哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2002年3月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、並びにパーソナルメディア社は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2002年3月1日(金曜日)
 今日から三月。
 でもいきなり病休。
 週頭からの斷続的な微熱に、解熱剤が敗けた格好。解熱剤を飲んでも熱が下がらなくなってしまった。しょーがないので医者に行く。徒歩三分の医院で診てもらうが、熱は風邪のせいじゃないかもしれないと言われる。
「一応風邪藥出しときますが、これで微熱が続くようだったら、肝臓の疑いがあります。血液検査ですね」
 肝臓……。
 そういやぁ、まだ20かそこらの学生だった頃、過労で肝機能の低下などという、若者らしからぬ経験をしている。それ以来無理のできない体になってしまっているのだが、ここ一週間ほど、栄養ドリンクのお世話になりっぱなしだった。
 やはり体が資本ですね。虚弱な僕は、せいぜい若隠居させてもらうことにしましょう。

 昼間、普段は家に居ないので気がつかないのですが、結構電話ってかかってくるんですね。それも益体もないのばっか。あんまりなので、途中から留守FAXにしてしまいました。人が大人しく寢てるってのに何だまったく。

 夜、微熱は收まらず。


2002年3月2日(土曜日) part 1
 シモキタへ逝った人達(笑)
  • きさらちゃん……23:30
  • nyちゃん……23:30
  • きしもとくん……22:20
  • πちゃん……撤退
  • 稲園白鳳さん……敵前逃亡
 新海さんの舞台挨拶など盛沢山の内容に加え、minoriの新作ムービーのせいでギャルゲーオタクまで集まったため、会場はとんでもないことになっていたようです。

 ロキソプロフェンナトリウムで下がらない熱って一体なんだろうねぇ……。ってゆーか、熱上がってるし!(なぜ?)


2002年3月2日(土曜日) part 2
 夜。デンパ来襲。
 ジブリ美術館へ行ってきたらしい。
 そおいえばミツルんも帝都へと戻ってきたらしい。そうか。僕の体調が悪いわけはデンパのせいだったのか、と得心した次第。

2002年3月3日(日曜日)
 藥飲んで斷続的に寢てました。漸く体温も落ちてきた様子。これで血液検査は回避ですね。
2002年3月4日(月曜日)
 X boxDVDメディアに瑕がつく……って、いくら読み取りに問題がない部分だとはいえ、そりゃないっしょ。瑕がつくということは何かが接触しているってことで、あんだけ高速回転している円盤体にどっか何か接触しているなどとは、あまり考えたくないですよ。
 しかし「瑕が付くのは当たり前」という会社の姿勢にも参りました。非接触型の光学ディスクで摩擦が発生してどーすんのよ……。

 スイスが国民投票で、国連加盟を決めたそうな。
 スイスについては何度かこの日記でも触れたことがあるが、何しろ不穏な国である。スイスの歴史を調べてみればわかるが、凄まじいばかりの争乱の歴史である。国内・国外問わず、なんでこれほど争いの種があるんかいな、と思うほど、平穏とは程遠いのがスイスという国だ。もっとも、世界の国の殆どの歴史は戦乱・争乱で埋め尽くされているので、別にスイスだけが特別というわけではないのかもしれないが。
 しかし、国内においてドイツ語圏とフランス語圏の対立、農業州と都市州の対立、プロテスタントとカトリックの対立などの複雑な対立関係を内包し、政治的関係に至っては外部の人間にはわけがわからず、それでいて対外的には「スイス盟約者団」として軍事同盟国家の体裁をなしているのだから、一体彼らは軍事以外の一体何を以って国をまとめているのかと問いたくもなる。
 念のため書いておくと、スイスは以前から国連オブザーバであり、軍事面などで国連に協力している。


2002年3月5日(火曜日)
 まだ火曜日なのか……。

 日韓歴史共同研究委員会ねぇ……。とりあえず、日韓両国のメンバーが決まってからコメントしようかな。「歴史認識」なんて流動的なものを研究するのって、かなり無為だと思うけど。歴史事実の積み重ねならともかくね。

 NHKのプロジェクトXなんですけど、再放送すらもネタ切れになったのか、とうとう「再製作」とでも言うべき手法に入った。今週は第1回の富士山レーダーの話を、素材を活かしつつ再構成。スタジオは取り直し、エピソードも一部差し替え……でも、やっぱりこれってネタ切れなんと違うの?

 超音波キャビテーションを使って核融合に成功……? マヂですか?


2002年3月6日(水曜日)
 アップデータが11.5MB
 良くも悪くも「ふつーのOS」になってきたなぁ(爆)。

 「ほしのこえ」大阪再上映決定
 というわけで、2月17日のプラネット映画祭に行きそびれた人は、迷わず10日は日本橋へGo!です。さすがに「ほしのこえ」を見るために上阪することはしませんが……じゅりちゃんタオさんも今度こそ行くんだよ〜。はっぴいさんはきっときさらちゃんが説得してくれるだろう。

トンパ玄米茶 世間で噂のトンパ玄米茶(謎)。
 なんかこう、やる気を削がれる感じが凄くいいですよ。文字コード問題と向き合っているのが馬鹿馬鹿しくなりますね。何といいますか、左翼大隊をけしかけて全てを無かったことにしようか、ってカンジですか。

 一部の人達に連絡。今日は電撃文庫の配本日でした。


2002年3月7日(木曜日)
 昨日のことになるのですが、WIPO「著作権に関する世界知的所有権機関条約」が発効しました。訳文はこちら
 個人的にやはり気になるのは第四条第七条でしょうね。
 第四条でコンピュータ・プログラムを著作物であると高らかに謳い上げてるんですが……で、コンピュータ・プログラムについての定義はどこにあんのよ……。他にも、思想的な規定とか、隨分端折ってあります。こういう法文は、どちらかというと良くない法文だと思います。社会(この場合技術でも可)の進歩に合わせるために、拡大解釋が可能な条文にしておきたいのはわかるんですが……ちと不安な内容。
 知的生産を行った人間(この場合法人も含むが)が、その生産物により正当な手段で正当な対価を得ることは保護されないといけませんし、その対価を得るべき資格を持たない人間が不当に利益を上げることは妨げられなければいけません。それは事実。
 なんだけどねぇ……。どちらかというとこの条約は、ちょっと「それだけにとどまらない」ものを感じますね。

2002年3月8日(金曜日)
 疲れた。久しぶりに眠いから寢よう。

 パイオニア10号と交信に成功したとかいうニュース。私が生まれた頃には宇宙を漂っていたパイオニア10号ですが、今どこに居るんですか……と思ったら太陽から120億kmくらいのところらしい。ざっと80天文単位弱ってところですか。光の速度で片道11時間くらいかかる計算になります。
 パイオニア10号は、最初の木星探査機で、打ち上げは1972年3月。宇宙人に拾われたときのために、金鍍金されたメッセージプレートを積んでいるので有名です。
 核電池なので電源系はまだ生きているんでしょうけど、交信できたってことの方が凄いですよ。向こうもよくもまあ、受信したもんです。
 ちなみに、第3軌道速度を得て太陽系を脱出する惑星探査機は、パイオニア10号の他に、同11号、ボイジャー1号、同2号があります。後から打ち上げたボイジャーの方が遠くに行っているんですが、こいつにはメッセージを録音したレコードが積まれています。しかし、誰かが拾うことなんかあるんかね……?
 遠い遠い将来、太陽系を人類が征服した暁には、「歴史的遺物を回收しよう」とか馬鹿なことを考える奴が出てくるだろうな……。
 気分はもう「ここにいるよ」ですね。


2002年3月9日(土曜日)
 アキハバラへお買い物に。
 とはいえ、自分の買い物ではなくて、頼まれものばかり。ジャンク屋や露店を巡ってめぼしいものを探す。
 やはりアキバの買い物はジャンク屋か露店に限る。

 某デンパ大阪の妹御が金大に受かったそうな。一人暮らしを宣言している妹御についてやめておけと言いつつ、「でも、10代後半ぐらいはやっぱり冒險しないとね。」などと書いていた。
 個人的には、「10代後半ぐらいは……」などとゆー輕い気持ちの冒險が、一生を台無しにすることが多いような気がなぜか強烈にするのでせんでもいい冒險などしないに越したことはないと思うな。人生の先達として、兄を反面教師にして生きるべきだと忠告しておこう。
 限りある人生を大切にしよう。

 明日の大阪「ほしのこえ」上映ですが、事前問い合わせなどが非常に多く、混雑が予想されているようです。鑑賞を考えておられる方は、それなりの対策をとられたほうが良いと思われます。

 事後報告になってしまいましたが、3月9日23時47分より、ラジオ大阪において「ほしのこえ」ラジオドラマ第1回が放送された模様。
 しかし……なんで大阪? 文化放送でもやるそうですが……。


2002年3月10日(日曜日)
 メインマシンのCPUとM/Bを交換した。
 検討開始からすると4ヶ月くらいかけた、最後の最後が今日だった。方針としては、電源、M/B、CPU、主記憶は新調、ケース以下、内蔵機器、外裝品はすべて流用というものだった。ソケ7時代のケースなので、排熱に不安があったので、ファンも交換した。結果から言うと、発熱は考えていたほどではなかった。
 M/Bには、IwillのXP333を選択した。オーバークロッカー御用達という話もあるボードだが、別にオーバークロックをするわけではなく、その設計思想が気に入ったから選んだ。メモリはごく真っ当なPC2100仕様の512MB DDR-SDRAM。CPUは費用対効果からAMDのAthlon XP 1700+をチョイスした。
 いつもシステムをいじるときに、ちょっとしたミスで時間を食っているので、事前に作業手順を確認し、実行。
 初っ端に、キーボードエラーで躓く。ATキーボードを変換コネクタ経由で接続しているのだが、どうやらリセットが上手くいかないらしい。諦めて、予備のPS/2キーボードを出してくる(キーボードやマウスは消耗品なので、予備は当然のようにストックしてある)
 起動を確認したところでBIOSを設定、そしてFDから起動。あちこちチップ毎に最適化されているらしいWindowsは、CPUを交換すると起動しなくなるので、再インストール。その後、デバイスのコンフリクトなどを解消し、問題なく起動するところまで実にスムース。
 Windowsによって書き換えられたHDのマスターブートレコードを元に戻し(爆)、超漢字との選択ブート環境を復活させて、超漢字へ。全く486汎用なB-right/Vはなんの手直しもなく動く。当然。
 感想。
 Windows側に関しては、体感速度がかなり上がっている。一方、超漢字の方はそれほど差違を感じない。超漢字の方は、そもそも「遅い」などと感じることがなかっただけに、速くなっても速くなったと感じないのだろう。負荷をかけると違って感じるだろうが……。Windowsは、あちこちかなり速くなったという実感がある。OSの起動からアプリケーションの動きまで。っつーか、そもそもシェルのIEがかなり重いので、「速くなったなぁ」と実感。とくにATA-100が強力だった。理論的にHDへのアクセス時間が1/3になるわけで、遅いデバイスが速くなったんだから体感速度の向上は劇的だった。やっぱ足回りは重要ですねー。
 Windowsを使っていなかったら、絶対やらなかったね、今回の更新は(笑)。

 大阪での「ほしのこえ」上映ですが、すごいことになったみたいですね。開場1時間前からデンパな人々が開場周辺に集積し、主催者は整理券を配ったとか。


2002年3月11日(月曜日)
 現時点での問題。
 リセットボタンが効かない。
 超漢字側から電源のシャットダウンができない。
 まあ、両方とも大した問題じゃないからいいや。(日増しにいい加減になっていくワタシ……)

 春のせいか、朝、異様に眠い。しなきゃいけないことは山積みになっているのに、それより寢たいとまず思ってしまう。


2002年3月12日(火曜日)
 リセットボタンはあっさり解決。
 残るは電源のシャットダウンなんだが……。Windowsからはできる。超漢字からもサスペンドやら省電力やらは活きている。なのになぜ電源Offだけができんのだ……?

 韓国で販売ですか。どういう感想を述べれば良いのやら〜。


2002年3月13日(水曜日)
 というわけで、噂の銀の円盤を買ってきました。
 まだ中身はチェックしてないのですが、当然のようにCDのロゴなんて入ってません。説明書きによると、普通のCDプレイヤでは聞けるかもしれないそうです。でも聞けなくても責任は負わないそうです。っつーか、こんな再生できるかどうかもわからんシロモノ喜んで買うやついるんか? 私はまあ、知的好奇心のために買ってきましたけど。
 さあって、暇見つけて解析しよっと。

 今日の日記のレイアウトが崩れる、と、証拠写真付きで送ってきた奴がいるが、間違っているのはブラウザの方である。HTML的には、図は左右、その隙間がなければ上下に並ぶのが正しい(と解釋できる)。このサイトのHTML文書については、文法的に正しいことが優先で、ブラウザでどう表示されているかは二の次、ということになっているので悪しからず。


2002年3月14日(木曜日)
 春になるとオカシな人が増えるんですかね。定期的に出てくるんだから笑っちゃう。

 久しぶりにシューレの学生ゼミに参加。非常に面白かった。


2002年3月15日(金曜日)
 朝、雨がぱらついていたので、傘を持って出た。そしたら職場に着くころには晴れてやんの。少し肌寒くなるだろうかなんて思ってたのに、ぽかぽか陽気でやんの。

 Athlon XP 1700+に乗り換えて思い知ったこと。
 Windowsって、遅いプロセッサ環境だと不安定になんのね……。
 信じ難いが、事実っぽい。これまで散々っぱら落ちまくっていたアプリケーションやDLLが、落ちもせず平然と動くようになった。
 ここで雑誌記事だったら「だから高速なプロセッサが必要なんだ」とか書いて纏めるんだろうけど、生憎マトモにできている僕の脳味噌は「それって要するにリアルタイム性に問題アリことじゃねーの?」とか思ってしまうわけですよ。
 B-right/Vを使っている限り、K6-2/500MHzからAthlon XP 1700+への変更によって、何が変わったという感じはしないわけです。ただ、バックグラウンドで印刷をさせたり、300実身以上のネットワークを圧縮/解凍させたりしているときに「遅くならなくなった」って感じです。
 ところがWindowsだと明らかに「速くなった」って感じる。
 アプリケーションやライブラリ、OSの応答時間について、プロセッサパワーに依存した作りにすれば、処理量が多くなってきた時にロクでもないことになるのではないかと、私大文系な私は思うのだが、レドモンドの最高技術責任者な方は違う考えをお持ちなのかもしれない。

 とうとう地上波放送ですか! 広がり過ぎてちと怖いぞ(^^;


2002年3月16日(土曜日)
 夜更かしこいて、朝の6時くらいに寢る。
 起きて本を読んで床屋に行って神保町へ。
 そのまま秋葉原まで徒歩移動。ザ・コンの2Fで西荻で灯台守をしている先輩に出会う。少し立ち話。
 食餌をとって帰宅して、キーボードをぽちぽちと叩く。

 さて、21日は間近です。Windows環境でモリサワのリュウミンフォントが使える日がやってきます。CPUとM/Bの換裝も全てはこいつのため……(笑)。(こいつの発表で、MacOS Xへの興味がいっぺんに失せたという……(苦笑)
 やっとWindowsでも「使い物になる」フォントが使えるようになる。超漢字の方でも使い物になるフォントが手に入るようになってほしいものだ。

 パトレイバーの新作(?)映画「WXIII」ですが、うっかり「だぶるえっくすすりー」とか読みそうです(^^;。「Waste XIII」なんですけど。
 あれですよ、ローマ数字の前に「W」があるのがいけないんですよ。ローマ数字については「ロマンを追え」にリンクがあったりしますが、I→V→X→L→C→D→Mと文字を使います。Wは使いません。というか、ローマ時代の言語、すなわちラテン語のアルファベットにはWないですよ。ついでにIとJ、UとVの区別もないので、アルファベットは全部でABCDEFGHIKLMNOPQRSTUXYZの23文字ということになります。さらに小文字もなかったので正真正銘23字です。ウムラウトもアクサンもない、とても美しい23文字……。
 そんなわけで、「WXIII」という連鎖があったときに、どうしてもXIIIだけを13に取ることができないわけです。


2002年3月17日(日曜日)
 池袋サンシャインシティへ。某クリエイションで行列に並ぶ。
 が、なんと僅か目の前で本が売り切れる。ぐゎっ!
 なんてことだ。あと5分早く列に並んでいれば……。電車一本、早く現着していれば……。
 くそう。

 午後は秋葉原へ廻ってnyと邂逅し、サンクリ收穫物を与える。その後うろうろと秋葉原を徘徊。


2002年3月18日(月曜日)
 ソニーのルポルタージュを読んで、不覚にも目頭が熱くなる。井深大と盛田昭夫のコンビって、本田宗一郎と藤澤武夫とどことなく似ている。どちらが主でどちらが従というわけでもない。二人揃うと百人力を発揮するコンビというやつが、世の中には存在する。どちらか一人であったならば、勿論、並みの人間ではないのだが、決して後世に残る偉業を残すまでには至らなかっただろう思える。
 こういう希有な偶然が、歴史上には時に起こり、そして波紋を描いて社会を変えていく。
 恐らくそれは奇蹟とかと称するべき偶然の産物なのだろうが、そう言ったものの残滓にすら憧れを抱いてしまう自分に、歴史屋としての性みたいなものを強く感じる。

2002年3月19日(火曜日)
 健康診斷。医者は患者を脅すのに、ある種の快感抱いているに違いない。

 SONYSDR-4Xを発表しましたね。前作のSDR-3Xに比べて、隨分コミカルな姿に……。
 あちこち改良もされたようで、いい動きをしていますね。現物はROBODEXで見てくることとして……今年のROBODEXもひどいことになりそうだ。
 地獄を見る準備はいいか?


2002年3月20日(水曜日)
 alii aliaとは言うけれど。

 でざいんど・ばーい、出渕裕
 いよいよロボット王国となりつつある日本。やはり次世代産業として手厚く育成した方が良いと思うが?>政府
 もちろん、その結果何が生まれるかは神のみぞ知るところだが(笑)。

 イスラエルの方は、やや状況に好転の兆か? しかし、自爆テロは続いており、予斷は許さない状況。
 個人的見解ですが、武力(軍事力)で解決できない問題に対し軍事力を行使するのは、兵員の無駄遣いというものでしょう。パレスチナのテロが軍事力では解決できないことは、とっくに歴史的に証明済みだと私などは思うのですが、どんなもんなんでしょうか。それともパレスチナ人を一人残らずこの地球上から抹殺するつもりなんでしょうか。かつてユダヤ人がそうされたように。
 私は軍事力による政治問題解決を否定していませんが、その能力が万能だと思っているわけではありません。軍事力による解決は、あくまで限定的なものです。抗生物質なんかと一緒で、効く病もあれば、悪化する時もあります。
 勢いのついた憎しみを押し留めるには、卓拔した指導者が不可欠で、そしてそれはイスラエルから失われて久しい。


2002年3月21日(木曜日)
 春分の日の春嵐。川崎でも凄い有り様でした。
 ぶんぶん!が川崎だったので朝から川崎へ。

 午後、秋葉原へ行くが、モリサワのOpenTypeは入荷してなかった。考えてみれば当然か。
 その代わり、なぜか火炎龍さんに発見されてしまう。彼は善良な一般市民をいびって楽しむ悪癖の持ち主だ。拉致られてケーキと紅茶を奢る(笑)


2002年3月22日(金曜日)
 PC買って一年になる友人が、「Paintがおかしくなった」と電話してきたが、電話ではラチがあかないので、終業後に落ち合うことにした。合流後、なぜか新宿シューレの机を借りて、いじる。レジストリエディタでレジストリを書き換えて終わり。所要時間30分。とりあえず手順を反芻してみて、15分でできたな、と反省する。

 その後、秋葉原へ移動。
 モリサワのOpenTypeを……。
「売り切れです。次の入荷は月曜になります」
 ……。
 その時私が想像した光景:開店と同時に店内に雪崩込んだ客が一斉にフォントブースへ駆けつけ、次から次へとパッケージを引っ摑んでレジへ並ぶ……。
 もちろんそんなことはなくて、単に入荷量が少なかっただけだろう。タブン。注文だけかけておく。予約が必要だったとは、流石に思いもよらなかったわ!

 明日の朝10時が怖いぜ。


2002年3月23日(土曜日)
 午前10時の戦場。
 チケぴは電話が繫がらないような状態だったようです。私は自転車で5分のチケットぴあで購入です。狙っていたところは取れたのでOKでしょう。

 某デンパ大阪の弟が、やっぱりオタクの道を歩んでいると聞いて、「これからはオタク鉄人キョーダインと呼んでやろう」と言ったら力一杯拒否された。スカイゼルとグランゼルと呼ばれるのは嫌らしい。

 午後になって秋葉原へちょっとキーボードを探しに。キーボードを一枚破損してしまったのに加え、愛用のATキーボードがM/B交換以来使えていないので、予備がない状態になってしまったため、急遽キーボードを探す羽目になった。
 あちこち見てまわったのだが、なかなか良い品がなく、ジャンクでIBMの5576-B01を一枚予備として買ったに止まる。
 キータッチはFILCO左利用キーボードがダントツに良かったが、このキーボードの右利き用ってないらしい……。まあ、私別に右でも左でもOKなクチなので、これでもよかったのですが、USBってのが最後までネックだった。
 106キーボードはOWLTECHから品が出ていたが、残念なことに好みじゃなかった。
 ふと見るとWindyもキーボードを出していたが、メンブレンであまりタッチは良くなかった。品質は良さそうだったが。これでメカニカルで106だったらなぁと思うが、それって全然別物じゃん。
 実はAcerのキーボードも結構タッチが好きだったのだが、現在付加価値の高い(=普通じゃない)キーボードしか売ってないので困りもの。
 ああ、IBM 5576-A01が欲しい…。
(注。小熊は決してキーボードマニアではありません)


2002年3月24日(日曜日)
 午前中からアキバへいって、もうちょっとだけキーボードの探索。ジャンク屋で結構いい感じのメカニカルのキーボードを見つける。ILIOSってどこのメーカだ? 93年製造のシリアルが入っている。うーん。約10年前ですか。えらくしっかりしたタッチが魅力的。
 陽に焼けてキーが黄色くなっているところを除けばなんら問題なし。こんど暇を見つけて分解清掃しよう。

 TRONWARE 74が出てました。

 え? T&E SOFTがなくなる(社名変更)
 パソコン草創期からあるゲームメーカーがまた一社姿を消すというだけなんですけど、個人的に思い入れも大きかっただけに、色々思いますね。
 なにしろハイドライドシリーズは大好きでしたから……。


2002年3月25日(月曜日)
問:F.S.Q.といえば?
答:「ひと夏の経験値」
 というわけで、「ファイナルセーラークエスト完全版」が今日発売でした。おお、21世紀に入ってからというもの、とんでもないペースで本を出しているぞ>火浦功。(殆ど再刊だけど)
 初版が今は亡きログアウト文庫から出たのが95年。その後雑誌が亡くなってしまったため、未收録短編やコミック原作が残っていたりしたんですが、この度在庫一掃処分セールと相成ったようです。あ、書き下ろしもありますね。
 問題は……そうですね、イラストが竹本泉じゃなくなったことでしょうか。スギサキユキルが悪いというつもりは毛頭ないんですが、世の中には「竹本泉じゃないと嫌だ〜」と叫びそうな人もいるので。
 思い起こせば、火浦功との出会いはログインだったんだよなぁ。85年頃の話。って、20年近くの歳月が過ぎ去っていることに愕然とした。あの頃から今でも続いている雑誌って、「ASCII」くらいか? 「ログイン」「マイコン」はもとより、「bit」ですらもなくなったしな〜。

2002年3月26日(火曜日)
 高帯域と広帯域って違う言葉だよなぁ?
 そらまぁ、一汎的には、使用する周波数帯が高ければ、単位時間当たりに搬送できるデータ量は増加するから、広帯域でもあるんだろうけど。でも、やっぱりbroadbandの訳語は広帯域だと思うなぁ。

 第22回のゴールデンラズベリー賞は、「Freddy Got Fingered」ですか。機会があったら見て見よう。最悪リメイク賞には「Planet of Apes」が輝いていて、さもありなんってとこか。


2002年3月27日(水曜日)
 日曜日に買ってきたキーボードについていたILIOSのブランド名。気になって調べてみたら日立ソフトだった。日立も昔はこんなに素敵なキーボードを作っていたのね……。

 暫く御無沙汰だったGenesisさんの日記を見たら、ここを見て「ほしのこえ」を観に行ったとあった。思わぬところで思わぬ成果(笑)
 ところでTolly Woodでの「ほしのこえ」を15回観たというツワモノさんに、先日サンクリで出会いました。世界は広いものです。
 決して、なにかが引き合ったのではない、と斷言しておこう。


2002年3月28日(木曜日)
 茅田砂胡の新刊「暁の天使たち」中央公論新社。デルフィニアのあの方々が出てくるのは宜しいんですが、半裸の少年二人の耽美ぃな表紙絵は、腐女子のおねいさま方狙いということなんでしょーか(笑)

 ROBODEX 2002の内覧会の様子が、マスコミに色々取り上げられていて、いやがおうでも気分が盛り上がります。身分が学生だったら、間違いなく今日行ってましたね。
 ところで、2003年は鉄腕アトムが開発された年だったりするのですが、二足歩行はともかく原子力だけは如何ともし難いですなぁ。いや、無理に作られてもなおさらヤだけどさ。核電池で動く10万馬力の人型ロボットが作られたら、即座に半径1km圏内から待避することをお薦めします。(10万馬力分の電力を生み出す核電池……^^;
 でもあれですね、こんな風に世の中が進展していくと、そのうち遺言状に「私が死んだら、体格と人格をモデルにして、弾より速く走るアンドロイドを作って下さい。もちろん胸には8印」とか書く奴出てきそうですね。私はやりませんけど。


2002年3月29日(金曜日)
 数日前、NHKの「おはよう日本」でキヤノンのコピー機製造工場が取り上げられていました。従来の流れ作業をやめ、工員一人一人による責任組立を行うようになって、作業効率や生産性がアップしたという話だったんですが……。
 見ながら思ったのですが、それって20年も前に松下がやってたことじゃん……。一人一人の人間に教育コストをそれなりにかければ、ベルトコンベアよりも生産性が上がるなんて話は、常識だとばかり思ってましたが、そうでもないようです(爆)。
 多品種少量生産に小人数で対応するためには、個々の工員に非常に高い知識と技能を持たせるに限ります。頭数が少ない分、人間が多機能・高機能になるわけですな。もちろんある程度の専門特化(偏向)は必要ですが。
 さて、ではこういったスタイルはいつでも有効か?という話になるわけです。当然、そんなわけないですね。
 19世紀のフォードによる流れ作業の確立により、工場生産現場において「熟練工の不要」という神話が生まれました。もちろん神話だったのですが(笑)。しかしその後も、NC旋盤やら産業ロボットの登場により、「熟練工不要神話」は成長を続けます。ずっと神話であり続けたのですが。最近ではISO 9000シリーズなんかがその神話の一端を担っております。
 これらは人間の教育コストを圧縮する効果を期待されていて、実際に、ある程度の効果を上げます。しかし残念ながら教育コストはゼロにはならず、常に「熟練者」は存在し続け、戦力に計上しなければなりません。
 早い話、経験を積んだ一人と新人一人では、員数上は同じ一人ですが、戦力では大きな差が出ます。当たり前の話ですね。
 しかし、管理者側から見た場合、員数と戦力が均衡しないというのは、戦力の運用上デメリットと看做されやすいわけです。変な言い方になりますが、高い個体能力を持った戦力は、簡単には代替が効きません。しかし運用上損耗を無視することができず、絶えずバックアップの問題に悩まされることになるからです。その点、ベルトコンベア方式による流れ作業では、人間の教育コストが低く、代替要員の確保が容易であるという利点があるわけです。
 両者それぞれに利点・欠点があって、当然、経営者は状況などを鑑みながら形態を決定して運用していくわけですね。どれほど熟練者による少数精鋭主義を狙っても、会社の体質が悪く、人員の流動性が高いままであれば、ベルトコンベア式を採らざるを得ませんし。
 人間の教育コストって、結構高くつくんですよ。

 夜、デンパ大阪より入電。東京に出てきているらしい。なるほど、昨日からの雨は……(以下略)。
 明日、CG Carnival 2002へ行くかと問われたので、自分はROBODEX 2002へ行くと答えると、隨分驚かれた。新海さんのトークショーを見に行かないのかと言われるが、別に俺オタクと違うねんぞ……。新海さんとは先月小一時間も喋って顰蹙買ってるだろうし(爆)。どうせ来月Tolly Wood行くしね。


2002年3月30日(土曜日)
 朝寢坊。
 慌てて飛び出る。結局集合時間に遅刻。しかしそれでも1時間前からパシフィコ横浜に並びましたよ。
 で、ROBODEX 2002ですが、最初は、去年ほどの行列ではないな、なんて思ってたんですが、昼に近付く頃から会場内は芋洗い状態。老若男女入り乱れて、とてつもない大入りでした。
 お目当てのSDR-4Xを始め、とりどりのロボットたちを見てきましたが、外国からの出展まであったのには驚きました。
 やはりあれですね、日本の未来はこの辺の業界に賭けるしかないですね(笑)

2002年3月31日(日曜日)
 西荻某所にて謀議。
 またまた忙しくなること決定。
 なんとなく積載オーバーって気がするので、何かを捨てねばなるまい(笑)。
 概略は次回のBTRON Club(……って来週やん)で発表される予定。

 謀議の後、WXIIIを観にいく。同時上映の「ミニパト」は第1話。週替わりで3話のうちどれかを上映するという、「最低3回は観に来ましょう」という商魂が凄まじい。「ミニパト」上映スケジュールを確認して、とりあえずあと2回は観に行く予定。