哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2001年8月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、並びにパーソナルメディア社は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2001年8月1日(水曜日)
 児童殺傷事件のあった大阪の池田市の小学校の新しい校舎が新聞に紹介されていた。二階建で校舎を口の字型に配し、出入口は一箇所……って要塞ですか? まさか濠を巡らして柵で囲って鉄条網を……とは言わないだろうが。
 危險や安全というものが確率的にしか表現できないものだということはここで何度も書いてきているので敢えて繰り返すまでもないが、あの校舎で下げることができる危險性というのは一体なんだろうかと思わなくもない。

 PageMaker 7? InDesignに全面的に取って代わるんじゃなかったの?


2001年8月2日(木曜日)
 一箇所おかしくなると、積み木崩しのようにおかしくなっていくのがWindowsというOSの特長(?)なのだが、昨日から今日もひどい目に遭った。
 久しぶりにセカンドマシンを立ち上げたら、サウンドデバイスに不調が合った。どうもカードが緩んでいるらしい。カードを止める螺子が緩んでいた。一度拔いてまた差して、再起動。ここからが延々と続く地獄の道の始まり。
 あれが動けばこれが動かずのコンフリクトが頻発し、とうとう午前一時でギブアップ。
 んで、今日はいそいそと戻ってきての再試合。
 2時間くらいでなんとかなりましたが、ホント、嫌になります。

 家で作業中に、某G.P.M.のドラマCD第2巻が届きましたですよ。
 それで聞いて思ったんですけど、鉄拳はあまりにも酷いと思ったわけです。あっちゃんかわいそー(笑)。


2001年8月3日(金曜日)
 某ヤングアニマル増刊・嵐に西川魯介の「野蛮の園」が新連載されているのを見た。西川魯介っと言いますと、WWIIドイツ軍・ソビエト軍ネタとオカルトネタと各種フェチを得意とする漫画家さんですが、高専を舞台に西川節が暴走しとりました。
 そうか。高専ってのはあーゆー空間なんだな。そういえば同期でULISに編入した高専出身者は、確かに私と比べてかなり知識に偏りがあったな。

2001年8月4日(土曜日)
 ふっと、もしかして「千と千尋の神隠し」にはもしかして続編を作る予定でもあるのだろうか、と思い付く。
 理由は、物語の中で消費しきれなかった伏線が幾つか残っていたこと。
 単に料理の仕方が悪かったとか、材料が余っただけとかなのかもしれない。深読みのし過ぎだろうとも思う。しかし気になり出すとなかなかその疑念は払拭できず、あまつさえ、自分だったらどういう続きを作るだろうかと考え出す始末。
 これだ。
 宮崎アニメを見ると、寢かしつけてある創作意欲がいたく刺激されることが多い。

 それより夏コミが迫ってきていて、とにかく今手を付けているものをどうにかしろと言われそうだ。


2001年8月5日(日曜日)
 うーん。
 可処分時間が足りない感じ。

 NHKスペシャルで紛争地帯にばらまかれた小火器の問題が取り上げられていた。
 冷戦が終わってAKがばらまかれちゃったどおしよう、って感じの、なんか一番大切な視点が拔けている感じがする、それはそれはNHKらしいデキでした。いつも思うんですけどね、武器だろうが兵器だろうが、所詮やっぱり道具なんですよ。行き着くところ、人間(とその集合体である社会)の問題の筈なんですよ……。
 手段とか道具とか方法論とかって、結局は全部目的のために存在しているわけで、その目的の方をどうにかしないと二進も三進もいかんのと違うかな。


2001年8月6日(月曜日)
 広島原爆記念日。
 他にも記念しなければいけない日は数多いような気もするのだが、とにかく、生身の人間に対して兵器としての原爆が使われたたった二度のうちの一度。
 この時期になると、毎年のように、トルーマン大統領の判斷は正しかったかだとか、日本の因果応報だとか、不毛な議論が渦巻く。凄く無意味だ。
 そんなものに時間を費やすのであれば、当時の資料や新聞でも漁って、少しでも当時のことを知った方がいい。あるいは、戦争というものを知った方がいい。見えてくるものが、あるから。
 戦争そのものに意味があるのではなく、戦争によって生み出されたものに意味がつけられるのだ。そして生み出されたものは一つではない。事実の射影に意味付けしてまわっても、煩瑣なだけだ。

 友人に教えられて、大爆笑してしまった


2001年8月7日(火曜日)
 午後5時にホールドかけられて1時間。用件が3分で終わった日にゃ、流石に機嫌が悪くなります。
 んで急ぎはしたんですけど、家の近くの時計屋は閉店。今日も結局腕時計のバンドを修理できなかった。ますます機嫌が悪くなる。
 気分転換に晩ご飯でもつくろうと鮭の切り身を焼いたら焼き過ぎてしまった。別に黒焦げにしたわけじゃないんだけど、僕は生っぽいやわらか〜なのが好きなので、ちょっとバッドな気分。
 もう駄目だ。
 買い物に行こう。
 近所のスーパーに入ったが閉店15分前では流石に特売品もなく、肩を落とす。
 破れかぶれになって、最後は古本屋に行ってしまう。
 So Bad...

2001年8月8日(水曜日)
 昨日のうちに電話をかけて、近所の時計店が、僕がいつも店の前を通り過ぎる15分後くらいに開店していることを確認し、今日は遅刻。
 時計店でバンドを変えてもらう。「部品ありますから、修理もできますよ」と言われたが、金属バンドの留め金がバカになってきていたので、バンドごと変えてもらった。長さの調整がやり易いものを選んだ。

 自動ゼンマイ巻の時計は親父のお下がりだが、高校時代から愛用している。聞けば親父が大学に合格した年に入学祝いとして祖父から貰ったものだというから、かれこれ35年ほども経っているわけだ。よく動いているものだ。
 バンドは2回交換され、龍頭も交換、文字盤を覆うガラスは瑕だらけ。正確さという点ではクウォーツ時計には及ぶべくもない。
 それでも時計を変える気にはなれない。
 もうとっくに新品の時計が買えるほどの修理代を払っているというのに(^^;


2001年8月9日(木曜日)
 朝、職場でメールチェックをしたら、いきなりウィルスアラートがでる。
 しかもダイレクトeメールの会社から。これって一体どのくらい汚染が広がったのだろうか……。

 明日仕事を休むもんだから、「どこへ行くの?」という質問を受けたので、こう答えた。
「戦場」
 もちろん、みんな分かってるので笑って済ませられるはずだったのだが、唯一人、最近入ったバイトの子がわからなかった。説明を受けて、安堵して言った。

バイトさん「オグマさん、裏社会と関係あるのかと思った」
「やだなぁ。私がそんな人間に見える?」
主事さん「見える!」(間髮入れず)
 私は孤独だった。
2001年8月10日(金曜日)
 初日。
 東京駅から急行バスのルートを使って会場入り。よって自動的に西館到着。まず企業ブースへ行ってみる。
 そして体力を使い果たす。
 14時頃になって、やっと東館へ移動し、某火炎龍さんとこへ出向く。その次にきしもとさんのとこに寄ると、なんかアーヴ文字をさりげなく表示してるし。まだだろ、まだ!
 思い付いて、その後企業ブースに取って返し、ナインライブズに直接出向き、話をすると、既に許諾が下りている旨説明される。どうやらまだ代表のところに届いていないだけらしい。
 しかしこれで計画は第1段階の終了を見るわけである。
2001年8月11日(土曜日)
 何年かぶりに、始発発進。
 6時24分、B1列の先頭になる。
 入場は10時半頃。ヨッシーさんに頼まれたサークルへ行っては見たものの、この時点で既に目測2時間行列になっていたため、斷念する。その他、頼まてたサークルなどを一周し、退散。りんかい線の国展駅の近くで、某火炎龍さんと不意の邂逅。二人して後退りして自らが無謬であることを主張した。

 家に戻ってシャワーを浴びて、着替えて出向くは水道橋後楽園東京ドームそうだ今夜はジャイアンツスワローズ戦!
 秋田の某大学に勤める予備校時代の友人がチケットを持ってきて上京、一枚余っているというから便乗させてもらったのだ。外野席は趣味じゃないのだけれど、まあタダですからガマンです。
 試合は私の嫌いな大味極まりない、酷い試合でしたが、勝ったからよしとせねばなりますまい。これで負けていたら、太宰府遠流なヒトの高笑いを封殺しにいかねばならないところでした。

 さあ、明日は最終日。決戦です。


2001年8月12日(日曜日)
 最終決戦日。
 夜〜朝、雨が降っていたらしいが、私が出発するころには晴れていた。
 昨日野球のチケットを持ってきた友人はそのまま私の家に泊まっていた。なんだかよく分からないが、無確認で私の家に泊まるつもりだったらしい。友情って素晴らしい。
 とにかく午前7時に出発。8時過ぎには会場到着。既に到着していたサークル代表と設営に入る。すぐに最後の面子も合流。我がサークルにしては珍しくマトモな滑り出しを見せる。
 開場前に、東456の目標サークルの位置を確認してくる。はっぴいさんの所にも顏を出し、生はっぴいさんを拝む。しかし……なぜだろう。みんな私のことを良く知っているらしい(笑)。
 そおいえば、うちに泊まっていったヤツも、会うのは半年ぶりの筈なのに、全く事情が通じているってのも変な話だ。
「だって毎日日記読んでるもん」
 そりゃごもっとも。

 とりあえず開場後にあちこちお買い物。東456を回った後一度戻り、その後東123を巡回。知り合いのサークルさんとかに挨拶をしたり、ヨッシーさんに頼まれたものを買い漁ったり。しかし一番挨拶をしたい、会っておめでとうと言ってあげたいてつまさんは西館の彼方。
 東123を回った後暫く売り子を続けて、午後1時半、食事を兼ねて西館への突貫を企画。空中回廊を渡って西館への通路へ入ったところで列が動かなくなる。雨のため屋外へ逃げることのできない人間が集中したためらしい。ふっと、かつての晴海の新館を思い出してしまった。
 どーしょーもなくて引き返し、暫く大人しく(?)売り子をしている。
 やっつけで作った本を皆様よく買っていかれるので恐縮至極です。
 途中、赤坂プリンス(というサークル)の前で竹居さんと出会う。そしてその後、デンパ大阪と、我がスペースの前で雑談。デンパを飛ばしまくり周囲を汚染する。
 解散直後、所用を思い出し、デンパ大阪を追いかけて空きスペースの前で立ち話をしているところに、里見くんが通りかかったので、「これがデンパ大阪」と紹介したら、本人いたく不満そうであった。何がいけなかったというのだろうか。これ以上ないほど簡潔にして明瞭な紹介だったと自負するところなのだが。
 里見くんも問題なく理解してたしね。

 今回のコミケの密かな目標に、きさらちゃんと第1種接近遭遇をする、というのがあったのですが、不幸にも今回も果たせませんでした。日記とか見ると、比較的同じような時間に同じような場所にいるはずなのに、どうしても直接会うことが叶いません。
 まるで「君の名は」の世界ですな。
 うーん。次のコミティアはサークル落選してるからなぁ……。

 午後3時半になって、とうとう西館へ進出。てつまさんに会って本当に挨拶だけ交わした感じ。すぐに取って返す。
 午後4時、閉会。拍手。撤收。
 りんかい線で帰るべく国際展示場駅へ向かうが、長蛇の列にめげて3人でタクシーに乗ることにする。
 1時間以上の待ち時間の後、タクシーに乗車。事故渋滞するレインボーブリッジを越えて有楽町で降りる。そこでメシを食って、解散する。
 家について、同人誌の整理を始めるが、その途中で力尽きて夢の世界へ……。


2001年8月13日(月曜日)
 朝8時に目が覚めた。
 今日は休暇を取ってあったんですが、何かと忙しく、ちっとも休んだ気がしなかった。
 三日間で買い込んできた同人誌の仕分け。とにかく購入依頼が結構あって、なんだかんだで1.5万弱。これをそれぞれの元へ冊子小包で送りつけることにする。宛名ラベルをプリンタから出力し、それぞれ封筒に詰める。しかし、角形1号から4号まで揃っている一般家庭ってのもナンですな。ええ、クッション封筒とか長形封筒なんてのも揃ってます。あとは各種スタンプがあれば完璧ですが、流石にそこまでは……。
 とにかく、12時までに整理して郵便局へ持っていく。ちなみに、本であれば何でも冊子小包にすりゃぁいいという問題ではない。冊子小包の最低料金は160円なのだが、定型外は120円(50gまで)、140円(75gまで)という区分があるので、重さによっては通常の定型外郵便物で出す方が廉い場合もある。秤で量るのが一番なんですが、不幸にも我が家には秤がないので目分量。どうせ切手も種類がないのでいつも証紙。よって窓口で量って貰って済ませる。
 書籍小包が冊子小包になった時に、ポストから投函できるようになったのは素晴らしいと思ったものだったが、以上の理由からポストで冊子小包を投函したことがない。それ以前の問題として、ポストに入らんのよ……。

 余談ながら、ポストの話。
 最近、丸みのある新しいデザインのポストが街角に増えてきた。平成8年採用の“郵便差出箱10号”から“14号”までの5種類。旧ポストに比べて背が若干低くなり横幅が増え、丸みを帯びている関係で女性的な感じがする。しかしそれでいて使いやすく、工業デザインの鑑みたいなやつだ。なんでも検討段階において色を赤から変更する案もあったそうだが、やはり郵便ポストは赤くなければなるまいて。
 それはさておき、新しい5種類のうち、実はまだ14号を見たことがない。旧バージョンでも9号は殆ど見たことがない。見た目は可愛らしいのだが、考えてみると容積が小さく、比較的都会を中心に生活している私の生活圏にはそぐわないのかもしれない。
 しかしなかなか見れないとなると見てみたくなるのが心情というもので、一体どこに言ったら郵便差出箱14号が見れるだろうかと考えてしまう。
 一応念のため言っておくが、私は郵便ポストマニアではない。フェチでもない。

 郵便といえば郵政事業の民営化が、現首相の主張するところであるが、これには色々な見解がある。もちろん赤字事業の見直しやら、民間企業との競争導入とか、良く巷間で議論される問題もあるが、私らしく歴史学的な見地から切り込んでみたいと思う。
 日本において近代逓信制度が整えられたのは当然明治開国の後であるが、それ以前においてもそれなりの逓信制度は存在した。古代には駅があったし、近世には公的な早馬の他にも飛脚という商売まであった。情報伝達に限れば、米などの相場情報を知らせるのに、山と山の間で旗を振ったり、狼煙を上げたりもしていた。
 それでもなぜ公的な逓信制度をわざわざ確立しなければならなかったかといえば、それは国家における情報通信の保証が不可欠だからだ。
 近代国家というものは、中央集権であれ地方分権であれ、とにかく文書による情報伝達を基礎とする。要するに、情報伝達経路というものは、国家の神経系なのだ。これを確立し着実なものにすることは、国家体制の確立には不可欠ということになる。これがどのくらい重視されていたかといえば、治安の悪かった明治初期においては、郵便配達員が銃で武裝していたくらいである。
 通信経路の確保というのは近代国家にとっては常に死活問題として考えられており、有事への備えを厳にする国家ほど、信じれらないようなことをやっている。例えばスイス軍が伝書鳩の廃止を決定したのは1994年である。なんと湾岸戦争に伝書鳩を貸与している。信じ難いかもしれないが事実だ。
 お分かり頂けると思うが、通信というのはその基盤(インフラストラクチャ)の整備維持に莫大な金がかかる。特に、旧態化した手段の維持には、非常識な金がかかる。しかしそれでもスイスが伝書鳩を飼い続けたように、通信は基盤が全てであり、その基盤が破壞されたときには全く使い物にならなくなってしまうという問題があるのだ。だから、できるだけ多様な通信方法を維持していなければならない。
 特に原始的な手段であればあるほど、非常時には強い。
 デジタル変調よりアナログ変調の方が耐障性が高いのは事実だし、FM変調よりAM変調の方が、非常時には有効だ。なにしろAM受信機なら、電源無しでも動くものが作れる(笑)。更に言えば手旗信号や発光信号なら、技能を持った人間さえいれば良いという話になり、場合によっては体一つでなんとかなる。
 さて、ここまでの話を「非現実的な馬鹿話」と受け取るか、それとも「危機管理論」と看做すかであとの解釋が変わってくる。
 現在、電話ならびに電報は民営化されている。元々は逓信省による公営だったが、電電公社に分離し、現在ではNTT。昨今では市内通話から国際通話まで、様々な会社が選べるようになった。小荷物に関してはなど、戦国時代であり、郵便も頑張ってはいるがいかんせん押され気味である。最近が敗退した。
 現下の状況を鑑みるに、信書についても民営化がなされれば、それなりに競争が発生し、消費者にとっては色々な面から有利なサービスを享受できるようになるのではないかと予想はされる。
 残る問題は耐障性を確保できるか、という一点にかかっている。
 現在の経済システムにおいては、「余裕」と「無駄」の区別ができない。
 通信の確保がコストパフォーマンスを越えた「絶対条件」として君臨するのか、あるいはある程度の条件を満たすことによって確率的に維持されることを期待するのか。
 今の首相がどこまで考えているのか、そちらの方が心配だ。
(既得権益保護集団の解体には大賛成)

 で、その首相様であるが、なんでも今日靖国神社に参拝したそうな。
 またぞろ、なんだかわけのわからん議論が噴出している。
 私は首相がどういう見識でどこに参ろうと信教の自由の範囲内ではないかと思う。もちろん、玉串料や花代を国費で負担されては困るが。
 究極的には感情論なので、論理を語ってもしょうがないとは思うのだが、ただ、靖国神社建立の意義を考えれば、国の首相が参れないというのは悲しい話だ。そういえば天皇陛下は参られないのだろうか。ある意味、最も参拝しなければならない方々だと思うのだが……。
 しかし、なんで敗戦記念日なんでしょうね。建国記念日に参拝すりゃいいのに。靖国神社は別に第二次大戦の戦没者だけを奉っている所じゃないんだから。

 秋葉原へちょっとお買い物。DVD-ROMドライブがめちゃくちゃ廉くなってきたので、ジャンク品を買ってきてメインマシンのCD-ROMドライブと差し替える。ATAPI CD-ROMとしても動くので、DOS環境などはいじる必要なし。Windowsも98以降はDVDにデフォルト対応なのでなにもしなくても良い。
 3年前、放送大学で頂いたDVD-ROMを初めて見た。
 音声や動画データをふんだんに使うと、確かにCD-ROMって容量小さいよね。(なんか昔は無限の領域に思えたものだったが……)

 なんでも日本規格協会は夏休みだそうで、規格票を探しに池袋のジュンク堂へ行ってきました。JISの規格票が置いてある本屋ってのも凄いよなぁとか思いながらお買い物。
 迂闊なことに、JIS X 0211の規格票を持っていないことに気付いたんですよ(^^;
 思えば隨分間拔けな話ですよ。

 そおいえばどうでもいいことですが、秋葉原の虎の穴に某『ちょびっツ』第2巻の初回特別版がまだ10冊ばかり残っていました。
 講談社、よっぽど沢山刷ったんですかね……。

 「日本人も知らなかったニッポン(桐谷エリザベス著、吉野美耶子訳、中央公論新社刊)の中に、こんなフレーズがあった。
 日本では食についての自由度が高い(米国では朝にサラダは食べない等)と、色々例を挙げて述べて最後に、「日本にも神聖にして絶対に侵すことのできない鉄則が一つだけあります。それは緑茶にはミルクもお砂糖もぜったいに入れないこと」と書いてあって、ほう、と目から鱗が落ちたことがありました。
 この話を職場でしたら、緑茶にミルクや砂糖を入れるなんて……という反応でした。私はどちらかというと、「そういう飲み方もアリだろうな」と思ったんですが。
 冷やした緑茶を飲むようになったのですら、日本人はつい最近ですよね。缶入り緑茶が自動販売機に並ぶようになったときに、強烈な違和感を感じた人もおられるのではないでしょうか。私自身そうでした。
 そういう観点からすると、緑茶にもまだまだ色々な飲み方が可能性として残されているように思います。
 なんでこんな話をするかというと、コンビニでレモン緑茶をみつけたから。当然のように砂糖入り。アイスドグリーンティー&レモンでトワイニングブランドで500ccの紙パック。飲んでみたら、案外いけたんですよ。
 なるほどな、と得心した次第。

 さて、今日こなした仕事の中で最も重要だったのが、アーヴ文字の登録申請でした。必要書類が全て揃ったので、とうとう書類をTRON文字收録センターに郵送しました。
 委員長から正式なアナウンスはあると思いますが、スケジュールとしては、受理されてから審査を経て1ヶ月の公開レビューをすることになると思います。
 どういうわけか恐らく初となる、正式な手続きを踏んだ文字セットの登録です。
 どうか皆さん、真摯な突っ込みをして下さい。それが「前例」になります。

 しかし急いで送ってみたものの、世間は夏休み。トロン協会ももしかしたら夏休みだろうか。うちの職場が、夏休みローテーション制なもんだから、気にしなかったんだけど……。
 そう言えば、靴を買いに行ったら注文になっちゃって(サイズがなかったため)、「今夏休みなんですよ」って言われて入荷は22日だとか。
 しかし4月に買った靴がもう駄目になってんだもんなぁ。4ヶ月弱でパターン磨滅の上に、一部下の層が出てきちゃってる。靴屋も流石に2度目とあって「せめて半年持てばいいんだけどねぇ」って溜め息。
 私のせいなのか?


2001年8月14日(火曜日)
 日銀の金融政策を聞いて、「それはインフレ政策ではないのか?」と感じる。なんか拙い方向に向かっているのではないだろうな……。

 NHKスペシャルにドナルド・キーンとフランク・ギブニーが出てて、色々語っていた。実に考えさせられる内容だった。特に、ギブニーが「日本は、一度事態が動き始めると、ブレーキを掛けるのが非常に難しい社会ではないか」と語っていたのに、色々感じ入る。もちろん、これは日本だけの問題ではないのだが、日本は特にそうではないか、という話だと思う。
 社会という大勢が動き始めたとき、堂々とその動きに向かって否と言える人間が必要なのだ。もちろん、大勢が正しいこともあろうし、多くの人にとっては邪魔以外の何物でもないとしても。
 ただ、正義を持ちたくはない。


2001年8月15日(水曜日)
 朝、半旗が揚がっているのを見て、数秒間考える。
 そうか、敗戦記念日だったのか。

 第二次大戦は……いや、太平洋戦争は、日本が初めてその国土を戦場とした戦いであり、今のところ最後の戦いである。敗けたのであるから当然であるが、その記憶は苦く、記録は酸い。敗者は語ることを許されず、ありもしない正義の存在が幽靈のように夜行している。

 この世界に唯一無二の真理などは存在していない。
 あまりにも単純で馬鹿馬鹿しいことではあるが、このことを良く理解していない人が多い。いや、言葉は知っていて意味も解っているが、それを行動に反映させることができない人が多い。
 有り体に言えば、自己無謬性を証明できない状態で、常に人間は行動しなければならないということだ。当然未来はいつも不明だし、現在も把握しきれないし、過去に至っては藪の中だ。全ては確率論的にしか表現できず、しかもそれすらも不確実だ。硬い地面だと思っていたものは実は雲のように摑み所のないもので、あれほど明瞭に見えた境界線は近付けば近付くほどぼやけていく。
 その上他者とのコミュニケーションには言葉しか使えず、経験や思考をそのまま伝えることもできないとなれば、いずれ死ぬ自分を思って嗤いたくもなる。

 私は人間(ジンカン)を変えることができるだろうか?


2001年8月16日(木曜日)
 左足の親指第二関節に痛み。お陰でちゃんと歩けないじゃないか。

 LIFE・SYSTEMの栗原さんの新刊「完璧な心臓」を読み終える。同人誌のくせに376pスピン付きという超大ボリューム。しかも30部限定というオマケ付き。
 世界各地で別々に始まるストーリーが、一人の女の子の心臓移植を軸に收束していくさまは、圧巻でした。移植用心臓を巡るSFサスペンスです。
 限定30部ってことは、30人内外しかこの本を読めないということか……。勿体ない。


2001年8月17日(金曜日)
 小林めぐみさんと近田火日輝くんと池袋で呑み会。名目は、「続・大地完売記念」。一応、ネット上の通販終了に伴う打ち上げ会でした。
 早いもので、もう1年ですか。
 呑んだり食ったり喋ったりの間に、明日発売の新刊を頂いてサインしてもらったり、好き放題でした。
 しかし……1年後には全員業界人ってのはどういうこったい?(笑)

2001年8月18日(土曜日)
 昨晩、唐突に気圧が下がって一雨来たせいか、肘やら膝やら、古傷が痛みまくり、寢付けなかった。朝も8時に目が覚める。痛みで眠れないというのは、何度経験しても慣れることがない。いっそ痛みを感じなければいいのだが、それはそれで困るだろう。ただでさえ体を壞した原因が、「出力限界異常」であるわけだから、これ以上感覚を失うのは厳しい。リミッターの壞れたボイラーから温度計を取り外すようなものだ。

2001年8月19日(日曜日)
 買い物でも行こうかどうしようかと思っているうちに夕暮れを迎えてしまい、結局一日家で転がっていた有意義な日曜日。

 とりあえず、入力待ち状態になっている雑誌を片付けようと掘り出してみたら、半年分もありやがんの。
 もっとも、記事索引くらい作っとかないと、雑誌はまったく溜め込む意味がないので、溜め込む以上は記事索引は作らねばならぬ。かくして延々と半年前の雑誌から記事やら作品やらを片っ端から入力。それだけで半日潰して、まだ一誌残る。
 ぬぐぐ……。
 もう一誌増やそうかと思っていたのだが、処理能力の限界を超えそうだ。

 NHKスペシャル日本人はるかな旅」は比較的楽しめた。骨相の統計やら遺伝子学やらの進歩によって、“日本人”が遺伝的にかなりジーンプールの広い存在であることが分かってきてる。日本人という集団はかなり「均質」からは外れる雑多な集団なわけですな。第一回はその中で旧石器人〜繩紋人の祖先をシベリアに求めていた。
 日本人を「単一民族」とする言い方があって、なんか良く目くじらを立てている人達がいるが、両者とも大きく間違えているのが「民族」の定義。民族は血族ではないし部族でもなく、基本的には文化的集団のことなので、現代日本における文化的均質性を考えれば「日本人は単一民族」というのはあながち間違いとも言えない。
 これが「日本人は単一人種である」といえば勿論間違いだが。
 世界には人種的にはほぼ同一でありながら、宗教が違うとか言葉が違うとかいう理由で民族が別となり、いがみ合い、殺しあっている連中は少なくない。日本にもかつてそういう時代がなかったわけではないのだが、数千年の時を経るうちに同化し、混交し、なにがなんだかわからなくなってしまった。
 それを良いとするのか悪いとするのかは各自の価値観というものだが、私個人としては一つの結果として受け止めている。


2001年8月20日(月曜日)
 少々寢不足気味。

 颱風接近中。
 そういえば去年は本土への颱風上陸がなかったんだっけか。渇水も考えると、ここいらで一発直撃も悪くない。問題は、生活への影響だが。

 え? ガンパレード・マーチが星雲賞(メディア部門)受賞っすか? 当然といえば当然のような気もするけど。

 アーヴ文字登録について、きしもとさんが解説ページを開設。このあとキーボードマッピングとかも用意する予定。
 震えて待て!(もうこのネタ古いって)


2001年8月21日(火曜日)
 爆睡しちゃったよ。

 文部科学省が、宇宙開発事業団宇宙科学研究所航空宇宙技術研究所の統合再編を決めたらしい。規模はともかく、それなりに意味のある住み分けだったと思うのだが……。人材交流もそれなりにやってたみたいだし。
 現実問題として、組織を統合して各種資源を集中的に管理運用した方が良いというのはわからんでもないのだが、これでΜロケットの後継は出てこなくなるんだろうなとか、学術衛星の打ち上げもやっぱH-IIAでやるんだろうかとか、成層圏プラットホームはどこへ行くんだろうとか思うのですよ。
 ところでやっぱ統合に伴って名称も変更されるんだろうか。
 某誌連載中の宇宙マンガどうするんでしょ(爆)。

 颱風の接近する中、仕事帰りに秋葉原。仕事の買い物をしてくる。
 予算と性能と要求仕様の中で、真っ先に妥協を強いられるのが要求仕様だというのはどういうことだろう? 私はそんなに贅沢なことを言っているのだろうか?


2001年8月22日(水曜日)
 昨日、紀伊半島に上陸した颱風11号はゆっくりと本州太平洋岸を舐めるように東進し……。
 朝。北区は風雨だった。
 一目見て「こりゃ傘なんか差したらあかんわ」と諦める。ちなみに私の傘はカーボングラスファイバー骨格なので、多分暴風雨の中でも骨が折れることはないだろう。その結果は考えたくないが。
 というわけで、合羽を引っ張りだし、着込んで出勤。
 しかし職場の千代田区は、殆ど降ってなかった。
 都心を直撃するかと思われた颱風だったが、延々と海岸沿いを縦走したお陰で、東京都心はさしたる被害も無く済んだようだ。

2001年8月23日(木曜日)
 颱風一過で晴れ上がった空を見て、一日晴れかと思っていたら夕方に一雨。

 靴屋に靴を引き取りに行く。
 靴屋曰。「前の靴の方が長持ちしましたかね?」
 答えて曰。「いやぁ、大差ないですよ」
 靴屋は呆れていた。
 まあ、スニーカーを四ヶ月単位で履き潰しているわけだから、呆れようとも言うものか。
 そうか。「江戸の履き倒れ」ってのはこういうことだったのか……。


2001年8月24日(金曜日)
 神保町ニテ『ミドリノツキ(中)』ヲ捕獲セリ。読破中ニツキ、日記ハ後回シ。
2001年8月25日(土曜日)
 昼から休日出勤。
 ネットワークやPCの環境をいじる。何事もなく一発で動く。善哉善哉。

 日暮れ頃、nyちゃんよりアキハバラ進軍予告がメールで入っていたことを知る。電話をかけてみるが、自家電波混乱のためか繫がらない。ようやく繫がったと思いきや、書泉を好きなように荒らしまわっていたらしい。
 職場から秋葉原までは30分程度なので、落ち合って夕食を食べて別れる。話した内容はTADのこと他。TADのポータビリティをどこまで上げるか、という問題は難問だ。欲を言えばきりがなく、妥協するなら何もしないという選択肢もアリだ。

 家に帰ってきてちょっと買い物に行って、NHKスペシャルを最初の5分だけ見て放擲した。歴史教科書問題については、採択過程を見ているだけで嫌になる。
 私は教育委員会の公選制度復活を心から望んでいる。戦後の教育史がいかに歪な形で現在に影響を及ぼしているのか良く知っているつもりだ。わかっているのだろうか。民主的な教育がどうこうと叫んでいる連中は、教育委員が任命制であり、殆どが現役/退職した教育関係者で占められていることに、疑問を抱かない。公選制度から任命制度に変わったのは戦後しばらくしてのことだが、一体どういうことなのか分かっていたのか怪しいものだ。
 戦後の「民主」教育は、教育のプロと言えば聞こえは良いが、要するに職業的教育者たちにその全権を委ね、要望と願望だけをぶつけて自らの責任も権利も放擲したものなのだ。

 今日はNIFTY FTRONのチャットの日。


2001年8月26日(日曜日)
 昨夜のチャットが午前三時まで続き、その後もちまちまとあれこれやっているうちに午前五時就寢と相成る。
 起きたのは10時。まだ片付ききらない未配架本の山と格鬪する。しかしなんと作業中に本棚のスペースが足りないことが判明。スペースを明けるためには一部の本を段ボール箱に入れるなりするしかないわけだが、そのためには箱詰め本の目録を作らねばならないわけで、作業量がまた増大することになる。
 しかしなぜもまたこう本は増えていくのであろうか?

 今日、蒲田でイベントスタッフをするために上京して来ている某デンパ大阪が当宅に逗留。我が家は彼の常宿となりつつある。
 明日はじゅりちゃんが泊りに来るそうな。


2001年8月27日(月曜日)
 デンパ大阪は帰り、じゅりちゃんがやってきた。
 本日休載。

2001年8月28日(火曜日)
 先日のことになるが、世田谷で、警官がククリで斬り殺された。犯人は警官によって射殺。警官が死傷する事件が増えている。治安の悪化といえばそこまでだが、拳銃で武裝している警官ですら殉職者が相次ぐような世の中で、徒手空拳で暮らすのもなかなかに心許ないものだ。
 銃刀法の存在により、日本では一般市民が武裝することは殆ど不可能であるが、結果として武裝しているのは警官や自衛官などの特別司法警察官と犯罪者だけという現状ができ上がっている。犯罪者は法を守らないから犯罪者なのであって、そういう連中に向かって銃刀法を説くのは無意味というものだ。私としては善良な一般市民が自衛のために合法的に武裝する権利があっても良いと思うのだが、日本ではあまり同意を得ることができない。

 眠気を感じながらも目が冴えて、足取りは輕いながらも力が入らないという不思議な体調。要するに、寢不足。


2001年8月29日(水曜日)
 とりあえずH-IIAは成功しました。
 でも、これは始まりなわけです。

 仕事でお遣い。書類受け取りに某所まで〜。
 で、総重量が5kgくらいあってん……。
 風呂敷包みにして下げ帰ったら、右手の握力がバカになりました。
 ペンを握った手が震えるなんて体験は、そうそうできるもんじゃありませんよ、ダンナ。明日の状態が楽しみです。

 なんか今週は駄目だね、全体的に。燃え尽きてる感じ。


2001年8月30日(木曜日)
 ここんとこの寢付きの悪さを解消しようと、昨夜は誘眠効果のある風邪藥をわざと服用した。
 そしたら寢過ごして遅刻した。
 そのくせ寢不足感は解消されてないんだからたまんない。

 今日は職場のイベントだったんでスーツ着込んでいったんですが、走ったり運んだり持ち上げたりとすっかりブルーカラーだった。
 そういえば昨日の件で、某肉体派駄目人外画伯から「それは鍛え方が足りないんぢゃぁ。ふんっ(ムキッ)」という有り難いコメントを頂いた(超訳済み)。そんなこと言ったって、オイラ頭脳労働屋さんだもん。ペンより重たいものってったら、本くらいしか持たないじゃん。


2001年8月31日(金曜日)
 本日、TRON文字收録センターからメールが届きました。
 さあ、これから一ヶ月の公開です。
 また、正式リリースへ向けたフォントやキーマップの用意なども本格化します。
 初の一般ユーザからの申請。今後の展開一つ一つが「前例」になる、ある意味でTRONの未来を占う天王山。
 なお、次回のBTRON Clubにおいて詳しい経緯や技術解説などを行う予定です。

 藥を飲めば寢過ごしちゃうってぇんで、昨日は藥を使わなかったら3時間しか寢れなかった。
 そんでもって悪いことに、文庫本を読み読み地下鉄改札に向かっていたら階段を踏み外して捻挫してしまう。
 挙げ句の果てに明日は休日出勤。
 今週の運勢は、最悪ですね。

 昨日の日記はUpし忘れてるし。