六月の忙しさ(予定)を説明する言葉を搜してみると、「盆と正月がいっぺんに来る」とか「結婚式と葬式がいっぺんに……」とか「“春”と“夏”と“冬”がいっぺんに……」とかいう感じかな。最後のはちょっと誤解を招きそうだけど。
夜、NHKスペシャルで17歳少年の起こした三つの事件を取り上げていた。豊川の殺人事件、福岡のバスジャック、神奈川の殺人未遂事件。豊川の事件はともかく、バスジャックと神奈川の方は、特集を見た後もなんだかなぁとか思う。
くだらないのだ。
本人たちにとってみれば、それなりに深刻な事情があったのかもしれないが、残念なことにこちらには何も伝わってこない。きっと、つまり伝えたいという想いと、それを実現する手段との間に巨大なギャップが存在するのだろう。
不本意ながら多言語処理なんかに手を染めていると、コミュニケーションギャップというものに思いを致すこともある。
セガが、アメリカで携帯電話事業に参入するとか。先日社長が交代して、いい加減ハードウェアに手を出すのをやめればいいのにとか私など思うのだがどんなもんだろうか。SEGAのゲームは優秀なんだから、PS2あたりで出せば業績の改善に繫がると思うのだが。
今日は朝から東京シューレへ。IDEC関係で請け負った仕事の打ち合わせ。これが何時までかかるかなと思っていたら、早いうちに終わってしまった。
では、ということで、赤羽へ赴く。実は引っ越しを考えていて、色々な便を考慮し、東京北区に狙いを定めていたのだ。赤羽で降りて、道を歩きながら目に着いた不動産屋に次々と飛び込んで物件を搜す。四件目で非常に面白い……もとい、非常に良い物件に出会い、とりあえず押さえる。入居審査を受ける。
フリーランスの何でも屋など、ある意味オウム信者並みに胡散臭いわけで、仕事は何だとか收入はどのくらいだ(ンなこと判ったらフリーランスとは言わんわい)……うんぬんかんぬん。
結果は明日明後日中には判明するらしい。
この時点で午後5時。
実は半徹夜明けで、もう帰ろうかと思っていたのだが、一つだけ「どうせここまで来たんだ。毒皿!」と気合を入れ直し、赤羽から新宿へ向かう。そしてテアトル新宿で『人狼』を観た。
完成から日本公開まで2年かかった話題作。外国で先に高い評価を得ての凱旋帰国だ。
ずばり、観ましょう。
もう、全編これ哀っすよ、哀。
何が哀しいって、否定できないというか、回避できない哀しみが迫ってきているのが分かっているのに、それに向かって全力で突撃していく狗の姿が激・哀です。その僅かな時間に見る夢が、現実に押し潰されていくのに、何もできない、いやむしろ積極的に破壞していく狗狼。
素晴らしい映画です。また機会があれば観に行きます。
小林めぐみさんの『続・大地をわたる声を聞け』の私家版の予約が始まりました。ジュブナイル好きの人は、どうぞ(^^)。
図情大へ出向いたら、入り口に国旗が掲揚されていた。とは言っても、喪章のついた弔旗。そうか、今日は小渕前首相の葬儀であったか。
盛大な葬式をするのは結構なのだが、気をつけねばいけないのは、葬式とは生者のためものであるということである。死者は、当然死んでいるのであるから、無縁仏として葬られようと、神として神社に奉られようと、文句を言ったりはしない。
誰が何のために葬儀をしているのか、ということを考えると、なかなかに興味深いものがある。社会学や民俗学の領域だが、今回の葬儀は政治学かな。
人の死は感情的には哀しいことだし、人格才能経験の喪失という意味では損失なのであるが、それは思惟の中にあればいいことで、なにも形にしなくてもいいんじゃないかとつい考えてしまう。
多分、それでは何かが駄目なのだろう。
月が改まってから、仕事の調査が難航している。先月が結構いい感じだっただけに、一週間もの停滞は、方向や手法が根本的に間違っているのではないかと疑うに足る。一度よく足元を確認してみよう。私が間違っているのなら良いのだが。
ニュースを見ていたら、日本文藝家協会の新理事長が選出されたと報道されていた。よっぽど報道することがなかったのか、それとも私の認識以上に文藝家協会という組織が高名なのか……後者だろうな(^^;。
SCEIは我が世の春ですな。PSoneのニュースを見て、そう思うのであった。でもこれ、電池では動かないのね。電池で動けば面白いところなんだけど。
IDECの資料作りの方が、なんとなく嫌な雰囲気。真っ白な工程表が、恐い。手が付けられるところは当然手を付けているのだが、手が付けられないところが半分以上というのが恐い。今度の火曜日にどれだけ原稿が揃うかで、決まるだろう。
帰り道、母がふと公団住宅の看板に気付き、「見るのはタダだ」と見に行くことに。確かに契約更新がなかったりとか、広さの割に廉かったりとかいいことは多いのだが、なにしろ抽選だし、色々条件も厳しい。なにより、絶対的に高い。
私がベストセラー作家だとかいうならともかく、今の私には高嶺の花というものだ。
かくして午前中一杯部屋を見て歩き、午後になってつくばへ帰る。なんとなく喉が痛かったので、ひたち野うしくのローソンでリゲインを買って飲み、ふらふらになりながらも車を転がして自宅へ帰り、バタンキュー。起きれば23時であった。
幸い、徹夜で月曜〆の仕事を先にやっつけてあったので、ほくほくと寢ることにする。
昨日上京した折りに、なぜか買ってきてしまった書誌学の教本を眺める。こんな本が4,000円だもんなぁ。ラテン語の教本より高いぜ。でも書誌学って楽しいんだよ。もう、知識が縦横無尽ってゆーかさ、ありとあらゆる分野に通じているから。必ず何かしら新しい発見があったりするわけで。
つまり、自分の知識の見直しなんだけど。
書誌学というのは、書物の中身ではなくて、その体裁を対象とする学問だ(もちろん中身についても一定以上の理解が求められるが)。よって、何よりもまず、沢山の書物と接していることが望まれるわけだ。
私のように、蔵書がせいぜい1万冊、これまで読んだ本も2万冊程度の人間では、分野が偏ってしまって、必要な時に必要な書物を例として引くことができず、例を求めてうろうろすることになる。
もっともっと、幅広く奧深い知識が欲しい。
しかし私が敬服する知見の持ち主という方々は、どういうワケか偉人というより奇人に近く、賢人というより変人に近い。前車の轍こそ踏まぬよう、気をつけねばならぬだろう。
韓国と朝鮮の首脳会談が平壤で行われている。言うまでもなく、朝鮮半島の南北分斷以来初めてのことだ。
この会談で状況が大きく変わることはないと思われているが、見方を変えると、状況を急変させないための首脳会談でもあるわけだ。朝鮮半島情勢の急変は、直接の当事者である韓国・朝鮮両国にとっては言うまでもなく、歴史的に因縁深い日本にとっても、控え目に言って迷惑な事態だし、最近反目の度を深めている米中両国の対立要因となりうる。
要するに、誰も彼もが、現状維持、あるいは穏やかな変化を望んでいるわけだ。
もっとも、時代が人間の望み通りに動くばかりではないのだが。
選挙戦が始まって、世間が騷がしくなってきているが、つくばは靜かなものだ。今の衆院の選挙制度は複雑怪奇で、小選挙区比例代表並立制はともかく、重複立候補制度によって、当落が直感的に分かりにくくなっている。
私は今の選挙制度に疑問を持っている。特に、小選挙区には、明確に反対している。理由は単純で、死票が増えるから。代議制民主政治では、投票という形で民意が政治に反映されるわけで、死票を増やすと言うことは、それだけ「汲み取れない」部分を増やすことになる。私は原則的に死票が少なくなる大選挙区制度をよしとする。あるいは、比例代表か。
部屋の契約が終わった後の少し時間ができたので、新宿まで移動してIDECの仕事の臨時打ち合わせ。
こっちの仕事の状態は……「届いた部品を仮組みした段階で離陸した飛行機を、目的地に向かって飛ばしながら組み立てて完成させている」感じ。もちろん足りないところは努力と根性と気合と錯覚と英雄的犠牲行為によって補われて飛んでいるのである(炸裂)。
デンパな職場にはよくあることらしいが、これまで至極真っ当な人生を歩んできた私にとっては、なかなかスリルに満ちた仕事である。
日テレで『紅の豚』を放映していた。この作品、好きなんだよね。1920年代(から30年代)というのは、私のような現代史を学んだものだけでなくとも、惹きつけられて止まない時代だと思う。
19世紀という旧時代の残滓と、20世紀という新時代の風。新技術が次々と社会と生活を変え、新たな科学と思想が人心を惑わした。熱病のような潮流が、世界のあちこちで、後の悲劇の引鉄を引いた。誰が悪かったわけではなかったのに、時代は第二次大戦へと雪崩込んでいった。
そんな未来など露ほども知らず、ただただ平和——後世の視点からしてみれば、それは歪で昏く、熱っぽい混沌——を謳歌していた。
私の専門って、38年±3年くらいなのだよ。知っていたかい?
しかし無情にも仕事は襲いかかり、FAXは延々と紙を吐き続け、今にも空中分解しそうな飛行機を飛ばし続ける曲芸飛行に時間が取られる。とにかく原稿が全部揃わないもんだから、レイアウトがいつまでたっても「案」のままなのが恐いよ。最後にどんでん返しっつーか、「あ、ページ余った……」とか「ぎゃー、ページがたりーん」とか、そおいう恐ろしい事態に陷るのではないかという気がしてならない。
「おいら〜は熱血火の玉。おいら〜にゃでっかい夢がある」とかなんとか口ずさみながらスーパーで買い物をしていたときに、ふと今ここで、「日輪の力を借りて、今、必殺の—!」と掛け声がかかったら全力で逃亡しようと思った。
他愛もない日常の一齣とゆー奴である。間違っても波嵐万丈な日常ではない。
新潟で、山菜取りに行って遭難した人を搜索しにいった警察・消防他の搜索隊が雪崩に巻き込まれて四人が死亡した。
よく忘れそうになることだが、人が遭難するような山岳に搜索隊を派遣するということは、常に二重遭難の可能性を含んでいるのだ。ではなぜ危險を冒してまで人を救いに行くのであろうか。考えるとなかなかに面白いことだ。
一部では既に情報が流れているらしいので書いておくが、GT書体のお披露目がいよいよ7月28日と決まったそうだ。
北ケーブルTVからは返事が来ない。
そんなこんなで身動きが取れない。一人暮らしって、こういう時に不便だよ。あるいは、携帯電話を持てばいいのか……?
北ケーブルTVとのやり取りにより、誰の許可を得れば良いかわかる。明日でも電話をかけることになるだろう。部屋が東向きなので、とにかくケーブルがこないと、衛星放送系は全滅ということになる。わたしはデンパでもラヂオでもオタクでもないが、普通の人よりちょっと情報豊富な生活がしたいとか思っている。
もっとも、情報量はエンゲル係数で測れるものではないが。
岡山県の少年(17歳)が、学校で後輩をバットで殴った挙げ句行方不明。自宅では母親が死んでいたそうな。何か感想書かねばならんのだろうか。
埼玉県警の警察官が、制止を振り切って向かってきた乗用車に向かって拳銃を5発発砲。埼玉県警はこの発砲に問題はなかったといっているが、本当だろうか。
発砲そのものはともかく、5発というのが気に掛かる。日本の警官が一般的に所持しているニューナンブは5連裝だから、5発射ったいうことは全弾射ち尽くしたと言うことだ。そして日本の警官は通常、替えの弾を持ってはいない。5発目で、相手を完全制止に追い込んだならともかく、実際には自動車は逃走している。
銃を射つなら、射ったなりの結果を出す必要があったのではなかろうか……。(個人的には、たった5発で結果を出せという方が無茶だと思うが)
『一月生まれの今日の運勢。「スケジュールをたくさん入れるとヤル気ダウン。ゆったりめの予定を組みましょう☆☆★」』。
……NieA_7の新聞にそう書いてあったのを見て、なんかすんごく嫌なカンジ。なんでアニメの中に出てくる運勢がタイムリーヒットせにゃならんのか。自分がへたれになった気分だよ。
押し入れの中を整理する。不要なもの、あるいは要度の低いものを選り分ける。使うかもしれない、という殆どゼロに等しい確率のためにとっておいてあった様々な物品を、思い切って捨てる。
一方で、本を次々と段ボールに詰めて積み上げる。本は重い。紙とインクの重さに加えて、情報の重さも加わっているに違いない。おかげで筋肉痛。
とある人物が自らのWebサイト内で、「自分がいわゆる「おたく」だと自称するつもりはない。」と書いていることについて、デンパ大阪氏は「JAROに電話しなきゃいけない」と感想を述べた。私もまったく同じ考えだ。
ULISはいうに及ばず、つくば最大のデンパ源がオタクでなかったら、この世にはオタクと呼べる人がいなくなってしまう。
中部国際空港の埋め立て許可が出たと報じられていた。
え? 埋め立てでやるの? メガフロートじゃなくて?
東京から、星虫入荷の報が届く。ああ、もうじっとしてられないっ。
星虫買ってきました。とりあえず三冊。じゅりちゃんは「5冊とか6冊とかじゃないの?」とか言っていたが、人をなんだと思ってるんだか。
竹居さんが「自分がいわゆる「おたく」だと自称するつもりはない。」ということにツッコミが本人のところへやはり入ったらしく、これに対して竹居さんが日記で「岡田斗司夫と比較して、私はオタクではない」と書いた。これについてつくばと大阪の間でメールが飛び交った。
共通見解としては、「岡田斗司夫と自分を比べている時点で、充分普通じゃない」というものであり、「岡田斗司夫がオタク十段なら、竹居さんはオタク五段だ」というデンパ大阪氏の意見は、恐らく当人以外の誰をも納得させるであろう。なお、「自分(デンパ大阪)は五級くらいだ」という付隨意見は、本人以外の誰をも納得させられないであろう。
さらにデンパ大阪氏はオタクを自称しない竹居さんの心理的側面にまで踏み込んで考察していたが、そんな彼は存分にオタク野郎であった。
あまりに強烈にデンパチックなメールだったためか、PCの調子がやや悪くなった。
昨日の日記について、デンパ大阪氏から「岡田斗司夫はオタク“永世”十段だ」との補足が入ったのでここに追記しておく。
似たようなものじゃないかと思わなくもないが、そのへんがきっとオタクのこだわりなのであろう。
選挙結果を見て、不思議な結果だと思わなくもなかった。
与党の失策は確かに影響を及ぼしているのだが、野党はそれを自らの得点に仕切れていなかったように見える。また、小選挙区制度も与党の崩壞を押し止めた要因の一つだろう。
守りきれなかった自民党、攻めきれなかった民主党。どの党も勝利条件を満たせなかった不思議な選挙だった。
帰り道に、嫌なことがあった。
徹夜明けで意識は朦朧としていたので、どうしても席に座りたかった。そこで上野駅で一本常磐線を見送って、なんとか席に座ったというのに、席が全部埋まった頃に腰の曲がったお婆さんが乗り込んで来て、こともあろうに私の前に来た。これでは立たないわけにはいかないではないか。
せめて優先席を占めている若者の方へ行ってくれたら良かったのに……。
こういう時に羞恥心が刺激されない人間を羨ましいと思った。つまり私は立ったのだ。
発車前に車内は満員電車となり、私は流されもみくちゃになった。
お婆さんは、上野から二駅目、北千住で降りた。当然、その空席は私以外の人間で占められた。私はひたち野うしくまでの約1時間を立っていた。
こんな経験は、二度とゴメンだと思った。
明日もしなければいけないことが、たくさんある。
そして荷作りは進行していない。
D-Dayまで、あと二日しかないよ……。
今日、東京モスクが再建されたらしい。確か戦前(38年だったか)に「東京モスク」という建物があった(できた)と朧気に記憶しているの(昔の研究の関係で)だが、“再建”というからにはきっと関係があるのだろう……。