また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。
- 1999年12月1日(水曜日)
- 昨日の今日で、きさらさんのところの「枕元のノート・独り言倶楽部」が書き直されているのを見て、ちょっと申し訳ない気分になる。
多言語処理の基本を説くためのページを作りたいと思いはじめて幾星霜。なかなか果たせずにいる私が悪いのだろうに。
ふと、首筋に違和感を感じて、手で触ってみるとリンパ腺が腫れていた。あれれと思って体温を計ってみると37.3℃。ありゃりゃりゃりゃ。
自分の体温なんてわからんからなぁ。
これが、前回の利息なのだろう
- 1999年12月2日(木曜日)
- TRONSHOW2000開幕。
午前4時半に起床。6時半頃のバスで東京へ向かう。たっぷり3時間かかって会場に到着。FTRONの展示は開場直前までトラブっていた。
TRONSHOW自体は、大盛況だった。開場が狹くなったのに反して出展者は増え、当然来場者も増えているのだから、人口密度は上がってしまっているわけだ。また、FTRONブースはなんだかんだで人だかり。予定していた定時デモはとてもできないということで、とにかくモノを動かし続け、喋り続け、人を捌き続ける。やはり趣味人が集まってあれだけのものを作るというのは、人の耳目を集めるものなのだろうか。
いやはや、立ち仕事は疲れました。
18時から、レセプションで飲んだり、食べたり。でも一番は喋る。色んな人と、喋る。殆どは漢字と多言語のこと。
しんどいです。
- 1999年12月3日(金曜日)
- 寢過ごす。それも6時間ほど寢過ごす。目覚ましもストーブも、稼動した形跡があったので、よほど深い眠りに就いていたため、気付かなかったものと思われた。
しかし10時である。
もうTRONSHOW始まってたんです、起きたときに!
つくばから会場まで3時間もかかるのに!
というわけで、慌てて車をひたち野うしく駅まで走らせて、JRで五反田まで行きましたよ。所要時間2時間ちょっと。恐らく電車の時間を合わせれば(目の前で電車が発車していき、次まで20分待った)五反田まで2時間を切るものと思われます。なんか一つ安心事項が(笑)
午後の超漢字に関するシアターは、胃が痛くなるよーなものだった。会場に多言語の専門家が居なくて良かった(こらこらこらこら)。
今日もまた、話すことといえば多言語のこと。あっちこっちの人と話す。内容も凄い。結局みんなで頭を抱えなければいけないということが共通認識として得られただけという気もする。
クリンゴン文字やらアーヴ文字やらという話が飛び交うが、「そんなもん楽勝だ」と言いまくる。人造言語でネイティブスピーカがいない言語ほど楽なものはない。いくらでもやってくれ。宣伝における費用対効果は拔群にいいだろう。
しかし生きた言語はそうはいかない。デヴァナガリ文字を筆頭とする結合音節文字の類や、アラム文字を借字している言語などは、本質的な問題が多すぎて嫌気がさす。
やはり最後に問題になるのは、一体誰が、坂村先生に、多言語の難しさを説くのか、ということなのだろうか?
今更「TRONコードはメタ文字コードです」なんて言っても、納得してくれないと思うぞ〜。
TRONSHOWがはねたあとに、飯を食いに行く……と、なぜかそのまま呑み会になってしまい、松永さんとだべる。彼と私とは、人間性のベクトルが似たような方向を向いているのだが、原点が天と地ほども違うところにあるので、似たような論理展開から全く違う結論に辿り着くことができる。
所詮私は形而下の人間なのである。
つまり、「この言語とこの言語とこの言語を実裝するためにはこういう機能が必要である」と言いはするが、「こういう機能があれば、多言語環境が実現する」とは言わない人なのである。
坂村先生を例えるなら、「この現実からこういう発想ができるから、未来はこうなる!」と言う人である。
「ほら貝」に『「超漢字」管見』が掲載されている。
相変わらず理解不能な部分もあるが(delキーでの文字削除になぜあれほどこだわるのか、私には理解できない)、大体において評価は正しい。特に多文字処理の部分に関しては圧倒的に同意である。あんなもん実裝して欲しくないというのが偽らざる本音である(炸裂)。また、フォント製作に於いても[危險すぎるため削除]である。
プロジェクト内部ですらそういうことを考えている人間がいるということであるから、当然、外部から何を言われても仕方がないというものである。
- 1999年12月4日(土曜日)
- TRONSHOW2000千秋楽ぅ〜。
関係者の皆様、ご来場の皆様、ご苦労様でした。私も疲れました。
言いたいこと書きたいこと伝えたいこと、山と積みあがっておりますが、時間も気力も全然足りないわ。
- 1999年12月5日(日曜日)
- 朝起きると、病状は悪化していた。
夜まで安靜にしていたが、余計病状は悪化した。
困ったもんだ。
TRONSHOW2000総括〈文字コード編〉
- メタ文字コード
「TRONコードは、文字コードの文字コード、メタ文字コードです」とか言われて、クラクラきちゃったのは私だけ? そんなこと言われたら、言い返しちゃうよ。「メタ文字コードでは多言語処理はできない」って。
- 外字エディタ
1BからB-riht/Vへ移行できない理由が外字エディタだとか言われた。気持ちはわからんでもないが、だったらなんで1Bを撰んだんだとか言いたくなるじゃないか、こっちは!
あとで柏さんに言っておいたら、くらくらしていた。
- とりあえずアラビック
超漢字ではUnicode 2.0相当の文字が裝備された。折角アラビア文字が入ったんだから、とりあえず使えるようにしろという意見があった。そんなグリフの動的同定もできないような状態での「とりあえず」アラビックなんて、右から左に字形を並べるだけじゃないか。そんな前車の轍を踏むような行為は、愚行と言う。説明しても理解しない。その人は私に、「そりゃあんたみたいな研究者はそれでいいかもしれないが……」。研究者がどうこうという問題じゃない。愚行であることを解しないなら、それは愚者だ。
- クリンゴン
なんでも好きにしたらいい。人造言語をサポートすることによって得られる効果はそこそこにあるだろうし、結合音節文字だとか位置依存性文字だとかいう無茶苦茶な文字を利用している人造言語は知らないので(笑)、サポートも楽なものだ。
- コンバート
悩ましい問題だ。何が問題かというと、おおよそ現行の文字コードという奴は、大抵にして記述言語の記述のために必要な情報を全ては含んでいないからだ。問題の根幹はここにある。
不完全な文字コード同士では、相互に必要な情報を保持しているとは限らない。よって、ここに変換の不完全性が発生する。
問題は、どれだけの情報を有すれば「完全な」文字コードと呼べるのか誰も分からないと言うことだが……。
TRONSHOW2000の中で、今昔文字鏡の谷田貝さんが紹介していた最も画数の多い「おとど、たいと」という字(84画)であるが、一体なにに使う字なんだとかどういう意味なんだとかいう質問がなぜか私の所へ集まるので、ここに書いておく。
人名(姓)で、NTTの電話帳用外字表が出典であったと記憶している。
UGSFさんのSJPのページが『超漢字』で作られるようになったそうな。TOTTOさんもUGSFさんも越塚先生に面通しもしたし、未来のTRONを担う若者として着々とステージを上げているようだ。
- 1999年12月6日(月曜日)
- 今日も靜養の一日。
なんかBTRON3仕様書の英語化にボランティアの力を借りようなどと言う虫のいい話を転がしている人がいるようだが、こういうものはトロン協会が責任を持ってやるべきことだろう。
それ以前の問題として、世間様に出して恥ずかしくない仕様書であるかどうかという点があったりするのだが……。
流石にそこまでは面倒見きれんぞ(笑)。
- 1999年12月7日(火曜日)
- 今日が火曜日であるという事実に愕然とする。なんと明日はゼミではないか。一週間風邪ひきっぱなしかよ、おい。
体調は大分復活してきたが、動きまわるとやはり辛い。でもそんなこと言ってられないから、動き始めることにする。
TRONSHOW2000で谷田貝さんが紹介していたもう一つの漢字。調べてみると、これ一つで「おおいちざ」と読む国字らしい。戀川春町という江戸時代の戯作者が作った字だとか。
最近、妙なことを口走るTRONユーザが多いので釘を刺しとくと、画数が多い難解な漢字を用いるのも結構だが、ちゃんと意味調べてからにしろよ〜。意味も分からずにとんでもない英文が書かれているTシャツ着ている低能集団と同程度まで墜ちたらあかんよ。
ところで、こういった漢字を調べるには、当然『大漢和』などは全然アテにならず、『異体字研究資料集成』などを当たらねばならないわけだが、こいつ、古本屋でワンセット15万円くらいしたりする。
間違いなく「廉い」のだが、流石に手が出ない。
ひたすらデータを入力する日々。最近、自分がオカシくなってきたのではないかと危懼する。
データが怪しい所で、手が止まるのだ。
しかも、止まった本人は、なぜ手が止まったのか分からない。データといっても、無味乾燥なデータでしかないわけで、それが合っているか間違っているかなど、字書に当たってみないと分からない。
なのに、手が止まる。調べてみると、必ずといっていいほどデータが間違っている。
一体私はどうなってしまったのだろう……。
- 1999年12月8日(水曜日)
- ひゃー!
きゃー!
ぎゃ〜。
- 1999年12月9日(木曜日)
- 明日が提出日の修論の題目届に附記しなければならない論文概要が、今日出来上がる。データの打ち込みは遅々として進まない。同人誌の原稿はいつまでたっても集まりきらず、編輯者(私だ)の多忙さが祟って督促もままならない。だいたい、まだページレイアウトが決まっていないじゃないか。
暫く多言語のことは忘れたいと思っていたのに、そうもいかない事情ができてしまったので、これもお務めだと割り切って処理時間を回す。
帝京大学時代の某先生が「大学院生ほど楽な商売はない」って言っていたのを真に受けたのが、私の人生の敗因だったのだろうか。
それともやはり気が短すぎたのだろうか。
あちこちで風邪が流行っているようだ。「私がまっすぐに歩けないのはコリオリ力が働いているからだ!」などと言い出さないうちに、早めに養生しましょうね(自戒を込めて)。
「あなたの幸せはなんですか?」と訊かれたら、こう答えるだろう。「タイムマシンが完成して、歴史改変がなされ、結合音節文字と位置依存性文字がなくなった世界が僕の幸せです」と。
大修館書店がWeb上にページを持っていることを今日知った。少なくとも2年前はなかったのだが。
- 1999年12月10日(金曜日)
- 朝。徹夜明けで迎えた朝。大学へ行ってとにかく題目届を提出する。
そして10時半頃、書籍部へ行って本を注文して来る。ヘブライ語の本と文字学の本とトンパ文字の本。
なぜトンパ文字なのかというと、「トンパ文字やろうよ、トンパ文字。面白いから」という天声が聞こえたからである。天声であるからには仕方ないのである。なぜなら私は天声の下僕だからなのである。しくしく……
一方で、タイ文字と、世界で最も論理的という話があるパスパ文字の資料について、早稲田大学に問い合わせるための予備質問を片岡先生に出す。
国文研の原先生から回って来た資料(なぜか一太郎文書)を印刷すべく、くるくる回るが、12時過ぎて体力が限界を迎え、家に帰って寢てしまう。
起きたのは20時だった。
- 1999年12月11日(土曜日)
- 「あれはつまり、目からビームなんですよ。目からビーム。それが全てなんです」
そんなの、分かりたくないよ……。
大阪での就職をほぼ手中のものとした彼は、東京の放送をいかにして大阪で視聴するかを、大真面目で検討していた。AT-Xを視聴するのは前提の上で、である。その上、コミッククリエイションに参加できなきゃヤだと言い張って、東海道線沿線に棲むんだと宣っていた。
理解できない世界である。
竹之内くんと飯を食いに行った。そこで、彼の進路の話になって、博士に進むというので、情報とデータについて研究したらどうかと私が言った辺りから話しが怪しくなった。
CDから音がでる原理は、知らない? じゃあレコードは? スピーカから音が出るのが不思議だって? おいおい。そんなの電磁石と振動板がありゃぁ音くらいでらぁな。なに? モータはなぜ回るのか、だと? ちょっと待てお前ちゃんと中学校卒業して来たんか?
- 1999年12月12日(日曜日)
- アラビア語の一日。
夜にはNHKで『イスラム潮流』なんかあったりして、終日アラビックだった。
あああ。時間が足りないよう。
免許の書き換えもあるし(なのに誕生日と修論提出日が重なっている)、冬コミは待ったなしで迫って来るし、妹は元旦に結婚式などという暴挙をしでかしてくれるし。
みんな俺が憎いのか?!
- 1999年12月13日(月曜日)
- 久しぶりにテレビを点けてニュースを見たら、なんか日本がひっくり返るような大騷ぎになっていた。皇太子妃雅子妃殿下懷妊騷動とでも名付けようかしら。東宮御所をはじめ、小和田邱まで報道各社が押し掛け、中にはヘリコプターまで駆り出している局まであった。
こーゆー社会世相を見ていると、共産党辺りがなんぼ叫んでも、日本って国は天皇家を中心に回っているんだなぁとか感じてしまう。
それにしても……騷ぎ過ぎとちゃうか? 放っておくと提灯行列でもしかねないような雰囲気じゃないか。
昔話をしよう。今から約百年前の1901年(明治32年)、時の皇太子明宮嘉仁親王に長子が誕生し、迪宮裕仁(みちのみやひろひと)と名付けられた。後の昭和天皇である。
悲しい発見をした。
超漢字搭載のアラビア語フォントは使い物にならない。結合しなければならない文字同士が、結合しないのだ。白い隙間ができる。作った会社のなかで、検証しなかったのは明らかだな。
もっとも、超漢字は右から左の横書きをサポートしていないので、使い物にならないフォントを積んでいてもなんらの問題もないのだろうが。
- 1999年12月14日(火曜日)
- 幸せになる方法を考えてみた。
- 印度の山奧でダイバダッタに出会って修行する。
- 中国の山奧で片目眇の老人に会って泰山の南の麓の家を貰う。
- 京都の山奧で一丈四方の庵を建てて隠遁する。
- 米国の山奧でグレートスピリッツと一体化する。
- 欧州の山奧で氷漬けになって5,000年後に発見される。
どれもこれも、幸せにはなれそうだが、代わりになにか失ってはいけないものを失ってしまいそうな気がする。
週後半の予定を確認して、暗い気分になる。
木曜日、金曜日、土曜日と東京行きである。
ダブルブッキングになっていないことを喜ぶべきなのだろうか、用事は一度で済ませたいと嘆くべきなのか、あるいはノートパソコンの購入に踏み切ってモバイル修論に突入するべきなのか。
- 1999年12月15日(水曜日)
- 永森先生が私の着ていたBTRONトレーナーを指したところから、今日の脱線は始まった。
永森 | (留学生に対して)彼はね、TRONに人生を捧げちゃったんだよ。 |
小熊 | そんなつもりなかったんですけどね……。 |
永森 | そもそも、なんでTRONにハマったの? |
小熊 | 小学校のとき、坂村先生がNHKのテレビ番組に出てましてね、それを見てからあとは坂道を転がり落ちるように……。 |
永森 | 転がり落ちてるって自覚はあったんだ。 |
人生は転がる岩である(爆)。私だって、96年くらいまでは、遠くからTRONを応援している一サポーターに過ぎなかった(ハズ)。それがどうだ。僅か三年でこの体たらく……じゃなかった、この有り様……でもなくて、なんだ? とにかく、巧妙に張り巡らされた罠に掛かって暖かくプロジェクトに迎え入れられて頂いたわけだ。だから若人諸兄は臆せずに飛び込んで来て欲しい(笑)。
で、ここんとこアラビア語漬けの日々を送っていた話をしたら、温さんから訊ねられた。
温 | 小熊さんはアラビア語する人ですか? |
小熊 | 別にアラビア語だけってわけじゃないよ。わかんない言語は全部僕の担当らしい。 |
温 | どうして多言語やってますか? |
小熊 | ふっ。それはね。天の声がそう命じるからなんだよ……。 |
温 | ??? |
永森 | つまり神の声ってやつだね。 |
話はそのまま日本語と日本語表記の歴史的変遷の話になり、就職説明会のために隨分始まるのが遅かったゼミは、留学生向けの教養講座になってしまった。面白い発見は、平仮名や片仮名に、発明者がいると留学生が思っていたことだろうか。確かにそう考えるのも不思議ではないのだが、改めて問われるとこっちの方がきょとんとしてしまうね。
フィリピンからの留学生のルイサさんにフィリピンのマンヤン文字なるものを見せて訊ねてみたが、ミンドロ島のマンヤン族の文字らしいということしかわからなかった。
一見して構造を持った音節文字だろうということはわかるのだが、上下左右も読む方向も分からない。
世界は広いなぁ(涙)。
- 1999年12月16日(木曜日)
- 上京する、という行為は、私にとっては物欲との鬪いである。物欲と言っても、この場合イコール本なのだが、今日もまた飛び込んだ本屋で、気がつけば万札が消えていた。一体何があったのだろう……(爆)。ディーバッグはずっしりと重くなっていた。
- 1999年12月17日(金曜日)
- CICCにて多言語処理の会議。朝、ちょっとタイミングを逃したら、高速バスの中に三時間も閉じこめられることになった。遅刻してしまったわけだ。
会議の内容については、ちょっと語ることができない……というほど、恐ろしい内容だった。数十年後、関係者が全員鬼籍に入ったその後に、『文字コード通史 〜暗黒策謀編〜』とかいう形で世に出ることになるかもしれないが、その頃には私は文字コードとは無関係な一歴史屋として市井に埋没していることであろう。
昼食を頂いているときに、片岡先生の中国調査行の話があった。タクラマカン砂漠の方へ調査へ行ったおりに、中国人民解放軍の演習区域に入り込んでしまい、威嚇射撃を喰らったそうな。
「あんな調査、行くもんじゃないです」
……と言ったと思いきやぐるっと私の方を見た。
「君は行くんだよ」
……をゐ。
会議が終わったその後は、例によって例の如く、片岡先生のお供をして秋葉原へ。アラビア文字表記について曖昧な所を訊ねたり、パスパ文字の連結規則について慰めにもならないことを教わったり、マンヤン文字について指摘を頂いたり(「これ、裏焼きになってるよ」……)。
〈片岡先生語録〉
「なに? 君、そんな老け顏のくせに、まだ二十代だと?」
「もう駄目だよ。君はこの(文字の)世界で一生を終えるんだ」
「あんな親方日の丸の怪しい会議に学生の分際で出席しといて、怪しくないなんてあるわけないじゃないか」
酷い人である。
- 1999年12月18日(土曜日)
- 三日目。
きしもとさんと邂逅したあと、FTRON SysOp(通称:課長)の結婚披露宴へ。六本木のフランス料理屋で、FTRONとFDIVINGの面子が集まっての合同オフ会の様相でありました。なんというか、FDIVINGへの超漢字プレゼンだったようにも見えたが……。
疲労の蓄積に応じて微熱があったようだが、これがアルコール摂取に際して災いする。体調が悪いときに酒を飲んではいけない、と痛感させられる羽目に。
跳ねた後にPRONTOでπちゃんに奢ってもらったコーヒーに救われました。
それはともかく。課長、おめでとうございます。末永くお幸せに。
- 1999年12月19日(日曜日)
- 死んだように眠って、起きたら夕方だった。
三日間で買い込んだ本を処理したり、修論のデータ打ち込みをやったりで夜になる。
たまにはこういう日もないと、駄目だよね。
明日から、NHKで『映像の20世紀』の連続再放送がある。これから年末年始は、NHKの再放送オンパレード。最も幸せな季節だ(笑)。これで下らない年末年始特番がなければ最高だ。
デジタル放送時代にむけて、NHKには、24時間特集番組放送チャンネルを開設して欲しいものだ。
明日は来年度予算の大蔵原案の提示日。歳入の四割が国債という、それはそれは恐ろしい予算案らしい。そのうち、「日本が破産するくらいなら、世界経済ごと崩壞させた方がマシ」とか言い出す連中が出てきそうで怖い。
- 1999年12月20日(月曜日)
- TOTTO SiteやTRON Timesにて、超漢字の縦書き対応を強く望む声あり。
TAD的には、仕様書の「3.5.3 行書式指定付箋」に含まれる「文字方向指定付箋」で指定だけは可能であるので、問題はフォントマネージャなどのOS周りと、個々のアプリケーションの対応如何ということになる。
もっとも、この付箋は今後多言語対応の関係で大幅な拡張が予想されるので(あくまで予想)、[ピー]MCとしては現段階でのサポートに二の足を踏むところだろう。
ちなみに世界にはどのような書記方向があるかというと、私の知る限りはざっと以下のような感じ。
- 固定書記方向なし
ごく初期の漢字(甲骨文)や神聖文字(ヒエログリフ)や楔型文字に見られる。考えてみるとどいつもこいつも表意文字だ。
- 右から左への横書き、上から下への行送り
神官文字(ヒエラティック)や楔型文字(アッカド語)を祖とし、現在はアラビア文字使用緒言語(アラビア語、ペルシャ語、ウイグル語など)、ヘブライ文字使用緒言語(ヘブライ語、イディッシュ語、ラディノ語など)。
漢文の横書きも、かつては右から左。
- 左から右への横書き、上から下への行送り
西欧諸言語や、インド系結合音節文字使用諸言語。日本語や中国語、韓国語は、現代ではこの書き方もする。
- 上から下への縦書き、右から左への行送り
漢文、日本語、韓国語。古くは越南も。他には契丹文字など。
- 上から下への縦書き、左から右への行送り
蒙古文字、満洲文字。
- 牛耕、上から下への行送り
行ごとに右左横書きが入れ代わるもの。古代ギリシャ語など。
- 牛耕、下から上への行送り
行ごとに右左横書きが入れ代わり、なおかつ下から上へ行を送るもの。ロンゴ・ロンゴがこれであるというが、未解読。
- 下から上への縦書き
Ogham文字(古ケルト)。
他にもなんだか分からないものとしてはマヤ文字のようなものとかがあろうし、渦巻き状だとか鮫の歯状だとか、オカシなものには事欠かない。人類史が6,000年程もあれば、人間やれることは大抵なんでもやってきたという良い証拠である。
- 1999年12月21日(火曜日)
- 生命倫理委員会が、人のクローン生成を法で禁止すべきと内閣総理大臣に答申したそうな。
「人間の尊厳に関る」とかいう理由だったらしいが、羊や牛や猿がよくて、人間がいけないというのは一体どういう判斷なのか、“尊厳”という言葉だけでは、私には理解できない。例えば、「現行法体系下においては、生殖を伴わない人間の出生を取り扱うことができない。よって人間のクローン生成は、当面の間禁止とする」なら私にも理解できるし、納得できる。さらに何を議論したらよいかも分かる。しかし“尊厳”では一体どうしたらいいのか全く分からない。「神がお許しにならない」とか言われた方がまだマシだ。理解はできなくても納得できる。
一体尊厳とはなんなのだろうか……。
昨日の多言語の話の続きをしようか。
多言語対応によってもたらされるであろう混沌は、単にウィンドウの中には止まらない。ウィンドウの外、あらゆるGUIパーツ全てに及ぶ。仮身の表示も問題だが、メニューだって問題だ。ウィンドウのタイトル表示やピクトグラムの表示位置、スクロールバーの位置、パネルの形とボタンの配置……。
凄く考えたくないだろ?
この世界へ気輕に突っ込んでいってくれる優秀な人材隨時募集中。
- 1999年12月22日(水曜日)
- 冬至。
昨日京都で、校庭で遊んでいた児童が刺し殺される事件あり。犯行声明文付きで、かつての酒鬼薔薇事件を髣髴とさせるが……?
ここはひとつ、私らしいことを書いておこう。
このテの事件がアメリカでおきたなら、「校庭で銃乱射、児童数十名が死傷」になっていただろう。そういえばイギリスでも幼稚園で銃を乱射したやつがいたっけ。
「日本では銃規制が厳しいために、犠牲者が少なくて済んだ」というのは不謹愼の極みだが、一面の真実を言い当てているような気もする。もっとも、殺された児童の遺族や、今後捕まるであろう犯人の親族にとっては何の慰めにもならないことだろうが。
恨みを抱くにしろ、晴らすにしろ、無関係な人間を巻き込むのはいかがなものかと思う。ついでに、違法的悪行は単なる犯罪なので、せめて合法的に行ってはいかがなものか。
9月30日の東海村での臨界事故で被曝した大内さんが、亡くなった。はっきり言えば生きている方が不思議な線量だったわけで、職務とはいえ、底の拔けた樽に水を注ぐような医療を施し続けた医療スタッフの苦しみやいかなるものであったろう。また、生きながらにして全身の細胞が死んでゆく恐怖に二月以上に亙って晒された大内さんの冥福を、衷心から祈らせて頂く。
- 1999年12月23日(木曜日)
- 天長節。
明日からの戰を前にして、ようやくカタログチェックを開始する。しかし、わかったのは、目当てのサークルが全て三日目に集中しているという事実だけだった。初日、二日目と回るべきサークルがない。
これは大人しく二日間は修論をやっていろという天声か?
ゆるりと出かけることにしよう。
BTRON.comによると、[ピー]MCのK元くんがTrans TECHという雑誌に記事を書いていたそうな。超漢字の多言語周りだというので、友人としてアラ探しをして進ぜようと(笑)本屋を巡るが発見できず。明日、東京で買ってこよう。
それより、なんとなく特集全体に危ういものを感じるのはなぜなのだろう?
修論に引用する関係で、ISO/IEC JTC1/SC 2 N3142ことISO/IEC TR15285“Information Technology — An operational model for characters and glyphs”を精読する。
結論。
「なに、これ?」
ISO 10646のTechnical Reportという位置付けのはずなのだが、10646と矛盾しているように見受けられる。さらに内部で循環定義があったり……。これを真面目に読んだ上で、まだ「ISO10646で多言語処理を!」とか言えるとしたら、その人間の脳には蛆が沸いているか、それとも英文読解能力がないのかのどちらかだろう。
あるいは、ISO10646を読んだことがないか、だ。
それでも引用はするつもりだったりするところに、小熊の人間性が滲み出ている。
- 1999年12月24日(金曜日)
- ええと、Christmas eveの日。預言者イエス・キリストが生まれた日を祝うらしく、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教に加えて、最近では仏教徒も神道の徒も、この日を祝っているらしい。
根源的無信教の人には関係はないが、お祭り騷ぎの口実は無いよりあった方がいいので、咎めだてるつもりもない。
不規則かつ変則的な生活が祟ったのか、頭痛がひどくなってきた。なんとか東京まで出るが、気力が続かず、湾岸ではなく秋葉原へ行って、本屋とCD屋を覗いて帰って来てしまう。
Trans TECHは買ってきたのだが、特にコメントすることもなかった。K元くん以外の記事については、山ほど言わねばならないことがあるハズなのだが、最近では「好きにしてくれ」の一言で済ませがち。悪い傾向だ。I18nなどという奇妙奇天烈な略語を使って説明される機能のうち、一体いくつが、本当の多言語処理に必要なものなのか。検証したら面白いだろうな。
NHKの『映像の20世紀』の再放送はもう五回目。延々と続く戦争、戦争、戦争。20世紀は、人類が盛大に愚行を積み重ねた世紀として記録されることに間違いない。一人の歴史学徒として、20世紀史を専攻した者として、興味が尽きないところだ。
- 1999年12月25日(土曜日)
- Christmas当日。昨日からミサで夜を明かした人も、有明で徹夜した人も、院生室で泥のように寢ていた人も、とにかくクリスマス。今年はクリスマスがコミケットと重なってしまったために、隨分難儀した人も多いだろう。
さてその世界最大の有明イベントだが、ようやく二日目にして現地入り。会場が狹いため、人口密度が高いかと想像していたのだが、さにあらず、局所偏在状態が生まれていただけだった。
しかし明日は悪夢の三日目。会場内がどうなるか、まだまだ予斷を許さないのであった。
NIFTY/FTRONのチャットが今日だろうと思っていたら、12月31日となっていた。こりゃ参加できんわ。実家に帰省してるよ……。
- 1999年12月26日(日曜日)
- Boxing Day。
初日、二日目に比して、明らかに人が多かった。
日頃は絶対にやらないのだが、外周超大手に並んでみる。サークル入場で並んだのに、本が買えたのが開場後40分……。なんか時間を無駄にしたカンジ。
本当に多くのご来訪有り難うございました。新刊なくてごめんなさい。
そーれにしても殺人的だわ、あのイベントは。
さあ、あとは心置きなく修論ですね。
- 1999年12月27日(月曜日)
- 今月のあさりよしとおの『HAL』(コミックGum誌連載)を書店で立ち読みしていて爆笑してしまった。『HAL』は毎回毎回、素敵なお題に見事な調理を施して見せてくれる。今回のお題は「死」について。最近多いからね、死の定義を狂わすような出来事が。
今日、約束をすっぽかしてしまった。てっきり、明日だと思い込んでいたためだ。笑い事ではないのだが、笑って済ませるしかないね。
打ち込みはとうとう残り800件を切った。全部で1万2,000件余(笑)。このデータが、ある意味修論の目玉ってわけだ……。
- 1999年12月28日(火曜日)
- 昨日、JR浦和駅で爆発事件があった。コインロッカーの中の不審物に、コインロッカーの管理会社社員が触れてしまい、爆発、会社員が受傷。しかし思うのだが、どうして日本ではこういう不注意な事故が起こるのだろうか。事件はもちろん事件なのだが、不審物だとわかっていて触れたというのが分からない。自殺志願者だったのだろうか?
それは横に置くとして。
テロはいただけない。言論で相手を納得させられない人間が暴力に訴えた所で、結果は一緒である。それどころか、話し合いに応じない人間として、人間扱いをされなくなるのがオチだ。
民主的手続きに従って物を言い、受け入れるのが最低限の公衆としての務めだと、最低の公衆である私などは考えるのだが。
沖繩の名護市が、米軍基地(ヘリポート)の移設を受け入れると発表したのが昨日。以来、あちこちで様々な反応が起きている。
この問題は国防及び国際平和に関るので、輕々しく取り扱うべき事項ではない。理想論もあれば現実論もある。日本の論理もあれば沖繩の論理も名護市民の論理も本土の論理もアメリカの論理もある。どれも一理ある。当事者全員が正論を吐いていて收拾がつかないなんてよくあることだが、これもそういう側面を持っているとも言える。
それだけに、とりあえず正直に、本音をぶちまけた方が良いと思うのだ。我慢した奴が、貧乏籤を引くことになるのだ。
- 1999年12月29日(水曜日)part 1
- 午前5時43分。データの打ち込みが完了する。もっとも、あと200件余ほど、補助情報を入力する必要があるのだが。
- 1999年12月29日(水曜日)part 2
- 打ち込み終了を祝して、本の整理を少しだけ。寢床に溜まった本を一メートル少々、書庫へと片付ける。……が、どうやっても本棚から本が溢れ出す。一体なぜだ?
どうしようもなくて、40冊ばかり古本屋に持っていく。
しかしその古本屋で、『漢語林』を発見してしまい、速攻ゲット。これであと『大漢語林』を入手すれば、諸橋系漢和辞典が全て揃う……って、辞書マニアかい、俺は!
- 1999年12月30日(水曜日)
- 費用対効果というものの存在を忘れがちになるのが、お役所仕事の悪い所だ。
私の住んでいる地区は、深夜になると“ハント族”とかいう馬鹿どもが住人の迷惑省みず走りまわる、柄の悪い土地である。これに対し、行政側の対策は、二年ほど前に、地区全体を深夜通行止め区間にした程度であった。
それに加えて、最近、センターラインにブロックを嵌め、歩道にガードレールを付ける工事をおっぱじめた。
さて。この工事が効果を発揮するかといわれると、工事が半分以上終了した現時点において全く効果が上がっていないことから、今後工事が完成しても効果はないだろうと予測される。
対策を施すに際しては、十分な事前調査を行い、状況を正しく認識し、どのような対策が有効かをきちんと判斷して計画を立てる。そして計画の実行中並びに終了後、定期的にその効果を判定し、次回以降の対策に資する。
そういう至極当たり前な手続きを省いて、「効果があるかもしれない」対策を施すと、即ち税金の無駄遣いとなる。
ちなみに今件について、私が提示できる解決策は二つある。
一つは、地区全体を完全隔離区画とし、門を建て、夜間には物理的に封鎖してしまうことである。域内住民には門を開閉させるための認識票を発行し、深夜の出入りに用いるようにするわけだ。
この方法は控え目に言っても大がかりであり、初期投資から運用経費に至るまで小さからぬ出費である上、住民にとっても不便である。また、一度完全放逐された“ハント族”が戻って来る可能性がある限り対策を続けなければならないし、放逐された“ハント族”は自分たちが原因であるなど露ほども考えずにまた別の地区へ向かって同じことを繰り返すだろう。
つまり、対処療法的対策であって、費用対効果が悪い。
もう一つの案は、深夜徘徊車輛をチェックし、持ち主を洗い出し、警告書を送り付け、従わない場合には刑事告発及び民事訴訟に持ち込み、ありったけの賠償金を請求し、行政処分を科し、必要とあらば実刑を求めることである。
この方法はかなり大袈裟であり、手続きも繁雑であり時間もかかる。弁護士費用やら車輛確認のための人員・経費も馬鹿にならないし、全面対決になるので精神的な負担も大きい。しかしハント族”そのものを壞滅に追い込めるという点で有効である。
法を守る気の無い犯罪者など、法を破りたくても破れない状況に追い込むのがまともな対処というものだ。
この世界は敵だらけだ。
このクソ忙しいときに、自治会からゴミ置き場の清掃当番がいきなり回ってきた。それも修論提出日をモロに挾んで。
やっぱりこの世界は、私のことを嫌っているに違いない。
- 1999年12月31日(木曜日)
- このクソ忙しい最中に、帰省する。妹の結婚式のために。親戚一同によるどんちゃん騷ぎに巻き込まれ、つくばに戻ってこれるのは三日辺りになる予定だ。
その間四日間も修論にかかれないというのは、この時期には痛い。修士が取れなかったら、妹のせいにしよう(笑)。
それではみなさん、よい終末年末を。