哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2000年4月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2000年4月1日(土曜日)
 今日は、社員研修のために上京してきているマー坊さんを迎えてのOff会だった。目的地は、国立科学博物館
 現代史の一環として科学史や技術史をある程度弁えている上に、考古学を学んだ関係で古生物学にも多少の心得がある私は、まさに科博の案内人としてはうってつけの人材である。もちろん、本業たる歴史学についてはいうに及ばず、人類学や生物学も嚙った程度ながら解説が可能だ。
 かくして本日のOff会参加者は、普遍的知識を広く浅く身に付けることができたのであった。
 つまり私がいかに常識人であるかということを身に染みて思い知ってもらったわけである。逆に言うと、他の面子がいかに非常識なげど〜であるかを徹底的に自覚してもらったという見方もできる。
 まあとにかく、私の常人ぶりが光ったOff会であった。

 開幕二戦目。ジャイアンツは今日も負けた。いつまであんな残塁の山を築く野球を続けるつもりなのだろうか?


2000年4月2日(日曜日)
 昨日科博で購入した図録『20世紀の国産車』は、資料価値の非常に高い、よい本だった。日本で自動車関係の博物館というと、日本自動車博物館トヨタ博物館など、あまり数がない。工業製品の博物的価値が見直されてきたのは、20世紀も終わりになってきてからなので、仕方のないことなのかもしれない。科博にはもっと頑張って欲しいものだ。
 図録の中には日本の自動車工業黎明史が記されていたが、どうしてこう、黎明期という時期には、変態的な連中が沢山でてくるのだろうか。私財を投げうって国産車の開発に邁進した男がいて、蒸気機関が全盛の時代に内燃機関に取り組んだ男がいる。どれもこれも一本のドラマが書けそうな話ばかりだが、きっと当事者の周囲は大迷惑だったことだろう。

 先日の約束通り、長澤孃の運転の監督をまたした。検定と同じルートを走る。最初に気付いて、シート位置、ハンドル位置を直させる。走り始めてからは、惰性で走ることを覚えさせる。アクセルから足を離してからブレーキを踏むまでの間に、全く間が無かったのを改善させたわけである。
 あとは車庫入れだが、それは自分で練習するという。
 運が良ければ、来週には初心者マークということになるのだが……。

 Microsoft米司法省の和解交渉が決裂したと報道があった。
 たった一年ほどの裁判なのが、その間の社会・世相・経済の変化は目を見張るものがあった。一つの時代の終焉の始まりに、立ち会っているのだろう。

 小渕首相入院。
 ああ、風雲急を告げているな。自由党が与党を離脱する決定をし、一部が自由党から離反、新党を結成して連立政権に残ろうという動きの最中での出来事。こういうイベントがあるから歴史屋はやめられない。
 石橋湛山首相は、入院するや即その座を辞してしまった。私はその判斷をとても尊く思う反面、かの昭和を代表するリベラリストが僅か二月の短命内閣であったことを本当に残念に思っている。


2000年4月3日(月曜日)
 個人的には平穏な一日だった。波乱のない、穏やかな暮らし。風が強く、やや冷たかったのが難だが、まあまあ良い天気だったし。誰が何といおうと、私は平凡な人間だと再確認した一日だった。

 図情大図書館に、利用証を発行してもらうために出かけた。卒業生は、貸出ができる利用証を取得することができるのだ。申請書を提出し、数日待たれと告げられた。筑波大学図書館も一般利用できるのだが、毎回申請書を書かねばならないらしい。不便だなぁ。

 暴かれてしまった嘘には、いかなる弁明も虚しい。隠したかった気持ちは分かるが、包み隠さずに言うべきだったろう。いつまでも隠し通せるものでもないし、事の次第が詳らかになったあとの悪印象は避けられない。嘘を嘘で糊塗することもできないのだから。
 歴史学に携わるものとして、私は人間の力の及ばない大きな流れとかうねりとか運命とかいうものの存在を認めている。もしかしたら一部の人間はそれを神と呼称するのかもしれないが、とにかくそういうものは、人間の小さな計算をいつも飲み込み、踏み潰して進行していく。綿密に張り巡らされた遠謀遠慮の網の目を引き千切ってゆく運命の暴風ほど、歴史学徒を興奮させるものはない。


2000年4月4日(火曜日)
 火曜日の楽しみは「プロジェクトX」ですね。今日のお題はVHS。Victor JVCの開発秘話。
 個人的にはBeta好きなんだけどね(炸裂)。最近ではすっかりDVにハマってるけど。
 将来的にはディスクメディアによるノンリニア記録に移行するんだろうけど、まだ当面はテープメディアだろう。で、リアルタイムMPEG2圧縮が嫌いな私は、ついついDVに肩入れしてしまうんだよね。
 MPEG2って、どう考えてもリアルタイム圧縮に使うものじゃないと思うんだけど、最近はそういう圧縮手法の向き不向きとかは全く無視するのが風潮なのが嫌らしい(もっとも、だからといってD-VHSを否定するわけではない。あれにはあれの意味がある)
 もっとも、この適材適所を考えない力づくのやりかたはなにも動画圧縮に限ったことではなくて、そこかしこ、コンピュータ関係で特に見られる流れだよね。
 私はもっと優雅な方法が好きです。

 Microsoft米司法省の独占禁止法裁判で、MSに有罪判決が下った。MSは控訴の姿勢。
 これが日本だったら、最初の判決が出るまで何年かかったかね? 別に米国の裁判制度が全て良いとは思わないが、見習うべきところもあると思う。
 少なくとも、一審判決が出るまで十年もかかるような状態は要改善だと思う。誰にとっても、十年は長すぎる。


2000年4月5日(水曜日)
 朝から雨。気分は憂鬱。じっとしていたくないのに、家の中に閉じこもってしまう。とりあえず知識蒐集に読書をして過ごす。積読を三冊消費。

 山本正之のオープニングを聞いただけで心が弾んでしまうのは、日本人だから(爆笑)。というわけで、今週からは毎週水曜日はきらめきマンを視るのさ。小原乃梨子・八奈見乗児・たてかべ和也の三悪トリオも健在だし(悪じゃないよ今回は……)。富山敬がいないのが残念だけど。
 おっといかんいかん。これではまるでどこぞの駄目な人ではないか。
 作品としてはイマイチ乗りが乗り切れてない感じだけど、そのうち足並みが揃って来るでしょう。お約束は全部揃ってたから(笑)
 でも、最近の若い人達に、あのネタ通じるんですかね?

 昨日の内閣総辞職を受けて、森さんが内閣総理大臣に就任した。
 しかし個人的には、小渕元首相の容体について、医師団からの発表がないことが気になって仕方ない。


2000年4月6日(木曜日)
 役所へ行ったり、郵便局へ行ったりして終わった一日。
 愛車に久しぶりに乗った。エンジンの回転がとてもいい感じになっている。フォグランプもつけたので、これで霧の出やすいつくばでも快適に運転できると思う。そろそろタイヤ替えないとね。
2000年4月7日(金曜日)
 何もしないまま終わった金曜日。

 春のうちに、しておきたいことがひとつある。それは、諸橋轍次先生の墓へ参ること。新潟県下田村にあるそうで、一度参っておきたいと常々感じているのだが、なにしろ不精者故、なかなか行動に移せずにいた。
 いい機会だろう。


2000年4月8日(土曜日)
 昨日付けの『週刊金曜日』に、「超漢字」が取り上げられていた。署名を見ると、トニー・ラズロ氏の記事だった。
 別段、好意的でも悪意的でもない、見開き2ページの毒にも藥にもならないような記事だったが、個人的には少々痛いものがある。表面を撫でただけの記事となれば、必然的に読者は過大な期待を超漢字に求めるのではないかと感じてしまうからだ。
 ある程度以上多言語処理に詳しい人から見れば、超漢字はオモチャに等しい代物である。ほら貝加藤氏の意見を引用するまでもない(私の個人的な意見は伏せておく)
 多言語処理の基礎となる文字学の知識は、片岡先生流に書けば、「文字学そのものが難しいのではない。理解が困難なのだ」ということになるのだろうか。分かってしまった人にとっては、別段難しいことではないのだが、理解するまでが茨の道なのだ。何しろテキストもなければ、先達も少ない。きちんと理解してなおかつ人にちゃんと教えられる人となると、私ですら辞退させて頂く所だ(つまり片岡先生に押し付けるわけだが)
 そういう状況下において、正確な報道を期待するのは困難だし、読者に理解を求めるのは尚更に酷だろう。
 わかっちゃいるんだけどね、わかっちゃ。
2000年4月9日(日曜日)
 本棚を一本増設した。この度の一品は、いわゆるスチール本棚で、高さ180cm×横幅80cm×奧行き25cmという威丈夫である。
 この本棚は書庫には置かず、書齋(笑)に据え付け、「多言語本棚」とすることにし、どんどん本を放り込む。特に頻繁に使う辞書類をこの本棚に引っ越すことを決めていたので、見る見るうちに本棚が埋まっていく。そりゃそうだ。漢和辞典が20冊、国語辞典が4冊、古語辞典に歴史事典、英和・和英辞典、日韓・韓日辞典、羅和・和羅辞典に独和辞典と、それこそ辞書のオンパレードだ。これにアラビア語ヘブライ語蒙古語ビルマ語チベット語の教本が加わって、挙げ句の果てには多言語処理の資料がもう一山。JISの規格書一通りとUnicodeの仕様書を入れれば、もう隙間なしというものだ。
 理解できない現象としては、これだけの本を一気に移動させたというのに、書庫の方にまったく空きができなかったと言うことだ。だ。きっと私の部屋には空間を食い荒らす謎の未確認生命体か何かが棲息しているに違いない。

 芦邊さんから、Netscape 6 on Windows 2000で補助漢字のページが読めたとの報告があった。
 報告を見た時に、「ほう」と声をあげてしまった。
 本当は見えて当然なんだけど
 他の環境ではどうだったでしょうか。


2000年4月10日(月曜日)
 あちこち動いて終わった一日。
 図情大の図書館利用証が出来上がってきたのはいいのだが、サイズがいわゆるカードサイズより双回りも大きかった。かつての自動車免許証より大きいくらい。……なんなんだよ、それ。
 他にも役所へ行ったり郵便局へ行ったりと、細々とした用事を一つ一つ片付けているだけで、夜になってしまった。思い返すに、一つ一つの手際が悪かった。

 久方振りの雨。折角満開になった桜が、これで散ってしまうかな。


2000年4月11日(火曜日)
 人のふり見て我がふり直せ

 午前中、つくばはもの凄い風。昨日の雨と今日の風で、つくばの街の中は桜の花びらが舞う、幻想的な光景が見れた。もっとも、それは光学的な話で、実際の街では、暴風だったんだけどね。
 昨日腕時計を修理に出したために、隨分輕くなった左手をふりふり、風の中をあちこちに出かけた。昼過ぎには風も收まって、つくばは見事な春だった。

 さても世間が騷がしい。名古屋の少年が、5,000万円を恐喝されたとか。
 まだ情報が少なくてなんとも言えないのだが……ちょっと色んな意味で常識外れな事件だと思った。


2000年4月12日(水曜日)
 なんだか午前と午後で日付感覚がずれてしまうような感じがする今日この頃。

 昨日の「プロジェクトX」はイマイチだった。内容に対して、圧倒的に時間が足りないように見えた。青函トンネル24年の歳月を、45分でまとめろという方が無茶なんだろうが、いささか物足りなさを感じた。

 石原都知事の発言が波紋を読んでいるが……例によってマスコミによる伝言ゲームが行われた感がある。発言全部を聞くことができないで、一部だけを取り上げて見せられても判斷ができない。ついでに言えば、言葉狩りも真っ平御免だ。差別は単語に宿るものではないのだから。
 良くも悪くも話題を提供する都知事だね。


2000年4月13日(木曜日)
 西田龍雄編『世界の文字』を読みふけりつつ、色々と考える。
 コンピュータ上の多言語処理とは、すなわち記述言語を処理することなのだが、処理できるものとできないものをきちんと弁別してかからないといけないと強く感じる。文字としてある程度の固定化がなされていない文字は、処理対象としてはいけないのだ。
 表音性を殆ど獲得していない純粹表意文字は、処理が不可能とは言わないが、極めて困難だろう。
 また、表記は音声と密接な関係を持ちながらも独立し、独特の言語性とも言うべきものを備えている。検索や並び替えにおいてはこれらを考慮しなければならないのは言うまでもない。しかし音声言語もそうであるが、記述言語は時とともに変化し、時に政治的に変更が加えられる。ほっといても変化する。
 厄介なんだよなぁ。

 サントリーの「ダカラ」に“オクタコサノール”という単語を見つけて、記憶が刺激される。
「オクタコサノールが切れかかっている!」
 ……熱血飲料だったっけ? 個人的には結構好きだったのだが、市場では余りウケが良くなかったらしい。ちょっと検索サービスで引いてみたら、多くがゲテモノ扱いなのには参った。
 まるで私の味覚がおかしいみたいじゃないか。


2000年4月14日(金曜日)
 人生うまくいかんものだねぇ(苦笑)。でも、ま、人生万事塞翁が馬ですので、気落ちせずに。

 某所で、D-VHSのLS3モードでバイクのWGPを録画したら、ブロックノイズだらけで見れたもんじゃなかったという書き込みを見る。
 そりゃそうだろう
 MPEG-2はその目的からして、データ転送レートをある程度調節できるメディアを対象としている。動きの激しい部分ではデータを沢山使い、逆に動きの少ないところではデータを減らす、そう言った調整が肝なのだ。なのに定速定量のテープメディアへの書き込みに使うのは、用法違いと言っても過言ではない。
 私はテープメディアへの記録なら、DV形式で十分だと思っている。テープメディアはランダムアクセスや可変データレートには対応できないが、その分、長大な記録容量を確保できるからだ。少々圧縮効率が悪くても、それをカバーしうる媒体なのだ。

 私なりの情報学の解釋によると、情報蓄積・伝達には三つのものが必要で、それは情報と媒体と規約である。そして中間生成物がデータである。情報を蓄積したりあるいは伝達したりするためには、伝えたい情報を、なんらかの媒体に、なんらかのルールに則って記述する必要がある。
 私が特に注目するのが規約、プロトコルで、こいつほど“暗黙の了解”だとかと言うもので処理されることの多いものはない。しかしこれは欠くべからざる重要な要素で、規約(プロトコル)が失われてしまうと、データから情報を復元することが不可能になる。
 余談になるが、未解読古代文字というのは即ちこの規約喪失によるものである。書かれている文字は分かっても、何が書いてあるのかは分からないのだ。他にも例えば「いらんからて」とか書かれていたとして、通常の日本人にとってこれは平仮名で書かれた意味不明の文字列だが、アイヌ語を嚙っている人なら、これが「こんにちは」に当たる語であると見当がつく。
 このことからも規約(プロトコル)の重要性は分かって頂けると思う。
 話を元に戻すが、規約という奴は、時と場合と媒体に応じて適切なものを隨時選択しなければいけない。音声言語は空気がなければ伝わらないし、たとえ伝わっても相手が理解できなければ意味がない。そしてなにより、きちんと復号できなければ全く用をなさない。
 もちろん100%完璧な符号化—復号化は有り得ないのだが、それだからこそ、必要とされる情報を必要とされるだけ伝達できなければいけない。
 そういう意味で、私はリアルタイムMPEG-2 Encode / Decodeに疑問を投げかけているのだ。

 ああ、長かった。


2000年4月15日(土曜日)
 年度末の忙しさの前に、撮ったままになっていたビデオをまとめて消費した。合計で7時間ほど。なんか脳が破裂しそう(笑)

 四月も半分終わっちゃったねぇ(嘆息)


2000年4月16日(日曜日)
 テレビ朝日のサンデープロジェクトスペシャルでSONYの特集を組んでいた。変化し続ける会社組織の中で、特に社内募集という人事制度が面白いと思った。私はSONYのモルモット精神が好きですな(笑)。←モルモット製品をよく買うという意味で、SONY贔屓。

 多言語処理をやっていてとても不可思議に思うのは、右から左へ字を書く言語のこと。今では慣れてしまったので、気にもならないのだが(それどころか、横書きの看板を逆に読んでしまうこと多数……)、疑問だけは残っている。
 不思議だよねぇ。


2000年4月17日(月曜日)
 NHKの首都圏ネットワークで映画監督の山田洋次さんが不登校を取り上げる『学校IV』について語っていた。
 なぜ学校へ行かねばならないか、というのは、不登校・登校拒否児童生徒から大人へ向けられる質問の中で、最も根源的な疑問だ。これにすぱっと答えられる人は、よっぽど物事をきちんと考えている人か、あるいは固定観念に凝り固まっている人かのどちらかだろう。山田さんも隨分考え考え言葉を紡いでいた。
 学ぶ意欲があるのなら、あらゆる事象から人は学ぶことができる。逆にその気が全くない人間にとっては、学校でも何も学ばせることはできない。
 学校で学べるものを学びたい人達にとって、学校は非常によい学習環境を提供してくれる。利用するに越したことはない。だが、学校では提供してくれる知識に限界もあるし、制度的な枠組みもある。限界はある(最近じゃ問題もあるな)。だから、学校に行きたくない人は行かなくてもいいと僕は思う。
 行って得るものがある。行かずに得られるものもある。行ったら得られないものも、行かなければ得られないものもある。そういう物を勘案して、本人が決めることだ。
 本人の意志を尊重すること。もちろん、責任も彼自身がとることをお忘れなく……。

 浦和、大宮、与野の三市合併後の新市名は「さいたま市」に内定したそうな。
 なんて捻りのない
 平仮名の市名というといわき市とかつくば市とかあきる野市とかがあり、増える傾向にあるようだ。個人的にはどうかなと思うが。北海道や沖繩の地名のように無理矢理漢字を当てはめるのは論外にしても、平仮名ならばそれなりの味や雅が欲しいと思うのは求め過ぎなのだろうか。


2000年4月18日(火曜日)
 NHKの“スタジオパークからこんにちは”のなかで『海外の日本語教育の現状』(国際交流基金編・大蔵省印刷局刊)という報告書に関して、日本語の現状と将来について話されていた。
 日本語は、外来の表音節文字であった漢字を表意文字として取り入れ、一方で独自に表音節文字として仮名文字を持ち、それらを隨意組み合わせて使う、世界でも有数の複雑怪奇な表記体系を持っている。これと同じような体系を持った言語は、アッカド語が挙げられる。アッカド語は古代メソポタミアの共通語であるが、その前代のシュメール文明を受け継いでおり、表音のアッカド語の中に表意のシュメール語が混じる混淆文を書いていた。なお文字は両方とも楔型文字である。
 日本語を複雑ならしめている最大の要因は、漢字の読みが常に一定しないことであろう。音読み訓読みと大雑把に言うが、音読み一つとっても呉音漢音唐音に現代音、訓読みに至っては固有名詞や熟語訓、要するに丸暗記するしか方法がない。しかも丸暗記してもどうにもならない、読みが状況に応じて複数通り考えられる熟語も珍しくない。
 これが難解であるとして改めるべしという意見はそれこそ明治開国の頃から存在し、ローマ字論、仮名文字論、新文字創設から仏語の国語化まで、百家争鳴の様相を呈する。
 その中でも比較的多数派であり、現在に至るまで日本語に大きな影響を与えたのが漢字制限論である。難解な漢字の使用を押さえ、また字画を減らし簡易化することによって日本語の学習を容易ならしむことを目的とするものである。これは漢字の本家中国でも斷行され、現在中華人民共和国で簡化字が使われていることは皆様ご存知の通りである。また日本と同じように漢字と独自の音節文字であるハングルの二体系文字を持っていた韓国及び朝鮮民主主義人民共和国では、戦後の民族主義政策の中でハングル専用を推し進めた結果、現在漢字の利用は日本に比べ、隨分と少なくなっている(しかしこれは言語内における漢語起源の単語が消失したことを意味するのではなく、表記としての漢字が用いられなくなったというだけの話である)
 私は発展段階説などこれっぽっちも支持していないから、文字は原始的な表意文字からスタートして表音節文字を経て音素文字へ到達するなどという馬鹿気たことを言うつもりはない。言語は文化に依存するもので、その文化に属する人間が使い易いように利用改良していくものだ。そしてその変化は必ずしも合理的ではないことも知っている。一見不条理で不合理な文字体系であっても、利用者たちがそれで別段不自由を感じていないことはよくあることで、本人たちがそれで良いというものを無理矢理引っ掻きまわすことはない。しかも驚くべきことには、一定以上の筆記者人口を得ている記述言語は、どんなに不条理なものであっても、学習における差異はさほど見受けられないのだ。それは識字率と記述言語の間に相関関係が見出せないことからも間違いないだろう。
 と、ここまで来ると、最早言語改造だとか言語改良だとかというものに対する情熱などすっかり気化霧散してしまい、すべからく「なるようになるでしょ」とか考えるようになってしまうのであった。
 だから日本の戦後における国語民主化だとか漢字制限論などがどの程度の効用を齎したかという点に関して、疑問を持たざるを得ないのであった。
 おしまい。

 デジタル映写機を備えた映画館が臨海副都心にできるそうな。
 映画の映写機という奴は秒24齣であるが、現実には1齣を2回づつ映写しているので、秒48齣である。縦横比はサイズによってまちまちで、ビスタサイズだとかパナビジョンだとかというのがそれである。縦横比は35mmスタンダードの1:1.38からパナビジョンの1:2.75まで幅広い。
 利点は言うまでもなく解像度で、フィルムベースの上の感光剤の粒子の粒が細かければ細かいほど解像度は上がり、巨大なスクリーンへ投影しても見られる画像となる。
 欠点は上記の通り、齣送りだ。秒24齣というのも、かなり苦しい数字だ。機械的にフィルムを送っているわけだし、映写している瞬間はフィルムは止まっていなければいけない。映写機を実際に扱ったことのある人なら知っているが、齣送り機構は結構纖細で調整が必須だ。
 それにフィルムの物理的容積というものもある。高速度にフィルムを送れば大量にフィルムを消費することになり、現在でも一本十分程度のフィルム長がますます短くなるだろう。映画館で映画を観ていると、右上に黒い点が現れるのを知っているだろう。あれは映写機の切り替えを示しているもので、二つめの点が見えたところで映写機を切り替えるのだ。この長さが、映画の本質的なシーンの長さを制約している。また、大量のフィルムは輸送や配給の前に物理的な制約となる。
 それに対してデジタルデータからの直接映写は、情報量も然ることながら、映写機の精度によって映写後の映像の精度が決定される。解像度さえ確保できるのであれば、フィルムレス映画館は今後とも増えていくのではないかな。

 今週のプロジェクトX
 格好いいよ。格好良すぎるよ。あれだけのことをしたんだから、安穏と実績の上に胡座をかいてても誰も文句言わないのに、どうしてみんな放っぽり出しちゃうんだよ。
 格好いいよ!


2000年4月19日(水曜日)
 不可解な衝動に突き動かされて、神保町を目指してしまう。そして辞書を買ってきてしまうあたりに、深い病根を感じてしまわざるを得ない。もっとも、買ってきたのは漢和辞典であるので、工作舎某編集よりは病気が輕いことは間違いない。
 ちなみにこれで我が家にある漢和辞典は6タイトル22冊となった。そーいえば大漢和補巻……買わんとあかんよなぁ(溜息)。語彙索引も買うてへんのに……。

 娘が父親を刺し殺したり、通学途中の女子校生が交際相手に刺し殺されたりと、末法の世の中になってもうたなぁ。


2000年4月20日(木曜日)
 今日は東京シューレの学生ゼミでした。私ゃもう学生じゃないけど(^^;
 四月は例年人数が少ないのですが、今年はまたさらに少なく、お陰でいい議論ができました。やっぱり熱の籠った議論は、小人数の方がしやすいよね。

 とうとう、加藤弘一さんの『電脳社会の日本語』を買ってきてしまった。私にとっては、基本的に既知事項の整理になるのだが、時折私も知らなかった話が混じっていて、趣深い。まだ半分くらいしか読んでないので、なんとも言えないが、やはり一般向けにこういう話をするのは難しいよなぁとか思う。


2000年4月21日(金曜日)
 図情大図書館に出かけた後に、情報処理センターへ出かけて竹居さんに挨拶をしたら、私的に調査を一つ頼まれた。もっとも、変体仮名の読みを教えてくれということだったので、15分もかからずに終わったが。図書館に直行して仮名字典を引いたらそれで終わりだもんね。
 ところがなぜか竹居さんは大層感動してくれて、専門家の知り合いがいると便利だなとか言っていた。
 ……。
 私の専門は歴史学なんですけどねぇ。まあ、調べる方法を知っているという意味では専門家なのかもしれないけれど。

 竹居さんの用事を片付けた後、長澤孃を探しに院生部屋の方へ向かうと、見知った顏が。竹之内くんが引っ越しをしていた。今年度からの博士課程の創設に合わせて、院生室が増やされたのだが、彼は真新しい部屋への引っ越すらしい。以前会議室だった部屋に机が並べられ、隨分と小綺麗なオフィスになっていた。
 長澤孃がいないことがわかったので退散しようとしたところで伊東さんと逢う。ここんとこ人と会わない生活のため、髭を剃っていなかったのだが、これを見て「ますます怪しい人に見える」との感想。
 これはつまり、髭が無かった頃も怪しい人に見えたということなのだろうか?

 Echelon。米NSAと英GCHQによる全世界の通常回線の傍受機構。始まったのは対共産圏諜報活動としてだそうだが、現在では産業諜報活動に流用されている疑いがあって欧洲議会で問題になっているようだ。
 ふーむ。いかにもありそうな話だな……。

 弐千円札は7月19日発行ですか。なんでも隨分と念の入った偽造対策がしてあるそうだ。もっとも、人間の作るものである以上、偽造が不可能である道理はないのだが、偽造の費用対効果を低く抑えるために必要なことである。
 その経済効果を疑問視する向きは少なくないが、私としては、投入されている技術と技能に興味を覚える。


2000年4月22日(土曜日)
 PS2がやってきた。
 とりあえずゲームなど一つもないので、DVDを再生してみる。結果はイマイチ。RGBケーブル+アップスキャンコンバータという組み合わせが悪いのかもしれないが、特定の映像でノイズが出る。もう少し検証が必要であろう。

 今日のつくばはデンパ警報。
 明日有明ビッグサイトで開催されるこみっくパ〜ティ〜に参加するために、デンパ大阪氏が上京、我が家へ逗留しに来たからである。
 明日はビッグサイトへ出向く予定。

 工作舎某編集から封筒が届いて、何事かと思えば、中にはプロジェクトXのパンフ……。なんでこんなものが私のところに送られて来なければならないのか? オリンパス関係の仕事で工作舎が作ったものらしい。

 から、こんな報道を知らされる。ふと、馬鹿なことを考えてhttp://www.kanji.com/とかhttp://www.kanji.org/と打ち込んでみたら、ちゃんと存在してやんの。
 嫌な世の中になっちまったよなぁ……
 教条主義に没入して、異論を認めず、邪教を撲滅して疑わない精神構造を持っていられたら幸せなのだろうな。


2000年4月23日(日曜日)
 今日は東京国際ブックフェアへ行ってきました。
 朝、デンパ大阪氏にデンパが飛んできて、朝7時の段階でビッグサイト前にコミケ並みの行列ができているという。もちろん、こみパの話であって、TIBFではない。
 慌てて出発。車で有明に到着した時には7時40分。ここでデンパ大阪は車から降りてコミぱの行列に特攻していった。私は8時の駐車場開門を待って駐車場に車を停めて、そのまま仮眠。だってTIBFは10時からなんだもん。
 10時になってから、コミぱの行列を横目に見つつ、TIBFへ。
 まず、大修館書店のブースへ出向いて、大漢和辞典補巻と対面する。こう言ってはなんだが、紙媒体の限界を感じさせる代物だ。大漢和番号が……ただでさえダッシュ番号やダブルダッシュ番号があるのに、加えて今度は「補」。それと、記述が現代仮名遣いになっていた。ついでに仮名のフォントが本巻と違うようだ。そのため、見た目の印象がが隨分違っている。
 大漢和については、一刻も早く、大漢和辞典の電子化を推し進めねばならないだろう。大修館の総合開発部の方と、電子化について話を少ししたら、意外と好感触。今度、正式にアポとって会って話をしましょうという話になる。
 ふらふらと会場を歩いていて目に着いたのが、異動棚。以前、集密書架のカタログを見た時は、一番廉いモデルでも、工事費込みで100万を切らなかったものだが、この汎用の異動棚は工事費込みで20万弱らしい。詳しい緒元や料金表を送ってもらうことにする。これの設置が可能であれば、書庫の容量問題は当面回避できることになるな。
 他にはイスラーム系の出版団体とか、イラン関係の出版社などを見てまわる。ここで生まれて初めて、アラビア文字のサンセリフ体をいうものと見える。ものごっつ読みにくいっす。あの美しい書道文化を誇るアラビア文字に、サンセリフ……。欧米の影響ですかね。
 昨今じゃブラウザどもの初期設定の関係か、英文をサンセリフ体(HelveticaやArial)で平然と印刷してあるものを見る。悲しいことだ。ローマ時代以来のローマン体の美しさ、読みやすさに匹敵するとでも思っているのだろうか。その美しさときたら、全く素養のない都筑くんをして「美しいですね」と言わしめた程である。というわけで、トラヤヌス碑文のフォントは人類の財産なわけである。(ああ、支離滅裂……)
 その後、ぐるぐると開場を廻り廻って、昼頃に一度車に戻って、パンフレットなどを車内に置き去りにする。車内でパンフを読んでいてふと目を上げると、コミぱの行列がなくなっていたので、ものは試しとコミぱの方へ行ってみる。
 実は二度ほど状況を確認するためにデンパ大阪氏に電話をかけていたのだが、「コミケ三日目の男性向け創作状態」とか「怪しいデンパが干渉して縞模様が見える」とか「混信してる」とか恐ろしい話しか聞こえてこないので、行かないで済ませようかと思っていたのだ。
 とりあえず見知ったサークルさんをちょっとだけ回って、デンパ大阪と合流、昼食に。食事中、デンパ大阪氏は「頭の中で携帯が鳴っている」などと口走っていた。
 その後はデンパ大阪と連れ立ってTIBFへ。ぐるぐるとブースを巡る。
 かくして、一日TIBFで潰したのであった。收穫は多かったけどね。

2000年4月24日(月曜日)
 朝いい天気だったので洗濯をして干して出たら、夕方近くになって突如天気が崩れ、雷雨となる。筑波大学図書館で調べものをしていたのだが、午後3時頃に空が曇ってきたのを見て、慌てて一度家へ戻り洗濯物を取り込んだので事無きを得た。

 どんな言語でもそうだが、“暗黙の了解”というものが存在する。つまり、“なぜなのか”という問いに対して、“そーゆーもんだから”という答えしか返せないものだ。そしてそういうものを調べなければならないとなると、最早雲を摑むような話であって、途方に暮れてしまう。
 突き詰めるってのは、こんなものなのかもね。


2000年4月25日(火曜日)
 朝起きたら、扁桃腺が痛かった。先週末くらいから、色々と体に変調はきたしていたのだが、いよいよ壞れてきやがったなという感じ。寢てれば解決するという問題でもないので、家の中で黙々と調べものをする。
 しかし、こう言っては何だが、もし「必要なもの」を全て自前で揃えるとなったら、私の家は本格的な図書館になってしまうだろうな。近くに自由に利用できる図書館、それも一つは実に大規模な図書館があって本当に良かった。
 国立大学の独立行政法人化によって、人文科学研究は規模縮小が予想される。企業系研究所にしても、基本的に富を生み出さない人文科学を引き受ける道理もない。個人での研究は不可能ではないのだが、何しろ人文科学は文献調査が基本である。大学図書館・文書館の一般解放のみならず、資料の電子化などが進行しないと難しいだろう。
 別に愚痴ってるわけじゃない。

 毎週火曜日の楽しみといえばプロジェクトXですが、今週はホンダのCVCCでした。
 CVCCエンジンは希薄燃焼エンジンの先駆けで、触媒なしでマスキー法による規制を通過した。当時の他の自動車会社が酸化触媒による克服を目指していたことを考えると、実に独創的な方法であったとは思う。しかし主流にはならず、後にはホンダ自身が作るのを止めてしまったという、技術史的見地からすると「早すぎた」技術であった。
 希薄燃焼はその後も各自動車会社が取り組んだが、実用化は電子制御技術が確立した80年代末〜90年代初頭であり、最後は筒内燃料噴射という形に結実したのはご存じの通りである。

 さて。今回のプロジェクトXでは、若手技術者と本田宗一郎の確執が描かれていたが、個人的には本田宗一郎も然る事ながら藤澤武夫という人物がホンダという会社にとっては重要だったと考えている。
 トップに求められる指導力や牽引力は、勢いはあるのだが、何しろそういう力は細かい制御が利かないことが多い。出発点での僅かな方針のずれが、気がついた時には修正不能になっているなどという事になりかねない。
 勢いを殺さないように、それでいて纖細に方向を微調整できる陪臣の存在は、時にはトップよりも得難いものだと私は感じる。

 東海村の臨界事故で被曝した三人のうちの一人、篠原氏が重体に陷っていると報道があった。


2000年4月26日(水曜日)
 今日はもう駄目。昨日無理したのが悪かったらしい。呼吸が苦しい。大人しく休養日にしてしまう。

2000年4月27日(木曜日)
 扁桃腺の痛みはなくなったが、関節の痛みと肋骨の痛みが残る。医者に行くべきか……? 熱はない、と思うのだが(あってもわからんのだが)。

 そういう状態でも仕事はしないといけないよね。
 先日目星をつけていた論文を搜して読むが、思ったより役に立たない論文だった。っつーか、役に立つのは数ヶ月後だな、こりゃって。今すぐ欲しい情報は出てこない。うっむー。
 残るは力づくか? 難しいところ。

 22時頃、つくばで降雹。激しい雨と落雷、こりゃすげぇやとか思っていたら、雨というより瀧のような有り様となり、音が変わったと思って窓の外を見てみれば、雹が降っていた。窓硝子からバチバチと嫌な音が聞こえる。
 時間にすると僅か20分程度だったが、いやはや、もの凄いものだった。

 JCOの臨界被曝事故で被曝した篠原氏がお亡くなりになった。


2000年4月28日(金曜日)
 筑波大学附属中央図書館の一階書庫付近で、「やったぁ!」という歓声を聞いてしまった人、すいません。それは私です(^^;
 いや、全然期待してなかった「いい資料」と出会えたもので、つい場所を弁えずに叫んでしまいました。

 出雲大社がかつては高さ50mになんなんとする高さの大社だったというニュースが流れていた。大國主大神を奉る出雲大社とその周辺は、日本古代史における一つの大きなテーマを形作っている。日本書紀にある国讓りや、出雲地方で出土する銅鐸などなど、古代に於いて出雲が一つの文化圏を持っていたことを窺わせる資料は多い。
 ああ、あの時代が懷かしい……。

 さ。黄金週間です。私はとりあえず一泊だけの旅行へ行ってきます。


2000年4月29日(土曜日)
 朝6時です。天気予報によると、新潟はまだ寒そうです。
 そう。旅行先は、新潟県下田村なんです(笑)
 やはり歴史学徒としましては、一度は行かねばなりますまい。

2000年4月30日(日曜日)
 ぷは〜。戻ってきました。
 新潟県下田村の諸橋轍次記念館へ行ってまいりましたよ、ええ。たっぷり堪能させてもらいました。ありがとね〜>nyちゃん。
 レポートは鋭意作成中です。