このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、並びにパーソナルメディア社は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。
一日家に居て、殆ど外出しなかった。買い物に行ったくらい。たまにはこういう日曜日も作らないと、体が保たんよね。私は殷墟隠居が必要な人ですから。
ぽちぽちとキーボードを叩きつつ、色々考えるが、まとまらず。
夜は電話で駄弁る。
まったりと過ごした日曜日。
数日前なんですが、「自宅の権利証の字が消える ワープロ感熱紙が原因」なんて報道がasahi.comでありました。感熱紙に印刷した登記済証が消えてしまうなんて言われても、元々感熱紙なんてそんなもんじゃん…とか思わなくもないです。歴史学徒にとっては情報媒体学は結構大切な学問分野で、何しろ紙や紙以前、最近だと紙以外を相手に文献史学を繰り広げるのはなかなか大変なのです。
この記事の内容から考えるに、記録媒体に対する配慮など一切ない奴が行政内部に存在することは間違いないようなので、政府部内の文書でも感熱紙があるかもしれない。やだなぁ。情報公開申請したら、色褪せて茶ばんだ感熱紙がファイルになって出てきたりして。当然何書いてあったか不明とか。
その点、奈良時代のお役所は木簡に墨で書いてましたから、保存状態さえ良ければ1,000年経っても読めますからね。きっと先見の明があったのでしょう(違)。
紙で長期保存を考えるなら、和紙に墨で書いて漆に浸すのが良いでしょう。それで1,000年くらいは保ちます。肉眼では読めなくなりますが、そのうち赤外線が見える人間とか生まれそうだし……。
和紙に墨というインクジェットプリンタどっか作らんかな……。
「「暴力ゲームも言論の自由」の控訴審判決」という報道。この手の規制の存在自体が私の理解の範疇の外だったりするのですが、まだまだ上告が残っているので油斷は禁物ですね。
社会を潔癖にしておきたいという一部の清教徒な方々の意見も分からんではないですが、そうやって大人になったからといって犯罪者にならないというわけでもあるまいに。
それより、虚構は虚構、現実は現実ときちんと分けて考えられるように教えないと駄目でしょ。
創竜伝の13巻なんぞを読み始めて思うわけです。
完全に話の筋を忘れているよ……。
ていうか、12巻出たのいつだっけ?
……。
すっかり遅筆作家としての名声を不動のものにしていますな。
他人の作品をどうこうしている場合じゃなくて、夏コミに向けてスパートかけにゃならんだろうが>自分
土曜日西地区“ほ”‐25aです。
πちゃんによるとMATRIX Reloadedは私好みのアクションシーンがあるということなので観に行きたいと思いつつも、そんな時間どこに取れるんだよと思わなくもない。
実はまだ書架の整理が終わっていないのだが、分類配架を進行させている裡に、とある本が2冊出てきた。それも1,500円もするようなハードカバーが。
積読が増えるとどうしてもこういうことが起きてしまいがち。頑張って未読を消化しようと心に決めつつ、当該本は目前にあった段ボール箱に何も考えずに放り込んで処分することにした。
NHKスペシャル「東京女子医科大学病院〜医療の現場で何が起きているか〜」を興味深く視聴。
医療事故とその隠蔽で医師が証拠隠滅と業務上過失致死に問われるという、日本の医療史上に残る事件を起こした東京女子医科大学病院の、「その後」が描かれていました。
事故後の意識改革、安全衛生管理室の設立とリスクマネージャたちの奮鬪ぶりは充分に評価に価するし、それなりに成果も上げているようでしたが……免責を伴う自発的安全報告制度で事故報告を集め、対策を考え、再発を防止するという体制は、航空機パイロットでは大分前に導入されていたと記憶しているのですがねぇ。事故学や安全学においても、大事故にならなかったが繫がりかねないような事故や過誤については、その事例を蒐集し、対策を講じる方が重要とされます。
以前この日記でハインリッヒの法則を紹介したことがありますが、この程度は危機管理の基本中の基本だと思うんだけどね。
この国では安全と危險があたかもデジタル二値であるかのように語られることが多すぎると常々思ってるんですけどなんでなんでしょうか。
組織改革の方では……うーん。
結局、組織って放っておくと腐るんですよ。組織は個人の力を糾合してより大きな仕事を可能とすることが存在意義の一つであると思うのですが、組織が必要とする個人と、組織を必要とする個人の間には結構大きな隔たりがあったりするわけです。
一般的な営利企業なら、アンバランスはある種の衝動がそれを是正する方向に動く、あるいは会社そのものが消滅するという形でケリが着くんでしょうが、それとて、不健全な組織が淘汰される健全な市場あってのことですからね。畢竟、商法や独占禁止法や税制はそれらを後押しせにゃならんのですが……「例外」においては、いかにして健全性を維持するのかという問題が残るわけですね。
個々人のモラルが非常に高い社会や、とんでもなく景気が良い社会なら無視できた問題なんでしょうけどね。
無事新刊を手に入れたあと、秋葉原へ回る。某とらのあなへ行ってみると、マリみてと並んで紺野キタが紹介されててびっくり。もしかしてこのままメジャー化?(爆)
そういえば、結局「コミックFantasy」買ったんですけど……なんというか、編集というかデザインの方の質を維持するのが困難なんだなぁと。
吹き出しの中のネームをアンチGにすることにも不自由している様子を見ると、改めて出版というものが必要とする設備(含む人員)というものを考えさせられます。
そりゃまあ、同人コミックの編集に写研のハヤテなんか使えるわけないけどさー。
サポセン.comがトレンドマイクロのフィルタリングソフトで「反社会的」とされている問題。
「サポセン.comが反社会的なら、このページなんてどうなるよ」とか思ったりしますが、「見せたくない」という気持ちだけは分かりますな(笑)。
でも私が.htaccessにdeny fromを書き加えるのとはワケが違いますよね。なんたって金払って売ってるモノの話なわけですから、「反社会的だ」と斷言してその判斷を顧客に押し付ける以上、公にその基準を提示し、サポセン.comがその基準に合致することを説明せにゃならんでしょうよ。少なくとも私にはサポセン.comが「軍事、戦争、武器、兵器等に関するサイト。テロ、反体制派グループに関するサイト。」であるようには見えません。
公開されていない基準が存在するというならンな商品は使えません。唯の検閲じゃん。
相変わらずぶっとんでる「ホーリー・ブラウニー」の2巻に笑い転げつつ、冴木忍の新刊が積読の山の頂点に据えられた一日。やることが増えると覿面に読書量が減るなぁ、最近(涙)。
寢ないで済むクスリとか、一日が48時間になる魔法の道具とか、もう一人の自分とか欲しいです。
しょーがないから、読書速度をまた上げるしかないかぁ……。
本棚の収容力に余裕があるのが、唯一の慰めやね。
韓国語版の「ほしのこえ」(韓題「$(C紺税 $(C8q
国内で取り扱っている店はないものか。秋葉原のsaleにはなかったからなぁ。
誰かに頼むしかないのか……。
え? リージョンコード? 何それ? おいしい?(爆)
なんか6月の20日で、Unisysが持つLZWの特許(於米国)が消尽するらしいですね。めでたいことです。人類の知的生産物は、最期には人類の公益に付されねばならないのですよ。
この特許については、ZIPやLHAがグレーゾーン扱いされたりなんたりと、色々迷惑を被りましたよね。GIFにいきなり金をせびってきたりとか。あんなこともこんなことも、「何もかもみな懐かしい」となるわけですな。
しかしかつてはあれほど圧縮率を競っていた圧縮アルゴリズムたちも、最近は見かけることも少なくなりましたね。ZIP、GNU Zip、LHA、bz2、cab、7zip、DGCAくらいかなぁ、比較的よく見るのは。
まあ、100GBオーダーのHDDが市場に溢れる昨今に、数パーセントの圧縮率の差がなんぼのもんじゃいという話はある意味正論なわけではあるのですが……。
でもやっぱり、メールに.docやら.xlsやらが剥き身で添付されてくるのはどうかと思うのですよ。ネットワークトラフィックにも影響するだろうし。
しかし、最近だと圧縮してファイル送ると、相手から「ダブルクリックしても開けません」とか、こっちが死にたくなるような返事が返ってくることもあるんだよな、これが……。
ちなみに、某社の文字コード担当者から直接聞いた話では、某ブラウザではISO-2022-JP-2を積極的にサポートする気はないということでした。
というわけで、シェア率90%以上とかいうブラウザではうちのページが文字化けしますが、知ったことではないのです(炸裂)。
OSと言えば、「Windows 98/98SEパッケージ版の無償サポート、6月30日に終了」という話でしたね。企業なんかじゃWindows 98十分現役選手だと思うんですが、どうすんでしょうかね。いくらコンピュータ業界がDog Year(元流行語(笑))だとか言っても、残るものは残りますからね。っていうか、一度導入されたシステムの場合、古くなろうがなんだろうが、10年やそこら動くのは当然だと思うのですが……(Windows 9xは業務用OSではないので、業務に使用している方が悪いと言われりゃそこまでですが)。
本来、ソフトウェアの寿命って、こんな短くはないよなぁ。
いわんや、データウェアをや。(合掌)
きさらちゃんが日記に「私はスクランブルは好きです。」と書いているのを見て、「駄目じゃん」と思う。人間やはり安逸たる生活をよしとし、波風なく波乱なく、穏やかな人生を歩むことこそ望ましかりけれ。平凡こそ、もっとも尊ぶべきものですよ、ええ。そしてさっさと隠居して、誰にも知られずにひっそりと消えていくのが、人間として正しい姿だと思いませんか?
まさに私のあるべき姿と言えましょう。
なんか面倒くさい件で上京してきている某デムパ。自分が休みだからって、日中電話かけてこられても、俺はまじめに仕事してるに決まってるだろう!
まあ、きさらちゃんの言い分も分からなくはありません。僕だってたまには平凡な人生に厭いて、発作的に要らぬ冒險をしでかすことだってありますから。
というわけで、ふらっとセブン・イレブンに寄ったら、一部で非常に有名な「バニラコカコーラ」があったので、十数秒の逡巡の後に、購入してしまいました。
アメリカ人ってよくこんなもん飲んでられるなぁっていうのが正直な感想です。
今更驚くことじゃなくて、過去にも何度も驚かされたことだし、これからも驚かされるんでしょうけど。アメリカの食文化に触れる度に、日本人の味覚って保守的だなぁという思いを新たにしますです。
九州新幹線で使う800系の車両がお目見えしたそうで。前々から思ってたんですけど、JR九州の車輛デザインって、統一性はあるんですけど、統一性があれば美しいわけじゃないって感じてしまいます。要するに、趣味じゃないです。
ま、もっとも、僕は鉄じゃないけどね。
今日のNHKスペシャルは「文明の道」の第三回で、「ガンダーラ 仏教飛翔の地」でした。厳しい戒律と修行を旨としていた古代仏教が、いかにして大乗教へと変化していったかという感じの話でしたが、いやはや。俗世と権力に塗れていく仏教の姿が微笑ましかったですネ。
古代仏教が仏像も持たず、法輪を崇めて厳しい修行の果ての悟りを目指していたなんていうフレーズで私が思い起こしたのは、一休宗純でした。ある意味、同じ仏教の僧侶とは思えない、それはもう対極に位置するなぁ、と。
まさか日本人で一休宗純を知らない人はいないとは思いますが、一休和尚は室町末期に生きた臨済宗大徳寺派の僧侶なんですが……まあ、とんでもない逸話には事欠かない人です。一般にはアニメになった頓知の利いた小坊主という印象が強いようですが、実際には歳を喰ってからロクでもない行状を繰り返した破戒僧で、仏教界の鼻つまみ者と言っても過言じゃない人だったようです。そのくせ民衆からの支持は絶大で、応仁の乱で焼失した大徳寺を再建するために第47世住持(住職)になって尽力したり、しかし再建後出奔したりと、波乱万丈の人生を満喫して87才の生涯を閉じました。肉食、飲酒、女犯と、堂々と戒律を破りまくり、襤褸を纏い、80を過ぎてから若い嫁さんを貰い、死に際に「死にとうない」と駄々をこねた一休宗純和尚と、厳しい戒律と修行を積む古代仏教の僧を対比すると、仏教って一体なんだろうとか思いますね。
「九年まで坐禪するこそ地獄なれ 虚空の土となれるその身は」
壁に向かって九年座禪を組んで悟りを開いたのは達磨大師ですが、一休和尚はこんな歌を歌って、苦しい修行を積んで悟りを開いても人間死んだら土になるととんでもないことを言うとるわけです。一休和尚の説法というのは、全体的にこんな感じでしてね…(^^;…彼の生きざまと重ね合わせると、「ああ、当時の仏教界のお偉いがたは、こんな人がいて大変苦労しただろうな」と深く同情したりしますね。
破天荒な変人というのは、可能な限り遠いところから生暖かく見守るのが良いですよ。
以前取り上げた、捕まえた万引き少年が逃げ出した挙げ句電車に轢かれてしまい、捕まえた古書店側がショックで店閉めそうになった件ですが、残念なことに結局店を畳むことになったようです。報道によると、その後も何件か万引き事件が起きたが、注意することができなくなってしまったとのこと。完全に心理的外傷になってしまっていたんですね。
なんか某所で一休さんの相方である蜷川新右衛門親当についても「解説しろ」というお達しがあったので、ちと解説。
アニメでは一休さんの世話役みたいなことをしていた新右衛門さんですが、不幸なことに実在の人物です。しかも室町幕府の政所代にまで上り詰めた一廉の人物だったのです。蜷川一族の出身は越中新川郡……つまり、富山県東部でして、私の故郷の近くです(^^;。生年不詳で、1448年没と伝えられます。一休和尚が1394年生、1481年没ですから、隨分先に亡くなったことがわかります。しかし一休和尚が当時からして非常識なほど長生きした人であること、新右衛門さんの息子・親元も55才で没していることなどを考えても、一休和尚とそう大して変わらない歳であったのではないかと思いますが、どうなんでしょう。
この人が生前本当に一休和尚と親交があったのかどうか、直接的な資料はないんですよね、実は。ただ、どうも連歌を通じて大徳寺と関連があったらしく(大徳寺は茶の湯や和歌などに深い影響を与えたお寺です)、無関係ではないらしい。
じゃあなんで一休さんときたら新右衛門さんというくらいのコンビ扱いされるのかというと、江戸時代に成立した「一休狂歌問答」という本で、一休さんの相方に選ばれたからなんですね。一休和尚は奇行で知られた変人で、その奇人っぷりは時代を超えて語り継がれ、江戸時代にはとうとう頓知話をはじめとする創作世界のキャラクターとなりおおせたのですが、その時に、どういう因果か相方に選ばれてしまったということのようです。
ついでに、一休宗純が後小松天皇の落胤だという説についてですが、当然のように証拠なんぞありません。ただ、当時それほど珍しいことでもなかったんですよ、やんごとないお方の妾腹を寺に出すってのはね。その関係で、寺の格があったりなかったりとか政治関係がどうのこうのと、まあ、色々どろどろしたことがあったわけです。狂態晒して天に唾吐き、権力を小馬鹿に権威を足蹴にする一休和尚が、一向に当局にとっ捕まらないことなどから、あの人は貴種だから手が出せないんだ的な伝説が生まれたのだと思います。実際どうだったのかは不明です。
でもねぇ、なんだかんだで大徳寺の住職になったり蓮如上人と親交が厚かったり政所代蜷川親当と縁があったりしたら、そりゃ木っ端役人には手出せないっしょ。
世の中には、お近づきになりたくないタイプの「凄い人」っていますよね(笑)。
「シャープ、J-フォン向け電子書籍配信サービス」なんて報道を見て思うわけですが、携帯の画面でまとまった文章を読もうなんて考える人間がどのくらいいるんでしょうかね。確かに携帯電話のディスプレイの高解像度化は留まるところを知らぬようはありますが……。そういえばモリサワが低解像度用スケーラブルフォントとか発表してたなぁ。確かに、そろそろ、ビットマップフォントだけじゃきつくなってきているとは思うのですが……。うーん。スケーラブルフォントの展開までやる携帯電話か。そのうち、素手で持てないほどの熱を出しそうだな。
Wireless T-Engineって、そういう意味では、確かに必要なのかも。
「32ドットビットマップフォントの無断複製について」を読んで、おりょりょりょ、と。勿論無斷複製はやっちゃいけないことだし、フォントの公開停止もやむなしと思うのですが、ここで問題になるのは残念ながら知的所有権ではなくて、不正競争防止法なんだよな、と。それすらも成立するか怪しいけど(フォントをコピーした側が、された側の商行為を明確に阻害したという事実が認められない)。追記:不正競争防止法の時効は基本的に3年でした。
現行の著作権法も最高裁判決も、日本ではフォントに著作権が成立しないことを示しています。(狩野さんが知らないとは思わないけど)
フォントに著作権が認められるべきかどうかというのは非常に悩ましい問題で、文字の視覚イメージたるフォントフェイスには、デザイナーの独創性が大きく反映します。しかし最高裁が言っているように、文字である以上読まれねばならならず、既存の文字の字体(Glyph)を踏襲せねばならないので、デザイン上の大きな制約があります。秀逸な書体と劣悪な書体があるのは、全くの事実です。であれば、当然より良い書体がより高い価値を持つわけです。しかしこれの盗作が許されるとなると、一書体数億円と言われるフォントの開発費(モリサワ談)の回收が覚束なくなる。そうなると誰も良いフォントの作製に投資しようとしなくなり……という悪循環に陷る。それは避けたい。
私は基本的に最高裁判決を支持していて、フォントに著作権は成立しないと思っています。だからといって、今回のようなフォントのコピーが許されるとも思っていません(たしか昔フォントコピーして訴訟になったのがあったと思うが……)。結局法律の問題じゃないって辺りが、とても難しいです。
しっかし……これまで誰も気づかなかったという所が、問題の根深さを感じさせますよ。
タイプフェイス周りの法律、判例、条約には結構目を通していると思うのだが、勿論私は法律の専門家じゃないので、間違いもあると思う。最後は自分で原文を読んで判斷してね。
家中ひっくり返して、「タイプフェイスの保護及びその国際寄託に関するウィーン協定」の訳文を発掘。この協定(条約)はタイプデザイナにごくごく小さな権利、言ってしまえば、タイプフェイスを丸ごとコピーしたりしたタイプフェイスを作ったりすることを禁じる権利を認めているくらいのものだ。第8条(4)に「タイプフェイスを獲得した者が、テキストを組む通常の過程で、タイプフェイスの構成要素を製造することは、(1)(I)項の意味する複製とはみなさない。」とあるので、通常の利用にはなんら問題ない。金属活字時代の条約なので些かわかりにくいと思われるので解説すると、ここでいう「タイプフェイス」は字母一揃いのことなので、欧米ならば最低でもアルファベット一揃えという意味。なので、「タイプフェイスの構成要素」というのは、その一揃えの要素なので、個々の文字を指す。これを「製造する」というのは、モノタイプを想像して貰えばいい。一応念のために解説しておくと、モノタイプというのは、穿孔テープを読ませると鉛のインゴットから組上がった状態の活字塊を作ってくれる、それはそれは凄い機械のことである。概ね欧文組版で使われたが、実は和文モノタイプなんて恐ろしいものもあった。どっちにしろ私が生まれる前の話だ。脱線が長くなったが、要するに保護対象はあくまで「一揃え揃った状態でのタイプフェイス」であり、個々の印刷利用については自由ということだ。
このくらいが妥協点としては良いのではないかと愚考する。
それとついでに昨日の日記で書いた「不正競争防止法で〜」の件だが、「不正競争仮処分申請却下決定に対する抗告事件 東京高裁平五(ラ)五九四号」が判例だった。最高裁のページでは検索しても出てこないようだ。原審は「東京地裁平二(ヨ)二六〇〇号」。これも出てこない。なんでだ? ともかく、手元のコピー(紙媒体)を要約すると、“コンピュータ、ワードプロセッサ等のソフトウエアの開発、販売を業とする”被告がモリサワのデジタルフォントを勝手に自分たちのプリンタと一緒に、しかもフォント名も変えて販売したというもの。この裁判は不正競争防止法で争われ、モリサワ側の意見がある程度通って、保全処置が取られた。ただしこれはあくまで「他人ノ商品ト混同ヲ生ゼシムル行為」に該当すると判斷されたからであって、今回の一件にそのまま援用できるかどうかについては、判斷できない。なにしろ何年もの間、誰も指摘しなかったのだから……。追記:不正競争防止法の時効は基本的に3年でした。
言っておくが、バレなきゃいいという話ではない。あくまで法的な話。
「TrueTypeなどのベクトルフォントのデータファイルはプログラムの著作物として認められる」という意見が今回の一件で散見されたのだが、私の知る限り、国内でこの見解が採用された判例はない。ので、あくまで「そういう考えもある」程度に思っておかないと危ういだろう。本質的な部分では「H12.09.07 第一小法廷・判決 平成10(受)332 著作権侵害差止等請求本訴、同反訴事件」でざくっとやられちゃっているから。
正直言えば、「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち」的な詭弁だと思う。TTFがプログラムなら、HTMLだって立派なプログラムだろう。ましてや、PostScriptで書かれた版下データなんぞは、見事なまでに「プログラムの著作物」と主張できることだろう。
というわけで、境界不明瞭な怪し気な論法なので、使い方はよくよく考えた方がいいと思う。今回がその時だとは思わない。
あくまで正道は、「タイプフェイスの保護及びその国際寄託に関するウィーン協定」のような方向ではないかと思うわけ。
酒井さんの15日の日記で「スパイ・ゾルゲ」が面白かったとあったので仕事帰りに観に行った。
確かに面白かった。
しかし映画の内容よりも、郷愁が先に立つ。私の研究フィールドだよ……。
日本現代史、それも日中戦争期の外交政策なんぞを研究していた身分ですので、満鉄調査部だとか海軍上海特務機関だとか、スクリーンの中は懐かしいもので一杯でした。
懐かしがってちゃいけないんだけどな。
「夢があるから、生きられる。理想があるから、死ねる」というキャッチは、嫌ですね。まるで俺に死ねと言っているみたいじゃないか。映画観てて今の自分の仕事のことが重なり合うってのは、嫌な現象だ。
先日「子供たちが触って弄って最悪ぶっ壊してもいいような、中古のノートパソコン(教材用)もどっかから入手せんとな……。」なんて書いたら、予定調和なのか、なんなのか、いきなり「アインシュタインプロジェクトとパーソナルメディア、中古パソコンのリサイクルに『超漢字4』の利用で合意」なんて報道が。
こういう「非公的」教育機関では、OSやアプリケーションのライセンス料金て小さくない負担なんですよ。
はっぴぃさんが日記で冷風機を買ったと書いているのを見て、世の中にはそんな面白い機械があるのかと驚いた。世事に疎いよ>自分
インドから中東にかけて、染み出した水の気化熱で周囲の空気と甕の中の水を冷やす薄い素焼きの甕なんてものが、古くから存在しています。日本では園芸で使う水冷鉢なんかが同じ原理です。缶ビールなんかを急いで冷やしたいときに、キッチンペーパーを巻いて水で濡らし、適度に絞ってから冷蔵庫に入れるのも同じです。
水の気化熱は539 cal/gと結構大きいのです。
これを応用したのが、消火活動で使われる「インパルス消火器」と言うやつで、水を非常に細かい粒子状にして噴射することにより、より効率的に気化熱で燃焼熱を奪おうというわけですね。
身近な暮らしの科学講座でした♪
文科省の『平成14年度「国語に関する世論調査」の結果について』を読む。
日本人の国語力についての課題の項目で、社会全般の課題として、「考えをまとめ文章を構成する能力」を挙げている人が36.0%なのに対し、「論理的に考える能力」を挙げている人が18.3%というのに、些か驚く。この両者は因果関係にあるものなので、両方とも同じ率になる筈のものなのではなかろうか。論理的に考えることができなければ、考えを纏め文章を構成することなどできまいに……。
私の見るところ、「考えをまとめ文章を構成する能力」に欠ける人は概ね「論理的に考える能力」に欠陷があるものだが、この結果を見ると「論理的に考える能力」には問題がないが、「考えをまとめ文章を構成する能力」に欠ける人が少なくないと考えられているということなのだろう。
一ヶ月の読書量についての調査では、全く読まないが37.6%、1〜10冊が58.1%、11冊〜20冊が2.6%、21冊〜30冊が0.7%、31冊以上が0.4%という分布になっている。こうなると、1〜10冊をもう少し細かく分類したいと思わなくもないが、それ以上に全く読まない人が37.6%というのには驚かされる。出版文化の維持、振興を考えると、この人たちにいかに本を読んで貰うかが鍵になりそうだ。年齡別・男女別の比率も見たいのだが、これは報告書を買って読むしかないかな。
カタカナ語については、やや調査が的外れなのではないかと思った。カタカナ語が「好ましいか好ましくないか」というのは、私としてはどうでも良い。重要なのは「通じるか通じないか」だ。今回の調査で重要なのは、抽出調査された120のカタカナ語のうち、認知率が80%を越えた単語が12語しかないことだ。この日記に限らず、私が書く文章にはカタカナ語が少ないとよく指摘を受けるが、このような状況でカタカナ語を積極的に用いるのは、意思の疎通を目的とする場合、不適当ということになる。
日本語は古来外来語を大量に取り入れて来た言語なので、今更英語の外来語が増えようが大した問題ではないと考えるが、意味の通じない怪し気な単語が跋扈するのは御免被りたい。
そういう意味では、国立国語研究所の「外来語」委員会も、言い換えだけではなくて、積極的に外来語の教育の方にも目を向けてほしいと思う。
国立国語研究所と言えば、情報処理学会と日本規格協会と合同で「日本語処理基盤環境整備プロジェクト」なんてのをやってます。e-Japan計画重点計画 2002の「行政の情報化及び公共分野における情報通信技術の活用の推進」にある「文字情報・コードの整備等」に当たるプロジェクトです。当然、今年も継続されています。ざっくりと言うと、政府内に存在するJIS外字を全部かき集めてきて整理分類しようという気宇壮大な話です。もっとも、なぜか漢字処理とか多言語処理ではこういう暴虎馮河な案件って多いので、特別な話ではありません。不思議なことです。
それはともかく、国立国語研究所が戦後アメリカ教育使節団報告書を基に、国語及び国民の言語生活に関する科学的調査研究を行い、国語の合理化の確実な基礎を築くための事業を行う機関として設置され、漢字制限など国語改革の旗振り役となってきたことを考えるに、国語研が数万字の漢字をどう扱うかの研究に駆り出されるなんて、皮肉な話だと思いますね。
それより何より、普通こういうことは規格を作る前にするものだろうと思うのですが、78年にJIS C 6226(当時)が制定されて以来四半世紀を経てやっとこさですからね。一体今まで何をやってたんだと言いたくなる向きもあるでしょう。特に、JIS X 0213策定時のすったもんだを思えば。
JIS X 0213は今年中に改定予定、Unicodeは4.0が登場し、住基ネットコードはアレで、政府がコレで、さらなる混乱が招来されそうなヨ・カ・ン♪ 絶望して首吊りたくなるよね。
東京電力の「でんき予報」が始まった。原因となった事件については弁解の余地はないと思うが、これを契機に電力需給への興味を喚起しようという企図は評価したい。
本質的な問題解決ではないことは重々承知だが、省電力に務めること自体は悪いことじゃない。問題があるとすれば、省電力にかかる費用が、往々にして節約される電力料金より高くなることだが……。費用対効果が全てだというつもりはないが、自発的かつ効率的に省電力を推進しようと思うならば、省電力への取り組みが数字、とりわけ金錢的数値という形で利益になるような社会を作ってしまうのが手っ取り早い。経済活動全体にとってはマイナスになりかねないのが些か難点か。
外にも電力生産におけるEPT(Energy Payback Time)の評価とか、後始末を含めたトータルコストの算出とか、色々手段はありそうなものだが、きっと電力会社が不利になるから駄目なんだろうなぁ。原発だって、「今後200年は確実に食いっぱぐれない(後始末料を徴収し続けられる)」とかいうのが目的っぽいし。
自分たちの仕事を自分たちで増やしていく会社って、私には理解不能だわ。
超漢字のファイル変換小物って、ISO-2022-JP-2のテキストを自動判別任せでコンバートすると文字化けするのね。わかりにくいけど、ちゃんと取扱説明書にもそれらしきこと書いてあったわ……。
朝、NHKの気象情報で「横浜は今雨。都心部ももう暫くで雨が降ってくるでしょう」とか言ってたので、これは濡れないうちに出社してしまうのが吉であろうと少し早めに家を出る。
その結果、いつも以上の満員電車の中で本を読むことも適わず、新宿に着いてみれば雨は既に降り始め。駄目駄目でした。
しょーがないので、入手したての小川一水の新刊など読みふけってみる。イラストが幸村誠って辺りがいいですよね。
RIAAがとうとうファイル交換ユーザを対象とした訴訟に踏み切るそうで。なんというか……結果的に自分たちの市場を荒らすことになるんじゃないか? 気持ちはわからんでもないが。
この問題の頭の痛いところは、末端のファイル交換ユーザは営利目的でやってるわけじゃないところなんだよな。だからRIAAの主張する「逸失利益」とやらの根拠も曖昧だ。ファイル交換が全面的に違法になったら、現在のファイル交換ユーザはCDを買うか?と問われてYesとはとても答えられない。勿論、現状が好ましいとも思わない。
結局の所、正当な対価を払って同様なサービスが合法的に受けられるようになるまで、この鼬ごっこは続くでしょうね。
『「セキュアOSに関する調査研究会」の開催』の名簿に坂村先生と泉名社長の名前。坂村先生はともかく、泉名[ピー]MC社長が……? 超漢字は別にオープンソースじゃないし、セキュアでもないよなぁ。
まがりなりにも国産PC OSを作ってる会社ってことで呼ばれたんだろーか。
しかし検討項目に「文字コード」が入っている辺りが嫌らしい。
一体いくつの文字コードプロジェクトを同時に走らせりゃ気が済むんですかね?>政府
納税者として言いたいっ。税金を無駄遣いすんなーっ。
国立科学博物館の科学史学校へ行く。お題は、「知的財産権の技術史」。前の職場でせっかく実務に携わったんだから、知識の更新と深化くらいはしとかないとね。もっとも、こういった努力が人生を豊かにしてくれるのかどうかについては、疑問を覚える所がないでもない。
なんか質疑応答で、講演者の回答に勝手に補足をばしばしつけてた気もしますが、気にしないことにします。
そんで下北沢のTollywoodへ行って、韓国語版&英語版の「ほしのこえ」を見てきました。
韓国語版。観ててかなり気分が悪くなりました。まずノボルが$(C重酔、ミカコが$(C耕蟹と改名されている辺りからかなり気に障ったんですが、文字という文字が、偏執的な執拗さを以て書き換えられたり塗り潰されたりしているのには、かなりの問題を感じました。メールの文面が韓国語に訳されているのは、まだ好意的に解釈もできます。でも、なんでコンビニの看板やバス停の標識が書き換えられたり、黒板の文字が塗り潰されたりしなきゃいけないのか? 物語の最初に入る監督やキャストやもともろのテロップが消されているのか? どうしてちゃんとした著作権者の掲示がないのか?
はっきり言いますと、「ほしのこえ」が日本製のアニメであるこことを隠そうとしているように見えました。
韓国人という連中は、日本人の著作物はぞんざいに扱って良いと考えているのではないかと、疑いたくなります。
英語版の方は……うーん。台詞のせいで、ミカコの性格が相当違って見えるっス。特に戦闘時の……。
他にも、メールとか日本語のままなので、その分モノローグで説明しなきゃいけなかったりとか、色々工夫されてはいました。こちらは良いか悪いかは一概には言えないかと。
NHKスペシャルは「“人口減少社会”とどう向き合うか」だった。観ててたまんなかった。私自身は独身で、子供もいないし作る予定もないわけですので、人口減少社会に少なからず貢献しているクチなのですが、それだけに少子化・超高齢化社会というものに対して真剣に考えなければいけないと考えています。
この問題って、昨日今日の問題じゃなくて、もう10年以上も前から極めて数学的に予測され、問題になってきたものなわけですよ。それが今になってもまだ出生率が下げ止まらないなどと、無為無策ぶりを曝け出されてもこの国の政府は本当に無能なんじゃないかと疑いたくなるだけですよ、本当に。
10年後、20年後の日本を真剣に心配してくれ>政治家
先日のことだが、きづきあきらが初単行本『モン・スール』を出していた。これまた同人時代から読んでる人(^^;。コミックGumで描いているのは見ていたのだが、オンラインコミックで連載していたとは。
NHKスペシャルの「地球市場」は、人材の国境を越えた流動の話だった。日本もこのまま少子高齢化が進行すれば、いつか労働市場の開放を考えなければいけなくなる。その時日本語が一つの障害になることは間違いないだろうが、これはつまり日本語が障害として取り除かれる可能性を示唆する。将来における話者人口の急速な減少が推測可能な状態にあるという意味で、日本語は現在消滅の危機に瀕している言語なのだ。日本語だけではなく、世界では今多くの言語が危機に瀕している。これを“自然な流れだ”と諦観することもできるし、敢えて逆らうこともできるだろう。
技術が、なんらかの一助を与えてくれることを、切に望んでやまない。
相変わらず燻ぶり続けている(ていうか燃え盛っている)SCO問題ですが、「オープンソース支持者がSCO本社前で抗議デモ」ってニュースは、ニュースそのものではなく、その中の表現が僕を打ちのめしたのでした。
『DOSは、世界のPCの95%以上で実行されているWindowsの前身となったOS。』
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