哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2001年7月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、並びにパーソナルメディア社は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2001年7月1日(日曜日)
 大阪に行ってきました。
 午前中は、じゅりちゃんと歩さんとOff。ひたすらたこ焼きを食べ、本屋を漁っていたような気がする。

 そして午後はTottoさん主宰(?)の関西Offへ。
 なにしろ、生身でないと持っていけない情報という奴は確実に存在するわけで、そういうものを西の方へ運搬するには、どうしても人間ごと持っていかねばならない。なにをこの情報化社会に……という意見を持たれる方もおられるかと思いますが、残念ながら世の中そんなもんです。

 人間、寒ければ厚着をしたり暖房を入れたりしますよね。逆に暑ければ薄着や冷房を使って周囲の環境を快適に保とうとするわけです。
 同じように、今この世界がおかしいと思ったら、快適なように改変してしまえばいいわけです。方法は色々沢山あって、簡単な方法から困難な方法までよりどりみどり。必要なものは、少々のやる気だけです。


2001年7月2日(月曜日)
 発表は一ヶ月延期。

 多忙を理由に意図的に忘却していたのだが、レッドモンドの某社から「金を払ってアップグレードせよ。今を逃すと後でもっと金を取る」という、殆どサギじゃねーのそれっていう感じの通達が来ていたのを思い出してしまう。
 機能的には、充分というより割鷄焉用牛刀だし、職場のマシンパワーは脆弱なもんだからマンモスアプリケーション状態だし、機能追加なんか要らんからもっとコンパクト&スピーディにしてくれ、簡潔で堅牢なのは当然として、ってなもんなのだが、某社はやはりそういうことは考えてないらしい。Microなのは社名だけというわけだ。


2001年7月3日(火曜日)
 退勤後、秋葉原へ。もちろん、仕事の買い物である。
 お買い物リストを頭に思い浮かべながら、どの店で買ったら一番廉かろうかと考える。やはり駅ガード下の店だよなぁとか思う。目当ての店が閉まっていたので、ちょっとうろうろして買い物を済ませる。
 本当はこのまま直帰するつもりだったのだが、荷物が予想より嵩張ったため、「こんな荷物抱えて家に帰るのは嫌じゃぁ」と一旦職場に引き返した。そのまま据え付けやら取り付けやらをしてしまい、なんとか「プロジェクトX」には間に合うように帰って来た。

 あんまり坂村先生からの返事がないので、公開しちゃうことにする。あとは野となれ山となれ。


2001年7月4日(水曜日)
 忘れ物をしました。
 本を家に全部置いてきちゃって、我ながらびっくりしました。こうなると僅か二十数分の電車の時間も、退屈をもてあますというかなんというか。中吊り広告の文字を追いかけたり路線図の駅名を上ったり下ったりしながら、ぼけーっとしてましたよ。

 反動というわけじゃないでしょうけど、職場では著作権法を熟読することに。non multa sed multumとは良く言ったもので、読んでも読んでも奧が深いというか解釋が一定しないというか実情に合わないというか何を守っているのか分からないというべきか。所詮法律なんて道具だから、厳密に解釋し寸分の隙無く法を扱うのは自己防衛だと思う。
 最終判斷は、裁判という形に訴え出なければならないにしても。


2001年7月5日(木曜日)
 伊能大図が見つかったという報が舞い込んだ。
 言うまでもなく伊能忠敬の手になる日本地図の話なのですが、これは通常伊能図と呼ばれ、大図、中図、小図の三種類の縮尺がありました。ちなみに一番縮尺が小さいのが大図です。小図(3枚組)は色々あるんですが、中図は8枚組で、一番原図に近い奴は東大にある(でも一枚焼失)。大図に至っては214組の殆どが焼失してたんです。明治に起きた宮城火災と、関東大震災で正本及び副本はその殆どが全滅。大図は枚数が多かったこともあって、関東地方の約60枚以外は写しすらなかった。これが米議会図書館で発見されたという話。
 素晴らしい。
 伊能図は伊能忠敬の死後、文政四年(西暦1821年)に完成した。その精度は驚くべきものであり、江戸時代が終わり明治になってからも使われた。大図の縮尺は36,000分の1。ちなみに25,000分の1の全国地図が完成したのは1983年である。

 家に帰ってきたら、ガンパレのドラマCD第1巻が届いていた。

 えーっと……


2001年7月6日(金曜日)
 デンパ襲来。

 「超漢字康煕字典」ねぇ……。
 ん〜。
 それなりに意味も価値もあるモノなのですが、ターゲットがイマイチ鮮明じゃないあたりが辛いかな。
 康煕字典の研究者ではなくて、それでいて康煕字典を日常的に使うような人って、どんな人なんでしょう。想像がつきません。いないとは言えないですけど……。

 ガンパレード・マーチのドラマCDの感想。

  1. 行軍歌がこんな歌いにくい歌のわけないやん……。
  2. これがシナリオ1……つまり、あのCGやあのセリフはこのためにあったのか……。
  3. でもこのシナリオじゃあ遊べないよね。

2001年7月7日(土曜日)
 七夕……?

 綿密な計算の結果、本棚に棚が追加できることが確認されたので、棚板を注文しに行った。名前は忘れ去られていたが、「あの本棚を買った人」として覚えられていた。世の中そういうものなのだろう。
 もちろん、僕の存在感が薄いせいだというのも紛れもない一因なんだろうけど。

 ミツルんが日記で、「ボクは引出をたくさん持っている人がとても羨ましく見えます」なんて書いてたけど、僕の知る限りミツルんの心にはかなりたくさんの「棚」があって、自分に都合の悪いことを片っ端から載っけていく様は一種感動的もであるんだけど、本人はもっとたくさんの引出が欲しいらしい。


2001年7月8日(日曜日)
 夏風邪ひいちゃいました。間拔けなことに。

 今日のNHKスペシャルは年間シリーズ「宇宙」だったんですが、今日のテーマはテラフォーミング(惑星地球化)でした。主として火星のテラフォーミングだったんですが……うーん。
 テラフォーミングによって地球環境のことが逆にわかることもある、とか言われても、それじゃ順番が逆なんじゃないのか?とか言いたくなるんですけど、僕としては。テラフォーミングするくらいの技術があれば、地球環境をいじる方が楽っちゅーか先なんじゃないかと……。

 沖繩の問題に絡んで。
 「日本には陪審制度がなく、民主的な裁判が受けられない可能性がある」と米国で報道されていたことを、ほとんどの日本人は知らないらしい。犯罪者だから引き渡せというのは日本の理屈だが、米国にしてみれば民主的な裁判が受けられないかもしれないところへ自国民を引き渡すことは、簡単にできる判斷ではない。
 もちろん、「そんな馬鹿な。日本ではちゃんと民主的な裁判が受けられる」という意見もあろうが、そういう風に胸を張って言える人は、きっと法廷の傍聴など行ったことがないに違いない。一度でも刑事法廷の傍聴に行ったことがあれば、全面的に米国の主張に肯ずることはできないにしても、日本側にも小さからぬ問題があることを考えずにはいられない。
 言うまでもないが、犯罪を擁護する気はないし、被害者を責めるつもりもない。ただ、国と国の間のギャップには意外と大きいものがあり、法制度や慣習の差による相互の考えの違いは、時に致命的なまでのコミュニケーションギャップを生み出しかねないことがある。
 結局できることといえば、条約と法律に従ってことを進めることだけであり、それ以上のことを相手に求めるのは、ことが終わった後にした方がいいと思うだけだ。


2001年7月9日(月曜日)
 ぐっすり眠ったあとの月曜日。理事会前日で忙しかった。

 韓国と中国が、扶桑社の歴史教科書に難癖をつけてきているそうな。
 私の目から見れば、どの教科書も五十歩百歩って感じなんですけどね。「間違ってない」ことにかけてはどの教科書もそらまぁちっとも「間違ってない」わけでして、っつーか「間違ってる」教科書だったら、そもそも検定通らんわな。
 問題は「間違っている」「間違っていない」とは違う次元にあるわけ。
 Aという事象があったとして、実際にはAに視点αから与えられた解釋による射影A'を人間は知識情報として受け取るわけです。問題はこの視点の位置が変われば射影の形も変わることでして、人間が神でない以上、人の数だけ解釋が生まれるわけです。
 もちろん、視点は社会によって偏在するので、ある社会における一般的な視点というものを巨視的には定義できます。ところがこいつはあくまで社会を構成する各人間の視点の集合でしかないので、実体としてそういうものが存在するのではないわけです。また、当然社会背景に依存しますので、社会や時代が変われば、「一般的」とされる視点すら変わってしまうのが通例です。
 事実の認定を巡って争うのであれば多少はマシな議論になるのですが、視点の置き方を巡る論争は、全く意味がありません。そんなの文化摩擦と一緒で、肉食は野蛮だとか菜食だって同じだとかと言い争っているレベルでしかないですね。
 もちろん、上の連中は、政治的手段として、分かってやってる可能性が高いのですが。

 日本科学未来館が、明日より一般公開です。残念ながら私は行けません。仕事ありますよって。
 坂村先生プロデュースの展示の数々を、里見君が明日あたりレポートしてくれるでしょう。


2001年7月10日(火曜日) part 1
 遅いんだよな、一つ一つが。でもまあ、公式見解が出ないより出た方がマシではありますので。これで良かったというべきなのか?
2001年7月10日(火曜日) part 2
 TRONプロジェクトとしての公式見解が出たので、私のページも書き直さんとあかんなぁと思いつつ、次なる実証実験を考えていたりもする。ヒントは、「bとaは同じにならない」である。
 簡単に感想を述べておくと、私自身、行頭移動指定付箋のあり方は、1.40の方が合理的だと思っている。問題はそんなところではなくて、だからって「誤記でした」「変えました」「互換性の問題は出ません」で済ませたその行動だということが分かっておられるのであろうか?
 そこいらについての記述がすっぽり拔けているのはどうしてなんでしょうか?
 新しい付箋を作って対処すれば何事も無く済んだのに、なぜ禍根を残す方法を採用したのか、その判斷基準は何だったのか?ということを問うているのだが、流石に大声では言えないのか。
 ところで、例の発表で最も重要だったのは、実はこれまで公開されていたBTRON3仕様書附属のTAD仕様書のバージョンが1.30.00であることが公示されたことだったっていうのは巨大な皮肉? それともどうせ今の超漢字でも生成するTADのバージョンは1.21だから何も関係ないのかな?

2001年7月11日(水曜日)
 昨日の理事会の疲労が拔けてねぇっす。

 書店でふと目についた『妄想戦士ヤマモト』なんてコミックを読んで思った。
 ああ、なんかこんな連中、身近にいるよーな気がする。っていうか、いるな、うん。
 日頃できる限り関り合いになりたくないと強く思っているのだが、不幸にも関らざるをえなくなっている方々ですね。まあ、知り合ってしまったのは過失であって罪ではないからいいけど。

 小林純・岡山大学名誉教授の訃報が流れた。小林教授はイタイイタイ病の原因の究明に功績のあった人物。
 イタイイタイ病といえば、日本の公害病第一号として知られ、その原因がカドミウム汚染であったことは、中学校でも教わることである。しかし、国内でつい数年前まで、カドミウムとイタイイタイ病の因果関係を疑問視する研究や行動が、国の後ろ盾で行われていたという事実があることを知っている人は少ない。
 詳しいことを述べる力は私にはないが、この辺など参照して頂きたい。


2001年7月12日(木曜日)
 昨夜いきなりじゅりちゃんから電話がかかる。
「今東京にいるんやけど、明日夕方から暇ですか?」
 聞けば東京に出張できて、木曜日、金曜日と有給を取ったというではないか。なんと非道な!
 というわけで、じゅりちゃん科学未来館へ送り出し、僕が仕事を終えた後に合流することに。
 終業後、樹利ちゃんから職場に電話。なんでも有楽町線が永田町で止まったとかで、駅の中をうろついているらしい。9番出口から出るようにと指示を出すが、方向音痴菜じゅりちゃんのこと、迎えに行った方が早いと判斷、飛び出す。しかし結果的にこの判斷は誤りで、この直後有楽町線は動きだし、彼は無事麴町駅に到着してしまい、まるで「君の名は」ばりのすれ違いを演じることになってしまった。
 合流後、彼は宣った。
とりあえず『天国に涙はいらない』の3巻を手に入れたい!
 彼の主張はそれだけらしい。
 かくして半蔵門から神保町へ移動し、彼の目的の物の在処へ案内した。

 で、今日はたまたまシューレの学生ゼミの日だったので、有無を言わさずじゅりちゃんを拉致ってそのまま連行する。

 疲れた〜。


2001年7月13日(金曜日)
 朝、前回の反省より、じゅりちゃんの朝は小食ということで、ご飯とほうれん草のお漬し、鮭の切り身に味噌汁という献立にする。「正しい日本の朝」にするためには、ここで納豆が必要となることは言うまでもない。
 買い置きの納豆がちゃんとあるのを確認して、じゅりちゃんに納豆を食べるかと訊いたところ、とんでもない答えが返ってきた。
「納豆は宇宙からやってきた侵略者だ!」
 駄目な奴だと思ってはいたが、ここまで凄いとは思っていなかった。

 昼休み、あまりにも良い天気だったので、これは水辺で涼むべきと思い、清水谷公園へ足を伸ばす。前々からここにある史跡を見たいと思っていたこともあり、一年越しになってしまったが、散策。
 この公園にあるのは、大久保利通の慰靈碑。
 職場があるのは紀尾井町で、大久保利通の暗殺事件といえば「紀尾井坂の変」。明治十一(西暦1878)年5月14日のことである。維新三傑の最後の一人が凶刃に倒れ、生まれたばかりの明治日本の舵取りは、立て役者達から二線級の連中に受け渡され、そして歴史は流れていった。
 聳え立つ巨大な石碑を眺めながら、大久保を思った。
 大久保利通という人物は、薩摩人らしからぬ理路整然とした人物で、正しいと思ったことは誰の反対を押し切ってでも推し進める強さがあった。また清廉潔白で鳴らした人物でもあり、国のために私財を投げうち、不正蓄財とも縁が無かった。版籍奉還や廃藩置県、地租改正などを斷行し、不平士族の乱をことごとく鎭圧し、最後は親友・西郷をも討った。
 恐らく彼のその正しさが、あまりにも正しいがために、彼は殺されたのだと私は思う。私はそんな彼が好きでならない。

 昼休みの後、バイトの娘に「今日、大久保利通の慰靈碑を見てきた」と言ったら、こう返された。「オオクボトシミチって誰ですか?」
 一瞬、私は教育者の道へ邁進すべきなのかもしれない、などと思ってしまった。


2001年7月14日(土曜日)
 午前中に電話があるとの予告があったので、出かけずに家で待っていたのに、結局電話は来なかった。
 お陰で一日予定が立てられなかった。
 こう言っては何だが、やる気あるんだろうか?
 そういうわけで、一日外へ出るわけにもゆかず、家の中に無為に籠っていた。
 ああ、くそ!

 職場のメールアドレスへのダイレクトメールだが、当初から一度送り付けてきたFromアカウントや、常習と見えるSubject形式を次々とフィルタしていった結果、大分事前に処分されるようになってるんだが、最近ヘッダがないやつが増えてきた。
 全く苛々させられる話ではある。SMTP自体がそもそもセキュアじゃないので、根本的なところでの対策がない。
 何事も初期設計が大事、と思ってしまう。


2001年7月15日(日曜日)
 暑い中秋葉原まで出て、夏コミのカタログなんぞ買って来る。しかし……重い……。
 炎天下ということもあってか、流石の歩行者天国の秋葉原も、人の数がやや少なめだった。

 参院選挙の候補者を見ながら、誰に投票すべぇかと考える。とりあえず比例代表は決めた。問題は選挙区の方だが……うむぅ。


2001年7月16日(月曜日)
 関東以外は雨とか降ってるらしいんだけど、とにかく東京はピーカン。最低気温28度ってなんですか?

 最近坂村先生は人文科学に対して喧嘩を売っているようにしか思えない言動を数多くなさっておられるのだが、Bクラだけにしておけば私と口論になるくらいで済むのに、産経新聞の「正論」欄なんぞに書けば、そりゃ反論の一つも喰らうわな。
 というわけで、興味がおありの方は、産経新聞6月24日の坂村先生と7月14日の加地先生の「正論」を比べてみましょう(笑)。
 私は後者がより正論だと思います。


2001年7月17日(火曜日)
 熱発。
 朝起きると、異様なほど寢汗をかいていた。そういえば昨日は頭痛がして関節が痛くてくしゃみも連発していた。もしかして夏風邪でもひいたか、と思って体温を測ってみると、実際熱があった。もっとも、私の場合熱があっても行動力に影響がでるわけではないので、「熱があるだけ」なのだが、大事を取って休むことにした。
 かくして生まれた休養日であった。

2001年7月18日(水曜日)
 てつまさんの本が出ました。おめでとうございます。

 徳間デュアル文庫で火浦功『死に急ぐ奴らの街』が再刊されておりました。火浦功の作品の中で私の一番のお気に入りであったりします。最初は徳間ノベルスMIO……っていつの話だよ。その後一度徳間文庫に收録されたのですが、この度デュアル文庫に再度登場、と。
 なんか加筆訂正でもされてないかなぁとか思って買ったのですが、何もなかったです。ちょっと不満。
 で、結局三種類の『死に急ぐ奴らの街』が手元にあるというわけさね。


2001年7月19日(木曜日)
 示偏に零という字を見た瞬間に思ったわけですよ。
「こんな字見たことがない。衣偏の間違いじゃないのか?」
 とりあえず職場に揃えてある大漢和を引いて示偏に零を搜すが載ってないことを確認。衣偏に零は当然ある。
 やはり誤字か?
 しかしなにしろ文学のためには新字の創作すらも厭わない人達の集まる組織である。もしかすると創作文字である可能性もある。出典不明ながらGTにも收録されてることだし。
 追跡調査は原稿から原簿へと至り、そしてとうとう誤字であることが判明し、一件落着した。衣偏を書かねばならないところを、点が一つ拔けて転記してしまい、誰も気付かぬままに印刷所で作字され印刷されてしまった、と。
 かくして一つの事件は幕を下ろした。
 そしてなぜか私は「コードの鬼」と呼ばれることになってしまった。
 不条理だと思う。

2001年7月20日(金曜日)
 海の日……。できれば来年からはハッピーマンデー法の対象になってほしいものだ。

 こういうクソ暑い日はクーラーを効かせた部屋でビデオをレンタルしてきて鑑賞しよう、と思って実行したところまではいいのだが、選んだタイトルが「ゆきゆきて神軍」というあたり、なにか巨大なミスチョイスをしたような気がしてしかたない。

 さて、先日無事棚板が届き、我が家最大の本棚に棚が1段づつ追加された。ここで、ふと気になる問題が出た。この本棚、棚板の調整ピッチは25mm。棚板自体の厚さが20mm。んでこれを8ピッチで段を区切った。
 ここにB6版の本は入るであろうか?
 計算すると、25mmピッチの8ピッチなので、200mm。ここから棚板自体の厚さの20mmをさっぴくので、空間の高さは180mm。
 JIS規格によるとB6版のサイズは182mm×128.5mm。
 つまり、計算上は入らない
 が、しかし本は見事に收まっているのである。ハラショー。
(別に魔法を使っているわけでも、空間が歪んでいるのでもない)

 この判決を見て、多少思うことあり。
 結構影響が大きい判決だと思うんですよ。なんでかというと、猥褻物を陳列したという基準が「比較的容易にわいせつな画像を再生閲覧することが可能であった」からとしている点ですね。別にそのこと事態にとやかく文句を付けるつもりはないのですが、一体どこから先が「比較的容易」なのかという線引きについては判斷基準が示されてない……。
 正直言えば、戸惑いがありますよ。
 jpeg画像であったとしても、httpサーバ側がMIMEタイプを偽って送ってきたら……とか、インプラントJPEGで画像が送られてきたら……とか、色々考えられるわけですが、一体どこら辺までが「比較的容易」なんでしょーか。
 まあそもそも「猥褻性」の定義そのものがいい加減なものなので、屋上屋根を架してもかまわないという思惑なのかもしれませんが……。
 まがりなりにも情報学で修士号を貰ってしまった人間としては、プロトコルが明示されないデータは情報として看做せるかなどといったことを考えてしまいますです。


2001年7月21日(土曜日)
 色々なんかしようと思っていたのに、結局本を読むだけで終わってしまった一日。
 それはそれで有意義。

2001年7月22日(日曜日)
 連休最終日でもあり、映画を観ようと思い立つ。
 やはり定番の『千と千尋……』かなぁと思って映画館まで行ってみれば長蛇の列。あっさり諦める。
 映画館を見渡して目に付いたのが『Dungeons & Dragons』。
 やはりRoll Playing Gameの原体験といえばD&D®ですよね。まあ、人によっては『ドラゴンランス戦記』だとか『Wizardry』だとかという人もいるかも知れませんが、両方とも源流を辿ればD&D®ですし。(註:この時点で『ドラゴンクエスト』という答えは却下)
 国内では新和から出ていた赤・青・緑・黒の四色持ってますよ、今でも。流石に白や金は持ってませんが。なんかサイト見ると結構変わっているようですね、ルールやなにやら。
 で、映画の方ですが、クソでした、ハイ。

 しょーがないので口直しとばかりに今更ながらJSAを見てきましたです。
 原作小説の方は……って感じだったんですが、映画の方は面白かったです。


2001年7月23日(月曜日)
 帰ろうかなぁと席を立ちかけたところに訃報。

 げに罪深きはビブリオマニアかな(笑)。
 R.O.D.第4巻を読んで思ったりして。
 ああ私はビブリオマニアじゃなくて良かった。


2001年7月24日(火曜日)
 昨日に続いて今日も訃報が。酷暑だかんねぇ……。
 こうなってくると、いよいよ夏の水が心配です。

2001年7月25日(水曜日)
 昨日、通勤途中の路上で、蝉を見た。
 まだ鳴き声など響かぬ裡から、気の早い奴も居たもんだと思っていた。
 ところが一夜明けて見れば! わんわん鳴いてんじゃねーか、蝉っ!
 蝉って案外律義に同期とって地中から出てくるんですね。連中ってどうやってタイミング測ってるんでしょ。

 昼過ぎ、もの凄い雷雨。なんだか被害も大きかったらしく、あちこちで電車が遅れていた。
 個人的には、雷には悪い記憶しかない。なにしろ一発で自宅のPCやらプリンタやらを全滅させて下さったことがある。実家では電話を吹っ飛ばしたことがあった。
 雷雨の中仕事をしながら、今停電でも起きたらどーすんだろーとか思いながら、ふと「XPなら落ちても大丈夫」とかアホなことを考えもした。
 いや、今日はブルースクリーンは二回しか見なかったから、少ない方なんだけどね。

 今日は『究極超人あ〜る』DVD版の発売日。朝からメールで「朝一で手に入れたぞ〜」とかいう駄目なメールを受けつつ、真面目なボクは終業後にアキバへGoです。なぜか手に入れたのが最後の一個だったりするのは不思議です。よほどプレス枚数が少ないんでしょうか。それとも昨日とか今朝とか、駄目な人達が大挙して押し寄せて漁って行ったのでしょうか。なんとなく後者のような気がします。
 とりあえず本編を見たんですが……もう10年経つんですね。このビデオが公開された当時、私はまだ高校生で、それこそ光画部ようにごく平凡な高校生活を送っておりましたが、今では立派なサラリーマンです。
 春高光画部の連中の今を見てみたい気もしますが、R・田中一郎役の塩沢兼人さんが亡くなってしまった今、続編を作ることも難しく、残念な限りです。やっぱあ〜るはあの気の拔けた声じゃないとね……。

 と、いうわけで、藍青6巻だとか星界の戦旗読本だとかも手に入れてたりする。


2001年7月26日(木曜日)
 雲量10のお空で気温もやや下がりぎみ……でも30度は越えているの?

 神保町であさりよしとおの『なつのロケット』をGet。小学生が夏休みの自由研究で液体燃料ロケットを作って衛星を飛ばす話(笑)。宇宙への造詣深い作者らしい作品だが一方であさりよしとお「らしい」ギャグがないのが少々悲しいところ。
 あさりよしとおというとどうしても私などは「木星ピケットライン」とか思ってしまうわけなんだが、よくよく考えると学研で「まんがサイエンス」などを連載していることを鑑みても、一般的には真面目系の作家と思われているのだろうか。
 でもやっぱりほら、「ガンマサイエンス」とか「ラヂオマン」のほーが面白いじゃん……(爆)。

 自宅で寢そべっていたら、対空砲火の音。
 なんじゃらほい、と思って外を見ると、B-17の編隊が……!(大嘘)
 隨分遠くの方、建物の陰になって花火が上がってました。こんな木曜日に?
 足立区の花火大会らしい。方角と距離からして、隅田川か荒川の河川敷か。これが多分上層階なら、そこそこ見れるんじゃなかろうかと思ったが、花火にはあまり興味がないので家に引っ込む。


2001年7月27日(金曜日)
 週末が休日を意味しない生活ってのは考え物だな。
 一体いつからだろう、そおいう生活に陷ってしまったのは。

 明日はBTRON Clubなんだけど、発表をしないので楽ちん。
 今回はネタがないというよりは、発表そのものをしたくなくなったというのが本音。
 何議論したとしても、「美しくない」だの「影響は十分小さい」だの「TRONは私のものだ」とか言われちゃうかと思うとね。少なくともそういう暴論を正面から粉碎できるような体制ができてからでしょう、次の発表は。


2001年7月29日(日曜日)
 昨日はBTRON Clubでした。坂村先生の吠えること吠えること。ええ、例の産経新聞の件なんですがね。
 身から出た錆ですからねぇ。
 健全な懷疑主義が民主主義に云々。
 ああ。
 それは「學而不思則罔 思而不學則殆」ですね。論語ですけど。
 ラテン語だったら「Dubitando ad veritatem venimus」ですかね。Abelardの“Sic et non?”ですけど。
 昔からよく言われてきたことです。
 古典教養って、これ以上古くならないところが凄いですよね。
 ああ、民主主義には全然関係ないんですけど。
 でもまあ、危險な思想だと思うんですよ、坂村先生。最低限の教養ってやつはね。

 カラオケで徹夜をして、帰ってきて投票所へ向かう。投票所になっている小学校ではラジオ体操をやっていたので参加(笑)。7時には投票所の前に列ができる。折り畳みの椅子を持って来ているオジさんがいたりして、なんつーか、ここは有明かい……。
 で、最初に投票する御二人様は、投票箱の中身が空であることを確認するというわけで、私も確認いたしましたよ。
 まあ、一生に一回くらいはやってもいいでしょう、そういうことも。

 午後に起きて、荷物が届いて、映画を鑑に行く。
 池袋まで、何かと前評判の良かった「アリーテ姫」。
 小、中学生向けだけど、よい作品でした。これが単館上映ってのがやるせないね。


2001年7月30日(月曜日)
 数日涼しかったのに、再びどかんと暑い日が戻ってきたって感じ。

 結局小泉さんの人気に対して、自民党以外の党は有効な対抗策を講じられなかったというわけか。人気があることは悪いことじゃない。ただ、小泉内閣が発足以後に何をやったのか、ということに思いを馳せるとき、それほどの人気を得られるようなことをしてきていたであろうかと思うだけで。


2001年7月31日(火曜日)
 今日から北区は平和祈念週間なのだそうである。
 恐らく十年前の私であったら、「祈るだけで平和が来るか。馬鹿馬鹿しい」くらいは言ったことだろう。今の私はそんなことは言わない。せいぜい、「祈るだけで平和が来るんなら廉いもんじゃん。タダだし」と言って努力しない範囲で祈るくらいだ。もちろん何も期待していないが。
 人間進歩するものである。この十年の自分の足跡を思うと目眩がしそうだ。

 終業後、「千と千尋の神隠し」を観にいきました。
 前回の「もののけ姫」が大河浪漫であるならば、今回のは冒險成長劇ですかね。必要な要素がきちっと詰まった、等身大のお話。
 私がとても良いなと思ったところは、千尋の体の動きですね。典型的な都会のモヤシっ子で、体を自在に動かすことができない感じがよく出ていました。「体の動かし方が下手な子」というのがアニメで表現できるって凄いことです。
 あ、そだそだ。
 千尋ちゃんはポニテです。

 映画を観る前に本屋に寄ったら、遅れていた茅田砂胡の『桐原家の人々4』が出ていたのでGet。家に着くまでにRead。