哀愁日記
底に哀はあるの。

もしくは、

「常識日記 文科系的日常」


西紀2010年2月分

Caution!

このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、パーソナルメディア社、並びにYRPユビキタス・ネットワーキング研究所は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2010年2月1日(月曜日)
 昨日の、日中歴史共同研究(概要)をちょっとだけ読む。
 中国語論文の和訳がない……。もしかして逆もないのか? それじゃ意味がない。意味がない……。
 論文としては、比較的穏当な内容が多いのだが、それでも中国では規制対象だったらしく。
 言論の自由がないって、悲しいことだねぇ。一番悲しいのは、中にいる人がその事実を知らないことだろうけど。

 昼から降りしきる雨は、宵を過ぎて雪に変わり、東京はこの冬初めての、本格的な降雪。


2010年2月2日(火曜日)
 朝、思ったより雪は積もっていなかった。予報では最大5cmという話だったが、現実には1cm程度だった。ただ、気温にもよるけど、暫く日陰に氷が残るかも知れないので、自転車で走るときは注意が必要。
 地下鉄は遅れた。

 韓国中央日報に「100年前の「皇室特派留学生」趙素昻、彼の見た日本は…」という記事があって、興味が沸いたのだが、武井一氏が訳したという趙素昻(趙鏞殷)「東遊略抄」が見つからない。恐らく「皇室特派留学生」という本の続編ということになるのだろうが……。


2010年2月3日(水曜日)
 Twitterを震源とする、日販総量規制の噂が飛び交ってますな。
 自分でも調べてみたんですが、虹の根元は見つからず、今のところ本当に日販が総量規制に踏み出すのかどうか、分からず仕舞いでした。ただ、やるとなると日販だけではなくトーハン大阪屋とも足並みを揃える必要があるので、簡単ではないだろうとも思うのですが、果たして。
 委託販売と出版社の出納の関係は佐々木俊尚さんの解説に任せますが、一方で出版界の置かれた状況は断末魔の様相を呈しています。
 昨年末の朝日新聞に「本の販売2兆円割れ 170誌休刊・書籍少ないヒット作」という記事があって、その記事の中に
新刊の刊行点数は89年の約3万8千点に比べて、昨年は約7万6千点と倍増、今年は10月末時点で昨年より3.2%増えているが、販売金額の減少は止まらなかった。出版社は少しでも売り上げを増やそうと刊行点数を増やしているが、売れない本は書店が次々と返品している実態が背景にある。08年の返品率は40.1%で、今年10月末の時点では40.7%とさらに悪化している。
と、かなり深刻な数字が掲示されていました。
 出版全体の売上が減少している(昨年同期比4%減)のに、出版点数が増えている(同3.2%増)、その上返本率は悪化している(同40.1%→40.7%)。書籍平均単価が不明ですが、特段の事情がない限り、タイトルあたりの発行部数と利潤は減っていると考えられます。
 書籍出版は典型的な固定費ビジネスで、本が売れようが売れまいが編集者や出版社員の給与は発生し、これを支えなければなりません。部数が少ないと、書籍価格における固定費の割合が増えますから、利潤が減ってしまいます。
 また、本来であれば編集者一人当たりが担当できるタイトル数には限度があり、それを超える作業量を与えれば業務が破綻します。まずは本の質の低下という形で表出し、徐々にそれは読者の離叛を招き、著者と出版者の間の信頼関係を蝕み、最終的には著作者の離脱という形で回復不能な損害を与えます。そこまで至らなくても、出版者との信頼関係を決定的に失った著作者の姿は、出版者の存在意義を強烈に問うています。
 出版者は大量出版を続行しつつ固定費を抑えるために外部編集プロダクションへの外注を加速させますが、それが更なる品質の低下を招いていることは言うまでもありません。
 良い本を作るためには金と時間がかかりますし、なにより素晴らしい著者と、それを支える編集者、そして両者の間の信頼関係が必要です。しかし、悲しいかな、これらが全て揃った素晴らしい出来栄えの本が売れるわけではありません。良作は必ずしもベストセラーにはならないのです。この辺りが、営利事業としての出版と、文化事業としての出版の間に存在するギャップなんでしょう。出版社が営利企業として立ち行くためには売れる本を作らなければならず、また本を売らねばならず、しかしそのためには品質を犠牲にしたコストダウンが求められる。時には作者の事情をも無視せざるを得ず、それはまるで作者との信頼関係を売りに出しているかのようです。
 しかしその一方で、10年以上前から言われていた返本率の問題は一向に解決の糸口さえ見えず、ただ自転車操業のために出版点数を増やすと言う悪循環に浸かってきました。
 かつて印刷・出版が一大事業であった時代は、資本の集中と運用のために出版社と言う組織が間違いなく必要とされていました。しかし、今や数千部単位であれば自費出版も可能な時代になり、出版社の存在意義が改めて問われているように思います。

 夜、家へ帰る道の途中、また雪になった。


2010年2月4日(木曜日)
 立春だってのに、この冬一番の冷え込みとかで、昨夜降った雪は氷になってやがった。
 歩道表面も凍り付いていて、滑っている人がちらほら。
 朝の電車は妙に閑散としていた。

 読売に「日本のマンガ文化「鎖国状態」という記事があった。実のところ、この辺の事情は以前から指摘はあって、フランス人は日本の漫画を読むけど、日本人はフランスのバンド・デシネは読まない。というか、殆ど市場に出まわっていない(皆無じゃないんだけど)。
 日本では韓国産の漫画が僅かに出回っているくらいで、日本以外の国で生まれた漫画を享受できる環境にはない。日本は国際的な漫画研究環境と言う視点から見ると、かなり環境が悪い。日本で手に入るのは日本の漫画ばかりであり、確かにその質・量は他国を圧倒してはいようが、逆を言えば外国漫画の流入が殆どない、鎖国的な状態にある。
 これを善し悪しで語るのは愚者の所業であると歴史学徒である私は信じるので語らないのだが、振り返ってみれば浮世絵が印象派に与えた影響みたいなもので、日本産品が外国に与えた影響が国内に還流しないことは珍しくもない。自動車産業だってそうだ。日本の自動車は世界に影響を与えたが、その日本での輸入車のシェアは絶望的に低い。かくして日本のガラパゴス状態は深まり、Jalápagosだとかパラダイス鎖国とか言われる羽目になるのだろう。
 小形さんの「絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」」シリーズを読んでいて、“日本の”漫画の影響は日本人自身良く把握しているものの、では日本の漫画表現は唯一の物なのか、という点で日本人自身が他国の影響を受けていないことについて、一方通行の事情があるのではないかと感じたところがあった。
 日本の漫画表現は間違いなく日本から始まったものだけど、外国における日本的漫画表現は決して日本のそれとは同じではなく、そのことについて無自覚的に『日本が正しい(正統)』と思い込んではいないだろうかと。
 ただ、私自身は、そんな日本で何が悪いと開き直っているクチなので、特に解決が必要とも思っていないのだが。


2010年2月5日(金曜日)
 松村劭氏が去る28日に亡くなられていた
 謹んで哀悼の意を表す。

 横綱朝青龍の廃業に関して、デーモン小暮閣下が「横綱」が単なる最強者ではなく、日本人の心の奥底にある美徳を具現化し、全力士の模範たる存在だとは最後まで理解できなかった。コメントしていた。
 大部分は肯んずるところなんですが、昔双羽黒なんて横綱がいたように、日本人でも「横綱の品格」を持ち得なかった横綱がいたことは忘れてはいけないと思います。まあ、双羽黒については親方の問題も大きかったようですが……(それ言ったら今回の高砂親方の問題もそれなりに)。
 個人的に言えば、これが日本発祥のスポーツの限界ではないかな、と。相撲はスポーツじゃない、と言われればそこまでですが、現代の柔道に日本人が抱く違和感と同じく、これらは「道」であるという意識が先に立っているのではないかと。
 MLBに移籍した日本人野球選手が「アメリカン・スピリットがない」と批判されることはまずありませんし、ルールに則ってプレイしている限り、その人品が問題になることは……まあ、タイ・カッブみたいな例はあるにしろ、引退を迫られるほどの圧力にはなりません。
 ラガーマンは紳士たることを要求されますが、紳士でなければ引退しなければならないわけではありません。
 北京五輪で金メダルを獲った石井慧にも人格についての疑問が付けられ、最終的には総合挌鬪技へ転向しましたが、どうも日本では「ただ強いだけではいけない」と言う風潮が強くあります。強い者は人格者でもなければならない、と。
 特に「道」が付くと、その傾向が顕著だと思います。単なる勝ち負けより精神修養とか人格形成といった方面を重視するのが単に悪いと言っているつもりはないのですが、もしそれが是と言うのであれば、横綱審議委員会は人格をも評価に入れて横綱の推挙をすべきなのではないかと思います。単に成績だけを見て横綱に昇進させておいて、後に人品を問うて引退を迫るのでは、公平性に疑問があると私は思います。


2010年2月6日(土曜日)
 朝っぱらから、Windows 7(x64)マシン(ノート)が到着して、いじり始める。
 Vistaスキップしたんだけど、これは分からんわー。XPからUI変わりすぎ。
 クラシックにして使おうかとも思ったんだけど、実験環境的意味合いもあるので、敢えてWindows 7に慣れようと設定変更は最小限に抑えようと……抑えようと……我慢我慢。
 ただ、レスポンスは悪くないね。
 単に何も入れてないからかも知れないけど。
 Windows 7 && 64bitということで、試行錯誤が暫く続くものと思われ。
 とりあえずFirefox 64bit(非公式)だけで、かなり疲れた。3.7からだっけ、Win64ビルドが公式になるのって……。
 次はImage Magicかのう……コマンドラインのパスはどうやって通すんじゃろうねぇ……。
2010年2月7日(日曜日)
 午前1時に池袋で映画のオールナイトに自転車で出かける。
 午前4時に終わって走って帰ってくる。あまりの寒さに卒倒しそうになる。

 仮眠の後起き出して、ボーマスのサークルチェック。

 そして出陣→帰参。

 はくほー氏の台湾遠征を寿ぐ会で夕食。


2010年2月8日(月曜日)
 久しぶりに12時間近く寢て、すっきり爽やか。

 漸くWindows 7(x64)にWindows Home Server Connection Softwareのインストールに成功。何故か既定のやり方では必ず失敗するという状態に陥ってしまい、最終的にWHSのインストールディスクからソフト引っこ拔いてインストール、とか。
 ともあれ、これで自宅サーバへのバックアップができるようになった。
 リモートデスクトップも立ち上げられたし、なんとかノートを直接触らなくても良くなった。
 あとはユーティリティ類を入れれば……しんどいな。

 夜になって、先日東急ハンズで買ったとばかり思っていたブツが実は買っていなかったことが判明し、がっくりくる。どうやらラチェットモンキーを買った時に浮かれてしまい、そのまま買い忘れたと思われる。
 あと数時間前に気付いていれば、買い出しに行けたものを……。


2010年2月9日(火曜日)
 朝日に「アンダマン諸島の2言語絶滅 最後の話者、相次ぎ死亡とかいう記事があった。
 言語の損失は悲しいことだけれども、保存の方法があったとも思えない。已む方なし。
 Ethnologueには6,909の言語が登録されているが、実際のところその中で近代社会を運営可能な言語は限られる。科学技術の研究開発が行える言語となると、さらに少ない。
 近代文明と隔絶し、自給自足の生活を送るのでもなければ、少数言語がその生息域を守ることは極めて難しい。
 ただ、日本語とて決して安穏とできる状態にあるわけではなく、無常の掟を胸に刻み、消えゆく言語に対して明日は我が身と考えることこそ重要ではないかと思う。

 レコードチャイナに「中国には「純粋な漢民族」は存在しない!DNA鑑定で明らかに」とかいう記事。
 「民族」って元々文化人類学的存在であって、遺伝的、血統的存在ではないですよね? この研究は一体何を目的にしているのでしょうか。
 極論すれば、「漢民族」なる概念は異民族への対立概念としてのみ存在し得るわけで、それに科学的な定義など求め得ない訳です。
 これは「大和民族」についても同じことですし、世界のあらゆる「民族」について言えることです。
 民族主義なんてものは出来の悪い宗教だと言われる所以ですな。

 先日見つからない、と書いた武井一氏が訳したという趙素昻(趙鏞殷)「東遊略抄」だが、どうやら「趙素昴と東京留学—『東遊略抄』を中心に—」というタイトルで波田野研究室発行、ということらしい所まで突き止めた。しかし波田野研究室ってのは、新潟県立大学の波田野研究室だろうか?
 流通ルートに乗ってない本のようだなぁ。どうやって入手したものか。直接メールで問い合せないといけないのかねぇ。


2010年2月10日(水曜日)
 ドイツでは言論の自由が一部法で制限されていることは良く知られているところですが、戦後70年を機に「我が闘争」を再版しようという動きがあるとか
 なんでまたこんなもん発禁にしなきゃいけないのかという気はするのですが、ドイツにはドイツの事情って奴があるんでしょう。
 正直申し上げますと、この本の毒性は「資本論」や「共産党宣言」「空想から科学へ」などに比べると遙かに低いかと。世界に影響を与えた度合いで言えば「我が闘争」など「共産党宣言」の足元にも及びません。これらの本が自由に発行できるのに「我が闘争」が制限されるというのは、合理性に欠けるように私には思われますが、これは合理の問題じゃなさそうだからなぁ。
 歴史学徒としては、これらの書物が手に入らない社会は考えたくないので、ドイツも早く言論が自由になると良いと思いますね、形だけでも。

2010年2月11日(木曜日)
 あらりあさんが言っていたやつについて、誰が選んだんだよ、という話。
 国会同意人事だから、NHK側には選択権が無く、誰が選んだかと言われれば、我々の代表者が選んでいたという罠。
 我らが代表者各位の見識を激しく問い質したい所ではある。

 フランスから、火種っぽい話題。
 「仏国民とは何か、議論継続 賢人委員会を創設へとかで、「フランス国民のアイデンティティー」について定めるんだそうですが、あれですかね。年末年始には街に繰り出して車に火を着けるとか、政府に不平不満があったら集合して火を着けて暴れるとか、極東の一島民からみたフランス人のアイデンティティってそんな感じがしますが。
 どうせ真っ先に「フランス語を話す」ってのが来るのは間違いないだろうしな。


2010年2月12日(金曜日)
 先日44普連の中澤剛連隊長が米陸軍との共同訓練の開始式で「同盟というものは、外交や政治的な美辞麗句で維持されるものではなく、ましてや『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」と発言した
 防相は処分を検討してるそうですが、私も処分は妥当かと思います。
 ただ、連隊長クラスの幹部にこのような批判を受ける政権の立場の危うさは、自覚した方が良いように思います。
 シビリアン・コントロールは無条件無制限の忠誠を保証するものではありません。実力部隊の理解が得られない無理を強い続ければ、いずれ限界が訪れます。そのような事態に陥ることが幸せなわけはなく、誰も彼もが不幸になるでしょう。
 現与党の防衛政策は控えめに言って出鱈目です。創立以来、米軍との協同を前提に戦力を整備してきた自衛隊としてみれば、現在の米国との距離を遠ざけるような防衛・外交政策は、抑止力を剥ぎ取られるようなものです。更新すべき防衛大綱も先送りにし、予算も増額せず、頼みの綱は切り落とす、では、現場から信を得られると考える方が楽観的です。
 「シビリアン・コントロール」だから俺たちの言うことに従え、と言うことは簡単ですが、それを担保しているのが与党が国民の信任を得ている、というただ一点であることに留意すべきかと思います。

2010年2月13日(土曜日)
 ご家庭に設置が義務づけられた住宅用火災警報器の設置があった。このとっちらかった家の中で、なんとか場所を見つけて三ヶ所に設置。本棚がくっついていない壁を見つけるのに苦労する家ってなんだろうね?(爆)

 昨日の件
 防相は「クーデターにつながる極めて危険な思想とご立腹のようですが、危惧すべきはクーデターが支持されかねない雰囲気が醸成されつつあることなんだけどな……。綱紀粛正は勿論必要なのだけど、戦前の日本に於いて五・一五や二・二六といった事態が発生したのは、政治への不信が極度に高まり、民衆の中にも武力による維新への期待感がある程度存在したからなんですよ。
 対立政党の足を引っ張るためならどんな手段でも許される、みたいな政争を仕掛けて政権を獲った挙句に、残ったものは憲政の崩壊だったんですがね。
 あれからまだ百年も経っていないってのに……。


2010年2月14日(日曜日)
 春節。

 コミティア。

 「地域でGWが1週間ずれる?大型連休分散に法改正検討」とか、アホですかと。
 東京と大阪で連休が分散したとして、やってくる未来は「向こうが仕事してるから休めない」という事態だけでしょうが。


2010年2月15日(月曜日)
 有給休暇消費モード。

 岩波ホールで「カティンの森」(原題「Katyń」)を観賞。
 第二次世界大戦中、ソビエト占領下のポーランドで起きた「カティンの森虐殺事件」を題材にした映画で、実に救いようがない作品だった。ポーランド風味とでも言うのか。
 18世紀にポーランド分割によって国を失ったポーランドが、第一次大戦の後に独立し、しかし独ソ密約によって再び独ソ両国に占領され、その中で東側の軍人達がソビエトへ連れ去られ、そして帰ってこなかった。
 虐殺は独ソ開戦の後、ナチス・ドイツによって暴かれるが、ナチス・ドイツはソビエトに敗れ、ポーランドは共産主義国家へ。真実を語れぬ世が訪れる……。
 実に教訓に富んだ作品です。
 戦に敗れ、国が滅んだら何が起こるか。平和がいかに脆く崩れやすいものであるか。言論の自由が当たり前の社会がいかに尊いものであるか。
 この映画を見た人に問いかけてくるようです。

 言論表現の自由と言えば、米国で日本の漫画コレクターが、児童ポルノ所持で有罪になったとか。
 まあ、日本でもあまり社会的に認められているとは言い難い種類のコミックではありますが、それでも所持が違法とか、懲役6月を喰らったりすることはありません。人目を憚る趣味は憚っていれば良いのであって、何も違法にする必要まではないと思うのですがねぇ。
 ドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンやら、エスパー魔美のモデルシーンが検閲される未来とか、あんまり想像したくないですよ。
 世界が潔癖さを増して、病的な領域に入りつつあるような気がしてならないのですよね。


2010年2月16日(火曜日)
 夏の参院選に、秋田から元プロ野球選手石井浩郎氏が立候補予定とか。
 人を学歴で差別するつもりはないけれど、知恵の府たる参院議員に相応しい見識は本当にあるんだろうな……? 早稲田の第二文学部中退とか聞くと、かなり不安なんだけど。

 ノートPCが増えて、デスクトップとノートの間でスキャナ(USB接続)を共有させるのにSX-3000GB or ETG-DS/US辺りが欲しいなーと思ったが、品簿らしく市場には姿が見えない。
 ちょっと前まではUSB 2.0 Hi-Speed対応のUSBデバイスサーバって結構いいお値段してたのに、今や1万円を切るとは……。


2010年2月17日(水曜日)
 「フォークランド諸島への往来には通航許可が必要 アルゼンチンとかなんとか。
 なんっちゅーか、「もう一回やる?」みたいな話だよな……。
 火種になりやすいところに油田があるというのは、殆ど神様の意地悪ですが、アルゼンチン側も何考えてるんだろう。

 ロイター発「世界一ロマンチックでない「I love you」は日本語=調査という記事が話題に。
 日本語ネイティブの人間なら思わずツッコミを入れずにはおれない内容なわけですが、どうしようか、これ(笑)。
 日本人で「私はあなたを愛します」なんて発話するやついねぇって。教会の祭壇の前ならともかくよ。
 と言う訳で、いかにも誤報臭いので原記事を探してみた。
 見つけたのが、「Is this the world's most romantic word?」。いや、マジでwatakushi-wa anata-wo ai shimasuって書いてあるよ……。
 一体どこの翻訳会社だよ?とToday Translationsとかいう会社のサイトに飛んでニュースリリースを拝見。日本語のことなんかこれっぽっちも書いてない。watakushi-wa anata-wo ai shimasuは一体どこから飛び出してきたのか。
 探してみたが、より詳しい記事としては「Speaking Italian is more romantic than Klingonがあったくらいで、watakushi-wa anata-wo ai shimasuが本当にToday Translations社が訳出したものなのかどうか、確証は取れなかった。
 しかし、ランキングを見ている限り、単にロマンス語優勢なだけじゃないかという気がしました。
 ああそうか。ロマンス語だからロマンティッ(略)


2010年2月18日(木曜日)
 朝、東京は雪景色。
 電車が遅れるかも知れないと急々と家を出たら、昨日買った本を忘れてしまった。職場でゆっくり読むつもりだったのに。

 古川康佐賀県知事が「政府は率先し「障碍者」表記せよ」と発言したとか
 綴字を変えたからと言って実態が変わるわけでなし、という前提はありますが、改定常用漢字表に「碍」を入れておいて選択の余地を与えるべき、という意見なら受入れる余地はあります。なにしろ「常用漢字に入っていないから使えない」と県知事が言っている訳ですから。
 しかし、手続き的に今から入れるのは難しいんじゃないですかね。

 鉄道ファン誌の公式webサイトにて「『鉄道ファン』編集部から読者のみなさまへお願いとお知らせ」なる訴えが。
 鉄汚多(鉄/道子など)と言えば数あるオタクの中でも最下層に位置付けられ、「オタクにもいろいろあるが、何が嫌いといって、鉄道オタクほど嫌な連中はいない」と書かれるくらいである。これはもうオタク界の不可蝕賤民と言って良いだろう。
 最近ちょっと漫画などで彼らの病態を描写した作品が幾つか受けたためか、ただでさえ空気が読めない鉄どもが一昨月昨月今月と立て続けに運行を害するに及ぶようになり、社会問題化。鉄道ファン誌がかのような広告を出すに至る、と。
 日本法では鉄だからと言って予防拘禁することはできません。ですが犯罪を犯した連中を放置することも許されませんので、近日行われそうなイベントではこう言った雑誌と連携して警察がポイントに張り込んで馬鹿どもを即刻逮捕すべきでしょう。
 社会の害にしからないという点で、珍走団と大差がないのですからして。

 Wikipediaの「ヒジュラ暦」があまりの内容だった件について。

第2代正統カリフウマル・イブン・ハッターブが預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ聖遷した年(グレゴリオ暦622年7 月16日)をヒジュラ暦元年とする新たな暦法を制定した。
 グレゴリオ暦はローマ教皇グレゴリウス13世1582年に制定した暦ですから、当然「グレゴリオ暦622年」なんて年は存在し得ません。
 当時のキリスト教圏はユリウス暦ですが、ユリウス暦はユリウス暦で色々と変遷があるので、このような暦法変換に於いてはユリウス通日を使うのが一般的です。
 ヒジュラ暦の始日がユリウス暦622年7月16日=ユリウス通日1,948,439日であることはちょっと調べればすぐに分かります。この数字こそ暦法変換に於いては重要なマジックナンバーだというのに、Wikipediaには載っていません。
 時折、Wikipediaにはこのように常識に類する記述に重大な缺陥があることがあるので、注意して利用しないといけないのですよね。

2010年2月19日(金曜日)
 昨日のヒジュラ暦の件岸本くんの尽力によって適切に修正された。
 Googleで「ヒジュラ暦」を検索してみると、Wikipediaから丸写ししたと思しき内容があちこち転がっていて、Wikipediaの影響力を感じますね。

 「斬新な創作募集 100年後まで残る漢字を作ってみませんかですか。
 漢字の増加を企図する罪で有罪ってことで。

 オーストラリアのラッド首相が「豪首相、捕鯨撤退しないなら「日本を提訴」とかなんとか。
 あー、えー、……。
 11月までに、って、その頃までには今年の調査捕鯨は終わってるんじゃね?
 これで日本が「今年の調査捕鯨は終了しました」って帰投したら、「日本は調査捕鯨をやめた!」って言ったりしたりしないだろうな? 駄目だよ、そういう内国欺瞞は。後々尾を引くからね。


2010年2月20日(土曜日)
 鉄ヲタどもの狼藉が止まる所を知らない
 先だっての列車運行妨害は大阪府警が捜査に乗り出すそうですし、ここらで一つ、有害な鉄は社会からきちんと排除した方が良いでしょうね。
 そういえば今日もホームに三脚を立てて、人の流れも無視して撮影に没頭している鉄を見かけましたが、こういったのは現行犯で取り締まらないと駄目でしょうね。

2010年2月21日(日曜日)
 枕を変えたら熟睡どころの騷ぎではない事態に。これは素晴らしい。もう一度寢る。

 鳩山首相が、政界引退後は農業をやりたいと仰っておられる由。
 引退後と言わず、今すぐにでも誰も文句は言わないと思う。


2010年2月22日(月曜日)
 読書が進まなーい!
 どっかで有給取ってまとめて本を読み干したい気分。
 一日が24時間って少ないよね?
 しかもロングスリーパーな私。
 紺野キタの新刊「つづきはまた明日 2」が結局読めなかった……。

2010年2月23日(火曜日)
 先日「山手線、朝も全座席使えます 混雑率がちょっぴり改善で報じられていた山手線の貨車(笑)廃止ですが、昨日の帰りに乗った編成が、偶然6扉車廃止編成だった。乗り換えの都合で普段6扉車に乗るんですが、いつもの場所で待っていたら、扉の位置が違う……。オーバーランかと一瞬思ったけど、よく見ると扉が4枚しかない。
 新造車らしいプラスチック臭漂う車内で、今後の乗車位置を考えたりしていた。
 個人的にはこの6扉車って嫌いじゃなかったんですよ。人間を輸送する目的のためにあらゆる犠牲を払った漢らしい車両だと思うのですが、折畳み式の座席が画竜点睛を欠く所です。あの陳腐な座席がいっそ用意されていなければ、もっと素晴らしい車輛になっていたことでしょうに。
 退役した6扉車の行く先は知らないのですが、座席がないので荷物を持ち込みやすかったりという利便もあったので、自転車持ち込み車輛とかに使えるんではないかと思わないでもなかったり。
 ともあれ、山手線へのホームドア設置のために6扉車がなくなるのは致し方ない面がありますが、「最後の6扉車の引退」にまた鉄共が群がってくるのかと思うと、今から気がかりですね。

2010年2月24日(水曜日)
 読売に「「ユーロファイター」、対日売り込みに本腰とかいう今更感漂う記事が。
 2008年の国際航空宇宙展に関係者以外立入禁止の大きなブースを出してシミュレータ持ち込んだりと、何年も前からかなり「本腰」ですがな。
 F-22の調達が不可能となり、F-35はどう考えても就役が間に合わない状況下で、現実的に日本が選び得る選択肢は、ユーロファイターF-2増産くらいしかありません。まあ、何か気が狂ったりすればF/A-18E/Fとかラファールグリペンも視野に入ってくるかも知れませんが、今の政権だとあながち有り得なくもない辺りが怖いですね。
 時間が過ぎれば過ぎるほどF-2増産が有利になるので、ユーロファイター側としてはここらへんが押し時と見たんですかね。それにしても一機35億円というのは廉過ぎですが。
 ユーロファイターの問題点も沢山あるのですが、防衛省の判断が待たれるところです。

 先日のUSBデバイスサーバとはまた別に、コレガから4ポートモデルが出るそうな。4ポートも要らない、というのが問題だけど、I/O DATA製品の再出荷が三月中旬ということを考えると、大は小を兼ねるでこっちにすべきか?

 「Wu Ming(无名)」というイタリア人作家グループがCreative Commonsライセンスで作品を発表していると聞いてサイトを訪ねてみたが、邦訳されたものはないようだ。実に残念。


2010年2月25日(木曜日)
 日経新聞が有料会員制度を始めるとか話題になってますね。
 しょーじき、webで全記事が読めるだけで4,000円/月と言うのは高いと思います。PR頁サービス概要を見ても、果たしてこれで金取れると思っているのか、と。
 紙媒体の記事をwebに転載するだけで金が取れると考えるのは、その時点で誤りがあります。過去にも書きましたが、売り方が適切でないと、どれほど良い品が並んでいても殿様商売にしかならなりません。「良質な情報はタダではない」というのは全く肯んずるところですが、金出して読まねばならない程の情報があるのかと反問されるわけです。
 かつてのようにコピー(印刷)と配信(配達)の費用が馬鹿にならなかった時代とは違い、それらの費用が只同然となった現代に於いて、情報の收集と整理こそが新聞社の価値ある機能です。記者クラブによる情報源の独占や、一般には広告されない発表会への参加などがそれに当たります。また組織力を生かした多方面への取材や、媒体信頼性に担保された取材許可の取りやすさなどもあります。
 こう言った特徴は個人や後発メディアにおいては取得し難いものであり、新聞社や放送局の有利が今後も暫くは続くものと思われます。
 しかしこう言った特徴が末端読者に負担を強いるだけの説得力を持ちうるか、と言われると疑問と言わざるを得ません。有り体に言えば、IT Media辺りが共同通信の配信記事を掲載し始めたらどう対抗するんだ?という話になってしまうわけです。恐らく、勝負にならないでしょう。多くの末端読者は、それらに金を出すほどの価値を見いださないでしょう。とりわけ「新聞社の独自性」などというものには。
 むしろ以前書いたように、読者は基本的な情報にプラスアルファの取材によって色付されたものを、より好むでしょうし、さらにblogメディアとなれば一辺通りの報道よりも、より深く取材したものや独自の考察が附与されたものが評価されるでしょう。
 むしろ新聞社としてはそういった方向のメディアを取り込むか、逆にその方面に対する情報源としての立場を確立するか、そのどちらかが生き残る道ではないかと、現時点でも思っています。mixiやGREE、特定のblogの中でのニュース引用や検索を有料(ただし数百円/月)で無期限無制限にするとか、そっちの方がまだいけると思うのだけどな。

 昨夜のニュースと今朝のニュースで、米下院エネルギー・商業委員会の公聴会の内容が報じられていたわけですが……質疑のあまりの程度の低さに絶望した。
 工学的知識とまでは言わないが、せめて論理的思考力が感じられる質問ってなかったんだろうか、と。感情を垂れ流すだけなら議員じゃなくても良いんじゃないかと。
 いやまあ、日本の議員が優秀だと言うつもりは毛頭ないけど。
 「選ばれし者」の程度ってのは、結局の所国民の程度を反映するもの以上にはならないんだなぁ(慨嘆)。
 沈没しない船を作ることも、墜落しない飛行機を作ることもできない、というのは、当たり前の話だと思うのだが。人間、できることしかできないし、知恵を振り絞っても分からないことはある。未知への対応は未知ゆえに完璧にはなり得ず、それ故にリコール制度は用意されるが、これとて万能ではないのだ……。


2010年2月26日(金曜日)
 長らくUNSTABLE Versionだったogg系統合DirectShowフィルタが正式版になった件……って、一つ前のバージョンでFLACサポートしてたのか(^^;。
 海外はx64サポートが進行してるなぁ。日本が遅れていると言うべきなんだろうけど、x64使い始めてみると、大容量主記憶の恩恵は決して小さくなく、移行する価値があると判断したので、次のメインマシン更新には64bitにする予定で、フリーソフトなんかも確認中。
 WindowsもMach-oみたいなバイナリだったら楽なのにねぇ。
 もっとも、.NET FrameworkのCILにしとけ、ってのがMicrosoftの主張なのかも知れんが……。

2010年2月27日(土曜日)
 明日は東京マラソンで都内自転車移動が困難。

 先日発表されたコレガCG-NUH04Gをアキバで探したけど見つからなかった。二月下旬っていつなんだろう?
 ちなみに最終的にCG-NUH04Gに決めた理由は、Windows 7 x64対応だったんだが……。


2010年2月28日(日曜日)
 2010-02-27 06:34(UTC)に南米チリで起きた地震に伴う津波が、本日夕刻日本に到着。太平洋の向こう、地球の裏とも言える場所からの津波は、東北地方で1mを超えた模様。
 1960年のチリ地震では、日本で142名の死者が出る津波被害が生じたこともあり、やや大げさとも言える対応がなされたが、今のところ人的被害はない模様。善哉。