帰省していた関係で、暫くネット不通でした(笑)。いや、実家にある父のPCを使えばアクセスはできるんですが、そこまでする気力もなく。
しかし、実家で何やってたかって、Windows 2000のアップデートしてたり、Office 2000のサービスパックを当ててたりと、どこでもいつでも同じことやってんと違うか?とつい自問自答したくなりますね。
で、気がつくとクレームが6件にインクリメントされました。知らなかった。はっぴぃさんも私のことを深く誤解していたのですね。
実家で余っていたIDE HDDをSCSIに変換するボックスを自宅のPCに繋げようとしたんですが……ケーブルが! 正確には、ケーブルを工面するとターミネータがなく、ターミネータをどうにかすると必要なケーブルがなく……という状態。うちにはハーフピッチのD-Sub 50pinとアンフェノール50pinの2種類の端子しかないはずなのに、なぜにこのような現象が起きるのか、不思議でならない。
IDE-USBの変換ボックスでも買ってきて、IDEデバイスを外に追い出そうかと思案中。USBはイマイチ好きではないのだけれど……。
Serial ATAもとうとうドライブが出てきて、色々変化の予感。
実はCPUも買おうかなぁとか思っていたのだが、無職の身の上でもあるし、結局見るだけ。
現在PalominoコアのAthlon XP 1700+で最大消費電力64.0Wなのだが、ThoroughbredコアのAthlon XP 1700+なら49.4Wにまで落ちる。当たりコアを引けばファンレスだって可能だ(笑)。Thoroughbredコアの場合2100+くらいまでならPalominoの1700+を消費電力で下回る。しかも性能も上がるというオマケ付き。
流石にmodel 681を投入する気は微塵もないのだが、Athlon XPの2000+くらいなら1万円を切っているし、射程範囲だよなぁ。
AMDの話じゃSocket Aも2003年までってことなので、最後のAthlonになるかな。
本来デジタル音楽機器間のコピーが禁止された背景には「音質が劣化しない」というお題目があった気がするが、MDの音声圧縮であるATRACはそもそも不可逆圧縮なので音が変化する(笑)。また、ATRACは各社のエンコーダによって情報の取捨選択方法に違いがあるので、MDからMDのコピーを行う際に、メーカの違うMD機器で(あるいはATRACエンコーダの異なるMD機器で)コピーを行えば、圧縮→伸長→圧縮のプロセスを通ることになり、原音とは異なる情報になってしまっている。っつーか、実験結果を見ると、同じ機械で同じ曲を複数回エンコードしたらファイルサイズが違ってるってどういうことよ?
なんか原点を見失っている気がするよ。
ISBNコードを調べるのに、国会図書館のOPACは不便です。ハイフン無しの10桁でISBNが表示されるんです。
書籍につけられているISBNコードは、ISO 2108-1978(JIS X0305-1988)で規定されているハイフンで区切られた10桁の数字(+文字)なんですが、ちゃんとルールがあります。
ISBNの直後の数字が国(地域)番号で、日本は4。つまり、日本で出版された本はすべからく「ISBN4-」で始まります。
で、次の区切りまでの2〜7桁の数字が出版者番号です。ちなみに岩波書店が「00」です。この番号は「日本図書コード管理センター」で管理されています。
次の6〜1桁が出版者内での番号。これは各出版者が自由に決められます。
最後の一桁がチェックディジット。ここまでの9桁について、それぞれ10〜2の重み付けをした数字の和を11で割った剰余を11から引いたもの。11進数だったりするので、この桁のみ0〜9とXを使います。
出版者番号の最初の一桁目が0か1なら二桁、2〜6なら三桁、最初の二桁が70〜84は四桁、85〜89なら五桁、90〜98は六桁、99なら七桁と出版者番号の桁数が決まっているので、一応ハイフン無しでも読み取れないことはない……のですが、そんなこと誰が知っているというのだ!
ビデオカードを交換したので、FFベンチを走らせてみました。
スコアは2300。
うわ、凄ぇ……ってのが個人的感想なんだけど、判定によれば、これでもまだ「快適」には程遠いらしい。別にFFXIをしたいわけではないので構わないんですが、一体「推奨環境」とやらを構築している人達って、どんなスペックなんでしょうかね。
っつーか、そこまで金注ぎ込むくらいなら、素直にPlayStation2で遊んだ方が……。
そう考えると、PS2って凄いんだなぁ。
その凄いPS2ですけど、早ければ2005年にもPlayStation3が登場するだろうなんて情報が流れてますな……。
そのうち、PS1などは携帯ゲーム機化するかも知れんな。
仕事の打合せ帰りに神保町と秋葉原に寄って、秋葉原で今度はIDE-IEEE 1394変換ボックスを購入して京浜東北線に乗り込んだら、そこには眉間に皺を寄せて文庫本のページを5秒に1回めくっているミツルんの姿が……。
手を振ったのに、視線で文庫に穴を空けんばかりに集中しているミツルんは僕に気がつかなかったので、いつ気づくかなぁと前に立っていたら、上野で気づいた。
電車の中でミツルんに誤解と偏見に満ち満ちた言葉を浴びせかけられる。まあ、ミツルんはサブタイトルにクレームを付けた6人のうちの一人なので、私に対して偏見を抱いていることはどうしようもなく事実なのだが。
そういえば、一昨日のISBNの話題について、理科系的だとかいう問合せがあったが、冗談ではない。理科系の場合、チェックディジットの部分など、
ISBNの各桁をN1〜N10とするとき、
(N1×10)+(N2×9)+(N3×8)+(N4×7)+(N5×6)+(N6×5)+(N7×4)+(N8×3)+(N9×2)+N10 ≡ 0 (mod 11)
という関係が成り立つ。
などとさらっと書いて済ませたことだろう。モジュラー算術を知らないと何が書いてあるかそもそもわからないが。もっとも、モジュラー算術自体は生活に密着した常識的事項に属するので問題なかったかもしれない。なぜかミツルんはそれを認めようとはしなかったが。
ちなみに我々は日常的にmod 12やmod 60の計算を頻繁に行っている。
「11時から3時間経ったら何時?」
「2時!」
というのを、数式で表すと
11+3≡2 (mod 12)
と書くわけだ。なにも難しいことじゃない。難しくないことで常識的なことなので、式を書いても問題はなかったと思われるが、やはりそれでは文科系的ではないだろうという判断が働いたのである。
コミックビームじゃ先月から引き続きエマとウィリアムが「君の名は」やってた。すれ違いはドラマの基本だが、現実世界でもままあることなので良く引き合いに出されるのだろう。
私がデス・マーチしている間に、世間様ではghostscript on 超漢字が話題になってますね。あとはGhostViewにあたるフロントエンドがあれば、なお便利ってところです。
某デンパが「何も言うな! 漢なら解れ!」と言っているのを見て思った。
「わかんねぇよ……」
デスマーチは続くよどこまでも……というわけではないんですが、ちょっと気に入らない所があって、Windows2000をもっかいインストールし直しました。思うんですが、いくらIRQの共有ができるからって、なんでもかんでも一つのIRQにぶち込むのって、やっぱ気持ち悪くありません? 二つ三つならともかく。
これでHDDにエラーなどでなければ、ちょこちょことドライバやら何やらインストールして終わりでしょうかね。
徳間の「SF Japan vol.6」に火浦功「火星のプリンセス」なんて書いてあったもんだから中身も確かめずに買ってしまいました。
確かめておくべきでした。
まさかたった1行だとは……。
締め切り破りの帝王は不滅でした。
夜、某デンパ大阪より直電。先日の件について「わかってるくせに!」と。
最近、このテの誤解が非常に多いように思えるな。ふむ。さても困ったものよ。
昨年末なんですが、紺野キタ「あかりをください」が幻冬舎から再刊されていたのを見てはいたのですが、ソニーマガジンズの版を持っていたので買ってなかったのですが。しかし、今日、本屋でふと確認したら新作が一本入っていたので、泣く泣く購入いたしましたよ。
紺野キタの作品って、こんな感じの再版が多いなぁ……。
不遇というべきなのか、一部のコアなファンが出版社に貢いでいるせいなのか……。
新しいコミックFantasyも買おうかどうしようか迷うなぁ。
レンタルビデオ店での、貸出用DVDの品揃えが隨分充実してきましたね。同じ作品がDVDとビデオテープの両方にあるときは迷わずDVDを借りるんですが、記録面の傷は凄いものです。レンタル用と言うことで手荒な扱いを受けているのだろうと想像はつくんですが、正常に影像が再生できていることにちょっと感動しそうなほど傷ついていることがあるんですよ。
次世代メディアはケース入りが検討されているようですが、個人的には賛成。いくらRS-PCが強力だと知っていても、あれだけ傷ついた記録面を見てしまうと、次世代メディアにはケースが欲しいと思いました。
お前はヲタだよ、なんの異論もなく。>糸野
一部で昨年末から話題になっていた「侵入犯罪対策法」ですが、警察庁のページに情報が載りましたね。なんかこのままだと、ピッキングツールの所持ができなくなりそうな気配です。
子供の頃、誰しも一度はシリンダー錠をバラバラに分解し、その構造を体験したことがあると思いますが、道具さえあれば、慣れない人でも十数分で開けられるようなもんです。熟練者になると1分かそこらだそうで。そういう解錠技能を持った連中が群れをなしているのが現状なので、ピッキングツールの販売流通所持を規制したいという気持ちはわからんでもないのですが……本質的に何の解決にもなりませんな。
銃刀法で拳銃所持を厳しく規制しても、銃犯罪がなくならないのと一緒です。犯罪者は法を守らないから犯罪者といわれるのであって、善良な市民だけが迷惑を被る結末を迎えるでしょうね。私の友人には歩く工具箱みたいな人がいますが、職質されてしょっ引かれることになるのではないかと、今からとても楽しみ不安です。
ありがちなことなんですが、道具を使うのは人間なのに、なぜか道具の方を問題にすることが往々にしてあります。道具は所詮道具でしかなく、それ自体に功罪は存在せず、全ては遣い手に帰する筈なのですが。
ある種の道具は相応の技術・知識を持った人間が使わないと危険を伴いますが、技術や知識のない人間が扱った挙げ句不幸を招来した場合、道具の方に安全対策を施すのは勿論ですが、本来人間を問い糾さねばなりません。
一般に、日本の家庭の殆どには、刃渡り150mm以上の鋼鉄あるいはステンレス製の刃器が備えられており、年に十件以上の犯罪に使用され、事故も含め相応の人数が死傷しているのですが、だからと言って「包丁を家庭から追放しよう!」と言う人はいません。また、日本の少なからぬ家庭や会社では重量が1.5t以上あり動力付きで時速100km/h以上の速度を出せる車輌を所有しており、年間で約1万人の死者を出していますが、自動車の撤廃を叫ぶ人はいません。すなわち、社会的にこれらの危険は許容されているわけです。
ピッキングツールが包丁や自動車以上に危険であるかと問われると、そんな馬鹿な、と思うのです。
JIS改正原案なんぞ読んで……第一印象が「逃げの一手」。
紛糾しそうな問題点については「次期委員会に……」と書いてあるあたりがなんともはや。次の委員会って、いつ招集されんのかね? 本来、X 0208の改訂が2002年だったんだけど、結局2002年は「確認」で済ませちゃったから、次は2007年か。2005年とか6年になってから慌てて招集するんじゃなくて、来年度辺りから慎重に審議を進めた方がいいのではなかろうか……。
しかしそれにしても祟るな……>83年改訂
もう20年も前の出来事だというのに、未だに尾を引いている。
ごく尋常に解釈するところによると、どうやら石田画伯は「
下地島空港を知っている私(=画伯)は非常識なんだ!」と力一杯咆哮しているということのようです。そんな力説しなくても。
なんか報道は横綱貴乃花引退一色でしたね。われらが球団の馬鹿オーナーが戯言吐かしたのが引退の一因になっているのではないかと思えてならないです。松井が拔けたのも、実はあのオーナーが嫌いだったんじゃないかという気までしてくる。最悪なのは、何となく冗談にならないっぽいところが……。
名前の話題をもう一つ。
「人名用漢字大幅追加へ」なんて報道されてましたね。まだ法務省のページではなんの報道もありませんけど。
個人的には、人名が法制度で規制されている現状がおかしいと思うので、原則賛成です。いっそ思い切って撤廃すべきでしょう。ついでに改姓・改名の自由も認めて欲しいもんです。最近流行の「規制緩和」って奴で。
戸籍法の規定は解らんでもないのですが、「常用平易な文字」って、人によって閾値が違うと思うんですよ。「常用漢字1945字は充分に難しい」という人もいれば、「新字源に載ってる程度じゃ難しいなんて言わない」という人もいるでしょう。ちなみに個人的には「大漢和(補巻を含む)に採録されている程度なら充分“平易”じゃないかな」と思います。なにせ調べるのに手間が要らない。それよりまず「書き間違えるな」って言いたいね。
ところで、報道の中に名前に使える文字を「常用漢字1,945字と人名用漢字285字の計2,230字」と書いているところがありましたけど、人名漢字許容字体といって、旧字体・別体など、常用漢字・人名漢字に掲示された字体以外の字体で書けるものが205ほどあったりします。厳密には確かに別字ではありませんけどね。そのくらい勉強してから記事書きなさいと言いたくなります。
名前の問題は色々奥が深くて、現在の日本では姓と名だけで人名が構成されていて、原則生涯変わりませんが、このスタイルになったのは、当然明治以後です。とは言え、明治以後でも戦後すぐくらいまでは結構養子だのなんだのという形で姓が変わったりなんたりという話は結構あります。江戸時代まで遡れば、幼名から始まって人生の節目節目で改名(時には改姓)するのが当たり前なんて社会でした。
ちょっと待て、明治以前は武士以外は苗字は持っていないのではないか?とお思いの方は勉強不足。
苗字は武士だけではなく郷士も学者も名主・庄屋に豪農も(許されて)持っていたし、公家だって当然持っていた。商人や工匠は屋号を名乗っていた。百姓も屋号みたいなものでお互いの家を区別していた。逆に僧侶が苗字を捨てることを出家の証しとしていたくらいです。なんのことはない、事実上苗字はほぼ存在していたと言ってもいい。
っつーか、氏に姓に名字に屋号と、重層になっていて混乱します。徳川家は氏は源で、正式な官位を名乗るときは源を名乗るし、逆に紀伊家だ水戸家だ田安家だ一橋家だと分家があります。藤原だって似たようなもの。京の公家などみんな藤原氏だから、近衛だ九条だ一条だ西園寺だと名乗る。もちろん、正式にはみんな藤原。なにが正式なんだか。
これに名前や冠が加わると、もう訳が分からない。幕末‐明治の日本を目の当たりにしたアーネスト・サトウもその著書の中で誰某がなんとかに改名したとか元に戻ったとか、「正式な名前は」などとしきりに書いています。彼自身相当混乱したのでしょう。
今の日本では改名・改姓すると行政手続きが大量に待ち構えていて、かなり大変なんだそうです。手続きそのものもかなり大変だしね。
ところが例外的に、厳密には改姓ではないのかもしれませんが、お役所が戸籍電子化の際に旧字や譌字・俗字などを常用漢字に改めることができるんです。かつては全く本人の同意を必要としなかったので、本人の知らない間に改姓されるということがあったそうです。現在では同意承諾を求めることになっています。もちろん拒否することも可能で、その場合は戸籍は電子化されずに紙のまま残るか、あるいは外字を作って対処することになります。
これで良いかな?>ミツルん
こう考えると既存の漢字文字集合ってのは需要をきちんと満たしていないんだなぁと改めて身に染みますね。
戸籍ではないのですが、住民基本台帳ネットワークの方でもなかなか外字問題が大変でして、JIS X 0221外の字が五千以上と、すんばらしい有り様です。
夕刻、初めての街を歩いていたら、教会が見えて、「ああ、なんかモルモン教の教会によく似た様式だなぁ」と思っていたら、本当に末日聖徒イエス・キリスト教会(=モルモン教)だった(苦笑)。
非常に沢山あるキリスト教の宗派の一つなんですが、アメリカ生まれで色々と有名です。聖書の他にモルモン経という書を聖典としています。なぜか持ってますが、まあ、それはさておき、一般に聖書の解釈論で別れる他宗派のキリスト教各派と違い、別の聖典を持っているという点で、異端であると言えます。
結構俗的なところでは、一夫多妻制を採っているというのが外部からの典型的なイメージです。あ、一応、あくまで過去の話ですんで、誤解なさらぬように。
良くある話ですが、結構有名人にも教徒はいるようです。
しかしキリスト教の宗派なんて、非キリスト者には良く分かりませんな。外様から見ればみんな似たようなもんじゃないかと思わないでもないんですが、ロシア正教会はロシアにおけるカトリックの布教に対していちゃもんつけてますし、北アイルランドじゃカトリックと聖公会(イギリス国教会)が激しく争っているし、アメリカの小説を読むと夫婦がメソジストか否かで夫婦の危機を迎えるときたもんだ。
まあ、仏教だってあんま人のことを言えたもんじゃないだろうけどな。
夜、疲れた身体を引きずって神保町を巡っていたら竹居さんに出会って飯を奢ってもらう。格好に隨分驚かれた。別に普通にスーツにネクタイだったんですけどね……。
「Webのフレームに特許?」
なんつーかさー。
こういうのを知財ヤクザとでも言うことにしようか。
私としては、これでhttp上からフレームがいなくなってくれれば万々歳ですけど。
「We were soldiers」のDVDを買うべきか否か……。それよりも「Band of brothers」観にゃぁ。
小田さんのGS on 超漢字とBGVがとても良いですね。まさか超漢字上でpdfが見れる日がやってこようとは。
で、ちょっと実験がてら、Nortia TAD Guide Bookを超漢字に持ってって見てみました。
ちゃんと表示できました。
恐らく関係者は「それは凄い」と驚いてくれるでしょう(笑)。なにしろ、設定や組み合わせを間違えると、そこいらのKinko'sでは化け化けの結果を出力してくれるという驚異のpdfですから(爆)。本来出力機に依存せず、いつでもどこでも同じ結果が得られるハズのpdfでなぜそおいうことが起きるのかは全く謎ですが、なにせこちらも必死で作りましたから、ハイ。
というわけで、ご祝儀に取り敢えず表紙データなんぞ上げてみたり。
本体の方の通販は今しばらくお待ちください……って、そればっかや(^^;
(余談ですが、本体の方のpdfは5MB程度。280pほどあるので、任意のページにジャンプできないとかなり辛いです。ただし、BGVで表示は正常にできています)
昼に上野駅で竹居さんと待ち合わせ。キーボードを讓ってもらう。
逆に私はIBMの5576-A01を持っていって、お見せする。いたく感動していた様子。
しかしその後、イマドキの学生のコンピュータリテラシの問題について語った内容が、「ファイル名に日本語をつける」などというレベルだったのは、後で考えると問題のように思う。
NHKスペシャルでロシアの戦略ミサイル軍のルポをやっていた。予算ががりがり削られる(というか、国家経済がガタガタなので軍備どころじゃない)中で良くやってるな、というのが感想。
言い方は悪いけど、やはりかつては世界の半分を支配していた国の末裔だけはある。核で武装することの意味を良く分かっていると思った。核保有国が担わなければいけないものを考えるとき、ただ「強力な爆弾」程度の発想で核開発などするもんじゃないな、と。
この国が核武装することは、少なくともこの先数十年はないと思われるが、だからといって学ばなくてもよいという問題ではない。
昼を食ったあと、nyが「本屋に行きたい。本屋に行かないと死ヌ!」(意訳)と言うので、池袋のとらのあなとまんがの森を案内し、nyが本屋を蹂躪する様を見届ける。
昨日買った「帝都東京・隠された地下網の秘密」(秋葉俊/洋泉社)は、まだ一章しか読んでいないのだが、なかなかに面白い。
営団地下鉄丸の内線と千代田線が国会議事堂前で交叉する地図と交叉しない地図の二種類が存在することから始まって、誰が、何のために、地図を改描したのかへと迫っていく読み物。昨年11月に出た本だが、見逃していた。
ところで、この本の内容は、実際の位置とは違う所に地図上の地下鉄の線が引かれていることについて、何者かの意図を強く匂わせている。果たしてそのようなことがありうるものなのだろうか?
大方の人は考え過ぎだとして笑うだろうが(あるいは妙な方向に鵜呑みにするか)、実を言えば私はあまり笑えない。現代史を専攻していた頃に、そういう類のものと何度か直面する機会があったからだ……。
終末週末のSlammerは韓国で猛威を振るったようですね。まあ、パッチ当てずに放っておいたのが問題なんですけど、中には私のようにMicrosoftの言うままにパッチ当てたらシステム壞れた、なんて話もある訳で、なかなかに悩ましい話ではあります。
だったらWindowsなんか使うなよ、って言われそう(笑)。
超漢字をPentium 133MHz、主記憶32MBの環境で使っていますが、さほどストレスを感じません。
Windows XPをCeleron 1GHz、主記憶128MBの環境で使っていますが、ストレス感じまくりです。
超漢字が軽快というよりは、XP重過ぎ。
純粋に計時したら超漢字の方が圧倒的に遅いはずです。でも、xpは何故か右クリックしてからコンテキストメニューが出るまで2秒以上かかったりして、妙にストレスが溜まるんですよ。ちなみに超漢字でも流石に上記の環境で文字検索とブラウザと基本アプリなんぞ立ち上げていると、ページングが大量に発生してウィンドウの切り替えなどに時間がかかるようになります。でもそれ程ストレスではないのですよねー。
多分に、機械が遅いことが念頭にあるからだとは思いますが、なんかそれ以上に違いを感じてしまうのはなぜなんだろう。
きさらちゃんとはっぴぃさんの掛け合いを見ていて、なぜか「ハンターが二人で靴下は一つ。生き残るのは自動的にただ一人!」なんてフレーズが頭を過りました。不思議なことです。きっと何かの予定調和でしょう。未来になれば理由が分かるようなヤツ。
おおむね「トンデモ本」だと思うんですよ、「帝都東京・隠された地下網の秘密」は。なにせ確証が一つもない(笑)。
実は戦前、東京の地下に縦横に地下路線が張り巡らされており、戦後の地下鉄工事ではその跡が利用された……なんて話、何一つ証拠がない。
しかし、それでもこの本が、地下鉄や地下道路建設に関して不可解な現象が多々発生していることは示してくれます。あとは読者がここから何を読み取るか、ですけどね。
陰謀史観は私の好むところではないのですが、ある種の意図が事実を隠蔽することがあることは不幸にも知っています。現代史なんて分野をやってるとどうしても出会うんですがね。年月日も書いた人もわかんない政府文書とか実際にあるし(おい)。
ま、あんまり深入りしないのが吉ですよ、こういうことには。
「「空飛ぶ車」、オンラインオークションに出品」
真っ先に、「ボンドカー?」とか思ってしまった私は多分正常なんでしょう(笑)。
しっかし……酔狂なものを。主翼なしってことは、要するに発動機からの推力だけで浮き上がるわけでしょ? よおやるわ。
でも米軍あたり真っ先に興味を示しそうなもんだけど、どうなんでしょ?
買ってきた白醤油をふと見たら、「盛田」とあった。住所は名古屋市中区。もしかして、これってあのSONYの盛田の実家?
イスラエルの総選挙は与党圧勝ですか……。中東の火種がまた一つ増えたか。21世紀の見通しは暗いねぇ。
横綱になった朝青龍関だが、報道を見ていると「本名ドルゴルスレン・ダグワドルジ」という記述が目立つ。間違いというほどのことでもないのだが、モンゴル民族には日本で言う苗字にあたるものがない。朝青龍関の名前は「ダグワドルジ」であって、「ドルゴルスレン」は彼の父親の名前だ。
苗字を持たない文化圏の一般として、苗字を持つ文化圏に対して名を名乗るときに、父親の名を付けるのは珍しいことではない。ケニアの女子マラソン選手であったファツマ・ロバ女史もそうだった。ファツマが本人の名前で、ロバは父親の名前。
文化間コミュニケーションにはこの手の誤解が憑付き物なので一々目くじらを立てる程のことでもないのかも知れないが、できれば報道は視聴者を正しい理解に導くような形での情報伝達に努めて欲しい。