実は月曜日から帰省していた。主目的は車のタイヤ。冬用のスタッドレスタイヤが四本、実家の方の都合で余分が出たので、頂いてきたのだ。殆ど新品。
常磐道→外環道→関越道→上信越道→北陸道のルートで約6時間。一日は、睡眠時間3時間の上に、雨の中を突っ切って行ったので、実家に着いた頃にはへろへろだった(相変わらず無茶苦茶な……)。
一年振りくらいの魚津は、また街並みが変わっていた。私が故郷と呼ぶべき街は、私の記憶の中だけの存在となりつつあるようだった。
実家からはタイヤの他に、古い古いMIDI音源(GS……らしいが添付ソフトがPC-9801用)、TA(うちISDNやないんやけど……)、ハードカバーの本を二冊、資料本を一冊。
しかし最大の收穫物は『大言海』。実家の本棚の奧深くで、埃を被っていたのを讓り受けてきた。明治6年、当時文部官僚だった大槻文彦29歳の年に、国語辞書編纂を命じられてより18年の歳月を費やした『言海』。そしてその『言海』の後継辞書を編纂するためにとうとう役所を辞め、終生を賭し、そして果たせずに没した。1928年、数えで82歳であった。彼の没後、助手が作業を引き継ぎ完成させたのが『大言海』である。
辞令一つで人生を賭ける羽目になった大槻博士……。どういうわけか、他人事とは思えないのだ。どうしてだろう。
ビデオデッキの交換が、本日行われた。やってきたデッキは、流石に完動品だった。(これで不良品だったら目も当てられない)
ゲーム機を置くための台を作る。キャスター付きなので、不要なときは玄関にでも放置できる。きっと一年の殆どを、そういうところで暮らすことになるのだろう。
ああ、いい加減スクリプト組まなきゃ。Bクラの原稿も書かなきゃ。同人誌の原稿も書かなきゃ。積読も消費しなきゃ。撮り溜めたビデオも消化しないと……。
三年次編入で同期だった都築くんからPCケース(電源つき)を貰う。どういうわけか彼は今日、卒論の中間発表だったらしい。見学に行くことにする。卒業後の進路は知らないが、彼のことだ。パチプロかなにかで食って行くだろう。心配ない。
とりあえずケースは手に入ったので、あとはM/Bがあればなんとかなる。と思ってPC Depotへ出向いたが、残念ながらよいボードはなかった。まあ、二世代ほど前のものが欲しいというのだから、無茶といえば無茶なのであるが。
ま、秋葉で中古でも搜すさ。
最近、家でマイクロスクリプトと格鬪することが多く、学校へ行かない日々が続いていた。しかし、[ピー]MCのK元くん辺りにお願いすれば25分(推定)で完成するであろうスクリプトに数日かかる自分を省みて、「ああ、私は常人だなぁ」と感慨に浸る。
とりあえずスクリプトの目処はついたので、一息を吐く。
11月9日は、1989年にベルリンの壁が崩壞した日である。あの時は私は高校一年生で、これをネタに新聞部で最初の論説を担当したことを今でも覚えている。そういう意味では、私が道を誤る最初の一歩の引鉄を引いた事件でもあったと言えるかもしれない。
魚津高校新聞の縮刷版を手元に引き寄せて145号を見てみると、当時15歳の私が、大層格調高い文章で大言壮語を吐いていた。
……当時の私の方が、今より文章が巧い!(愕然)
一部で有名だったドリームキャストに対する値引き禁止令について、とうとう公取委の手がSEGAに入ったらしい。
日栄に対しては、金融監督庁がどんどん踏み込んでいっている。そおいえば日栄の社長は元々北陸銀行の行員だったそうな。ほくぎんといえば、700億だかの赤字を出して公的資金が入ったのではなかったか……?
なんともコメントのしようがない。(一応出身地経済のことなもので、ローカルな話ですいません)
17時半頃から学食で、ただ飯。今年の夏以降立て続けだった図書館情報大学開学20周年記念行事が一通り終わったので、関係者他を招いての慰労会だった。間違いなく私はただ飯を食う資格があるはずである。
職員の方々から色々労いの言葉をかけてもらったりした。しかし、中には苦笑するしかないものも……。
「会社行ったら連絡先教えて下さいね」
……って、他の人材育てんかい(苦笑)。
本日は平成11年11月11日の一並びの日だとかで、全国で色んなイベントをやっていたらしい。まあ、お祭でもせんとあかんような景気ではあるが。さらに追加の経済対策が全部赤字国債で賄われるなどと聞いてしまっては、げんなりしてしまう。「若者が未来に展望を抱けなくなってきている」とかいうありがちな雑誌記事に石を投げたい。見ろ。我々に科せられた「やらなきゃならない宿題」は、溢れんばかりだ(爆)。
先日の大言海の話題について、じゅりちゃんが変なコメントをしていた。きっとまた彼のことだ、妙な勘違いをしているに違いない。
土曜日の段階で気がついていたことなのだが、超漢字は、フォントを追加すると起動に時間がかかるようになる。私など調子こいてかなりどかどかとフォントを追加したので、あれほど輕快だった起動が、ドライバを入れまくったDOSと同じくらいかかるようになってしまった。
昨日、[ピー]MCのK元くんからその辺の細かい事情は聞いたので、今度は使わないフォントをアンインストールせねばなるまい。
マルチフォントは程々に(爆)。
フォントと言えば、TrueTypeだけじゃなくて、ATMが是非とも欲しい所だ。今後は美しい出力に向けて邁進してほしいとか思うぞ。
モリサワあたりのフォントが載ると、目眩がするほどイイ感じになると思うのだが。(昨日K元くんからは、「上級者用100万円ですか?」とか言われたが(笑))
最近とみに言行が怪しくなってきている男から、K6-2を貰う。昨日買ってきたM/Bに載せる予定。
NASDAのH2が打ち上げに失敗してしまった。残念なことだ。軍事的側面を全く持たずにここまでやっている宇宙開発に暗雲が立ち込めることにならなければ良いが。
大学に、TRONSHOW 2000のポスターを貼るべく申請書を書く。
現実って奴は、常に想像を上回る。
ライフスペースが瀕死の患者を病院から連れ出して監禁の挙げ句、少なくとも私は死体と呼ぶもの(苦笑)を「生きている」と主張して二ヶ月にわたって観察し続けたとかいうことを、もし小説で書いていたら、ただのホラー小説だね。まちがってもドキュメンタリ風小説にはならないだろう。
ところが裁判にその記録が証拠として提出されているとか言われては、クラクラしちゃって、なにも信じられなくなっちゃうよ(笑)。
オウム事件以来、現実ってやつは、こくごとく私を裏切ってくれる。よくも悪くも、だ。
NHKのBS22というニュース番組で、電子書籍の特集を組んでいた。現在のところ、モニター試験の結果は上々といったところのようだ。明日はオンデマンド印刷についてらしい。
[ピー]MCのK元くん辺りにお願いすれば25分(推定)で完成するであろうスクリプトに半日かかる自分を省みて、「おい、所要時間が減ってきてるぞ……」。道を踏み外しつつある証拠だろうか?
超漢字の基本文書エディタは非常にまっとうになっている。なにしろ禁則付箋がサポートされている(笑)。しかし、ダンプして見ると、その禁則付箋の大きさにちと頰がひきつらないでもない。
特にワードラッピング時の禁則付箋には……。
今日はCICCで多言語処理の会議だった。なんかみんなから苛められたような気がする。いや、苛められたというよりは……墓場のゾンビに仲間として引きずり込まれたみたいな感じかな。「TRONが多言語っていう超特大の核地雷を踏んでくれるとは有り難いねぇ」って。この会議には地雷を踏んでいる人しかいないので、みんな他人の爆死を喜んでくれるわけだ。Mine Treaderだな。
片岡先生などは、多言語をやるといかに命の危機を経験できるかということをご自身の体験談を交えて懇切丁寧に教えてくれた。私が逃亡を希望すると、「もう駄目だよ。逃げたら少数民族テロリストの友達に言いつけてやる」とか言い出すし。
帰りのバスで、一体どこで道を誤ったのか、冷靜に考えてみた。やはり短気が問題だったのだろう。あの文献の海に埋もれて、砂漠の真珠を搜し続ける行為を地道に続けるだけの気力が私に備わっていたならば、このような世界に足を踏み入れることもなかったのだ。ああ、故人は良いことを言っているのだな。「短気は損気」
よーやくアナウンスが出たね。しかしエンコード方法が全部「参考」扱いってのはもの凄い。Shift-JISエンコードできることを前提にして文字数上限を定めたってのに、その桎梏そのものが参考扱いとあっては、一体この規格の前提は一体何だったんだろうと思わなくもない。
さて。どうやってTRONに取り込みましょうかねぇ。
私の発表そのものは恙なく終わる。しかし坂村先生にはいちゃもんをつけられた。「現在のBTRONでは文字属層が未整備だ」と書いたのだが、「文字属層の整備に頑張ろう」と前向きに書けと。前向きに書いたらといって事実が変わるわけではあるまいに……。
しかし多言語処理については、いい加減なところで後進に道を讓っておかないと、本業に戻れなくなってしまう。坂村先生に優秀な若人に心当たりはないかと訪ねたら、「君の本業は多言語だろう」とか言われてしまう。非道い人だ。
自分の発表が終わった後は、会場の外で[ピー]MCのS谷さんと多言語の密談。このままスクリプト層だけの状態が続くと、言語指定があったとしてもスクリプトから文字属層へのコンバートができなくなる。二人して実例を前にして頭を抱える。圧倒的に人的資源が不足しているのだ。現地へ調査隊を派遣するわけにもゆかず、なかなかに困難だ。協力者は一人でも欲しい。
途中一度坂村先生が顏を出したとき、「もっと人を」と訴えると、「小熊くんがいるじゃない」と、私に非道いことを言っていった。「だって君、多言語以外役に立たないじゃない」。
絶対に、歴史学の道に戻ってやる。
BTRON Clubが終わった後は、例によって例の如く酒を飲んだり茶をしばいたりしてカラオケに突入。今朝まで歌い続ける。
状況が状況であるので、朝一番の高速バスで帰ってくる。そして休息を取った後は、修論に……。
今日、ここ1年ほどの懸案事項であった電気スタンドを購入した。去年、長年使い込んだ電気スタンドが、とうとうプラスチック部品の破損という形で寿命を迎えてしまってから、なかなか代替品が見つからずに放置していたのだ。別に選り好みをしていたわけではないのだが、なにしろ設置空間やら稼動範囲にかなり制限があるので、自由度が高いものが欲しかったのだ。
結局松下のものが一番自由度が高かったので、渋々ながら購入した。
手元に灯がないと、仕様書が読みにくいんだよ。
あっちで自己啓発団体の被害があれば、こちらでは宗教法人の被害がある。そして向こうでは「心のぶつかりあい」が理由で女児が殺される。平和な日本……。
先週までは「定説」が流行語だったが、来週辺り「最高ですかー?」が流行語になったりして。
TRONでもなんかやっかぁ。坂村先生に頭を叩いてもらって100万円とか、足の裏を観てもらって250万円とか(爆)。
ところで、TRONSHOWが近付いてくると、俄に郵便受けが賑やかしくなってくる。なにしろ『超漢字』のダイレクトメールから始まって、TEPS、TRONSHOWの招待葉書、招待状などが、なぜか必ず複数送られてくるのだ。それだけTRON関係の組織団体に重複登録されているってことなんだろうけど……。
ごく僅かに鬱陶しいと思うところがないわけでもない。
来ないよりよっぽどいいんだけどね(^^;。
修論の方の進行状況を一言で説明すると、「賽の河原の石積み」。
首都機能移転って、本気でやってんのかね? 東京一極集中は確かに問題なんだろうけど、東京の問題点はどっちかというと新旧市街の混在にあるように思う。現在進行形で“都心”が移動し続ける成長都市東京の宿痾と言うべきか。
行政府や最高裁を動かすことに大きなメリットがあるとは思わないが、国会を動かすことには一定のメリットがあるかも知れない。なにしろ、国会の付属機関である国会図書館のキャパシティは常に不足しているわけで、例えばつくばのように広大な土地が確保できるところへ移転できるとなれば(利用者の不便はあるだろうが)、それなりの意味があるだろう。しかし行政府と国会が遠く離れるのは不便だし、最高裁も動くなら一緒じゃないと困るだろう。
ではどこかへ……とか思うが、警視庁のような警察機構の問題や、羽田・成田といった国際空港、鉄道・道路の基点となっている要衝であることなどを鑑みても、東京から首都機能を移転するのは難しい。東京はそれだけ条件がいいのだ。長年かけてそういう風に造成したというのもあるのだろうが。
ここで私は、長年の持論である(笑)、「首都機能都内移転」を主張したい。手狹になってきている官庁などを移転させ、なおかつ東京都区内であれば、交通の問題も殆ど影響がない。
そう。理想的な土地が、都内にはある。千代田区のど真ん中の、あの土地である。
今日も一日、賽の河原の石積み。一体いつになったら終わることやら。やっと全体の1/5程度。
封印してあるHYDLIDE 3 GPをやりたくてしょーがない。
旧約聖書に曰。
「去來我等降り彼處にて彼等の言葉を淆し互に言葉を通ずること得ざらしめんと」(創世記第十一章七)
天まで届けと塔を建てた連中を怨めばいいのか、その程度のことで癇癪を爆発させたヱホバを訴えればいいのか、はたまたこんな逸話ですら恨めしく思う無神論者の自分を哀れめばよいのか。
いと多言語の悩ましき。
朝7時過ぎにつくばに帰ってきて、昨日の日記を書いたと思いきや、大量に溜まっているメールを処理せねばならず、次いで今日つくばに来訪する片岡先生関係の調整をする。
燃えるゴミの日だったこともあり、慌ただしく朝が過ぎ、10時を過ぎて、とうとう前後不覚の状態になり、14時まで仮眠。起きてメールをチェックし、返信を書き、昼食を作り、学校へ行く。16時10分前、片岡先生が来訪。そのまま満都拉さんを引き連れて留学生会館で蒙古語処理の勉強会へ雪崩込む。
その間、Digital Libraryの準備の方でトラブルが起きていて、必死になって私を搜していたらしい。しかし私のトッペルゲンガーなどは現れなかったらしい。
勉強会の方は大成功と言うべきか、大失敗と言うべきか。
蒙古語処理の問題点は、これで関係者全員の共有するところになったはずである。これで満都拉さんが蒙古語処理に人生を投げ出してくれれば大成功だったのだが、残念ながらそうはなりそうにない。私と片岡先生はしきりに輝かしい未来を彼のために捧げようとしたのだが……。
20時頃に一応勉強会は散会したが、そのまま食事をしにいき、そして21時半過ぎに戻ってきてからは宿舎で片岡先生の研究の解説を受ける。
かくして私が片岡先生から解放されたのは22時半過ぎ。院生室に戻ると様々なメールが私を出迎えてくれた。必死になって読み、書き、帰ろうと思ったら最後には柳さんに捕まる。
自宅に帰ってきたのは23時46分。なんとかBS1での「クローズアップ現代」の再放送に間に合った……。
ところで私、ここまで数日、完全に修論に手をつけていません。
ところで私、これから数日、完全に修論に手がつけられません。
書き物の方が一段落して、TRON系サイトを経巡っている間に、「技術屋きさらの箱庭」の中の「枕元のノート・独り言倶楽部」に気になる記述を見つけてしまった。
「異なる文字コード体系の間での文書交換規約/フォントを中心とした文書交換/共通語」としてのフォントの部分にある
原則的に一つの文字コード体系内では「文字コードと字形は1:1の関係である」という記述。
ゆうりすオタク一番が、昨日からTBSでスタートした『デ・ジ・キャラット』のアニメを撮り逃したと、机にガンガン頭を打ちつけて嘆いていた。彼の額と机の強度保持のためにも、ここを見ている人の中で、彼を救ってやれる奇特な方は小熊までご一報頂きたい。(これでいいのか?>糸野)
多言語という山は、性悪な山である。
遠くから眺めていると、実に麗しく、登りやすそうに見える。ところが麓まで行ってみると、まずその高さに圧倒される。登りはじめると、その險しさに度肝を拔かれる。僅か数合目まで登ったところで、本格的な登山用具が必要であることを思い知らされる。それでもめげずに登り続けると、岩壁はますますその險しさを増し、先達の残した僅かなルートを手がかりに四肢を駆使せねばならなくなる。気がつくと岩壁はオーバーハングとなり、裝備はヒマラヤ登山級になっている。なのにまだ山頂は見えず、先人のビバークポイントでなんとか息を吐く。雪崩落石吹雪落雷、ありとあらゆる困難が前進を阻む。空気は薄く、支援はなく、先行者の背中はまだ見えぬ……。
頂は、どこだ……。