哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2001年6月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、並びにパーソナルメディア社は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2001年6月1日(金曜日)
 予備自衛官補と任期付隊員という新しい二つの自衛官制度がスタートするそうな。前者は通常退職した自衛官で構成される予備自衛官とは別に、自衛官経験のない人間を一定期間訓練して予備自衛官補として確保するものらしい。後者は情報技術など、特別な知識技能を持った人間を任期付きで確保するものだとか。
 この国の国防意識の低さについては、きっと後世の歴史に残ると私は考えているのだが、それはともかく、予備自衛官補制度は、常備役兵員の確保にも難渋する自衛隊の、予備役確保の窮余の策といったところか。軟派なミリタリーオタクが結構入って来るかもしれず。
 しかし……そんなんで軍隊として大丈夫なのかね? そりゃまぁ、予備役だから直接前線で戦うわけじゃないだろうけど、そういう連中に補給線の維持を任せるのも不安といえば不安だ。
 どっちかというとROTCの方が良くないか?
 任期付隊員の方は、主にコンピュータ関係の技術者を狙ってるんだろうな。
 現在の自衛隊は、納入される電子関係のソフトウェアについて、殆ど検証できてないみたいだし。サイバーテロなどの危險性も取り沙汰される昨今(実際、政府関係のサイトなんてさんざんっぱら攻撃受けてるみたいだし……)こういうのも必要でしょうなぁ。
 しかし……自前で半導体工場を持てとまでは言わんけど、対応が遅くないか? 純軍事力で仮想的を圧倒し得ない以上、情報部門は強化しとくべきだろうに。電子戦部隊だけで一個連隊規模の人員が投入されてても不思議はないと思うのだけど。
 ま、どっちにしろ、体力にも特殊技能にも縁のない私には関係のない話ですな。

2001年6月3日(日曜日)
 昨日はBTRON Clubでした。
 内容については部外秘だそーなので、詳しくは言えませんが、究極的にはこの一言に尽きますかね。
「TRONは私のものだ!」by 坂村健

2001年6月4日(月曜日)
 先日、書店で研究社の『羅和辞典』を開いたら、驚くべきことにオフセット版になっていたんですよ。私の持ってるのは活版なのに……。
 なんだかんだ言っても、オフセット版の方が印刷が綺麗で読みやすいですよ。でも流石に、同じ辞書を活版とオフセ版だからといって二冊持つのはねぇ……。
 ラテン語の辞書だし。
 辞書といえば、韓日・日韓辞書の定番、「エッセンス」が改版増補されてましたね。思わず欲しくなっちゃったことは一応秘密です。
(註:小熊は辞書マニアではありません)

 職場から歩いて5分の日経BPへ行って、K元くんご推薦の本を買った。ついでに目についた面白そうな本も買って大散財。


2001年6月5日(火曜日)
 街で、原子力技術の危險性を訴えてる街頭演説と出会った。
 私には理解できない論理で、原子力技術を批判していた。
 危險。
 そう訴えていた。
 そりゃ危險は危險だわな。うん。
 でも危險なんて世の中色んな危險があるわけで、何も原子力技術だけが危險なわけじゃない。死人の数で言えば、どう考えても自動車の方が危險だろう。客観的に見て、原子力技術がとりわけ格段に危險であるという根拠は、私には見出せない。
 原子力技術に問題がないといっているのではない。どちらかというと逆で、後始末の方法もよくわからんものをぽんぽん作って動かしてることは、いかに人間の性であるとはいえ、頭が痛くなる。
 経済効率も、余り良くない。建設費用、運用費用、保守費用、最後の廃棄費用。発電効率なんぞを考えても、これでソロバンを弾くのは難しい。
 そういう話ならよく分かるのだが……。
 世の中に私に理解できない論旨という奴はたくさんあるので、今更一つ二つ気にしても仕方ないのかもしれないが。

 今日のプロジェクトXはH-II(前編)でした。
 見逃した人は、木曜の再放送をどうぞ。


2001年6月6日(水曜日)
 関東梅雨入り。

 今日は都内某所で、ヘルメットにタオルで覆面をした連中がビラを配っているのに出くわした。
 そろそろ、人間国宝とか、無形重要文化財とか、伝統芸能とか、そういう指定が必要かも知れないと思った。
 彼らは自分達が街頭で声を上げていられる幸せな環境という奴に気付くことはないのだろう。


2001年6月7日(木曜日)
 今日は理事会。

 TRON系の掲示板をちらほら流れる話題に絶望的な気分になる。
 ああ、世間一般の理解ってこんなもんなんだよなぁ。
 お終いに『小形克宏の「文字の海、ビットの舟」 』を読んで嫌な気分にまでなる。
 AとBを比較してAにより大きな問題があるからBの問題は追求しなくてもよい、というのでは、そりゃ詐欺の論理ですな。Aを否定してもBの無謬性の証明にはならない。
 それともう一点。新JCS委員会は表外漢字字体表の是非を問う場ではない。表外漢字字体表は既に国語審議会で議論を尽くされ決定されたことであり、新JCS委員会はそれに同調してJIS X 0208を見直す場でしかない。表外漢字字体表に疑問を呈されるのは結構だが、それは会議のスコープではないので、まったく無意味だ。
 どうも、某氏もそうだが、なにやら委員会の方向性を最初から見失っている人がいるようだ。


2001年6月8日(金曜日)
 BTRON Clubの会員専用ページで、R3.010問題についての坂村先生のコメントが出ました。
 というわけで、BTRON Clubの会員の方はそっちの方で見解を読んでやって下さい。
 私の再コメント? もはや言葉を尽くす段階じゃないでしょう。あとは行動あるのみです。

 以前からこの話題は興味深く見守っていたのだが……、結局訴訟ですか。
 著作権法って何を守る法律なんだろうねぇ……。

 大阪で、刃物を持った男が小学校に侵入し、児童八名を殺傷……。犯人は現行犯逮捕されるも、責任能力に疑問アリ。嫌になるような話だ。
 身を守るために武裝する権利を要求したくなる。


2001年6月9日(土曜日)
 「R3.010問題」について説明責任を果たせと、BTRON.com-BBSで言われる。説明したいのは山々ですが、どこまで私が公開して良いものやら、というのがあるので、一応お伺いの返事が来るまで待って下さい。本当は坂村先生が、公の場できちんと説明するのが筋なんでしょうがね。
 一応、私の感想です。
 現体制では、こういうことが今後も起こり得るだろうな、と。個人の力には(当然)限界もあるし。ではどうするか、については、語るより示す方が先かな、と。

 ところで、まだBTRON Clubからリンクは貼られていますね、ウチ(笑)。


2001年6月10日(日曜日)
 今日のNHKスペシャルは年間特集「宇宙」でした。テーマは火星への旅。パーシバル・ローウェルが出てきたりして(笑)、SFな人はにやっと笑ったりして。
 現用技術でも採算さえ度外視すれば火星に人間を送り込むことは不可能じゃないってことはわかってるんですが、何しろ、そういう風に湯水のようにお金を遣ってもいい時代じゃないですからね。問題はいかにコストを下げるか……ですが、具体的な話が殆どなかったような気がします。ちょっと点数辛いですね。
 やはり、どのようにして一年を超えるミッションのなかで閉鎖系を維持するかとか、もうちょっとレベルの高い話も欲しかったです。
 ちなみに次回はテラフォーミングだそうです。

 東巴な世間に苦言一つ。
 もっと先にやらなあかんこともあるだろうに……。


2001年6月11日(月曜日)
 午前3時まで本を読んでいたせいで、ちょっち寢不足。
 しかしこのペースで読んでも読んでもなくならない未読書の山ってのは問題だな。
 人間はなぜ睡眠をとらないといけないのか、とか、真面目に考えてしまいそうだ。

2001年6月12日(火曜日)
 未読消化週間。
 本屋への買い出しを控えることにする。
 単に来週の配本日まで新刊書が出ないだけじゃないかなどと鋭い突っ込みを入れてはいけない。

 きさらちゃんが自分のことを「先天性人柱症候群」と呼んでいた。
 他人事ながら、難儀なことだ。
 その点私はと言えば、歴史学をやっていることからもお分かりの通り、実に保守的な人間なもんだから気楽なものです。

 ところで今日は「プロジェクトX」の日でしたね。H-II開発物語後編。
 技術って人間の思想なんだなぁと、改めて感動した次第。
 ところで来週はなんと「広辞苑」がターゲットだそうです。ということは新村出と猛父子の物語ということですね。しかしとうとう辞書作りが取り上げられるようになるとは……。辞書・辞典作りの話は、大抵どの話も物語が一本書けるほどの話があるので、上手く番組として料理されることを祈ります。


2001年6月13日(水曜日)
 本屋斷ちの誓いは一日で反故。
 夏見正隆『僕はイーグル』の第2巻が出てたんです……。

 今日は終業後に高田馬場へ行ってきましたよ。ああ、もう、鬱陶しい話。


2001年6月14日(木曜日)
 実に久しぶりに、東京シューレの学生ゼミへ参加する。僕は本当に議論が好きなんだなぁとか思う。もちろん、それは答えが出ない議論が好きとか、他人を打ちのめす(あるいは打ちのめされる)のが好きとかではなくて、知的交歓が好きというのですよ。
 学生ゼミは、今年の夏に合宿(?)をすることになりました。これも最近色々提案していたことの一つなので、是非とも参加したいところなんですが、なにしろ今超金欠の貧乏人ですので、無理かもしれません。
 なぜ金欠なのか、についてはそのうちご報告することになるでしょう。

 「精神障害を裝えば罪にならないと思った」ってのはちょーっとあんまりじゃありませんかね。刃物持って白昼小学校に押し入って8人の児童を襲って言うべきことがそれじゃぁ、興醒めもいいところですよ。精神医学をナメとんのか? それとも警察を侮ってるのか?


2001年6月15日(金曜日)
 朝から雨。

 職場で必要になった部品を注文するために、終業後に秋葉原へ。目的の店は午後6時閉店。ちょっと急いで店の前に辿り着くと、灯が消えていて貼り紙が……。
「移転しました」
 ……。
 移転先は末広町だと〜!
 雨の中、必死になって辿り着きましたよ、ええ。実は閉店時間を過ぎていたのに、親切な店員さんに応対してもらったんですが。


2001年6月16日(土曜日)
 所用で池袋まで出る。帰りに、生まれて始めて都電に乗る、というおばあさんと会う。

 今日のNHKスペシャルは、福岡放送局の製作で、癩病患者の隔離政策についてだった。
 不幸なことに、私が癩病の隔離政策が行われていることを知ったのは、大学に入った後だった。癩病自体は、ハンセン氏病とも呼ばれる病気で、どういうものか知っていたというのに、だ。
 私は現代史を専攻したのだが、現代史では避けて通れない話題の一つに優生学がある。19世紀から20世紀の前半に猛威を振るった、進化論の亜流である。単純化して言えば、人間の品種改良を人間の手で行おうという考えだ。この考えに基づき、様々な政策が立案され、実行に移されたことは、「臥せられた歴史」となっている。
 実を言えば、ナチのホロコーストも、優生学思想の延長線上に存在するものでしかなく、なにもヒトラーが着想したものではない。絶滅までいかないまでも、身体障碍者や精神障碍者の斷種を実行に移した国は少なくない。米国ですら、十数の州で斷種が実行されている。日本にも、優生保護法という法律が1996年まで存在した。
 番組を見ていて、明治末から昭和の初めにかけての癩病対策には、明らかに優生学の影が見え隠れしていた。
 その影響がいつまで存続したのか、私には分からない。優生学思想は、19世紀から20世紀の前半にかけて、かなりの正当性をもって語られていた。にもかかわらず、現代ではその姿を見ることも難しい。いつ、彼らは葬り去られたのだろうか。そしてなぜ、あたかも優生学が存在しなかったかのごとく扱われるのだろうか。
 歴史学徒としては非常に興味があるテーマではある。


2001年6月17日(日曜日)
 殆ど外出せずに一日家の中で暮らす。
 溜めてしまった雑誌の消費を考えるも、思ったほど果たせず。困ったものだ。
 でも久しぶりにまとまった時間を文章書きに使えたのは良かった。

 しかし……朝昼晩と、料理ばっかしてた気もする。


2001年6月18日(月曜日)
 職場にMS-Officeのライセンス関係の書類が送られてきてげんなりする。XPにバージョンアップしろと? Office 2000ですから結構ヘヴィだって感じてるのに、これ以上重いアプリケーションなんて積めないよ。2000にアップグレードしたときだって結構色々あったのに。
 なんでこんなペースでアップグレードするかなぁ。必要なバグ取りとかアップデートは全然やんないくせに。

2001年6月19日(火曜日)
 雨降り。気温も高く、不快指数は鰻登り。

 今日のプロジェクトXは広辞苑でした。
 歴史に残るような辞典・字典・事典作りは、どういうわけかどの典籍についても伝説のような物語がつきまとい、使う側としては感謝に堪えない反面、空恐ろしくもなるものがある。今日の番組でも、新村猛氏が入院した折り、「“点滴”という言葉は広辞苑に入っているか?」と家族に訊ねたというエピソードに、身の毛のよだつものを感じた。
 広辞苑については過去に言及したことがあるが、基本的に広辞苑は日本語を日常語とする人をメインターゲットとした辞書である。それゆえの大ヒットなのだが……しかし使うとどうしても物足りなさを感じてしまう。
 ただ意味だけではなく、語源や出典、用例がどうしても欲しくなる。
 しかし、日本語の大辞典を作るというのは、実に困難な作業である。英語のOEDのようなわけにはいかない。日本語は、英語と比べると言語としての歴史的蓄積が遙かに厚いのだ。
 もしかすると驚く人もいるかもしれないが、英語が英語としての確立を見てから、実はまだ4〜500年程しか経っていない。シェイクスピアですら、17世紀の人間でしかない。17世紀と言えば日本なら江戸時代初期だ。源氏物語は言うに及ばず、平家物語も太平記も成立している。もちろん原文のまま読むのは困難にしても、翻刻され註が入れられた文章なら、古典の授業で習った記憶もあろうことと思う。
 遡りに遡り、万葉集以降の日本文学を対象として大辞典を編んだ場合、その編輯作業は想像を絶するものになることは確実だ。さらに日本語の中に溶け込んでいる漢語をも対象とするならば、その辞書編纂は暴虎馮河の誹りを受けることになるのは間違いない。
 でも思うのだ。
 そんな辞書が欲しい、と。


2001年6月20日(水曜日)
 西暦1945年8月15日以降にも旧帝国陸海軍の組織が残っていたということは、驚きをもって迎えられる事実だったらしい。
 常識的に考えれば、あれだけの巨大組織が、ある日突然胡散霧消するわけないじゃないと思うんだけどねぇ。大体、海軍なんかは、終戦後の引上船の運用を厚生省隷下において行っていたし、米軍がばらまいた機雷の掃海作業もしてたし。陸軍だって一部の部隊は引継組織が機能し始めるまで武裝してたりする。なかには、“終戦後”に国土防衛のために占守島ででソ聯軍と鬪ってたりもするわけなんだが。
 日本国憲法を可決した国会は帝国議会だし、戦後最初の選挙は大日本帝国最後の選挙でもあった。
 色々あるのだが、要するに「変わったといっても、突然何もかもが一斉に変わったわけじゃない」ってこと。時間軸に沿った連続性があり、またマクロには存在する“境界”は必ずしもミクロに存在するとは限らない。
 そういうあったりまえのことを、最近の学校は教えておかないようだ。

2001年6月21日(木曜日)
 退勤後、神保町の高岡書店で竹居さんと出会う。
 行動パターンが近似しているのだろうか……。それはかなりな想像だ。
 なにを今更という声が聞こえてきそうだが、敢えて言おう。私はオタクではない。

 坂村先生から返事来ないねぇ。


2001年6月22日(金曜日)
 コミック・ガムでの連載時から、一ノ矢香苗の絵ってさがわ香野に瓜二つだなぁとか思っていたら、やっぱり同一人物だったのね。
 ……って改めて調べてみたら、ホームページもあるやん。
 ま、よくあることよくあること。

2001年6月23日(土曜日)
 これって……。いや、特に感想はない。

 今日は都内某所で謀議。山積みの問題と、少なすぎる資源と、そして有り余っている(らしい)ヤル気、と。これらの核融合反応の結果やいかに、ってとこですね。
 公式に名乗りを上げたときに、一体何が起こるやら。

 帰ってきたら、祖父入院の報せ……。


2001年6月24日(日曜日)
 穏やかに時間が流れる日曜日。本を四冊ほど読み終えた。

 午前中の裡に、近所の小学校で投票を済ませる。こう言ってはなんだが一人にしか投票できないってのも面倒だねぇ。0.5票ずつ二人に、とか、この人にマイナス1票とかできたらそれなりに面白い結果が出そうでいいんだけど(笑)。
 投票所になってた小学校は、僕の家と駅の間にあって、時々気分で脇を通ることがあった。中に入るのは初めてだったんだけど、グラウンドがアスファルトで固められてた。都会の学校ではこういうのは珍しくないという話は聞いていたけど、実物を見るのは初めてで、なんとも形容しがたい感想を抱いた。
 芝にしろとまでは言わないけれど、アスファルトってのはよろしくないのではないかと思わずにはいられない。この上で遊んで転ぶってのは、想像しても痛々しい。遊ぶだけじゃなくて、運動だって結構怖そうだ。

 珍しく、弟に電話。状況が状況なので、まめにメールをチェックするように伝達。


2001年6月25日(月曜日)
  1. 岩本隆雄『ミドリノツキ(上)』Get'n'Read!!
  2. 笹本祐一『ARIEL[17]』Get'n'Read!!
 以上、本日終了。
2001年6月26日(火曜日)
 左のこめかみの辺りに刺すような痛みがあったのだが、一夜明けると、頭痛は前頭葉全体の鈍痛になっていた。動けないことはないと判斷して起き出したが、動くと風景がぐるぐる回る。
 風邪を疑って体温を測ったが、平熱。となれば、眼精疲労か肩こりか……。合わない眼鏡をかけているときのような、視覚系の疲労と思われる兆候があったので、アリナミンと鎭痛剤を服用して、大人しくしていることにする。
 病休。
 しかし身動きどころか、目を開けてられないので、本も読めなかった……。
 夕刻、かなり復活。

 GPLをウィルス呼ばわりですか……。Microsoftのこの手のやり方は今に始まったことじゃないけど(苦笑)、もうちょっと穏当な言葉を選ぶとか、意図を明確にした文章を書くとか、手立てはあったような気がするね。無用に敵を増やすだけだろうに。
 それとも、今更敵を一つ二つ増やしても構わないと思っているのか。

 うわっ。ちょっと画面見てただけで、あっという間に目がっ。


2001年6月27日(水曜日)
 攻殻機動隊2の通常版(でもマウスパッド付き……)とか某人型パソコンの第2巻とか買って来る。ついでに七瀬葵の初単行本とか……。
 ……。
 この日記見て本屋を襲撃する人ってどのくらいいるんでしょうか?

 空自のF-4EJが事故で訓練弾を空からばらまいちゃった件で、空自・陸自の皆さんが地面に這いつくばって弾を搜していた。空中から発射された弾丸の到達範囲を考えると、気の遠くなるような作業だ……。
 ある程度被害域を特定するための調査ならわからんでもないけど、回收作業ってのは、本質的に無理と違うか?


2001年6月28日(木曜日)
 出勤前に、千代田区立図書館の無料配本に立ち寄る。図書館の蔵書整理によって不要となった本をただで差し上げます(ただし千代田区在住/在勤者のみ。一人十冊まで)ということだったので、タダで本を頂戴に参上……ではなくて、半分くらい仕事の取材で。
 推定120箱分(なんだよ、このカウントは……)程度と見える本が、お一人様10冊までの早い者勝ち分捕り合いということで、会場は盛況。許可を貰って10枚弱ほど会場の風景を写真に撮る。(結局使わなかったが)
 私的には、横田順彌の本を2冊ほど手に入れられたのでOK。

 宮﨑勤、二審でも死刑判決。
 当然といえば当然だろうが、それにしても日本の裁判は時間がかかる。


2001年6月29日(金曜日)
 2時間くらい立ち直れないくらい、サイアクの体験をしました。
 ウィークエンドの神保町をうろつきまわり、さらに秋葉原まで久しぶりに足を伸ばして堪能した帰り。京浜東北線が上野駅を過ぎた辺りで、ふと目についたんです。
 あの正面の人物が読んでいる本は、新刊じゃないか……?
 そーいえば発売日は明日……ってことは今日発売?
 で、なんで俺その本買ってないワケ?!
 大ポカ!!
 精神が凍り付きました、完全に。
 こともあろうに、新刊探しで他者の後塵を拝するとは……。一体何のために神保町までの定期を持ってるんだか。
 その後はもう、忍耐力を総動員して自宅まで戻ってきましたよ。心の中では天使が「戻れ、今すぐ戻ればまだ開いている本屋があるぞ!」と全開で叫びまくっていましたが、「明日があるじゃないか」という悪魔の誘惑に全力で荷担したわけです。
 今日は人生に残る大敗北の日として記録したいと思います。

2001年6月30日(土曜日)
 昨日日中は湿度もさほど上がらず、暑いだけで過ごしやすかったというのに、夜になったら熱帯夜かい……。お陰で睡眠が浅い。

 再戦、というわけではないのだけれど、今日は神保町へ出向いて、昨日手に入れられなかった新刊を回收して来る。ついでに『あずまんが2』も見つけたので收集して来る。

 今日はFTRONのチャットだ。