哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2000年3月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2000年3月1日(水曜日)0時
 ええと、三日まで出たきりになる予定。
 山形県、天童市へ。
2000年3月3日(金曜日)
 目くるめく三日間が終わって帰ってきてみたら、Unicode 3.0の仕様書が届いていた。内容を見るとまた目眩がする。Ideographic Description Charactersなんて、一体誰が実裝するんだ?
2000年3月4日(土曜日)
 弟と友人を連れて、東大総合研究博物館へ行った。展示は繩紋土器を中心にしているようだが……はっきり言って、門外漢によるディスプレイショーになっていた。前衛芸術チックな陳列は、到底繩紋土器を見せるのに向いているとは思えない。高さ三メートルになんなんとする陳列棚なんて、一般人を拒絶しているようにしか見えなかったぞ。
 ギミックを見せるのが主眼なのだろうか?
 そのギミックの方もかなり杜撰な出来だった。赤外線受光部付き音声ガイドとレーザーポインタを使っているのだが、よく混信した。ポイントされるべきセンサーが外れかけてみるものがいくつもあり、手入れが悪いのか手際が悪いのかその両方なのか……。
 全体的に未だ作りかけの感が強く、暫く待ってからの方が良いのではなかろうか。

 館内で金田さんと落ち合う。CSのBook TVで放映された小林めぐみのインタビュービデオを録画してもらっていたのだ。金田さんは私の事を変人だと根拠も無く盲信している一人なのだが、二人で繩紋人骨の前で熱く語り合ってしまった。何しろ私は、大学二年までは考古学を志していた人間なのだからして、繩紋についてはちょっとうるさいのだ。
 今でこそ、なんだかよく分からないヤクザな仕事に就いてはいるが、これは世を忍ぶ仮の姿なのだ。絶対に。

 金田さんからビデオを受け取り、一行は一路秋葉原へ進行。PS2フィーバーを見に行こうという趣向だったのだが、祭は既に終わっていて、あったのは無残なまでの品切れの札だけだった。
 今日一日で何万台出たのだろうか? 品簿は予想通りなのだろうが、今後の供給体制が問われるところ。どこぞの二の轍を踏んでは、笑いものだろうて。


2000年3月5日(日曜日)
 終日暮読本。不亦楽乎。
 でも一日に四冊も五冊も本を読むのは読みすぎなのか?
 大量に購入してきた筈の本が次々と消費されていく……。
2000年3月6日(月曜日)
 風邪をひいた。藥を飲んだら覿面、ぐっすり夕刻まで寢てしまった。夕刻に起きて、借りてきたビデオを消費する。よくわからないミュージカル映画と、やたら弾丸が飛び交う香港映画。
 なんとか次回のBTRON Clubの発表申し込みだけは済ませる。CICCの仕事もせにゃぁ。
2000年3月7日(火曜日)
 車が故障した。
 今日まで家に遊びに来ていた友人をひたち野うしく駅まで送っていこうと西大通を南下していたところ、洞峰公園入り口の信号で停車したあと、ECVTが故障。クラッチが繫がらなくなってしまった。当然、ぴくりとも動かない。なんとか人手を借りたり、一時的に復活した瞬間を狙ったりしてなんとか洞峰公園の駐車場まで移動させる。JAFのレッカーで、土浦市のスバル整備工場まで搬入され、そのまま入院と相成った。
 診斷結果は電磁クラッチの故障。修理には、部品を発注して、一週間ほどかかるらしい。
 一つ助かったのは、ECVTの保証期限三日前だったこと。お陰でレッカー代だけで済みそう。
 一つ大変だったのは、代車が無かった事。整備工場の中に代車に出せる車が無かったらしく、しょうがないので土浦駅まで送って貰った。
 というわけで、暫く自転車生活だ。

 土浦駅で、古本市が……。
 なんだかかなりしっかりした古書店らしく、江戸時代から戦時中の貴重な本が!
 中に、某AA研のチベット地域に関する研究報告書が!
 おお! とか思っていきなり中を確かめさせてもらう。地理風俗に言語……。だが、研究は音声言語であって、記述言語については全く言及が無かった。
 よって、買ってこなかった。

 SCEPlayStation2の出荷台数について、三日間で98万台とかいう発表がある一方で、手に入らなかったという声多数。事実、つくば近辺でも、初回出荷分は予約だけで捌けてしまったようで、その後の入荷は未定にも拘らず予約は受付中という店が多い。
 一体誰が嘘を吐いているのやら(微笑)

 マイクロソフトがゲーム機を作るとか報道されていた。
 うーん。
 マイクロソフトの作るハードウェアは実は侮りがたいからなぁ。ソフトはクソミソなんだけど、あそこの売っているハードは、マウスにしろジョイスティックにしろ、品質が良い。案外良いもの作ったりして……。


2000年3月8日(水曜日)
 営団地下鉄日比谷線中目黒駅付近で脱線衝突事故。時間帯はラッシュアワー。日比谷線は東急東横線と中目黒で接続している。ということは……?
 一応メールで問い合わせてみたが、何事もないらしいので安心しておく。

 風邪がなかなか良くならない。藥飲んで寢てしまうが、駄目だねぇ。


2000年3月9日(木曜日)
 久しぶりに動いたら、疲労困憊。
 大学に行って五體清文鑑を搜したが見当たらず、どうやら所蔵していないらしいことが判った。松本先生に相談をすると、「じゃあ来年度入れておこうか」とか言われてしまった(^^;。うーむ。話の分かり過ぎる先生というのもなかなかに怖いものがある。有名な本なのです>関係者。
 その間、[ピー]MCのK元くんとメールでビルマ語の話をしていたのだから、我ながらマルチなもんだ。といっても、HMX-12とは何の関係もないのであるからして、勘違いなさらないで欲しいものである。

 ゆうりすオタク一番がつくばを去った。今後彼は「デンパ大阪」と名乗るらしい。

 満都拉さんからは、頼んでいた本を内蒙古で買ってきたとのメール。内蒙古で、蒙古文字で書かれたコンピュータの技術書があったら購入してきて欲しいと頼んでおいたのだ。これも仕事がらみだね。ああ、忙しい忙しい。

 こういう時こそスケジュールをきちんと確認しないと、大チョンボをしでかすものである。……と、スケジュールを覗いてびっくり。シューレの学生ゼミが今日だったの?!
 時刻は16時半。慌てて17時丁度の高速バスに飛び乗って、ギリギリで王子シューレに飛び込む。
 本日のお題は、1月に発表された「21世紀日本の構想」にある「第5章 日本人の未来(第5分科会報告書)」だった。
 一読すると分かるとおり、非常に偏狹で時代錯誤的な内容が並んでいる。読んだ後に「俺ってもしかしてアナーキスト(無政府主義者)やったんか?」と自問自答してしまったほどである。
 教育が統治手段的な側面を持っていることは否定しないが、このご時世にその側面を強化しようというのでは、全体主義志向と言われても仕方あるまい。大体、まず最初に国とか国体とかいうものが無条件に存在しているのが気に喰わない。ついでに言えば日本人と日本国民を区別してないところも問題だ。
 最後にトドメを刺しておけば、「未知の世界を恐れない冒險心を持ち、目先の功利性を超えた無償の好奇心に駆られ、同時に結果として起こるかもしれないリスクに対して自ら責任を取る精神」を持った人間に心当たりはたくさんあるが、どいつもこいつもとんでもねー奴等ばかりだぞ。
 内容とは関係のない指摘をしておけば、ローマ数字はWindowsシステム外字だから、Web上で使ってはいけないんだぞっと。


2000年3月10日(金曜日)
 学務課から、私宛てに小包が届いているから受け取りに来いといわれて、何事かと出頭してみれば、日本規格協会から『7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合 JIS X 0213:2000』が送られてきていた。公開レビューに参加した全員に贈呈しているようだった。規格票は定価が11,000円だから、個人的には非常に有り難いのだが、このお金がどこから出ているのか考えると、少々考えるところもある。とりあえず貰えるものはありがたく頂いておく。
 規格票って高いんだよなぁ。仕事するのに必要なものを一通り揃えようと思ったら、五万円くらいかかることがわかった。

 つくばは車社会だ。その中で車を失うとどうなるか?
 レンタルビデオ屋まで片道自転車で20分。返却のために往復しただけで、隨分と体力を消耗してしまったわい……。


2000年3月12日(日曜日) part 1
 11日の話。
 CICCがらみの仕事をせにゃならんので、大学へ行ったり、荷物持って家に戻ってきたり、資料を並べてうんうん唸ってみたりする。
 そしていよいよモノを作ろうとWindows 95に似非多言語フォントをぶちこもうとしたところでWindows 95がオカシいことに気がついた。いや、もちろんWindows 95はそもそもオカシいのだが、それはともかく、フォントのインストールができないのだ。
 もちろん、私は迷わずWindowsの再インストールを敢行した。TVの中ではフォレスト・ガンプが走っていた。
 さて、再インストール自体は、さほどの時間を経ずして終了した。っつーか、よくあることだし。
 しかし、問題はここからだった。
 ppp接続ができなくなったのだ。設定類は全部残っているので、再インストールでシステムがおかしくなったか、プロバイダが止まっているのかどちらかだ。超漢字を立ち上げてそちらからのppp接続は問題なく通る。ということは、Windows 95に問題があるというわけだ。
 それから、ガンプ君が走っている間、私はあちこち設定を替えては接続してみて、失敗して、ログを見て……ということを繰り返した。友人に電話をかけて心当たりがないかを訊ねてみたが、雑談になってしまった。ガンプ君はとっくに走るのを止めてしまっていて、考えてみたらミラー中尉なんだよな(意味不明)。きっと『ムトゥ』だったら、みんなで踊ってる場面だ。
 かくして悪戦苦鬪は六時間近くに及び、ありとあらゆるアップデータをインストールし、システムをなだめすかすどつくたのむいのるして、漸くエラーを時々出しながらもppp接続出来るようになったのが午前4時。
 仕事はどーすんだよ!

 星虫が朝日ソノラマから再版されるという噂を聞いて、今から気もそぞろ。


2000年3月12日(日曜日) part 2
 今日は一日、CICCの件を片付けるのに使う。しかし……うちにはMS-WordもMS-Excelもないので、AdobeのPostScriptプリンタドライバを駆使してeps形式にして出力したりしてたのだが、どうにもうまくいかずに苛々させられる。
 多機能過ぎるフォーマットってのも難しいもんだねぇ。
 もちろん、半分は自戒なんだけど。

 TADもきちんと仕様書を読めば実に多機能であることが分かるんだけど、殆ど実裝されていない。もちろん、本来ならサードパーティーやフリー/シェアウェア作家がそういった多機能TADエディタを開発するのが筋なんだろうけど。
 私の仕事の一部として、TADの強化のための下調べがあったりするわけなんだけど、強化し過ぎると例によって「規格上の存在」になってしまいかねないし、かといって電子の翻刻のためには讓れない機能もあったりする。
 なかなかに痛し痒し。

 F1開幕! 今年の第一戦目は、M.シューマッハーが勝ち取っていった。BARホンダもビルヌーブが4位に入賞。もう一台も7位。やっぱF1はエンジンが全てですね……。
 トヨタもF1参戦を表明しているけど、個人的にはやっぱり童夢を応援するな(^^)


2000年3月13日(月曜日)
 CICCへ。
 これが最後のCICC行きだ。三年間の多言語処理研究は、この三月で終わりであり、総決算として、月末、委員の方々が北京へ乗り込む。にしても、色々学ばせてもらった一年だった。
 これで私は多言語処理の最前線と縁が切れ、ごく真っ当な一般市民に戻るのであった。

 片岡先生は最近ひじょーに警戒していて、何か言っては、「日記に書くんじゃないぞ」と私に念をおすのだ。今日も面白い発言が色々あったのだが、口止めさせられてしまったので、表だっては書けない。折角ネタになる人なのに……。
 口止めされなかったネタを。
 図書館情報大学の学生が、なにやら片岡先生に迷惑をかけたらしい。今年度卒業予定の学生と知り合いなのだそうだが、その学生、国家公務員の司書試験に合格し、任地が近畿北部と聞いて早々に北京都に居所を定めてしまったそうなのだが、結局任地は奈良教育大だった……。かくして、どうやって通勤したらいいのかと片岡先生に電話をかけてきたとか。
 そしてついでに自前のPCが壞れてしまったとかで、データのバックアップをしたいとも言い出して、片岡先生のところへやってきて、10base-Tでちまちまとデータを吸い出したそうな。
 粗忽な学生もいたもんだ……。
 片岡先生曰。UNIX系OSしか使えないわ、自力で自分のPCの面倒もみれないわとは、一体図情大ではどういう教育をしているのだ、と。
 私は図情大の教育に関して権利も責任も持たないので放言になってしまうのだが、図書館系の学生と情報系の学生の間の習得知識技能の違いが大きくなり過ぎてきているような気がする。私はもっと高いレベルで均整のとれた学生を輩出すべきだと思うのだが……。
 もっとも、PCのメンテなんて技能としてあまり高いものじゃないがね。


2000年3月14日(火曜日)
 満都拉さんから、内蒙古土産を頂く。蒙古文字で書かれた新刊本。蒙古語で書かれた日本人名読み方辞典(笑)。漢字で引いて、蒙古語で音が書いてある。日本人の人名なんて複雑怪奇もいいところで、珍名奇姓には事欠かない。
 外国人から訊ねられる漢字の読みと言えば、地名か人名だもんな、大抵。

 昨日CICCで貰ってきたペルシャ語の文字コード仕様書を大学でコピーする。一部は[ピー]MCのS谷さんへもたらされる。英語版はさほどでもないのだが、やはりペルシャ語版の方が興味深い。アラビア文字とペルシャ文字の混植って、やっぱり頭痛いよ……。

 先週壞れた車が直ったと連絡があった。しかし考えても見てくれ。ここはつくばの中心街なのに、向こうは土浦市のはずれ、中貫だぜ? どうやって取りにいけばいいんだ? 代車が貰えなかったのが、痛い。
 結局、バスやらタクシーやらを乗りついで工場へ行くことになった。修理代はタダだったんだけどねぇ……。


2000年3月15日(水曜日)
 朝から東京神田は神保町へ。[ピー]MCのK元くんと落ち合って、神保町巡りをする。
 最近とみに多言語にのめり込みつつある彼に、神保町でどの店が辞書や語学書を扱っているか、案内したのだ。二時間弱ほどかかって、一回り。いやしかし、私も語学書を搜して歩いたのは初めてだが(当然、いつもは歴史関係の本をいつも搜している)、色々な言語の本が売っているものである。私自身驚いた。
 K元くんはチベット語の辞書と、日中蔵対訳の本を一冊買っていった。
  こういう形で[ピー]MC内部の人間へ私の知識を移植しておくのは、私流の危機管理でもある。一人倒れたら処理能力がガタ落ちになるような組織は健全ではない。
 彼の未来に幸多からんことを(笑)。

 つくばに帰りついた後、久方振りにゼミに参加した。
 気がついたら、年度末を目の前にして、各研究室や院生室で保管されていた(あるいは蓄積されていた)、古い機材が廊下に運び出されていた。年度の初め頃に廃棄手続きをした国有財産がいよいよ廃棄されるというわけである。
 なんというか……、手続きが面倒なのはわかるのだが、いくらなんでも時間がかかり過ぎやしないだろうか? しかも廃棄される物品ときたら、PC-9801Fとか。研究室の肥やしにもなりゃしない。


2000年3月16日(木曜日)
 今日は八王子は拓殖大学へ。
 以前書いた情報処理学会の大会の特別セッション「次世代の漢字環境」を見物……もとい、拝聴するためである。

 朝、まず大学へ出向くと、雨の中、国有財産の処分が行われていた。ふと箱の中を覗くと、まだ使えるCanon F-1とレンズ6〜7本が! もしかしてレンズが割れているのかと調べてみたが、どれもこれもまだ十分使える。これ本当に廃棄するのか?とか思っていたら、阪口先生が、マニュアルのカメラなんて使える人間はおらんだろうと言っていた。
 そうだろうか? とりあえず露出計さえ内蔵していれば、大抵のカメラが使える私としては、格安で払い下げてもらいたかった。

 そこから今度はJRひたち野うしく駅から、一路東京へ。上野で乗り換え、東京から中央特快で高尾まで。合計二時間強。関東の北の端から西の端へ移動したようなものだな(笑)
 八王子のきつい坂道を歩きながら、体力の衰えを感じた頃に会場に到着。すると、見たことある顏が。あ、あれは美崎さんじゃないか。なんでも、マイコミPC Webで記事を書くんだそうな。
 セッションのパネラーは以下の通り(敬称略)。

 これを見て、正直なところ「一体何を考えて集めたんだ?」と疑問に感じたのは私一人でしょうか? 舌戦になるのは火を見るより明らか……っちゅーか金網電流デスマッチじゃあるまいに……。
 ナカミについては後で美崎さんの記事を読んでもらうことにして、私の感想。
 恐かったです。いやもう、ええ、とは言いませんが敵愾心むき出しの人とかいまして、「売られた喧嘩は買う」とかいう発言があったりとかして、本当に四角いリングでも用意した方がいいんじゃないかとか思いましたよ。西の権威と東の権威がさり気なくお互いを無視していたりとか、さり気なく発言の中にウチが一番早くからやっていた的な内容が折り込まれていたりとか。
 小林さんがあとで「退屈だった」とか言っていたけど、流石、長年多言語やってるだけはあると思いましたぜ。
 近付かないに越したことはないですね。

 美崎さんに突っつかれて、一つだけ私も発言しました。
 大規模漢字セットが多数流通するのは喜ばしいのですが、図書館側としては、質が低くなるのは困りもの、と。大体、文字セットって、JIS X 0208ですら正しく使われていないのが現実なのだ。一例としては、長音符号とマイナスを混同している人は少なくない。
 ちなみに、JIS X 0208で横棒に見える記号は、長音符号、数学のマイナス、ハイフン、全角ダッシュ、罫線(細太二種)の合計六種類。当然のように私は全て目視で区別出来るが、これは別に変態技でもなんでもなく、一般技能である。
 なお、X 0213では1/2ダッシュとハイフンマイナスが追加されたので、スキルアップが必要だろう。
 それはいいとして、とかく漢字が増えると喜ぶのは結構だが、図書館系の人は今後も「間違いだらけのソースデータ」に悩まされ続けるのであった。
 合掌。

 セッションが終わった後、サイト見てますという人が現れて、内心ドキドキだったりして(^^;。最近、TRONと関係ないことを書き散らしているだけのような気が……。
 ああ、そう。今回のセッションの中では、GTと文字鏡の発表でTRONの話題が出てきていました。両方とも、TRONコードの中に取り込まれる予定ですからね。そういえば、JIS X 0213ってどうするんだろう?

 美崎さんと話をしながら京王線に乗る。
 すでに美崎さんのとこに書いてありますが、$$FONT.BOXが破損するバグが超漢字にあるようです。運悪く当たってしまった人は、涙を飲んで耐えましょう(こらこら)。
 他には、多言語のことなどを。特に、坂村先生の昨今の発言について、私が鬱憤をぶちまける。いくら花火を打ち上げるのが坂村先生の仕事とはいえ、ちょっと最近的を外してきている。このままだと、BTRON全体に悪影響を及ぼしかねない。
 さても困ったものよ。え? それよりさっさと仕事しろ? それはごもっとも。

 夜、デンパ大阪よりメール。元気らしい。


2000年3月18日(土曜日)
 大学から、何やら書留郵便が届いた。何かと思って開封してみたら、司書教諭講習の修了証書だった。この資格が役に立つ日は来るのでしょうかね?

 横綱若乃花が引退してしまい、関取で応援しているのが旭鷲山関だけになってしまった。技巧派が好きなんですよ。でも小兵の技巧派力士って、どうしても短命ですから……。
 できれば若乃花には、KONISHIKIのように、平幕になっても取り続けていてもらいたかった。

 埼玉県の浦和、大宮などの合併に関して、新市名の候補が出ていた。「さいたま市」「埼玉市」「彩都市」「さきたま市」「関東市」。はっきり言って、どれもあまり雅じゃない。一番良いのは「彩都市」かなぁ。それでも私なら「彩絢市」くらいにはするぞ(笑)。
 どうだろう、提案なのだが、ここは一つJIS X 0213に入っていない漢字を使って、「行政地名をカバー」したJIS X 0213に対抗してはいかがだろうか。そして大々的に宣伝する。一部の人から熱狂的な支持と、狂信的な反感を買うであろう。


2000年3月19日(日曜日)
 先日のことだが、金田さんからの訓はいかずちいかづちとどちらで書くのが正しいのかと訊かれた。
 答えはいくつもあるのだが、敢えて個人的に言わせてもらえばいかつちである。
 現代仮名遣い的には「いかずち」が正則となるのだと思われるのだが、語を分解していくと「」にしないとおかしいことがわかる。
 「いかつち」は「嚴之靈」であり、「」は助詞なのだ。「目之毛(まつげ)」の「」と同じ格助詞である。それが濁音化しているのが「いかづち」の正体である。
 現代仮名遣いでは、基本的には「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の区別をしないことにしている。そのことが本当に日本語習得者のためになるのかどうか、疑問が残るところではある。

 台湾(中華民国)の総統選挙で、次期総統に陳水扁氏が選出された。
 彼の人の為人については殆ど知らないのだが、中華人民共和国の方が危險視する独立志向のある人間だと聞き及んでいる。
 台湾の独立について、個人的には賛成である。「中国は一つ」のお題目は結構だが、台湾は経済的にも大きくなっており、国際政治の舞台において公的発言力のない立場は、不利に働く。今後の発展を考えれば、いつかは考えねばならないことだ。
 一方、台湾の独立は、東ティモールに続く、中国への圧力になる。あの国は色々とアンバランスであり、武斷主義傾向が強い。そーゆー国が大国になってもらうと、近隣国としては迷惑極まりないからね。


2000年3月20日(月曜日)
 今日は大田区産業プラザPioの『そうさく畑 東京9』へ行った。会場へ行ってカタログに目を通すと、対面に『ざわざわ河』が……。つい、かやまさんと話し込んでしまった。それも多言語のことを……。何が悲しうて同人誌即売会まで行って多言語処理の話をせにゃならんのだか……。病気だ。職業病というやつに違いない。

 帰りのバスで、竹居さん偶然鉢合せになる。某デンパ大阪の話やコンピュータの話などで盛り上がる。

 今日も疲れたなぁ。ええと、あと三日でせにゃならんことがどれだけあったかしら……。


2000年3月21日(火曜日)
 学校へ行って、ちまちまと仕事を片付け、合間を見て本などを家へ搬送する。しかし、家に持ち帰っても、現在その本や書類を置く場所がない。本棚を二本増設する計画が頓挫したままなせいだ。本棚をおくスペースを作るために、現在CDが占拠しているエリアを解放せねばならず、そのためには現在のラックを排してCDキャビネットに置き換える必要があり、キャビネットは概算で二つは必要であることが分かっている。なんか倉庫番かなにかのパズルをしているような気分だ。
 そのうち重量計算までしなきゃならなくなったりして……。
 そういえば、昨日かやまさんに“本が2トン”の話について、「冗談じゃなかったの」的なことを言われてちょっとショックだった。
2000年3月23日(木曜日)
 どうして昨日日記を休載したか、書こうと思う。

 22日の大学は、やけにデンパがバリバリしていた。24日に控えた修了式へ出席するために、デンパ大阪がつくばにやってきていたからだ。そしてこれは全ての予兆だったのだ。
 月内に仕上げなければいけない仕事を大学で片付けていた私が、大学から自宅に戻ってきたのは23日午前2時半頃だった。日記を書いてメールを読んで、とっとと寢てしまおうと思っていた私に突きつけられたのは、DOSもWindowsも全く起動しないというトラブルだった。
 この時、原因に気付いていればこの後の苦労は全く無かったのだが、愚かにもこの時、私は原因に気付かずに、Windows95の再インストールに走ってしまったのだ。
 再インストールしたWindowsは、唐突に「新しい機器」を発見、ドライバを要求しだした。再起動すると、当然コンフリクトが発生し、状況は悪化してく。そしてディスクドライバがリアルモードになるに至る頃、Windowsの再インストールは三回を数え、時刻は午前6時に近付いていた。
 MS-DOSの再インストールは数秒で終わるのに、Windowsはインストールしてもすぐにおかしくなる。これまでのアップデータを捨てる覚悟で実行した、完全な上書き再インストールが失敗するに及んで、こちらも覚悟を決めた。
 Windowsのシステムディレクトリを飛ばして、完全な新品インストールに走る。この時時刻は午前7時半。
 そして私の戦いは午前9時まで続き、この頃になって、私はようやく原因に思い至っていた。
 先日も少々Windows95のご機嫌が悪かったので再インストールをやっていたのだが、その時、ブートセクタを書き直すのを忘れていたのだ。
 Windows95 OSR2は、DOSとの選択ブートをやると、二度と立ち上がらなくなるという“作為じみた”バグがある。よってブートセクタをw95bootというフリーソフトで書き換えておかないといけない。
 これを忘れていたのだ。
 つまり、起動しなくなった時点ででも、w95bootを使ってブートセクタを書き換えちゃえば良かったのだ。
 私のやってたことは、「無駄骨」「徒労」「骨折り損のくたびれ儲け」とか表現されるものだったわけだ。


2000年3月24日(金曜日)
 今日は学部の卒業式&大学院の修了式でした。そういうわけで、学位記を頂きました。修士号(情報学)です。
 卒業生が約200人、修了生が20人という、小ぢんまりとした大学らしく、全員一人一人が壇上に登って学長から学位記を授与されるという形式でした。前の大学は超マンモス校でしたし、中学・高校ですら図書館情報大学よりは規模が大きかったので(笑)、直にこのテのものを頂くのは、小学校以来でした。
 その後は例によって大学主催のパーディーでただ飯、ただ酒。
 さらにその後、院生仲間が集まって、ファミレスでだべる。
 んでもって、しまいにゃどうしても今日こなさなければいけない所用を片付けたらすっかり夜。
 夜は夜で、デンパ大阪が泊まりに来ていて、部屋の電界強度が強くってたまらない(笑)
 明日のBクラまでに仕上げようと思っていたモノが、とうとうできなかった。モノの素材は揃っているのだが、解説を付けないと「分かる人にしか分からないモノ」になってしまうんだよな、このテのものって……。

 明日はBTRON Clubから徹夜でカラオケの予定。(「仕事しろ仕事」とかいう声が聞こえてきそう……)


2000年3月26日(日曜日)
 昨日今日と東京へ。

 まず25日篇。
 BTRON Club。坂村先生の講演は“Crazy English”(原題:『瘋狂英語』)だった。中国に実在する英語教師のドキュメンタリー映画なのだが……。「金儲けのために英語を勉強しよう!」を掛け声に、数万人を動員するカリスマ英語教師ですからねぇ。坂村先生はしきりに「これからはCrazy TRONで行こう」とか言っていたけど、なんか昔「We are crazy for TRON」っていうロゴなかったか?
 映画は、6月24日からBOX東中野で公開ということなので、興味のある方はどうぞ。
 私の発表は、恙なく終わ……らなかった。文字属層の話は、混乱と混沌と狂乱の世界だ。さあ、一体どうする?

 BTRON Clubが終わった後、nyちゃんときしもとさんとで、「遠い空の向こうに(原題:October Sky)を観に行った。1950年代、炭坑町に住むロケット少年達が、夢を追いかけ、そして辿り着く話。
 実に良い作品でした。お薦めです。

 映画の後は、πちゃん、tottoさん長濱さんと合流して、ゲーセンのちカラオケへ。最初に爆風スランプの「45歳の地図」とか「ハイランダー」とか「完敗」を歌ったら、tottoさんはすっかり私をコミックソング好きだと勘違いしたようである。
 朝まで歌って、帰ろうかと思ったら京浜東北線が人身事故で止まっていた。

 26日篇。
 文芸系同人誌即売会「ぶんぶん」第一回。京浜東北線の人身事故や高速バスの遅延のため、遅刻してしまう。
 GODSPEEDのてつまさんやWeLFAの義忠さん、そして海野綺蕾さんなどと熱く語る。徹夜明けの朦朧とした脳味噌で、なんかヤバいこと口走ったかも……。
 てつまさんからは、「小熊さんのプロフィール見ると、“この人一体何者?”って思ってしまう」とか言われる。そんなことないと思うけどなぁ。
 茨木さんもやってきてお土産を頂いた。有り難うございました。
 ぶんぶんが終わった後、直帰して寢てしまう。夜中まで、ぐっすり寢た。しこたま寢た。


2000年3月27日(月曜日)
 三月も残り少なくなって、忙しいやら頭が痛いやら。
 とりあえず、今日でPC以外の荷物を全て大学から引き上げてきた。段ボール一箱分の紙。置き場がないよ……。とりあえず手をつけられるところから物を動かすべきか、それとも本の目録を作って押し入れに放り込むべきか。
 そうこうしている間にも、本は順調に増え続けているのであった……。

 露の大統領選挙は本命が予想通りの勝利。
 アメリカでは、28日にMS裁判の判決公判。
 日本では相も変わらずの瀆職報道。


2000年3月28日(火曜日)
 予備校時代の友人から、転職したというメールが来た。職場から出したらしいそのメールのX-MailerヘッダにはOutlook Expressの名が光っていた。マルチパートにHTMLメールを引っ提げて。
 返事には、怒りが込められた。
 彼はたじろいだ。自分が一体何を間違ったのか分からなかったらしい。説明を乞うてきた。
 こう言っては何だが、私も性格が丸くなったものだ。キレずに説明ができたのだから。基本レクチャーから、関係サイトの紹介まで。
 数時間後、彼は御免なさいと頭を下げたのだった。

 NHKの新番組、「プロジェクトX」は素晴らしい番組です。是非見ましょう。
 巨大プロジェクトに成功させた人間ドラマを追いかけるこの番組、第一回は富士山頂レーダーだったんだけど……どうしてこういう人知を越えたプロジェクトには、紙一重の人間が集まるものかね。
 「人並みの人間には人並みの結果しか残せない」って言葉があったと思うけど、人並み外れた人間が集まらないと完成しないプロジェクトなんかには、できれば一生関りたくないものだ。
 私は人並みで十分です。


2000年3月29日(水曜日)
 一日、がむばって仕事する。29日が終わる前に、一通りのものが出来上がる。全データ量が7MB越えた。殆ど画像データだけど。書庫管理で圧縮かけたら1.7MBくらいになった。これならメールで送れるなぁ。
 ……これって、迷惑だよな、普通なら。
 でも某多言語処理に足を突っ込んでからというもの、ンMB級の添付ファイル付きメールが送り付けられるのが常態になりつつあって、感覚がマヒ状態。
 恐い恐い。

 ふと書店で竹居さんと出会う。ちょっとだけ立ち話をする。某デンパ大阪と私が、竹居さんの仲間内しか知らない筈のWeb Pageを、いつから知っていたのかと問われた。いつからってねぇ……そりゃ公然の秘密って奴だったと思うんだけど。本人は、どうやら学内では自分のもう一つの顏は完全に秘匿できていたと思い込んでいたらしい。
 そんなことあるわけないじゃん。あんなにデンパ飛ばしといて……。

 書店へ行って、小林めぐみの新刊やらなにやらを買い込んできたのだが、ふとコミックGumに来月から流星ひかるの連載が始まると予告されているのを見て喜ぶ。

 気がつくと、三食とも買い食いだった。あーあ……。包丁が錆びちゃうよ。


2000年3月30日(木曜日)
 朝っぱらから、嫌な連絡が来る。
 ACCSのインターネット常時接続について、今入っているアパートのCATV用ブースタの問題で、サービス開始が予定通りにはできないというのだ。
 なんで4月1日開始のサービスの連絡が30日になって来る!?
 ACCSに連絡をしてみたところ、とにかくブースタを交換しなけりゃ駄目ということで、今度は管理の不動産屋に電話をかける。すると、費用が半額負担で7万円ほどかかるという。まだ大家も不動産屋も、なにも対処してないと。
 ぐわー!

 気分直しにコンビニへ行ってモーニングを立ち読みしたら、幸村誠の『プラネタス』が掲載されていてちょっと気分がよくなる。

 NHKの『クローズアップ現代』が7時台に移動してしまったため、最近殆ど見れていない。せめて深夜にもう一度再放送があればいいのだが。
 この春のNHKの番組改変では、テレビ朝日ニュースステーションの対抗馬『ニュース10』が登場しているが、今ひとつドタバタ感が拭えない。もうちょっと工夫しないと、半年限りの命になりかねないとか思ってみたりして。

 書き忘れていたけれど、Microsoft裁判の判決公判は延期された。和解交渉が進行中と言うことらしいが……。どちらも和解はしたいだろう。しかし、両者の考え方の間の隔たりは大きいように見える。
 MSの斜陽は喜ばしいことだが、かといってBTRONの夜明けには繫がらないし、今夜が明けられたら、誰も幸せにならないだろう。


2000年3月31日(金曜日)
 有珠山噴火す。
 22年振りとか言う噴火のお陰で、報道番組は噴火一色になる。大ニュースには違いないが、個人的には、この段階までに速やかに警戒と避難が行われていたことの方が重要だと思うのだが。
 こういった地球物理学や地学関係の時間尺度というのは、歴史学や古生物学よりさらに目盛りが一桁粗く、百年単位で誤差を含むことが少なくない。いかに過去のデータが揃っていたとはいえ、数日前から警報を発し、避難させるのは極めて難しい。
 今回の噴火予知と避難体制、各機関の対応は賞賛に価する。

 本日で法的に学生でなくなるため、最後の荷物を引き上げて来る。その際、長澤孃の運転する自動車に乗ることとなった。彼女は未だ仮免許の身であるからして、「仮免許練習中」の札を掲げての路上走行である。
 デンパ大阪氏(当時は“ゆうりすオタク一番”)は、3月3日に彼女の操る車に同乗し、「一ヶ月以上寿命が縮んだ」と宣ったものである(詳しくは彼の日記の3月5日の項を参照のこと)。ちなみにその時は学生用駐車場の中を移動しただけで、今回は一般道の上を路上実習(笑)である。
 とりあえずA4の紙に150pt.で「仮免許練習中」と印刷し、車の前後に張り付ける。私の荷物を積み込んで、さあ出発である。ふと助手席回りを確認すると、サイドブレーキレバーがない。足踏み式パーキングブレーキ……つまり、最悪の場合の制動手段はないということだ。まあ、もしもの時はシフトレバーに手をかけるさ、と楽観する。
 恐る恐る発進。大学正門から右折するところで、まず引っ掛かる。焦らずに車が途切れるまで凝っと待つ。左折。カーブ。そして信号。少々ブレーキが遅いが、まあ許容範囲だろう。車間距離が少なめなのに反応が悪いので、つくばセンターの辺りで先行車にかなり近付く。私が密かに衝突に備えていたことに、彼女は気付くまい。
 当然のことなのだが、経験の浅いドライバーの運転は、予測に基づく回避行動が殆どなされないので、つい対応が後手後手に回る。例えば、一時停止の道から車がノーズ半分程飛び出してくる、といった事態への対応だ。ミラーによる後方確認が少ないのも気になった。
 私の家で荷物を下ろし、今度は「ドライブスルーというものを経験したい」という彼女の希望でマクドナルドへ向かう。マクドの敷地の中をぐるぐる回るときに、「S字とかクランクって本当にあるんだ」と妙な感心をしていた。
 マクドから大学へ無事戻り、車庫入れの時に一悶着。何度やってもきちっと車が枠の中に收まらない。何度切り返しても、だ。
 横に載っていた私には、とてもよく理由が判っていた。なにしろ彼女は、同じ所を延々と進んだり戻ったりしてたんだから。つまり、切り返しが切り返しになっていなかったワケだ。
 最後に私が手を出して、なんとか車は枠に收まった。こりゃ車庫入れは特訓が必要だろう。他の部分については、まあ及第点だ。
 食餌にする。長澤孃のマクドは奢り。タダ飯だ。幾つか運転で気がついたところなどを注意しておく。
 果たして彼女の運転に、日曜日もお付き合いすることとなった。
 付き合いがいいねと言われるが、そうだろうか? 別に私の損になることではないからなのだが、普通は仮免の隣に乗ったりはしないと言われた。
 もしかしたら、先日逝った祖父の血なのかもしれない。

 プロ野球セントラルリーグ開幕。
 野球好きにとっては、勝てば選手を誉め称え、負ければ監督コーチを罵る季節の到来である。我らがジャイアンツは見事に開幕戦を取りこぼした。ああいう野球をやっていては、絶対に優勝は無理だろう。
 カープがきっちり“野球”をやっていたのに、ジャイアンツときたらホームランコンテストをやってるんだから。
 いいや俺は。選手たちが活躍してくれれば、それでいいから。二軍の試合でも応援するさ。