GT書体いんぷれっしょん
そのプロジェクト開始から既に5年。とうとう最終年度を迎えた、GT書体プロジェクト。正式名称、『「マルチメディア通信システムにおける多国語処理の研究」プロジェクト』。これまでの毎年の報告会は荒れる傾向を見せていたが、最後の「発表会」にはいかなる波乱が待っているのであろうかと、出席を下達された某新入局員は、ネズミのように震えながら会場入りしたのであった。
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト及びパーソナルメディア社は関与しておりません。
- 承前
- 会場となった大教室は、最終的に8分入りくらいだった。
入り口で資料をワンセット頂き、中を検める。緑色になったコードブックは、心なしかβの時より重いような気がする……と思っていたら、確かに字数が増えていた。中をちらちらと見ると、去年のβで拔けていた字が入っていた。がむばったんだねぇ。
まず田村先生に挨拶する。「図情大の人」がいきなり「文藝家協会の人」になったことに驚いていらしたが、なにしろ本人が一番驚いているのだからどーしよーもない話だ(笑)。
その後、続々と越塚先生や吉目木さん、PMCの松為さんに泉名社長に住谷さん、諸隈さんらがやってくる。一通りごあいさつ。当然のようにBTRONライター・美崎さんもやってくる。
しかし、会場を見渡しても、うるさ型の人は余りいない。今年は呼ばなかったのか呼ばれなかったのか、あるいは不参加にしたのか……。
そして幕が上がった。
- 最終字数は66,773字
- まず田村先生が挨拶をする。
昨年度6万4千字だった收録字数は、その後のブラッシュアップで最終的に6万7千字弱となったことが伝えられた。またこの過程で、去年のβ版から検字番号に変更が加えられていることが伝えられた。
ただし、今回の番号が最終版であり、今後追加があったとしても、番号は変更されないことが明言された。
当然といえば当然の話で、別にIDが部首画数順に振られている必要など本来はなく、それはあくまで一意識別のために存在すればいいのである。
この後、年度末の来年3月までブラッシュアップの作業は続けられるという……。
- 幕間
- この後、中国古典、日本古典、仏文研究における文献データベース化およびその運用・利用についての発表が3件あった。これについては割愛させてもらう。きっと美崎さんの記事に詳しいだろうし、ここはあくまでGTに焦点を絞りたいからだ。
しかし内容的には面白いことが多く理想と現実の狭間のようなところが多く見受けることができた。
- 博士の異常な愛情
- そして山口明穂先生が壇上に登る。
まず、GT書体の目的を述べる。「機械の上に漢字を載せ、保存するのが目的であり、印刷に使うフォントを作るのが目的ではない」と。続けて「そう言っているのに日本語が通じない奴がいて困る」。5年間の昏いものが想像できる言葉であった。
データの整備にはよほど手間隙をかけたらしく、偏や画数だけでなく、旁や構成要素単位での検索ができるよう、漢字を14,356の構成要素に分解し整理しなおしたという。これもコードブックに入っていた。
この考え方は、それだけを見ると今昔文字鏡にも似ているが、似て非なるものと言えそうである。個人的には、今昔文字鏡よりは洗練されているように見える。これは多分、一人の人間が全てを監修したGTと、多くの人が集まってできた文字鏡との性格の違いに根差すものではなかろうかと思う。
今回会場で配られたCD-ROMにはフォントだけが入っているが、今秋、小学館から発売される『新撰 漢字総覧』という字書には検索ソフトがついてくるという。これはA4版1,500ページほどで予価25,000円。既に配架場所を考えている自分が嫌だった。
- それから
- 途中、CD-ROMの内容の説明やら、現在進行中のDBの話題など折り混ぜながら話は進む。
学術振興会の佐藤さんは、今回のプロジェクトは公共事業のようなものだと言った。なるほど言い得て妙だとは思った。
なにしろ日本では伝統的に、これまでこのような基礎基盤整備事業は、個人が身代を潰して行うものと相場が決まっていたのだが(おいこら)そこに国の金を注ぎ込んだのだから、これは公共事業といっても差し支えはないだろう。それも、極めて重要な。
もっとも、今回のプロジェクトが、新幹線のように成功するか、あるいは農道空港のように失敗するかは、今後にかかっているとも言える。
- 哀はいつでも底にある。
- 坂村先生も田村先生に唆されて壇上に引きずり上げられた。「BTRONでも使えるようになりますよね」という問いに答えて曰、「1週間でできますよ」
やるのはPMCの住谷さんたちだろう……。
どことなく虚ろな視線になった住谷さんを振り向き仰いで、心からのエールを送る。がんばれ住谷さん。負けるな住谷さん。
彼らは発表会が終わるとそそくさと帰っていったのであった……。