なんか昼、食欲がなくて飯を拔いたら、大層驚かれた。私だって人間ですから、体調の優れない時くらいありますがな。
土曜日は一週間の疲れを取るためにひたすら寢るという生活が、ここ数週間続いているような気がする。良くない傾向だ。
美味しいたこ焼きを好きな時に食べられることが、実はとても幸せなことなのだ、という事を知ったのは、故郷を出てからだった。
名古屋、東京、つくばと三都市での生活の中で、少なくとも蛸入り小麦粉ボール焼きではないたこ焼きを食べられたのは、ほんの数度だ。最初は、こんなもんたこ焼きってゆうて売ったら詐欺やで、とか思っていた私だったが、どうやら同じような感想を抱いている人間は周囲にいないようだったので、これはきっと広島では広島焼きをお好み焼きと呼ぶように、名古屋以東では蛸入り小麦粉ボール焼きのことをたこ焼きと言うのに違いないと悟るに至った。値段も隨分高いし、これは私の知るたこ焼きとは違う食べ物なのだ。(もっとも名古屋の場合はたこ焼きに限らなかったが)
だから時折、たこ焼きと出会った時、我知らず、買い込んでしまったりするのである。
MS-Office 2000のライセンスがやっとこ揃ったので、Access 2000でお仕事……をしたら大騷ぎよ。
インストーラがこけたところで何となく悪い予感はあったのだが、16時頃に最悪の事態を迎える。テーブルが吹っ飛んだ。それはもう、ものの見事な書き込みミス。
あまりの事態に、一瞬で勤労意欲がゼロ以下になる。
しかし、次の二日出張する以上、今日中にこの入力だけは済ませねばならない。テーブルの再設計から始まって、18時から気を取り戻して再入力を開始。
この後、最早セーブ機構を信用できなくなった私は、定期的にエクスポートでcsvファイルへと変換出力をしだす。
21時近くに、また今度は別のエラーでテーブルが開けなくなる。Jetエンジンを最新のものにバージョンアップせよなどと言い出すが、当然できるわけがない。だって今SR-1なんだよ?
あっさり復旧を諦めて、CSVファイルから復活を果たす。この辺で、「一体俺は何のためにAccessを使っているのだろう?」という疑問を脳裡に押し殺すのに苦労していた。勿論、私のためではない。ひたすらテキストエディタで書いて、gawkで整形出力した方が何倍かマシってものだ。
最終的に作業終了時刻は23時。ある程度覚悟はしていたというものの、途中Accessのハングアップやら不正終了やらに悩まされ、最後はブルースクリーンまで見てしまった。
気分としては、ヘルメット被ってタオルで顏を隠して街宣車に乗って、「笹塚に火を放て! 悪辣な資本家に正義の鉄槌を! プロレタリア革命ばんざーい」とかアジりながら笹塚にナパームジェリー入り火炎瓶を3ダースほど放り込みたいところだ。マグネシウム粉末もサービスして。最近落ち目の過激派諸兄は、内ゲバなんぞにうつつを拔かしている暇があったら、今そこにいるブルジョアを粉碎してくれってなもんだ。
シアトルのご本尊とまでは言わないが、笹塚の出張所くらいは爆破しても罰はあたらんと思うぞ。
もう大分疲れてきたので、本当に自分だけ仕事をBTRONに移行しようかなどと考えつつ、また思考は堂々巡りに入る。結局、私一人で仕事をしているわけじゃないってところなんだよねぇ、最後は……。
今の仕事に就いて知ったアンダーグラウンドな商売に、名簿屋、という奴がある。といっても、DM屋などに名簿を売るいわゆる「名簿屋」ではない。紳士録モドキの名簿を作って、掲載者に掲載料を要求する仕事である。
名簿の中に收録する人間にあらかじめ「掲載しても良いか?」との問い合わせを出し、それに署名捺印して返送してきた人間に、法外な掲載料、あるいは名簿を送り付けて代金を要求する。ちなみに掲載許諾書には掲載料についての文言は一切ない。
詐欺紛いというより単なる詐欺なのだが、案外これに引っ掛かる人間は少なくないようで、協会でも時折話題になる。なにやら今がシーズンらしい。
ちなみに訴訟を起こす素振りでも見せようものなら、電光石火で逐電するらしい。
ただ、個人的には後腐れがないように、根枯死にしたほうが良いと思うが……。
(もっとも、協会の現在の体制では追うこともできんね)
今日は定時で退勤して、東京シューレへ。二ヶ月ぶりの学生ゼミ。
人数が少なくて、多く喋れた。
フリースクールと関る中で、よく聞く言葉が、「学校へ行かないと社会性が身に付かない」だ。この言葉を耳にする度に思うのだが「学校へ行ったからといって社会性が身に付くわけでもなかろう?」(笑)。
そもそも社会性という言葉の定義にもめそうだが、とりあえず、学校へ行っていた人間で社会性が身についていない人間を挙げよ、と言われたら、知り合いの中ですら片手では足りないくらいだ。
学校へ行かないというのは、学校へ行くという選択に対する一つの別の選択に過ぎない。それによって得られるものや失うものについては、本人が自分の人生に対して負う責任というものだ。
もう一つ付け加えるなら、人がいて社会があるのであって、社会があって人がいるのではない。どんな人間であれ社会の構成員なのだ。
さて、印刷をKinko'sでやったのだが、これが大騷ぎになった。フォントを埋め込んだPDFにしていったのだが、PSプリンタからきちんと出力できない。Kinko'sのWebサイトには、各店舗が持っているプリンタが載っているので、ある程度合わせたデータを作ったのだが、上手く行かない。なんかエラーが出てるらしい。(プリンタはカウンターの奧にあった)
最後の最後にエラー出力を見た瞬間に、全てが氷解した。
PostScript Level 2で出力してくれ、とエラーが出ていた。私はPostScript3で出力してたんだな、これが。
ったく、最初からエラーを見せろよな、俺に。そしたら、30分も時間を費やすことが無かったのに。ついでに備え付けのPCのドライバの設定をいじらせろ。そしたら次からもっと楽にしてやるから。
小学館から『日本国語大辞典』の第2版の刊行がいよいよ始まる。
日本語の辞書には、あまり良いものがない。岩波の『広辞苑』が日本でもっともポピュラーな辞書と考えられているフシがあるが、『広辞苑』は日本語を母語とし、日常的に操っている人が、言葉の意味を知るためだけに使うならともかく、典拠用例を求める学究の徒にとってはほとほと役に立たない辞書なのである。
OEDをはじめとして、世界の一級の辞書は、その典拠と用例を、偏執的なまでに收集している。いや、それ故にその辞書は一級と呼ばれるのである。それほどまでに、言語における経年蓄積というのは重要なのだ。
現代でこそ、コンピュータの力を借りて、典拠用例を検索し並べ替えることが可能であるが、かつては全てカードである。また、現代においても、古典を読み解き、入力し、取捨選択するのは人間の仕事である。膨大な時間と労力と資本を傾注して、辞書というものは作られるのだ。そしてその中には、人生を編纂に費やしながら、辞書の完成を見ずに終わる人もいるのである。
辞書を手にする時、その辞書の編纂の道半ばにおいて斃れた人々のことを、ほんの僅かでもいいから、想って欲しい。
なお、『日本国語大辞典』の中心的メンバーの一人である松井栄一氏は、三代続く国語辞典編纂者の家系だそうである。(ナンカコンナハナシバッカ……)
R.O.D.の現場を見た、の巻。
書泉ブックタワーに入ったnyちゃんは、1階正面から左へ入ったところに平積された文庫新刊を眺め渡し、次々と手にとって山と抱え込むと、そのままレジへ向かったのであった。ちなみにレジでカバーをかけてもらっていたが、たっぷり10分は一人でレジを占有していたと書けば、どのくらい買ったのか、ご想像頂けることと思う。
到底真似できませんね。
とりあえず、CD-RのメディアとかCDのケースとか、電源周りのパーツとか、ちょっと怪しげなLogicoolのマウスとかを買って帰りました。
Logicoolのマウスは普段から愛用しているんだけれど、今度イメージセンサのものも出たらと聞いて実物を見て来ました。ターゲットはOM44APiシリーズなんだけど、今家で使っているSM-31Rと微妙に形が違って、この違和感が実際の使用でどのくらい影響を及ぼすものか……。
実売価格は5,000円って辺り。折りを見て買ってみようっと。
ちなみに買ったマウスは、バルクなLogitechホイールマウス(笑)。1,980+TAX。職場でSM-31R純正品が非常に好評だったので、古いUSBモデルを一つ手に入れてみたのだ。
明日、協会でイヴェントをやるため、その準備を含めてこれまで忙しかった。しかし流石に「もう翌日」となると、事前折衝の類は殆ど終わり。今日は少しは余裕を持って月報の準備ができた。でも入稿は18日とか言っていたような気がする〜。
明日はスーツ姿で出勤だ。会場でマイクを持って走る役だ(笑)。
……大学でも似たようなことしてた覚えがあるなぁ。
昨日の記述について、nyちゃんから、10冊6,000円程度を一度に買ったくらいでR.O.D.呼ばわりされてはかなわん、と苦情が入った。しかしそれだけ買えば十分だ、と思った。
なお、小熊はそれ程大量の本を一度に買ったりはしない。ちゃんと配本日毎にチェックして、こまめに買っている。よって大量の本を抱えて恍惚の表情を浮かべながら、5秒に1ページの割合で歩き読みしつつ往来したりはしないのである。
昨日購入した怪しいLogitechの古いバルクなマウスの評価は散々であった。所詮バッタもん扱いとなり、SM-31には遠く及ばないと結論づけられ、哀れにも取り外されてしまったのであった。なーむー。
ついでに局員の誰にも知られないように一人SM-31を使っていたY田さんは、非道い奴だという評価も定着したのであった。
実務的な面では、唯一人のヒラ局員である私は、あっちへ走ったりこっちへ走ったり。会場内の音響システムに入出力のループがあったせいでハウリングが起きたりとか、途中ワイヤレスマイクの電池が切れたりとか、小さなトラブルはあったが、おおむね平和だったように思えなくもなかった。
さ、とっとと月報作らにゃ。
【問題】
1 point = 1 / 72 inch、1 inch = 25.4mm、1級(Q) = 1 / 4 mmであるとき、9ポと12級の差はどれだけか答えよ。(3点)
著作権周りの面倒臭い問題を今日はたっぷり感じた。
朝から知恵熱が出るくらい脳が回転していたので、夕刻には頭痛になっていたぞ。金錢的な問題なのか、と問われると答えは否で、どっちかというとモラルとか主義主張とか矜恃とか、そういう方面の問題だから、余計に。
よく、「タダより高いものはない」なんていうけどさ、先立つものがなけりゃ誇りも守れないとあっちゃぁ、世知辛い世の中だねぇって溜め息の一つも吐きたくなるわな。
私は比較的リベラルな人間だと自認しているので、著作権についても、極めて原理原則的な考え方を持っている。それは、「最後には人類全体の共有財産となる」というもの。
ラスコーの壁画を描いたクロマニョン人の著作物は、どう考えても人類の財産であって、個人(あるいは法人)が金儲けのために利用していいようなものではない。我々は、いわばそれを創出した人の才能に敬意を払うことこそを求められているのだ。
つまり、金で換算できないものを保護しないといけないのが、著作権問題の難しいところなのだね……。
『死に様占い』をやってみた。
「家族に見取られて、畳の上で大往生」だった。
「死因:老衰」「死因の種類:自然死及び病死」「死んだ場所:自宅」「あなたの死に様は、 一般的なBランク 」
まあ、私の死に方としては、かなりイイ線いってると思うな、うん。一般人らしくて良いではないか。
先日、杉原千畝の研究をなさっている上智大学の先生からメールを頂いた。まるで故郷からの手紙のような、大変に嬉しい内容だったが、ふと冷靜になって我が身を振り返ると、とても恥ずかしい気分になった。
4年前のあの夏に、まさに山のような文献に埋め尽くされ、翻弄され、「文献電子化だ!」と思い立って図情大へ向かい、そこで日本語処理から多言語処理へと階梯を駆け上がり、気付いてみればヤクザなSE崩れ団体職員。メールを貰ってから改めて自分の研究を振り返ってみようと当時の資料を搜すも、引っ越しの時にどうやら実家に送ってしまったらしく、手元に見当たらない。僅かに参考文献だけが何冊か残っているだけだ。
猫の森には帰れない……。
哀。
一つ仕事を効率化しようとするならば、最低三つの問題を解決せねばならぬ。
というのが、どうやら協会のモットーらしい。もしかしたら協会に限らないのかもしれないが。
別に「万事以前の通り、よしなに」でも良いのだが、不幸にも小熊はそういう世界に慣れていない。慣れれば良いだけなのかもしれないが、三つ子の魂なんとやら、つい悪い虫が蠢いてしまう。自制はしているつもりなのだが。
無論、できるだけ5時までサラリーマンたらんと努力はしているのである。
協会では死人にまつわる仕事が多いと聞かされてはいたが、実際に目の当たりにすると、多少事前の心構えとは別の感想も抱く。
著作権を巡っての遺族の争い、などというのは、確かにこんな所にでも居なければ見えることなど一生なかっただろうが、出会ったからといって私が幸せになれるわけでもなし。持っているだけで年間数千万のお金が転がり込んでくるとなれば、夜討ち朝駆けで対抗馬を蹴落としてでも手に入れたいと思うものらしい。遺族にしてみれば正統な相続を求めているだけなのかもしれないが、横から見れば骨肉の争いに過ぎず。
せめて平凡な家庭生活を築いていてくれれば……と思うが、文藝家にそんなものを求めても栓なきことなのであろう。
面白いからいいけど。(単純に面白がってもいられないのだが、本当は)
馬鹿な問い合わせが一件あった。
内容を要約すると「日本文藝家協会と大日本文學報國會の関係について」なのだが、問い合わせの元となったのが、あの奇天烈な怪文書だったのだから堪らない。つまり問い合わせ主は、文藝家協会が大日本文學報國會と名を変えて反米主義を唱えたかのように誤解してきたのだ。
どこまでも祟るなぁ……。
(註:大日本文學報國會そのものは、戦中に実在した組織で、いわゆる大政翼賛体制下における文学者団体である。戦争遂行に協力するのが目的であり、様々なプロパガンダに活動を行う。戦後解体し、闇に葬り去られた。いわば、文学者にとっての「塗り潰された過去」という奴である。大日本文學報國會と、戦後の新・文藝家協会および戦前の旧文藝家協会との関係は、複雑怪奇極まりなく、一事務員風情が触れられる問題ではない。私だって命は惜しい)
妹から、伯父さんになる心の準備をしとけとメール。妊娠したらしい。来年四月予定とか。
角川春樹事務所のハルキ文庫、9月の新刊はSF特集らしく、秋津透やら朝松健やら岡本賢一やら小川一水といった名前が並んでいて私の財布の中身を圧迫しているわけなのだが、その中に笹本祐一『天使の非常手段』というタイトルがあって、ふとサブタイトルを見ると『RIO 1』となっている。
「RIOだって? あのRIOか?」
とか思うのは当然というものだ。
RIOと言えば笹本祐一の実験作品として名高い。挿絵の代わりにアイドルの写真を使ったという……。小川範子だっけか。で、文庫化されたが久しく絶版であった。
調べてみれば、月刊ドラゴンマガジンでの連載は1989年7月から10月であったわけだから、10年以上を経ての再刊ということになる。(なお、最初の文庫化は1990年)
で、昔のものを思い出しながら買いに行ってみたら、表紙絵は麻宮騎亜で、写真ではなかった。
ちょっと興醒めであった。
局内のネットワーク環境整備を進めるにあたって、将来的にはWebベースでDBの入出力を……と考えている。そこで、今日、実験的にMicrosoft Personal Web Server(PWS)を立ちあげてみた。
あれこれ弄りながら、大体の所は摑めてきたのだが……MIMEタイプの設定がおかしいらしく、Netscape Navigatorから正常に閲覧できない。IEでは正常に表示されるが、これは元々IEがMIMEタイプに関係なく適当に解釋動作するからであって、おかしいのはPWSとIEである。
さて、ここからが問題で、問題点はわかったが解決策が分からない。PWSのどこでMIMEタイプの設定をするのか、マニュアルを精読しても分からないのだ。
Windows2000のIISなら設定することができるらしいので(近い将来Windows2000を導入するつもりでもある)、致命的ではないが、何となく気に入らない。
ちなみに、Webベースにできれば、DBエンジンとフロントエンドが切り離せるので、超漢字でも仕事ができよう、という目論見が僅かながらないでもない。
でもこういうのって、きさらちゃんの方が詳しいんだろうなぁ。
うーん。今日は色々あったんだけど、書けることが少ないぞ。つまり、書けないことが多いってことなんだけど。
まあ、近いうちにどうせ白日の下に晒されることであろうから、なにもこのページで先行して喋る必要などないわな。と、いうわけであっち方面とこっち方面については、暫く注目ってところですね。もうとっくに予兆は出てますから、注意深く見てれば予想はつくかもね。
家に帰ってきたら、北区から国保税の超過納付金還付の連絡が来ていた。ちょっと待て。先月確か納付額が足りんからと言って金を收めさせたろーが! ぐわーっ。まためんどくせー手続きをさせるんだな、お前ら! 何か俺に恨みでもあるのか?
それともデンパなのか!?
ふとヤマギワに寄ったら、NHKの『四大文明』のDVDが発売されていた。ついつい5枚全部買ってきてしまった……。
うーん。なんとなくちょっとだけ駄目人間になった気分。
発熱して寢込む。
頭痛があって、アスピリンを飲んだ。頭痛がおさまってきてみたら、全身がだるく熱っぽいことがわかった。水分補給をこまめにとりながら、氷枕やら氷囊やらで体を冷やす。そして寢る。
今日もちょっと秋葉原へ。ちなみに仕事である。
昨日の裡に済ませれば良かったのだが、つい昨日は雨だったものだから、早く帰りたい一心で、協会で使う機器を一つ買うのを忘れてしまっていたのだ。今週必要なものなので、今日どうしても買いに行くしかなかった。
なんか一歩間違うと「やっぱりデンパじゃん」とか言われそうなので気が進まなかったのだが。
祝・ジャイアンツ、セントラルリーグ制覇! くははははっ。中日ファンの悲鳴が耳に良いわ〜。
きさらちゃん、ありがとう!
P.W.S.とAccessを使ってData Access Pageを立ちあげるところまではなんとか到達した。あとは運用試験をしっかりやって、多重アクセスやら何やらに、きちんと対処できることを確認することが肝要だね。
あとは、Access 97からのデータの移行か……。これも頭が痛い。大量の外字が……。
協会はその性格からして妙に漢字にこだわっているのだが、それは事務処理上に大量の外字という形でのしかかり、足枷となっているわけだ。どうやら、誰をも満足させる解はないらしい。
定時後に、最後の最後と思ってgawkスクリプトを書く。
しこしこ書いて、狙った通りの動きをするようになったところで、生成物を確認してみると、なんかおかしい。予定通りのデータが出てきていない。
あちこちチェックするも、原因が摑めず、15分くらい悩む。
そして最後に、「もしかして元データが間違っているのでは?」と思い立ち、Accessを立ちあげて確認してみると……思った通りだった。
ふう。
明日はDigital Library Workshop参加のため、つくば行きです。ちなみに、お仕事となっています。
DL Workshopでは興味深い話題が何件か。個人的に一番興があったのは九州大学附属図書館の「イメージによる図書目録カード検索システム」ですかね。なにしろ、数百万枚の目録カードを高速スキャナで取り込んで、全部イメージにして、仮想的なカードボックスを作るというのだから豪気だ。ここまで割り切ってしまえば、いっそのこと清々しいとも言える。とりあえず物理的制約から解き放たれるだけでも十分というわけだね。
招待講演2件については、どちらもあとで報告を書くのに気が重い。結局技術主導の電子図書館計画には、著作権を考えている余裕はないということなのだろうか。
DL Workshopが終わった後、一度協会に電話をかけて簡単に報告をし、今日の動きを聞いたあと、長澤孃とだべる。そうか、糸野自殺未遂事件(笑)の引鉄を引いたのは長澤孃だったのか。そして18時半からの、ささやかな呑み会に参加する。反省を踏まえて、酒は控え目に。
っつーか、明日も仕事だからね。
竹居さんが駅まで送ってくれると申し出てくれていたのだが、結局呑み会の関係で申し出を受けられず、高速バスで帰る。上野で降りて、ふと、ふらふらと22時までやってる某森に入って手提げ袋に一杯分の本を買って出てきてしまった。
いかんいかん。これではあちこちから「R.O.Dだ」とか「デンパだデンパ」などとあらぬことを言われてしまう。
明日は理事会なので、今日はその準備に皆が追われていた。私も昨日の分を片付けねばならなかったりしてなかなかに忙しかった。
しかしそれは間違っても、22時過ぎに帰宅することの理由にはならないはずだ。
忙殺、という言葉の裏の意味はもしかして過労死か?
先日、伊東さんに「日記のネタがパターン化している」と言われてちょっとショック。
別に多種多様かつ多彩で極彩な日記を目指しているわけではないが、マンネリはいかんと思う。
かといってあまりに話題を広げ過ぎると、何がなんだか自分でもわからなくなりそうだ。一歩間違うと、「理解不能な話題をデンパのように撒き散らしている」と誤解されかねないし。
悩ましいものだ。