哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2000年9月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、並びにパーソナルメディア社は関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2000年9月1日(金曜日)
 なんかメ一杯仕事した気分。
 Win98上でgawkを使ってがりがりとテキスト処理。やっぱsedやawkのような小回りの利くツールが必要ですよねぇ。何をするにもまず巨大アプリ、とかいうのはよろしくない。……っちゅーか、OSをアプリケーションランチャー以上の使い方をするつもりなら、こういうのって必須だと思う。
 手作りの名簿をgawkで整形してMS-Wordで取り込んで差し込み印刷。こうするだけで、60人からに送る定型文書がすいすい作れるってものだ。
 超漢字だったら、マイクロカードの印刷機能でなんとかなるかな。gawkの代わりはマイクロスクリプトにやらせて……あまり良くないか。

 なんか昼、食欲がなくて飯を拔いたら、大層驚かれた。私だって人間ですから、体調の優れない時くらいありますがな。


2000年9月2日(土曜日)
 暫く前の話になるが、通産省工業技術院大阪工業技術研究所で、これまでにない高効率の熱電発電用の材料を開発したとの報道があった。紙面での取扱は非常に小さかったが、これは実はかなり重大なことである。
 人類が最も簡単に作り出せるエネルギー形態は熱である。物を燃やしてもいいし、なんだったら核分裂だって核融合だってOKだ。また、摩擦熱という形で、二次的に熱を生み出している場合もある。
 一方で、人類が最も利用しやすい形のエネルギーは現在の所電気である。
 この電気への変換が、産業革命以降の人類にとって大きな課題の一つであったわけだ。
 例えば火力発電などでは、熱の力で水を沸かして蒸気の力で羽根車を回し、この軸回転から電力を生み出す。ちょっと考えれば分かるが、あまり効率は良くない。原子力発電だって理屈は一緒で、湯を沸かすのに重油を使うかウランを使うかくらいの違いしかない。
 「廃熱」などと言うが、要するに電気に変換できなかった熱エネルギーがかなり出ている。そしてこいつらはどーしょーもないので、温水プールになっていたりする。
 そういう大がかりな所だけではなく、大も小も、人間の作った機械という奴は、とかく熱を出す。摩擦熱や抵抗熱、反応熱、燃焼熱……挙げ句の果てには人間の体温。
 こういった熱を効率良く電気へ変換できたら? エネルギーの利用効率は飛躍的に高まることになる。
 記事によると、変換効率は20%前後という話。これは一般的な太陽電池に匹敵する(ちなみに、これまでの熱電対の発電効率は1%程度)。何となく、わくわくする記事だった。

 土曜日は一週間の疲れを取るためにひたすら寢るという生活が、ここ数週間続いているような気がする。良くない傾向だ。

 美味しいたこ焼きを好きな時に食べられることが、実はとても幸せなことなのだ、という事を知ったのは、故郷を出てからだった。
 名古屋、東京、つくばと三都市での生活の中で、少なくとも蛸入り小麦粉ボール焼きではないたこ焼きを食べられたのは、ほんの数度だ。最初は、こんなもんたこ焼きってゆうて売ったら詐欺やで、とか思っていた私だったが、どうやら同じような感想を抱いている人間は周囲にいないようだったので、これはきっと広島では広島焼きをお好み焼きと呼ぶように、名古屋以東では蛸入り小麦粉ボール焼きのことをたこ焼きと言うのに違いないと悟るに至った。値段も隨分高いし、これは私の知るたこ焼きとは違う食べ物なのだ。(もっとも名古屋の場合はたこ焼きに限らなかったが)
 だから時折、たこ焼きと出会った時、我知らず、買い込んでしまったりするのである。


2000年9月3日(日曜日)
 東急ハンズへお買い物……へ行ったら凄い人出だった。なんかフェアをやっていたらしい。いそいそと6F、4F、3Fと回って必要な部材を買ってくる。この辺、確かにつくばに住んでいた頃より便利になったと思う。しかし車がなくなった分だけ、運搬が面倒。
 家に帰って一休みして……そのままお昼寢してしまう。
 夕刻、思い出して慌てて秋葉原へ出かける。仕事で、注文していたソフトウェアの引き取り。月曜日の退勤後にしようかと思っていたのだが、火曜水曜とお出かけすることになったため、月曜日は恐らくハードワークになる。それを見越し、休日に取りに行くことにしていたのを、うっかり忘れかけてた。
 さ。今週もお仕事お仕事。
(BTRON Clubの原稿、いつ作ればいいねんな?)
2000年9月4日(月曜日)
 家に帰ってきたら日付が変わっていたぞっ。

 MS-Office 2000のライセンスがやっとこ揃ったので、Access 2000でお仕事……をしたら大騷ぎよ。
 インストーラがこけたところで何となく悪い予感はあったのだが、16時頃に最悪の事態を迎える。テーブルが吹っ飛んだ。それはもう、ものの見事な書き込みミス。
 あまりの事態に、一瞬で勤労意欲がゼロ以下になる。
 しかし、次の二日出張する以上、今日中にこの入力だけは済ませねばならない。テーブルの再設計から始まって、18時から気を取り戻して再入力を開始。
 この後、最早セーブ機構を信用できなくなった私は、定期的にエクスポートでcsvファイルへと変換出力をしだす。
 21時近くに、また今度は別のエラーでテーブルが開けなくなる。Jetエンジンを最新のものにバージョンアップせよなどと言い出すが、当然できるわけがない。だって今SR-1なんだよ?
 あっさり復旧を諦めて、CSVファイルから復活を果たす。この辺で、「一体俺は何のためにAccessを使っているのだろう?」という疑問を脳裡に押し殺すのに苦労していた。勿論、私のためではない。ひたすらテキストエディタで書いて、gawkで整形出力した方が何倍かマシってものだ。
 最終的に作業終了時刻は23時。ある程度覚悟はしていたというものの、途中Accessのハングアップやら不正終了やらに悩まされ、最後はブルースクリーンまで見てしまった。
 気分としては、ヘルメット被ってタオルで顏を隠して街宣車に乗って、「笹塚に火を放て! 悪辣な資本家に正義の鉄槌を! プロレタリア革命ばんざーい」とかアジりながら笹塚にナパームジェリー入り火炎瓶を3ダースほど放り込みたいところだ。マグネシウム粉末もサービスして。最近落ち目の過激派諸兄は、内ゲバなんぞにうつつを拔かしている暇があったら、今そこにいるブルジョアを粉碎してくれってなもんだ。
 シアトルのご本尊とまでは言わないが、笹塚の出張所くらいは爆破しても罰はあたらんと思うぞ。

 もう大分疲れてきたので、本当に自分だけ仕事をBTRONに移行しようかなどと考えつつ、また思考は堂々巡りに入る。結局、私一人で仕事をしているわけじゃないってところなんだよねぇ、最後は……。


2000年9月5日(火曜日)
 Content Management Forum 2000@東京ファッションタウンへ行ってきました。
 とりあえず、話を聞くだけって感じだったけど。
 しっかし……なんというか、発想自体はT.H.ネルソンのXanaduからあんまり進歩してないような気がするねぇ、こういうネットワーク上での著作権管理/課金システムってぇのは。
 そういうわけで、明日も有明行き。
2000年9月6日(水曜日)
 今日もContent Management Forum 2000へ行ってました。
 とはいえ、資料を貰って座ってるだけって感じでしたけどね。資料さえ見れば、話されている内容については殆ど理解可能な世界。そんなに目新しいこともなかったし。もっとも、その場で最新の電子透かし技術を懇々と説明されても、こっちは理解できなかっただろうけどね(笑)。
 流通管理ってのが、コンテンツビジネスにとっては最も大きな課題で、それを何とかして解決せむと躍起になっているわけなのだが、多分現実的な解決策はないと思う。コンテンツのデジタル化とコンピュータの高性能化、そして高速なネットワークの普及は、その気になればCD1枚のナカミを丸ごと転送することを可能にしてしまったし、可能になってしまえばヤっちまうのが人間の本質だ。あとは費用対効果の問題が残っているだけ。これについても倍倍ゲームで進むコンピュータ環境の高度化によって、どんどん閾値は下がっていくと見て良い。
 こうなると、いかにして著作者とその周辺業者は食っていくかというのが大きな課題になるわけだ。文筆家・作曲家・画家などの一次生産者もそうだし、出版社・音楽事務所・放送局などの二次生産者も、最後の流通・小売り業者もだ。
 より切実なのは、二次生産者と流通の方であることは言うまでもない。彼らはこれまで著作物を独占的に配布することによって收益を上げていたというのに、デジタルネットワーク社会になって、流通を統制できなくなれば、大打撃というものだ。拳銃で犯人を射殺して万事解決じゃないぞ(謎)。
 一方でコンテンツを作って食っている人間については、江戸時代並みの待遇になる可能性がある一方で、スティーブン・キングのように上手く立ち回ればそれなりに收入を確保できるかもしれない。全ては作者の才覚次第といったところなのだが……そんな商売上手な人間が芸術で食っていこうなどと考えるだろうか……?
 はてさて、面倒な問題だよ。
 おいらは一介の歴史学徒の筈なんだけどな。
2000年9月7日(木曜日)
 今日も午前様じゃん。
(つまりこの日記は8日に書いているわけ)

 今の仕事に就いて知ったアンダーグラウンドな商売に、名簿屋、という奴がある。といっても、DM屋などに名簿を売るいわゆる「名簿屋」ではない。紳士録モドキの名簿を作って、掲載者に掲載料を要求する仕事である。
 名簿の中に收録する人間にあらかじめ「掲載しても良いか?」との問い合わせを出し、それに署名捺印して返送してきた人間に、法外な掲載料、あるいは名簿を送り付けて代金を要求する。ちなみに掲載許諾書には掲載料についての文言は一切ない。
 詐欺紛いというより単なる詐欺なのだが、案外これに引っ掛かる人間は少なくないようで、協会でも時折話題になる。なにやら今がシーズンらしい。
 ちなみに訴訟を起こす素振りでも見せようものなら、電光石火で逐電するらしい。
 ただ、個人的には後腐れがないように、根枯死にしたほうが良いと思うが……。
(もっとも、協会の現在の体制では追うこともできんね)

 今日は定時で退勤して、東京シューレへ。二ヶ月ぶりの学生ゼミ。
 人数が少なくて、多く喋れた。
 フリースクールと関る中で、よく聞く言葉が、「学校へ行かないと社会性が身に付かない」だ。この言葉を耳にする度に思うのだが「学校へ行ったからといって社会性が身に付くわけでもなかろう?」(笑)。
 そもそも社会性という言葉の定義にもめそうだが、とりあえず、学校へ行っていた人間で社会性が身についていない人間を挙げよ、と言われたら、知り合いの中ですら片手では足りないくらいだ。
 学校へ行かないというのは、学校へ行くという選択に対する一つの別の選択に過ぎない。それによって得られるものや失うものについては、本人が自分の人生に対して負う責任というものだ。
 もう一つ付け加えるなら、人がいて社会があるのであって、社会があって人がいるのではない。どんな人間であれ社会の構成員なのだ。


2000年9月8日(金曜日)
 休日を前にしても、気分が全然晴れない。一週間を振り返ると、自分自身に鉄拳制裁を食らわせたくなる。
 つまり上手く仕事をこなすことができなかった、ということなのだが。
 もちろん外的要因も絡んでいて、特に落ちまくるMSのアプリとか、落ちまくるMSのOSとか、叫びたくなるほどの理不尽とか。とりわけこの疲労の大部分はMS-Access 2000に起因することは間違いなかろう。
 ただそれ以上に自分を苛立たしめているのは、生活の糧を得るための仕事って奴が、自分のやりたいことをやる時間を奪いかけていること、それを阻止できないこと、
 元に戻るが、つまり上手く仕事をこなすことができなかった、ということなのだな。自分の無能さに腹が立つ。
 もっともっと有能で優秀な人間になりたい。
2000年9月9日(土曜日)
 今日はBTRON Clubの原稿を作ってました。実は〆切は昨日でした。松為さんに頭を下げて月曜まで伸ばしてもらったわけです。
 ちなみにお題は超漢字で実裝された縦書き機能について。
 と書いただけで、「あのことか……」とか思う人もおられることだろう。なんのことかさっぱりわからん、と云う人は、BTRON Clubの発表を震えて待て!(謎爆)

 さて、印刷をKinko'sでやったのだが、これが大騷ぎになった。フォントを埋め込んだPDFにしていったのだが、PSプリンタからきちんと出力できない。Kinko'sのWebサイトには、各店舗が持っているプリンタが載っているので、ある程度合わせたデータを作ったのだが、上手く行かない。なんかエラーが出てるらしい。(プリンタはカウンターの奧にあった)
 最後の最後にエラー出力を見た瞬間に、全てが氷解した。
 PostScript Level 2で出力してくれ、とエラーが出ていた。私はPostScript3で出力してたんだな、これが。
 ったく、最初からエラーを見せろよな、俺に。そしたら、30分も時間を費やすことが無かったのに。ついでに備え付けのPCのドライバの設定をいじらせろ。そしたら次からもっと楽にしてやるから。

 小学館から『日本国語大辞典』の第2版の刊行がいよいよ始まる。
 日本語の辞書には、あまり良いものがない。岩波の『広辞苑』が日本でもっともポピュラーな辞書と考えられているフシがあるが、『広辞苑』は日本語を母語とし、日常的に操っている人が、言葉の意味を知るためだけに使うならともかく、典拠用例を求める学究の徒にとってはほとほと役に立たない辞書なのである。
 OEDをはじめとして、世界の一級の辞書は、その典拠と用例を、偏執的なまでに收集している。いや、それ故にその辞書は一級と呼ばれるのである。それほどまでに、言語における経年蓄積というのは重要なのだ。
 現代でこそ、コンピュータの力を借りて、典拠用例を検索し並べ替えることが可能であるが、かつては全てカードである。また、現代においても、古典を読み解き、入力し、取捨選択するのは人間の仕事である。膨大な時間と労力と資本を傾注して、辞書というものは作られるのだ。そしてその中には、人生を編纂に費やしながら、辞書の完成を見ずに終わる人もいるのである。
 辞書を手にする時、その辞書の編纂の道半ばにおいて斃れた人々のことを、ほんの僅かでもいいから、想って欲しい。
 なお、『日本国語大辞典』の中心的メンバーの一人である松井栄一氏は、三代続く国語辞典編纂者の家系だそうである。(ナンカコンナハナシバッカ……)


2000年9月10日(日曜日)
 nyちゃんにテレビをあげるの巻。
 nyちゃんが住民票を置いている建物にケーブルTVが入ったとかで、大きなテレヴィヂョンセットが欲しいとnyちゃんが零したところ、丁度新しいTVを買った私の家で余ったTVを進呈することになった。NEC製のTVチューナー付きのディスプレイモニター。但し最高解像度はVGA(笑)。640×400対応。懷かしいシロモノである。
 精度を高めるためか技術力のなさを糊塗するためか、とにかく比重の重いディスプレイで、散々苦労してキャリーに搭載。待ち合わせ場所へ向かう。
 待ち合わせ場所は秋葉原
 ……と、ここで余談だが、図情大で同期だった都筑くんは、この哀愁日記を読んで『「秋葉原に毎日通っている、デンパな駄目人間」に生まれ変わった、という風にしか読めない』との感想を寄越した。
 とんでもない誤読というものだ。平日に秋葉原に行く時はおおむね仕事であるし、そうでない時も、大概やむなき事情があるのである。デンパを浴びにアキバへ行くような駄目人間と一緒にしないでほしいものだ。
 閑話休題。
 えっちらおっちらディスプレイを積んだキャリーを引きずり、時に抱えて運んで、なんとか待ち合わせ場所に辿り着いてみれば、nyちゃんは「持ってきたの?」と宣った。
 考えてみれば、秋葉原を巡った後に王子神谷まで取りにこさせれば良かったのだ……。ボーンヘッド。
 このため、nyちゃんはこの日、巨大な荷物を積んだキャリーを引きずりながら秋葉原を巡ることになったのでした。ちゃんちゃん☆

 R.O.D.の現場を見た、の巻。
 書泉ブックタワーに入ったnyちゃんは、1階正面から左へ入ったところに平積された文庫新刊を眺め渡し、次々と手にとって山と抱え込むと、そのままレジへ向かったのであった。ちなみにレジでカバーをかけてもらっていたが、たっぷり10分は一人でレジを占有していたと書けば、どのくらい買ったのか、ご想像頂けることと思う。
 到底真似できませんね。

 とりあえず、CD-RのメディアとかCDのケースとか、電源周りのパーツとか、ちょっと怪しげなLogicoolのマウスとかを買って帰りました。
 Logicoolのマウスは普段から愛用しているんだけれど、今度イメージセンサのものも出たらと聞いて実物を見て来ました。ターゲットはOM44APiシリーズなんだけど、今家で使っているSM-31Rと微妙に形が違って、この違和感が実際の使用でどのくらい影響を及ぼすものか……。
 実売価格は5,000円って辺り。折りを見て買ってみようっと。
 ちなみに買ったマウスは、バルクなLogitechホイールマウス(笑)。1,980+TAX。職場でSM-31R純正品が非常に好評だったので、古いUSBモデルを一つ手に入れてみたのだ。


2000年9月11日(月曜日)
 なんとなく寢不足な月曜日。眠りが浅いのは元々なんだけど、最近特に眠りが浅い。なぜだ……?

 明日、協会でイヴェントをやるため、その準備を含めてこれまで忙しかった。しかし流石に「もう翌日」となると、事前折衝の類は殆ど終わり。今日は少しは余裕を持って月報の準備ができた。でも入稿は18日とか言っていたような気がする〜。
 明日はスーツ姿で出勤だ。会場でマイクを持って走る役だ(笑)。
 ……大学でも似たようなことしてた覚えがあるなぁ。

 昨日の記述について、nyちゃんから、10冊6,000円程度を一度に買ったくらいでR.O.D.呼ばわりされてはかなわん、と苦情が入った。しかしそれだけ買えば十分だ、と思った。
 なお、小熊はそれ程大量の本を一度に買ったりはしない。ちゃんと配本日毎にチェックして、こまめに買っている。よって大量の本を抱えて恍惚の表情を浮かべながら、5秒に1ページの割合で歩き読みしつつ往来したりはしないのである。

 昨日購入した怪しいLogitechの古いバルクなマウスの評価は散々であった。所詮バッタもん扱いとなり、SM-31には遠く及ばないと結論づけられ、哀れにも取り外されてしまったのであった。なーむー。
 ついでに局員の誰にも知られないように一人SM-31を使っていたY田さんは、非道い奴だという評価も定着したのであった。


2000年9月12日(火曜日)
 なんというか……協会の性格を見たような気がする。
 今日はちょっとした説明会みたいなものを協会で開いたわけなんだが、なんというか、歴史学会でもこれほどひどくはなかったような気がする、と書けば、一部の人間は大いに驚くのではないかと。
「ってゆーか、ヒトの話聞けよ!」
 まあ、私のような羊のごとき従順な性格では作家などという職業はやっていられないのかもしれないがね。

 実務的な面では、唯一人のヒラ局員である私は、あっちへ走ったりこっちへ走ったり。会場内の音響システムに入出力のループがあったせいでハウリングが起きたりとか、途中ワイヤレスマイクの電池が切れたりとか、小さなトラブルはあったが、おおむね平和だったように思えなくもなかった。
 さ、とっとと月報作らにゃ。


2000年9月13日(水曜日)
 今日一日で月報がなんとか形になる。これなら月曜入稿はばっちりだね。
 しかし今日一日の中でMS-Wordが落ちること4度。一度はファイルをロックしたままこけてくれてあちこち走りまわることになってしまったし。
 こういうことはやめて欲しいもんだ。
 MS製品を使わずに仕事をすりゃ済む話なんだが、MacOS上にInDesignとかSMI Edicolorを搭載して仕事をするとなると初期投資がただならぬ事態になってしまうし、上の裁可も下りんだろう。それ以上に、私の仕事が増えてしまう……いやそれ以上に、この不況の中頑張っておられる中小の印刷所のお仕事を奪うのは、人の道にもとることではないか。
 個人的には沖データの新製品にはくらくらきているが、しかぁし、トナーを熱圧着するページプリンタとオフセット版を作っての印刷とでは出来が違うのである。触れば分かるのである。
 ちなみにこれは基本技能である。
 異常技能というのは、9ポと12級を見分けるようなのを言うのである。

【問題】
 1 point = 1 / 72 inch、1 inch = 25.4mm、1級(Q) = 1 / 4 mmであるとき、9ポと12級の差はどれだけか答えよ。(3点)


2000年9月14日(木曜日)
 昨日の問題を律義に解いてメールしてきたのが約一名
 暇なのか?(笑)

 著作権周りの面倒臭い問題を今日はたっぷり感じた。
 朝から知恵熱が出るくらい脳が回転していたので、夕刻には頭痛になっていたぞ。金錢的な問題なのか、と問われると答えは否で、どっちかというとモラルとか主義主張とか矜恃とか、そういう方面の問題だから、余計に。
 よく、「タダより高いものはない」なんていうけどさ、先立つものがなけりゃ誇りも守れないとあっちゃぁ、世知辛い世の中だねぇって溜め息の一つも吐きたくなるわな。
 私は比較的リベラルな人間だと自認しているので、著作権についても、極めて原理原則的な考え方を持っている。それは、「最後には人類全体の共有財産となる」というもの。
 ラスコーの壁画を描いたクロマニョン人の著作物は、どう考えても人類の財産であって、個人(あるいは法人)が金儲けのために利用していいようなものではない。我々は、いわばそれを創出した人の才能に敬意を払うことこそを求められているのだ。
 つまり、金で換算できないものを保護しないといけないのが、著作権問題の難しいところなのだね……。

 『死に様占い』をやってみた。
「家族に見取られて、畳の上で大往生」だった。
「死因:老衰」「死因の種類:自然死及び病死」「死んだ場所:自宅」「あなたの死に様は、 一般的なBランク 」
 まあ、私の死に方としては、かなりイイ線いってると思うな、うん。一般人らしくて良いではないか。


2000年9月15日(金曜日)
 某デンパ大阪が、職場の先輩の子女にオタキング扱いされて困ったと日記に書いていた。困った子供たちだ。彼は広いオタクではなくて、深いオタクなのだ。『カードキャプターさくら』に関しては並みのオタクだが、こと『きまぐれオレンジロード』となれば、全放送日程からサブタイトル、作監、美監までそらで言えるような奴なのだ。全話のセリフを一言一句間違いなく記憶しているという未確認情報もあるくらいだ。
 平凡なオタク並みの知識しか披露できなかった彼は、激しく凹んでいるようだった。
 哀しいオタクの性という奴なのだろう。私には理解できないが
 しかし、思うのだ。「10歳程度の子が『きまオレ』を知ってたら激恐いぞ……」と。

 先日、杉原千畝の研究をなさっている上智大学の先生からメールを頂いた。まるで故郷からの手紙のような、大変に嬉しい内容だったが、ふと冷靜になって我が身を振り返ると、とても恥ずかしい気分になった。
 4年前のあの夏に、まさに山のような文献に埋め尽くされ、翻弄され、「文献電子化だ!」と思い立って図情大へ向かい、そこで日本語処理から多言語処理へと階梯を駆け上がり、気付いてみればヤクザなSE崩れ団体職員。メールを貰ってから改めて自分の研究を振り返ってみようと当時の資料を搜すも、引っ越しの時にどうやら実家に送ってしまったらしく、手元に見当たらない。僅かに参考文献だけが何冊か残っているだけだ。
 猫の森には帰れない……。
 


2000年9月16日(土曜日)
 Knock Down。
2000年9月17日(日曜日)
 昨日は酷かった。
 BTRON Clubの新年度だというわけで、茨木さんから杉勇が振る舞われたんですが、呑み過ぎてしまいました。大吟釀の口当たりの良さに、ついパカパカと呑んでしまい、ふらふらに。
 結局徹夜カラオケは辞退させてもらって、家に帰ってバタンキュー。
 すまぬ>その筋の人。
 っちゅーわけで、なんとか昼前には起きてメールをチェックしたりなんたりして、あとは家でごろごろしていた。本の整理なんかもしなきゃいけないんだけど、山積みになったままだしね。
 そーいえば、蔵書目録を作ろうと思って、まだ手付かずだ。一体どういう風にしたら上手く行くものかな。

2000年9月18日(月曜日)
 三日間、仕事は休みだったのだが、その間も社会の方は容赦無く動いているワケで、月曜に出勤した後の憂鬱の種は、そこら辺に集約されているんだと思う。つまり、勤務はなくても仕事は溜まっているわけ(笑)。
 で、毎週月曜は、とにかくシャカリキになって土日に蓄積されたものを処理することになる。今日にいたっては金曜の分も。
 ふう。
「せめて人死にが出てないのが幸いだね」
 なんて不謹愼なことを言っていたら、夕刻、会員の訃報が……。

 一つ仕事を効率化しようとするならば、最低三つの問題を解決せねばならぬ。
 というのが、どうやら協会のモットーらしい。もしかしたら協会に限らないのかもしれないが。
 別に「万事以前の通り、よしなに」でも良いのだが、不幸にも小熊はそういう世界に慣れていない。慣れれば良いだけなのかもしれないが、三つ子の魂なんとやら、つい悪い虫が蠢いてしまう。自制はしているつもりなのだが。
 無論、できるだけ5時までサラリーマンたらんと努力はしているのである。


2000年9月19日(火曜日)
 比較的平常であった火曜日。

 協会では死人にまつわる仕事が多いと聞かされてはいたが、実際に目の当たりにすると、多少事前の心構えとは別の感想も抱く。
 著作権を巡っての遺族の争い、などというのは、確かにこんな所にでも居なければ見えることなど一生なかっただろうが、出会ったからといって私が幸せになれるわけでもなし。持っているだけで年間数千万のお金が転がり込んでくるとなれば、夜討ち朝駆けで対抗馬を蹴落としてでも手に入れたいと思うものらしい。遺族にしてみれば正統な相続を求めているだけなのかもしれないが、横から見れば骨肉の争いに過ぎず。
 せめて平凡な家庭生活を築いていてくれれば……と思うが、文藝家にそんなものを求めても栓なきことなのであろう。
 面白いからいいけど。(単純に面白がってもいられないのだが、本当は)

 馬鹿な問い合わせが一件あった。
 内容を要約すると「日本文藝家協会と大日本文學報國會の関係について」なのだが、問い合わせの元となったのが、あの奇天烈な怪文書だったのだから堪らない。つまり問い合わせ主は、文藝家協会が大日本文學報國會と名を変えて反米主義を唱えたかのように誤解してきたのだ。
 どこまでも祟るなぁ……。
(註:大日本文學報國會そのものは、戦中に実在した組織で、いわゆる大政翼賛体制下における文学者団体である。戦争遂行に協力するのが目的であり、様々なプロパガンダに活動を行う。戦後解体し、闇に葬り去られた。いわば、文学者にとっての「塗り潰された過去」という奴である。大日本文學報國會と、戦後の新・文藝家協会および戦前の旧文藝家協会との関係は、複雑怪奇極まりなく、一事務員風情が触れられる問題ではない。私だって命は惜しい)

 から、伯父さんになる心の準備をしとけとメール。妊娠したらしい。来年四月予定とか。


2000年9月20日(水曜日)
 手品には、種も仕掛けもある。
 だから、なんでも一瞬でできる、などと思われるのは困る。墨俣の一夜城だって、事前の綿密な下準備があってこそ。
 重要なのは、その「下準備」の方をどれだけ日常の業務の中に折り込むかであろう。その場その場で仕事をせずに、先を考え、多少工数が多くなっても再利用製が高いデータ作りを心掛けることが重要であろう。
 ……こんなことを周知徹底させたいな。

 角川春樹事務所のハルキ文庫、9月の新刊はSF特集らしく、秋津透やら朝松健やら岡本賢一やら小川一水といった名前が並んでいて私の財布の中身を圧迫しているわけなのだが、その中に笹本祐一『天使の非常手段』というタイトルがあって、ふとサブタイトルを見ると『RIO 1』となっている。
「RIOだって? あのRIOか?」
 とか思うのは当然というものだ。
 RIOと言えば笹本祐一の実験作品として名高い。挿絵の代わりにアイドルの写真を使ったという……。小川範子だっけか。で、文庫化されたが久しく絶版であった。
 調べてみれば、月刊ドラゴンマガジンでの連載は1989年7月から10月であったわけだから、10年以上を経ての再刊ということになる。(なお、最初の文庫化は1990年)
 で、昔のものを思い出しながら買いに行ってみたら、表紙絵は麻宮騎亜で、写真ではなかった。
 ちょっと興醒めであった。


2000年9月21日(木曜日)
 徳間書店の社長が死んだ。
 徳間書店というと、残念ながらあまり良い印象がない。本の在庫が少なく、欲しい本が絶版になっていることが少なくなかった。経営戦略としては在庫を減らすのは当然なのだろうが、その根拠たるべき市場調査が充分であったかと問いたくもなるのだ。その一方で、銀河英雄伝説を使ったあざといまでの商売を見るにつけ、この会社は……と思っていた。
 一代で徳間書店を築いた男の死は、日本の出版界に何をもたらすだろうか。
 ……ジブリの方が問題か?(笑)

 局内のネットワーク環境整備を進めるにあたって、将来的にはWebベースでDBの入出力を……と考えている。そこで、今日、実験的にMicrosoft Personal Web Server(PWS)を立ちあげてみた。
 あれこれ弄りながら、大体の所は摑めてきたのだが……MIMEタイプの設定がおかしいらしく、Netscape Navigatorから正常に閲覧できない。IEでは正常に表示されるが、これは元々IEがMIMEタイプに関係なく適当に解釋動作するからであって、おかしいのはPWSとIEである。
 さて、ここからが問題で、問題点はわかったが解決策が分からない。PWSのどこでMIMEタイプの設定をするのか、マニュアルを精読しても分からないのだ。
 Windows2000のIISなら設定することができるらしいので(近い将来Windows2000を導入するつもりでもある)、致命的ではないが、何となく気に入らない。
 ちなみに、Webベースにできれば、DBエンジンとフロントエンドが切り離せるので、超漢字でも仕事ができよう、という目論見が僅かながらないでもない。
 でもこういうのって、きさらちゃんの方が詳しいんだろうなぁ。


2000年9月22日(金曜日)
 今日はお仕事で日本近代文学館へ行った。内容についてはごにょごにょごにょ。精神的に疲れる内容ではあった。
 身の丈に合った服を着よう、という話。

 うーん。今日は色々あったんだけど、書けることが少ないぞ。つまり、書けないことが多いってことなんだけど。
 まあ、近いうちにどうせ白日の下に晒されることであろうから、なにもこのページで先行して喋る必要などないわな。と、いうわけであっち方面とこっち方面については、暫く注目ってところですね。もうとっくに予兆は出てますから、注意深く見てれば予想はつくかもね。

 家に帰ってきたら、北区から国保税の超過納付金還付の連絡が来ていた。ちょっと待て。先月確か納付額が足りんからと言って金を收めさせたろーが! ぐわーっ。まためんどくせー手続きをさせるんだな、お前ら! 何か俺に恨みでもあるのか?
 それともデンパなのか!?


2000年9月23日(土曜日)
 秋葉原へ行く。
 友人が「CD-ROMが壞れた。予算2,000円で出物がないか搜してくれ」と言うので、怪しいお店を中心に歩いたのだが、不幸にも予算内で買えるものはせいぜい4倍速であることがわかったのみに終わる。不幸な奴。

 ふとヤマギワに寄ったら、NHKの『四大文明』のDVDが発売されていた。ついつい5枚全部買ってきてしまった……。
 うーん。なんとなくちょっとだけ駄目人間になった気分。

 発熱して寢込む。
 頭痛があって、アスピリンを飲んだ。頭痛がおさまってきてみたら、全身がだるく熱っぽいことがわかった。水分補給をこまめにとりながら、氷枕やら氷囊やらで体を冷やす。そして寢る。


2000年9月24日(日曜日)
 熱は大分引いたのだが、今度はお腹が空いた。
 ご飯を炊いて、何をおかずにしようかと思案するも、昨日今日と近所の豆腐屋さんが閉まっているため、美味しい豆腐も美味しい油揚げも美味しいおからも手に入らない。仕方ないので近所のスーパーへ出向く。
 とりあえずハンバーグにでもしますか、と腹を括って挽き肉を買ってくるのであった。

 今日もちょっと秋葉原へ。ちなみに仕事である。
 昨日の裡に済ませれば良かったのだが、つい昨日は雨だったものだから、早く帰りたい一心で、協会で使う機器を一つ買うのを忘れてしまっていたのだ。今週必要なものなので、今日どうしても買いに行くしかなかった。
 なんか一歩間違うと「やっぱりデンパじゃん」とか言われそうなので気が進まなかったのだが。

 祝・ジャイアンツ、セントラルリーグ制覇! くははははっ。中日ファンの悲鳴が耳に良いわ〜。

 きさらちゃん、ありがとう!


2000年9月25日(月曜日)
 スケジュールを見るのも嫌な一週間の始まり、始まり(笑)。
 まあ、先に忙しいことが分かっているわけだから、いろいろ準備できていいのかも知れない。
 そんなこと言っていると死人が出たりするから、世の中って奴ぁ……。
 マーフィイズムはこの世の真理だと思ったね。
 今日の目標は、「豆腐屋さんが開店している時間内に帰宅して、豆腐とワカメの味噌汁を作る!」だったのだが、22時退勤じゃどーにもなりません。残業手当だけが増えていくなぁ。

 P.W.S.とAccessを使ってData Access Pageを立ちあげるところまではなんとか到達した。あとは運用試験をしっかりやって、多重アクセスやら何やらに、きちんと対処できることを確認することが肝要だね。
 あとは、Access 97からのデータの移行か……。これも頭が痛い。大量の外字が……。
 協会はその性格からして妙に漢字にこだわっているのだが、それは事務処理上に大量の外字という形でのしかかり、足枷となっているわけだ。どうやら、誰をも満足させる解はないらしい。


2000年9月26日(火曜日)
 今日も仕事を御することができなかった。っつーか、昨日の失敗の始末をつけるので精一杯ってカンジ。明日は図情大へ行ってしまうので、なんとか今日中に……と思っていたことのうちの8割くらい片付けられたか。

 定時後に、最後の最後と思ってgawkスクリプトを書く。
 しこしこ書いて、狙った通りの動きをするようになったところで、生成物を確認してみると、なんかおかしい。予定通りのデータが出てきていない。
 あちこちチェックするも、原因が摑めず、15分くらい悩む。
 そして最後に、「もしかして元データが間違っているのでは?」と思い立ち、Accessを立ちあげて確認してみると……思った通りだった。
 ふう。

 明日はDigital Library Workshop参加のため、つくば行きです。ちなみに、お仕事となっています。


2000年9月27日(水曜日)
 Digital Library Workshop参加のため、つくばへ。
 ……はいいんだけど、朝6時起きっつーのがなんとも。プログラムが朝の9時半からなので、こーゆースケジュールに。久しぶりに高速バスに乗ったけど、つくばは遠いやね。常磐新線ができるまでは陸の孤島だな。
 大学に入った途端、待ち受けていたかのようなタイミングで伊東さんに発見される。聞かされたところによると、なんでも一部の学生が唐草模様の鉢巻きを伝説扱いにしているらしい。困ったものだ。人を勝手に伝説にしないで欲しい。ただでさえ、高校、大学と、ありもしない私の伝説が残っているのだから。
 まあ、伝説なんて9分5厘くらいまでは、ありもしないことなのだろうが。

 DL Workshopでは興味深い話題が何件か。個人的に一番興があったのは九州大学附属図書館の「イメージによる図書目録カード検索システム」ですかね。なにしろ、数百万枚の目録カードを高速スキャナで取り込んで、全部イメージにして、仮想的なカードボックスを作るというのだから豪気だ。ここまで割り切ってしまえば、いっそのこと清々しいとも言える。とりあえず物理的制約から解き放たれるだけでも十分というわけだね。
 招待講演2件については、どちらもあとで報告を書くのに気が重い。結局技術主導の電子図書館計画には、著作権を考えている余裕はないということなのだろうか。

 DL Workshopが終わった後、一度協会に電話をかけて簡単に報告をし、今日の動きを聞いたあと、長澤孃とだべる。そうか、糸野自殺未遂事件(笑)の引鉄を引いたのは長澤孃だったのか。そして18時半からの、ささやかな呑み会に参加する。反省を踏まえて、酒は控え目に。
 っつーか、明日も仕事だからね。
 竹居さんが駅まで送ってくれると申し出てくれていたのだが、結局呑み会の関係で申し出を受けられず、高速バスで帰る。上野で降りて、ふと、ふらふらと22時までやってる某森に入って手提げ袋に一杯分の本を買って出てきてしまった。
 いかんいかん。これではあちこちから「R.O.Dだ」とか「デンパだデンパ」などとあらぬことを言われてしまう。


2000年9月28日(木曜日)
 ちょっと油斷して、目の前で動き出す電車を見送る気分は最低。
 26日に営団南北線は全線開通して、目黒まで延伸。東急目黒線と相互乗り入れを始めている。基本的にダイヤは変わらないのだが、トラブルは起きている。昨日も並走する都営三田線が目黒で車輛故障を起こしたために、ダイヤが乱れまくっていたな。
 もっとも、それは私の油斷とは何の関係もない。

 明日は理事会なので、今日はその準備に皆が追われていた。私も昨日の分を片付けねばならなかったりしてなかなかに忙しかった。
 しかしそれは間違っても、22時過ぎに帰宅することの理由にはならないはずだ。
 忙殺、という言葉の裏の意味はもしかして過労死か?


2000年9月29日(金曜日)
 今日は理事会でした。
 で、帰宅は終電でした。
 今の僕の楽しみは、ひたすらたまっていく残業手当の額を数えることだけです(哀)。

 先日、伊東さんに「日記のネタがパターン化している」と言われてちょっとショック。
 別に多種多様かつ多彩で極彩な日記を目指しているわけではないが、マンネリはいかんと思う。
 かといってあまりに話題を広げ過ぎると、何がなんだか自分でもわからなくなりそうだ。一歩間違うと、「理解不能な話題をデンパのように撒き散らしている」と誤解されかねないし。
 悩ましいものだ。


2000年9月30日(土曜日)
 朝から寢倒す。
 とにかく寢る。
 ひたすら寢る。
 そして夜のFTRONの定例chatに備える。