哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2000年1月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2000年1月3日(月曜日)
 新年あけましておめでとうございます。旧年中は様々な人にご迷惑をおかけしました。今年もまた同じようなものでしょうけど、見捨てないで気長に付き合って頂ければ幸いです。

年末年始の記録

31日
 午前9時、つくば発。
 常磐道、外環道、関越道、上信越道、北陸道と走り拔き、5時間半で魚津着。
 自宅に置き去りになっていた古いPCに超漢字をインストールし、とにかく修論を進行させる環境を作り上げる。
 夜。NIFTY/FTRONの年越しチャットに斷続的に参加する。折りからの雨に家族揃っての初詣は中止になり、とっとと寢ることとなる。
 しかしその前に、[ピー]MCのK元くんと電話で話す。年頭初っ端から多言語のこと。

1日
 朝、叔父一家を富山空港まで迎えに行く。
 午後2時、迎えのバスに乗って式場へ。控え室へ入って待たされる。後で聞いた話では、搬入した筈の衣裝が行方不明になっていたそうな。コミケぢゃあるまいに……。
 屋上ペントハウス教会で、プロテスタントな式。はて、新郎新婦とも、クリスチャンではなかったような。訊いてみたら、やっぱりちがうと言う。罰当たりな奴等……。
 式が終わって写真撮影をして、両家親族の食事会。新郎の父やら叔父やらと話をしたら、しきりに「あんた面白い人やー」と言われる。何か誤解されたようだ。
 夜、一族郎党で温泉へ繰り出し、帰ってきて酒を呑んで寢る。

2日
 惰眠を貪る。
 起きた後、やっとまとまった時間を修論に充当。それまで細切れの時間でやっていたため、見通しの悪かったスクリプトをいじって直す。しかし遅い。見通しを良くしたためだろう。
 夕飯は、新郎を迎えての食事会。そのまま呑み会へ雪崩込み、新郎は我が一族の真の姿を目の当たりにし、内心面食らっていたようだ。我が一族の中で常識を備えているのが私だけだという明瞭な事実に関らず、誰も彼もが我こそはまともであると主張するのであるから
 夜半まで呑み続け喋り続け、私が一族の中で最もまともな人間であることを再確認した。

3日。
 朝早く、外戚一行は、祖父の所へ赴いた。私は朝食の後、午後1時に出発。北陸道は雨。新潟に入ると霙。上信越道に入ると霰に。風は最初5メートルほどだったのが、上信越道に入る頃には風速22メートル。愛車ドミンゴはシェイカーに放り込まれたように搖すられ、まさに事故寸前だった。
 上信越道も長野を過ぎると渋滞が発生し、その後関越道も含めて斷続的に渋滞。往路に比べて2時間ほど余計に時間を使ってつくばに戻ってきた。

 さあ、修論だ!


2000年1月4日(火曜日)
 某ゆうりすオタク一番ジョイフル本田へ買い物に行く。これから二週間の食料としてカロリーメイトを一カートン。初売りセールでノギスが廉かったので買ってくる。ラチェットレンチも欲しかったが、これは先送り。
 あとは延々と修論。
 データを整形するところまでは昨夜の裡に辿り着いていたのだが、これをそのまま出力すると1,633ページと言われてしまい、流石にそんなものを修論に添付したら顰蹙というか、副査の先生が見つからなくなってしまうだろうから、なんとかして圧縮を考える。
 それでまず挑戦したのが、コラム付箋を使うことを考える。
 ところが付箋作って貼っつけてみたら、基本印刷がサポートしてくれてなくてねぇ。
 仕方ないので、今度はフィールド付箋を作ってみたのさ。
 そしたらこっちも、基本印刷がサポートしてくれてなくてねぇ。
 散々思い悩んで、[ピー]MCのK元くんに電話したら繫がらなくて、どーしょーもなくて本屋へ逃亡してMac Peopleの「我妻との鬪争」なんか立ち読みしたりして(笑)、学校へやってきてみたら、ふと思い付いた。

「なんだ。マイクロカード使って印刷すりゃいいじゃん」

 かくして自宅へ戻り、半分整形したCSVデータを作り、それをマイクロカードで四段組み印刷にかける。努力の甲斐あって、ページ数はA3で338ページになった。これで縮小×両面にすればA4で170ページ弱。十分添付しても文句を言われない程度だと思う。
 印刷を始めてから改めてK元くんに電話をかける。基本印刷のことでちょっと愚痴る。かくして話はTADやらプリンタドライバやらTACLやらの話へ飛んでいき、あっという間に二時間が過ぎましたとさ。
 なお、印刷の推定終了時刻は翌午前9時。
 頑張れプリンター!


2000年1月5日(水曜日)
 CanonのBJ-220シリーズは傑作だと思う。シソーラスの印刷を無事終えて、その思いを新たにする。A3を印刷することができるのが、私がこのプリンタを撰んだ最大の理由だったのだが、今ここにその実力は遺憾無く発揮されたわけだ。
 難を言えば、インクが水気に弱すぎることだろうか。

 さて、シソーラスの印刷は終わったのだが、A3のままで338枚も置いてあっては不便だし、例によって水気で文字が滲むやも知れぬ。というわけで、トナー熱圧着すべくコピー機に。ついでにA4への縮小も兼ねる。

 がっちょんがっちょんコピー機が動いているあいだに読んだのが『開業医はなぜ自殺したのか』。95年の本だが、ぱらぱらと読んだきりで、まだ熟読していなかったのだ。事件自体は、よく知っていた。が、自殺した川腰医師の追悼集会の司会をしていたこともあり、当時既に家を出ていた私ではあったが、比較的身近な事件だったのだ。
 熱意ある医師があのような形で自殺したことに、深い悲しみを覚える。また一方で、迷いというものがいかに人の心を弱くすることか、と慨嘆する。自分のやりたいことをやるということの難しさよ。

 やりたいことといえば思い出したのだが、ここ暫く、全く歴史学の本を読んでいない。
 なお、次回のBTRON Clubの申し込み〆切は昨日でした。


2000年1月6日(木曜日)
 散々思い悩んだのだが、次回のBTRON Clubでの発表はしないことにした。心理的余裕はともかく、物理的時間的余裕の少なさが、あまりにも厳しい。なにしろ、次のDLで発表しろとまで言われてしまっているわけでして。まあ、まずいないとは思いますが、BTRON Clubでの私の発表を楽しみにしていた方おられましたら、ごめんなさい。

 2000年になって最初に気付いた『超漢字』のバグが、通信ソフトのログ名設定だった。年の所にゼロ詰め指定をしていると、99年の次が000年となってしまう。まあ、別に間違いではないからなぁ(苦笑)。ついでに「なんでそんなとこゼロ詰めしてんねん」というツッコミがくるだろうか。


2000年1月7日(金曜日)
 トンパ文字の本が届く。
 駄目だよこれはやっぱりぃ。
 いくら天声でも、世の中できることとできないことがあって、これはできないことの部類に入るものだと思う〜(泣)。

 20時過ぎに自宅で夕飯を食べたら、無性に眠たくなってしまい、仮眠をとる。起きると23時半だった。丁度いい具合だ。これから大学へ行って修論を書くとしよう。
 現在、6章構成の中の第2章が終わって第3章の1/3程。もっとも、第1章と終章は叙と跋なので、実質的には4章だし、それだって第5章は唯の能書きに過ぎない。我ながら非道いものを書いている。


2000年1月8日(土曜日)
 今日からマクドナルドは半額。かくして食事にコストパフォーマンスしか求めない状態になりつつある現状にとって、廉いジャンクフードほど有り難いものはない。流石に毎日カロリーメイトでは飽きがくる。せめて三色取り揃えておけば良かった。

 脳が活動するのには、ブドウ糖が必要だ。しかしブドウ糖そのものを藥局で買ってきて舐めるとか、ブドウ糖溶液を点滴するとかいうことが難しい以上、何等かの糖分を経口摂取するのが望ましいわけだが、私は今ひとつ甘いものが好きではないので、色々試した結果「干し芋」を嚙ることにした。干しプルーンもなかなかよかったのだが、やはり後味で干し芋に一歩劣ると思う。食べ過ぎると腹下すし。

 なんかいきなり修論はスランプに陷ったようだ。章建てが悪かったのが原因だろう。あるいは山本正之の聴き過ぎか。

ゆうりすオタク一番観察日記
 今日、糸野部屋へ行ったら、ちょうど『フルーツバスケット』のCDを聴いている最中だった。ちなみに『フルーツバスケット』とは、『花とゆめ』(白泉社)連載の少女漫画。糸野は慌てて隠そうとして果たせずにのたうち回り、「妹から借りたんだ」と苦しい言い訳をしていた。別に言い訳しなくてもいいのに
 その後暫くの後、再び糸野部屋へ赴くと、今度は國府田マリ子のCDを聴いていた。言うまでもないが國府田マリ子と言えば声優。歌手活動もしている、としとこう。糸野は再びのたうちまわり、何かいいわけをしていたようだが、私の耳は完全に素通りしたので覚えていない

 以前、都営12号線が「ゆめもぐら」という名前になると聞いて、「何考えてんだ」といぶかった所、今度は都知事の鶴の一声で「大江戸線」になることに……。
 「ゆめもぐら」と「大江戸線」。究極の2択ですな。
 どっちかと言われると「大江戸線」かなぁ……。


2000年1月9日(日曜日)
 鼠害。
 天井裏に鼠が住み着いたのは二ヶ月ばかり前のことだった。一月前に、台所で鼠の糞を見つけて、部屋に入り込んでいるのは分かっていたが、とうとう食料をやられた。住み着いているだけならまだしも、人様の食い物に手を出すとは不届き千万。絶対に許さん!
2000年1月10日(月曜日)
 とりあえずネズミ取りを買ってきて仕掛ける。殺鼠剤というのも考えたのだが、やはりハーグ陸戦規則の精神に則り、化学兵器は用いないことにした。効果は絶大なんだけどなぁ。しかしこのネズミ取りってのは地雷の一種じゃないのか? でも「対人」じゃねーからいっか。

 「歴史は繰り返す」という言葉があるが、これは間違い。ただ、似たようなシチュエーションを万華鏡のように見せるだけだ。
 現在の多言語処理の世界は、19世紀の古代言語学の世界に近い。
 帝国主義の尖兵たちが、アジア各地で掘り出した粘土板やら石碑やらパピルスやらを前にして、言語学者たちはああでもないこうでもないと頭を捻り、次々と古代言語を解読していった。
 と書くと、いかにも書齋で机に座って黙考するマイクロフト・ホームズなスタイルを思い浮かべるかも知れないが、さにあらず。当時の言語学者とは即ち冒險家とほぼ同義語であった。彼等は隙あらばパトロンを見つけて、オリエントへと飛び出し、率先して粘土板を掘っていたのである。
 彼等は幸せであったのだろう。未知との遭遇に胸躍らせ、目を輝かせ、全知全能を振り絞ったのだろう。別に彼らを責めようとは思わない。
 ただ、20世紀と21世紀の端境で、一人の歴史学徒が苦悶しているだけなのだから。

ゆうりすオタク一番観察日記
 昨日、このクソ忙しい時期に友人主催の即売会へ参加していたらしい糸野は、帰りに竹居さん偶然必然的に出会ってしまい、かくのごとく宣った。

 神様、オタクな漢以外との縁『も』欲しいんですが、神の立場上は無理なのでしょうか?(笑)
1月10日の日記より
 思うにこれは、神の問題ではなくて、彼自身の問題でしかないことだ。
 綺麗な水が呑みたければ、清流へ赴くべきであって、都会で水道を前にそのような言葉を吐いてはいけない。
2000年1月11日(火曜日)
 徒労。
 ちょっと資料が欲しくて、日中、神保町へ出向く。総計五冊の搜索本のうち、発見できたのは一冊だけ。一冊は岩波書店の本だったので山陽堂にあるだろうと踏んでいたのだが、「見ない本じゃないよ。前一冊入ってきたけどねぇ……」売れてしまっていた。誰だ俺の本を横取りした奴は!(唯の逆恨み)
 一番腹が立ったのは、ちくま学芸文庫の絶版書だ。文庫本の古書探索は最も難しい。そもそも文庫本というのは、良書を廉く提供するのが目的だ。ちくま学芸文庫は、まず高い。千円くらいは当然といった値段付けになっている。それでも確かに良書が提供されているので、こちとら単行本を買うよりは廉いと思って我慢しているというのに、それが絶版とは何事ぞ。
 思わず電子書籍化とBook On Demand化に全面荷担して、在来出版形態を全滅させてやろうか思ってしまう。
 いかんいかん。短気は損気。それで何度も失敗しているんだから、そうそう過ちを繰り返してはいけない。そんなことをしたら、また歴史学へ戻る日が遠退いてしまう。
 とりあえずはWeb上の古本屋などで、地道に本を搜すことにしよう。

 米国からAOLTime Warnerの合併情報が飛び込んできた。うーん……。技術革新のための開発費用捻出のために、巨大な資本蓄積が必要になるのはわかるのだが、ここまで企業体が大きくなると小回りが効かなくなりやしないか心配だな。このテの鈍重さは、末端消費者を一瞬でローラーにかけてしまうものだ。

 和歌山で中学校に男が闖入、始業式の後部活で居残っていた中学一年生の生徒に刃物で切り付けるという事件があった。
 いい加減にしてくれ。
 学校が全部武裝守衛を雇わねばならなくなる日も近いな、こりゃ。


2000年1月12日(水曜日)
 勝利。
 過日仕掛けた鼠取りに、鼠がかかっていた。かくして人間様の食い物に手を出した不届き千万な鼠には、人誅が下ったのであった。

 今日のゼミには、M1が殆ど来なかった。おーい。M2だけで何をさせるつもりだい(笑)。

ゆうりすオタク一番観察日記
 大阪樟蔭女子大学の附属図書館への就職が内定したと喜んでいたので、食餌を奢って進ぜる。あとは無事修士号を取得するだけである。
 ただ本人は、東京のデンパが届かない土地へ行くことに、まだなにか割り切れないものがあるらしい。


2000年1月13日(木曜日)
 一日、雨。昨日は雪混じりだったが、今日は雨だけ。
 指導教官とは行き違いになり、論文は遅々として進まず。やらなければいけないのは、あとは効能書きと叙と跋。図の類をどうするか。あと、凡例一覧も欲しいなぁ。
 眠いな……。

2000年1月14日(金曜日)
 今日はCICCで多言語の会議。この状況下できっちり出席する自分はかなりイイ根性をしていると思う。にしても、このままだと今年の後半辺り、多言語処理で余り面白くない状況に追い込まれるかもしれない。
 どっちにしろ、を吐きながら続けるマラソンであることには違いないのだが。
 果たして誰が真っ先に音を上げるかな?
 そういえば、CICCほら貝の加藤氏が取材に来たと言っていたので、近日中に何か掲載されることだろう。なんでもベタ誉め状態だったそうだ。
 しかし私と加藤氏は、よくよく奇縁があるようだ。加藤氏とは、ICMTPで片岡先生から同時に多言語の手ほどきを受けたのだが、似たような所に顏を出すことが多い。まあ、向こうは私のことなど気にも留めていないだろうが。

 海の向こうから、ビル・ゲイツがMicrosoftのCEOを辞したとの報あり。思わず喝采を叫んでしまう。


2000年1月15日(土曜日)
 修論の提出日を三日後に控え、いよいよ拔き差しならぬ状況という奴である。
 しかし修論が終わっても状況が改善される見込みが立っていないというのはどういうことなのであろうか?

 Macintoshの次期OSであるところのMacOS X。そのUI“AQUA”の記事を見て色々考える所あり。現行の超漢字のUIが最高だと言うつもりはないし、そう思ってもいないわけだが、AQUAから学べる(あるいはパクれる)ところってなにかなぁと考えても、「美観」とかいう話になっちゃいそうで、ちと弱る。
 BTRONのUIは、あれはあれで、統一されていて結構いいと思うのだが、不満点がないわけではない。「ウィンドウ」の子メニューにピクトグラムが表示された方がいいとか、メニュー項目の配置の問題とか、ショートカットの問題とか、システムメッセージラインの有効利用の問題とか。
 もっとも、近未来にBTRON UIに待っているであろう試練は「多言語化」であることは殆ど間違いがないので、関係者は今から血を吐く準備をしておいて欲しいものである。


2000年1月16日(日曜日)
 歴史に携わるものは、総じて暦にはうるさい。それもその筈で、歴史屋が年を数え間違ったら、それこそ笑いものにしかならない。
 そんな歴史屋の端くれが、スクリプトを組みながら夜明けを迎えたとき、ふとあること気が付いた。
 世紀はcenturyで、centは100という意味だ。西暦には0年は存在しないから、1年から100年までの100年間を1世紀と呼び、101年目で世紀が改まる。
 では、milleniumだが、millは1000という意味で千年紀と訳される。当然西暦には0年が存在しないから、1年から1000年までの1,000年間が1千年紀であり、1001年目で千年紀が改まるのではなかろうか?
 「21世紀は2001年から」とまるで常識のように語る一方で「新しい千年紀」などと言うと、ダブルスタンダードになりゃしないか?
 この点、ユーラシアの反対側のイギリスでは、世紀の切れ目も千年紀の切れ目も2000年だったので、ダブルスタンダードは起こらない(つまり、イギリスではもう21世紀が始まっている)。もちろん、それでは第1世紀の長さが1年短くなってしまうという問題はあるのだが。
 もっとも、この辺の問題は詳しく突き詰めても全く意味のない問題だ。ちゃんとした歴史屋なら、西暦ではなくユリウス通日で事象を表すだろうから(笑)
2000年1月17日(月曜日)
 世の高校生達は、昨日一昨日と、センター試験だったそうだ。ご苦労様。
 しかし大学生の学力低下が叫ばれる今日、センター試験で測れる学力とやらに疑問を抱く向きもある。私はどっちかというと、大学に入った後にちゃんと勉強すりゃいいじゃないかと考えている。だから選拔など、なんらかの形で最低ラインをクリアしている事が保証されていれば、くじ引きでも構うまいという考えの持ち主だ。
 今、教育現場に現在失われているのは、教育の責任というやつだ。教育機関(大学のみならず)は、学び手が必要充分な知識や技能や知性を身に付けたことを、保証しなければならない。私はそう考える。
 そう考えたとき、進級・卒業・単位授与・学位授与は決して輕んじることのできるものではなくなる。
 教育機関が胸を張って卒業生を送り出せないようでは、教育の未来は昏かろう。
2000年1月18日(火曜日)
 運命の修論提出日。徹夜明けから、九時過ぎに学務課へ修論を提出したあと、家に帰って寢た。午後六時まで寢ていた。
 来週に、最終発表がある。
 しかし、その後も解放されるわけではなくて、DLで発表をさせられる。なんか申し込んだ覚えはないんですけど(笑)、〆切は21日らしい。骨休めは一日ですかね(;_;)

 なんでも、オウムが名称をアレフに変えるとか。今度はヘブライ語ですか。いちおーなぜかはわからんけど、手元にヘブライ語の本もあるんだよな。本当になぜなんだろう? ヘブライ語自体は、よく知られているようにセム語に属する言語で、つい19世紀に復活した言語だ。右横書きを正則とする。
 超漢字にはフォントだけが入っている。
 イスラエル辺りでは、右横書き言語に対応したワープロなどの開発が進んでいるのだが、現物は見たことがない。はてさて……。


2000年1月19日(水曜日)
 徹夜でHYDLIDE IIをプレイする。腕が鈍っているだけじゃなくて、記憶も薄れている。どこの墓石を破壞するんだっけ? どこの岩にアタックするんだっけ? 鍵どこにあったっけ……。
 昔はダンジョンマップを完全記憶していて、ランプなしでも問題なくダンジョンを攻略していたものだが(ふつーしねーよそんなこと)、今やどうだ。ダンジョンへの入り方すら忘れているではないか。
 リハビリには時間がかかりそうだ。

 柳さんの修論の印刷で、どうやってもB4用紙への印刷ができずに悩む。なんとなくMS-WordとAdobe PSドライバのコンフリクトっぽいんだが、プリンタの問題である可能性も否定できず。
 しかし、このトラブルの面倒を見ている最中に、信じられない出来事に出くわした。
 紙と一緒に、プリンタから出てきたのは、なんとプリンタの部品!
 昨日で26になりましたが、こんなのは初めての経験でした(笑)。

 頭痛がひどい。痰もからむ。咳もでる。風邪だろうな、これは。


2000年1月20日(木曜日)part 1
 時折、分野を横斷して知識蒐集を行っていると、思わぬ所で思わぬ出会いをすることがある。これもそんな話。
 ガソリンエンジンを載せた自動車を初めて走らせたのは、ダイムラーとベンツで、それぞれ1886年に初走行を行っている(ベンツの方が少し先らしいが)。
 ところがそれより早くガソリン自動車を走らせたと言う人がいて、それがDebouttebilleというフランス人。フランス語もドイツ語も能くしない私としては、この人名をどう読めばいいのか、見当もつかない……。
 とにかくこの人物、織物業を営んでいたらしいが、仕事上の運送に自動車を使おうと考えていたらしく、1884年に自分で自動車を作ってしまったわけだ。ところが予定した性能を発揮しなかったためか、彼はこの自動車を放り出してしまった。
 よって技術史的には連続性の無い、一種のOOPARTSである(笑)
 この男、多芸多才だったのか落ち着きがなかったのか、本業の織物はどうしたのやら、その後は大型発動機の製造に乗り出し、その後は牡蛎の養殖にも手を出したらしいのだが、何を思ったのか最後にはサンスクリット語の辞書を編纂していたらしい。
 このことから得られる教訓は、人間、本業を大切にしないといけないということ、ただ一つであろう。他山之石可以攻玉。私も本業たる歴史学を大切にしようと思うのであった。
2000年1月21日(木曜日)part 2
 昼過ぎに、お金を摑んで東京へ。神保町と秋葉原を回って、夕刻東京シューレへ。
 義務教育制度には、二つの側面があって、一つは初等教育の徹底だろうが、、もう一つは児童保護だろう。学校でもなければ働かされてしまうような環境から、子供を保護するわけだ。今の日本では、どちらかというと逆作用というか、学校の方が牢獄と化している側面がないでもないが。
 なんか今度は義務教育の週三日制とかいうのが首相官邸あたりでぶちあがってるらしいけど、それが選択肢の拡大を招くのなら良いのだけれど。
2000年1月21日(金曜日)
 今度は宮崎だ!
 加江田塾とかいう団体で、今度は子供二人のミイラ化した遺体が出てきたとか。代表はなんでも、“創造主の代理人”とか主張しているらしい。
 最近多いからな、そういうの。もっとも歴史的には、有史以来それこそ腐るほど居るんだけど。

2000年1月23日(日曜日)
 昨日はBTRON Clubで東京でした。
 内容については、坂村先生独演会。昨年末の一ヶ月、坂村先生ときたらY2K問題の専門家ということで、あちこちのTVに引っ張りまわされてストレスが溜まっていたようで。他にも色々喋ったんですけど、いやはや、ヤバいことヤバいこと。
 私に関係する所では、東巴(トンパ)ですかね、やっぱり。東巴は駄目だと主張する私に対して、絶対やると退かない坂村先生……。入るのか……。入ってしまうのか、あの東巴文字が! 絵文字がっ。
 二次会、三次会、そして徹夜のカラオケ。私の表情はイマイチ晴れないのでありました。

2000年1月24日(月曜日)
 修士論文の最終発表を翌日に控えて、指導教官から難題を課せられる。現在仮公開中のシソーラスHTML版に対し、文字の画像を附けよと。なにしろ、現時点ではHTML版を正常に閲覧できるブラウザが限られている。一般公開を前に、字形を画像で確認できるようにしろというわけだ。
 なかなかに悩ましい。

 「JIS第3第4水準」として長らく審議を続けてきていた新JIS規格が、「JIS X 0213:2000」として正式に制定されました。これで残る問題は、一体誰が実裝するのかねぇということですな。こちらのほうでも色々書かれておりますので、各自適当に参考にしつつ、自分の意見をまとめて下さいな。私はこの件について客観的に何か述べるには、あまりにも関係者過ぎるように思う。
 そのうち、BLACKの中に何かを書き捨てるかもしれないが……。

 そうそう。日本最高齡タレント(苦笑)だった、“きんさん・ぎんさん”の片割れ、成田きんさんが昨日亡くなったそうな。享年107歳。人間最低一度は死ぬ定めにあるわけで、それが生後半年であるか107歳であるかは、本質的には差異はない。もっとも、充実した人生を送れたか否かは、隨分違うだろうが。


2000年1月25日(火曜日)
 修士論文の最終発表が終わりました。さあ、次の仕事だ(爆)。

 ニュースといえば、TRON文字收録センターですかね。
 BTRON Clubに出席した人は既に知っていたことだけど、こういった形で文字を蒐集することになったんですよ。今回のこの形態は、見れば分かりますが、Character-Glyph Modelで処理できる文字体系を対象としていて、位置依存性文字や結合音節文字の類は登録しにくいです(っちゅーか、できない)。
 今回のターゲットは、要するに漢字ですね。


2000年1月26日(水曜日)
 朝っぱらから警察へ出向く。
 というのも、正体不明の請求書が舞い込んできたからだ。差出人の住所は実在せず、連絡先は不明、内容については身に覚えがなく、胡散臭いことこの上ない。っちゅーわけで、被害届でも出そうかと思ったのだが、警察へ着いてみたら、同様の訴えが昨日辺りから急増しているとかで、刑事課へ通されて、名前と所属を控えられて、問題の請求書も提出ということと相成った。

 昼から、石間くんの提案により、つくば情報通信研究開発支援センターへ見学に赴く。大学のド近所に去年できた建物なのだが、中で何をやっているのかは全く知らなかった。ギガビット通信網時代のための伝送実験なんかをやってるんだって。デジタルコンテンツの作成支援設備なんか、実に素晴らしかった。そんな各種施設や通信網を格安で利用できると聴いて、またびっくり。
 いやはや、図書館情報大学もちっちゃい大学で何でもかんでも揃えようとしないで、ああいう組織を利用して欲しいもんです。

 TBSの『ここがヘンだよ日本人』に東京シューレの子どもたちが出演していた。最後の方しか見れなかったが、なかなか白熱した議論だったらしい。KONISHIKIさんがとてもいいことを言っていた。「死んだら何もできない」ってね。僕もそう思う。自殺を考えるくらいだったら、学校なんか辞めた方がいいに決まってる。

 主語や目的語を適当に入れ替えて、文法的には正しいけど全く意味が通らない文章を作る言葉遊びがあるよね。例えば、今日、工作舎の某編集者から、私宛てに、『言語の夢想者』という本が送られてきたとか。「自然言語を究めたら、今度は人工言語っすよ」というコメントが添えられていたが、きっとTさんは巨大な勘違いをしているに違いない。私は自然言語を専門にしたことなど一度もなく、過去も現在も、そして未来も、一介の歴史屋さんなのである。


2000年1月27日(木曜日)
 なんとかDLの原稿の初稿を上げる。〆切過ぎてるってば……。
2000年1月28日(金曜日)
 所要があって、午後に東京へ出る。瞬時に財布から金が飛びだしていく。ああ無情……。
 TRONWARE vol.61なんか買ってきたりしたわけなんだけど、TRONSHOW 2000の記事が幅を効かせてて、なんか三日間会場に詰めてた身としては、食傷気味というかなんというか(苦笑)
 さて、私に一番関係が深そうな記事というと、PMC研究所による「超漢字を楽しむ」という記事ですかね。末尾の方に梵字とデヴァナガリ文字との紹介が書いてあった。これで最低限度の結合音節文字の基礎といえるものは理解できるんじゃないかな? あれを見た人ならTRON文字收録センターの問題は容易に気付けると思うけど。
 ということはつまり、某教授も某社も、問題を判った上でアレに踏み切っているってことなんだよなぁ……。誰が後始末するんだろう?

 今度の三月にある情報処理学会第60回全国大会の三日目に、特別セッション「次世代の漢字環境」があったりする。
 なんか知った名前がちらほら見えるのはいいとしても、この顏ぶれでまともなセッションになるんかいなという疑問が……(苦笑)。いやもう、いろいろありましたから、ハイ。このセッションについては登録もお金も要らないようなので、当日にのこのこ出かけていくことにしましょ。
 なにしろワタシ、一介の学生さんですもんで(笑)

 “デンパ売りの少年(笑)”ゆうりすオタク一番日記にも書いてある『Leaf Vocal Collection vol.1』なんだけど、ふと附属のリーフレットを見ていて気がついたことがある。各曲の歌手の名前が、どれ一つ載っていないんだな、これが。
 いいのか、それで?


2000年1月29日(土曜日)
 なんか勢いで徹夜しちゃって、陽がすっかり昇ってから寢る。そんで起きたら21時だったわけなんだけど、大切なことを忘れていたのよ!
 29日は山本正之のコンサートチケットの発売日だったんです! 取り逃すこと連続二度目
 なんか人生総まとめ完全敗北ってカンジ……。
2000年1月30日(日曜日)
 本を買うためなら金に糸目を付けないことの性格をどうにかしないと、本が増殖し続ける現状の改善には繫がらないだろう。自分で分かってるんだったら、どうにかしろよって? 分かっててもどうにもならないから、病が深いのよ(笑)
 現在、猛烈な勢いで積読を消費中(平均一日三〜四冊)。

 NHKの『世紀を越えて クライシス・突然の恐怖』の第二回はコンピュータ犯罪に関してだった。本質的には完全な防禦策のない話で、どこかで費用対効果の線引きをして対策を講ずる、危機管理問題だ。ただ、これがなぜ大きな問題になるかといえば、航空機事故と一緒で、一度起こったときの被害が極めて大きいからだ。そして犯人の姿が見えないことが、余計恐怖を増長させる(もっとも、相手は人間だから、間違いなく肉体を持っているんだけどね)
 鍵なぞあらぬ世界こそ、素晴らしかりけれ。


2000年1月31日(月曜日)
 修論の忙しさにかまけて隨分放置していた部屋の掃除を敢行する。午前中一杯かかって大掃除になってしまった。

 白状するが、私は『ウルトラセブン』より『ウルトラマン』が好きで、それよりもっと『ウルトラQ』が好きだ。そんな人間だから、最初に『Xファイル』を見たときに、「これって『ウルトラQ』のパクり?」とか反応してしまうわけだ。

 積読を、今日も三冊消費した。