哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀1999年6月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

1999年6月1日(火曜日)
 昨日かき集めた資料を整理したりして過ごす。
 指導教官経由で発注していた『今昔文字鏡』が届き、いよいよ修論に向けた研究環境が整ってしまった。あとはひたすら漢字を眺める日々という奴である。嬉しくないなぁ。

 今日、盗聴法案が衆院を通過した。組織犯罪搜査のためにこのような法律が必要であることは承知しているつもりだが、今回の法案では歯止めがやや少なすぎるように思う。通信の秘密はこれを犯してはならないというのが、まずありきだ。
 それでも日本が幸せだと思うのは、これを廃案にするべく活動することができると言うことだ。民主的な手続きでこれを葬る手段があるということだ。

 SonyAIBO。今日の午前9時から予約受け付け開始だったのだが、予約開始後約20分で売り切れたそうだ。なんと恐ろしいことだ。別に非生命体に愛情を注ぐのを嫌うわけではない。私は「たまごっち」以来の擬似生命体をあたかも生命体であるかのように愛する人に、危機感を感じているだけだ。どれほど精巧に作られていようと、あれらはプログラマブルマシンであり、生命とは違う。その違いを分かった上で愛しているなら、私は何も言わないのだが。


1999年6月2日(水曜日)
 院生室で夜を明かす。午前10時頃になってようやく発表の目処がついたので、院生室に持ち込んでいるサマーベッドを展開して寢る。私の院生室は9部屋ある院生室の中で最大の大部屋であるが、M2は私一人。机の位置は出入口正面。そこにベッドを組み立てて寢ているわけで、M1の院生たちはぎょっとしたようだ。
小熊「来年になれば分かるよ」
あるM1「いやだー」
 とりあえず常用漢字表について新旧字体の総チェックなどということをやっていたわけだが、常用漢字体はともかく、その元となった旧字は必ずしもJIS X 0208に入っていないということが改めて良く分かった。行き場のない怒りとか恨みとか憎しみとかが胸中に渦巻き、健康に宜しくない。

 ゼミが終わった後、書店に寄ったら、変なものを見掛けた。ダニエル・キイスの『Flowers for Algernon邦題:アルジャーノンに花束を)』。それだけなら別に珍しくも何ともないが、「講談社ルビー・ブックス」というのが目新しい。なんと英文の本文に対し、単語/熟語訳をルビ打ちしてあるのだ。もちろん資料として購入した。
 ルビは下ルビで三分ルビに見えるが、何しろ混植なのできちんとは分からない。面白いのはルビがディセンダに重なっていることだろうか。英文フォントはセリフなのだが、なんだか良く分からないフォントだ。オールドフェイスのようでもあるが、セリフの形が違う。……個人的には普通のローマンの方が良いような気がするのだが。
 それはともかく、ルビの用法例として、また一つ変なものが増えたと言うことだ。

 私が日本語の限界に挑戦しているわけではない。私は追っているだけだ。

 SEGADreamcastが値下げを斷行したそうな。しかしこの一件については「背水の陣」くらいの評ならまだ良い方で、「やぶれかぶれ」「バイザイ突撃」みたいな評もあるようだ。私自身、どう思うかと訊かれたら、恐らく「遅きに失した」と答えるだろうか。あるいは「既に勝負は着いたよ」と答えるかも。


1999年6月3日(木曜日)
 近所にある石丸電気ではDVDのレンタルをやっているので、ものは試しとプレイヤごとレンタルしてきた。で、借りてきたのが『メトロポリス』。1927年独逸の作品で、当然無声映画だ。同様に借りてきた作品は『つばさ』(1927米)、『戦艦ポチョムキン』(1925露)、『國民の創生』(1915米)……全部無声映画だな。別に思い入れがあるわけじゃないんだが。
 画質は綺麗ですね、流石に(フィルムの傷まではどーしょーもないけど)。東芝製の小型のプレイヤなんですが。プレイヤが欲しくなってきてしまった。
 音声の質も高いはずなんだけど無声映画じゃわかんねーよな。
1999年6月4日(金曜日)
 徹夜開けで、寢付いたと思ったら二度目の痛み。
 で、今日は大人しく医者へ行ってきた。思ったとおり結石。だがレントゲンに映らない。一日で四枚も撮っちまったぜ。
 しっかし、医者は茶飲むなコーヒー飲むなビール飲むな肉食うな魚食うなと言いたい放題。卵と納豆だけで生活しろってか……。また修行僧生活に逆戻りだ。
 痛みに寢不足がプラスされて意識は朦朧。一日、仕事にならなかった。
1999年6月5日(土曜日)
 映画を見に行った。見たのは『RONIN』と『BLADE』。『BLADE』はどーでもいい映画だったが、『RONIN』は良かった。実に良かった。渋かった。電飾のようなきらびやかさはなかったが、磨き拔かれた鋼のような美しさがあった。監督は日本かぶれらしいが、仕える国を失った浪人工作員たちの、哀しいまでの生きざまが見事に描き拔かれていた。多少の対日誤解なんぞは気にならないくらいに。
 機会があったらもう一度見に行こう。

 本気でDVDプレイヤを購入する気になってきて、今日は電気屋を巡った。ターゲットはほぼ絞られた。LD/DVDのコンパチ機には心惹かれるものがあったが、設置面積の問題から斷念することにする。


1999年6月6日(日曜日)
 Liner Noteには書かなかったが、全Webページの改定を行った。実は、BTRONの基本ブラウザを使用することができるようになったので、それで自分のページを見てみたら、多少レイアウトのずれが起きていることが分かったからだ。基本的にはHTML的に正しいことを最優先にデザインしているのだが、その上で私が勝手に思い込んでいた部分でレイアウトがずれていたので、輕く修正したわけだ。
 BBB (BTRON Basic Browser) は立ち上がりが早くていいんだが、デッドロックすることが多くて困る。特に反応の悪いサイトへアクセスしている最中に、よくデッドロックするようだ。23時過ぎのベッコアメなんかは覿面だ。もうちょっと見掛け上の反応を良くした方が良いかも。もっともこいつは坂村研製のフリーウェアなので多くは望まない方がいいだろう。
 BBBとは違う、ある程度以上実用的なブラウザを作るのは、[ピー]MC以外の、サードパーティーに任せたいものだ。スピンオフで別会社とか作らんかな?(今から既に反逆者予備軍か>俺)
1999年6月7日(月曜日)
 午前2時くらいから14時くらいまで、ひたすら院生室で研究をしていた。使っているツールは今昔文字鏡とgawkなんだけど、Windows95版のgawkって日本語対応にバグがあんのかな。最期の最期はそこで引っ掛かって3時間以上潰してしまった……。
 結局全部ASCIIモードで動かして、漢字は全部16進数で書くしかないのか。
 明日辺り、出来上がったリストを元にさらなるチェックを肉眼で行うことにする。

 今日、学友の竹之内くんと晩飯を食べに行く。彼は哲学科出身で、史学科出身の私とは話の食い違うこと夥しい男である。何しろ私ときたら、「歴史学に哲学は無用だ」とか言い切りかねない人間で、マルクスの発展段階説を親の敵のように憎んでいて、歴史の中の哲学には人の欲望に化粧する白粉程度の価値しか認めていないのだ。
 その二人が、今日はとうとう技術と思想という題目で意見の一致を見た。

 気づくともう梅雨の季節。


1999年6月8日(火曜日)
 仕事してるあいだに日付が変わってしまっていたが、まあいいや。書くだけ書いとこう。
 結石の痛みは周期をもってやってくる。最初が月曜日で次が金曜日。ではその次は? 答えは火曜日。というわけで、今日は結石の日(笑)だった。こっちも身構えて藥からなんから用意してたんで、過去二回より大分のたうちまわらずに済んだ。

 昨日から延々と常用漢字の旧字チェックをしているわけだが、まったくもって精神衛生上良くない。
 まず第一に「誰だ當用漢字なんか決めた奴!」って叫びがあって、次に「なんでこんなワケワカンナイ省略したんだ!」とか思って、さらには「なんでJIS X 0208に旧字入ってないねん!」とか突っ込みいれて、さいごにゃ83年改悪に対して怨嗟の思いが沸き上がるっていう寸法だ。
 漢字の点画の省略は、ここ一世紀の漢字教育の中で最大の失敗じゃないかな。たとえば「月」だけど、古いフォントならこれが「舟」なのか「月」なのか「肉」なのか区別ができた。「月」の横棒が点点であればこれは「舟」、横棒が貫かれてなければ「月」、貫かれていれば「肉」だ。それを知っていれば、同じ月に見えても漢字の構成が違うことがわかるから、意味的な混乱や辞書引きに苦労することはなかったはずだ。

 昨日の続きになるかもしれないが、私はそんなこんなでマルキシズムが大嫌いになっている。正確にはマルキシズムに染まって暴挙をしでかした人間どもを、ってことなんだが。戦後の国語民主化運動だかなんだか知らないが、旧弊をなんでもかんでもぶっ壞せばいいと思っていたとしか思えないフシがある。国語の未来に寄与することを考えていたとは、信じられない。


1999年6月9日(水曜日)
 ゼミが終わった後に本屋にちょっと寄ったら、『STAR WARS Episode I』の小説を見つけてしまった。で、そのまま買って読みふけってしまったわけだ。
 7月10日の日本公開が待ち遠しいね。

 落合さんのサイトで予告されている文字コードの話なのだが、なかなかに難航している。最大の問題はなんといっても、日本語と英語しか表示できないブラウザの上で、どうやって結合文字や位置依存性文字を表現するか……。全部図で描くにしても私にも落合さんにも必要十分な知識がないときてる。歯痒いというか、隔靴掻痒というか。
 理論的に分かってしまっていることの具体的事例を示すのに、必要なスキルがないというのは何ともやるせないことだ。
 こういう時に、本当に必要なものを持ち合わせている人が、智者なのだろう。


1999年6月10日(木曜日)
 FTRONの会議室でローマ字表記についてのツリーが生成中だったんだが、私はこれについて一切発言を控えていた。私は歴史屋(少なくとも自分ではまだそう思っている)であるから、斷絶を嫌う。今でも當用漢字が嫌いだし、現代仮名遣いより歴史的仮名遣い(の言文一致体)の方が和文を記述するには向くと感じている。そんな私ではローマ字記述論を、心情的に支持することができないからだ。
 しかし、とうとう今日、書き込みをすることにした。時間を置いてできるだけ冷靜に書いたつもりだったが、どうだろうか。

 昨日の分、書いたけどUpするの忘れていたようだ。

 竹之内くんからクレームがついた(笑)。先日の日記で私がマルキシズムを憎んでいることを書いたが、一方あの書き方では竹之内くんがマルキシストであるように見えてしまうと。もちろん彼はマルキシストではない。アンチ・マルキシストだと。


1999年6月11日(金曜日)
 徹夜明けで大学に行って、司書教諭講習の申込書を提出して来る。しかし私の履歴書って華やかだよなぁ(苦笑)。
 とにかくこれで、7月から8月にかけての3週間、私はみっちり学校で勉強ということになるわけだ。これ、実は次回のBTRON Clubと重なってしまっている。もちろん学業優先と言うことで、次回のBTRON Clubでは発表を控えようと思っている。授業は午前だけなので、3時くらいには会場に滑り込めるだろう。
 ところで、この講習会、実はタダである。タダだが、条件と定員がある。参加条件は色々あるのだが、優先順位がある。最優先されるのが、現在学校で司書教諭相当の仕事をしている人。私の優先順はほぼ最下位。これより下は、教員免許を取りかけている人くらいじゃないか?
 つまり、定員オーバーで落とされる可能性があったりする。

 日の丸・君が代法案が提出されたらしい。
 まず忘れてならないのは、健全な国家には健全なナショナリズムが不可欠だということ。日本は立憲君主制国家で、天皇を形式元首として仰いでいるので、国歌の中で天皇を賞揚することには、道義的な問題はない(これが問題だというなら英国の国歌はなお問題だ(笑))。
 日の丸とて、国旗としての歴史もあるが、それ以上に歴史の中で長く使われており、良いイメージも悪いイメージも含めて、日本の国旗として不適当とは言えないだろう。
 問題はそれを法制化することに意味があるのかと言うことだ。
 日本という国の中で、アンチ・ナショナリズムとでも言うべき風潮があるのは哀しいことだ。しかし誇りをもって戴くことのできない国であるということなのかもしれない。


1999年6月12日(土曜日)
 TADの仕様書をつらつらと眺めていたら、唐突に現行TADでWord Wrappingをする方法を考え付いてしまった。4.6.5.禁則指定付箋を使って、アルファベット大小52文字に数字を行末禁則文字(追い出し)に指定してしまう。するとアルファベットが行末禁則文字となり、スペースが出るまで次の行に送り続けられる……はずだよな?
 あとはスペースを行頭禁則文字(ぶら下げ)に指定するとかすれば、ほぼ満足できるWord Wrappingができる……ハズ。
 こんど付箋を自作して実際にそーなるかやってみるしかないな。

 あとはJustificationができるかどうかだなぁ。

 近くの電気屋にSACDプレイヤが置いてあった。最初後ろから見ちゃって、なんやえらいごついプレイヤやなぁとか思ってたら、SACDプレイヤだった。SACDって、PCMじゃないんだってね。2.8224MHzのサンプリング周波数で1bit記録なんて、確かに言われてみればなるほどって感じだけど、思いついた人をちょっと観察してみたいね(苦笑)。
 音は「波」だって物理で教わるじゃん。でも「波」って言われちゃうと海の波とかみたいな目に見える横波を考えちゃうじゃないか。オシロなんかでも横波で表示されるし。でも音の正体は何かって言われれば、空気の微妙な圧力変化の伝播なわけで、それを波として捉えているという話なわけよね。音のデジタル記録を考えたら、標本化した後に量子化するやりかたより、空気の圧力変化をできるだけ細かく記録する方がより元の情報に忠実になるよな……。
 よくやるわ。


1999年6月13日(日曜日)part 1
 常用漢字表の省略字には、奇妙なものが多い。
 例えば、「區」は「区」へと省略された。よって「歐」は「欧」に、「毆」は「殴」になった。これはとても良く分かる。
 では「龍」は「竜」になって、「瀧」は「瀧」になった。ではなぜ「襲」はそのままなんだ?(「竜」は「龍」の古字であって省略ではないという事実はこの際横に置く)
 「佛」は「仏」に、「拂」は「払」になったのに、「沸」がそのままなのはなぜだ?
 誰か合理的で明快な説明をしてくれ。
 このままじゃ頭がおかしくなる!
1999年6月13日(日曜日)part 2
 最近、B-right/V用のフリーソフトの発表が相次いでいるような気がする。「技術屋きさらの箱庭」にも図書館ができましたしね。
 一方で全然進んでいないのが多言語ですねぇ……。
 最近、四層構造で本当に足りるのかどうかという思考実験に時間を費やしている。問題は「実現可能」というのと「実裝可能」とでは天地ほど差があるってことなんだよなぁ。
 もしかしたら、文字属層とスクリプト層の間に、もう一つ層があった方が良いのかもしれない。
1999年6月14日(月曜日)
 昨日の続きをつらつらと。
 文字は、主に構造を持つ文字と構造を持たない文字に大別できるわけだが、構造を持つ文字については一般に「一文字」の文字コードは不定長になる。この不定長の文字コードから必要とされる字形(glyph)を導きだし、その字形に対応するフォントを画面に表示するのが文字表示機構の全てだ。
 一文字とは文字部品の集合体であり、文字コードとは文字の構造を記述するものだという認識を持てば、この辺りは簡単に理解できる。従って、現行のPC OSのように、文字コードを受け取ったら、1バイト/2バイトを固定長処理をして、文字コードに対応するフォントを画面に表示するような機構ではいけない。
 我らがBTRONの多国語処理機構(予定)では表示にまつわる機構を言語層・文字属層・スクリプト層・フォント層に分けている。これは先に説明した文字表示処理に対する必要性からだ。
 重要なのは、これで足りているのかどうかだ。
 言うまでもないがかつてのGWSMなどで200ヶ国語の表示を実現しているので、表示は可能だ。だが、編輯まで含めて、処理に不足はないだろうか。
 気になっているのは、「処理上の一文字」をどこが受け持っているかなのだ。

 構造文字においては、いくつかの文字要素が繫がって一文字を形成する。一番簡単な例を挙げれば、ローマンアルファベットのウムラウトなどがそうだろう。あれは基底文字としてのアルファベットにウムラウトが付加されている。そしてリガチャされて一文字になっている。直後で前削除キーを押せば、ウムラウト付きアルファベットが一文字消される。間違ってもウムラウトだけが消えたりはしない。
 逆に良く引き合いに出される「fi」のリガチャはどうだろう? 小文字のfとiはリガチャして一文字の字形を持つが、このiの後ろで前削除を押したら? 当然iだけが消えてfが残るのを期待するだろう。
 つまり同じようなリガチャであっても、処理上一文字になってしまうリガチャと、見掛け上は一文字だが処理上は二文字であるリガチャがあるわけだ。そしてその両方をスクリプト層で処理してしまうと、確かに表示には問題がないが、編輯には問題が出てきそうだ……と考えているのだが……。
 つまり、文字属層で記述された文字構造から、処理上の一文字をリガチャして導き出す部分をもう一層加え、そこから構造に因らないリガチャを処理するスクリプト層があって、最期にフォント層でフォント依存するリガチャ処理(英文の手書きフォントみたいなやつね)をやるという風にした方が、編輯とかを考えるには便利かもしれないと考えているわけだ。もっとも、文字属層の文字コード列を単純な文字列じゃなくて二次元配列として処理するなんてテも考えられるけどね。
 どうでしょう、坂村先生!


1999年6月15日(火曜日)
 図書館情報大学の新設博士課程の説明会があった。現在ある修士課程を博士課程に変更し、名称も図書館情報学研究科から「情報メディア研究科(仮称)」に変わるらしい。んで、設立はこのままいくと来年四月ということで、現在のM2は編入試験を受けることができるとか。作ってみましたでも希望者いませんでしたでは立場がないので、現在のM2を引っ張り込むことに執心しているような感じ。
 個人的な意見なんだけど、この大学に博士課程用意しても、十分な教育ができるとは思わないね。修士で手一杯でしょう。
 大体、「情報メディア研究科(仮称)」なんて名前が良くない。この大学は図書館情報大学だというのに、昨今、電子図書館だとかネットワークなんとかとか、妙に一般受けするお題目にご執心で、文字の専門家はいない、紙の専門家はいない、漢籍の専門家はいなくなると、旧来の図書館のメンテナンスのために必要な知識・技能を教えることができなくなっている。
 不幸にも小熊は帰属意識の極端に薄い人間なので放言するが、この大学が教えられる「情報媒体」は電子メディアばかりである。「紙以前」「紙の時代」を教えられる人間がいない。電子情報を疎かにしろといっているのではない。電子化を考えるなら、電子化技術だけではなく、電子化するためのコンテンツである紙(あるいはそれ以外の物理媒体)のことをよく知っていなければいけないはずだ。電子情報の専門家なら、理工学部から引っ張ってくりゃいいんだ!
 江戸時代の出版形態を知らない人間が、江戸時代の刊本の整理ができるか? 電子化するための設備と技術があったとしても、だ。全国の図書館に未整理のまま放置されている漢籍は相当量にのぼるというが、図書館情報大学出身者にはそれを整理することができない。いいのかそれで? 文字学の専門家がいないのに多言語処理なんかやっていいのか? 大体多言語がなんだかわかってんのか!?(天唾ですね)

1999年6月16日(水曜日)part 1
 昨日、医者へ行った折りに、紫陽花を見掛けた。朝6時には寢苦しさに耐えかねて起き出してしまうような天候だというのに、健気なものだ。色は鮮やかな青。そういえば紫陽花の発色原理はまだ良く分かっていないとか。
 紫陽花といえば蝸牛だが、そういえばつくばに来て三年になるが蝸牛を見ていないな。こんど良く搜してみよう。蛙はうるさいほどいるのだが……。

 今日はゼミの日なので朝からしこしことレジュメを作っているわけだ。常用漢字についての一通りの調査は終了し、常用漢字(1,945字)のうち、旧字が提示されているもの805字と計数された。そのなかでJIS X 0208に收録されていないものが521字。ただしこれにはトリックがあって、例の「包摂基準」という奴を適用すると、この521字はほぼゼロになるようだ(これについてはまだきちんと調べていないが)。
 もっともこれは包摂基準だけの問題ではなくて、常用漢字表そのものに不可思議な点が多々見られることも原因の一旦となっている。明朝体のデザイン差としか思えないようなものが「旧字」として提示されていたりするのだ。當用漢字字体表が問題の根源なのだろうが、いやはや、とんでもないことをしでかしてくれたものである。


1999年6月16日(水曜日)part 2
 六月だというのに雨粒一つないカンカン照り。猛暑にへばってきている。
 大学の近所にある吾妻小学校の横を通ったら、子供たちがプールで体育の授業。いいなー。うらやましいなー。
 小熊はクーラーが苦手だ。すぐお腹を壞してしまう(笑)。温度も25度より下にはとてもできない。猛暑の最中でも小熊が長袖を着ているのを知っている人もいるかと思うが、何しろ暑さよりクーラーの寒さの方が僕には天敵なのだ。
 従って暑くなってくると、部屋の中では下着だけとか、外に出るにも作務衣一丁とか、行水とか、なんか昔懷かしい暑気対策となっていくのであった。(袴と褌って涼しそうでいいよな……)
 今度氷屋でも搜して、氷柱でも買ってこようかしら。
 ちなみに、団扇を一本買ってきた。手拭いも搜したのだが、デパートの中では高級な手拭いしかなくて、使い潰せるようなものがなかった。

 こんなこと書いている場合じゃないだろう?>自分
(逃避行動と言う)


1999年6月16日(水曜日)part 3
 天気に文句を言ったかせいか、夕刻、もの凄い夕立。慌てて自宅へ向かうが、時既に遅し。開けてあった窓から雨は容赦なく吹き込み、家の電子機器が全部水を被っていた
 どうも私がアルバイトをすると、こういうトラブルに見舞われるようだ。以前NHKで仕事した時は、雷一発だった。
1999年6月17日(木曜日)
 今日は東京シューレの学生ゼミだった。
 それに先立って東京は神保町に赴き、つくばに居ては手に入らない書籍の海に浸る。出てきた時には約一万円が財布の中から消えていた。その分、鞄はずっしりと重くなっていた。予定ではこのナカミは私の脳に消えるはずである(笑)。当面の問題は、増設したはずの本棚に、既に余裕が無くなってきているという謎めいた事象への対策であろうが……。しかしどうしてこう、増やしても増やしても、本棚には余裕というものが生まれないのであろうか?
 購入してきた本は、下のようなかんじ。
  • アミール・D・アクセル(吉永良正・訳)『天才数学者たちが挑んだ最大の難問』早川書房
  • 江畑謙介『安全保障とは何か』平凡社新書
  • 水上靜夫『漢字を語る』大修館書店あじあブックス
  • 呉善花『私はいかにして〈日本信徒〉となったか』PHP
……などなど。
 『〜最大の難問』はフェルマーの最終定理が解かれるまでのドキュメンタリーだが、最終的に解いたアンドリュー=ワイルズ教授にいたる、古代バビロニアからの数学の流れを追っているのが素晴らしい。帰りの高速バスの中で読み切ってしまった。
 江畑謙介氏の書籍は、軍事関係のテキストとしては最高だろう。私の軍事知識は、氏の『軍事力とは何か』を下敷きとして成立している。軍事というものを考える時に必要なのは徹底したリアリズムだということが、ひしひしと伝わってくる。新刊ということで搜していたのを入手してきた。
 『漢字を語る』は、最近切実に感じている漢字への基礎理解の欠如を補うために買ってきてみた。修士論文が漢字コード関連になってしまった関係上、毎日のように漢字と睨めっ子しているのだが、漢字への想いは、敬意、害意、驚愕、畏怖、恐怖、共感と入り交じり、論文が仕上がるころにはこれが愛へと昇華しやしないか心配である(笑)。
 呉善花さんは『スカートの風』で有名な方だが、この人の日本の描写は、朽ち葉のようなところがいい。日本の土に溶けこんでしまう一歩手前、そんな感じが。私ときたら日本生まれの日本育ちで、外国人留学生からは典型的日本人と目されているコテコテの日本人だから、なおのことこういったものには興味が尽きない。
 シューレの学生ゼミも、久方振りに大人数で発言も活発であり、とてもよい時間を過ごせた。

 帰ってきてNHK BS1を見て思い出したのだが、今日は『クローズアップ現代』で『ちびくろさんぼ』の問題を取り上げるのだった。このことは当学において『ちびくろさんぼ』問題のオーソリティである西森さんから予告を受けていたというのに。ビデオをセットしていなかった! 不覚! 最後の10分程度を眺めるに終わってしまった。
 この問題は差別問題と表現の自由の関係を考える上で、非常に大きな話題だというのに。

 軍票訴訟で、軍票保証棄却の判決が出た。私のかつての師は、香港軍票問題にも詳しい小林英夫先生である。判決そのものは妥当だと思う。原告の訴えはもっともなのだが、法は正義ならず、だ。
 これについては、日本人が考えなければいけない問題だろう。色々な意味で、戦後は終わっていない……。


1999年6月18日(金曜日)
 今日はTRON-GUIの第3回だった。
 前夜午前4時まで読書をしていて、それでも7時に起きて高速バスに乗る。車内、気力で読書を続けようとしたが流石に沈没。
 東大に着いてみると、会場の扉の鍵がかかってる。坂村先生の研究室へ出向くと、越塚先生を急っついてくれと言われる(笑)。そこに[ピー]MCのM為さんが通りがかり、かように伝えられる。
M為さん「来週会社に来るんだって?」
小熊「は?」
M為さん「面接するって」
小熊「聞いてませんが……」
 帰宅後、この件はメールが入っていて一件落着。
 TRON-GUIはつつがなく終わり、とりあえず坂村先生を捕まえる。
小熊「先生。打ち合わせの日取り決めちゃいましょう。先生に任せといたらずっと『こんど』になっちゃいますから」
坂村先生「わかった。予定メールして。すぐ返事書くから」
小熊「はあ……」
 さて。信用したもんかどうか。
 TRON-GUIが終わった後のBTRON分科会に、なぜか私も居た。美崎さんの「いても悪くないんじゃないかな」という力強い言葉に魅かれて、誰も咎められなかったのをいいことに、勝手に参加する。内容については、ここでは書けない。
 その後、セネットのS崎さんたちと喫茶店へ。色々な話をする。
 最初はHTML—TADコンバータの話だったのだが、これについてはHTML 3.2→TADなら、TADに少々手を入れることで実現可能だが、TAD→HTML 3.2、HTML 4.0などは難しいという話をした。Netscape NavigatorにTADプラグインでも作った方がいい、と。
 その他の話の中で「[ピー]起動」というアイデアを見せて頂く。とてもインパクトがあった。しかもプログラミング時の方針だけであって、仕様書そのものには手を入れなくていいって辺りが特に良かった。
 そうそう。途中で先日書いたword wrappingについて美崎さんから質問があったので、別ページを作ることにする。
1999年6月19日(土曜日)part 1
 Word Wrapping on TADに手間取ってしまい、日記を昨日のうちにupすることができなかった。いや、まいったまいった。
1999年6月19日(土曜日)part 2
 爆睡してしまった。朝、なんか実家に帰っている母から電話があったような気もするが、記憶が殆どない(笑)。なにも食わずに21時まで寢ていたのだから大した物だ。

 TAD→XMLコンバータについては、TAD用XMLのDTDを記述すればいいわけだから、比較的楽なのかもしれない。しかしそのDTDを誰が書くのかという問題はあるが……。
 大体、PDLであるTADと論理記述であるXMLをコンバートしようというのが無茶苦茶なんだけど。

 そうそう。坂村先生だが、予告通り「すぐ」に返事を下さった。このページをご覧の皆さん。ご心配なく。


1999年6月20日(日曜日)
 毎週webページのアクセスログを見るのだが、今週、とうとうこの日記へのアクセス数が減少した。大体、週に240HITもある方が変なのだが、一応220HITに減ったということで(苦笑)。もっとも先週は、ある友人がケーブルネットで常時接続になったのをいいことに、一人で一割以上稼いでいた。
 つらつらとアクセスログ(の解析結果)を見ていると、実に様々なところからアクセスがあることが分かる。失礼ながら、名も知らぬ会社も少なくなく、困惑してしまうことも確かだ。これが全部TRONファンであるとしたら、心強い限りであると同時に、こんないい加減な若造がTRONのスタッフをやっていることで不安をあおられやしないかと心配でもある。
 逆に私より若い人には「なんだこんなやつでも務まるんなら楽勝じゃん!」とか甘く考えていただいて、次々とこの深みに塡まっていただきたいものである。(いねーかそんな奴……)

 そういえば美崎さんからは「[ピー]MCに出家就職すんの?」と訊ねられている。まあ、人間食っていくためには働かねばならんわけで、今のところその就職口を私に提示している会社が[ピー]MCだけだから。 このまま他の会社が名乗りを挙げなければ、このまま[ピー]MCに引き取られることになるのではないだろうか? [ピー]MCより厚遇してくれる会社があったら、もちろんそっちを撰ぶ(斷言すんなよ……)
 そういうわけですんで、私が欲しい会社は早めに名乗り出て下さい(爆)。←就職活動なんかする気がない辺り、基本的に傲岸不遜な奴


1999年6月21日(月曜日)
 なんだかよくわからない裡に夜が明け、翌日になる。良い天気だったので、洗濯をすることにする。
 さて。洗濯の「濯」の字だが、「ヨヨ」となっている部分、本来は「羽」である。もちろん羽は羽でもトメ・ハネの羽ではなくて、「栩」の「はね」と同じように、ハライ・ハライの羽だ。それがどうして「ヨヨ」になっているのか、私にはどうしても分からない。
 こういう迂闊というか、一貫性がない、後世から見て「何を考えてやったのかさっぱり分からない」文字の「変形」(これはもう省略といえるものではない)を敢えてやった連中の意識というものが一体那辺にあったのか、興味は尽きない。これを前に議論を尽くしたのか、知りたいと思う。
 歴史学の道に戻ることができた暁には、探求してみたいものの一つだ。

 先日、昨年度大変お世話になった先生にお手紙を出していたのだが、その返事を頂いた。修論を書くのに知恵が足りないので教えを乞いたいという、大変不躾かつ無遠慮な私の申し出に、昨年度で退官なさっておられるというのに、快く応じて下さった。  この和泉新先生は、日本有数の書誌学の大家であり、漢文漢籍の専門家であらせられる。私など足を向けては寢られない。ちなみにこの先生が退官なさってしまったため、現在当大学には図書学などを教えることのできる先生がいなくなってしまっている。


1999年6月22日(火曜日)
 修論の最初の予備調査が終了して、その反省を踏まえ、もう一度漢字について基礎勉強のし直しをしている。学べば学ぶほど暗澹たる気分に浸れるという意味で、この問題はまさに四千年の歴史を感じさせる。今の段階で斷言できることがあるとするならば、「この問題に簡単な解決はない」ということだろうか。全く、何の救いにもならない。
 考えてみれば恐ろしい話で、メソポタミアの楔型文字やエジプトの神聖文字、そして古代中国の金石文など、古代文字はいくつもあるが、現代にいたるまでその基本的性格を受け継いでいる文字は漢字だけなわけだ。
 フェニキア人はエジプト神官文字からアルファベットを創出したそうだが、幸か不幸か、中国に於いては王朝の栄枯盛衰こそあれ、遂に中華文明が周辺文化圏の盟主の座から降りることがなかった。
 かくして現代に生きる私が何の因果かワケのワカラぬ労苦を背負込むことになっているわけだ。救いがあるとしたら、私一人が背負っている労苦じゃないってことだな(笑)。

 書店で、『パソコンにおける日本語処理/文字コードハンドブック』という本を見つけた。実によくできた本で、文字セットからコーディング、フォントやその処理など網羅している。こと日本語処理に関してならこれで十分理解が深まるだろう。特に各コード系の歴史や注意事項などをきちんと記載している点に好感が持てる。
 TRONには一切触れていないが。
 難癖をつけるところがあるとするならば、「Character-Glyph Model」のあり方に全く疑問を抱いていないらしいことだろうか。
 持っておいて損はない本と見た。(ある意味Ken Lundeの『日本語情報処理』に匹敵するかもしれず)

川俣晶『パソコンにおける日本語処理/文字コードハンドブック』技術評論社/1999年6月10日
ISBN4-7741-0780-8

1999年6月23日(水曜日)
 [ピー]MCから会社案内の資料が届いた。金曜日の午後に面接だ。適性検査とか、健康診斷とかで落とされそうな気もするが。
 ところで、履歴書を提出しなければならないのだが、これがまた面倒くさい。なにしろ「図書館情報大学図書館情報学」と三度も書かねばならないからだ。編入して中退して入学したから自業自得だと言われればそれまでだが。「図書館」という一文字がこの世に存在すると言うのに、どうして使わないのだろうか。「口構えに書」で図書館という字なのだが、これを採用するだけで手間隙が大幅に簡略化されるだろう。もちろんJIS X 0208には入っていないから、結果として行政処理に不都合をきたすかもしれないが。
 はやいとこ病院にいって健康診斷を受けてこなければ。大学の健康診斷を会議を理由に受けなかったものだから、こういう時に不都合が出る。
 メディカルセンターでいいのかね?>Genesisさん(笑)
1999年6月24日(木曜日)
 朝、和泉先生から直接電話があった。なんと私のテーマについてより詳しい方とのセッティングまでして下さるという。こらもう、どうしたらいいのだろうか。和泉先生のために神棚でも用意せねばならぬか。

 落合さんからICMTPにまで手を出したという報せが届く。順調にハマっているようである。善哉善哉。
 実は私のところにも、早稲田から去年のICMTPの資料が届いた。最終版と言うことだが、中身は変わっていないような……。インドのIS16149の規格本文が添付されていたのが目新しい。この規格は言語指定と文字コードと実際に出力されるフォントと、その全てが揃っていないと処理できないという意味で、非常に興味深い。
 TRON的に言うと、言語層で指定された言語に則して、文字属層からスクリプト層への転写を行わないといけないということなのだが。
 ……全然難しくないな。
 難しいのは、言語単位の転写ルールをどういう形でシステムに持つのか、と、それをどうアプリケーションから利用するのか、という二点に集中するのだろう。
 ……TIPを拡張してやらせりゃいいのか?
 うーんうーん。
 どこかに問題がないと俺の仕事がなくって困るんだが。
 いや、困らないから問題はない方がいいな。
 よし取り合えずこの事は忘れて、酒でも飲んで寢てしまおう。
 明日は[ピー]MCで面接だ。


1999年6月25日(金曜日)
 [ピー]MCに出向く。ちょっと早めに着いたので、先に性格診斷を受ける。こんなものは正直に答えないとお互いに不幸になるだけだから、せっせと真面目に回答する。仮にここで猫を被ってみても、社内にいる何人かが結果を見れば「いや、彼はこんな性格じゃない。これは嘘だ!」と誤解と偏見に基づいて真実を言い当てるであろう。
 しかし質問内容にいささか論理的矛盾を内包するものが見られるのが不可思議だ。狙っているのだろうか。特に「感情的」という言葉について、無条件に「理性的」の対義語として使っている嫌いがある。「理性的」に対する状態があるとするなら「短絡的」であり、「感情的」に対する言葉があるとするなら「機械的」だろう。つまり、感情的か否かは理性的か否かとは本質的に関わりない問題といえる。しかし、質問によっては、「感情的にならずに理性的に行動」とか書いてある。感情的だけど理性的に行動したり、機械的だけど短絡的に行動する人はどうすればいいのだろうか?
 それが終わると、M為さんとO竹さんとI名社長が揃って面接に入る。とてつもなく失礼なことをぼこぼこ言う。多漢字・多言語の問題が終わったらどうするのかと問われて、「歴史学に戻りたい」などとほざくような人間を会社側がどう見たか、興味は尽きない。
 それにしても。
 思えば遠くへ来たもんだ。
 考古学を志した高校生が現代史に転んで情報学へ流れて、七年後の今や漢字問題を語ろうとは……。

 『初恋』の村下孝蔵さんがお亡くなりになったと聞いた。46歳。カラオケに行くと必ず歌う歌だった。


1999年6月27日(日曜日)
 懺悔せねばなるまい。
 昨日、26日は、山本正之のライブチケットの発売日だった。前日まではちゃんと覚えていた。しかし当日になってすっかり忘れて、ビデオデッキを修理に出したり土浦のT-ZONEに買い物に行ったりしてしまった。気づいた時には26日は終わっていた。(ちなみに、チケットは大抵午前中で売り切れる)
 かくして7月11日のライブには行けなくなってしまったのであった……。

 ショックで仕事が手につかないので、サボることにする。


1999年6月28日(月曜日)
 なんかあっという間に日が過ぎていくな、ここんとこ。
 友人から、一年前に送ったFAXを受信したとの連絡が届いた。彼とは一度、郵便物の一ヶ月遅配を経験したことがあったが、今回は壮絶であった。(原因は恐らく、彼の家のFAXのメモリ上に蓄えられていたとかいうオチなのだろうが)

 最近、Studio Ex-BBSが面白い。

 明日はCICCの多言語処理の会議にオブザーバ参加する。まあ素敵な身分だこと!(ヤケクソ) 多言語の世界は、もはや理論面の検討を終え、実裝レベルの個別事案処理の段階に入っているような気がする。要するに、あとはマンパワー。TRONに最も欠けているものではある。はたして私がその穴を埋める人材たりうるかという点に関しては、本人自身に疑問があったりする。私は歴史学徒だと、時折思う。

 やらなければいけないこと、やりたいこと、やれないこと、やりたくないこと。全てに折り合いをつけて生きていかねばならないとなると、人生はあまりにも窮屈だ。
 ちょっと精神的に低調らしく、本を読んでも身が入らず、さりとてキーボードに向かっても仕事は進まない。


1999年6月29日(火曜日)
 昨日から続く倦怠感を引きずったまま、高速バスに乗り込む。冷房効き過ぎ……。長袖の上に着込んでいた薄いパーカーが手放せない。上野から山手線で田町へ。徒歩5分程度で国際情報化協力センター(CICC)に到着。定刻45分前。受け付けを通して先に会議室に入れてもらう。……が、ここも冷房が効いていた。かくしてしとしとと降り続く梅雨の最中に、ぴっちりと長袖シャツのボタンをかけ、その上に上着を羽織る羽目になる。
 CICCの多言語処理については、かつて資料を頂いていたが、今度はオブザーバ参加である。
 今日は入出力の各委員会。
 入力委員会ではキーポジションコードと文字コードの対照による文字入力と言う、なかなか懷かしい話題があがっていた。この対照テーブルを動的に入れ替えることにより、2シフト94文字(あるいは4シフト188文字)程度の集合の文字は入力できるという話。
 私がコンピュータの世界に入った頃は、パソコンを買えば分厚いリファレンスマニュアルが付属していて、各コネクタのピン配列と信号一覧だとか、キーマップだとかが普通に記載されていたものだが、昨今は家電製品並みの取り扱い説明書しかついていないらしい。
 数年前にプリンタを買ったら、リファレンスマニュアルがなくてプリンタコマンドが全く分からなくて大弱り。別途有料で購入したことがあった。
 そんな時代なんだな……。
 それはそれとして、入力に必要とされるAPIのピックアップなんかをやっているわけだ。なかなか面白かった。
 でも本番は出力。
 京都から片岡先生も到着して、出力要求の難しさが語られる。
 この問題の恐ろしいところは、「最低限」という言葉に全く限界が見えないことだ。チベット文字の「最低限」の出力環境なんて考えたくもないな、正直言えば。あらゆる文字の処理を考える時、「最低限」の出力環境とは殆どDTPに匹敵する機能を有することになる。

 会議の最後は、ベンガル語処理のデモンストレーションだった。CICCへの研修生がWindows用の処理ソフトを持ち込んでいたもの。
 ベンガル語はデヴァナガリ文字を使う言語の一つだが、処理が微妙に異なる。この辺りの解説はそのうち落合さんさんが書いてくれるだろう(おい)。留学生は英語だったのだが、なにしろ小熊の英語力は高校生に毛が生えた程度なので、なかなか理解が困難だったが、最後に理解したところでは、こいつは要するに見てくれが出れば良い的に構築されたシステムであり、検索もなにもできないとのことだった。
 そこに居合わせた委員の方々と苦笑いする。一種の割りきりなのだろうが、これで納得されたらあとがとんでもないことになる。文字コードの方から私をこちらに誘ってくれたS藤さんが研修生に忠告なさっていた。

 会議が終わった後、片岡先生と東京駅までご一緒する。半年振りの邂逅だが、私のことを忘れてはいなかった。こういう時に唐草の鉢巻きが威力を発揮する。
 話せば話すほど、多言語の道の險しきを思い知らされる。何より大変なのは、無理解である。文字言語を処理することと文字を処理することとでは、本質的な差異がある。しかしこの両者の違いをきちっと理解している人はそう多くはない。
 BTRONでこんなのできんのかね?(ちょっと弱気)

 帰りのバスも冷房が効いていて、家に帰った頃には吐き気を催していた。
 これって風邪じゃん(爆)


1999年6月30日(水曜日)
 夏休み。
 院生には縁のない言葉だよな。特にM2ともなれば、なにそれってなもんである。私の7月のスケジュールは予定で埋め尽くされ、既にダブルブッキングがあちこちで発生しはじめている。
 今日、実は司書教諭講習の書類が届いた。つまり、申請は通ったわけだよ。7月22日からは朝に夜に講習。その合間を縫って会議会合。(既に重なっているもの多数)
 こんな調子でちゃんと司書教諭の資格取れんのかね?

 大学は明日から夏休みだそうである。(今日、しかも夜になって知った)