守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。
- 2000年11月1日(水曜日)
- 仕事帰りに神保町に寄って、本を買って帰る。前々から搜していた本を発見してしまい、散財してしまった。『韓国と日本 歴史教育の思想』(鄭在貞/すずさわ書店)。他にもコミティアのカタログを買ったりなんたりと、7,000円以上が飛んでいく。eS-Booksに注文をかけている本もあるんだよなぁ。
そういえばこの週末はBTRON Clubですね。BTRON Clubに参加するよい子たちの前には、一足早くアレが姿を表すんでしょうか。それともやっぱりまた秘密のヴェールなのでしょうか。
- 2000年11月2日(木曜日)
- 三連休前のウィークエンドもなんのその、今日は終電帰りさ(哀)。
大体、俺のせいじゃないっちゅーねん。原稿遅らせた奴が悪いねん。でもわしレイアウターやさかい、原稿来たら組まんとあかんねんな。大体、発行日過ぎてから編輯してるあたりダメダメなんやけど。
勿論、最大の問題は人手不足です。
と、いうわけで、今日は東京シューレの学生ゼミの日だったんですが、行けませんでした。
ふう。©ny
え? BTRON Club、もう明後日?
- 2000年11月3日(金曜日)
- 明治節で世は休日。しかし私は休日出勤。
どんどん駄目な生活になっていっているような気がする。しかも、多分気のせいじゃない。
問題だ。
昨夜は午前5時までセカンドマシンをいじり倒していた。
別に大した用事があったわけではないのだが、Windows95と98のインストールを各1回ずつと、IE4とIE5のインストールなんぞをやってみて、評価をしてみた。メインマシンのWindows95のシェルを、そろそろIEにしようかな、とか考えてのこと。
いろいろやっているうちに面白いことを発見した。
素のWin95にIE5をインストールすると、シェルがExplorerのままでブラウザだけがIE5になるのね(笑)。シェルをIEにするには、IE4を先にインストールしてかからないといけない、と。まあ、どっちでもいいけど。
ああ、超漢字だけで仕事がしたい。
明日はBTRON Club。
- 2000年11月5日(日曜日)
- 定例のBTRON Club→呑み会→徹夜カラオケというセットをこなし、朝早くに帰ってきて寢る。そして起きたあと、ふらふらと秋葉原へ。と言っても、仕事関係で使うかもしれないものを物色しに行っただけ。
職場でノートPCを一台、事故で破損してしまったため、現在修理に出しているのだが、修理見積が16万円などと言われてしまい、それなら廃棄して新規購入の方がマシ、となった。ところが、一部私が管理していなかったデータが当該PCのHDDに残っており、これのサルベージだけはしたいという話になり、2.5inchと3.5inchのHDDのコネクタ変換ソケットを搜したのだ。1,300円くらいで見つかったので、あとは修理センタと交渉してHDDだけ返してもらおう。
月曜日、なんとか定時に帰りたいな。
- 2000年11月6日(月曜日)
- 旧石器文化研究所元副理事長・藤村新一氏による遺構捏造が各種報道機関を賑わしている。藤村新一氏は、日本の旧石器時代発掘の第一人者であり、最も高名な民間研究者の一人だった。
……過去形で語らねばならないのが残念だ(2月21日の日記で触れている小鹿坂遺跡も、彼の手になる発掘であった)。
日本の旧石器時代研究は、相沢忠洋による岩宿遺跡の発見から始まるが、それはそのまま、学界との鬪いの歴史でもあった。相沢忠洋自身が無位無冠の民間研究者であったため、日本の歴史学界において日本にも旧石器時代に人が住んでいたことが認知されるまでに三十年を要した。
このような経緯もあって、日本の歴史学の中でも旧石器考古学は、とりわけ民間研究者が多く活躍するフィールドでもある。
少々脱線するが、考古学というと先史時代を取り扱う学問であると考えておられる方が多いかと思われるが、実はそうではない。考古学とは、発掘による遺物遺構遺跡を主体として進められる研究手法のことで、近世近代に於いても成立している。ただ、先史時代になると文献史学が成立しないので考古学の独擅場となるわけである。
なお、さらに考古学の中でも自ら発掘・フィールドワークを主とするものと、それらの出土物の比較検討を主とするものによってまた違いがあったりするのだが細かいことを言い出すとどんどん話がややこしくなるので割愛する。
閑話休題。
藤村新一氏の今回の行為は、これまでの旧石器時代研究における民間研究者の信頼と実績を損なったばかりではなく、日本歴史学界における民間研究者の地位をも失墜させたと言っていい。喪われたものと、喪われるものを考えるとき、余りの喪失感に目眩がしそうだ。
仕事帰りに神保町経由で秋葉原へ。
とりあえずまず神保町で三省堂書店へ寄って新書を五冊ほど買う。
続いて秋葉原へ徒歩で移動して、市場価格動向調査。
まあ、ピンからキリまでとは良く言ったものだ。ただ、ピンだろうがキリだろうがMS-Windowsがプリインストールされていて、MS-Officeなんぞが入っているのが気に入らない。
何件かの店で「要らないソフトを全部返還するからその分まけろ」と言ってみるが、色好い返事は貰えなかった。公正取引委員会は何をやってるんだ! 不公正な商慣行を取り締まるのが仕事だろうに。
無性に腹が立つ。
- 2000年11月7日(火曜日)
- 定時退勤を目標に日々頑張っているんですけど、まあ、今日は22時半退勤ですって(苦笑)。
某「文字の海、ビットの舟」に、先日の第22期国語審議会の答申案についてのコメントが載っていた。
この連載は回を重ねるごとに、なんだか誰かさんを擁護弁護するための提灯記事が体をなしてきているのだが、「表外漢字字体表案」に対するコメントも、ある意味とても振るっていた。
某規格の包摂という考え方や符号化概念を全面的に肯定すれば、こういう論調にもなるわな、と。
もちろん、某規格が悪いというつもりはない。あれはあれで、過去の暴挙の糊塗のための精一杯の努力であったろう。というか、あれ以上の“穏便な”解決は望めなかったに違いない。
問題がどこに残ったかといえば、最末端ユーザたちの相互通信において、「フォントの違い」とか「字体の搖れ」では許容しかねるほど大きな違いが、「包摂」という言葉で許容されて放り投げられてしまったところなのだ。
世の中、混乱と混沌を前にして勇躍線引きを始める人間ばかりではない。むしろ、誰かが道を示してくれるのを心待ちにしている人間の方が多かろう。そういう人間にとって、国語審議会の答申案は「待ち望んだ」ものであるわけだ。
別にどちらが正義でどちらが悪であるというつもりはないし、意味もない。ただ、私には、あの答申案を、根掘り葉掘り一言一句を取り上げてあげつらう精神が今ひとつ理解できないだけなのだ。
余談ではあるが。
日本において戦後進められた漢字制限の最後の大物、人名漢字(正確には、出生届けにおける常用漢字・人名漢字による制限)が廃止されるのはいつなんでしょうね……。
- 2000年11月8日(水曜日)
- 今日の東京地方は、まるで春のような陽気だった。お陰で眠くて仕方なかった。
仕事帰りに秋葉原に寄った。
「秋葉原に行きます」というと、とりあえず定時で帰ってもあまり文句を言われない(炸裂)。
なんか間違ってる気もするけど。
ちなみに、今日も仕事がらみのお買い物があって、ヤマギワ電気の2階と5階へ行った。しかし、型番指定で電気スタンドを買うというのも、なかなかオツな気分ではある。
一部には、私が秋葉原へ出向く度に山ほどパーツや書籍を買い漁っていると邪推なさっている向きもあるようだが、高田明美原画展に徹夜して一番で入場した挙げ句11万円も遣ってくるデンパ大阪じゃあるまいに。せいぜい文庫の数冊を捕獲してくるのが関の山というものだ。一昨日買った新書がまだ3冊も残ってるしね。
あ、いかん。一つ買い物忘れた……。
- 2000年11月9日(木曜日)
- 理事会前日の事務局は、それなりに忙しい。
漸く、Windowsの外字ファイルを移植する方法を身に着けた……。というわけで、ファイルをコピーしたりレジストリを書き換えたり、ということを繰り返す。なぜか自分のマシンだけは駄々をこねまくり、なかなか上手くいかなかった。なぜだ?
18時前に、昨日買い忘れた品を手に入れようと秋葉原へ向かおうとしたら、こう言われた。
「秋葉原に行きたくて、わざと買い忘れたとか?」
爆死。
ワタシはそんなデンパなことは致しません。
- 2000年11月10日(金曜日)
- 朝からデータサルベージ。
本体全損扱いとなったノートPCのHDDから、データだけを引き上げた。協会の自分用のPC(自作品)のIDEのプライマリ・スレイブに辛うじて無事だったHDDを繫げて、あとは立ち上げるだけ。楽なもんです。2.5inchと3.5inchの変換コネクタのピンが1本多かったので、そのピンをへし折ったのが作業らしい作業かな。
でもまあ、たかだかこの程度のことでも、業者にやらせると何万円も払わされるので、自分でやれるようになることは大切だと思う。
吹っ飛んだFATを手動で繫ぎあわせる、なんてことはできなくてもいいけど。
そんで今日は理事会なわけ。
理事会は夕刻から始まるので、自動的に残業になって、そして帰りは終電だった。
その中の一齣。
某理事 | (私の頭を見ながら)「それも、コンピュータに関係あるの?」 |
私 | 「ありません」 |
- 2000年11月11日(土曜日)
- 映画を見に行くとか、本を探しに行くとか、いろいろ考えてはいたのだが、結局なにもせずに一日家で転がっていた。
まあ、明日コミティアなんで、お金を使いたくなかったってのが本音かな。久しぶりに三食自炊だったし。
久しぶりに料理をして、気分転換もできた。
さあ、明日は有明に乗り込むぞ!
(うちの新刊はないけれど……)
- 2000年11月12日(日曜日)
- コミティアin東京54でした、今日は。場所は東京ビッグサイト。
最初は小規模だったコミティアも、コミティア出身のプロ作家さんなんかが増え始めてきた関係か、開場前に行列ができて、客層も変わってきたような気がします。
今日も色々收穫はあったのですが、最近小説系の同人サークルさんたちが、何となくですが全体的に低調かも。うちもそうなんですが、なかなか新刊がでない。不況のせいなのかとも思うのですが、漫画同人系はそうでもなさそうなので、なにか別の原因があるのでしょうか。
自分のお買い物が終わった後、nyちゃんからのデンパ指令を受けてじゃっこるずの行列に並ぶことに。館外まで伸びる行列の最後尾で、寒風に吹かれながら順番待ち。
その後、画伯の方角から「あわたけ〜、あわたけ〜」というデンパが飛んできたので、電話連絡を取ってみたところ(註:私は画伯のデンパはnyちゃんのデンパほどうまく受信できないのです)、「あわたけR.O.D.」指令を受けてしまい、慌てて斷って事無きを得ました。〈一部脚色〉
知り合いのサークルさんと交流を深めたり、お互いの近況を確認しあったりと、なかなかに有意義な一日でした。
- 2000年11月13日(月曜日)
- 朝、一時間早く出勤。
というのも、今日はネットワークにぶら下がる新たな機器が搬入される予定だったので、その前に各種設定の確認や、ファイルのバックアップをしておこうと思ったから。
朝の10時から複合機の搬入が始まり、組み立ての最中にマニュアルに全部目を通し、LANケーブルを這わせ、複合機稼動直後にはドライバを片っ端からインストールしてプリンタとしても動くようにしてしまった。まあ、あんなもの普通のネットワークプリンタの設定と大して変わらんわな。
かくして、昼が過ぎるころには、局内のPC全部の設定を終え、余裕を持って定時退勤……できなかったんだよなぁ……(溜息)。
先々のスケジュールの確認をしているとき。
主事 | 「小熊さん、○○日はスーツね。バンダナ不可よ」 |
私 | 「はい。それまでに髮切っときますね」 |
主事 | 「ええっ! それって髮の問題なの!?」 |
私 | 「そうですよ。なんだと思ってたんです?」 |
主事 | 「ポリシーじゃなかったの?」 |
私 | (それはかなりヤなポリシーだな……) |
ポリシー説の他にも、生き方説だとかこだわり説やら飛び出したが、これはかなり深刻な誤解であるように思う。
単に伸びた髮が鬱陶しい鉢巻きをしているだけなのだが……。唐草になったのも偶然だしね。
- 2000年11月14日(火曜日)
- デジタル複合機のお陰で、なんだか職場が効率化されたような気分(笑)。しかし私は気付いている。その影で、紙の消費量が明らかに増えていることに……。
OA化は紙の消費量を増大させる、なんて話、マジで実感いたしました。
もう一つついでに愚痴ると、所在不明のファイルを搜してあちこちのディレクトリを放浪するってのも、(かなりやるんだけど)無益な作業だよな。はっきり言って、この辺、BTRONの方が圧倒的に使い易い。これだけOSとしての素性の良いBTRONが、全然業務で使えないというのは哀しい限り。
帰り際、退職したY田さんが所用でやってきた。入れ違うような感じで私が暇を告げると、彼はこう言ったのだった。
「小熊さん、秋葉原?」
……。
何が悲しくて毎日毎日秋葉原に足しげく通わねばならんのだっ! 神保町ならともかく。
家に帰りついたとき、まだ7時だった。これは!と感動してすぐさま近所の八百屋と鷄肉屋に出かけた。こういう生活こそが、正しい労働者のあり方だと思う。斷じて「秋葉原で夜のお仕事」などしてはいけない。
最近、eS!Booksの便利さに溺れつつある。一応神保町の三省堂などで探しはするのだが、ちょっと入手しにくい本となると、すぐにeS!Booksに頼んでしまう。近所のセブン・イレブンで受け取れば手数料も配送料もかからないので、24時間時間を気にせず受け取れる点で、書店より便利。
いやもちろん、本屋さんが開いている時間に帰宅するのが正しい人間としてのあり方なんですが。
今日のNHKのETV2000に、John Dowerが出演していた。Dowerは、今年度のピュリッツァー賞を受賞した異色の歴史学者として知られる。日本では『吉田茂とその時代』が主著として挙げられようが、個人的には『人種偏見 太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』(原題『War Without Mercy: Race and Power in the Pacific War』)の方が重要な書物だと思う。原題を見ただけで、この本がどういう種類の本かお分かり頂けよう。
一方に視点が定まったとき、えてして見落とされるもう一方を、きちんと視認しているタイプの人だと思う。
- 2000年11月15日(水曜日)
- 協会に勤めていなければ、一生縁が無かったであろう出会い。それが必ずしも幸福を呼ぶとは限らない。
IOND大学とやらとの出会いは、衝撃的ではあったが……。
主事 | 「ここ向いてるんじゃないの?」 |
小熊 | 「僕はまっとーな歴史屋なんですっ」 |
超考古学だかなんだか知らないけれど、そんな未知現象研究で学位なんざ取った日にゃぁ、それこそ絶対に歴史学の道に戻れなくなるわ〜!
- 2000年11月16日(木曜日)
- 今日は一日月報の原稿作り。
先月が遅れたからといって、その遅れを翌月に持ち込んで良い道理はない……けど、無理も通ってるな(爆)。どっちかが引っ込んでくれ〜。
明日、最終的な割付に取り掛かる予定。
週末に遊ぶ予定を入れている分、頑張りましょ。
- 2000年11月17日(金曜日)
- 疲れました。
入稿は果たせず、苦難の道はまだ続きます。
なんか今月は外道なほど新刊が出てます。新レーベルも創刊です。お陰でうちは今本で埋まっています……って、前から埋まっているじゃないかというツッコミは却下ね。これまでは少なくとも寢床までは侵食されていなかったのっ。
問題は、既読書を片付ける余裕がなくなりつつあることですね。整理ってのはそれなり時間を食いますので。
単行本はジャンル別・出版社別・作家別に分類しますし、雑誌の場合は記事のインデックスを作っておきます。そうしないと意味をなしませんから。そういった作業は時に一日仕事になるのですが、ここんとこ休日というと、BクラだったりOff会だったり仕事だったりと、なかなか時間が取れなくて、ね。
- 2000年11月18日(土曜日)
- 今日はOffでした。
NiftyのFSFで知り合った、ささやかな面子ですが、その分、気心の知れた仲と言うか。
最初は東京都美術館のインダス文明展へ。と書くと、「解説炸裂か?」と思われるかもしれないが、さにあらず。なぜなら、インダス文明はまだ殆ど発掘が進んでおらず、未解明の部分が多いのだ。よって、解説しようにも分かっていることの方が少なくて……。
たっぷり午前中を都立美術館で過ごして、売店でモリサワの『人間と文字』というCD-ROMを発見してGet。お昼を食べようとアメ横方面へ移動している途中でこんどは古本市を発見。飛び込む。さらにまんがの森を経由する。
財布の中身は隨分輕くなった。代わりに荷物は重くなった。
謎だ。
最後にゃみんな私の家に雪崩込んで、書庫を漁って読書大会の様相を……。
怪しい土曜日でした。
胡桃を割る。といっても、食べるためというよりは、工作のための材料作りのため。児童館でアルバイトしているSioさんがそう言って胡桃を買って来たためそういう話になってしまったのだが。
そうゴツい胡桃でもなかったので、私は素手で胡桃を割りにいったのだが、これが失敗だった。綺麗に割れるのではなくて、握力のせいか、胡桃の殼が潰れてしまうのだ……。
器具を使ってヨッシーさんが胡桃を割っていく隣で、私は悪戦苦鬪。次々と胡桃を粉々に……。
とうとう最後には諦めてしまった。
ちなみに私の握力は、50kg程の筈です(落ちてるかな?)。
- 2000年11月19日(日曜日)
- 昨日の疲れを引きずっての日曜日。今日はnyちゃんと秋葉原へお買い物でした。
メインの買い物は協会で使うヘッドホン。議事録作ったりするのに、録音テープから聞き起こしをすることがあるのだが、イヤフォンだと耳が痛くなるというわけで、一つ買ってきてくれということになったのだ。
で、当初、STAXのヘッドホンを推挙したのだが、あっさりと却下された。
なぜだ……。
結局、隨分な安物を買うことになった。
なんか、某O谷大学のK岡先生に知られた日には、叱責を受けそうな話ではある。
ヘッドホンといえば、隨分な製品だったのがSONYのデジタルサラウンドヘッドホン。5・1サラウンドをプロセッサ側でシミュレートし、最終的にヘッドホンでありながらあたかもスピーカを置いているかのような錯覚をもたらす……。着想と技術は面白かったのだが、なにせ赤外線ワイヤレスの伝送上限が20kHz程度しかなかったため、擦過音や摩擦音(thやdh、ts音など)が軒並みノイズになるのだ。
何に使えっちゅうねん。
最近、新しいモデルが登場し、赤外線ワイヤレスで24kHzまで伝送するものが出た。当然、既存のものと互換性がない。
……。
30kHzくらいまで想定した伝送系を最初から用意してりゃ済んだ話じゃないのか?
nyちゃんが日曜日に襲うところといえば、本屋である。当然今日も彼は書店に襲いかかり、手当たり次第といった感じで本を漁っていた(一部誇張)。
私はというと、メモリを買ってしまったので(128MB、5,200円ちょっと)お金が厳しかったのだが、搜している本があったので、つい買ってしまった。一冊で5,000円ばかり。あと、Sioさんに薦められた本なども買ったので、なんだかんだで一万近いお金が出ていった……。
今月、大赤字だわ。
- 2000年11月20日(月曜日)
- 本田技研の新ロボットは「ASIMO」だそうで。
身長120cm、体重43kg、鉄腕アトムまでは遠そうですが、とりあえずHMX-12までなら意外と近そう。
NHKで動画が流れたのだが、それを見ると、P2より各部が簡易化されていたP3に比べ、指が10指揃っていたり、膝の稼動範囲が増していたりと、より人間に近くなっていた。あと、股関節に改良があったように見えた。運動プログラムについては、さらなる進化を遂げているようだった。
しかし、なぜ「P4」ではなくて、「ASIMO」なのだろうか。もはや「Prototype」ではないということなのだろうか。
小型輕量化も結構だが、やはり次は大型化して人が乗れるものを作ってもらいたいものである。
混迷の政局。結局内閣不信任案は否決され、森政権は生き残った。
……。
結局みんな補正予算の方が大切なのね。
- 2000年11月21日(火曜日)
- SONYよ、お前もか!
というわけで、SONYからも人型ロボットが登場しました。SDR-3X。よく似た人型ロボットなんですが、コンセプトが全然違うのが面白いですね。
ASIMOが「Advanced Step in Innovative Mobility」だったのに対して、SDRは「SONY Dream Robot」。次世代移動体研究と夢の玩具。
素晴らしい! 21世紀の日本は、ロボット産業の国にするしかないですね。世界中のありとあらゆる市場にロボットを売りまくるです。自動人形でもメイドロボでも二足歩行移動体でもレイバーでもモビルスーツでもマシーン兵器でもジャイアント・ロボでもアーマード・トルーパーでも……。
これはもう、週末のロボデックスには是が非でも行かねばなりますまい。
さて、午前中半休をとりまして、品川に行っていました。
品川の高輪プリンスホテルでCANON EXPO 2000というキヤノンのプライベートショーがありまして、招待状を頂いていたんですよ。「仕事じゃないでしょ、仕事じゃ」という鬼のようなツッコミを受けまして、休暇という形で、午前中だけ行ってきたんです。それもショー本体は見ないで、講演だけ。
ちなみに講演のタイトルは「21世紀の電脳社会」で、講演者は坂村健先生でした(炸裂)。
内容はBクラなどに比ぶるべくもない、一般的な内容ですが、それだけに、別の意味で面白かったですね。
現在の情報産業の虚業ぶりを指摘し、その商売の基盤となっている技術を生み出した米国の戦略的開発体系を賞揚し、日本はそういう戦略的視野に立った技術開発をしないと叫び、それどころか邪魔する[以下検閲]。返す刀でITを斬る。
「ITは魔法じゃない」「ITは情報流通を効率化するが、それはリストラと直結する」「情報が増えても可処分時間は増えない。よって市場的にはゼロサムゲームになる」
ってなようなことを言っていました。
究めつけは、「知識創出型社会では100人の真面目な社員より、人間的にはダメダメでも才能があるオタクの方が役に立つ」ってところでしょうか。なんか真面目が取り柄の平凡な一小市民Aである僕の存在価値を否定されたような気分(笑)。「凡人100人リストラして、才能ある一人に50人分の給料を払えるか?」と会場のオジサンたちに問いかけていました。なんか脳裡にあのひととかこのひととか、よぎりましたよ、ええ。
さらに絶好調(?)な坂村先生は、文化戦略の重要性を説いておられました。文化を広め、それを商売のベースにすると。引き合いにアニメやコミックを出していたこともあるんですが、なんというか、あの辺の人達が日本文化の尖兵となって世界を駆け巡る姿を想像してしまった。
会場を埋め尽くしていたオジサンたちを時に笑わせ、時に唸らせ、なかなかな講演でした。資料として超漢字のパンフとTRONSHOWの招待券が配られました。
- 2000年11月22日(水曜日)
- 入稿です、今度こそ。
今日は痛い系の電話がいくつかあって、精神的に疲れました。何となく、世界から戦争がなくならないわけが納得できたような感じかな、喩えるなら。
結局22時退勤。
坂村先生の言葉じゃないけれど、最近可処分時間の著しい減少が個人的問題。委員会や理事会の日は仕方ないにしても、それ以外の平日は、本の一冊も読む時間が欲しい。現在、通勤電車内の時間を読書時間に当てているのだが、50分ちょっとでは頑張っても200ページくらい読み進むのが精一杯で、一冊にはちと足りない。一日一冊読めないと、平均的に本は溜まっていくと言うことになる。
むう。問題だ。
- 2000年11月23日(木曜日)
- 21世紀の日本を支える政治はどうあるべきか、考えながらふと思い付いた。
そうだ。ロボット産業の発展を後押しするために、學天則を首相にしよう!
學天則なら、失言もしないしスキャンダルもないだろう。どんな面倒な問題だって嫌な顏一つせずに考えてくれるだろうし、大体給料も要らないではないか。
(ちなみに、「學天則」とは1928年に日本で製作された実在のロボット)
ふと気がついたんだが、日本のロボット開発って、學天則以来、「人造人間」指向の道を歩んでいるんですねぇ……。
映画を観た。『Space Cowboys』。
感想。
「ARMAGEDONよりはマシだった」
以上。
- 2000年11月24日(金曜日)
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『イーシャの舟』捕獲! 直ちに読書にかかれっ!
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21日の補遺。
「誰でもITなんて嘘。できわけない。できる奴を必要なところへ。適材適所」と坂村先生が言っていた。その帰り、駅で職場へ電話をかけようと電話ボックスへ入った。ICテレカ仕様の公衆電話。職場へ連絡し終わって、ふと隣のBOXを見ると、50代くらいと思しきオジサンが、必死に磁気テレカをICテレカ公衆電話の隙間という隙間に突っ込もうと四苦八苦していた。
「遠いな……」
ふとそう思った。
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『電子辞典の楽しみ方』という本を買ったのだが、最初の50ページで読書意欲が殆ど挫けた。あとは意地だけで読み通した。
問題は、最初の方で通常の紙の辞典の楽しみ方を説いていたところで、それは未知との遭遇というよりは無知との遭遇じゃないか?と思えるような記述が多かった。無論、私が多言語処理などというヤクザな世界に片足の爪先のそれこそ爪の先ほど突っ込んだことがあるせいかもしれないが、それにしても漢字字典の四角號碼を「こんな独特な方法」などと表現されたら、流石に幻滅する。日本の漢和辞典でも、四角號碼索引がついているものがあるのを知らないのだろうか。ちなみに王雲五が四角號碼を考案したのは1920年代のことである。
つまり辞書オタクかもしれないが、辞書を使うことにかけては今ひとつの人が電子辞典の有用さを説いてくれているわけで、私としては、「それ以前に解決されねばならない問題が山積みだ」と言いたくもなるのである。
ただし、だからといってこの本の価値が低くなるわけではない。個人的には大いに電子辞書の有用さを広めてもらい、その恩恵にあずかれない国文学者や漢文学者、歴史学者たちの蒙を啓いてほしいと思う。一人でも多くの人間に、今の日本語、ひいてはアジアの言語が置かれている状況を悟って欲しいものだ。
-
月曜日に、こういう催しがあるのだが、多分行けないだろう。今ひいている風邪が悪化して、出勤できないほどになったら月曜日に休めるかもしれないが、それではやはり催事には行けない。痛し痒しとはこのことか。
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山本正之のCD BOXを買ってきた。しかし、私の前にレジにならんだあんちゃんは、正之のCD BOXを2セット買っていったのだ。
意味もなく、負けた、と思った。きっとこういう感覚を抱くようでは駄目なのだろう。これは健全じゃない。
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昨日のことになるが、街中でキャッチセールスに捕まって、籤を引かされた。二等を引いた。景品は、携帯電話だった。要らないから、と斷ってきた。
- 2000年11月25日(土曜日)
- 本日一信
朝6時に起きて、向かう先はパシフィコ横浜はROBODEX2000!
事前の準備段階ではnyちゃんπちゃん工作者が一緒のハズだったのだが、「開場前から並ぶ!」という私に、「午後からでえーやん」と異議を唱え、別行動に。後に、これが運命の分かれ道であったことが判明するが、神ならぬ身の我らにそのようなことを知る由もなかった……。
午前9時に桜木町の駅に下りた頃には、自分の判斷の正しさを確信していた。
開場1時間以上前だというのに一体なんだこの人波は! まるでこの先に有明でもあるかのようだった。
午前9時に行列に並び、10時開場の後、私が入場したのは10時20分頃だった。とんでもない話である。
SONYのSDR-3Xや本田技研のP3、ASIMOは黒山の人だかり。初回のデモンストレーションですら、立ち見できない人が出る有り様だった。
そしてその状況は、時間を経るごとに悪化し続けたのだ。
これはどう考えても、運営側の見込み違いだ。来場者数を大幅に読み違えてしまったわけだ。
入場行列は一時5時間待ちを記録し、場内は人間の汗と蒸気で蒸風呂状態だった。
nyちゃんと工作者は正午過ぎに桜木町に到着するも、入場は3時に。πちゃんはその状況を聞いてさっさと来場を取りやめてしまった。
本日二信
SONYのSDR-3Xは、エンタテインメント・ロボットなわけで、全高50cm、自重5kgという思い切った寸法・重量。この輕さからくる出力比の高さによって、輕快な動きを実現していました。勿論、腕まで含めた全身でバランスを取る運動プログラムの良さもあります。こうしてみるとP2ってやはり大きなブレイクスルーだったことが良く分かります。
SDR-3Xで面白いな、と思ったのは、バッテリや演算ユニットが二分割されて、背中とお尻にあたる部分に分けてあったことでしょうか。これによって重心位置を下げるとともに、関節を増やして前屈運動を可能にしていました。転んでも自分で起き上がれる、というのですから大した物です。
本田技研ブースでは、P1からP3までがずらり。P1の実物を見るのは初めてなので、じっくり観察させてもらいました。P1って自律型じゃなかったんですねぇ。しかしそのメカメカしさは、SF映画に出演するならこっちだろうな、と思わせるようなお姿。
そうそう。新人(?)のASIMOも見てきました。運動制御プログラムの改良によって、方向転換をしながら歩くことが可能になったので、より自然に歩いているように見えます。
もっとも、腰の回転がないので、そろそろ歩きに見えますけど。あと、爪先もないし。その辺が今後の課題となるでしょうね。あとはアクチュエイタの重量比出力の向上……。
それはともかく、命令系が刷新されて、ゲーム用のコントローラからプリセットプログラムを呼び出してコントロールしていたのが印象的でした。
気に入ったのはテムザックのT-5ですかね。世界最大級のロボット……とはいえ、流石に身長57m体重550t巨体が唸って火を吹いたりはしないのですが、ヴァーチャロンでも出てきそうな素敵な奴です。
7自由度×2のマニュピレイタの操作はマスタ・スレイブ。フィードバックはなしです。試作機ということもあるんでしょうけど、カウンターモーメント制御を全くしていなくて、自重で支えているだけなので、腕を振り回すと本体までぐらぐら搖れます。
災害現場での使用を想定している……という話ですが、やはり自衛隊なんでしょうか?
あと、東京理大の展示も面白かったです。名付けて「マッスルスーツ」でも、見た目は「大リーガー養成ギプス」。
柔構造パワードスーツですね。骨格は人間の骨を利用し、エアチューブアクチュエイタを筋肉の代わりにしようという発想。
これの使い方で思い付いたのは、スポーツ選手のフォーム矯正に使えないだろうか、ということ。ベスト時の自分のフォームをモーションキャプチャで数値化しておき、調子が悪くなったときにこのマッスルスーツを着てその動きをもう一度自分で復習うわけです。
さらに一歩推し進めると、例えば「カール・ルイス・スプリント・フォーム」とか「セルゲイ・ブブカ・ポールヴォールト・フォーム」など、高名なスポーツ選手のフォームデータで商売をするということも考えられる。
まあ、素人がいきなりマッスルスーツ着てそんなフォームやらされたら、死ぬだろうけど。
未来は面白いねぇ。
- 2000年11月26日(日曜日)
- 流石に寢込んでしまったよ。なんかあちことで風邪でダウンしてるひとがいるみたい。なんかシンクロしてるのかね?
寢込んでいるわけで、満足に本も読めなくて、できたことといえばなんとか料理をして食べたことくらいですか。しかもいつも通りの量作っちゃって残してるし。
明日無事職場に行けるんですかね……?
- 2000年11月27日(月曜日)
- 熱はあったが体は動くし、と思って少し遅刻しながらも出勤。喉ががらがらなのでとても電話がとれない。声を出すのが億劫。新しいPCが届けられて、それが一部注文と違っていたりしたので、電話をかけたりセットアップしたり。
Win98SEって初めて触ってみたんだけど、アプリやドライバをインストールするにつれて、どんどん起動時間は伸びていくわ、不安定になっていくわで大変だった。別にSEに限った問題じゃないんだけど。
早退したら、と勧められていたのに、結局なんだかんだで5時まで居残ってしまった。
でも残業はしなかったよ。
あとは寢る。
- 2000年11月28日(火曜日)
- 熱が下がったのだが、今度は左目に痛みが走る。最近感じてなかった、色の違いもかなり出た。色の違い、とは、私は元々左右の目で色が違って見えるのだが、体調が悪かったりすると、余計にそれを感じるのだ。ちなみに、特に違って見えるのは赤色で右目の方が左目より赤を強く感じる。しかし、じゃあどっちの赤が本当の赤なんだと言われても困る。そんなこと客観的に判定する方法がないもんな。
こんな目ン玉を持っているせいか、昔から、「自分が見ている色が他人が見ている色と同じであると誰が証明したんだ?」とか思うようになっていた。自分の左右の目玉ですら見え方が違うのだ。百人いたら百通りの見え方があるだろう、と。
そんな考えが今の自分の性格形成の中にどのくらい影響を及ぼしたものか、自分でもわからない。
それはともかく、目の痛みがあり、風邪の治りかけでもあるし、今日無理をして明日の委員会に影響を及ぼすより、いっそ今日は休んで明日に備えた方がよかろうと思い、思い切って仕事を休んだ。
初の病欠。虚弱な自分にしては七月以降約四月、良くやった方だと思う。
というわけで、今日は終日家から一歩も出ず、ひたすら体を休めていた。料理も手拔きでパスタを茹でるだけ。ここで米を求めると、味噌汁を作りたくなりおかずの一品でも……と際限なく料理を始めてしまうのでパスタにした。結局三食パスタだった(笑)。
体は休めても脳を休めてはいけない……というわけでもないが、本は二冊片付けた。目が痛いのであまり読めなかった。あと、撮り溜めていたビデオも三時間分ばかり消費したが休み休み見たので、隨分時間がかかった。
結局病気の時には、ゆっくり休めということなのだろう。
- 2000年11月29日(水曜日)
- 病欠明けの“二度目の月曜日”(笑)。
とりあえず大過なく過ごすことを目標にし、定時退勤を目論む。
が、その想いはあっさりと碎かれ、22時半退勤とあいなる。何のために昨日休んだんだか……。
支持率が30%台に落ち込んだイスラエルのバラク政権が崩壞へ……というニュースを聞いて、我が国の首相の支持率を思う。
故宇野総理とタメ張ってられる状況でまだ政権を維持できるこの国って凄いよね。これで革命すらおきないんだから、平和というより墮落じゃないのか、これって?
- 2000年11月30日(木曜日)
- 比較的平穏に過ごした一日。17時15分には退勤できたし。
帰り道(?)に神保町へ寄って本を買ってくる余裕もあった。家に帰ると、時代劇で藤岡弘を見る。おお、やはり一人だけ動きが違うぜ。
そんなことを思いながら森山犬のコミックなんか読んでいたら、電話。
友人から。
彼の父が死んだとの連絡。既に葬儀などは済ませたというので、一安心だったが。
私の2000年は、幸と不幸がジェットコースターのように間斷なく襲いかかる年だったが、まだ残り一月、一波乱ありそうだ。
私は平穏無事に暮らしたいと心の奧底から願っているのに。