新年度になってからだと思うのですが、郵便局の郵便窓口の端末が更新されました。無線LAN使ってますね。
へえ、こんなところまで、と思いました。
職場でLANケーブルの引き回しに苦労したもんで、やはりワイヤレスっていいなとか思わないでもないのですが、今はまだちょっと怖くて手が出せません。
さすが総務省。率先して導入ですね。
世間様では小泉内閣の支持率が落ちてきているそうですが……うーん。途中、どうでも良い問題が多すぎましたな。外務省問題とか。与党も野党も、決め手に欠ける一年だったと思いますです。
さて、一応打ち合わせが終了した怪しい一行は、書泉ブックタワーを襲撃。NyによるR.O.D.が炸裂するのを遠巻きに見守った。なぜか某先輩と出会ったような気がしないでもないが、よくあることのような気がするので忘れようと思う。その後、LaOX楽器館を経てGAME HOLLYWOODへ。同行者(ny、π、きしもと)が全員知らないというので、この店を知らなきゃどーする秋葉原!という理由で連れていった。
その後、湘南通商にぷらっとホーム、T-ZONE、そしてMADと渡り歩いた。
本日はNortia関連の原稿書き丸一日予定。
正直言えば、昨今のコンピュータウィルスの蔓延は、末端消費者の教育をなおざりにしてきた業界全体の問題だ。市場の長期的な成長を考えれば、より良質な商品を正当な対価で購入してくれる消費者を育てることが重要で、これを怠れば粗品廉売の悪循環に陷ってしまう。値段勝負となれば、労働単価の廉い国との勝負は困難となり、結果、製造業は海外生産に移行し、産業空洞化が取り沙汰されることになる。これを防ぐには、廉いが粗雑な製品よりも、相応の値段はするが良質なものを選んでくれる消費者を作るしかない。
消費者教育といっても、比較広告で欠点をあげつらうようなものではなくて、真摯にある種の立場に立って、消費者利益と市場の成長のために敢えて苦言も辞さぬ、格調の高いものでないといけないわけだが、これについてはやはりなかなか難しいようだ。自動車業界においても、環境問題や安全性が取り沙汰されるようになったのは自動車業界史を考えればつい最近でしかない。ましてやかぐや姫もびっくりの成長を遂げているパーソナルコンピュータ業界においては、まともな批評などしようものならすぐさま電脳曼陀羅である。既に寡占が進行している関係上、選択肢が少なすぎて、シャレにならない。
かくして粗製濫造とまでは言わないまでも、安全性という点からは到底推獎できないようなメーラーが標準添付され、それでもパソコン雑誌が特集組んで「使用するな」と周知徹底していたならここまで酷い状況にはならなかったろうに、そうはならずに他者を圧倒して普及した結果延々たる悪循環が続いたわけである。
末端消費者が情報を得ようにも、得るための媒体が殆どない状態では、マルチ商法と悪質さで比肩してしまおうというものだ。業界ぐるみで消費者を白痴化しようとしたのではないかと非難されても致し方あるまい。
ともあれ、現在のパーソナルコンピュータ市場は基本的に悪貨が良貨を駆逐することになっており、それを改善しようという努力は見られない。自己防衛のためにはかなりのコスト負担を覚悟せねばならず、最終的にそれが市場崩壞の引鉄になったとしても、私は驚かない。
Open-Rの公開ですか。公開されるレベルを見る限り、AIBOの運動制御以上のことはできそうにないのですが……それでもかなり面白いことはできそう。
この辺り、本気で次世代産業として育てる気はないのだろうか?>政府
NHKの「その時歴史が動いた」はヒトラーのシリーズ特集。第1回で、ヒトラーが政権を獲るまでを追っていた。そこそこ良かったと思うが、もう一つ、ヒトラーが特殊な考えを持った人間ではなかったことが今ひとつ伝わってこなかった。
彼は偉大なる扇動家ではあったが、その考え自体は当時それほど奇矯なものではなかったことは、結構重要だと思うのだが。
ドイツ本国では放送禁止になりそうな内容が含まれていないと駄目だよね。
先日、オランダで極右政党の党首が暗殺されるなんて事件があったけど、ある種の反動なのかな。フランスの大統領選挙でも、ルペン氏が決選投票まで進出したし。
戦後世界は、ナチ=極右=悪っていう明快な構造を規定して、その悪の論理を一切認めないことによって自らの正しさの拠り所としてきたわけですが、臭いものに蓋をし続ければ、それに対する抵抗力も失われるんでしょうか……。
米国で、虚偽ドメイン登録に最大禁固5年なんて法案が提出されているそうで。本来なら、今や商標登録と同じなので、ちゃんとした権力組織がそれなりに保証しなきゃならないものなんじゃないかという気が……。
下北沢のTolly Woodで「君にありがとう」を見てきた。なんというか、救いようのない駄目人間の物語だった。多分、私だったら最後に救いを入れちゃうだろうなー……なんて思いつつ、最後まで救いがないところがこの監督の凄さなんだとも納得。
真似できないという意味で。
今日のNHKスペシャルは「変革の世紀」第2回でしたが、無茶苦茶な話を平然と曰ってましたね。別に無理だとか無謀だとかいうつもりはないのです。全ての職種、全ての現場で、番組の言うような非ピラミッド型の組織構成が有効だとは思わない、というだけで。
番組中でも採り上げていて、分かりやすいので軍隊を例にしますけど、末端の兵隊にまで巨大な権限を持たせて、情報を共有し、臨機応変に命令系を編成する……というのは確かに素晴らしいのですが、全面的な混戦になったりすると、そこいら中からの指示・命令が錯綜し、大局的な立て直しが不可能になる可能性を孕んでいたりします。もちろん、司令部はそういう事態が起きないように、情報の流れを監視しなければならないわけですが。
あと、組織としての意志統一が高いレベルで採れていないと、末端の部隊の進撃/退却のタイミングが崩れ、取り残されたり突出したりする危險性もあります。ついでに言うと、そのような事態に陷った場合に、さらに末端の判斷にズレがあったりすると、救出に向かおうとする部隊でカオスな状況が出来上がったりします。
末端の能動性を高めるのは、則応性を高め、かつ品質を上げる理に適った方向なのでしょうが、以前もこの日記に書いたとおり、教育コストの問題とバックアップの問題を常に孕みます(この両者は表裏一体なのですが)。末端のレベルを上げようと努力すればするほど、個々人の能力格差の問題は無視できなくなり、それら異質な能力がコラボレーションして高い成果を上げる反面、誰かが拔けた穴を塞ぐことが容易ではなくなってしまいます。
この問題に根本的な解決策は現時点では存在しません。あるとすれば、全員が共有する技能を教育の力によって可能な限り高める、あるいは機械的な補助手段により均質化を図るというところでしょうけど……。
例の瀋陽の事件で、領事館職員の対応がマスコミで云々されておりますが……これほど国家意識の薄い国でも、一応こういう反応って出るんだなぁと、感心したり。でも、なぜこういう事態を引き起こすような政府職員が育ってしまったのか、という点に関しては、我が身を省みないといけないんだよねぇ。
F-1の車積コンピュータのOSにVxWORKSが採用されたとか。いよいよ1μ秒を競う世界での戦いが進むのでしょうか(笑)。VxWORKSって、ITRON APIも一応サポートしてたような気がする。
街を歩いていたら共産党の街頭演説とぶつかってしまったですよ。で、何やら憲法がどうのこうの有事法案がどうのこうのと。
基本的に聞き流していたのですが、ふとこんなフレーズが耳に残りました。
「首相が有事を宣言したら、自由や権利、私有財産が制限される」
あれ? 共産主義っていつから私有財産を認めてたんだ……?
それはまあ半分冗談にしても、有事として一般的に想定される状況ってのは、自由だ権利だ私有財産だとか言っていられないような状況だと思うんですけどね。とにかくまず命、ってくらいの状態のはずでしょ? きょうび、燃料気化爆弾なんていう戦術核兵器並みの破壞力のある爆弾もあるわけで、専守防衛、攻撃を受けてからでないと反撃できませんとか言ってられないところもあるわけです。攻撃を受けたときには万単位の犠牲者が出てるなんて洒落にもならない。そのための有事法制の筈。
もっと真面目に議論してもらいたい。悪用が容易な法律を作るのを防ぐために尽力するなら賛同を惜しみはしませんが、戦争は悪だから絶対反対とかいう主張には耳を貸す気にもなれません。
池東旭の「コリアン・ジャパニーズ」の中で、聖徳太子の憲法十七条の第一条に“和を以って尊しとなす”とあることについて「和を強調したのはまさに、差別する社会があったからだ」と書いているのを読んで、然り、と思った。そりゃそうだ。わざわざ第一条に書くくらいなのだから、当時の社会は相当対立や鬪争が厳しかったに違いない(笑)。
先日、仕事で初めて市外局番「4」を見ました。
おやいつの間に、と思って調べてみたら、今年の2月から柏近郊で「4」がスタートしてたんですね。ただ、指定状況を確認した限りでは、要するに「471」圏が需要増で市内局番を増やさなきゃならない状況に追い込まれたので、しょーがなく「4」になったって感じですね。
この辺を「柔軟な対応」と見るか、それとも「初期段階での想定・設計の不備があったのではないか」と見るかは、なかなか難しいところですね。
NHKスペシャルは「日韓 新しい歩みが始まった」で二部構成の大特集でした。第1部が良かったですね。
実際問題として、私が学部生だった頃というのは、韓国側の学生と席を合わせればまず謝罪だなんだと言われたもんですが、正直、現代史専攻の私にとってみれば皮相的で近視眼的、単一視点な歴史観でしかなく、隨分失望したものです。日本の歴史教育に問題がないとは言いませんが、韓国の歴史教育にも相応の問題があったわけです。それがある程度共通認識とできるようになってきたというだけで、ある種の進歩だと思います。
ただ、退歩は進歩の数倍の速度で簡単に起こることを覚えておかねばならないでしょう。
韓国に限らず、日本でも、世界の何処でも。
とか言ってる一方で、Blu-ray Discの規格公開なんかも目前に迫っていたりして。
「軍隊のない平和な社会」という文章は、「警察のない安全な社会」とどのくらい違うのだろうかと考えてみたりする。仕事がない方がいい、という意味では、この社会には軍隊だけじゃなくて、警察、消防に医者や弁護士など、基本的に人の不幸が飯の種という職業が存在していて、それでも一般的に「必要である」として受け入れられている。
軍隊など活躍しない方が良いという点については、全く賛成で、私も軍隊が実際に動きださないように、政治的努力は惜しむべきではないと思う。それは警察が暇であるほうが良いように、消防が暇であることが幸福なことであるように、それぞれ防犯、防火に努めているのと同じように。
でもそれと「なくてもいい、ないほうがいい」というのとはワケが違うと思う。
小泉首相の支持率急落はいいんだけど、次の首相が田中真紀子、なんて事態だけは流石に御免被りたい。
退勤後街をふらふらしてたら、元戦鬪用アンドロイドなメイドさんの5巻とか、明日発売の「ほしのこえ」のサントラとかGetしましたですよ。サントラは既にエンドレスです。ああ、やっぱ「ほしのこえ」は良いです。曲を聞いただけで、シーンと台詞が次々と浮かんできます。
京都の花札屋の社長がとうとう交代したそうですね。私、あのヒト嫌いだったんで、なんとなく胸がすきます。
まあ、これで社員の面倒見る必要はなくなったんですから、心置きなく昔の主張であるところの、ゲームの著作権をみんなで共有しよう!な運動を展開するようだったら、見直してやっても良いが。
でも後任がHAL研出身の岩田聡さん(42歳)とはね……。
土曜日はBTRON Clubでした。遅刻しましたけど。
TRONWAREの最新号(vol.75)でも紹介されてますが、IBMのT210他を繫いで表示してましたよ超漢字。流石に画面の書き換えは遅かったですけど、ここまで解像度が高いシロモノになると、DP周りにも手を入れなくてはいけないので、結構大変そうでした。序に言うと、基本エディタも改造しないといけませんね。どんなdpi値が指定されていても、問答無用で120dpiにしてくれる現在の基本エディタでは……(笑)。
ちなみに、基本印刷はdpi値をちゃんと反映するので、自力でなんとかできる人はそれなりに使ってみて下さい。
鈴木義里「日本語のできない日本人」(中央公論新書ラクレ)はとても面白かった。言語政策という、日本では案外おざなりにされている分野の研究者による、教育・政策に及ぶ論説は、色々考えさせられるものがある。
特に、学問(教育)の基礎が言語教育(日本なら日本語)にあることを鮮やかに描き出している所は、基礎教養を論じる前に「まず言語能力をどうにかせんとな」と唸らせてくれる。理数系のみならず、全般的な「学力低下」の背景に潜むものは、読み書き能力(リテラシー)の低下ではないか、と指摘しているのだが、これは早急に調査を行った方が良いと思う。
もっとも、私などのように捻くれた歴史学徒が読み取るところによれば、言語の平等という思想に基づく教育政策に無理があったのではなかろうかなどとも思うのだが、あまりその辺りを追求すると、最後は文字コードにまで話が行き着いてしまいそうなので、やめておく。
余談だが、上記書のp99に、今年度・来年度にかけて施行される新学習指導要領に絡み「さらに、高校では「情報」という、ほとんど使い物にならないと考えられる授業を必修とする(つまりその分基礎的な教科へ割く時間が減ることになる)ことを求めている。」などと書かれていてニヤリとさせられた。
私も、「情報」などを教えるくらいなら、国語や歴史に時間を割いて欲しいと思っている。大体、学習指導要領に書いてある通りのことを教えようとすると、教える側はもちろんのこと、教わる側にも相当な能力を必要とされる。そもそも、情報学というのは抽象度が高い。抽象度が高いということは、それを理解するためには基礎となる知識や経験が多く必要で、言語能力がしっかりしていることは、最低限の用件になる。正しく用語できない人は、理解が正しくない可能性が高い。
帰納法にしろ演繹法にしろ、論理的思考にも言語能力は必須であり、また他者の思考の結果が記述によって表される以上、その結果から思考を逆に辿るにも言語能力が関ってくる。
しかし同時にこうも思うのだ。すべての人間に、そのような、抽象概念を縦横する言語能力が必要なのであろうか、と。また、その能力があるのだろうか、と。
後者については、私が理解できるんだから、世間様の大多数は大丈夫だろうが、それでもやはり、私がどんなに頑張っても植物学だけはどうしても身に付かなかったように、どうにもならない人はある一定割合存在するだろう。
前者については、語らない方が良いような気がする。抽象的な文字概念を以って文字処理系を操る必要のある人間がどの程度この世に存在しうるか、などという話は気が滅入る。
国の舵取りと言えば、あすか正太「総理大臣のえる」の新刊が出ていました。>該当者各位
「総理大臣のえる」といえばポニーテール。ポニーテールと言えばきさらちゃんですが、最近「天国に涙はいらない」とか「R.O.D.」なんかが愛読書に加わって、端から見ると凄くイイ感じです。きっとそのままぐっとイイ感じになってくれるんじゃないかと期待して生暖かく見守っていますです。
そういえば先日、田中久仁彦版画展なんてやってましたけど、田中久仁彦って今何してるんですか? 「秘境探検ファム&イーリー」がヒットしたと思ったら、あっさり消えてしまいましたが……。
てゆーか、「超絶聖剣ブッタギレイヤー」の続編は……(違っ)。
上野さんの著書にちょくちょく出てくる話題なんですが、「日本の死体 韓国の屍体」の中にも、「死体洗いのバイト」という都市伝説について言及がありました。小熊の知る限り、日本に「死体洗いのバイト」は存在していません。しかし、なぜか毎年、研究室などにそのバイトに申し込む人がくるという話(笑)。
ちなみに、「死体洗いのバイト」の話の基になったと思われる話なら知っています。
朝鮮戦争の頃、米兵の戦死体を回收し、国内で個人鑑定ならびにエンバーミング(死化粧、とでも訳すのだろうか)を施す部隊施設が小倉にあり、人類学専攻の日本人学生が軍属として作業に当たったという実話があります。恐らく、「死体洗いのバイト」のモトネタはこの辺りではないかと考えているのですが、なにしろ都市伝説の話なので確証などはありません。
今日、仕事で銀行をはしごしたんですが……月末なりに、東京三菱がびっしり並んでいる反面、みずほのがらがらなこと……。他人事ながら、不安に思うほどでした。