また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。
- 1999年9月1日(水曜日)
- 瞬間移動が必要だった日。
昼間東京へ出て、本を搜す。だが、残念ながら手に入らなかった。
その後、本日の目玉、日本文藝家協会へ出向く。吉目木さんや中沢さんや島田さんと会ってきた。内容については秘密。
終わるや否や、一目散に四ッ谷駅を目指し、最大限の速力でつくばへ向かう。しかしこの時点で18時を回っており、四谷から電話をいれてゼミ遅刻を報告しておいた。
そして学校に到着してみれば……ゼミは中止になっていた。
家に帰ると、片岡先生から、件の論文とプリントが届いていた。0.5mmの曲尺の目盛りが読める……。
- 1999年9月2日(木曜日)
- 慌ただしかった一日。
実は、一コマだけ、授業を受けている。図書館建築論。この状況下において授業をとるとはいい根性だと自分でも思う。
別に単位が足りていないわけではない。全くの趣味。
授業後も慌ただしく過ぎる。そして夜になり、日付が変わる。
一体何をやってるんだか……。
- 1999年9月3日(金曜日)
- ええと。
予定が未遂に終わったために、なんだかよく分からない裡に東京へ出てつくばに帰ってくる羽目に。まあいいや。(全然良くないという説も)
- 1999年9月4日(土曜日)
- 「まつりつくば99」だとかで、そこいらじゅう交通規制しているわ、人は雪崩込んできて渋滞しているわで、市内は散々な様子だった。
東ティモールの住民投票の結果は、独立と出た。
以前から、どこかにこれによく似た状況があったはずだと思い出せずにいたのだが、思い出した。1935年のザール地方の住民投票だ。あの住民投票は、第二時世界大戦の先触れの鐘だった。さて、東ティモールの住民投票は何を招くだろうか?
注:【ザール地方の住民投票】
第一次大戦後、ヴェルサイユ条約によって仏独国境のザール地方は国際聯盟の管理下に入った。しかし35年1月、自らの帰属を決める住民投票が実施され、その結果、ザール地方はドイツへと復帰する。
この年、総統ヒトラーは再軍備を宣言し、ユダヤ人迫害法であるニュルンベルグ法を施行し、時代は第二次大戦へとまっしぐらに突き進むこととなる。
新たなジョークページついて、友人に頼んでテストしてもらっているのだが、思うような結果が出ない。困ったもの。公開は大分先になる模様。
- 1999年9月5日(日曜日)
- 不器用な生き方しかできないのは性分だから諦めよう。いつも全力を出してしまうのは、不器用だから。
休日といえども、体が休まらない。
- 1999年9月6日(月曜日)
- 意識朦朧とした状態でなんとか日記だけを書いて寢た昨夜。起きたら昼過ぎてやんの。
大体できることとできないことの範囲が見えてきて、修論のイメージは固まらないまでも雲塊程度の形はわかるようになってきたんじゃないかなぁ。でももう遅いって?
- 1999年9月7日(火曜日)
- 今日は朝から電話が立て続けて、昼夜逆転生活で午前五時に就寢した人間の脳を休ませてくれなかった。しょうがないので起きだして、友人と飯を食い、語り、そして大学へ。
明日のゼミに向けてキリキリとレジュメをつくる。先週は私の都合でゼミをすっぽかす形になってしまったので、責任重大である。最近、資料の集まりが悪くてやや消化不良気味だが、なんとかしなけりゃなんともならないのであるからして、なんとかするわけだ。
しかしレジュメを書いていて思うのだが、これは殆ど「漢字コード論」あるいは「漢字コード史」に近いものになりつつあるように見える。漢字コードとその背景の漢字の歴史と、人と、営みとが複雑に絡まり合い、読み物としても面白いかもしれない。しかし出版するなら50年後、関係者が全員死んだ後にしないとマズかろう。
どうも私は文字コード関係者の中では現在最年少のようだから、頑張って長生きして、誰も居なくなった後に好き勝手なことをほざくというのも、悪くないような気がする。
神奈川県警の問題がいろいろ取り沙汰されているが、警察の内部告発は昔からしょっちゅうあることだし、真面目に取り上げられないだけで、どの警察組織にも似たようなことはあると思う(さらに言えば警察組織に限らないが……)。
ただ、警察や軍隊を厳しく監督しなければならない理由は、彼らは法的に暴力を振るうことを許された組織であるからだということに尽きる。彼らが暴走したとき、実質的な対抗手段が存在しないからこそ、神経質なほど彼らを見張る必要があるのだ。
神奈川県警は内部調査を開始したようだが、国家公安委員会や検察庁はどう動くだろうか。行政オンブズマン制度が欲しくなるのは、こういう時。
東ティモールの状況は、予想通り悪くなる一方のようだ。自分で悪い予想をしておきながら、暗澹たる気分になる。民主主義の難しいところは、公正と認めた選挙の結果を、例え意に沿わなくても、認めなくてはならないことだ。これは本当に難しい。
ふと久しぶりに親父のWeb Pageを覗いた。相変わらずやりたいことをやっているようだ。だが、最近の写真を見て驚く。こんなに老いていただろうか、と。
私は、東京に出たっきり殆ど帰郷せず、帰省しても三日も経たずに首都圏へと舞い戻る親不孝息子の代表選手だが、内心忸怩たるものがないわけではない。せめてドラ息子と悪態を吐かれずに済む程度の息子でいたいと思うのだが、歴史学の道を踏み外したまま、いつ戻れるとも知れない百鬼夜行の業界にハマってしまっている自分を見ると、情けなく思う。
- 1999年9月8日(水曜日)
- 池袋で、通り魔事件が起きた。二人死亡、五人重輕傷。
日本にNRAのような組織があったなら、こう主張したことだろう。「もし狙われた市民が銃を携帯していたならば、被害はもっと小さかったはずだ」と。
日本では、合法的に身を守る手段が極めて限られている。空手でも習うか、スタンガンでも買うくらいしかない。警官が津々浦々にまで配備されていて、どんな時でも身を守ってくれるなどというのは幻想に過ぎないわけだから、少なくとも警察が現れるまで合法的に身を守る方法が欲しいと思うのは、危險思想だろうか。
犯罪者は法を守らない。法を守らない犯罪者が、法を守る一般市民の自由や権利を犯し、利益を得る状態は、法治国家として明らかに間違っている。
こういう事件が頻発するようでは、非合法を覚悟で身を守る手段を模索する人間が出かねないと思うのだが。
気がつくと、明日はCICCで片岡先生と握手!の日だったりする。しかも午前10時!
さらに午後には大学で講義があったりするわけで、午前中に東京で会議をこなし、午後はつくばで授業を受ける、ハードスケジュール。
その上金曜日はBTRON Clubの発表受け付けの〆切だったりするワケで、目まぐるしく流れる状況という奴を、とにかく粉碎しないと前にも進めない。
頑張っていればいつか楽になるはずと思っているのだが、頑張れば頑張るほど、次の試練が厳しくなっていくような気がする。ああ、昔のシューティングゲームを思い出すな。的を射ち拔き、スコアを重ねれば重ねるほど、攻撃は熾烈になり、そして最後には爆散してしまう……。
- 1999年9月9日(木曜日)
- 徹夜明けで、朝から東京に出る。
CICCの会議は次の国際会議を睨んで、なかなかに張り詰めている。そこで韓国語キーボードを見る。2ボル入力はいいとして、日本語であれば変換キーなどがある部分が変わっている。スペースバーの左に「漢字」、右に「ハングル/英語」キーがあった。なるほど韓国における漢字の使用頻度が察せられるキー配置だった。
会議が終わった後、学校に戻って授業を受けるつもりだったが、「遅刻して最後の時間だけ授業を受ける」のと「片岡先生のお供をして知的体験を楽しむ」を比べて後者を選択して、秋葉原へ繰り出す。
片岡先生はまだスピーカーを搜しているようだ。これはチベット語の音声資料の再生用と言うことで、とにかく正確な音が出る者を搜しているようだ。ちなみに録音は、標本化周波数192khz、量子化ビット数24bitだそうな。
と、いうわけで秋葉原のオーディオショップを経巡ってとにかく片っ端から高級スピーカーの類を視聴してまわる。評価用のCDは、例の物である。
まだよく音の聞き方が分からないので、スピーカーが変わった瞬間は「あ、変わったな」とわかるのだが、どこかどうかわったかを上手く摑むことができない。しかしヤマギワ電気で視聴したDynaudioの“CONTOUR 1.3 MKII”スピーカーは、はっきり違いが分かった。音が全部分解しているのだ。合唱も全て全員別々の声が聞き分けられる。楽器も全部聞き分けられる。気持ち悪いくらいに。
私も片岡先生も、凄く気に入ってしまい、片岡先生は「これを買う!」とか言い出す始末。私も欲しかったが、何しろうちにはこのスピーカーで再生するに足るDACもなければアンプもない(笑)。買っても間違いなく宝の持ち腐れになる。
喜べばいいのか、悲しむべきなのか。
「ふふふ。これで君も今日からオーディオマニアだね」
片岡先生はかく宣ったのであった。
徹夜から会議、そして秋葉原巡りを堪能して、帰宅するや私はもう、何もできずに寢たのであった。
- 1999年9月10日(金曜日)
- デロデロのボロボロで、こういう時こそ「夢をも見ない深い眠り」とかいう奴に囚われてくれればよさそうな物なのに、眠りは浅く、何度も目が覚めてしまう。疲労が過ぎると、眠りが浅くなるようだ。
と、いうわけで今日は体を休める日と定義し(笑)、起きても起きても、また寢るということを続ける。
その間にも色々やったのだが、とにかく寢ることを最優先課題にする。
東亜の情勢がキナ臭い。
東ティモールもそうだが、台中関係も緊迫の度合を増している。
ここ数年、小熊は中国に対する警戒を強めている。『ミリタリーバランス』などを読めば分かるが、中国は改革解放以来の経済発展を、その軍事力に反映させている。軍拡と近代化である。
言うまでもないことだが、これは日本の安全保障にとって極めて重大な問題である。
なんでもかんでもアメリカに頼るのも宜しいが、アメリカが必ず日本の利益を守ってくれるという保証があるとでも思っているのだろうか? 国家というものは、所詮国民と国家経済の利益を守るための巨大なエゴの塊に過ぎない。
そのことから、意図的に目を逸らしている人間がいるように思える。
死刑が執行されたという話で、また例によって死刑反対団体が声明を発表していた。死刑に反対するのはそれはそれで一つの意見なので、思想の自由と言うものだが、現行法の執行に対して非難を浴びせるのはどうかと思う。
自分たちの無力を嘆くならともかく。
- 1999年9月11日(土曜日)
- 土曜日です。土曜日らしいです。土曜日なんだそうです。
なんか曜日感覚が失われて久しいような気がする。この日記書いてなかったら、完全に失われていただろうな。
……土曜日だからって、なにも特別なことないんだもん。
- 1999年9月12日(日曜日)
- 美崎さんから尋ねられていた件の調査なんかしてたりして。ユーザインタフェース関係ってのはいつも悩ましいね。特に機能が増えてくると。シンプルな操作系がBTRONのウリだったりするわけで、その上に多機能アプリを乗っけると、齟齬が生じたりするわけだ。ボタンやウィンドウを増やすのが一つの解決なのだが、MS-Wordの初期状態のように、ボタンやらなにやらが三段に並んだりすると鬱陶しくてたまらない。
やっぱ機能の選別だよなぁ。
- 1999年9月13日(月曜日)
- 夜を徹して、資料を読んでいた。脳がぼろぼろ。家に帰るときには目が痛いくらいだった。
それでも朝九時過ぎに、銀行へ行ってBTRON Clubの振込をしてくる。遅れちゃったけど。
その上で、『MATRIX』を見てきた。特撮や筋書き、立ち回りは面白かったが、背景や舞台に少々納得がいかないものが。同じような電脳世界なら、内田美奈子『BOOM TOWN』竹書房(全4巻)の方が私は好きだなぁ。
……マイナーかね?
SCEから、噂のPS2が発表になった。思ったより小さいな、というのが第一印象。フロントローディングになっていて、縦横自在になった。色は黒というのは、他のオーディオ家電と一緒に並べても違和感が出ないように狙ったものだろう。
気になるのは熱対策。Play Stationのファーストロットも、熱対策が大変だったのだが、果たしてPS2はどうだろうか。
- 1999年9月14日(火曜日)
- 東ティモールに、
国連平和維持軍(後日注:結局は多国籍軍)が展開することになりそうだ。豪州軍が中心になるようだが、韓国も派兵を表明している。さて、日本は? もちろん、不参加だろうな。
東ティモールの問題は、東アジアにおける複雑な国家事情に対する「蜂の一刺」になりうる。日本が動くに損はない事態と見るが、どうだろうか。別に派兵しろといっているのではなく、積極的に動くことが、日本のメリットになりうると主張しているのだ。
国連などの監視下における住民投票で独立と決定した場合に、それを誰が維持するのか。これは特に最近台頭著しい中国に対する大きな牽制だ。台湾を筆頭に、国内にウイグルや内蒙古などの自治区を有し、特にウイグル自治区などでは、独立の気運が強い。
私はかねてから「中国は大きすぎる」とか考えているので、これを一つのきっかけとしたいと考えている。中国は「内政干渉だ」と騷ぐかもしれないが、所詮は日本の防衛が優先である……。
- 1999年9月15日(水曜日・敬老の日)
- 敬老の日ではあるが、敬老的行為はなにもしなかった。例年そうなのだが。こんなことでは将来、年老いたときに大事にしてもらないかもしれない(笑)。
颱風15号の影響か、つくばは朝から強風。西日本では、颱風の被害著しとの報道あり。気のせいだろうか、今年は風水害の報道が多いように見える。自衛隊も八面六臂の大活躍……。あまり良いことではないのだが。
かつての東芝問題以来、Internetの情報発信力が取り沙汰されることが多くなった。まあ、この手の問題はパソコン通信時代からとやかく言われていることでもあるし、私自身、不本意ながら様々な経験をしている。あの手の問題で気になるのは、意見の正当性よりも、まず声の大きさが影響力を持ってしまうことにある。
それがマスコミに流れれば覿面である。
子供のいじめの告発サイトも、だからどうとも言えない。
野球のシドニー五輪アジア予選、決勝リーグ台湾‐日本戦。日本がとても苦戦していたが、特にプロ選手の見逃し三振が目立った。ストライクゾーンの違いに追従できていない様子だった。タダプロを参加させるだけじゃ駄目なことが能く分かる……。
一級の選手をそもそも参加させないようなチームオーナーは論外だが、参加させるにしても、直前に送り込むのではなく、サッカーのようにある程度の練習期間をおかないといけないだろう。韓国や台湾のようにペナントレースを中斷するほどのことはないにしても、だ。
- 1999年9月16日(木曜日)
- 学校へ出かけようと思ったところへ、郵便物。東大から。中身はGT明朝だった。封も切らずに抱きかかえたまま、学校へ。大学のマシンにインストールしようかと思いつつも、今昔文字鏡が既に入っている上、趣味でフォントがかなり入っているので、この上さらに25MB追加はキツいなぁとか思って保留する。
……もしかして、これってまだ秘密条項なんやろうか?
でもほら、これは[ピー]MCとは基本的に無関係な件であるし、直接田村先生と交渉して手に入れたわけだし、私の修論に関係して接触していたことだから……。
夜は東京シューレで学生ゼミ。なんだかんだいって、六年くらい通っている俺も物好きだね(笑)。
今回はイギリスでのIDEC 99の報告やらなにやら。
来年、世界フリースクール大会(正式名:IDEC, International Democratic Education Conference)を、日本で、東京シューレが主催するらしい。素晴らしいことだ。子供たちが自分たちの手でそういうことをやるってのはいいことだ。
しかし相変わらずの資金難で、寄付を募っていた。特に企業の寄付を、って言ってて、なにかいい会社があったらとかなんとか。
うーん。
わたしの雇用主はねぇ……。教育とはあんまり縁がないから……。ないよなぁ……。S谷さんにダメモトで連絡してみようかしら。(それってほとんど俺のワガママやん)
日付が変わるころに大学に戻ってきて、ゆうりすオタク一番の部屋を訪ねると、妙なチャットの最中だった。(それ自体は別に珍しいことではない)
画面上にSocksCap32のウィンドウが開いていたので妙に思って質すと、彼はなんとSocksCap32経由で直接アプリを立ち上げる方法を知らなかったらしい。
英語のドキュメントを読みもせずにこれまで使っていたらしい。信じ難い。これだからオタク野郎は駄目だ。まずドキュメントを読むのは基本だろうに。
- 1999年9月17日(金曜日)
- 坂村先生からメール。謎めいた内容だった。うーん。これって多分広言したらまずいことなんだろうなぁ。
中国内蒙古からの留学生・満都拉さんが院試に合格して、来年からは修士コースだそうな。まあ、私はいなくなるからいっか。蒙古語のOPAC造りのため、蒙古語処理に全精力を傾けてもらいたいものだ。
B-right/Vで蒙古語が処理できるように……なるだろうか、近いうちに?
無理だろうな。(言い切るなよ)
ジョークページの評判は上々のようだ。なんか複雑だけど。
- 1999年9月18日(土曜日)
- 朝七時につくばを出て、幕張へ。東京ゲームショー'99 Autumnを見物する。もっとも、目的はPS2だったんだけどね。
とりあえず二時間ほど会場にいたんだけど、思わず欲しくなっちゃいました、PS2。
あれだけの機能を盛り込んだ機械が四万円くらいて手に入るなんて、なんて素晴らしい世の中なのでしょう。12 、3年前なら、MSXくらいしか買えなかった値段だぞ。
金子さんとこでByメールが公開されましたね。ふふふ。これでB-right/V用のメーラも二つになったわけです。もっとも、残念ながら両方ともうちでは動かないんですが……。
- 1999年9月19日(日曜日)
- 書いていいのかなぁとか思いつつ、まあ、口止めはされなかったからいっか。
tron.orgなんだけど、よくよく見ると「TRON PROJECT OFFICIAL HOME PAGE」となっているのに気づくと思う。つまりあそこは文字通り、「TRONプロジェクトの」オフィシャルページなのであって、「社団法人トロン協会」とは別だてだったりする。
TRONを取り巻く環境って色々と複雑で、初心者や部外者を混乱させるところだが、坂村先生はその混乱にさらなる一撃を……じゃなかった、混乱を助長……でもなくて、ええと、混乱を、混乱を……。とにかく、坂村先生はトロン協会とは別のWeb Pageを立ち上げたというわけだ。
その真意がどの辺にあるのかは、先生に直接訊いてくれ。
- 1999年9月20日(月曜日)
- もーいーくつねーるーとー…何があるんだ?(笑)
と、いうわけで私は明日五反田にいます。本当に熱い九月は明日から始まる……。
ソーテックのe-oneに対し、生産・出荷差止の仮処分が下った。妥当な決定だな。いくらなんでもあれはねぇ……。
- 1999年9月21日(火曜日)
- あー、疲れた。
プレスリリースも終わったし、内覧会は美味しかったし(謎)、これで暇と金があれば言うことなしですな。とまれ、これで私も気兼ねなく口が開けるというもの(気兼ねしてたのか、これまで?)。
それにしても『超漢字』ねぇ……。PMCのネーミングセンスってどうしていつもこうなんでしょうね。ま、私にゃ関係ないけど。
なんとなくモロに泥被りそーなのは、Unicodeの文字セット実裝だよなぁ……。タイ文字とかラオ文字とかデヴァナガリ文字とか……ああ、考えたくない。あの辺のLv.2文字って、一文字の同定アルゴリズムが全く無視されているから、ただグリフ並べてわーいわーいって喜んでたらあとで手酷い目に会うだろうなぁ。
あ、頭痛くなってきた。今日は寢よう。
- 1999年9月22日(水曜日)
- なんかあっちこっちのTRON系サイトのBBSじゃ『超漢字』で盛り上がってるね。いいなぁ。俺も盛り上がりたいなぁ。でも後で言語層と文字属層の整備を考えなければならない身としては、喜びも半ばほどといったところ。何もかも忘れて喜んでいようか、無垢だったあの頃のように(爆笑)。
あのむっちゃくっちゃなUnicodeを取り込んだTRON Codeは、私が思い描いていた美しさを持つことが不可能になってしまった。いや、今の段階でもかなり汚いけど。
一体どーするつもりなんだろう>[ピー]MC
それはそれ。
とりあえず学内でこのテのものに飢えていそうな太田先生の処へ『TRONWARE vol.59』を持っていって説明をさせてもらう。日本近世貿易史を専攻なさっておられる太田先生は、思ったとおり話に食い付いてきた……が、「マックでは動かないの」の一言に内心グラっとくる。
……辛いね。
まあ、似たようなことは秦さんも書いてるけど。
なんか、しんどいね。
- 1999年9月23日(木曜日)
- 今日は祝日だったのか。午前九時に寢て午後五時に起きるような生活をしていると、「日中」世の中がどうなっているかなんてどーでもよくなってきてしまう(笑)。
深夜に放送しているニュース番組がないのがやや不満か。
なんか最近ここ愚痴っぽいね。TRONファンの方々が『超漢字』で喜んでいるのに、なんかここで盛り下げちゃうようで心苦しい限り。
ちょっと昔話すると、大日本帝国憲法が発布されたとき、日本はお祭り騷ぎだったそうだけど、その時憲法の内容をちゃんと知って喜んでいる奴はいなかったのを、異人さんが不思議がって文字に残したそうな。
ただの昔話さね。
- 1999年9月24日(金曜日)
- 今日必着〆切のBTRON Clubの原稿を、今日発送している辺り、やっていることが泥繩になっちゃってるなと反省しきり。内容に関しても、あまり大した物じゃなくなってきているし。
ま、あんまり期待しないで来週をお待ちください(笑)。
徹夜明けでビデオレンタルショップへ行って、借りてきたのが『トワイライトQ』って辺りが、濃ゆいと言えば濃ゆいのかも知れない(^^;。でも名作なんだよ、このアニメは。
昔話シリーズ第二段。1930年、ヒトラー率いる国民社会主義独逸労働者党が選挙で大勝利を收めたとき、民衆は歓呼を持ってこれを迎えたという。
……なにが言いたいんだろうね>俺。
吉事は疑いをもって迎えよってところか。
とか言いながら、松本浩一先生のところへ行って、営業スマイルなんか浮かべつつ『超漢字』の説明してたりするもんだから、私も隨分汚れたもんだよなぁ……。
- 1999年9月25日(土曜日)
- 朝六時に起きる。余裕の体で学校へ向かうと、妙に閑散としている。はてなにかあったかなと思いきや、対外接続の停止日であったわ(笑)。しょーがないので家に帰り、ビデオを消費する。
- 1999年9月26日(日曜日)
- ホークス優勝を受けて始まるダイエーの特売に出かけると、凄まじいばかりの人出であった。つくば中の買い物客が全部押し寄せたかのような。いいや、優勝セールは四日間続くんだから、と早々に退散する。
昨夜はFTRONのチャットだったのだが、久しぶりに朝までチャットをしていた。その中で、速度評価用のマシンが欲しいねという話があった。CPUはi486の33MHzくらい、メモリは32MBくらいで(笑)。この上でWindowsなんかと速度を鬪わせるのだ(爆笑)。
今、自宅のマシンがK6-2 300MHzなどという無茶苦茶リッチな機械なので、時々そういうことを考えてしまう。
- 1999年9月27日(月曜日)
- 明日から、図書館情報大学ではイベントのオンパレード。ISDL (International Symposium of Digital Library)やら開学20周年記念行事やら学園祭やら。
今日、何気なく図書館へ行ったら、「丁度良かった!」と引きずり込まれて、先月の丸善の展示の学内展示のディスプレイを手伝うことに。相変わらずチベット語の版木の上下間違ってるし、貝多羅葉はぐっちゃぐっちゃだし。最後にゃ和泉先生の部分を飛び越えて、太田先生の部分とかまで手を広げてしまった。
しかし展示している図書館員が展示品を「わかってない」のは問題だと思うぞ……。
その後、某ゆうりすオタク一番の部屋で展示の話の流れから「ルリユール (ruliure)」という単語を出したら、全く理解の色がなかったため、不安になる。この大学、大丈夫なんか……?
夜、吉目木さんから大ニュースの第一報。これは久しぶりの吉報となるか。
- 1999年9月28日(火曜日)
- そして彼は宣うた。
「俺の体は一つしかないねんど!」
講堂と図書館を行ったり来たりして仕事をするハードな一日だった。
かくして午後五時ごろには疲労困憊でバタンキュー。折角のただ飯(レセプション)に出席すること能わなかった。
- 1999年9月29日(水曜日)
- なんか最近疲れてるなぁ。体も熱っぽいし。風邪をひかないように気をつけよう。
最近修論が全然手についていない。困った困った。
困っててもしょうがないんだけど、とにかく困った。
とりあえず土日のBTRON Clubが終わってから考えよう……(おいおい)。
下関で、通り魔事件。どうコメントしたものか。今月八日にも通り魔事件があったばかりだというのに……。このような事件に銃が使われることがなく、よって死傷者が三人に收まったことを不幸中の幸いと思えば良いのか、このような事件にいつ巻き込まれるか分からないのに徒手空拳である身を寒く感じれば良いのか。
- 1999年9月30日(木曜日)
- 東海村で事故。核燃料工場で臨界事故……。コメントしたくないから、昔話をしよう(笑)。
僕が子供だった頃、子供向けの科学雑誌なんかに描かれた未来図では、自動車も飛行機も船舶も、あらゆる動力が原子力で動いていたっけ。それを本気で今やったら『ラジヲマン』だよな。
夢はいつでも美しい。
明日は、中華人民共和国建国50周年であり、図書館情報大学開学20周年である。あっちでもこっちでも式典をやる。両方とも共通しているのは、両者とも未来展望に暗雲があり、不安を抱いてのほぎであるところ。