このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、パーソナルメディア社、並びにYRPユビキタス・ネットワーキング研究所は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。
三菱自工がMINICAB-MiEVの予約受付を開始。
MINICAB-MiEVは2月に実車を見ましたが、いろいろ「改造車」的な雰囲気の拔けない車でしたが、果たして12月とされる販売までにどの程度改良されるか。別に商用車だからそのままでもいいんでしょうけど。
ただ、ガソリン車のMINICABを改造する関係上、EVとしては余り最適化された機器配置になっていないことが、些か気になるところです。内燃機関では無視していいくらいの損失も、EVでは結構大きく響いてきますからね。また、制御の妙技を見せられた後ですからして、後発組にはより高いレベルが求められる所。
3月に日本へ引き渡され、3月11日のあの日に日本へと遙遙移送されてきたソマリアの海賊四人衆のうち三人が、裁判員裁判にかかることになった、と。うち一人は未成年なので家裁へ。
本当のところ、これ裁判が成立するのかね……。
日本国内にソマリ語の通訳が出来る人がどの程度いて、検察にしろ弁護士にしろ、地球の裏みたいな所で起こった事件の証拠やら証言やらを取りまとめて裁判員が判断するわけか。
大変失礼だが、裁判員に選ばれたら災難だよ。
さて、夏の節電に向けて、次は自宅サーバの更新だな。SSDの低消費電力モデルにiSCSIストレージの組み合わせでなんとか。
NHK新BS1の「ドキュメンタリーWAVE」第1回「タイヤにモーターが入るとき 〜密着!新型電気自動車〜」の出来が恐ろしく悪かった件。
制作側が電気自動車の歴史を知らないのがこれほど明白な番組ってなんだろうとか。
イン・ホイール・モータを「新しい技術」と呼んでみたり(IWMはポルシェ博士のローナーポルシェ以来の伝統的な技術です)、アウターロータ式のモータを自動車に搭載例がないと言ってみたり(三菱が試作車で昔やってる)。
あまりの出来の悪さに、NHKに投書してやろうかとか。
次回以降は見ないな、これは。
そんなに水道水の放射能が恐ければ、逆浸透膜の浄水装置でも使えばいいんじゃないか、と思って検索してみたら、家庭用の逆浸透膜浄水器ってちゃんとあるのね。いやー、大したものだわ。
毎年楽しみにしていた国立科学博物館新宿分館のオープンラボが中止になってしょぼーん。
科博新宿分館はつくばへの移転が決まっていて、百人町での開催は今年が最後だっただけに、残念極まりない。
ただ、あそこの標本の詰め込み具合から考えると、きっと地震の被害は甚大だったんだろうなぁとか思うのであった。
一時中断していた上野本館の常設展も復活したみたいだし、また暇を見て観覧に行こう。
日曜のドキュメンタリーWAVEの件でNHKにメールを送っておいたら、NHKエンタープライズから電話があった。
エンプラの人曰く、ポルシェ博士のIWHも、ランサーエボリューションMIEVも知っていたけど、一度廃れたり、実験車だったりする。「実用を目指す車としての試みとしては」という文脈で「新しい」「初めて」と紹介した、と。苦しいなぁ。
別にNHKを問い詰めたいわけじゃないし、訂正放送をさせたいわけでもないので、でも誤解を招きやすい表現でしたね、とやんわりと伝えておく。
これからも番組を宜しくお願いしますと言われたけど、果てさて。
総務省がインターネット上の流言飛語への適切な対応について関係団体に要請とか。
確かに流言蜚語は飛んでるけどな、一体誰がどう統制するんだね? 言論の自由ってのは、こういうリスクと裏腹だと思うのだが……。
故意に、流言蜚語を煽っているものは、偽計業務妨害なりなんなりで逮捕すればいいけど、本人が意図せずにデマに加担している場合などは、対処不能じゃないかと思うのだが。
ただ、不思議なのは、そうやってデマを飛ばしている人間に限って、デマを取り締まれと訴えていることが多いことだな。
そういう意味では、国際スポーツとなった柔道とはまた違うんだよな、剣道は。柔道は最早国際スポーツであって、日本に源流があったとしても、別に日本に学ばなくても強くなれる。まあ、それこそが国際化したスポーツのあるべき姿なんだけど、日本人としては一抹の寂しさを感じるところ。カラー柔道着とかを見ると、ね。
それに対して国際スポーツになることを拒否した剣道は、何時まで経っても日本ローカルな競技で在り続ける。それは常に日本人にとって心地良い状態が続くことでもあるけど、決して世界ではメジャーにならないし、学ぼうとする外国人は言語や文化の障壁に悩まされ続けることになる。
二律背反だよね。
風呂場の電球型蛍光灯が切れそうなのでLED電球を買って来た。3wぐらいの省エネ。
13wの電球型蛍光灯から7.2wのLED電球に変えたので5.8wの節約。そして今までより明るい!と書いているのだけど、ちゃんと密閉型灯具対応型なのかどうか気になる。LED照明は、実は多くが風呂場などの密閉型灯具に対応していない。画伯のいう7.2Wクラスの場合、パナソニックのEverledsくらいか。
ちなみに東京都で40wの白熱電球を7.2wのLED電球に1世帯(6,324,293世帯)1個取り替えたと計算すると207,436,810wの節約になります。とか薦めるなら、注意もきちんとして欲しいところ。不適切なLED電球買ってきて火事を増やしたら元も子もない。
中国の空母の情報が、徐々に一般解禁されてきているそうな。
空母、というか空母を核とした空母機動艦隊ってのは、軍事力の遠距離投射のための兵器なので、中国は軍事力を遠距離に投射しようとしている、ということ。
その際日本がどのような立ち位置になるかと言われれば、中国の外洋進出を阻む堤のようにも見えるでしょうよ。
日本がどうするかについては、勿論日本国民の総意に基づかないといけませんが、弁護士や活動家が行方不明になる国と同盟は結び難いと思います。
Adobeから徴税のお知らせが。
付き合ってられるか。
母と「12日夜に石巻で被災した人とIRCでチャットした」の話をした際に、でもうちの海岸に15mの堤防造るって言われたら反対したろうな、という話をした。
それは想像力が欠如しているとかそういう話ではなくて、100年に一度の災害に備えるための金を出せるかどうか、という話。
私は足も悪いし、車だと逃げ切れんだろうから、そん時は置いてって、とか母は言っていたが、個人はそれでいいとしても、地域社会としてどの程度の災害に備えるか、そのために金を出すか、というのは難しい問題だと思う。豪雪地帯なので毎年やってくる雪に対する融雪装置や排雪溝には散々金を欠けている一方、先年70年振りに震度4とか言っている地域なので地震や津波への備えは今ひとつなんだよね……。
村上龍の文章を読んで思ったこと、徒然に。
「外国人がリスクを少しでも避けるのは当然で、自分も海外にいて同じ状況だったら同じことをする」というのは確かにそうで、別にそのことで恨みを覚えることはないし、災害時に弱い立場に置かれる(各種情報が読み取れない、など)外国人が日本を離れるのは、予防策として決して悪いわけじゃない。
でも一方で、3月11日の後、職場の近所のコンビニから外国人アルバイトが一斉に姿を消し、残った日本人スタッフがてんてこ舞いで店を切り盛りしているのを見ると、苦いものも込み上げてくる。コンビニで、ファストフードで、その他店舗で、日本で働いていた外国人の方々が、潮が引くように居なくなったことは、仕方がないと解っていても、彼らは外国人なのだと思い知らされた。
私たちがここで踏ん張っている間に、彼らは国へと逃げるのだ。そしてほとぼりが冷めた頃に戻ってくるのだろうか? 戻ってきた後に、再びかつてのように肩を並べて働けるだろうか?
いけないと思っていても、隔意を抱くことを、避けられそうにない。
勿論、残れと言うつもりはない。僕ら日本人と違って、彼らは帰るべき国があり、戻るべき故郷がある。彼らにとって日本は客地であり、好いてはいても命は賭けられないし、賭けろと命ずるわけにも行かない。
だが、僕らに取ってはここは祖国であり母国であり、捨てることも逃げることもできない。肚を括って踏み留るしかない。危機に際して何の打算もなく共に肩を並べて戦える、その共同体意識こそが、日本人という紐帯であり軛なのだろう。
だから、日本を去った外国人に対しては、恨んでいるわけでも憎んでいるわけでもないのに、「恃まざる者たち」という意識が生まれてしまった気がする。いつかまたやってくる次の災難に際して、戦力にカウントしてはいけない人たちなのだと。
言う迄もなく全てが全てではない。在日米軍を筆頭に、日本に踏み止まった少なからぬ外国人の方や、多くの国からやって来た救援隊など、本当に感謝に絶えない。特に在日米軍については一部では米軍のPRだと吹聴する向きもあるようだけど、打算でこれだけのことが出来るなら素直に脱帽する。打算拔きだというなら、感謝し尽くせるものではない。国に逃げ帰った人たちと比べて、どちらが頼もしいかなど、考えるまでもない。
日本は、自然は変化に富み、四季折々の姿を見せると言うが、言い換えれば地理は起伏が激しく、気候は年中安定しない。島国である日本では、だからと言ってどこかへ移住するのも難しい。移住したところで南へ行けば颱風が、北へ往けば氷雪が襲ってくる。山野は常に手を入れていなければあっという間に人里すらも緑で飮み込み、滝のように流れる川は雨が降れば濁流で全てを押し流す。温泉の源である活火山は全国に108を数え、噴煙を上げるものも少なくない。
それでもこの地を愛すべき故郷と定め、踏み止まって生きて行く覚悟のある者だけが、日本人を名乗り、この国を担っていく権利を持つのではないかと、漠然と思った。
外国人の全てがそうじゃない、とは分かっていたけど、あまり実感がなかった。そこにこんなサイトが。
それでも、日本に残ると決めた外国人たちからの応援メッセージ!
なんとなく、胸の支えが下りた。
沖縄タイムスに「進まぬ普天間返還 風船で抗議」とかいう記事があって、絶句する。
航空機の離発着を妨害するために風船(というか阻塞気球)を上げるとか、気でも狂っているのか!? もしこれが原因で飛行機が故障でもしようものなら危険は周囲の市街地に及ぶ。
このような自らの正義のために他者を平気で犠牲にする行為をテロと呼ぶ。
NIFTY-Serve誕生25周年記念サイト。
パソコン通信復活とか面白かった。
そう。あの無手順接続で、僅か300ボーで通信していたことがあるんだ。
終わったあと、二次会三次会を経て帰宅。
最近23時には寝ていることもあって、途中眠くて仕方なかった。行きに南風だった風は北風に変わっていて、途中ずっと向かい風。なにか恨みでもあるのかと。
節電節電と囂しい昨今ですが、サマータイムやら自販機狩り、パチンコ夜間論などのトンデモも飛び交う始末。サマータイムについては所長が「時代の風:サマータイム制は論外=東京大教授・坂村健」とサマータイム反対論を唱えていた。この隨筆で着目すべき点は二点で、電力需給に就いてシーソーを喩えに分かりやすく解説していることと、サマータイムはピークシフトに有效ではないと断じている点。「ピークシフト」と言っても、ピークそのものを一時間動かしても意味が無いのだ。そういう点では所長が言うように「ピークを崩す」という言い方のほうが適切なのかも知れない。
所長の文章には直截には書いてないが、ピークを崩すためには、蓄電池網の構築が有效な手立ての一つで、給電可能な電気自動車の普及はこれの手段として有望ではないかと考えている。一般家庭の一日の平均消費電力は通常10kWh程度とされるが、電気自動車は20kWh以上の蓄電池を搭載している。満充電状態なら非常時に一日くらい余裕で電力を供給できる。これが数万台と電力網に接続されれば、そうとう強靭な配電網が構築できるだろう。
無論、新築家屋に10kWh程度の蓄電池を(HEMSとともに)備え付けろ、でも良いわけだが。
で、某都知事に槍玉に挙げられて反論していた全国清涼飲料工業会ですが、更なる節電目標を掲げると、ある種全面対決姿勢を明らかに。
しかし、これが一過性では終わらないであろうことに、今回の一件の難しさがあるんだよね。
「東日本大地震を巡る2紙の話・石巻日日新聞と東海新報」との報道に感動した。
石巻日日新聞の根性もそうだが、東海新報の備えには感服する他ない。
北区名誉区民であらせられる米コロンビア大のドナルド・キーン先生が、日本へ帰化申請とか。
私の日本に対する信念を見せる意味がある
とのお言葉に感じ入る。
昨年9月に起きた尖閣諸島沖での漁船拿捕事件。検察が容疑者を処分保留で釈放し、後に不起訴とした件について、申し立てを受けた那覇検察審査会が起訴相当を議決。
愈々事態は混迷の度を深めている。
検察が真実独断で不起訴としたのであれば、この流れは当然といえば当然であり、そして次に二度目の起訴相当が出れば、強制起訴と相成る。そうすれば、容疑者を中国から引き渡すよう中国側に要請しなければならなくなり、話はさらに拗れる。
だからきちんと、高度な政治判断であることを明確にするために、指揮権を発動すべきだったのだが……。
通すべき筋を通さないと、こういう事になるんだよね。
慶應大の清水研究室が環境省の助成を受けて開発していたEVバスの試作車が披露された由。
Eliicaベースの8輪駆動、走行距離は一充電121kmというのは、路線バスとしては充分でしょう。どうせ毎日車庫に戻るんですから。
路線バスは、走るルートが事前に分かっているため充電計画を立て易く、街中の走行に於いて加減速、発進・停止が多く回生によるエネルギー回收が見込める、電気モータは低速でのトルク特性に優れるなど、EVに向いた傾向があります。また今回の試作車はEliicaベースということもあってタイヤが小径でタイヤハウスが客室容積を圧迫しないという特徴まで付いてきます。
タクシーは一日当りの走行距離が長いのでもう少し敷居が高いと思いますが、この両者が電気自動車化されると、路上の発熱量が大分減らせると思うのですよ。
そういえば先日ネタにしたローナーポルシェですが、なんとポルシェが再生したとかいう話題が。
しっかしポルシェ博士ってのは、時代を先取りした鬼才だな。
日本が平和を志向する国家であることは、一部の国を除いて疑う向きはないと思うのですが、だからと言って平和でいられるかというと、「フィリピンが中国との領土紛争が激化、アキノ大統領「頼れる友は米国と日本」」という記事が示すとおり、日本が平和を求めていても、否応なく巻き込まれることもあるんだよな、と。
フィリピン西方の海域、すなわち南シナ海は、日本にとっては資源を輸送するシーレーンということになりますから、もしフィリピンが形振り構わず来援を求めてきた場合、断るのが困難です。もし今後、脱原子力を進めるとなれば、より一層化石燃料への依存が深まりますから、日本はこれまで以上に日本から中東にかけての海上輸送線の安全に力を注ぐ必要が生まれます。中東地域自体の安全に就いては言わずもがな。
脱原子力を進めれば進めるほど、日本は世界の平和により大きな貢献をしなければいけなくなります。そしてそれは時に、激しい熱を帯びたものになるでしょう。例えそれを日本が望まなかったとしても。
朝日に「工作員にならなかった男の44年 「逮捕、ほっとした」」という記事があって、この種の休眠工作員が多数国内にいるとは噂されていたけど、実際捕まってみると、なんというか、事実は小説より奇なり、だなぁ。
こんな小説紛いのことをやらかす国が近くにいて、事実、日本に工作員を送り込んできているとなると、平和裡に話し合いで、と言うのも虚しくなってくる。
こういう国に対して備えなければいけないというのは不幸なことなんだが、全貌が明らかになるのは彼の国が崩壊してからだろうなー。
関東の海岸を沖合50kmまで風力発電で埋め尽くせば東電の発電量が賄える風力発電デマ(元論文)とか、馬鹿も休み休みって感じ。
「キレる60代、JR駅員らへの暴力最多」という記事があった。00年代には50代の暴力が最多であったので、順当に当該世代が齢を重ねたものと推定される。このまま推移すれば2020年頃には「キレる70代」が問題になることが予想されるため、何らかの対策を求めたいところである。
報道で「東電社長乗る自衛隊機、防衛相指示で引き返す 震災当日」「空自機で帰京の東電社長、防衛相指示で引き返す」「東電社長乗った自衛隊機Uターン 震災当日」とかいう記事があった。26日の官房長官談話との情報を合わせると、3月11日に東電の社長が帰京の手立てがなく首相官邸の緊急参集チームから自衛隊に東電社長を輸送する非公式の依頼があった。これに対し防衛省は空自のC-130でこれを輸送する算段を立てた。で、これに対して防相がこれを停止させる命令を出したもののその時既に東電社長が飛び立った後だったため、結果として20分の飛行の後、社長は小牧に引き返すことになった。こんなところか。
政府筋は名古屋—東京間なので、これは車を飛ばしても走れる状況
と言っていたものの、実際のところ東電社長の帰京は翌朝になってしまった。当日の交通網の混乱を考えれば楽観論に過ぎた、ということだろう。
「朱鎔基が清華大学で久々にほえた」というエントリが面白かった。
本当のことを教えられない社会では、容易に噓が真実にすり替わる。そして今や元最高権力者ですらその流れを止められないと来たものだ。
「国会図書館の絶版本、公共図書館に配信へ 文化庁方針」とかいう記事が。
著作権存続期間中であるにも拘らず、絶版、廃盤などの事情によって作品が入手困難な状態が権利者によって放置されることを「塩漬け」などと呼びますが、これらの作品について国会図書館が電子化して配信する、というのは著作権法の理念にそぐうと思います。
これは著作者/著作権者の問題というよりは出版者の問題で、これについては将来的に著作権法に一般規定として盛り込むべきではないかと思います。
現行法では著作権法に基づく権利は、実際に作品が市場に供給されていようとされていなかろうと行使することができます。すると、商業的理由で再販がかからずに、絶版状態となっている作品を、絶版のままに放置することが可能になってしまいます。これが文化の発展に寄与する
とはちょっと考えられません。著作物は誰かに利用されて初めて価値を生じるのですから。
著作権は著作物による経済的権利の独占を保障する法律であるから、営利行為を行わないのであれば保護する必要もなかろう、というのが私の基本的な考え。
それが嫌なら、出版者は電子化などの方法で市場供給を続ければ良い。
「解剖専門機関を各都道府県に 有識者提言、犯罪死の見逃し防止」とかいう記事があって、なんだかな、と。
以前書いたことがありますが、死体解剖保存法に基づく監察医による行政解剖は、現実的には東京23区内でしか実施されていません。新しい制度を作るより、この監察医制度を全国に拡充したほうが良いと思うのですが。
この結論を出した研究会は正式名称を「犯罪死の見逃し防止に資する死因究明制度の在り方に関する研究会」と言うそうですが、webサイトもなく、警察庁のサイトに各回の議論の要旨が載っているだけ、という情報の少ない組織です。
父のいわき行のレポートを読む。
日々刻々と変わる状況の中で、適切な支援をすることの困難さを考える。
結局は情報の集約と適材適所の徹底ということになるのだろうけど、罹災地でそれができるような組織ってどんなものなのか想像もつかん。
一昨日の件についてGenesis先生が日記で言及していた。
法医学を修めた解剖医が足りないというのは全くそのとおりで、件の記事でも解剖医の増強が盛り込まれていたところ。しかしそれを警察主導でやっていいの?というのは考えるべき点だよね。
やはり死因の追究、という視点が最初にあって、その一分岐として「犯罪性の有無」は語られるべきであろうかと思う。