31日
午前9時、つくば発。
常磐道、外環道、関越道、上信越道、北陸道と走り拔き、5時間半で魚津着。
自宅に置き去りになっていた古いPCに超漢字をインストールし、とにかく修論を進行させる環境を作り上げる。
夜。NIFTY/FTRONの年越しチャットに斷続的に参加する。折りからの雨に家族揃っての初詣は中止になり、とっとと寢ることとなる。
しかしその前に、[ピー]MCのK元くんと電話で話す。年頭初っ端から多言語のこと。
1日
朝、叔父一家を富山空港まで迎えに行く。
午後2時、迎えのバスに乗って式場へ。控え室へ入って待たされる。後で聞いた話では、搬入した筈の衣裝が行方不明になっていたそうな。コミケぢゃあるまいに……。
屋上ペントハウス教会で、プロテスタントな式。はて、新郎新婦とも、クリスチャンではなかったような。訊いてみたら、やっぱりちがうと言う。罰当たりな奴等……。
式が終わって写真撮影をして、両家親族の食事会。新郎の父やら叔父やらと話をしたら、しきりに「あんた面白い人やー」と言われる。何か誤解されたようだ。
夜、一族郎党で温泉へ繰り出し、帰ってきて酒を呑んで寢る。
2日
惰眠を貪る。
起きた後、やっとまとまった時間を修論に充当。それまで細切れの時間でやっていたため、見通しの悪かったスクリプトをいじって直す。しかし遅い。見通しを良くしたためだろう。
夕飯は、新郎を迎えての食事会。そのまま呑み会へ雪崩込み、新郎は我が一族の真の姿を目の当たりにし、内心面食らっていたようだ。我が一族の中で常識を備えているのが私だけだという明瞭な事実に関らず、誰も彼もが我こそはまともであると主張するのであるから。
夜半まで呑み続け喋り続け、私が一族の中で最もまともな人間であることを再確認した。
3日。
朝早く、外戚一行は、祖父の所へ赴いた。私は朝食の後、午後1時に出発。北陸道は雨。新潟に入ると霙。上信越道に入ると霰に。風は最初5メートルほどだったのが、上信越道に入る頃には風速22メートル。愛車ドミンゴはシェイカーに放り込まれたように搖すられ、まさに事故寸前だった。
上信越道も長野を過ぎると渋滞が発生し、その後関越道も含めて斷続的に渋滞。往路に比べて2時間ほど余計に時間を使ってつくばに戻ってきた。
さあ、修論だ!
「なんだ。マイクロカード使って印刷すりゃいいじゃん」
かくして自宅へ戻り、半分整形したCSVデータを作り、それをマイクロカードで四段組み印刷にかける。努力の甲斐あって、ページ数はA3で338ページになった。これで縮小×両面にすればA4で170ページ弱。十分添付しても文句を言われない程度だと思う。
印刷を始めてから改めてK元くんに電話をかける。基本印刷のことでちょっと愚痴る。かくして話はTADやらプリンタドライバやらTACLやらの話へ飛んでいき、あっという間に二時間が過ぎましたとさ。
なお、印刷の推定終了時刻は翌午前9時。
頑張れプリンター!
さて、シソーラスの印刷は終わったのだが、A3のままで338枚も置いてあっては不便だし、例によって水気で文字が滲むやも知れぬ。というわけで、トナー熱圧着すべくコピー機に。ついでにA4への縮小も兼ねる。
がっちょんがっちょんコピー機が動いているあいだに読んだのが『開業医はなぜ自殺したのか』。95年の本だが、ぱらぱらと読んだきりで、まだ熟読していなかったのだ。事件自体は、よく知っていた。父が、自殺した川腰医師の追悼集会の司会をしていたこともあり、当時既に家を出ていた私ではあったが、比較的身近な事件だったのだ。
熱意ある医師があのような形で自殺したことに、深い悲しみを覚える。また一方で、迷いというものがいかに人の心を弱くすることか、と慨嘆する。自分のやりたいことをやるということの難しさよ。
やりたいことといえば思い出したのだが、ここ暫く、全く歴史学の本を読んでいない。
なお、次回のBTRON Clubの申し込み〆切は昨日でした。
2000年になって最初に気付いた『超漢字』のバグが、通信ソフトのログ名設定だった。年の所にゼロ詰め指定をしていると、99年の次が000年となってしまう。まあ、別に間違いではないからなぁ(苦笑)。ついでに「なんでそんなとこゼロ詰めしてんねん」というツッコミがくるだろうか。
20時過ぎに自宅で夕飯を食べたら、無性に眠たくなってしまい、仮眠をとる。起きると23時半だった。丁度いい具合だ。これから大学へ行って修論を書くとしよう。
現在、6章構成の中の第2章が終わって第3章の1/3程。もっとも、第1章と終章は叙と跋なので、実質的には4章だし、それだって第5章は唯の能書きに過ぎない。我ながら非道いものを書いている。
脳が活動するのには、ブドウ糖が必要だ。しかしブドウ糖そのものを藥局で買ってきて舐めるとか、ブドウ糖溶液を点滴するとかいうことが難しい以上、何等かの糖分を経口摂取するのが望ましいわけだが、私は今ひとつ甘いものが好きではないので、色々試した結果「干し芋」を嚙ることにした。干しプルーンもなかなかよかったのだが、やはり後味で干し芋に一歩劣ると思う。食べ過ぎると腹下すし。
なんかいきなり修論はスランプに陷ったようだ。章建てが悪かったのが原因だろう。あるいは山本正之の聴き過ぎか。
ゆうりすオタク一番観察日記
今日、糸野部屋へ行ったら、ちょうど『フルーツバスケット』のCDを聴いている最中だった。ちなみに『フルーツバスケット』とは、『花とゆめ』(白泉社)連載の少女漫画。糸野は慌てて隠そうとして果たせずにのたうち回り、「妹から借りたんだ」と苦しい言い訳をしていた。別に言い訳しなくてもいいのに。
その後暫くの後、再び糸野部屋へ赴くと、今度は國府田マリ子のCDを聴いていた。言うまでもないが國府田マリ子と言えば声優。歌手活動もしている、としとこう。糸野は再びのたうちまわり、何かいいわけをしていたようだが、私の耳は完全に素通りしたので覚えていない。
以前、都営12号線が「ゆめもぐら」という名前になると聞いて、「何考えてんだ」といぶかった所、今度は都知事の鶴の一声で「大江戸線」になることに……。
「ゆめもぐら」と「大江戸線」。究極の2択ですな。
どっちかと言われると「大江戸線」かなぁ……。
「歴史は繰り返す」という言葉があるが、これは間違い。ただ、似たようなシチュエーションを万華鏡のように見せるだけだ。
現在の多言語処理の世界は、19世紀の古代言語学の世界に近い。
帝国主義の尖兵たちが、アジア各地で掘り出した粘土板やら石碑やらパピルスやらを前にして、言語学者たちはああでもないこうでもないと頭を捻り、次々と古代言語を解読していった。
と書くと、いかにも書齋で机に座って黙考するマイクロフト・ホームズなスタイルを思い浮かべるかも知れないが、さにあらず。当時の言語学者とは即ち冒險家とほぼ同義語であった。彼等は隙あらばパトロンを見つけて、オリエントへと飛び出し、率先して粘土板を掘っていたのである。
彼等は幸せであったのだろう。未知との遭遇に胸躍らせ、目を輝かせ、全知全能を振り絞ったのだろう。別に彼らを責めようとは思わない。
ただ、20世紀と21世紀の端境で、一人の歴史学徒が苦悶しているだけなのだから。
ゆうりすオタク一番観察日記
昨日、このクソ忙しい時期に友人主催の即売会へ参加していたらしい糸野は、帰りに竹居さんと偶然必然的に出会ってしまい、かくのごとく宣った。
神様、オタクな漢以外との縁『も』欲しいんですが、神の立場上は無理なのでしょうか?(笑)思うにこれは、神の問題ではなくて、彼自身の問題でしかないことだ。
米国からAOLとTime Warnerの合併情報が飛び込んできた。うーん……。技術革新のための開発費用捻出のために、巨大な資本蓄積が必要になるのはわかるのだが、ここまで企業体が大きくなると小回りが効かなくなりやしないか心配だな。このテの鈍重さは、末端消費者を一瞬でローラーにかけてしまうものだ。
和歌山で中学校に男が闖入、始業式の後部活で居残っていた中学一年生の生徒に刃物で切り付けるという事件があった。
いい加減にしてくれ。
学校が全部武裝守衛を雇わねばならなくなる日も近いな、こりゃ。
今日のゼミには、M1が殆ど来なかった。おーい。M2だけで何をさせるつもりだい(笑)。
ゆうりすオタク一番観察日記
大阪樟蔭女子大学の附属図書館への就職が内定したと喜んでいたので、食餌を奢って進ぜる。あとは無事修士号を取得するだけである。
ただ本人は、東京のデンパが届かない土地へ行くことに、まだなにか割り切れないものがあるらしい。
海の向こうから、ビル・ゲイツがMicrosoftのCEOを辞したとの報あり。思わず喝采を叫んでしまう。
Macintoshの次期OSであるところのMacOS X。そのUI“AQUA”の記事を見て色々考える所あり。現行の超漢字のUIが最高だと言うつもりはないし、そう思ってもいないわけだが、AQUAから学べる(あるいはパクれる)ところってなにかなぁと考えても、「美観」とかいう話になっちゃいそうで、ちと弱る。
BTRONのUIは、あれはあれで、統一されていて結構いいと思うのだが、不満点がないわけではない。「ウィンドウ」の子メニューにピクトグラムが表示された方がいいとか、メニュー項目の配置の問題とか、ショートカットの問題とか、システムメッセージラインの有効利用の問題とか。
もっとも、近未来にBTRON UIに待っているであろう試練は「多言語化」であることは殆ど間違いがないので、関係者は今から血を吐く準備をしておいて欲しいものである。
なんでも、オウムが名称をアレフに変えるとか。今度はヘブライ語ですか。いちおーなぜかはわからんけど、手元にヘブライ語の本もあるんだよな。本当になぜなんだろう? ヘブライ語自体は、よく知られているようにセム語に属する言語で、つい19世紀に復活した言語だ。右横書きを正則とする。
超漢字にはフォントだけが入っている。
イスラエル辺りでは、右横書き言語に対応したワープロなどの開発が進んでいるのだが、現物は見たことがない。はてさて……。
柳さんの修論の印刷で、どうやってもB4用紙への印刷ができずに悩む。なんとなくMS-WordとAdobe PSドライバのコンフリクトっぽいんだが、プリンタの問題である可能性も否定できず。
しかし、このトラブルの面倒を見ている最中に、信じられない出来事に出くわした。
紙と一緒に、プリンタから出てきたのは、なんとプリンタの部品!
昨日で26になりましたが、こんなのは初めての経験でした(笑)。
頭痛がひどい。痰もからむ。咳もでる。風邪だろうな、これは。
「JIS第3第4水準」として長らく審議を続けてきていた新JIS規格が、「JIS X 0213:2000」として正式に制定されました。これで残る問題は、一体誰が実裝するのかねぇということですな。こちらのほうでも色々書かれておりますので、各自適当に参考にしつつ、自分の意見をまとめて下さいな。私はこの件について客観的に何か述べるには、あまりにも関係者過ぎるように思う。
そのうち、BLACKの中に何かを書き捨てるかもしれないが……。
そうそう。日本最高齡タレント(苦笑)だった、“きんさん・ぎんさん”の片割れ、成田きんさんが昨日亡くなったそうな。享年107歳。人間最低一度は死ぬ定めにあるわけで、それが生後半年であるか107歳であるかは、本質的には差異はない。もっとも、充実した人生を送れたか否かは、隨分違うだろうが。
ニュースといえば、TRON文字收録センターですかね。
BTRON Clubに出席した人は既に知っていたことだけど、こういった形で文字を蒐集することになったんですよ。今回のこの形態は、見れば分かりますが、Character-Glyph Modelで処理できる文字体系を対象としていて、位置依存性文字や結合音節文字の類は登録しにくいです(っちゅーか、できない)。
今回のターゲットは、要するに漢字ですね。
昼から、石間くんの提案により、つくば情報通信研究開発支援センターへ見学に赴く。大学のド近所に去年できた建物なのだが、中で何をやっているのかは全く知らなかった。ギガビット通信網時代のための伝送実験なんかをやってるんだって。デジタルコンテンツの作成支援設備なんか、実に素晴らしかった。そんな各種施設や通信網を格安で利用できると聴いて、またびっくり。
いやはや、図書館情報大学もちっちゃい大学で何でもかんでも揃えようとしないで、ああいう組織を利用して欲しいもんです。
TBSの『ここがヘンだよ日本人』に東京シューレの子どもたちが出演していた。最後の方しか見れなかったが、なかなか白熱した議論だったらしい。KONISHIKIさんがとてもいいことを言っていた。「死んだら何もできない」ってね。僕もそう思う。自殺を考えるくらいだったら、学校なんか辞めた方がいいに決まってる。
主語や目的語を適当に入れ替えて、文法的には正しいけど全く意味が通らない文章を作る言葉遊びがあるよね。例えば、「今日、工作舎の某編集者から、私宛てに、『言語の夢想者』という本が送られてきた」とか。「自然言語を究めたら、今度は人工言語っすよ」というコメントが添えられていたが、きっとTさんは巨大な勘違いをしているに違いない。私は自然言語を専門にしたことなど一度もなく、過去も現在も、そして未来も、一介の歴史屋さんなのである。
今度の三月にある情報処理学会の第60回全国大会の三日目に、特別セッション「次世代の漢字環境」があったりする。
なんか知った名前がちらほら見えるのはいいとしても、この顏ぶれでまともなセッションになるんかいなという疑問が……(苦笑)。いやもう、いろいろありましたから、ハイ。このセッションについては登録もお金も要らないようなので、当日にのこのこ出かけていくことにしましょ。
なにしろワタシ、一介の学生さんですもんで(笑)。
“デンパ売りの少年(笑)”ゆうりすオタク一番の日記にも書いてある『Leaf Vocal Collection vol.1』なんだけど、ふと附属のリーフレットを見ていて気がついたことがある。各曲の歌手の名前が、どれ一つ載っていないんだな、これが。
いいのか、それで?
NHKの『世紀を越えて クライシス・突然の恐怖』の第二回はコンピュータ犯罪に関してだった。本質的には完全な防禦策のない話で、どこかで費用対効果の線引きをして対策を講ずる、危機管理問題だ。ただ、これがなぜ大きな問題になるかといえば、航空機事故と一緒で、一度起こったときの被害が極めて大きいからだ。そして犯人の姿が見えないことが、余計恐怖を増長させる(もっとも、相手は人間だから、間違いなく肉体を持っているんだけどね)。
鍵なぞあらぬ世界こそ、素晴らしかりけれ。
白状するが、私は『ウルトラセブン』より『ウルトラマン』が好きで、それよりもっと『ウルトラQ』が好きだ。そんな人間だから、最初に『Xファイル』を見たときに、「これって『ウルトラQ』のパクり?」とか反応してしまうわけだ。
積読を、今日も三冊消費した。