büttner)氏によって指摘されたんだとか。
他のソースも当たってみたのだけど、現時点ではペーター・ビュトナー氏以外の研究者による検証が済んではいないようです。
今頃独語圏の図書館では「Adelaide - das Mädchen vom Alpengebirge」の探索が行われているのでしょうかね。
さて、事の真偽は今後の研究に委ねられるところですが、当時のドイツの著作権ってどんなもんだたんでしょうかね。1880年というと明治13年ですから、日本では出版條例(明治8年布告)の時代。保護期間は出版後30年でした。
恐らく当時は欧米諸国の法律を参考にしたと思うので、ドイツでもこんなもんではなかったかとは思うのですが、その場合、当時既に著作権が切れていた可能性はあると思います。さらにはベルヌ条約の締結が1886年(日本の加盟は1899年)ですから、国際的な著作権の枠組みなんてなかった時代ではなかろうか。また当時は国境を超えた翻案の類はよく見られることなので、現代の感覚を以て盗作と呼ぶべきかどうかについては、また別の議論があろうかと思います。
ただ、これを機に種本が翻訳されたりすると、嬉しいなぁ。
本田技研が電動バイク「EV-neo」を12月に発売予定、と。
一般向けではなく業務用というのは、電気自動車と同じく、走行距離や運転間隔がある程度先読みできる用途向けってことでしょうね。
ただ、業務用なんだったら二輪じゃなくてジャイロ・キャノピーみたいな三輪にした方が良かったんじゃなかろうか。
安永航一郎の新刊って何年ぶりだろう……。
え? 沖縄体液軍人会? 知りませんよそんなの。はくほーさんじゃあるまいし。
毎日新聞社説に「社説:外国人看護師 閉め出し試験の愚かさ」とか書いてあって仰け反った。
これが社説だと言うのだから恐れ入ります。
幾つかの問題がぶち込まれている社説なので分解して考察することにします。
一。
日本で働く外国人看護師に日本語能力を求める点については、否定する要素を探す方が難しい。Genesisさんも書いていましたが、口頭指示だけではなく、最近の病院などでは医療情報機器を使った電子文書による指示・報告も多いわけで、日本語の読み書き能力が水準以下であれば、仕事に差し支えるのは疑いありません。
ちなみにインドネシアでは長期滞在者にインドネシア語の試験を課しているらしいですし、フランスでも移民にはフランス語が必要。別に日本だけが特別なわけではありません。
と言うわけで、日本語の能力を要求することについては、必要と看做せます。
二。
日本人の受験生もこうした業界用語を習得する勉強に時間を費やしているのだろうか
についてはYes。正看護師である妹も、歯科医師である弟も、隨分苦労して小難しい漢字を覚えてましたよ。トイレに単語帳置いてたりしてね。しかしそれは知識の習得に必要なことなのですよ。
日本の医学は江戸時代から続く蘭学や本草学の知識を受け継いでいます。臓器名など、「解体新書」の訳語がそのまま使われていたりするくらいです。現代の日本の医学も、数百年に亙る知識の集積の上に成り立っていますし、それが故に大時代的な言葉が残っていたりします。しかしこれは何も日本だけの問題ではなく、英語においても医療用語にラテン語やらギリシャ語由来の、小難しい単語があることは知られている話です。例にも上がっている喉頭蓋は英語ではEpiglottisですが、これがEpi-GlottisでGlottisが声門でギリシャ語に由来する単語だ……と理解している人がどんだけいるか、という話になってしまいます。丸暗記するしかない。
単語用語や表記を簡略化すれば知識の習得は一見楽になりますが、しかし過去の知識の集積体との連続性を失うという欠点があります。日本語に於いては戦後の国語改革に依って戦前の知識との連続性が一部失われています(明治期の書籍を難なく読める人は少ないらしい)し、喪失を防ぐために非常な労力をかけて多くの書籍の現代語への翻訳が行われました。
漢字を廃止した隣国においては、知の連続性という点で決して小さくない問題が出ていることは、当国に於いて長年問題になっているところです。
無論、毎日新聞には敢えて前車の轍を踏めと書く自由はありますが、それに対して「お前は馬鹿か?」と指さされることは責任であろうかと思います。
三。
看護師を目指す外国人に対する日本の国家試験はまったく合理的配慮に欠けている
という指摘に対しては、上記を踏まえた上で、同意します。しかし必要なのは試験を英語やインドネシア語で受けさせることではなく、国家試験に受かるだけの日本語能力の習得のために必要な手当を行ってこなかったことであり、その点に付いて強く反省すべきだと私は思います。
看護師であっても、日本で働くのであれば、日本で暮らすということでもあり、そうであれば日本語の読み書きができることは、非常に望ましい技能です。市役所からのお知らせや、町内会の掲示板、電車や交通機関の情報が読み取れなければ、日本での生活はかなり不便になります。
確かに、日本語の読み書きは字種も多く正書法も明文化しておらず簡単とは言い難いものですが、だからと言って教育を抛擲して良いものではありません。日本の看護師受入れに於いて、いや、これまでの外国人労働力の受入れに於いて、この点が全く等閑であったことをこそ、新聞は報じるべきだと私は思います。
追記:Genesis先生によるご意見
先日書いた本田技研の電動バイクEV-neoが、日経トレンディネットに「ホンダ、フル充電で30km走行できる電動バイク「EV-neo」を2010年12月発売」として載っていました。
個人に売れる値段じゃなさそう、というのが残念なところか。あと、responseの「ホンダ EV-neo 試乗…あらゆる場面で低重心を実感」によると推定車重125kgぐらいとのことで、原付よりかなり重い。
電池は東芝のSCiBで、日経Tech-On!の「「プリウスと同じくらい」,ホンダの電動2輪車の電池容量を推定してみた」によればバッテリ容量は推定1kWh程度。電池重量が20kg程。
これならば尚更、三輪にした方が良かったんじゃないかなぁ。
それはともかく、イン・ホイール・モータではなく、一段の減速ギヤを介しているなど、かつてのヤマハ・パッソルとはまたちょっと違った方向性ですね。次はどこかFWD/2WDに挑戦して欲しいものです。
ヤマハも今夏に再参入を控えていると言うことなので、そろそろ、電動バイクに恒久的な法制上の優遇処置が必要かも知れません。
ワシントン・ポスト紙のコラムで、我が国の首相がincreasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama
と酷評された件について、本当ならば国民として有権者として反駁せねばならないとは思うのだが、現首相閣下には擁護すべき点が全くないので困る。精精、礼儀としてどうかと思う……と弱弱しく抗議する他ない。
日本人が礼儀を云云できる立場か?と問われると言葉もない。
外交上の合意事項を一方的に反故にしようとしているのは日本の側であるし、それを止められないのもまた日本だからだ。
内閣総理大臣にはリコール制度はありませんし、不信任決議をできる衆議院は首相率いる与党が過半数。その気になればあと3年以上もその座にしがみつくことが可能。民主党が分裂でもしなけりゃ、当面安泰でしょうよ。
沖縄うるま市での不発弾騷ぎは、結局陸自が対処して終わった。
昨年12月、うるま市の民家にて不発弾(榴弾)が保管されていることが発覚。これが戦時中の不発弾ではなく、亡くなった男性が米軍演習場から拾ってきて飾っていたものだった、という辺りから話が拗れ始めた。自衛隊の不発弾処理は、米軍砲弾・爆弾等については戦時中のものに処理を限定しており、戦後の米軍の物については基本的に資料もなければ訓練もしていない。県警は米軍に処理を依頼したが、何ヶ月も待たされた挙句、「国からの要請がないと」「文書で持ってこい」などと言われる。で、国から改めて要請してみたところ、「米軍の処理場まで持ってくれば米軍が始末する」「自衛隊には処理する能力がある」などとのご回答を得る。
擦った揉んだの末に陸上自衛隊が米軍の協力の元、17日に信管を拔取って処理するに至った。
2003年には同じような状況で米軍が出動して始末したそうなので、この数年間に何があったのか、米軍の腰がとても重くなったと言うことのようだ。
日米関係がぎくしゃくしてくると、こういう所で影響が出てくるんだなぁと、感じ入った次第。
NHKの「プロジェクトJAPAN」第2期シリーズ第一回「第1回 韓国併合への道 伊藤博文とアン・ジュングン」を観賞。
まあまあ、公平な視点だとは思ったが……うーん。なんだろう、史実の重み付けには疑問が多少あったなぁ。好みの問題と言われればそこまでだけど。
ただ、何度も番組中で触れられていたけど、当時の世界は「力なき正義は無力」の弱肉強食の世の中で、日本もまたその中で必死に生き拔こうとしていたわけで、その中で力なき理想論を振り回した連中のことを過度に持ち上げるのは、感傷論と言われても仕方ないと思う。
私的感想としては、朝鮮における義兵運動というのは、独立への具体的な道筋も方法論も、国家の先行きへの展望もない理想主義者が、目の前にいる敵(=日本)に楯突いただけ、という風にしか感じられない。日本がいなくなればロシアがやってくることが疑いない国際情勢に於いて、最終目標のために手段を選ぶことができなかった連中のなれの果て、そしてその典型が安重根だったと、そう読み取れた。
殺された伊藤博文と殺した安重根の格の違いが際立つ番組だったと言えよう。
なんか日本創新党なる政党が立ち上げられた由。
衆参両議院に議席を持っていた野党である民主党ですら、碌に政権を担うことができないというのに、国政経験のない地方首長が集まった政党に期待を寄せることができようか。大体、松下政経塾の面子じゃねぇか。私はどうも松下政経塾出身者に対しては、点が辛い。
新党ブームなんて、細川政権の時でもう懲りた。過ちを繰り返さないことだけが、せめて有権者に求められる理性だと思う。
斜めの方向から、ネタにしてみる。
来る5月1日より開催される上海万博のPRソングであった「2010等你来」が、岡本真夜の「そのままの君でいて」の盗作であるとの疑惑がかけられた件は、当該曲が暫定的に引っ込められて調査中となったそうな。
で、この事自体は中国ではよくあること、で済むわけなんですが、面白かったのは中国での報道を追っていて、岡本真夜の名前が「岡本真夜」と日本の漢字のまま報じられていたことですね。Google Newsの中文版で検索をかけると、殆どが「岡本真夜」でヒットして、簡体字で「冈本真夜」と書かれた記事は1/10程度であることが分かります。
日本と中国では固有名詞を含めて、漢字は相互にお互いの漢字に変換して使うことが通例です。胡錦濤国家主席は、本国では簡体字で「胡锦涛」と書かれますが、日本では胡錦濤と表記されるのが通常です。これは逆も然りで、ちょっと古いのですが故小渕恵三元首相は小渊惠三と書かれます。
しかし、最近はどうも相互に漢字の疏通に問題が生じつつあるらしく、簡体字‐日本字体(あるいは繁体字)との変換が上手く行っていない事例がちらほら見受けられるようになりました。
推測するに、中国人も日本人も、相互に漢字の知識に食い違いが大きくなってきており、特に簡化された漢字について原字、常用/当用漢字の新字体との対応関係をきちんと把握できなくなりつつあるのではないか、と言ったところでしょうか。なので本来「冈」と略記すべきところが「岡」で書かれるようになり、「冈=岡」の対応関係が崩れて行く……。
以前も書いたのですが、漢字を簡略化しようという動きは、結局の所漢字の数を増やして行く、というのはこう言うことなのです。
本来文字ってのは、瞬間的に消えていく音声による言語伝達を、空間的、時間的に拡張する手段なので、連続性を失わしめるような変革ってのはその意味を損なうんだよねぇ。
だからこそ、文字改革ってのは革命の手管なんだろうけど。知識の連続を断ち切れるから。
坂村先生の「時代の風:端末としての電気自動車=東京大教授・坂村健」を読んで思った。
でも相変わらずパソコンは個人に占有されてますよ、先生!
「明石歩道橋事故、元副署長を初の強制起訴」と。
日本の司法制度上、大きなエポックですな。
推移を見守っていきたいと思います。
「「国外考えられない」 普天間移設で岡田外相」について。
外相の意見は全く正しい。国民には日本の平和、安全が何によって確保されているか、ぜひ考えてほしい。根本を忘れると議論は迷走してしまう
などという発言が出ることは、普天間問題で迷走する内閣の中で、一縷の光明と言って良いだろう。
だがしかし敢えて言いたい。
なぜ野党時代に、なぜ前の選挙の時に、なぜ政権発足直後に、同じことを言えなかったのですか。
だから民主党には政権を任せられないと、私は判断したんだ。
もう遅い。
「アイスランド:火山噴火 日産2工場の生産中止 九州と追浜、部品届かず」とかあって、びっくり。
自動車部品を空輸することがあるのか……。
それでも国内で製造するよりはコストが廉いってことなんだろうけど……俄には信じ難いものが。
米テスラ・モーターズが日本進出とか。パンフ見ると右ハンドルモデルっぽいんだが、実は左ハンドルモデルらしい。
正直日本で売れるのかなぁ、これ?と思うわけだけど。
でもまあ、フェラーリ買うような人なら、これ選ぶかも知れん。
新党改革、ねぇ……。
若手を率いて出奔したと言うならともかく、党批判に明け暮れて身の置き場が無くなって離脱とか、何も期待することはないだろう。
ただ、閣僚としての能力は高かっただけに、自民党の中で大人しくしてれば政権奪還の暁には活躍の場があっただろうにと思うと残念ではある。
政治家としての能力と為政者としての能力が一致せず、両方を兼ね揃えた人ばかりでないことは確かなのだが、為政者としての能力が惜しまれる政治家ってのは珍しいと思うな。
先日に引き続き、今度はJR福知山線脱線事故(wikipedia)でJR西の歴代社長が強制起訴に。
今後の推移を見守りたい。
読売に「徳之島「構想」より緻密な提案を…米国務次官補」とかいう記事が。
何というか、悲しくなってくる記事ですな。
現在日本の国防上のリスク要因として真っ先に上げられるのが現内閣であり、現首相であるのが、紛れもない現実だったりします。
そして日本の防衛が不安定になれば、結果として極東有事への道を拓くわけです。
その程度のことが弁えられない人間が、総理の座に座っている、この不幸。
21世紀型社会主義の旗手、ベネズエラのチャベスたんですが、今度は金の採掘権の国有化を打ち出し、一方で軍人給与の40%値上げを発表、社会主義を目指す国のインフレ率は25%という、実に心温まる様相を呈しています。
豊かな天然資源による收入を貧困層に分配し、採掘設備の更新、新規資源開拓、技術革新などへの再投資を否定し続けたチャベス政権の行末は、実に興味深いものです。
毎日より「台湾:一転再開 北京射程のミサイル開発」。台湾が長距離ミサイルの開発を再開。理由は日米関係の不和。
現政權の外交・防衛に対する不見識が招いた事態。
民主党に於いては外交防衛政策の拔本的見直しを求められる所。
Genesisさんの子宮頸癌予防ワクチン接種の話題を読んでいて、「カサンドラのジレンマ」なんて言葉を思い出した。
殺人事件等の公訴時効を廃止する刑訴法改正案があっという間に本会議で可決成立即時施行という、いいんかいな、と思うような出来事。
正直なところ、利益が余り見えてこない割には、不利益は明確なのでもうちょっと審理を尽くして欲しかった。
ぶっちゃけ、100年とか経過したら犯人だって死んでるわけで、公訴時効だけが廃止されて警察に捜査資料が残されても困るわけよ。あるいは、事件発生から半世紀、よぼよぼの爺になった犯人を被告席に引きずり出せたとして、まともな公判を維持できるのか、そのためのコストは負担できるのか、とかね。警察だって捜査のための資源は有限なので、どこかで切りをつけなきゃいけない。そういう意味では、時効の延長の方が良かったのではないかと思う。
もっとも、その場合は今度は「誰が時効の延長を断念するのか」という問題が発生するわけですが……。
なんか某社のエロゲが発売約一週間前にファイル共有ソフト網に流出とか。
て、一週間前って、どっかの関係者じゃねぇのか……。
果たして犯人は捕まるのか、どの様に犯人を割り出すのか、そしてその正体は……。中々興味深い案件です。
しっかし、こんなことが立て続いたら、堪ったもんじゃないな。「コンテンツに金を払う」習慣が失われて、80年代に逆戻りしちゃうぞ。