哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2000年7月分

Caution!

このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2000年7月1日(土曜日)
 徹夜明け。なにして徹夜したかというと、本を箱詰めしていたわけだよ。玄関先まで、人間一人分の通路しかないような状態に箱が積みあがり、重力やらコリオリ力やらで少し傾いてゐたりするが、ピサの斜塔だって立ってるんだから、一日二日なら大丈夫でしょう。
 なんとか本はほぼ全部片付けたのだが、書類などの紙類はまだ残っており、困ったことに電子関係は殆ど手付かず。配線を全部外しておいてくれと引っ越し屋に言われたのだが、既に何が何やら分からなくなってしまっている。あとで全部ちゃんと結線できるんかいな、俺?
 ちなみに衣類はいつも衣裝ケースに入れているので、そのまま運べばOK。残るは食器調理器水回りってとこ。
 荷物の9割方が本だもんね……。
 なお、明日は朝から引っ越しで、電話の開通が翌三日であるため、日記の更新がなされません。悪しからずご了承ください。

 書き貯めというわけではないのだけれど。
 図書館情報大学筑波大学が合併を検討する、という報道があった。合併後の名称は“筑波大学”。要するに、図情大が吸收されると思えばいい。日本有数のマンモス大学と、日本最小の単科大学の合併など、名目はどうあれ、吸收以外の何物でもなかろう。
 大学の独立行政法人化が決定事項となった今、国立大学は生き残りの道を模索するのに懸命だ。特に図情大のように国立大であるからこそ存続しうるような小規模単科大学においては、スケールメリットを求めての今回のような合併劇は、予想の範囲内だ。(というより、小熊は在籍中から筑波大学との合併を意見していたが……)
 ただ、校風というか、研究風土というか、そういうものを残すことは重要であるので、単なる吸收ではなく、ある程度の自治的権能を持っていられたら面白いだろう。図書館情報学類としてでも残れば良いのかな?
 ま、なにはともあれ、これからが茨の道だ。権力を持った人間は、なかなかそれを手放せないものだからな。


2000年7月3日(月曜日)
 7月1日の夕刻に増援1名(母)がやってきてからというもの、作業は格段に進む。台所回りは全部お任せして、私はひたすらコンピュータ類をばらしていた。

 2日、朝。引っ越し屋がやってくる。アート引っ越しセンターを今回選んだ理由は、特にはない。でも、前の引っ越しより廉かった。ということは、社によって大分違うんだろうなぁ。もっとも、私は引っ越しにこだわりを持つ人間ではないので、この話題は特に突っ込まない。
 引っ越し屋も本の山に苦笑気味。多いし、重いし。
 しかしそこはプロ。本を積み出し、家財を運びだし、PC類を梱包材にくるみ込み、どんどん積み込んでいき、11時頃には搬出を完了する。
 その後、処分する家具をOFF HOUSEへ持っていって僅かばかりなお金を手に入れ、母にひたち野うしくまで送っていってもらった。母とはここで別れる。

 そして新居へ移動して、今度は搬入作業。書齋予定の部屋に本は全て放り込んで、とりあえず生活に必要なものの梱包を解いた。

 夜。怪しい編集者襲来。部屋中を怪しいデンパで汚染しまくって帰った。

 三日朝。裏の工場が7時に動きだしたために、一緒に目が覚める。東向きの部屋は朝日が眩しい。こりゃ早起きになるかも。
 区役所へ行ったり警察へ行ったり銀行へ行ったり買い物に行ったりして一日が終わる。ガステーブルがやってきたので早速料理をしたかったのだが、包丁が行方不明。夕刻過ぎて、ようやくPCを一台結線して使用可能状態にする。当分、こんな感じだね……。


2000年7月4日(火曜日)
 つくばへ行って、残務処理。不動産屋に鍵を返しに行く。
 その後、図情大へ顏を出したら、そのまま杉本ゼミの卒研ゼミに参加することになった。永森先生の紹介により、ゼミ生はなにやら根拠のない不安に駆られたらしい。着手発表会に来れるかも……と日程を見ながら言ったら、「来ないで下さい」と言い渡された。一体何を誤解したのであろうか。
 彼らの誤解は、とうとう最後まで解けなかったようだ。それどころか、途中で取り出した唐草鉢巻きに過剰反応を示し、永森先生に「さすが伝説だね」と言われるに至る。
 一体何が悪いのやら。
2000年7月5日(水曜日)
 大問題だ。
 もう引っ越して三日だというのに、本の箱を一つも開けていない。
 というのも、收納場所が圧倒的に足りていないのだ。引っ越す前に、本の重量に耐えかねて棚板が割れてしまった本棚を一本廃棄、そして一本を友人に讓り、さらに背の低い(=空間利用効率の悪い)本棚を二本売り払い、そしてなんと引っ越した直後に本棚が一本崩壞するという非常事態を経験してしまったのだ(こんな経験する奴、世の中にも珍しいだろう……)。これで残っている本棚はたったの六本。約半分だ。收容能力が完全に負けている。
 かくして今日、本棚を新たに発注することとなった。
 これまで家具用のものを主に使っていたのだが、考えを改め、事務用どころか図書館用の頑強一点張りの本棚を二本注文したのだ。高さは2メートル20センチ強、幅は1メートル弱だ(爆)。しかも両面仕様。部屋の中の本棚の配置を考えつつ、思うことは、「ああ、図書館建築論の授業を受けていて良かった」。
 なんか間違っているんじゃないかという心の奧底から沸き上がる一人突っ込みを強靭な精神力で押さえ込みつつ、書架の配置に頭を悩ませるのであった。

 意外なところで意外な人に……ってゆーか、東京って狹い。
 池袋の東急ハンズへ行った帰り、都電荒川線に搖られている最中、ふと前を見たら、席に座っているのは早稲田大学アジア太平洋研究センター小林教授ではないですか。帝京大学時代から、図書館情報大学学部生時代にかけて、隨分目をかけて頂いた先生である。山ほど仕事を頂いて、この先生から請け負った仕事が今の私を形作っていると、言えなくもないかもしれない。
 他愛もない話をして別れたが、なんとなく、これからが思いやられる気がした。

 師といえば、転居連絡の葉書に律義に返事をしたためて下さった方が一人。私が教科書の編輯を手伝った先生なのだが、手紙の中で、私が手伝った教科書が1万冊くらい出ました、なんて書いてあった。
 教科書ってロングセラーになるから恐い。タダでいいから、全部編輯やり直したい気分だ。

 人生って、こうやって取り返しのつかない恥を積み重ねていくことなのかも知れないと思う今日この頃であった。


2000年7月6日(木曜日)
 ネクタイを締めて、スーツを着て、出かける先は千代田区紀尾井町、日本文藝家協会。
 今日は定例の理事会があって、そこで新しい局員が一人紹介されたのだ。誰であろう、小熊善之…つまり私である。
 小熊は、日本文藝家協会の職員になりました。
 まあ、色々あったんです。私にも、協会にも。
 そういうわけですんで、今後とも宜しくお願いいたします。

 さて、明日に迫った『超漢字2』ですが、みなさん心待ちにしておられることでしょう。小熊はどきどきしながら今日、『超漢字2』に触ってきました。職場で。
 一見すると、殆ど何も変わってないように見えますが、細かいところで色々と手が加えられているようです。
 BTRON Clubに加入している方は既にご存知の通りの、世界言語入力も使ってみました。韓国語で。多少挙動に疑問がないわけではないですが、ハングル漢字変換ができるなど、「とりあえず文字が出るだけ」から一歩進んだ姿が見受けられました。
 縦書き文書エディタは……まあ、とりあえず縦書きができるというレベルですね。仮身は横になりますし、画像を挿入すると入力位置が少々狂ったりと、ご愛敬と言うにはちと苦しいかも。
 あとこれは機械固有の問題だと思うのだが、シフトキーや制御キーを押しながらのポインティングデバイス操作で、妙な挙動を示した。まあ、FMVだったから……。明日以降、自分のマシンで確認しないと分からないところだ。
 そうそう。キーアサインを変更している方は、要注意です。縦書き対応により、キーマップが一部追加されているので、現在の定義はそのままでは縦書き時に問題を生じます。
 それではでは。


2000年7月7日(金曜日)
 今日はつくばへ行って後始末の続き。もう暫く、こんな生活が続くみたい。

 今日から、本の整理を始める。
 設置場所を決定した本棚から、とりあえず埋めることにするが、漫画と小説はあまりにも量が多いので後回しにする。雑誌も、新設の鉄製に放り込むつもり(雑誌は単位辺りの重量が重いため)なので、これも手が付けられない。
 よって、まずは歴史や社会や国際問題やルポタージュ……などを開くことにする。
 ……が、それだけで箱が五箱も六箱もあるって辺りがなんともはや。


2000年7月8日(土曜日)
 颱風が吹き荒れる中、午前5時過ぎまで本を片付け続ける。しかし、やっと本棚3本が埋まっただけ。新しい書架が来るまでに、あと3本を埋めておかねば。
 寢て起きると颱風一過。
 夕刻、池袋の東急ハンズへ出かけて、アングルを買ってくる。家で組み立てを始めたところに電話。王子駅からnyちゃん。
 怪しい編集に続いての、デンパ襲来であった。
2000年7月9日(日曜日)
 朝日を拝んでから寢る。部屋が東向きなので、朝焼けが綺麗に見える。
 その分、洗濯物とか大変だけど。

 アングルで作った棚にビデオやらテレビやら電話やらをぶち込んで積み上げる。途中、足りないケーブルなどを秋葉原へ買い出しに行ったりして。カラーボックスも積み上げて、高さを稼ぐ。とにかく狹い部屋なのだ。空間を立体的に利用しなければいけない。
 そのうち、どこぞの研究室のように、上下二段に区切るようになったりして……(笑)。
 そして本の片付けを再開する。あっという間に2本が埋まる。あとは辞書の本棚なのだが……愼重に位置決めをしておかないと。なにしろ一度据え付けた本棚は、まず動かせないのだから……。

 とりあえず今日はこれから、夏コミ向け同人誌のデータの作成にかかる。本文は殆ど終わっているので、後は表紙だけだ。


2000年7月10日(月曜日)
 サークルの交渉担当に夏コミ向け同人誌のデータを渡す。40MB以上あるという、それはそれは素晴らしいシロモノだ。これでよほどのことがない限り入稿は大丈夫だろう。
 というわけで、夏コミ新刊は、最低一冊は確保出来ました。あとはもう一冊、だね。

 その後、協会へ。ひたすらPCをいじる。管理者のいないPCって恐いですね。アプリケーションは豊富なのに、ツール類が何もないので、物凄く苦労する。
 そして最後に協会のWeb Pageを更新しようとして、果たせなかった。どういうわけか、ftpで接続できない。
 というわけで、「協会のページが全然更新されてないぞ!」とお叱りのメールを小熊宛に出した方々。もう少し待って下さい。

 ……にしても、協会のPC群の面倒を全部私がみることになるんだろうなぁ、多分……。


2000年7月11日(火曜日)
 職場で、ひたすら共有されているPCの整備に時間を費やす。死にそう……。
 使われていなかったTAのファームウェアのアップデートやら、それに伴う設定変更やら、ppp接続先の変更やらなにやら。
 今日もftp接続は果たせず、協会のweb pageのアップデートはお預け。
 ところで私の勤務開始日って、まだ先なんだよね。知ってた?(炸裂)

 友人のてつまよしとうさんがアスキーエンタテイメント大賞小説部門で佳作に選ばれました。おめでとうございます。
 彼の努力にはいつも頭が下がる思いです。とうとう、摑みましたね。


2000年7月12日(水曜日)
 真っ昼間から秋葉原を放浪したもんだから、ちょっと熱射病気味。しかしお陰で、大体の相場が摑めた。仕事用のPCを自作するか既製品を買うか、判斷に苦しむところ。局長からはどっちでもいいと言われているが、コストパフォーマンスは厳しく見ないといけないと思うのだ。
 もっとも、私は「Thunderbirdの1GHzだ!」とかいう人間ではないので、液晶ディスプレイが最も値の張る部品になりそう……。
 問題はソフトウェアの料金なのだ。仕事場ではMS-Officeを使わざるをえないので、これが職場でライセンスをとっていれば自作、とっていなければ既製品という線ですかねぇ。
 見積を立てて、提出せねばな。

 今日、ふと思い付く。職場にダイヤルアップルータを入れてはどうだろうか、と。プロキシサーバを立てるのも予算折衝が大変そうなので、オールインワンタイプのダイヤルアップルータを私のPCの附属品として購入してしまい、局内のLANに繫いで、こいつをゲートウェイにするというわけだ。思い付きにしては結構いけるかも。
 なにしろ私の負担が少ないのが良い。
 あとはホスティングサービスなどで文藝家協会の独自ドメインを取ればいい。
 これで低いコストで最適の結果が得られるだろう。局内にサーバを置いて独自のIPを取得する(もちろん、全部私が担当する)よりよっぽど現実的だ。

 明日、いよいよ本棚がやってくる。これで本が片付けられるぜ……。


2000年7月13日(木曜日)
 注文していた本棚が届いた
 業者は「個人でこんなものを買うのは初めて」と言い、本の入った段ボール箱を見て呆れ返った。
 そしてその後はひたすらに本を本棚に詰め込む作業に没頭する。途中、棚板が足りなくなったので、不足分を計数して発注。順調に本の入った段ボール箱は消えていく。あとは、棚板が揃ってから、ってとこ。
 さ。あとは机と椅子を買ってくれば、なんとか形にはなるな。

2000年7月14日(金曜日)
 職場でのカルチャーショックは、毎日のように私の人生を新鮮にしてくれている。世界は広い……いや、狹いのか?

 机を買おうと思って秋葉原へ仕事帰りに寄ったら、目を着けていた机が丁度品切れだった。では他のもので手を打とうかとうろうろしてみたが、なかなか良さそうなものに出会えず、退散する。
 本音を言えば、巨大な事務机が欲しいのだが、そんなものをおくスペースは当然ないので、なんとかして有効にスペースが使える机が欲しいのだ。
 あまりないようだったら、また自作に走るかも知れず。

 ふと思ったのだが、「自分に気に入ったものが既製品にないのであれば作ってしまえ!」という姿勢が、人生を不幸にする一つの要因なのではなかろうか? やはり分を弁えることが大切なのか。

 超漢字2の基本ブラウザで、テキストボックスの中でカレット位置の表示がおかしい。バグか?


2000年7月16日(日曜日)
 15日はBTRON Clubへ行ってそのまま徹夜で歌っていた。面子はπちゃんnyちゃん長濱さんのいつもの面子に、きしもとさん里見くんが徹夜カラオケに突入。
 今回はnyちゃんが「『Last regrets』と『風の辿り着く場所』を歌うんだ」と一般人には意味不明な要望を出したためにセガカラとなる。
 本当はカラオケの前にみんなで『人狼』を観よう!という話になってテアトルに雪崩込んだのだが、なんと最終上映が別の映画に切り替わっていたため果たせなかった。
 午前0時からの歌いっぱなしモードで5時まで歌う。
 なぜか里見くんが『Last regrets』と『風の辿り着く場所』を歌えたのが謎であったが、『Brand New Heart』が歌えたことも謎だと思った。

 朝になって、飯を食って別れる。
 高速バスが夜である長濱さんが我が家に逗留して仮眠。午前10時過ぎに起きて、長濱さんのリクエストによりビデオ撮りしておいた『仮面ライダー クウガ』を一緒に見る。なにやら妙な図形が出ていたが、あれが美崎さんがTRONコードに入れようと主張している文字なのだろうか?
 別にいいけど、もう(かなり投げ遣り)。

 起きて、新宿へ移動。『人狼』を観る。殆ど執念であった。
 とにかく『人狼』は良い映画であるので、見なければいけない(特に松澤くん、君は)。そういえば『RONIN』のDVDが出ているんだっけなぁ……。

 『人狼』のサントラとプロモーション用DVDを勢いで買ってしまったため、手持ちの金が金が尽きてしまい、杉勇クラブには不参加と相成る。
 おいおい。まだあと追加の棚板と机を買うんだろう……?

 皆既月蝕を見逃してしまう。悔しい!


2000年7月17日(月曜日)
 実は今日から正式な出勤日であった。先週殆ど連日行っていたような気もするが。
 まあ、細かいことを気にしていては、人生は送っていけないので、とにかく今日から出勤日だった。
 先週の間に局内の配線を全部把握し、機器の接続関係を整理し、改善案を提出していたのだが、今日、正式にGoサインがでた。暫くはSEの真似事である。
 他にも局内のコンピュータがらみの問題は全て降りかかってくるが、一つ一つ片付けていこう。全部片付けるには年単位で時間がかかるだろうが……。
 とにかく小さい職場であり、また色々とあって、なんでもしなくてはいけない。ある意味、「なんでもこなせる便利なアイテム」小熊善之の本領発揮な職場ではあるのだから。

 ヤクルトスワローズ古田捕手に対し、アマチュア野球連盟がオリンピック参加を要請したという。古田捕手は、セントラルリーグ各球団が提出したオリンピック派遣拒否選手名簿に掲載されている。それでもアマチュア側が古田捕手を求めたことを、古田捕手本人は言うまでもなく、ヤクルト球団、ヤクルトファンは誇りに思うべきであり、彼らの要請に応えるべきだと思う。
 はっきり言って、ジャイアンツファンである私にとって、それだけ求められる選手を抱えているスワローズが羨ましい。


2000年7月18日(火曜日)
 勤務日二日目。
 殆ど一日PCの前に座って過ごす。メーラーをOutlook ExpressからDatulaに変更する。メールを全て移行し、整理する。そう、これまでメールは全く仕分けされていなかったのだ。
 ああ、信じ難い。
 とにかく、なんでもやるしかないのだ。
 夕食は歓迎会他を兼ねて、維新號で会食だった。美味しい中華に舌鼓。話は職場のことやらなにやら。何しろ八面六臂の活躍を期待されているらしいので情報だけはしっかり集めておかねば。
 家に帰りつくと、同人誌の件でFAXと電話。
 勤め人は大変だぁ(爆)。

 クレヨン社に復活の兆しと聞いて、一気に盛り上がる。なんか今年っていいこと尽くめ?


2000年7月19日(水曜日)
 小さな職場では、スペシャリストよりもグローバリストの方が重宝される。
 スペシャリティに欠けたところがある私にとっては、ある意味良い職場なのだろう……。
 今日は秋葉原へ行って、自分のPCの部品を調達。しかし多くの部品を湘南通商で買い求めているあたりで、正体が知れるというか何というか。
 とにかく私のPCの予算の範囲内でダイヤルアップルータとできればプリントサーバを台数分確保するのが優先事項であり、私のPCのスペックなど、気にすることではない。仕事をするのであって、ビデオ編輯や画像加工をするのではないのだ。

 なんとか定時 + 1hで脱出し、自宅へ。注文していた本棚の追加棚板が届く。これで本が全部收納できた。
 凄い凄い。これだけの本を收納して、まだ余裕がある! ひゃっほう。

 NHK名古屋放送局が“CK75”と銘打って、開局75周年記念イベントをやっているらしい。
 CKというのは、NHK名古屋放送局のコールサインであるJOCKに由来する。電波局には基本的にコールサインが割り振られるが、日本の放送局はJOで始まり、NHK東京放送局のJOAKを筆頭に、大阪放送局がJOBK、名古屋放送局がJOCKと割り振られた。その次は当然JODKであり、JOEKとなるように思うだろうが、実はJOCKの次はJOFKで広島放送局である。
 これがなぜかといえば、JODKは今は無き京城放送局であり、JOEKは予約されていたからである(恐らく台北あたりのためであろう)。日本で四番目に開局した放送局が“殖民地”にあって、その放送局では毎日のように“朝鮮語放送”があったという事実を意図的に無視して日本の朝鮮統治政策を語るものに災いあれ。

 デンパ大阪が職場でバリバリのオタクと見られるようになったことについて、本人は『違うんだ、これには事情が〜〜〜〜〜』と叫んでいたが、一体どういう事情があるのかとくと聞かせてもらいたいものである。
 一体誰が納得するものか。


2000年7月20日(木曜日)
 休日出勤して、ダイヤルアップルータの設定や、それに伴う電話線の拔き差しなど。仕事中にやるわけにはいかないので休日を利用させてもらった。一応、タダ働きではないらしい。
 LANに繫がった全マシンが、それぞれのモデムからダイヤルアップするという謎めいた構成とは、これでおさらばである。TAが二台とそれに付隨するケーブル類が箱一杯になる予定。
 次はプリントサーバを導入するぞ。
 最近すっかりSEだなぁ。(もちろん、通常の局員の仕事もちゃんとある)

 今日は休日だったので、作務衣鉢巻姿で職場へ行ったのだが、休日出勤組には好評だった。


2000年7月21日(金曜日)
 モーレツな一日。
 朝、出勤。少し仕事して、すぐに秋葉原へ。午後、局に戻ってきて、PCの組み立て作業に入る。ところがここでPCが起動しない。CPUがおかしいと睨むが、ずっとあとになってビデオである可能性の方が高いことに気付くが、その時には既に高速バスつくば号に乗っていた(笑)
 仕事の方は、いよいよ引き継ぎが本格化してきているのだが、完全にオーバーワーク状態。多分一月はこんな感じだろう。
 定時 + 30minで退勤して、永田町→四谷→東京のルートで高速バスつくば号に乗って一路つくばへ。図情大へ行って竹居さんと会う。食事がてら仕事上の愚痴などを聞いてもらう。

 食事の後、いよいよメインイベント。つくばから魚津へ、車でGo!


2000年7月22日(土曜日)
 午前0時半頃、横川S.A.まで辿り着いた時点で、睡魔が厳しくなってきたので仮眠。午前4時半ころ起きて、5時に出発。実家に着いたのが8時半頃であった。
 朝食を頂きながら親父殿から下命。私が正月に修論を書くために使ったPCから超漢字を消してWindowsを再インストールしておけ、と。
 かくして午前中をPCのセットアップに費やす。
 途中で寢てしまい、実際にセットアップが終わったのは大分後であった。

 夜、実家の院内LANのチェックをする。電子カルテシステムを入れているのだが、サーバのNTと受け付けのクライアント(Win98)はきちんと繫がるのに、書齋のPC(Win98 on PC-9821)が繫がらないとのこと。
 調べてみると、プロトコルはNetBEUIだけだったので、パケットが通っていれば繫がる筈。とりあえずパケットが届いているかどうか調べるため、IPアドレスを固定で割り振ってみて、pingを飛ばしてみる。すると、どちらから飛ばしてもReplyがない。
 おかしぃな〜と思ってハブをチェックしてみると、ランプが付いていない。拔き差ししてみるが、書齋のPCへ繫がっているポートのランプはつかない。つまりこれは、斷線?  確認してみると、ケーブルは斷線していないらしい。
 よって答え:NIC不良。
 一件落着。

 なんか職場でも実家でも似たようなことやってるなぁ、俺……。


2000年7月23日(日曜日)
 特急北陸の寢台車で午前6時の上野駅に。車中、冷房が効いていて、冷房苦手な私はちょっとふらふら。夏の寢台車は、これがあったか……。

 とりあえず、局で使う予定で買ってきたCPUのチェックをしてみたら、完動品だった。よって、問題点はM/BかVideoかメモリということになる。一番怪しいのはVideoカードだな。
 とにかく、秋葉原で予備のビデオカードを用意する。ビデオカードだけは何枚あっても損はないからね。

 夜、緊急警戒警報発令。
 幕張メッセでキャラクターショーへ参戦するために上京してきていたデンパ大阪から電話が入り、これから襲撃すると予告される。
 かくして転居以来、何度となく受けたなかで最大のデンパ攻撃の受難に晒されることとなったのである。
 デンパ大阪は我が家へやってくると、書庫の中に入り、しきりに写真を撮っていった。
 私の家は観光スポットか!?


2000年7月24日(月曜日)
 結局、原因はビデオカードでした。
 予備にと買ったMatroxのMillennium G200を突っ込んだら平然と動いた。結局ジャンクで買ってきたDiamond MultimediaのViper V730はお払い箱にする予定。動かへんのではどおにもならん。

 今日は自分のPCを完成させ、Windows98をインストールし、プリントサーバを設定し……とやっぱりSEをやっていた。しかし、これでハード面についてはほぼ收束を見たので(あと何点か残ってはいるが)、明日からはいよいよソフト面の整備にかかる。
 何しろこれまではプリインストールマシンのOfficeセットを個々にインストールしていたので、バージョン管理もクソもあったもんじゃなかったのだ。
 幸いにもというべきか、PCが6台になったので、Microsoftのインストールランセンスを買った方が廉くなる筈である。


2000年7月25日(火曜日)
 久しぶりに雨。
 雨は出勤直後に降り始め、その後止んでいたが、私の帰宅直後にまた降り始めた。
 いやはや、日頃の行いの為せる技であろう。

 某デンパ大阪日記で私が甚平を着ていたという記述があったが、大間違いである。私が着ていたのは作務衣であって斷じて甚平ではない。許しがたい間違いであると言えよう。
 まったく、これだからデンパはいけない。誰も気にも留めないようなきまオレの英語版における修正箇所にはこだわるくせに、甚平と作務衣の違いすら分からないのだから。

 今日から自炊を再開。
 茄子を焼いて生姜醬油で食べる。幸せ。
 余談であるが、スーパーへバターを買いに行ったら、商品が一種類しかなかった。改めて雪印の市場占有力を思い知った。

 来月の家賃を振り込んだら、残高が3ケタになってしまった。いと悲し。


2000年7月26日(水曜日)
 フランスで、コンコルドが墜落した。
 世界初であり、また現用では唯一の超音速旅客機であるが、開発を行った英仏両国において十数機が運用されるだけである。機体の価格や、運用費用も然る事ながら、それ以上に問題なのは航路の設定であることは余り知られていない。超音速飛翔体が発生させる衝撃波は、遠く地上まで届き、民家の窓硝子を割るなどの被害を与えるのだ。
 かくして超音速旅客機といえども超音速で飛行出来る航路は限られてしまい、その有用性を著しく損ねていたのだ。
 旅客機は超音速で飛ぶことを諦め、今ではエアバスA3XXのような大量輸送手段としての地歩を確立しつつある……。
 夢のない話だねぇ。

 仕事帰りに秋葉原に寄った。
 と書くと、一部の人間は、「今日発売のラブひなのキャラクターCD第二段を買いに行ったに違いない!」と巨大な誤解をするだろう。それはデンパの勘繰りというものである。
 残念ながら仕事である。
 ラオックスのザ・コンへ行って見積を立ててもらっていたのだ。
 もちろん、TRONWARE vol.64を手に入れたのは偶然であり、余録というものである。他にも角川スニーカー文庫朝日ソノラマ文庫の新刊、それに渡辺多恵子の『風光る』なんかがバッグに放り込まれていたとしても、それらは全てたまさかの偶然が作用しただけなのである。

 TRONWARE vol.64には前々回のBTRON Clubの私の発表のことも載っけられているのだが、そこでは私がUnicode批判をしたように書いてある。
 なんと恐れ多いことか。誰がそんな批判をしたというのであろうか。
 私はただ、連中の考えていることは既に私の理解の範疇外だと言っただけだ。
 勿論それは私の理解力が及ばないためであり、きっとUnicoderたちの頭の中では、UnicodeとIntelligent Fontによる理想的な多言語処理モデルが確立しているのであろう。残念なことに、非才浅学の我が身には、全くといっていいほど分からないのである。
 ちなみに理解不能という点に於いては、超漢字2もいい勝負である。
 この辺については次回のBTRON Clubあたりで発表する予定。


2000年7月27日(木曜日)
 今日は仕事の都合でスーツ姿で出勤。

 さて、明日は長年関係者をやきもきさせ続けてきていた、某GT書体のお披露目会である。明日の発表によって、一体何が変わるのか、あるいは変わらないのか、興味深く見拔いていきたいものだ。
 なんでもBTRONライター氏も会場にはせ参じると言うことであるので、せいぜい見つからないようにしなければならないだろう。

 漢字といえば、超漢字2では文字検索小物のデータが大幅に拡充されている。GTもこれに加わる。
 単純に“凄い”などと思わないで欲しい。
 PMCの住谷さんや大出さんの巌窟王ばりの努力によって、このデータウェアは整備されているのだ。このような超人的な所行を、ゆめゆめ疎かにしてはいけないのである。

 TRONWARE vol.64の表2の超漢字2の広告の注意書に引っ掛かる。
「アラビア語やヘブライ語などの特殊な書記方向には対応しておりません」
 はて。
 アラビア語やヘブライ語などは「特殊な書記方向」の言語であっただろうか? たかだか右横書きではないか
 言うまでもないがアラビア語は世界的にもメジャーな言語であるし、アラビア文字ならびに借字・改良文字系となると、アジア世界には十以上を数えることができよう。
 多国語処理を標榜するBTRONとして、「特殊な」などという表現は愼むべきだろう。


2000年7月28日(金曜日)
 今日は仕事で出張。目的地は東大。GT書体の発表会へ。
 発表会の後の懇親会にも公費で参加。ただ飯ただ酒だべり三昧。
 大日本印刷の人やオムロンの人とTRONや多言語について語らう。
 懇親会がはねたあと、吉目木晴彦さんと中沢けいさんと呑みに。といっても私は既にお茶状態でしたが。ここで23時くらいまでだべる。なかなか面白い話をたくさんしたが、残念ながらここには書けないことが多い。
 しかし思うに、コンピュータってのは便利なようで不便な機械だねぇ。
(勿論それでも便利なんだが)

2000年7月29日(土曜日)
 午前中、注文していた机が届く。当然、そのまま組み立てを開始し、その後、PCの移築作業にかかる。次々と箱から機器と線が引っ張り出され、PCが元の姿を取り戻してく姿は、いっそ清々しいほどであった。

 午後は、小林めぐみさんの『続・大地をわたる声を聞け』の発送作業に忙殺される。結局23時頃まで、この作業をやっていた。
 私が編輯をやった本だが、いよいよ発送間近。感慨無量という奴である。


2000年7月30日(日曜日)
 午前4時までチャットをしていて、寢て起きたら午前10時。
 昼前に、志茂の害人こと工作者が襲来し、怪しいビデオを持ってくる。一緒に鑑賞していたら、途中で警察がやってくる。なんということだ! このまま私は無実の罪を着せられてしまうのか!
 しかし文藝家協会のネームバリューで切り拔けることに成功したのであった。(一部嘘)

 害人さんが帰った後、秋葉原へ扇風機を買いに行く。書庫の方にPCを移したのだが、なにしろ書庫なので、熱気が籠って凄い状態なのだ。最近、換気扇のように真四角な扇風機があって、とても雅に感じていたので、4千円ほどで購入。
 ここで某ミニコンのnyと合流し、一路自宅へ。
 彼は『続・大地』を逸早く見たいと我が家へ押しかけてきたのである。
 そんなに急がなくても、8月中には手に入るだろうに……。
 これだからデンパな人達の考えることはわからない。

 聞けばnyちゃんはまだ『人狼』を見ていないという。
 それはいけない。今からなら最終上映に間に合うぞ!
 ということで、nyちゃんを引きずってテアトル新宿へ出かける。都合三度目の鑑賞。良い映画は何度見ても良い。

 疲れ果てて家に帰ってきたら、シューマッハがオープニングラップで姿を消していた。というわけで、結果を待たずに寢ることにした。


2000年7月31日(月曜日)
 7月が終わる。
 なんというかこの7月は、私の人生の中でも有数の濃い時間を過ごしたような気がする。振り返れば微速度撮影された運動写真のようでもあり、また高速度撮影された分解写真のようでもある。
 8月は、きっと7月よりもゆっくりと、そして駆け足に過ぎていくに違いない。日常という奴だ。
 私が、常に望んでやまないものだ。

 そおいえば、BLACKの中にGT書体いんぷれっしょんというページができていることに気付いていない人間がなぜか多いようだ。
 どいつもこいつも、一気に日記に飛んできやがって。