海上保安庁海洋情報部の倉庫から伊能大図が発見されるという朗報がありました。
旧海軍水路部から引き継いだ141枚の中に、これまで未発見だった4枚が含まれていたというもの。これで原図が焼失した伊能大図214枚が全部揃ったことになるようです(過去日記、関連1、関連2)。
歴史的偉業の全てが覧ぜられるようになるのは、幸せという他ありませんね。
三菱・RVRに乗っているはっぴぃさんの2004/06/2の日記の記述を読んで色々考えました。
三菱自工が起こした今回の一連の事件は、雪印より深刻ですよね。せいぜい食べた人がお腹を壊したり最悪亡くなったりするのは充分に問題でしたが、それでも取り敢えず雪印製品を回避することで影響の拡大を防ぐことができました。
しか三菱自工の場合、現在もなお何万台という車輛が走っており、それらの中にリコール対象車が含まれています。勿論事故は確率的なものではありますが、事故を起こせば、死傷するのは運転者のみならず同乗者や無関係な周囲の人なわけです。これは車の所有者が気をつけていてもどうしようもない問題です。道を往く誰もが等しく危険性を負わされています。
所有者が「三菱車を手放す」という選択が必ず取れる訳でもないということもまた問題を根深くしています。また、車輛の運用は経済活動と直結していることが多いので、運用を停止するのも困難です。
こういった事情を勘案すれば、三菱自工の責任は責任としておいといて、社会としてはその危険性とどう向き合い、受容していくかを考えねばならない訳です。
ところが昨今の報道は、三菱車の事故であればリコールに関係あろうがなかろうが抽出して報じ、三菱車を運用しなければならない側への洞察にかける対応をしているように思われます。よしんば三菱車に乗っている方が悪い、などと言うのであれば、買い替えのための資金を全面補償するなどの提案くらいはしても良い筈です(それが良いとは毛頭思わないが)。
実のところを言えば、リコール発表前と後で、自動車交通における事故率が大きく変わっている筈はないので、心理的に状況を悪化させるような報道は如何かと思います。
風に誘われて、自転車に乗ったら、タイヤを駄目にした……。
Tservに穴が……!
一体何を踏んだんだ? アラミドベルトなのに……。
しょーがないのでチューブだけ直してタイヤを注文。もう4,000kmも走っているタイヤなので、どうせだからと前後ともに新調することにした(とはいえ、同じタイヤだけど)。
しかし流石に仕事辞めてから距離が減りましたね。通勤でほぼ毎日乗っていた頃と比較してもしょうがないんだけど(苦笑)、最近は丸一日自宅のPCの前で仕事なんてのも当たり前になっちゃって、まるで引き籠りですよ、最近流行りの。
うーん。いいかもしんない。
無気力青年引き籠り中♪とか。
Acrobat 5.0でどうしても描画が正しく行われなくて、困り果てて、6.0にしたら解消した。
はふぅ。
今日も川口。しかし過去の反省を踏まえ、地下鉄がまだ動いている時間に帰って来ることに成功する。
自転車で行けば良かったんだけど、穴開いているタイヤで走りたくなかったもんで。
こちらに「作家さんって、作品以外ではなるべく語らない方が良いのではないかと言う気がします」とか書いてあって、うーん?と。
別に作家が人格者でならねばならんというわけでもないと思うし、実際問題私の過去の経験からして[検閲]だし、かの隨想の主も言っている通り、人格言行と作品は無関係だよなぁと。私もよく、こんな人間があんな作品を書くとはとても思えない、とか言われるけど……。
いや、勿論、「あんな素敵な作品を書く人だから、ご本人も素敵な人なんだろう」と思うのは読者の自由なのですが、それで幻滅するのもまた責任は読者の責任だろうから、それに作者の側が迎合せにゃならんという道理もない。否、それどころか「そんな営業戦略なんざこと知ったことか」と突っぱねるのが小説家らしいと私なんかは思ってしまったり。
どちらかといえば、作者に作品を投影したりするのはやめましょう、というべきなのではないかなぁ。
「作者の人格はアレだが、作品は大したものだ!」と言われて作家という職業はナンボではないかと。
今月、日本評論社から「法廷の星条旗 BC級戦犯横浜裁判の記録」なんて本がでます。
横浜裁判というと、日本国内で行われた唯一のBC級戦犯の裁判なのですが、殆ど資料がなく(公開されていない)、法的正当性やその判決の妥当性に長らく疑問が呈されています。A級戦犯を対象とした東京裁判を見る限り、勝者によるやりたい放題であってまともな裁判ではなかったろうことは想像に難くないのですが、横浜弁護士会BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会による長年の研究によって本書が纏められることにより、国際司法のありかたを問い直す一助になると考えています。
国際的な刑事裁判所として国際刑事裁判所(ICC)を設立する、国際刑事裁判所条約を日本は批准しておりません。ICCが国際正義を代表するとは信じておりませんが、このような国家間合意に基づく法廷が機能しなければ、世界は某国のやりたい放題になるだろうとは簡単に予測できます。ちなみに世界最大の軍事力を誇る某国は当然のようにこの条約に参加しておりません。
憎悪の連鎖を断ち切るために、せめて勝者も敗者も納得できる戦後裁判の体制づくりは、重要であると思います。
バファローズ/ブルーウェーブの合併問題について、日本プロ野球選手会がようやっと動いたようで。
バファローズの選手会は合併反対を打ち出しているようですが、労組的視点に立てば、球団減少=雇用喪失ですんで、選手会としてはもっと激しく抵抗しても良いのではないかと。
なにしろ、一球団は70人の選手を支配下に置けるので、1球団なくなれば70人、もしどこぞの連中が言うようにもう1球団なくなれば140人、8球団に減らされれば280人のプロ野球選手が職を失うわけです。どっちにしろ一割以上の選手が失職に晒されているこの危機的状況下において選手の権利を守るために彼らが動かないでどうするのか。
一年先送りなんて条件は温い。野球協約の変更を求めてストを打つくらいの意気込みが欲しいです。
特に興味がなかったのですが、群馬県太田市って英語教育特区とやらで、全カリキュラムを英語で行う学校とか作るらしいですね。
なんか明治の初期に逆戻りしようって感じの政策に感じますわ。
明治の初期に日本は西洋科学技術の導入のため、多くの“お雇い外国人”を招聘したことはよく知られていますが、彼らの殆どは日本語を解しなかったので、授業も全て彼らの母語あるいは英語で行われました。当然、授業を受ける学生は英語や独語や仏語や時には羅語で受講し、帳面を付け、課題を提出し、論文を書いたわけです。このような苦難の道を歩んだ先人達が、世代交替の中で母語教育に注力し、翻訳を整え、今や日本語は世界でも希有な、母語によって哲学から最新科学までを教育することができる言語系になっています。
言語カタログであるEthnologueには6,800以上の言語が登録されていますが、この中には初等教育ですら母語で行うことができない言語が多く含まれます。キリスト教の聖書が出ている言語ですら、この中の2,400にも満ちません。ちなみに、全聖書が完訳されている言語は400言語ほどです。
英語に堪能であることは個々人の技能としては勿論評価されるでしょうが、日常的に英語を不要とする社会や教育体系をもつ言語圏と比べてどちらがより重要か、言い換えればどちらがより失った時に取り返しがつかないか、議論するまでもないでしょう。
日本語を母語とする幸福は、世界のあらゆる名著典籍が翻訳され、母語によって読むことができることです。千年に及ぶ古典、数千年に亘る漢籍の蓄積を享受することができることです。
私であれば逆により日本語の国際的地位を高める努力をすべきではないかと考えます。それは日本語を鍛えることであり、日本語を操る人間を育成することです。
個人の英語教育なんぞは駅前留学でもできますが、言語の育成、陶冶、普及等の言語政策はもっと大きな単位でしかできません。そういう観点から、私はわざわざ自治体がこのような政策をとることに疑問を抱きます。
同じ金を使うなら、在日外国人等に日本語を無料で教育する学校でも作った方がマシというものでしょう。
あ〜。中国が日本に戦争吹っ掛けてきてますな。排他的経済水域内での測量なんて、一歩間違えば宣戦布告に同義ですよ。ちなみに、領海内でやったら即開戦です。
沖ノ鳥島は、実は現在争議の対象になっていて、「あれは島ではない、岩礁である」という意見があり、日本はそれに対して反対しており、岩っつらの周囲をコンクリで固めて消波ブロックを沈めておったりします。観測施設もありますが、今は無人だったと思います。ちなみに島には三角点もあります。まあ、これが島であるか岩礁であるかで、半径200海里、40万平方kmの排他的経済水域の存続がかかってしまうわけで、日本としても真剣にならざるを得ないところです。
なお、中国は沖ノ鳥島は島嶼ではなく岩礁であると主張しています。岩礁の場合排他的経済水域を設定できないので、日本は当然島嶼であると主張している。
で、中国は今回沖ノ鳥島海域の排他的経済水域で測量を行ったわけで、さあこれが日本の排他的経済水域内なのか公海なのか、両者の見解は真っ二つに別れるわけです。
通例、これまでの国際社会においては、この種の領土問題が発生した場合の解決策は、鉄拳による殴り合いと相場が決まっております。
ほら、戦争になりそうでしょ。
プロ野球界再編の動きですが、ファンや選手の意向を全く無視して進んでいるところが凄いですね。今日の目立ったところでは……
画伯が「白票だけは入れるな!!」と吠えてます。
公職選挙法を読めば分かりますが、白票は無効票です(第68条七号ほか)。投票率には影響しますが、当落は有効投票しか関係ないので、全くの無駄です。誰にとっても関係ない票ということになり、何の力も持ちません。行くだけ無駄です。
本来であれば、投票率がある一定割合を下回った場合、全自動で選挙無効などの規定があっても良い筈ですが、現状公職選挙法はそうなっていないので、投票の99%が白票でも選挙は成立しますね。この辺はシステムの不備というか、埼玉県民のような連中は顧慮されていないのでしょう。
ここ数回の選挙で、埼玉県の地を這うような投票率と、続々と噴出する選挙管理委員会の不手際が個人的な注目点です。いつぞやの沖縄のように、投票総数が有権者数より多かったとか、信じられないようなミスが横行しているので、注視に価するでしょう。今回も既に間違って選挙権のない在日外国人に期日前投票をさせちゃった、なんていうのもありましたし。
大勢に影響がない範囲だから問題ないのか、それともとっくに大穴が開いていて氷山の一角なのか、レポートが欲しいところです。
相次ぐチームの廃部から、国境を越えたリーグ作りに生き延びる先を求めていた日本アイスホッケーですが、昨日、日中露韓の四ヶ国8チームとなるアジアリーグの拡張が成りました。一応去年も韓国の1チームを加えた5チームでやってたんですが、これに中国2チーム、ロシア1チームが加わり、ほぼ「極東リーグ」と呼べるものになってきたと思います。
翻ってみれば野球は……。
どこぞの阿呆オーナーが、ストライキできるもんならやってみろと言ってみたり、たかが選手が分を弁えろとかトンデモナい発言をぶちかましてたりするわけです。
いやもう、アレ、どーにかしろよ。
G型トラクター13台注文するとかさ(ヲイ)。
選手会と球団代表者との懇談会は全く実りなく終わったようですし、日本プロ野球の存亡を賭けて真剣に議論してもらいたいものです。
タイヤを新調したので、ひとっ走り40km程走りました。最初10kmくらい走ったところで空気圧を調整して、もう30km。同じタイヤの筈なんだけど、なぜか空気圧の指示が前と違う〜(謎)。
前より200kPaほど上限が上がってるよ……。本当に大丈夫なのか? バーストしないだろうな?
チェーンもかなり磨耗してきているので、チェーン交換に合わせてフロントギアをもうちょっと大きいものに変えようかと画策中。
そういえば、やけに路上に警官を多く見ました。交通取締も強化しているようです。なんかあったっけ?
単に通勤しなくなったので見慣れなくなっているだけかもしれませんが。
それはともかく、先の国会で成立した道交法改正による、運転中の携帯電話使用などについての罰則案がパブリック・コメントに附されています。
運転中の携帯電話使用については、減点1に加えて反則金が6,000円(普通車他)ですか。自転車でも5,000円ってのは素晴らしいので、ジャンジャンバリバリ取り締まって欲しいですね。
三菱自工ならびに三菱ふそうの隠蔽問題で、また新たな隠蔽が発覚しております。今回は部長級社員による隠蔽と言うことですが、一体どういう人事考課制度を敷いていたのか、気になりますねー。いや、元々、組織的隠蔽工作を指示するような奴が社長だの会長だのに座っていたわけですから、そういう人物こそ栄達するような人事制度だったんでしょうけど……。
雪印のときも、さらに以前の山一證券のときもそうだったのですが、経営陣の個人としての責任は勿論追及の対象でしょうが、その会社の栄達制度も失敗学の対象として追究しなければならなかったろうな、と思っています。私個人は組織というものとほぼ無縁の生活を送っているのですが、企業の社会影響力の大きさを考えれば、いかに適切な人間に強大な権力を与えるか、その決定プロセスとしての人事制度には注目しなければならないでしょう。
で、三菱自工の責任は責任としておいて、それに対する報道についての問題。
「三菱デリカ」炎上=福島 11日午後7時ごろ、福島県猪苗代町の磐越自動車道下り線鞍手山トンネル内で会津若松市の会社員(49)ら家族4人が乗った「三菱デリカ」が走行中、エンジン部分から出火し全焼した。乗っていた4人は避難し無事だった。 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20040712k0000m040126000c.html |
選挙。
民主党は躍進したんだけど、自民党の議席を奪ったというよりは、これまで社民党や共産党に入っていた批判勢力の票を集めたって感じになっていて、結果、公明党の与党内発言力が増しました、ってところに終わってしまったように思える。
しかし、二大政党制かぁ……白黒鮮やかな、一見分かりやすく、それでいて暮らしにくい世の中になるなぁ。
外部熱交換機を用いない冷房器具としては、水の気化熱を使う冷風機があります(参考)。しかし当然水を蒸発させますので、湿度が上がります。PCが置いてある部屋は書庫兼用ですので湿度が上がるのはよろしくない。
となれば、酸化水素以外の液体の気化熱を利用しようという話になるのだが、一体何を使えば良いだろうか。
手軽なところではやはりフロンであろうが、これをばらまくのは、流石に環境によくなさそうだ。
固体化二酸化炭素、つまりドライアイスは素敵そうだ。入手性も結構良い。ただし、二酸化炭素自体が有害であるので、大量に炊くと部屋の中で酸素マスクを使う必要が出るのが難点だ。副次的に火災防止になるかもしれないが。
では無害なところで液体窒素はどうだろう。-196℃という温度も素敵だが、基本的に無害であるところが良い。もちろん、大量に気化させれば酸素分圧が下がって酸欠になるが、換気に気をつけておけばなんとかなるだろう。
液体窒素。
これは結構いいアイデアかもしれない。
昔の記憶だと、確かリッター数百円だったし、なんたって-196℃だ。空気から取り出せるし(というか、液体酸素や液体水素を抽出する過程で山のようにできる)、基本的に無害。冷房のみならず、冷蔵庫なんかに使ってもいいだろう。料理にだって使える(使えません)。
エコロジィが叫ばれる昨今、室外機からの排熱がヒートアイランド現象の元凶と叫ばれて久しいわけで、電力による熱交換システムに変わって、都市に液体窒素を供給するというエコロジィクーリングプランとかいうのはどうだろうか。ビルヂングやマンションに液体窒素タンクを作って各部屋に供給、冷房や冷蔵や料理(まだ言うか)に供用するのですよ。
もちろん使い終わった(気化した)窒素は大気に棄てるのですが、元々大気中から抽出したモノですので、環境への影響は全くない、素晴らしくエコロジィィィィ〜。
問題は、冬場に全く使い道が無いことくらいであろうか……。
今日はてつまさんの同人誌の表紙デザイン。
しかも、データが届くのが今日で、入稿日も今日とかいうスケジュール……。幸い、入稿日は翌日にずれたが、このデータ、本当にきちんと印刷できるんかいな……心配だ……。
先日国際司法裁判所が、イスラエルがパレスチナで建設中の分離壁について、取り壊しを勧告しました。法的拘束力はないのですが、こう言った国際的にある程度合意された手続きによる国際司法のあり方は、今後も摸索されねばなりません。
主として、どこぞの超大国のやりたい放題を掣肘するために。時のその子分による我が儘を嗜めるために。
タイガースを中心として、2リーグ制存続への動きがあるようですが、セントラルリーグ5球団って辺りが非常に分かりやすい意図を透かし見せてくれています。要するに、巨人戦が減るのが嫌なんだろう、と。
必要なのは、競争と協調です。12球団全てが幸せになる方向を摸索し、かつ選手、観客、引いては野球界全体への福祉を考えねばなりません。そのための機構でありコミッショナーでなければならないのですが、現状機能してませんね。
特にどこぞのアホが奇天烈な言行を繰り返してますし。
私はジャイアンツファンで、正力松太郎が日本の職業野球を立ち上げた際の信念や理念、行動をとても貴重なものだと思っていますが、そうして生まれた球団の現オーナーが、その遺産を食い潰しているのを見ると悲しくなります。
なんかあちこちで話題として採り上げられていますね、「ブロガーに蔓延する「燃え尽き症候群」」。
この日記はどこまで行っても個人的な日記で、blogではございません。trackbackもコメント機能もありません。私自身BBSなぞは運営しておりませんし、サイト全体のメンテもサボり気味です。時々気が向いた時にやってますが……。
適当にやるということが大切なんでしょう。身の丈にあったやり方で。
日記の感想を頂くこともありますし、アクセス数がサーバランキングに入ったりしますが(^^;、本質的にこの日記は私的なもので、読者を強く想定したものではありません。
じゃあなんでそんなもの書いてるんだ、というご質問に対しては、古人の言を引いて答えとしたいと思います。
言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。上記の文を現代語に訳せ。(3点)
兼好法師「徒然草」第十九段より
米国陸上界ではまたもやドーピング問題で記録がどうなるか怪しいところですが、先日南アフリカで100歳のご老人が30.86sec/100mという100歳クラスの新記録を出したそうな。この記録を樹立したPhilip Rabinowitz氏は100歳にして娘さんの簿記係として働き、毎日4マイルの距離を歩いているというから凄い爺さんだ。
100まで生きることよりも、100を迎えてなお軒昂というのは、幸せなことですね。
秋葉原を回ってコミケカタログなんぞ買って帰ってきたら、頭痛が。考えてみると、光化学スモッグ注意報が発令されている炎天下を、自転車で走ってたんだよなぁ……(^^;
なんか報道がえらい騒がしいなぁと思ってたら、例の曽我ひとみさんのご家族が日本に来たんですね。
米国は旦那さんを脱走兵として訴追するといっておりますが、当たり前ですな。日本は訴追しないように働きかけているとか聞きましたが、法治国家のすることじゃないですね。情状酌量や恩赦ってものは刑が定まってから行われるものです。訴追するなというのは情実でしょう。それが通ったら法治国家は成り立ちませんがな。
もっとも、本件に関してはこれほどまでに事情が複雑化した原因が日本政府にあるので、日本政府としては多少の横車も押さねばならないのが難しいところです。
補足。
言うまでもないけれど、無理矢理日本人を拉致して、“地上の楽園”での生活を強要したのは某共和国の国家犯罪であり、その罪はいずれどのような形であれ清算されねばなりません。この点については、ようやく被害者の原状回復が端緒についたばかりであり、北の連中の犯罪については今後も追及の手を緩めてはいけません。
その上で、この問題がこれほどまでに複雑化したのは、事件後の日本政府の動きが緩慢だったためです。そのことについて、日本政府は責任を負っているということです。それだけではなく、なぜ多くの拉致被害者を救うことができなかったのか、私たちは真摯に考えなければなりません。
国際社会(国家間外交)は残念ながら民主的でもなければ公正でもなく、多数決すら通らないのが現状です。国内のように、警察がいて司法が機能している社会とは異なります。そのような化外の地で、国家の利益や都合を貫くことが、どういう意味を持つのか、見直す契機になればと思います。
北海道といえば、中川町とかいう町の中川町エコミュージアムセンターってところで「魅惑のアンモナイトII〜横井活城氏アンモナイトコレクション〜」という展示をやっているらしい。横井活城氏といえば世界有数のアンモナイトコレクタとして有名な方だったのですが、そのコレクションが町に寄贈されて展示されているというので、是非とも北海道産のニッポニテス類なんぞを拝観しに行きたいと思ったりするわけなのだが、金も時間もない。
特に時間が……。
なぜだろう……。
国会図書館の関西館にも行きたいと思っているのに……。
ここ数日、生活サイクルが約30時間単位です(笑)。昨日寝たのが10時(起きたのが15時)で、今日寝たのが15時(起きたのが20時)。とすると次に寝るのは明日の20時前後ってことだろうか?
地球外惑星に移住した人類のような生活だと、そこはかとなく思った。
なんか健康に悪そうだから、頑張って正常に戻そう。
実は投票が始まってから生暖かく推移を見守っていたのですが、「GunParade March署名特設掲示板」に結構票が集まってますね。
発売後3年くらい経ってるソフトがこれだけの支持を集められるという所に、素晴らしいものを感じます。
しかし、売り手としてはGPMのようなロングプレイ・ロングセラー型のソフトウェア商品ってのはあまり有り難くないのではないかと思ったり。なにせ手離れが悪いくせに売上は遅々として伸びず、時間がかかるから管理費用が出る分利鞘も小さかろう。
本当なら、こういうロングセラー型の方が收益が大きくなるように、收益モデルを構築しなければならないのではないか……と思わなくもないが、アイデアも無し。
リンク集に特設しようかと思って集めていたネタが、ネタ帳の下の方で腐っていたので発掘して虫干し。
で、その読売新聞を俎上に乗せようかな。
「三菱自動車の欠陥隠し、新たに5件…合わせて33件に」なんて見出しがありまして、この見出しだけを見ると、また欠陥隠しがあったのかと思ってしまいそうですが、記事本文を読むとリコール・改善対策の届出があったという話で、発覚自体はとっくにしていた問題。記事の本文と見出しがかなり乖離しています。
隨分扇動的な見出しだなと私なぞは思いますけれど、きっと会長的にはオッケーなんでしょう。
もう一つ追記しておけば、欠陥の発覚(あるいは欠陥隠しの発覚)からリコールまでには、原因の追究やら、対策の考案やら、対策の評価試験やらが入りますので、当然ですが時間差が生じます。それ自体を問題視するのであれば、リコール制度そのものを見直す必要があるでしょうね。
先日意見公募に付されていた法務省法制審議会人名用漢字部会の「人名用漢字の範囲の見直し(拡大)に関する意見募集」ですが、意見募集期間が終わって最初の委員会について「不評の人名用漢字9字、追加案から削除」とかいう報道が出ていました。
特定文字への反対意見が100件以上というのは、文字選定の意図を理解しない人が100人以上いたってことですかね?(苦笑) 追加候補が578字あって、そのうちの480字に削除要求があったという辺りで、既に「ンな意見聞くだけ無駄」という気がしますよ。
ちなみに私は、部会の「当該漢字が専ら「常用平易」と認められるか否かの観点から選定を行った。漢字の意味(人名にふさわしいか否か)については一切考慮しなかった。」という姿勢を評価しています。ある程度統計的に判断できる「常用平易」ならともかく、10人しかいない小部会で「人名に相応しいか否か」の判断なんかできっこないし、してほしくない。まあ、使った統計に問題はあるのですが。
個人的見解としては、とっとと戸籍法第50条を廃止すべきですな。大体にして、法律で「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。」「常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める。」とか決めたから、出生届けの窓口に辞書を置いたりして届け出を持ってきた親と騒動になって裁判が起きたりしてこんな部会を作って侃侃諤諤の議論をせねばならんわけで、上記条文を削除してしまえば万事解決、世はなべて事も無し、ということになるじゃん。たった一条ばかり条文を削除するだけで、どれだけの人的資源・労力と金銭と時間が節約できるかを考えれば、こんな部会を開くくらいならさっさと戸籍法改正案を国会に提出する方が合理的ってもんですがな。
そもそも、「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。」って法律の意図が不明ですよ。ウルセェバカヤロウヨケイナオセワダコンチキショーってなもんでしょ。字だけ平易でも、「海太」って書いて「しーた」って読ませるような親が実在するわけで、文字が常用平易かどうかって些細な問題だと思うぞ(現行戸籍法では名前の読みについての規定はありません)。
問題解決法を摸索する時は、どこに原因があるのか慎重に見定め、適確かつ効果的に対処を施すのが吉です。場当たり的な対処療法は、徒に病を長引かせますからね。
本屋に行ったら、やけにギリシア関係書が目に着くので、何事かと思っていたのですが、アテネ五輪が近いからなんですね。24競技37種目(細かく分ければもっとあるんでしょうが)ってことですが、思ったより競技って少ないもんですね。まあ、陸上や水泳とかは細分化されてますし、予選から考えれば結構時間も食いますからね。
しかし、一覧にして見ると、球技と格鬪技が多いですね。スポーツというと球技・格鬪技ってのが定番なんでしょうか。確かにぱっと頭に思い浮かぶスポーツでも球技は特に多いですけどね。
実家の近所に雷が落ちて、電話がやられたらしい。たしかこれで二回目だ。昔、私が高校生の頃、落雷で電話がやられたことがあって、帰宅したらパニックになっていたっけ。
ちなみに私個人としては、最初の大学にいた頃、落雷で自宅のPCやらプリンタやらが吹っ飛ばされたことがある。バイト代が修理代に消えて行って、非常に哀しい思いをした。
雷に好かれているとは思いたくないけど、運不運って偏在するっぽいから気をつけないとね。
いつか俎上に乗せようと思いつつ、タイミングを見計らっていたのですが、「凍結精子で出生の男児認知訴訟で、高松高検が上告」とあったので重い腰をあげることにしました。
ことの経緯は、98年に夫であった人物が精子を凍結保存。99年に夫であった人物が死去。00年に凍結精子を使って妻であった人物が人工授精で妊娠。01年5月に男児を出産。
この生まれた男児について、死んだ夫であった人物との間の親子関係(死後認知)を係争しているのが本件裁判。
ちなみにこれに先立ち、この死んだ夫であった人物を父親とする出生届けの受理についての裁判があり、これについては最高裁まで係争して不受理が確定しています。
ここんとこ何件か起きている代理母出産の出生受付けなんかと根っこのところは同じ問題で、生殖医療技術の発達に、法制度の方が追い付いていないことが原因とされています。しかし原因はそれだけではなくて、民法における親子とは何かという問題でもあります。
日本の民法ならびに戸籍法は婚姻関係にある夫婦に生まれた子供を優遇していて、悪い言い方をさせてもらえば、それ以外の出生は「例外」であるかのような扱いになっています。よく知られているように、民法には嫡出/非嫡出子間に相続差別が存在し、それが合憲判決を受けているなど、制度そのものが現在の家族認識とそぐわなくなっているところがあるように思います。(ただし本件については見直しが遅々として進んでいるらしい)
現行の戸籍制度は、日本国民の人定を行う最も根源的な制度ですが、そこで管理されているのは家族です。個人は家族の構成員として記録されているに過ぎず、管理単位はあくまで家族です。正確には「家族」ではなく「核家族」とした方が良いのですが、これは戦後の戸籍改編によるもので、それ以前はより大きな家族、民俗学用語で言う「イエ」を中心とした管理でした。
この「家族が最小単位」というあり方に基づけば、個人とは家族の構成員であり、イエを誰が継承していくかが重要という考え方になり、嫡出/非嫡出の別や、婚外子の別を記載することに意味が見出せるようになります。極端に言えば、現行制度における親子関係とは血縁ではなく、家族内の続き柄関係であり、家の相続序列であるわけです。現行法体系下においては、結婚とは新たな氏を持った家(=戸籍)を興すことであり、夫婦別姓が認められ難いのはこの辺にも理由があります。結婚とは個人と個人の関係ではないわけですな(苦笑)。
こういう制度下においては、「例外」たる出生は家族制度の枠組みを脅かす行為となるわけです。それでも単純な人工授精などは制度の中に押し込むことが可能でしたが、代理母出産や死後人工授精などは、遺伝的血縁的問題以上に「当事者の認識と戸籍の記述がまったく一致しない」という問題を持っているわけです。これを「倫理的問題」と言っている向きもあるようですが、私の見る限り制度上の問題ですな。
もちろん現行制度の枠組みを持たせたまま、例外やら特例やらと言う形で解決を図ることは可能です。しかし、今少し制度と現実を見渡せば、制度が見直しの時期に来ているのではないかと思います。
裁判が長引くのは確かに不幸なことですが、この場合、何らかの結論を最高裁に求めることは必要なのではないでしょうか。