哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2000年6月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2000年6月1日(木曜日)
 東京シューレへ。
 7月に行われるIDEC (International Democratic Education Conference)で配布する資料の編輯を請け負うことに。他でもやってることがあったりして、体が一つでは足りない感じ(笑)。

2000年6月2日(金曜日)
 国の税收が三年振りに「見込み通り」だったそうな。
 ということは、これまで三年間、予算の歳入額より、実收入が少なかったことになるわけだ。ただでさえ国債で真っ赤っ赤の予算を組んでいたくせに。呆れてものも言えん。
 で、責任をとるべき国会は今日解散。選挙戦に入る。

 六月の忙しさ(予定)を説明する言葉を搜してみると、「盆と正月がいっぺんに来る」とか「結婚式と葬式がいっぺんに……」とか「“春”と“夏”と“冬”がいっぺんに……」とかいう感じかな。最後のはちょっと誤解を招きそうだけど。


2000年6月3日(土曜日)
 本当は遅れ気味の仕事を進めたかったんだけど、昨日の今日で流石に気力が沸かず、午後まで寢て過ごしてしまう。

 夜、NHKスペシャルで17歳少年の起こした三つの事件を取り上げていた。豊川の殺人事件、福岡のバスジャック、神奈川の殺人未遂事件。豊川の事件はともかく、バスジャックと神奈川の方は、特集を見た後もなんだかなぁとか思う。
 くだらないのだ。
 本人たちにとってみれば、それなりに深刻な事情があったのかもしれないが、残念なことにこちらには何も伝わってこない。きっと、つまり伝えたいという想いと、それを実現する手段との間に巨大なギャップが存在するのだろう。
 不本意ながら多言語処理なんかに手を染めていると、コミュニケーションギャップというものに思いを致すこともある。


2000年6月4日(日曜日)
 ゲームで分かる私の性格(笑)。
 石田画伯曰、『最も高価な小説』ことゲーム『星界の紋章』だが、暇を見つけて一日1ステージとかやってたわけだが、いよいよ佳境といったところで、なかなか先に進めなくなった。原因は部下の離反。
 当初から、言うことをなかなかきかない(ある意味、恐ろしく下手な戦法を採る)部下に戦鬪を任せることができず、最大攻撃力の戦隊を自分で指揮し、部下は囮にして殲滅戦を行っていたところ、部下のパラメータが上昇せず、戦力に偏りが生じ終盤戦の分厚い敵戦力を刻んでいけないのだ。
 小熊の数多い欠点の一つが露呈した形になっている。他人を信用することができないために、何もかも自分で抱え込み、しかもある程度までこなしてしまうので破綻を先延ばしにしてしまう。そのため一度破綻した時には、立て直し不能な状態になっている。
 自分でも分かっていることなので、正そうとしている悪癖なのだが……ゲームの中で出てくるとはね。
2000年6月5日(月曜日)
 眠い目こすって図書館で調べもの。でも思うようには進まなかった。むう。イマイチだねぇ。対象が曖昧模糊として、今ひとつシャープに見えてこないところが、きつい。
 一方で他にやらねばいけないこともあったりして、なかなかに忙しい。

 セガが、アメリカで携帯電話事業に参入するとか。先日社長が交代して、いい加減ハードウェアに手を出すのをやめればいいのにとか私など思うのだがどんなもんだろうか。SEGAのゲームは優秀なんだから、PS2あたりで出せば業績の改善に繫がると思うのだが。


2000年6月6日(火曜日)
 一日の密度は、明らかに日によって違いがある。

 今日は朝から東京シューレへ。IDEC関係で請け負った仕事の打ち合わせ。これが何時までかかるかなと思っていたら、早いうちに終わってしまった。

 では、ということで、赤羽へ赴く。実は引っ越しを考えていて、色々な便を考慮し、東京北区に狙いを定めていたのだ。赤羽で降りて、道を歩きながら目に着いた不動産屋に次々と飛び込んで物件を搜す。四件目で非常に面白い……もとい、非常に良い物件に出会い、とりあえず押さえる。入居審査を受ける。
 フリーランスの何でも屋など、ある意味オウム信者並みに胡散臭いわけで、仕事は何だとか收入はどのくらいだ(ンなこと判ったらフリーランスとは言わんわい)……うんぬんかんぬん。
 結果は明日明後日中には判明するらしい。

 この時点で午後5時。
 実は半徹夜明けで、もう帰ろうかと思っていたのだが、一つだけ「どうせここまで来たんだ。毒皿!」と気合を入れ直し、赤羽から新宿へ向かう。そしてテアトル新宿で『人狼』を観た。
 完成から日本公開まで2年かかった話題作。外国で先に高い評価を得ての凱旋帰国だ。
 ずばり、観ましょう。
 もう、全編これっすよ、
 何が哀しいって、否定できないというか、回避できない哀しみが迫ってきているのが分かっているのに、それに向かって全力で突撃していく狗の姿が激・哀です。その僅かな時間に見る夢が、現実に押し潰されていくのに、何もできない、いやむしろ積極的に破壞していく狗狼。
 素晴らしい映画です。また機会があれば観に行きます。


2000年6月7日(水曜日)
 昼に、入居審査にパスしたと連絡があった。かくして東京都民となることがほぼ確実となったわけである。
 現在でも忙しいところに、さらに引っ越しと言うイベントが加わることになり、公私ともに無茶苦茶な状態。

 小林めぐみさんの『続・大地をわたる声を聞け』の私家版の予約が始まりました。ジュブナイル好きの人は、どうぞ(^^)


2000年6月8日(木曜日)
 B-right/VをR.2.022へバージョンアップするために、まずR.2.021へのアップデートを……したらシステムが立ち上がらなくなった。三回やって三回とも駄目。思い知ったのは、超漢字ってインストール楽だなぁとか。
 折角MOをPMC送りにして作ってもらったバージョンアップだったのに、その前の段階でコケてしまった。
 誰か、他に、R.2.021でコケる人いませんか?

 図情大へ出向いたら、入り口に国旗が掲揚されていた。とは言っても、喪章のついた弔旗。そうか、今日は小渕前首相の葬儀であったか。
 盛大な葬式をするのは結構なのだが、気をつけねばいけないのは、葬式とは生者のためものであるということである。死者は、当然死んでいるのであるから、無縁仏として葬られようと、神として神社に奉られようと、文句を言ったりはしない。
 誰が何のために葬儀をしているのか、ということを考えると、なかなかに興味深いものがある。社会学や民俗学の領域だが、今回の葬儀は政治学かな。
 人の死は感情的には哀しいことだし、人格才能経験の喪失という意味では損失なのであるが、それは思惟の中にあればいいことで、なにも形にしなくてもいいんじゃないかとつい考えてしまう。
 多分、それでは何かが駄目なのだろう。

 月が改まってから、仕事の調査が難航している。先月が結構いい感じだっただけに、一週間もの停滞は、方向や手法が根本的に間違っているのではないかと疑うに足る。一度よく足元を確認してみよう。私が間違っているのなら良いのだが。

 ニュースを見ていたら、日本文藝家協会の新理事長が選出されたと報道されていた。よっぽど報道することがなかったのか、それとも私の認識以上に文藝家協会という組織が高名なのか……後者だろうな(^^;


2000年6月9日(金曜日)
 ……。
 ……今日一日で、何回超漢字をインストールしたことだろうか。
 17時ころから、PMCとメールをやり取りしつつ、インストール、バージョンアップ、そして起動不良。HDDを外そうとしてM/Bまで外し、カードを全部外したりデバイスを外したり、そして最後にゃもう一台の方へHDDを持っていって……。
 その結果、AcerのAX59ProではR.2.021/2.022は動かないが、GIGABYTEのGA5AXでは動くということから、M/B依存の問題と判斷するに至る。
 ここで社内で話が回ったらしく、K元くんから電話が。動く方のM/BでバージョンアップをしてDMAの使用を取り消してみてくれ、と。
 確かに、R.2.021での更新はHDDまわりなので、これが怪しい可能性はある。というわけで実際やってみたら動いたんですよ、これが。MOの認識も今度はばっちり。かくしてMOのみならず、M/Bまで送り付けるという事態だけは避けられたのであった。

 SCEIは我が世の春ですな。PSoneのニュースを見て、そう思うのであった。でもこれ、電池では動かないのね。電池で動けば面白いところなんだけど。


2000年6月10日(土曜日)
 土曜日とはいえ、お仕事。フリーランスなんて言葉の響きはカッコよくても、食っていくためには休日返上で働かねばならんのが実情だよね(笑)。
 え? どんな職業だってそりゃ一緒?
 そらごもっとも。

 IDECの資料作りの方が、なんとなく嫌な雰囲気。真っ白な工程表が、恐い。手が付けられるところは当然手を付けているのだが、手が付けられないところが半分以上というのが恐い。今度の火曜日にどれだけ原稿が揃うかで、決まるだろう。


2000年6月11日(日曜日)
 徹夜明けで迎えた朝。
 母が同窓会とやらで上京してきてきたこの機会に、今度契約予定の部屋を見たいを言ったので、日曜日だというのにお願いして部屋を見せてもらうことに。も母も、なにかと上京する機会の多い人なので、東京住まいとなる私の部屋を、ホテル代わりに使おうという魂胆があるようだ。
 私も先日は、唐突な話だったので、メジャー一つ持っていなかったこともあり、懷中にメジャーを忍ばせていく。
 母は部屋を見て「狹い狹い」を連発する。放っといてくれ。都区内でこれだけの物件は他にないぞ、多分。大体、本を置くためにこれでもかなり無理して広い部屋を搜したのだ。
 部屋の中の各部を計測すると、やはり思っていたとおり、各部寸法が“団地サイズ”であり、最初の印象通り、一回り小さいことが判った。悲しいことだが、仕方ない。幸い高さだけは2m以上あるので、これまで以上に積層立体化を推し進め、一方で荷物を処分して押し込むしかなかろう。
 あとの懸案事項は、CATVだけということになる。これの返事がまだ来ない。契約の日までには判明していると思うのだが。

 帰り道、母がふと公団住宅の看板に気付き、「見るのはタダだ」と見に行くことに。確かに契約更新がなかったりとか、広さの割に廉かったりとかいいことは多いのだが、なにしろ抽選だし、色々条件も厳しい。なにより、絶対的に高い。
 私がベストセラー作家だとかいうならともかく、今の私には高嶺の花というものだ。
 かくして午前中一杯部屋を見て歩き、午後になってつくばへ帰る。なんとなく喉が痛かったので、ひたち野うしくのローソンでリゲインを買って飲み、ふらふらになりながらも車を転がして自宅へ帰り、バタンキュー。起きれば23時であった。
 幸い、徹夜で月曜〆の仕事を先にやっつけてあったので、ほくほくと寢ることにする。


2000年6月12日(月曜日)
 昨今、爆発が多いね。群馬じゃ科学工場が爆発。札幌じゃ公園に爆弾。東京では弁護士事務所に爆発物。流行なのかね。

 昨日上京した折りに、なぜか買ってきてしまった書誌学の教本を眺める。こんな本が4,000円だもんなぁ。ラテン語の教本より高いぜ。でも書誌学って楽しいんだよ。もう、知識が縦横無尽ってゆーかさ、ありとあらゆる分野に通じているから。必ず何かしら新しい発見があったりするわけで。
 つまり、自分の知識の見直しなんだけど。


2000年6月13日(火曜日)
 ああ、リニューアル版星虫の発売日まであと10日。私の心は既に第三宇宙速度で衛星軌道の向こうへ行ってしまっています(爆)。朝日ソノラマのサイトに載っていた表紙写真にリンク張ってみたりして。
 旧版のイラストは道原かつみでしたが、新版は鈴木雅久ですね〜。イイ感じですね〜。う〜ん。10冊くらい買おうかな。(ちなみに旧版は現在7冊所持。購入は20冊以上。ただの馬鹿だ)
 む。なんかこんなことを書くと、どこかのデンパとかラヂオとかと一緒扱いされかねないな。くわばらくわばら。

 書誌学というのは、書物の中身ではなくて、その体裁を対象とする学問だ(もちろん中身についても一定以上の理解が求められるが)。よって、何よりもまず、沢山の書物と接していることが望まれるわけだ。
 私のように、蔵書がせいぜい1万冊、これまで読んだ本も2万冊程度の人間では、分野が偏ってしまって、必要な時に必要な書物を例として引くことができず、例を求めてうろうろすることになる。
 もっともっと、幅広く奧深い知識が欲しい。
 しかし私が敬服する知見の持ち主という方々は、どういうワケか偉人というより奇人に近く、賢人というより変人に近い。前車の轍こそ踏まぬよう、気をつけねばならぬだろう。

 韓国と朝鮮の首脳会談が平壤で行われている。言うまでもなく、朝鮮半島の南北分斷以来初めてのことだ。
 この会談で状況が大きく変わることはないと思われているが、見方を変えると、状況を急変させないための首脳会談でもあるわけだ。朝鮮半島情勢の急変は、直接の当事者である韓国・朝鮮両国にとっては言うまでもなく、歴史的に因縁深い日本にとっても、控え目に言って迷惑な事態だし、最近反目の度を深めている米中両国の対立要因となりうる。
 要するに、誰も彼もが、現状維持、あるいは穏やかな変化を望んでいるわけだ。
 もっとも、時代が人間の望み通りに動くばかりではないのだが。


2000年6月14日(水曜日)
 6月ももう半ば。空は梅雨空。月末に向かって仕事は忙しくなる一方だね。ああ、しんどい。楽で金の沢山入ってくる仕事が欲しいねぇ。(誰だってそうだって?)

 選挙戦が始まって、世間が騷がしくなってきているが、つくばは靜かなものだ。今の衆院の選挙制度は複雑怪奇で、小選挙区比例代表並立制はともかく、重複立候補制度によって、当落が直感的に分かりにくくなっている。
 私は今の選挙制度に疑問を持っている。特に、小選挙区には、明確に反対している。理由は単純で、死票が増えるから。代議制民主政治では、投票という形で民意が政治に反映されるわけで、死票を増やすと言うことは、それだけ「汲み取れない」部分を増やすことになる。私は原則的に死票が少なくなる大選挙区制度をよしとする。あるいは、比例代表か。


2000年6月15日(木曜日)
 私に対するよくある誤解として、「この人が知らないことなんてない」というやつがある。どういうわけかごく自然にこういう誤解を抱く人が多いらしく、ミツルんは「ありとあらゆるという表現を使ってしまいそうな分野に精通している」と書くし、小林めぐみさんは「ああ、この人でも知らないことがあるんだな」と感心するし、去年までULISで一緒だった竹之内くんに至っては、私に簿記ができないと知って小躍りして喜ぶ始末。
 冗談じゃないと思う。
 私が知っていることなんて、人類が営々と積み上げた叡智に比べれば、大洋の一滴にもならない。そんなものと比べなくても、私なんぞよりよっぽど博識な碩学なら、日本国内にもゴマンといる。私にとってこの世界は、知らないことだらけだ。
 もし私の前にメフィストフェレスが現れたら、ファウスト博士より素早く契約してしまうことだろう。
2000年6月16日(金曜日)
 引っ越し先の契約を済ませてきました。ふう、一段落って感じ……なんだけど、よくよく考えると、これからが怒濤のように手続きの嵐となるわけか。そもそも、なんでこんなに話が急なのよ。急転直下って、こういう時に使う言葉なのか? 事前の準備に時間がかけられないもんだから、なんか全体的に見切り発車っつーか、空中ブランコの曲芸みたいだよ(涙)。
 予定を睨み付けて頭を捻るも、入居は7月に食い込みそう……駄目だこりゃ。なんか俺の人生って哀で埋まってるじゃん。

 部屋の契約が終わった後の少し時間ができたので、新宿まで移動してIDECの仕事の臨時打ち合わせ。
 こっちの仕事の状態は……「届いた部品を仮組みした段階で離陸した飛行機を、目的地に向かって飛ばしながら組み立てて完成させている」感じ。もちろん足りないところは努力と根性と気合と錯覚と英雄的犠牲行為によって補われて飛んでいるのである(炸裂)。
 デンパな職場にはよくあることらしいが、これまで至極真っ当な人生を歩んできた私にとっては、なかなかスリルに満ちた仕事である。

 日テレで『紅の豚』を放映していた。この作品、好きなんだよね。1920年代(から30年代)というのは、私のような現代史を学んだものだけでなくとも、惹きつけられて止まない時代だと思う。
 19世紀という旧時代の残滓と、20世紀という新時代の風。新技術が次々と社会と生活を変え、新たな科学と思想が人心を惑わした。熱病のような潮流が、世界のあちこちで、後の悲劇の引鉄を引いた。誰が悪かったわけではなかったのに、時代は第二次大戦へと雪崩込んでいった。
 そんな未来など露ほども知らず、ただただ平和——後世の視点からしてみれば、それは歪で昏く、熱っぽい混沌——を謳歌していた。
 私の専門って、38年±3年くらいなのだよ。知っていたかい?


2000年6月17日(土曜日)
 寢倒そう。そうすべきだ。

 しかし無情にも仕事は襲いかかり、FAXは延々と紙を吐き続け、今にも空中分解しそうな飛行機を飛ばし続ける曲芸飛行に時間が取られる。とにかく原稿が全部揃わないもんだから、レイアウトがいつまでたっても「案」のままなのが恐いよ。最後にどんでん返しっつーか、「あ、ページ余った……」とか「ぎゃー、ページがたりーん」とか、そおいう恐ろしい事態に陷るのではないかという気がしてならない。

「おいら〜は熱血火の玉。おいら〜にゃでっかい夢がある」とかなんとか口ずさみながらスーパーで買い物をしていたときに、ふと今ここで、「日輪の力を借りて、今、必殺の—!」と掛け声がかかったら全力で逃亡しようと思った。
 他愛もない日常の一齣とゆー奴である。間違っても波嵐万丈な日常ではない。


2000年6月18日(日曜日)
 午前3時くらいまで、編輯してFAXしてメール受け取って編輯しなおしてFAXしてメール受けて……ということをしていた。どこかの誰かは「正しい編集者生活」などと評したが、正しい編輯者はこういう事態に陷らないように事前に手配を済ませ、準備万端整えて事に臨むのではなかろうかと思わなくもない。そんな編輯者、この世にゃいないって?
 そんな夢も希望もなくなるようなこというなよ。

 新潟で、山菜取りに行って遭難した人を搜索しにいった警察・消防他の搜索隊が雪崩に巻き込まれて四人が死亡した。
 よく忘れそうになることだが、人が遭難するような山岳に搜索隊を派遣するということは、常に二重遭難の可能性を含んでいるのだ。ではなぜ危險を冒してまで人を救いに行くのであろうか。考えるとなかなかに面白いことだ。

 一部では既に情報が流れているらしいので書いておくが、GT書体のお披露目がいよいよ7月28日と決まったそうだ。


2000年6月19日(月曜日)
 引っ越し屋一件に斷られる。

 北ケーブルTVからは返事が来ない。

 そんなこんなで身動きが取れない。一人暮らしって、こういう時に不便だよ。あるいは、携帯電話を持てばいいのか……?


2000年6月20日(火曜日)
 朝一番で引っ越し屋が見積に来る。本だけで段ボール箱80箱と見積もられる。そんでトラックはとうとう4トン車が手配されることに……。
 電話と郵便について、移転の手続きを済ませる。電気と水道は、停止の手続き。あと、こちらの不動産屋にも連絡。とうとう一度も引かれることがなかったケーブルインターネットも解約。ケーブルテレビそのものも、7月2日付で。
 問題は北ケーブルTV。今日になって、ケーブルを引くのは難しいと通告してきた。さあ、誰と誰を説き伏せればいいんだ? 最近の俺はちょっと荒れてるぜ。(心の余裕がないだけとも言う)
2000年6月21日(水曜日)
 引っ越しが決まってからこっち、一日が飛ぶように過ぎていくよ……。
 朝起きる。電話がかかってくる。電話をかける。電話がかかってくる、メールが飛び込んでくる、PCが熱暴走する(爆)。
 午後。FAXが雪崩出す。今日この時点でのレイアウト変更など、追加料金でもくれるなら考えなくもないけれど、まともに考えたら無理だっちゅうに。校了明後日やろ?
 そして引っ越し屋が段ボール箱を持ってくる。家の中は段ボール箱だらけだ。ちまちまと暇を見つけて本を放り込み、とりあえず本棚2本分を片付けたら9箱埋まった。
 しかし、本棚から本を出して箱に詰めて積み上げるわけであるから、箱はどんどん生活空間を埋め尽くしていくわけである。前回の引っ越しの時には、地震がきたらサヨウナラ状態だったが、今回は輪をかけて酷くなるだろう……。

 北ケーブルTVとのやり取りにより、誰の許可を得れば良いかわかる。明日でも電話をかけることになるだろう。部屋が東向きなので、とにかくケーブルがこないと、衛星放送系は全滅ということになる。わたしはデンパでもラヂオでもオタクでもないが、普通の人よりちょっと情報豊富な生活がしたいとか思っている。
 もっとも、情報量はエンゲル係数で測れるものではないが。

 岡山県の少年(17歳)が、学校で後輩をバットで殴った挙げ句行方不明。自宅では母親が死んでいたそうな。何か感想書かねばならんのだろうか。


2000年6月22日(木曜日)
 外電で、米政府がかつて第二次大戦で活躍した日系兵士に勳章を贈ったと報じられた。
 米陸軍第442連隊(及びその前身たる第100大隊)は、第二次大戦の欧州において、最も激しく鬪った部隊の一つだ。あるいは、最も酷使された部隊の一つだ。その使われ方は尋常ではなく、正面突撃を繰り返し要求され、敵に包囲された一個大隊を救出するために投入されたこともあった。
 人種差別がどうのこうのというつもりはない。今更言っても無益だしね。
 思い知るべきは、たとえ時が流れ過ぎた後であっても、自らの過誤を過誤としてみとめ、それが自己満足であるとわかりつつも補償をするその姿勢である。
 全ては過ぎたことだから、と、知らぬ振りを決め込んではいけないことが、国家には存在するのだ。

 埼玉県警の警察官が、制止を振り切って向かってきた乗用車に向かって拳銃を5発発砲。埼玉県警はこの発砲に問題はなかったといっているが、本当だろうか。
 発砲そのものはともかく、5発というのが気に掛かる。日本の警官が一般的に所持しているニューナンブは5連裝だから、5発射ったいうことは全弾射ち尽くしたと言うことだ。そして日本の警官は通常、替えの弾を持ってはいない。5発目で、相手を完全制止に追い込んだならともかく、実際には自動車は逃走している。
 銃を射つなら、射ったなりの結果を出す必要があったのではなかろうか……。(個人的には、たった5発で結果を出せという方が無茶だと思うが)

 『一月生まれの今日の運勢。「スケジュールをたくさん入れるとヤル気ダウン。ゆったりめの予定を組みましょう☆☆★」』。
 ……NieA_7の新聞にそう書いてあったのを見て、なんかすんごく嫌なカンジ。なんでアニメの中に出てくる運勢がタイムリーヒットせにゃならんのか。自分がへたれになった気分だよ。


2000年6月23日(金曜日)
 自分はこんなに時間を使うのが下手だっただろうか? そう思う一日だった。

 押し入れの中を整理する。不要なもの、あるいは要度の低いものを選り分ける。使うかもしれない、という殆どゼロに等しい確率のためにとっておいてあった様々な物品を、思い切って捨てる。
 一方で、本を次々と段ボールに詰めて積み上げる。本は重い。紙とインクの重さに加えて、情報の重さも加わっているに違いない。おかげで筋肉痛。

 とある人物が自らのWebサイト内で、「自分がいわゆる「おたく」だと自称するつもりはない。」と書いていることについて、デンパ大阪氏は「JAROに電話しなきゃいけない」と感想を述べた。私もまったく同じ考えだ。
 ULISはいうに及ばず、つくば最大のデンパ源がオタクでなかったら、この世にはオタクと呼べる人がいなくなってしまう。

 中部国際空港の埋め立て許可が出たと報じられていた。
 え? 埋め立てでやるの? メガフロートじゃなくて?

 東京から、星虫入荷の報が届く。ああ、もうじっとしてられないっ。


2000年6月24日(土曜日)
 もうどうにでもなれって感じの土曜日。
 引っ越しは7月の2日なので、本当にあと1週間しかない。しかし本の梱包はなかなか進まない。箱一つ25kgとかあるから、積み上げようと持ち上げるだけで一苦労。そりゃ米俵よりは輕いけどさぁ……。
 こんな調子で来週本当に引っ越せるのであろうか?

 星虫買ってきました。とりあえず三冊。じゅりちゃんは「5冊とか6冊とかじゃないの?」とか言っていたが、人をなんだと思ってるんだか。


2000年6月25日(日曜日)
 本を詰める。本を詰める。本を詰める。本を詰める。本を詰める……。

 竹居さんが「自分がいわゆる「おたく」だと自称するつもりはない。」ということにツッコミが本人のところへやはり入ったらしく、これに対して竹居さんが日記で「岡田斗司夫と比較して、私はオタクではない」と書いた。これについてつくばと大阪の間でメールが飛び交った。
 共通見解としては、「岡田斗司夫と自分を比べている時点で、充分普通じゃない」というものであり、「岡田斗司夫がオタク十段なら、竹居さんはオタク五段だ」というデンパ大阪氏の意見は、恐らく当人以外の誰をも納得させるであろう。なお、「自分(デンパ大阪)は五級くらいだ」という付隨意見は、本人以外の誰をも納得させられないであろう。
 さらにデンパ大阪氏はオタクを自称しない竹居さんの心理的側面にまで踏み込んで考察していたが、そんな彼は存分にオタク野郎であった。
 あまりに強烈にデンパチックなメールだったためか、PCの調子がやや悪くなった。


2000年6月26日(月曜日)
 新居のケーブルテレビの話が、なんだか大事になってきた。
 最初は、建物にはケーブルが入っていなくて、一部屋だけの一本引きを北ケーブルに申し込んだら、オーナーの許可貰わないと駄目だよんと言われたので、オーナーに連絡して許可を貰って、引けやオラぁと北ケーブルを焚き付けたら、今度は工事が大がかりになってきて、一方、住人の中から私以外にもケーブルを引きたいという人が出てきたらしく、いっそのこと建物ごと引こうかという話に逆戻りしてしまい、今やオーナーと北ケーブルとの間で何やら折衝をしているらしい。
 かくて、引っ越しには間に合いそうにないのであった。
 ……。
 世の中ままならんものだ。

 昨日の日記について、デンパ大阪氏から「岡田斗司夫はオタク“永世”十段だ」との補足が入ったのでここに追記しておく。
 似たようなものじゃないかと思わなくもないが、そのへんがきっとオタクのこだわりなのであろう。

 選挙結果を見て、不思議な結果だと思わなくもなかった。
 与党の失策は確かに影響を及ぼしているのだが、野党はそれを自らの得点に仕切れていなかったように見える。また、小選挙区制度も与党の崩壞を押し止めた要因の一つだろう。
 守りきれなかった自民党、攻めきれなかった民主党。どの党も勝利条件を満たせなかった不思議な選挙だった。


2000年6月27日(火曜日)
 今日は所用で東京へ。
 しかも徹夜明けだった。どうして徹夜する羽目になったかを考えるとあまりにも馬鹿らしく、腹立たしくなる。間拔けと言い換えてもいい。とにかく、小説に熱中して睡眠を忘れるなど、休日前夜ならともかく、既に東京行きを確認している段階でやるべきことではなかった。
 それはそうとして、アポは昼前ということだったので、9時にはつくば出発した。
 所用を済ませた頃には16時。最後に新居に寄って東京電力と水道局の案内を回收する。

 帰り道に、嫌なことがあった。
 徹夜明けで意識は朦朧としていたので、どうしても席に座りたかった。そこで上野駅で一本常磐線を見送って、なんとか席に座ったというのに、席が全部埋まった頃に腰の曲がったお婆さんが乗り込んで来て、こともあろうに私の前に来た。これでは立たないわけにはいかないではないか。
 せめて優先席を占めている若者の方へ行ってくれたら良かったのに……。
 こういう時に羞恥心が刺激されない人間を羨ましいと思った。つまり私は立ったのだ。
 発車前に車内は満員電車となり、私は流されもみくちゃになった。
 お婆さんは、上野から二駅目、北千住で降りた。当然、その空席は私以外の人間で占められた。私はひたち野うしくまでの約1時間を立っていた。
 こんな経験は、二度とゴメンだと思った。

 明日もしなければいけないことが、たくさんある。
 そして荷作りは進行していない。


2000年6月28日(水曜日)
 まあ、色々あったわな。
 16時になってから、転出届をまだ貰ってなかったことに気付いて、慌てて役所に行く。
 明日は新居の掃除をするために上京。ガス屋もやってくる。ついでに向こうで銀行口座を開こうと思っている。
 本がまだ片付かない……。
2000年6月29日(木曜日)
 疲れました。
 新居のお掃除とガスの開栓。ガステーブルも注文。
 近くの文房具屋で本棚が買えないか交渉。買えることとなった。カタログを見ると、コクヨのものより、ライオンの物の方が良い感じ。事務用のスチール本棚で壁一面を本棚で埋めつくそうと考えている。
 余談だが、コクヨで扱っている商品より、ライオンが扱っている商品の方が、全体的に質実剛健である傾向があるような気がする。あくまで個人的な見解なのだが、私は質実剛健が好きだ。

 D-Dayまで、あと二日しかないよ……。


2000年6月30日(金曜日)
 一日、本を箱詰め。
 本棚一本を占拠している辞書は、私のこれまでの学習・研究活動を支えてきてくれた重要な道具なのであるが、いざ引っ越しを目の前にすると、これは殆ど悪夢だ。詰めても詰めても、まだ本がある……。辞書はとにかく分厚いので、なかなかうまく箱に入ってくれないし。電子辞書が欲しいと思いつつ、現用の電子辞書なんて殆ど使い物にならんからなと思うこともあり。
 つまり私の欲するものを私がなんとかしようとしているわけであるから、なんとかなっているのであれば私の出番はない。一種のジレンマだよな……。

 今日、東京モスクが再建されたらしい。確か戦前(38年だったか)に「東京モスク」という建物があった(できた)と朧気に記憶しているの(昔の研究の関係で)だが、“再建”というからにはきっと関係があるのだろう……。