哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2000年2月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2000年2月1日(火曜日)
 日中、色々と用事を片付けて過ごす。郵便局へ行ったり、銀行へ行ったり。しかし公共料金他の請求って、どうしてまとめてこないのだろう。帰ってきたらまた次の請求が届いていたりすると、さすがにげんなりする(苦笑)。
 今日こそ買い物にいって野菜類を買ってこようと思っていたのに、ついつい忘れてしまう。料理をしようにも、材料のない生活。
 ちょっと食生活が荒れている昨今。
2000年2月2日(水曜日)
 啞然茫然また愕然。
 昼食時にニュースでも、と思ってNHKを見ると、なにやらテロップが流れている。
「国会中継は午前中で終了いたしました」
 うーむー……。なんか、野球中継が一回の裏で没收試合にでもなったような感じだなぁ。

 私は個人的に小選挙区制は好ましくないと思っている。理由は単純で、死票が多くなるから。代議制を採る以上は、死票が生まれることは避けがたいが、可能な限り少なくするべきだ。小選挙区制は、その点で、死票が多くなる欠点を持つ。
 死票を少なくするには、比例代表制か大選挙区制を用いれば良い。個人的には、大選挙区制限連記制が最も良い方法だと思う。あるいはそれと比例代表との組み合わせか。
 いまの衆院の比例代表は、システムとしておかしい。比例代表制は、地域利益代表ではない、職能代表としての代議士を送り込むシステムだ。それを地域で分けてしまっては、一体何のための比例代表なのかわからないではないか。
 議員削減とかなんとかよりも、まず選挙制度が公正かどうか、システム的におかしくないかを議論すべきだ。


2000年2月3日(木曜日)
 節分。
 黙々と読書して暮らす。ここ数日で大分積読が減らせた。もっとも、1メートルをやっと切ったか切らないかというところだがね。
2000年2月4日(金曜日)
 私のことを変人だと信じて疑わない人は少なくないのだが、元同輩の都筑くんもその一人だ。彼は私と同期で三年次に編入したのに、なぜか修士を卒業する私と一緒に学部を出るという変わった経歴の持ち主だが、なぜか自分のことは棚に上げて私のことを変人と呼ばわるのである。
 彼が家に来たのでちっとも怪しくない同人誌なんかを見せていたり、貴重書の類を見せていたりしていたわけだ。
 彼の誤解が解けたかどうかは定かではない。

 同人誌を整理していて気付いたのだが、何冊か同人誌が無くなっていた。夢路行の同人誌はに貸したか覚えているからいいのだが、東京猿人改の『神戸のひみつ』は一体誰に貸したものだったか、もはや記憶の彼方になってしまっている。参ったね。(よくあることなんだけど)
 もし「私が借りた」と言う人は申し出て下さい(苦笑)

 日本文藝家協会のWeb Pageで、「活字のたそがれか? ネットワーク時代の言論と公共性」と題したシンポジウムが案内されています。一般招待者は抽選百名とのことです。


2000年2月5日(土曜日・春節)
 頭痛がひどい。でも藥を飲んで、あちこち出かけてお買い物。

 ここ数日、多言語のことを考えない穏やかな生活を続けていたのだが、今日になってアース(アーヴ文字)に関する極秘情報が飛び込んできたりして、胃が痛いね。まあ、人造言語なんてなんとでもなるからいいんだけど。アースは単純音素文字だしねー。

 京都の小学生殺害事件の被疑者が、任意同行を求めた警察を振り切って逃走の果てに飛び降り自殺。警察の不手際が問題となるが、一方で、このような結末を予想し得た人間がいたとしたら、それはまたある種異能の人であろう。
 私個人としては(彼が実際犯人だったと仮定すると)、まあ妥当な結末だったと思う。恐らく数年掛かりの裁判の果てに、10年程度の懲役といったところだったろうが、それが嫌だったのか何だったのかは私には関係ない。私としては、それだけのことに費やされる税金の“節約になった”という程度の感想だ。もちろん、積極的に節約しようとは思わないが、結果として節約になったという話だ。お間違えなきよう。
 生きていれば、罪を贖うこともできただろうが、その機会は永遠に失われた。残ったのは、散文的な感想だけだ。

 オーストリアでは、極右政党の自由党を含む連立内閣が成立し、EUの中で火を噴いている。選挙で選ばれた極右政党が入閣する、そのプロセス自体は民主的なものだ。これがEU各国が危懼するような全体主義に繫がるかどうかは今後の話であって、EUの動きは少々過剰反応と見えなくもない。
 もっとも、あらゆる独裁者は、その登場時において歓呼によって迎えられるものなのだが。


2000年2月6日(日曜日)
 リンク集に加わったダライ・ラマのWeb Pageなんであるが、トップページ左下にチベット文字で「ダライ・ラマ」と書いてある……と思う。
 なぜ“と思う。”なのかというと、実は私、これを“ダライ・ラマ”と読めなかったのだ。
 件の文字列は合計四文字で、“da”“lai”“la”“ma”と音節毎に切れる(結合音節文字なんだから当たり前だが)。後半二文字、“la”と“ma”については、殆ど問題なかった。“ma”は基字そのまんまだし、“la”は基字“ba”に添足“ra”が付いて“bra”、これが音韻変化で“la”になる。
 問題は最初の二文字で、最初の字は完全に分からない。“ta”を基字として“'a (ha)”が添足のように見えるのだが、手元の教本だと“'a (ha)”の字は添足にならないとある。ついでに“ta”は冠にならない。どっちが基字だ? どっちが基字だとしても文字として成立しない。泣くぞ(涙)。
 二文字目。最初、母音記号“i”がくっついている後ろ半分が基字だと思っていたのだが、そうすると“ra”が前接ということになりそうだが、この組み合わせは存在しない。ということは、前半分が基字で“'a (ha)”が後接ということだ。後接に母音記号? ってぇことは、後接が母音を伴っている?? “ra'i”という音節になるのかな? でも“lai”にならない……。(チベット語にはlとrの区別がある)
 駄目だ。全然駄目だ……。

2000年2月7日(月曜日)
「幸せな人間とは、自分の野心が届く限界を漠然と自覚し、それを超えたものは望まず、限界以上に望むのはよくないと感じている者だ」
エミール・デュルケム
 なるほど……。
 幸せになるには、なかなかに厳しい自覚と自制が必要なのであるな。

 過日の中央省庁のWeb書き換え事件の搜査において、警察が通信業者に対し、通信機録の任意提出を求めたところ、一部の業者がこれを拒否、最終的に差し押さえ令状によって通信記録が押收された。かような報道があった。
 ここら辺が通信網を舞台とした犯罪の搜査において難しいところで、搜査のためには通信記録の分析が不可欠だが、一方で電話の逆探知とは違って、流れているパケット全てが丸見えになる通信記録の開示は、通信の秘密に関る。
 これで警察が信用できる組織であれば問題無かったのかもしれないが、昨今の不祥事続きでは、とても楽観はしていられない。
 さても困ったものよ。


2000年2月8日(火曜日)
 大学に置いているPCを廃棄して、その部品を引っこ拔いて新しい機械にすげ替えようと思っていたのだが、中古で手に入れたM/Bが腐っていた。IDEコントローラがイカレているらしく、どうあってもHDDをきちんと認識しなかった。自動認識も駄目、手動設定でも駄目、どーあっても起動しない。ビデオカードの選り好みはしてくれるし。
 なんかなぁ……最近……ツイてないや。

2000年2月9日(水曜日)
 実に久しぶりに、指導教官と会った。
指導教官「“図書館情報学”と“情報学”、どっちがいい?」
小熊「……。賽子でも振りましょうか」
指導教官「なら“情報学”にしとくな」
 かくして私の学位記に記される分野は“情報学”と相成ったようである。
 なお、言うまでもないことであるが、学士は“史学”であった。

2000年2月10日(木曜日)
 新品のM/Bを買ってくる。一回Windows95の再インストールをするだけであっさりと動き出す。嗚呼無情。
 機械的には全く完動品でありながら、費用対効果が割に合わなくなることによって機械が使えなくなることを「道徳的消耗」言うと習った記憶がある(経済学の講義で)。昨今のPCは消耗が速すぎる。今回廃棄するPCも、買ったのは96年のことだったから、やっとこ四年しか経っていない。真の消耗品であるキーボードやマウスがぶっ壞れて使い物にならなくなったのならともかく、機械的には全くの完動品であるPCを“使えない”として廃棄せねばならぬことに、内心忸怩たるものがある。
 動くことは動くんだからねぇ……。

 予告。
 このサイトの引っ越し先はこちらになります。


2000年2月11日(金曜日・建国記念日)
 片岡先生から、ここに書かれている内容だけではまるっきり変人に見えるから、ちゃんとした紹介を要求するとメール。
 ちゃんとした紹介だったら、早稲田の多言語のサイト見ればいいんちゃうかなぁとか思うところがないわけじゃないけど……。
 真面目な人間って、傍目に見ると変人に見えることがあるのかもと、片岡先生を見ていると思うことがある。つまり、普通の人なら「程々」で放り投げてしまうようなことを突き詰める真面目さが片岡先生にはあるように思う。しかもそれを楽しむ術を知っているという点で、片岡先生はとてもポジティブな人なのだ。(その辺、私はいつもどうやったらさっさとこの百鬼夜行の業界から拔け出して本業の歴史屋に戻れようかと考えているワケで、不真面目と言われても仕方がないところがある。ま、もともと余り真面目な人間ではないこともあるが)
 一見するとオーディオマニアにも見える行状や、冒險家にも似た現地調査の数々は、求道の情熱の発露であって、同じ道を突き詰めれば必ずや同じ所へ辿り着く“ごく真っ当な”所行ではある。
 そういうわけですので、片岡先生は情熱の人なのであって、決してマニアな変人ではないと書いておきます。
 こんなもんでよろしいでしょうか?>片岡先生

 もう少しで忘れるところでしたが、みず谷なおき追悼原画展が東京で開催されています。私は最終日に行く予定。

 以前書いた「千年紀も2001年からではないのか?」という疑問に対して、ものの見事な回答が存在した。
ローマ教皇庁が、そう言っているから」
 完璧だ。ケチのつけようがない。
 キリスト教式太陽暦なんだから、時を支配するのはローマ教皇だったわけだ。


2000年2月12日(土曜日) part 1
 図書館情報大学に同期で編入した松澤くんのページで、丸付き数字が使われていたので指摘したら、すぐに書き換えてくれた。そこにコメントがあって、「う〜ん、こういう問題って、ユーザが意識しないレベルで解決できないもんですかね? 小熊さん〜。(苦笑いされそう...)」なんて書いてあった。確かに苦笑する他はないかな(苦笑)
 私は、往々にして善人が事態を悪化させていくということを、歴史に学んだ。この問題もそういう所がある。
  1. 情報交換のためにJIS X 0208(いわゆるJIS第1第2水準)が定められた。
  2. しかしJIS X 0208では文字が足りない。「字が足りないぞ! 字を使わせろ!」というユーザからの要求がある。
  3. それに対するメーカ側からの回答としてメーカ外字が提供される。
  4. それが最終的には情報交換の障碍となって残る。
 さあ、戦犯は誰だ?(笑) 「将来の情報交換を混乱させてやろう」などという意図を持った人は誰一人居なかったと斷言しても良いと思う。恐らく関係した全員が、よかれと思っていたに違いない。そして結果は見ての通りだ。
 ここまで事態が進行してしまっては、全員を満足させる完璧な対策などあろうはずもない。現状を素直に受け止め、せめて他人に迷惑をかけないように注意深く振る舞うくらいが関の山だ。
 人間って「理解してもらう」って事に対して、物凄く鈍感だと思う。劇作家の平田オリザさんだったかな、「文章は、無理解を前提に書かなければいけない」って言ってたのは。意思が疎通することが奇跡的なことなんだという認識が足りないと思う。そのことが分かっていれば、情報交換規約を侵すことの罪がいかに深いか言わずとも分かろうに。

 そういえば、『小形克宏の「文字の海、ビットの舟」』の方は連載が好調なのか不調なのか、傍目にはイマイチ分かりにくい。


2000年2月12日(土曜日) part 2
 学部の卒研発表会が終わった後、なぜか和光研/松本研合同の打ち上げコンパに参加していた(笑)。そこで気付いたことなのだが、なんと私は図書館情報大学の卒業式に出席するのだ。なんで驚くといわれそうだが、私はこの大学の入学式を二度経験しているが、卒業式は始めてなのだ(なんだよそれ……)
 なんか実感が薄いねぇ。なんでだろうねぇ?

 二次会は遠慮させてもらい、家に帰って[ピー]MCのK元くんと電話する。お題は多言語処理。

  1. 問題が一つではないことが判った。
  2. 解決困難な問題がいくつもあることが判った。
  3. 誰が解決するのか分からない問題が沢山あることが判った。
 ……なんか救いようないな。
2000年2月13日(日曜日)
 東京へ出て、まず、みず谷なおき追悼原画展へ出向く。開場直後くらいに行ったのだが、結構人が入っていた。遺稿集を購入してくる。ずっしりと重く、みっしりと詰まった悲しい本。

 その後、コミティアへ。知り合いのサークルは殆ど姿を見せておらず、逆に見知らぬサークルが多かった。その分、楽しんだつもり。
 とりあえず『ざわざわ河』へ出向いてかやまさんに挨拶。したら、火炎龍さんも来ていたとか言われた。会場内で邂逅することはなかったが。

 適当に会場をうろついて、予算が尽きたところ(約一万円消費……)で秋葉原へ移動。親父殿たちが作っている地元ミニコミ誌(?)『新川時論21』の編集で使う予定のマシンのための部品蒐集をする。
 約一万円でCD-ROMドライブとFDDとサウンドカードを工面する。
 自宅に帰ってから、大学と家とを数度往復して、部品の拔き取りやら差し替えやらをやって、OSのインストールまでやってしまう。
 しかし……Intel® Pentium 100MHz、メモリ32MB、HDD 1.2GBのマシンが「時代遅れ」なんて変な話だよ……。


2000年2月14日(月曜日)
 昨日のコミティアなのだが、この周辺(笑)でも石田画伯きさらさんかやまさん火炎龍さんが会場にいたらしい。なんて濃ゆい話だ(笑)
 一方、ゆうりすオタク一番は、竹居さんみず谷なおき追悼原画展で出会ってしまい、悟りの境地に到達したらしい。
 大阪へ行っても元気にオタクしてろよ〜。

 ところで今日はCICCで多言語の会議だったのだ。
 片岡先生から、この日記のことでぶちぶち言われる。でもですね、前のDLで片岡先生に会ったとある先生は、「小熊くんの日記に書かれている通りの人だったね」と言っていたんですがねぇ……。片岡先生は「誤解だ」と言っておりました。

片岡先生「あの日記だと、不良中年がいたいけな学生を苛めているように見えるじゃないか」
「そう見えるように書いてるんですが」
片岡先生「ヒドいやつだなお前!」
 とりあえずフォロー。「片岡先生は素晴らしい先生です。」フォロー終わり。
 話を会議に戻す。
 てっきりオブザーバーで参加している私には仕事は回ってくるまいと思っていたのだが、気がつくとちょっとしたことを押し付けられる。しかしスコレックスのK林さんは私のことを多言語の専門家かなにかだと勘違いなさっておられるらしい。私は唯の歴史学徒に過ぎないというのに。
 会議が終わった後、TRONのことでもちくちくいぢめられる。TRONの多言語について私を責められても困る(爆)。あれじゃ多言語処理が実現できないこともわかっているし、問題が山積みなのもわかってるんだ。兵隊は私は末端の兵隊なんだよっ(笑)。
 会議が終わった後も、延々と多言語処理の討議を続けていた……。このままだと……本当に……本業が……。
2000年2月15日(火曜日)
 今日は一日、靜かに家で転がっていた。
 読書しながら終日過ごすのは、何ものにも代えがたい贅沢だ。
 本は金で買えるが、才能は手に入らない。ただ知恵が身に付くだけである。しかしその知恵が飯の種になるわけだから、言ってみれば読書は私の就職活動みたいなものなのだろうか。

 MS-DOSのブータブルCDを作ってみた。うちにあるフロッピーディスクが最近次々と寿命を迎えてきており、FDよりは寿命が長そうなCD-Rに移すことを考えたのだ。MS-DOSもなんだかんだでなかなか拔けられないねぇ。


2000年2月16日(水曜日)
 昼。鈴木=Genesisさんから本を返しに行くと電話。そのまま筑波大学の医学の学食で昼飯を採りながら雑談。
 かくして夢路行の本は全部返ってきた。そういえばわかつきめぐみの新刊が出ているとじゅりちゃんが言っていたが、まだ見ない。明日東京に出て搜そう。ところで、『神戸の秘密』を借りた人はまだ名乗り出てくれない。一体誰に貸したものだったか……。

 ACCSの常時接続の申し込みをしてきた。本気でつくばに根を下ろすつもりなのだ。もっとも、東京ではを抱えて暮らせないというのが最大の事情だが。
 2tも本を抱えているからだと言われればそのとおりなのだが、この本どもは私の外部記憶(笑)なので手放せないのだ。

 吉目木さんから、こういう情報が回ってきた。私も『小形克宏の「文字の海、ビットの舟」』の方から見つけたのだが、なんとも凄い努力をする人もいたものである。作者は匿名になっているが、この人だろうな。
 ページのソースみて私ゃびっくりしましたよ。charsetにJIS X 0213を指定している。根性のある人も居たもんだ。敬意だけは表する。しかし、最終更新日の段階でJIS X 0213はまだ規格化されておらず(審査は通過していたが)、IANAへの登録も申請段階だったはず。
 一体何を考えてるんでしょうかねぇ……?


2000年2月17日(木曜日)
 東京へ出る。本を買う。シューレの学生ゼミに参加する。
 買った本の中にビルマ語の教本が入っていたりするあたりが、逃れ得ぬ運命を予感させる。もちろん気のせいだが。
 一日で一万円分以上の本を買って持ち上げたためか、腰を痛める。二年前にギックリ腰をやっているので、かなり辛い。動けないほどではないが、動けるだけって感じだ。しかし動けるうちは大丈夫。

 明日はNASDAに見学に行く予定。キャンセルするつもりは毛頭ない。


2000年2月18日(金曜日)
 痛み止めを飲んでNASDAの見学に行く。そこまでして行くかという意見もあろうが、やはり行けるときに行かないとね(^^)。途中で痛み止めが切れてひどい目にあったけど、色々見れて面白かった。

 さて、この記事を見てみよう。ヘッドラインの方ではは「アップルは、次期オペレーティングシステム「Mac OS X」において、最高品質の日本語フォントを、パーソナルコンピュータとしては最大の文字数で提供することを発表しました。 」なんて書いてあったりして。
 そうか。超漢字は比較対象外か
 好意的に見れば、大日本スクリーンの美しいフォントを一番多く用意したとも読めなくはないが、殆どJARO提訴ものだろう(笑)。いや、確かに超漢字ソウルシステムズのフォントは見れたもんじゃないけど。大日本スクリーンのヒラギノが六書体だなんてなんて羨ましいとか思うけど。
 くっそー! なんでフォントけちったんだよー!


2000年2月19日(土曜日)
 日中、弟から電話があった。唐突に何の連絡かと訝しむ私に、弟は言ったものだった。
「身も蓋もないこと聞くけどさ」
「何?」
「墓場の街ってどこにあったっけ?」
HYDLIDE 3かよ……」
 私の方は現在Level 17で、封印の洞窟までをクリアしている。ということはつまり、あとは「出口のお守り」を手に入れて最終ラウンドに突入するだけというわけだ。
 Level 3でハーベルの塔をクリアし、Level 5でマッドドラゴンを倒した(笑)。Level 7くらいから失われた宮殿で経験値を稼ぎ、宇宙船はLevel 12くらいだったか。結局、封印の洞窟が一番手間がかかった。アイテムを持ち帰るためには、持てる重量を増やさんとあかんかったのでなぁ(笑)
 経験的には、Level 15くらいでクリアは可能だ。かなりきついけど。
 言うまでもないことだが、オーバードライブモードは邪道だから却下だ。
2000年2月20日(日曜日)
 日中、昨日に続いて弟から電話があった。話はやっぱりHYDLIDE 3だった。
「雲の石って、ハーベルの塔の178階じゃなかったっけ? どんだけ搜しても全然見つからんのやけど」
「176階だ」
「176やったっけ?」
「天空の街でちゃんと会話しろよ……」

 夕刻、[ピー]MCのK元くんから電話がある。多言語を中心に、色々な話をする。多言語関係の問題は果てなく難しい。どこまでが文字処理の担当で、どこから先がマークアップ言語などより上位の記述の担当とすべきなのか。“正しくない”記述をどこまで許容すべきか。これは表現の問題も絡み、なかなかに判斷が難しい。


2000年2月21日(月曜日)
 今日はDL Workshopだった。発表した。疲れた。
 スーツにしたのだが、少々場違いだったかも。貫禄あり過ぎなところが玉に瑕。内容が内容なので質問が多かろうと思って早めに発表を切り上げたら、質問が殆どなかった。う〜ん。発表者が自ら馬鹿なことを言うわけにはいかないので、嵐を呼ぶような質問を期待していたのに……。

 文字講堂の南堂久史さんからメールを頂いた。1月分の日記HTMLにミスがあるというのだ。うわ恥ずかしい〜。なんのためにHTML全部手書きしてるのかわかったもんじゃない(爆)

 前期旧石器時代の遺構“小鹿坂遺跡”が見つかったと聞いて、胸躍る。50万年前、原人の時代だ。ホモじゃない、ピテカントロプスだよ。
 ちなみに、ここまで古くなると、分野的には歴史学というよりは人類学に近くなってしまう。
 ピテカントロプスは、その発見より先に学名が決まっていたという不思議な経緯がある。進化論に基づき、「ピテカントロプス」なる猿と人との間の存在がいる筈だと予言され、ジャワで発見された化石人骨がそれに準えてピテカントロプスと名付けられたのだ。
 しかし残念ながら、ピテカントロプスは我々人類の先祖ではないらしいのであるが。

 そういえば昨日のK元くんとの話の中で、こんな話が出た。
「文字は心眼で読め」
 そう。文字は目で見てはいけないのだ。目で見るから惑わされるのだ。
 というわけで、片岡先生に例のダライ・ラマについて教えを乞うた所、「ダライ」はモンゴル語で、チベット文字での音訳だから、あれはチベット語ではないと言われた。つまりあれは「ダライ」という音が先にあって、それをチベット文字で書いたものだったわけだ。だから、チベット語の規則で文字を読み解こうとしても、当然のように読めない。
 そんなのわかるかぁ〜(哀)


2000年2月22日(火曜日)
 今日は日本文藝家協会のシンポジウムに行ってきた。お題は『活字のたそがれか? ネットワーク時代の言論と公共性』だった。
 営団地下鉄銀座線の外苑前駅で降りると、どこかで見たことがあるような人間が! ああ、あれは工作舎怪しい編集Tさんっ。青山TEPIAの会場に入ってしばしすると、美崎さんもやってきて、私の少し前で怪しい内緒話をしていた。なんだかDVDのパッケージがやり取りされていたようにも見えたが、仕事の話をしていたそうである。
 美崎さんはその後私のところへやってきて、多言語関係の話を少々。
 シンポジウム自体は、恐らく後に文藝家協会の方から報告書かなにかの形でなされると思うので、あまり語らないことにする。ただ、著作権とその周辺権利関係は複雑怪奇というか、混沌としているというか。私は著作権使用料で食っている人間でもなければ、出版権で商売をしているわけでもないので、いわば第三者であるが、図書館学に触れた人間としては悩ましいことであることは変わりない。図書館の本は、そのまま博物館的に保存するならともかく、電子化を考えるなら著作権の問題を避けて通ることができないからだ。

 図書館といえば、次世代電子図書館システム研究開発事業の成果発表会が三月三日にある。とりあえず登録はしたので見に行くことになるだろう。もっとも、こっちは技術的な話題が専らだが。

 シンポジウムの途中の休憩時間と、終わった後と、美崎さんと吉目木さんから同じ質問を受けた。以前書いたTRON多国語処理モデルの問題についてだった。これについてちょっと書いておくと、現在の超漢字の問題は、ずばり「スクリプト層しか実裝されていない上に、文字属層は影も形も見えない」ことである(苦笑)。つまり、本来文字属層とスクリプト層、あるいは更に上層のTAD全体で処理すべき部分が全く実裝されていないどころか、何をすべきか、何をどこが担当するかが全く示されていない。ついでに古い論文に当たると概論ばかりで「こりゃ駄目だよ」ってことになる。徹底した個別事例への考察がなければ、多言語処理は画餅になる。(もっとも、個別事例への傾注を続けると、多言語の迷宮に迷いこんで拔け出せなくなるような気がしてならないのだが……)
 この辺をどうするかが、今後TRONの多言語を担当する人間の最大の使命となるであろうことは疑いない。
 私以外の誰かだといいのだが……

 昨日のNHK教育のETV特集に坂村先生が出ていたそうな。全然知らなかったので、見逃してしまった。まあ、ビデオを撮った人がいるので、今度借りて見ることにしよう。
 しかしETV特集ということは、私が昔バイトしていた教養番組部の製作ということだ。かつてあそこで仕事をしていた頃は、コンピュータ関係について余り理解がある人が居なかったような記憶があるのだが、変われば変わるものだ。

 ここ数日、妙に学内の電界強度が弱いと思っていたら、なんのことはない、最強のデンパ源が大阪へ逝っていたからだった。


2000年2月23日(水曜日)
 PMCへ出向く。出家の形態(爆)について話す。しかし我が儘言いたい放題な、隨分態度のでかい学生だ。本業歴史屋として、漢字と多言語について、必要とされるだけ力を売る形になりそうだ。
 K元くんと会ってマクドで奢ってもらって、話す。多言語の話はめんどくさいよぉ。最後に社に寄ってK元くんからプリンタを讓り受ける。N内くんと挨拶。S谷くんと多言語の話少々。
 話を聞いててなんか安心した。PMCの多言語はS谷くんに任せとけば大丈夫だろう。ほっほっほ。

 Oxford English Dictionaryの初代編集主幹であったハーバート‐コールリッジは、就任二年後に僅か31歳で没したそうだが、最後の言葉が「明日からサンスクリット語を勉強しなければ」だったと聞いて、私としては「無慘だ……」という感想を抱くしかなかった。
 どうしてこう、言語の迷宮に突入した人間には、ロクでもない末路が待っているのだろうか。もう少しこう、なんというか、救いようがあってもよさそうなものじゃないか?

 『ヨコハマ買い出し紀行』の7巻が出ていた。おお、表紙は主人公のココネじゃないか☆ 誰が何といおうと、『ヨコハマ〜』の主人公はココネなのだ。反論は全自動却下だ(爆)


2000年2月24日(木曜日)
 大学へ行ったら、いきなりデンパがバリバリしていた。そう。あの男が帰ってきていたのだ! 早速院生室でThe Queen of Heart '99なんかプレイしてデンパを撒き散らしていた。
 しかし私が部屋に入った瞬間に、コントローラを握り締めたままウィンドウを最小化して画面を隠そうとした動きに、熟練したものを感じた。
 なお彼は、ホシノ・ルリやきまぐれオレンジロード関連の印刷出力をプリンタ周辺に放置して注意されるという偉業も達成した。流石である。

 藥害エイズ訴訟で、ミドリ十字の元社長たちが一審で実刑判決を受けた。罪状は業務上過失致死。
 殺人罪には、殺意の存在が不可欠である。殺意がなければ、業務上過失致死ということになる。しかしこの場合、“未必の故意”による殺人看過というべきではないのだろうか? 当時、非加熱製材を供給し続ければ、どこかでHIV感染を起こし、そしてAIDS発症から死に至ることが分かっていたはずだからだ。
 確かいつぞやの伝言サービスを使った昏睡強盗事件の犯人は、殺人罪で送検されたのではなかったろうか。


2000年2月25日(金曜日) part 1
 kanameさんの紹介で、こういうものの存在を知った。出版社側としての著作権利用に対する姿勢表明なのだろうが、内容は凄まじい。なにが凄いって、その内容をここに書き写せないくらいだ。
 この内容を丸ごと鵜呑みにすると、今後私達は小学館の出版物について、その内容すら通信上では紹介することができないということになる。つまりは、丁重に黙殺してくれと要求されているわけだ。
 つまり、小学館から出ている本を読んでもその感想も要約も述べることができないということだ。当然内容についての真面目な考察の類は一切不可能だろうし、漫画や小説のパロディなどはもってのほかだな。まあ、通信上でのファン活動は(小学館の許可なしには)不可能になったといって良い。
 kanameさんのサイトでは、早速小学館から出ている本の紹介を中止してしまった。検索してみると、うちのサイトの中でも二ヵ所ほど小学館に関る部分が発見できた。一般公開する前の準備段階だったのだが、これでそのディレクトリは一般公開されないことが確実になった。
 小学館が一体何を考えてこのような処置に踏み切ったのかは分からないが、害多くて益少ない決定だと思う。
(参考:サンライズの著作権関係の注意書き
2000年2月25日(金曜日) part 2
 『風の歌 星の道2』のドラマCDを買ってきた。

 HYDLIDE 3をクリアした。Levelは20。なかなか重量制限がきつかった。

 石川先生に就職する旨お伝えしたところ、鳩が豆鉄砲を喰らったような顏をしていた。どうやら、私がドクターコースに進むものと思い込んでいたらしい。前々から卒業して就職するって言っていたと思ったんだけどなぁ……。
 総合情報処理センター竹居さんにも同様に挨拶。
 今日でカードキーもコピーカードもプリンタカードも返却だったので、24時間時間を気にせずに大学の設備を利用できた夢のような生活からおさらば。これからは、独立独歩で行かねばならぬ。
 まあ、自由を求めた代償だ。何もかもを手に入れることはできないさ。

 日本生前契約等決済機構という生前の遺言を実行するためのNPO法人ができたと報道があった。
 私自身は現世利益最優先を標榜し、死んだ後のことなんか知ったことかと言い放っているが、自分の死後に興味がないわけじゃない。特に、私の蔵書については。こう言っては何だが、私の蔵書の中にはかなり貴重なものも含まれている。多言語処理に於いては、教本となるべきものもある。そしてその殆どが、価値の分からない人間にとっては一錢の値打ちもないものばかりだ。
 せめて、その価値が分かる人に、讓与したいものだ……。


2000年2月26日(土曜日)
 嫌な事実を目の当たりにする。
 本棚の増設を考えて、書庫を見回っていたら、ふと地震対策の支持棒が緩んでいるのに気付いた。設置したときにはきっちり絞めたはずなのに。つまり、天井が持ち上がったのか、本棚が縮んだのでなければ……。
 そうだよなぁ……。グランドピアノより重いんだもんなぁ……。

2000年2月27日(日曜日)
 中学二年生がサバイバルナイフで下級生を刺殺とか聞くと、「もう沢山だ」って感想がまず出てきちゃう。どうしてこう、どいつもこいつも自分を大切にしないかな。人を殺せば、殺人に問われる。量刑が輕くても重くても、自分の人生に小さくない負担になる。
 殺人が正当となる状態ではなかったのなら、殺さずに事を済ませろよ。それが知恵ってもんだろうが。

 25日の日記の“死後”の話だが、この“死後”という単語には二つの意味があって紛らわしい。

  1. 自分が死んだ後、自分がいなくなった現実世界
  2. 自分が死んだ後の自分の精神状態。「死後の世界」
で、私は2番には全く興味がない。だから考えるのも1番だけだ。
 書いたときには2番の存在に全く思い至らなかったもんで、後で読み返してみると少々妙な文章になってしまったようだ。
2000年2月28日(月曜日)
 朝から学校へ出向いて、某社関係のお仕事。四部叢刊なんぞを漁る。コピーカードがないと、ちょっとした複写にもコイン式のコピー機を使わなければいけないわけで、今更ながらにして院生の待遇の良さに感じ入る。
 面白い資料を二つ三つ見つけ出す。
 この“面白い”って奴が何となく嫌らしいけど、まあ、他人が苦しむ分には問題はない。自分が苦しまないように、せいぜ賢く立ち回ろう。
 私の仕事だというのに、資料集めに松本先生の助力を得られることになってしまった。いやはや、有り難いことです(^^;

 昼頃一時帰宅すると、郵便受けに怪しい封筒が! ああっ、バリバリとラヂオが出ているっ。差出人は石田画伯だった。と、いうことは……、内容は先日のETV特集のビデオだった。
 とりあえずDVにダビングして、後で見ようと思っていた。……のだが。

 夕刻、祖父逝去の報。俄然、慌ただしくなる。


2000年2月29日(火曜日)
 400年に一度の閏日。
 しかし私はそんなところの騷ぎではなくて、どうにも今日から動かせなかった用事を片付けに東京へ。しかし調査は空振りに終わってしまい、どうにも踏んだり蹴ったりだった。最初から無駄足になることが分かっていれば……。
 いや、いや。誰も未来などわかりはしないのだ。

 予想通りと言うべきか、あちこちで閏日問題が持ち上がっていたようだ。私は巻き込まれなかったから良かった良かった。