BTRON Club。
蔵元の振舞酒の元、この度目出度くヤマザキナビスコ(現ヤマザキビスケット)からモンデリーズ・ジャパンへと輸入・販売が移管されたオレオを食べ比べてみたり。
確かに国産と中国産では味が微妙に違うのだが、ブラインド・テストで区別できるかを言われると、私には厳しいかも。何人かは、中国土産の味がする、と言っていたが。
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、パーソナルメディア社、並びにYRPユビキタス・ネットワーキング研究所は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。
BTRON Club。
蔵元の振舞酒の元、この度目出度くヤマザキナビスコ(現ヤマザキビスケット)からモンデリーズ・ジャパンへと輸入・販売が移管されたオレオを食べ比べてみたり。
確かに国産と中国産では味が微妙に違うのだが、ブラインド・テストで区別できるかを言われると、私には厳しいかも。何人かは、中国土産の味がする、と言っていたが。
英国で、ようやくと言うべきか、EU離脱についての方針が定まりつつあるようで、とりあえず離脱時に現在施行中のEU法を国内法とする法案が提出されたとかなんとか。法の発効はEU離脱時で、要するに離脱時にいきなりEU法が失効しないよう、まずは国内法に転換するための法律ですね。その後、元EU法を一つずつ、廃止するなり改正するなりという手続きを取る、と。
混乱を押さえることが目的でしょうが、必要な措置でしょうな。
で、リスボン条約に基づく離脱交渉自体は、来年3月迄に開始する、と。
経済分野での混乱・不安に対処したもの、と評価されているようですが、それにしても英国では、欧州単一市場に残ったままEUから脱退する、という「できるのか、それ?」と思わずツッコみたくなる言説が飛び交っておる様子。果たしてどちらへ転がっていくのか、興味は尽きません。
RWBY vol.2を観てきました。(本国ではもうすぐvol.4公開ですが)
相変わらずの日本風のキャラクター造形と表現技法を駆使しながら米国学園ドラマをやる(vol.2ではプロムが描かれたり)という、米国に消化されし日本文化を堪能できる作品ですね。
日本アニメじゃないんですよ。あくまでキャラ造形と表現技法に日本のアニメ的技法を使っているだけで、ストーリーそのものは向こうのものなので、洋画として分類するのが正しいと思いますね。
それにしても、休憩なしの三時間コースだったとは……疲れました。
「「音声端子はステレオミニからUSB Type-Cへ」。USB Audio Device Class 3.0発表」とかいうニュースが飛び交っておりまして、最初はAudio Adapter Accessory Modeのことかと思ってたんですが、デジタルオーディオ・ヴィジュアルの伝送をUSB Type-Cケーブル一本で済ませようという発想のようですね……。
USB Type-CポートにはAudio Adapter Accessory Modeと言って、アナログ音声信号をそのまま伝送するモードがありまして、変換コネクタを使うと電気的に35mmピンプラグと変換できることになっています。正確にはステレオとマイクですが。
今回の発表はそれではなく、デジタル音声を通す規格のようなので、ヘッドホン側にD/Aコンバータを要求する形になるんじゃないですかね、これは。
そこまでして35mmピンジャックを廃止したいのかと思わないでもないのですが、VRゴーグル等でケーブルが一本で済むというのは悪くないとも思いますな。ただ、さすがに既存のヘッドホン等との棲み分けがあるので、全部が全部USBになるとも思えないわけですが……。
大隅良典東工大栄誉教授のノーベル賞受賞に関して、政治の方で色々とどうしようもない発言が。
大隅教授はこの研究をしたら役に立つというお金の出し方ではなく、長い視点で科学を支えていく社会の余裕が大事
と言ったそうですが、対して鶴保庸介科学技術担当相は社会に役立つか役立たないかわからないものであっても、どんどん好きにやってくださいと言えるほど、この社会、国の財政状況はおおらかではない
と仰ったそうで。返歌としては乾いた笑いしか出ない程あんまりである。
なお、同大臣は基礎研究への支援状況などで問題点があれば検証していきたい
(日経)イノベーション創出を阻害している制度・仕組みを徹底して見直したい
(時事)とも発言しておられるようで、まずは率先垂範、職を辞するのが良いのではないかと思われる所。
長期的視野に立った基礎科学への支出の意味を理解しない政治家は、まさにイノベーション創出を阻害する問題ですからねぇ。
なんでもかんでも出せば良いという問題ではないのは確かだけど、まず金を出さないと何も生まれないのですよ。必要条件と十分条件ですね。
少し前に、kindle voyageの容量がおかしいことに気づいた。
kindle voyageはストレージ容量が4GBで、うち1GBがシステム用に使われ、ユーザ領域が3GB、という話なのですが、実際にkindleのドキュメントフォルダに入っている電子書籍の総ファイル容量を合算すると2GB強程度でしかない。約1GB程が行方不明になっていた。
で、記憶を頼りに隠しフォルダであるシステムフォルダを開いてあれこれ確認してみると、/system/search indexsがやけに容量を食っていることが判った。
ググってみると、どうもこれはなくても動くらしい。
思い切って削除!したところ、600MB以上の空き容量が生まれた。
時々お掃除は必要なんだなぁ。
Amazon kindleで本を買ったら、縦書右綴じの本が左綴じになってました。
なんというか……発売前に一回でも目視確認すれば間違いなく見つけられる間違いじゃないですか。なんでそれが平然と販売されてしまうのか。
でまあ、報告しとくか……とAmazonのカスタマーサービスから連絡しときました。前回の対応が酷かったので、あまり期待せずに。
そしたら今回は直ぐに確認しましたと連絡が来て、気づいたらあれよあれよという間にAmazonでの販売が停止されていました。
修正は出版者都合なので何時になるか分かりませんが、今度はしっかり確認してから修正版を出して欲しいですね。
「「明治の日」制定の動き 維新150年で記念事業」とかで、11月3日「文化の日」を「明治の日」に変更しようという動きがあるらしく。
変更というか、戻すというか。
現行法上文化の日 十一月三日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。
となっている文化の日ですが、これがかつては「明治節」という祝日であったのは、広く知られているところです。
個人的には、この日は明治天皇の誕生日を記念するものでしたから、「明治の日」の方が名称的に体を為すと思います。大体、自由と平和を愛し、文化をすすめる
なら11月3日である必然性などどこにもないわけで……。
ただ、明治天皇崇拝を全面に出して、かつてのような宗教的行事が復活されても困るので、匙加減は重要ですよね。昭和の日が昭和天皇崇拝に繋がっていないことを鑑みれば、杞憂という気もしますけれども。
「「琉球語と日本語は別」 新垣友子氏、復興へ行政の後押し求め」という記事を見たわけですが、なんとコメントすべきか。
新垣先生は琉球諸語の研究者ですから仕方ないんですが、まずなんといっても、言語の境界は政治的に決定される、という事実を前提として知っていなければなりません。言語の変化は連続的で、どこに境界線を置くか、科学的に客観的な指標はありません。従って、ユネスコの基準では
というのは、まさにその意味でしかないわけです。ユネスコの基準は国際的に合意された科学的な線引というわけではありません。政治的に尊重はされますが。
なので、琉球諸語と日本語を別言語として扱うべきだ、という主張は、頭から政治的発言である、と言えます。恐らくは、少数言語保護の立場からのポジショントーク、ということになります(政府の支援を求めているくらいだから、全く政治的発言ですが)。言語の多様性保護を考えれば、決して間違った意見というわけでもありません。
さて、こうした前提に立った上で、また別の側面を検討しますが、実は近代という社会位相と言語の多様性には利益相反する部分があります。近代という社会位相を維持発展させていくためには、近代という概念を表現可能で、かつ相互に誤解なく疎通する言語が不可欠です。そのために近代国家がかつてどれ程の費用を支払ったかについては、ここで述べるには余りにも膨大になり過ぎます。日本に限っても、江戸時代後期からの蘭書翻訳から始まり、明治における初期高等教育の翻訳から標準語の確立に至るまで、半世紀では足りない程の時間を要しています。
結果として、日本では方言の衰退や前近代日本語との断絶などが発生しましたが、これについては必要な事だったとして受容する向きが多数であろうと信じます。
翻って琉球諸語には、“標準琉球語”なるものは存在しません。当たり前ですが、言語的多様性が研究対象になるくらいですから奄美の島言葉と先島の島言葉は同一ではありませんし、違いについての研究すらあるわけです。この状態で学校教育での取り組みと言われて、何ができるのかという話になります。教科書は島ごとに用意するのでしょうか? 教師はどうやって用意するのでしょうか? 全ての島に言語学者を常駐させるのでしょうか? 方言の線引はどの辺りですべきでしょうか?
多様な言語文化は、多様であるというその特性によって、近代教育とは相性が悪いのです。
日本国内における日本語以外の言語としては、琉球諸語の他にもアイヌ語というものがあるわけですが、これについても、琉球諸語と似たような問題を抱えています。外国に事例を求めれば、スイスで公用語とされる4言語のうち、最も少数であるロマンシュ語に於いて、「標準ロマンシュ語」に反対する運動が起きていることが知られています。
少数言語を保護しようとすれば、どこまで少数を保護するのか、どこに線引をするのかといった問題から逃れられないのです。
私に言わせれば、近代言語としての性質を獲得するためのコストも支払わずに、そのメリットだけを享受することはできない、という話になるわけですが、一度それを獲得してしまった社会で生活していると、それを獲得するために支払ったあれこれについての理解は薄れ、あたかもそれが所与のものであるように考え始めるのですよね。言語に限りませんが。
そういう観点から見ると、琉球諸語には果たして近代国家足り得るための費用を支払う意思と力があるか?という問いかけに繋がってくるかと思います。私の答えは、書かないでおきます。
とは言え、全ての言語が自らの努力で近代性を獲得したわけじゃないけどね。
手っ取り早いのは、近隣の言語が獲得した近代性を、輸入すること。朝鮮語と中国語がこれで成功している。両者とも、先に近代性を獲得した日本語から、大幅に語彙や言回しを自言語に輸入することで近代性を獲得した。
琉球諸語においても、同様のことを行えば素早く近代性を獲得できるだろうけど、それが琉球語の日本語化を招くだろうことは疑いない。
朝鮮語は百年後の今日に至っても「教科書に頻出の日本語式表現、正しい韓国語に言い換えへ」と日本語狩りに血道を上げることになっている。ご苦労さんなことだなぁと慨嘆するばかりだ。
琉球語推進の皆様には、是非とも前車の轍として頂きたい。
少し前に、韓国の海洋警察が違法操業中の中国漁船に閃光弾を投げつけた所、火災となり3人が死亡という事件があったのですが、今度は逆に中国漁船が韓国海洋警察の高速艇に体当りしてこれを沈没せしむという事件が。
こういうのも「報復の連鎖」って言うのかね?
中国漁民の荒っぽさについては周辺各国が迷惑を被っているところですが、いい加減中国政府が手綱を引かないと、後々碌でもないことになると思うわけですが、中国政府にそれができるかなぁ。
対外的に弱腰と受け取られるような施策が取れない状況ってのは、外交環境を悪くすることはあっても好転させることはありませんからね。
季節の変わり目だからか、なんか風邪っぽい。
お腹に来たり、頭痛がしたり。
咳はないが……洟水が出たり。
うん、やっぱ風邪かな……。
新座市にある東京電力の送電施設で火災があり、都内で大規模な停電が発生したとか。私の住んでいる区も一部停電したようですが、我が家は範囲外だった模様。
今のところ各種発表によると、人為的な犯罪ではなく、単なる事故だった様子。絶縁破壊による火災でしょうかね。
このような事故は起きないに越したことはなく、実際日本ではあまり起きない事故なのですが、原因を究明して再発防止策を立てるくらいしかやることはありませんね。間違っても責任者を追及して吊し上げて肚を切らせる、なんてやっちゃ駄目ですよ。
事故は起こるんですから。
これがニュースになるのが日本の素晴らしいところです。その素晴らしさが先々まで続くよう努力したいものですね。
タイのラーマ九世陛下が崩御。
20世紀後半の現代政治史に名を刻む君主の畏敬せざる能わざる業績に深く敬意を示し、その死を悼むものである。
近代タイには、近代化を支えたチュラーロンコーン大王と、立憲君主として国内政治の安定に努めたプミポン・アドゥンヤデート国王という二人の偉大な王が登場し、困難な時期のタイ王国を支えてきました。
プミポン国王は何度となく繰り返されるクーデターと民政移管の繰り返しの中で、軍部と民主化運動の間を取り持ち、バランスを取り、少しでも国を良い方向に導こうと活動していたことは、タイ国民のみならずタイと経済的・政治的に関係の深い国々にとっては非常に重要な事でした。
ある意味で、タイは非常に重要な政治的機構を失ったわけです。
これからのタイは、これまでのタイとは違ったものになるだろうと、多くの人が考えています。タイの未来に光があらんことを。
そういえば先日、4Kリマスター版の「七人の侍」を観てきたんですよ。
スクリーンで観るのは初めてでしたが、これは確かに家庭用テレビで観るよりスクリーンで観るべき作品だわ。
あと、音声が聞き取り易くなっていたのは有り難かったですね。昔DVDで観た時は、字幕が必要だと思いましたもの。
ビデオソフトで、あるいはテレビの映画放送で観る機会は多い作品だと思いますが、スクリーンで見るとまた違った印象のある作品です。この機会に是非映画館に足を運んで貰いたいものです。
ところで……その、この映画の上映前の予告編で「マグニフィセント・セブン」を流すのはどうかと思うんですよね、ええ……。
twitterでこういう意見を見ました。
そいやアナ雪もシン・ゴジラも君の名は。もヒットがテレビなんかで伝えられてから「観たか」と聞かれ、「初週に観た」と言うとビックリされるんだよな。いわゆる映画ファンでない人にとって映画って「流行ってから観る」ものなんだ。初動って大事だよね
— シン・ああああ (@BoyWithTheThorn) 2016年10月14日
なるほどねぇ、と。
ただ、これは映画に限らない話かな、という気もします。
読書にしろ音楽鑑賞にしろ、自分の好みで作品を渉猟する人と、話題の作品だけを追いかける人がいて、前者はやはり少数なわけです。で、大きな收益を上げようと思えば、後者を巻き込まねばならない。
前者はある意味放っておいても良作には食いついてくるので、必要なのは後者への訴求で、そうなると「話題作り」が大変重要である、という意見には一考の余地がありますな。
ただ、映画などでは、話題作りには成功しているものの、映画作りには失敗している、という本末転倒な作品も見受けられるだけに、まずは映画として良作を作ってから話題を作って欲しいと思わずにはいられません。
LEDペンダントライトというものを導入してみた。
名前はアレですが、要するに環形蛍光灯を付けて天井からぶら下がってる燈具なんですが、老朽化に伴う交換のタイミングでLEDのものを購入した次第。
取り替え時に驚いたのはその軽さで、蛍光灯より余程軽い。そして点灯が素早い。調光可能な機種だったので、明るさも10段階だかに調整可能とか至れり尽くせり。
ただ、一番便利だったのは、リモコンでしたね。夜、トイレに起きた時とか、紐スイッチを探さなくても良いってのは、思っていたより便利でした。リモコンが一つしかないのは難ですが、汎用リモコンでも買ってきて記憶させれば良いのかも知れず。
「「南京事件」を調査せよ」を読んでいるのですが、なかなかしんどい。
元は日テレ系のNNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」で、大きな反響を読んだ番組だったので、その番組ディレクタが書いた本として、番組には描かれなかった部分が書かれるのではないかと期待していたのですが……。
もちろん、期待した部分はちゃんとあったのですが、問題は蛇足的な部分で、私は別に筆者の政治信条が知りたいわけではないので、ルポルタージュの合間に挿入される、本題とは関係のない政治に纏わる部分がどうしても邪魔をするんですよね。
事実関係の究明部分が優れているだけに、その益体もない愚痴の部分には辟易させられます。当たり前ですが、歴史研究者が自らの政治信条を論文に盛り込めばリジェクトされるわけで、その二つを切り離せなかったのかと思わずにはいられません。
筆者は歴史家ではなく報道記者ですから仕方ないと言えば仕方ないのでしょうが、機序・メカニズムに対する掘り下げの浅さは、また別の残念な一面で、“なぜ”を問えば“戦争のせい”になり、“いかにして”については現場止まりという、皮相的な所で終わっているところが大変残念ですが、テレビ番組という枠組みの中では已むを得ないのかも知れません。
そう言った問題点は挙げられますが、それでも当該番組と本書が、南京事件について間違いなくそれが実在したことを示す一次資料に迫り、否定論を一蹴した傑作であることは疑いないと思います。
先日指摘したkindle本が修正されたと連絡が来たので再度ダウンロードして確認してみる。本当に綴じくらいしか修正されてなかった。
これだけの修正に約2週間か……。
中で犯人探しでもやってたのかね?
そういえばkindleといえば、ストレージ容量を32GBに強化したkindle paperwhiteを日本限定で販売するとか。
実に素晴らしいですね。kindleの明白な弱点といえばストレージ容量でしたから、これを潰すのは適切な戦略です。できれば32GBと言わず、100GBでも200GBでもあればあるだけ有り難いですが。あと、個人的にはPaperwhiteじゃなくてVoyageで欲しいです。
これまで頑なにグローバル戦略に基づいてストレージ容量を増加させることに消極的だったAmazonが、日本限定仕様というある意味ローカル戦略に舵を切った理由というは、些か気になるところではあります。
まさか直近の失敗から学んだわけでもないでしょうに。
「CO2から簡単にエタノールを生成する方法が偶然みつかる。常温反応で高効率、低コストが特長」と、本当ならば凄いニュース。人工光合成で四苦八苦しているのを一気に飛び越える大きな発明ですねぇ。
風力や太陽光などの自然現象を利用した発電で問題になるのは電力の蓄積で、現状あまり上手い方法がありません。これが高効率にエタノールの形で蓄積できるとなれば、色々な問題が一気に解決しかねません。
もっとも、現段階では実験室の中の話なので、これが実用化されるまではまだまだ長い道程がありますが、期待して見守っていきたいと思います。
NHKのBS世界のドキュメンタリーで「米大統領選目前 オバマの8年を総括する」というシリーズが放送中なのですが、痛々しくて見てらんないというか何というか。
シリアへの武力介入を躊躇ったオバマ大統領自身が「人道的な武力介入をするために必要な兵力 財源 政治的資本などをアメリカは 過去10年の闘いで使い果たしてしまいました」と言っているシーンは余りにも物悲しい。
未来は誰にも見通せないとは言うものの、誰よりもそのリソースを適切に運用することを望まれる職にありながら、それができなかった大統領の無残な姿だった。
勿論それはオバマ大統領だけに責任が帰せられるものではなく、特に必要のない戦争に突入していったブッシュ前大統領による浪費の責任は大なのだけれども、それにしても、就任以後のオバマ大統領は軍事力の行使についての判断に誤りが多かったと感じる。
萎縮してしまった、という言い方もできるかもしれない。
そして次の大統領は、どちらになっても今以上は望めないという、最低最悪の状況に世界は置かれている。
任天堂の新型ゲーム機“NX”ことNintendo Switchが発表になりましたが、なんというか欲張り過ぎなコンセプトに見えますな。
果たしてこんな合体変形システムが正常に運用できるのかと不安になります。
コンセプトはわからんでもないのですが、それを実現するためのハードウェアが、ねぇ……。こんな複雑怪奇なハード、ちゃんと動くんかいな?
朝日の「(インタビュー)イスラムと欧米 イスラム思想家、タリク・ラマダンさん」という記事は、末尾の池内恵氏のコメントが本番だった。
■奉じる「自由」の不自由さ 東京大学先端科学技術研究センター准教授・池内恵さん
西欧が自由と平等を掲げる以上、イスラム教にも様々な権利を与えるべきだと考える人は多いでしょう。では、そのイスラム教は西欧のような自由を認めているでしょうか。イスラム社会で他の宗教を信じることが許されますか。
イスラム教の教義が主張しているのは、正しい宗教、つまりイスラム教を信じる「自由」です。ユダヤ教やキリスト教などは、間違いはあるが許容できる宗教として、信者がイスラム教の優位性を尊重する限り存在が認められますが、多神教は明確に排撃されます。実際、中東諸国で仏教寺院を建てることはできません。イスラム教の信仰を捨てる自由も認められない。欧州で「少数派の権利を守れ」と主張するイスラム教徒が、イスラム教が多数派の社会では「少数派や異教徒は神が決めた区別を受けるのは当然だ」と信じているところにズレがあります。
ブルキニ問題も、単に服装の自由とのみ見るべきではありません。背景にあるのは「男性は身内の女性を所有し、保護する義務と同時に監督・支配する権利を持つ」というイスラム社会に根強い発想です。イスラム教のもとで、女性と男性は、平等ではありません。ブルキニを着る「自由」は、西欧社会にイスラム的な男女・家族関係を持ち込みます。
その点をムスリムに指摘すると「イスラムへの差別だ」と反論します。でも、ムスリムとイスラム教をすり替えてはなりません。近代的な人権規範の下では、人としてのムスリム差別は許されませんが、イスラム教の宗教規範を批判する権利は認められるべきです。
イスラム教の不平等や不自由な面に、イスラム思想家は言及しようとしません。ムスリムの自由を守るふりをして、自由を放棄させる思想を欧米社会に植え付けようとしている。そう見られても仕方ないでしょう。
この問題は、「自由な社会は、自由を否定する思想も受け入れてなお維持できるのか」という普遍的な問いかけを含んでいます。ただ、欧州のリベラル派はそのことに気づいていない。自らが奉じる「自由」という言葉が普遍的であるという観念に惑わされ、西欧思想と同じ意味でイスラム教も自由で平等な思想だと勘違いしているからです。
前段でタリク・ラマダン氏が欧州人としてのアイデンティティとムスリムとしてのアイデンティティは両立しうる、と強く訴えているのに全てぶっ飛ばす豪腕が素敵ですね。
でもこれは避けて通れない衝突でもあるんですよ。“信教の自由”と棄教を認めないイスラムは両立し得るか?なんて問いを例にすると分かりやすいでしょうが、欧州を源とする近代思想は個人の選択の自由を重視しますが、それと相容れない思想との共存は果たして可能なのでしょうか。
21世紀の挑戦でしょうかねぇ……。
地球が充分広かった時代には、互いの存在を無視して共存できたんでしょうけどね。
コミティア。なぜか一般参加。どうしてなんじゃ……。
何やら宇都宮で爆発事件があったらしい。
今のところ、自殺の線が濃厚らしいけど、死者一名重軽傷者三名の爆発を起こすというのは、自殺にしてもやり過ぎではないか……。
松永弾正でもあるまいに。
またkindle本で長音符号の代わりに罫線素片を使っている本を見つけてしまう。
「ローテーション」を「ローテ─ション」とか、一体どういう経緯でこんな誤植が発生するのか、原因が思いつけない。他にも「エレベータ─」とか、一つ目の長音符号は正しいのに、二つ目だけが罫線素片になっているものがあり、何かしら機械処理っぽい感じもしないでもないのだが、とは言え全部ではない辺り、よく分からない。
というか、月一ペースでこんなミス発見しているというのは、一体どういうことだろうか……。
普段淹れているレギュラーコーヒーをスーパーで買い求めたら、パッケージが更新されていた。
ふうん、と思って買って来て、家で旧パッケージと比べて見たら、内容量が12%程減っていた……。
分かりにくい値上げだな、これは。
中国軍はすでに南スーダンで犠牲者を出しているし、危険がわかっている所に出動したくない気持ちはよくわかりますが……。
なお、中国は国連南スーダン派遣団(UNMISS)に1,051名もの要員を派遣しており、またエチオピアも1267名の要員を派遣しています(参考)。272人しか派遣していない日本とは、そもそも桁違いに人数が多いんですよ(全てが歩兵ではないのですが)。それでも、出動を拒否するような状況です。
現在UNMISSは計62箇国から13,723名もの要員を抱えていますが、これに4,000人程が加わる予定となっています。
果たして、自衛隊が駆り出される事態というのは、どういうものでしょうかね……。考えたくありませんな。
三笠宮崇仁親王殿下薨去。
昭和天皇の実弟で戦後はオリエント史の専門家として、史家としての視点から様々な発言を行った方であった。
謹んでその死を悼むものである。
しかし、これで皇位継承者はたった4人だよ。
せっかく譲位についての有識者会議が開催されているのだから、この問題も一緒に検討して欲しいものだ。
東日本大震災に際し、多数の犠牲者を出した宮城県石巻市立大川小学校に纏わる民事裁判で、原告勝訴。被告である石巻市と宮城県の責任を認め、約14億円の損害賠償を認める判決が26日でたんですが、被告は控訴の意向、と。
また、報道を見ていると、原告団が判決後に「勝訴 子供たちの声が届いた!!」「学校・先生を断罪!! 歴史を刻み未来をひらく判決」などの文字が書かれた横断幕を掲げるなど、訴訟を何か復讐の手段にしている様子。
挙句の果てに、遺族が求めた事実関係の究明は行われず、津波の予見可能性と不適切な避難誘導による損害賠償が認められただけで終わってしまった、と伝えられました。
恐ろしく様々な点で問題になるのですが、まずこの裁判、民事なんですよ。なので、誰を「断罪」したわけでもなく、あくまで受けた被害に対する損賠責任を認めただけに過ぎません。そりゃぁ学校の課業中なんですから、基本的に学校側に責任があります。学校が地震も津波も想定していないならばともかく、常識的に考えて免責は難しいでしょう。
そして損賠ですから、事実関係の究明は特に必要がなく、学校側の有責性が証明されれば事足ります。県と市は津波の予見可能性を否定しようとしたようですが……まあ、普通に考えて有責でしょう。ただ一人生き残った教諭の召喚はなされなかったようです。
勿論、県・市側の遺族対応に問題がなかったとは言わないのですが、それにしても処罰目的で民事裁判を起こすというのは常軌を逸しています。民事裁判で勝ったからといって、刑事責任を被告が負うわけではありません。当たり前ですね。
また事実究明目的であっても、やはり民事裁判は手段不適当であると言わざるを得ません。何しろ被告には自己を弁護する権利がありますので、事実究明からは遠くなります。当然ですね。
というわけで、適切な手段が講じられないまま、裁判という場に雪崩れ込み、結果として事実究明からも再発防止からも遠のいた、という、遣る方無い結末を得たのではないかと愚考する次第。
冬コミに受かっていた。本を作らねばな!
ところで、これまで遭遇したkindle本のエラー集って作ったら受けますかね?
神保町ブックフェアへ行ってくる。
腰痛の一日。
しかもお出かけしなければならなかったので、腰痛をこらえて立ちまわる羽目に。
腰痛の原因? 昨日の神保町徘徊に決まってるだろう!
ぐ・ぎ・ぎ・ぎ……。