哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀1999年8月分

Caution!

このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

1999年8月1日(日曜日)
 久しぶりのお休み。昼まで寢ていた。
 午後から大学に出向いて、レポートを書きはじめる。しかしこれが難航。たかだか15枚程度のレポートが進まない。やはり実際に現場を知らない学生が、学校図書館についてのレポートを書くのは難しい。
 悶々と苦しんでいるあいだに、ぽっと思い付く。BTRON.comBBSで以前ちょっとだけ言っていた、透明度などのことのうまい解決を思い付いた。
 何の事はない。回転付箋と同じように、透明度やら各種エフェクトを付箋化して追加してしまえばいいんだ。
 何事もそうだけど、思い付いてしまえば「なぁんだ」だよね。

 大学のメインシステム・dreamが死んでしまう。明後日からはメンテだってのに。学生たちは大変なことだろう。私もftp他ができないので、日記の更新ができない(笑)。


1999年8月2日(月曜日)
 ビル・ゲイツが11兆円を寄付するとか言うニュースが朝っぱらから流れていた。1,000億で言いから、TRONに回してくれんものだろうか。そしたら斗論神社建立の暁に、名前くらい刻んであげるのに。

 今日は関口教授の講義だった。お題は『学校図書館メディアの構成』。いきなり受講生全員(68名)に大学の主計算機dreamの一時アカウントを与えて、電子メールのやり取りに慣れろときたもんだ。
 賢明な諸兄には、既に話の結末が見えたことだろう。
 受講生の中からコンピュータを日頃使っている人間を11人掘り出してチュータをやらせるとか言い出す。そして私は唯一のULIS学生ということで、わかんないことがあったら全部訊けと。
 日曜日の12時頃からダウンしっぱなしのdreamは朝になっても復旧しておらず、ipcへ行ってみれば復旧の目処は立たないという。そこで竹居さんはかくのたまった。

竹居小熊くん、なんで司書教諭講習の手伝いなんかしてんの? 金一封でも出るの?
小熊俺、受講生です。
 答えている本人が、既に何かを諦めきっていた。
 講義中はさほど大事は起こらなかった。しかし本当の戦いは放課後にまとめて襲って来たのだった。
 夕刻復旧したdreamに、ログインしてみたいと言い出した受講生10名弱。実習室の中を小熊はコマドリのように飛び回る。ワープロしか使ったことがないというレベルが殆どで、しかも不用意にキーに触るもんだから、すぐに「カナ入力に切り替わった」とか「日本語が出ない」とか「アルファベットが出ない」とか言い出すし(涙)
 しかし約一時間半後には、全員がメールをやり取りして楽しむくらいのところまでは到達していたのだから素晴らしい。受講生の皆様も、電子メールの面白さを味わってくれたようだ。
 もっとも、それで疲労がやわらぐものではないが。ちょっと疲労が溜まり気味なのか、頭痛が引かないし、食べ物の中の化学調味料で吐き気を催したりと、なかなかハードだ。
 本当に感謝状とか出してくれないものだろうか>大学。

 今の私のささやかな願いは、一介の学生として、無事平穏に司書教諭講習を終えることだ。
 どうしてこんな小さな願いが叶わないのだろうか。きっと悪の秘密結社が存在し、小熊に平穏な生活を送らせまいと、日々暗躍しているからに違いない。考えてみれば、その秘密結社に属していそうな人間の名前がリストになって流れていく。いつか尻尾を摑んでやる(爆)

  Linernoteに予告してあることだが、明日より大学のシステムの定期メンテナンスに入るため、コンテンツの更新が滞ったりする予定。


1999年8月3日(火曜日)
 平穏だった。朝9時から夕方5時半まで、平凡な受講生として、椅子に座っていた。素晴らしい! 夢にまで見た平穏無事な暮らし! やはり人間普通に生きねばならぬものだ。
 昨日の日記の一言が効いたのだろう。秘密結社も一時退散というところらしいな(笑)。
 世の中も捨てたもんじゃないなぁ。

 本日、虫歯を発見する。生えかけで止まってしまっていた右上の親不知。歯ブラシが届かなくて不安だったのだが、やはり虫歯になっているようだ。この調子だと治しても治しても再発するだろうから、思い切って拔いてしまうのがいい解決なのだろう。


1999年8月4日(水曜日)
 定期メンテナンスのために、日中大学のネットワークが全面停止。日頃ネットワークに依存した大学だから、学内は火が消えたように靜か。臨時休暇とばかりに洒落込んでいるのだろうか。

 今日、講義の途中で図書館から、月末の展示の案内が配られた。
 そういえば、そろそろ展示案内文の校正をしなきゃいけない時期なんだなぁ。一人でも多くの人に見てもらいたいと思う反面、こんな無茶苦茶な内部体制で大丈夫なんかいなという思い半分。
 ポスターの背景に使われているメソポタミアの粘土板、未だに上下左右表裏、なにもわかってないんだよねぇ……。


1999年8月5日(木曜日)
 定期メンテの予備日だった今日、dreamのメインボード入れ替えなどということをやっていたらしい。まったく、導入当初から山ほどトラブルを抱えていたが、ここまでとは(笑)
 今日で『学校図書館メディアの構成』の講義が終わった。最期は分類分類また分類、NDCとNCRの日々だった。学部の時に緑川先生の授業をきちんととっときゃよかったよ。

1999年8月6日(金曜日)
 広島原爆記念日。戦争という大枠の中でどれほど残虐な行為が行われたとしても、そのこと自体は特に非難される謂れはないと私は考えている。民間人がどうのこうのというのも、近代総力戦において前線と銃後の区別が消失していることを考えれば、取り立てて非難に価するとも思えない。戦争において原爆が使われたか使われなかったか、という問題は、本質ではないのだ。
 戦争は、本質的に、野蛮で残虐で破滅的で陰慘で凄慘で悲慘で非道な行為なのだ。
 私は「戦争犯罪」という考え方に反対するし、「人道に対する罪」も戦争に於いては適用されないと考える。それらは全て、戦争が本質的に備える性質にすぎない。もしそれが罪だというならば、戦争そのものが罪であり、正邪を問わず当事者全員が等しく罰せられるべきである。
 戦争に伴って引き起こされる正義ゴッコは、端で見ていても虫酸が走る。

 今日、図書館から、丸善日本橋店での展示の解説のゲラが上がったから来てくれと言われる。ゲラを見てみると、問題の漢字はゲタになってる……。これじゃ俺が見る意味ないじゃん! ついでに展示前日だか初日だかに手伝いに駆り出されることになった。ちなみに無給。ボランティアである。弁当くらいはでるそうな。


1999年8月7日(土曜日)
 世間様では、お盆の帰省とかいうやつで渋滞が始まっているそうな。けったいな話だ。何もそんな時期を見計らって帰省しなくてもよさそうなものなのに。

 とりあえず図書館に校正したゲラを渡す。何ヵ所かルビを振らせてもらった。『膠泥活字』などは、ちょっと読めないだろうから。疑問を抱きつつもルビを振ったのが『續日本紀』。先日学生でこれをちゃんと読めない奴がいたので、ルビを振った。和泉先生に言ったら「嘘だろう」とか言われそうだ。私だって嘘だと思いたい。難しいところだなと思ったのは『王羲之』。書道をやった人間や、中国古典にある程度親しんでいる人なら知らないわけはないと思うのだが。
 ルビの指定はいつも悩ましい。思い切って総ルビなら、何も考えなくて済むのだが……。

 今日、ふとヴァーチャルサラウンドヘッドホンを見ていて思い付いた。こいつはヴァーチャルサラウンドを形成するプロセッサ部と、赤外線コードレスなヘッドホン部で形成されている。ってぇことは、だ。
「このヘッドホンって、汎用なんじゃないの?」
 SONY赤外線コードレスヘッドホンを幾種類か出している。このヘッドホンの部分は共通の機構なのではないかと疑ったわけだ。
 実験するには、もちろんもう一台、別のコードレスヘッドホンを用意せねばならないのだが、この問題は一瞬で解決した。
 このテの醉狂なものに手を出していないはずのない男・本学最強のオタク野郎にして永遠のオレンジロードマニア・糸野泰輔、その人でぇ、あるサイエンス・アイ風に読んでね)
 っちゅーわけで、早速自分のヘッドホンを持って彼の院生室に赴き、実験してみた。実験結果は良好。この部分は汎用品のようだ。


1999年8月8日(日曜日)
 今日は立秋でした。ということは今日から秋なんですね……。
 周囲はまるっきり夏丸出しだけど。

 八月はNHKの特集番組が多くて大変。それも結構質が高いのが多いもんだから。
 戦争を外交手段として考え、戦争における残虐行為を否定もしない男が、反戦特番を見て面白いか?とか問われそうだな。
 一応言っておくと、私は戦争が嫌いだ。しないに越したことはないとはないと思っている。しかし一旦戦争が始まってしまったら、全力を尽くして勝つことを考える。絶対反戦主義ではないというだけだ。
 輕々しく戦争をしないためにも、事実を知っておく必要はあるのだ。


1999年8月9日(月曜日)
 長崎原爆記念日。
 平和教育自体は別に否定しようとは思わないが(私だって平和は好きだ)、現実を忘れて幻を教えることのないようにして欲しいものだ。戦争は大いなる災厄ではあるが、外交手段のひとつであり、そして必ず目的をもっているものなのだ。手段を憎むあまり、目的の妥当性を検証するのを忘れたり、目的達成の手段としての戦争を全否定したりされると、将来の外交に影を落とすことになる。

 国旗国歌法が成立した。なんというべきか。こういう法律を作らねばならないことの方に呆れてしまうな。一方で、組織犯罪対策法案の中の、通信傍受法案が参院法務委員会を通過していった。こいつも困ったもんだ。せいぜい対策として、メールの暗号化を進めるくらいしかないか。

 懸案事項だった親不知を、今日近所の歯科医へ出向いて拔いてもらった。拔いた歯は貰って来たのだが、こらまた見事に穴が開いていた。うむぅ。


1999年8月10日(火曜日)
 司書教諭講習も終盤に近付き、そろそろレポート課題の提出期限も迫って来て、なかなか仕上がらないレポートに気もそぞろと言ったところ。
 一方で、そろそろ世界最大のオタクの祭典(笑)のための準備も進めねばならぬ。考えてみたら、もう三日後なんだな。

 毎年この時期になると問題になるのが靖國問題。靖國神社に閣僚が公式参拝するのが是か非かという問題らしい。「公式」となると問題になるのは政教分離の原則だろうか。
 靖國神社そのものに問題があるという意見もあるようだが、それはどうだろうか? 靖國神社は戊辰戦争の犠牲者を弔うために明治天皇によって建立され、その後日本の関った戦争における戦没者を奉っている、かなり特殊な性格を持った神社だ。奉られている御靈は日本人のみならず、日本国民として太平洋戦争を戦った韓国・朝鮮・台湾人兵士や軍属も含まれている。A級戦犯が含まれているのは確かに事実だが、A級戦犯が太平洋戦争の総ての責任を負わねばならないとは私は考えない。そもそもA級戦犯を裁いたのは我々日本人ではない。(日本人自身は、まだ誰にも戦争責任を科していない)
 その目的がどうあれ、日本の国のために(あるいは、国のせいで)死んだ人々を日本国の責任で奉るのは、最低限度の道義であると私は考える。
 ただ、建立当時の事情などから、神道のスタイルになっているのが、問題だということだ。
 なんか特例でも認めないと駄目な問題なんだろうなぁ。


1999年8月11日(水曜日)
 本を見ると見境がなくなる悪い病気が発病。『SFマガジン』の特別号を買ってしまう。もちろん「星界の斷章」のため。他にも二冊ばかり買い込んでくる。
 司書教諭講習も終盤に差し掛かり、いよいよ明日は木曜日。前日である。

 図書館から、二稿を預かる。
 一方、クロネコヤマトで届くはずのゲラの方は、受け取りに三日連続で失敗する。
 指導教官は会えないまま、国外へ。

 忙しすぎて、手際が悪くなっているようだ……。


1999年8月12日(木曜日)
 今世紀最後の皆既日蝕は、日本の裏側でしか見られなかった。今日のつくばは曇りぞらで、ペルセウス座流星群を見ることもできそうにない。残念続きだ。

 昨日散髮して気分が変わったところで、今日は鶯色の作務衣を着ていったのだが、これを見た糸野 the Great オタクはかく宣った。
「貴様偽物だな!」
「……黄色いマフラーしてねぇだろ」
 全くもって困った野郎だ。


1999年8月13日(金曜日)
 初日。
 体力的限界……老いを感じる。

 レポート課題やらなんやらがもの凄い勢いで迫ってきていて、片っ端から処理しても追い付かない。俺ってこんなに勤勉だったっけぇ?


1999年8月14日(土曜日)
 二日目。
 朝から雨。よって、あっさりと有明行きを諦める。私はそこまでの情熱を持ってはいないというわけだ。かくして一日レポートに費やす。それにしても凄い雨だった。
 レポートはろくろく進展しない。困ったものだ。
1999年8月15日(日曜日)
 三日目。最終日。
 愛車ドミンゴを駆って有明に乗り付ける。スペースに辿り着いてみると、新刊は無事搬入されていた。早速開けて中身を確認……しようとしてみたら、中から妙な紙が。印刷所の人が、一筆何か書き記したらしいが、内容は恐ろしくシュールな詩だった。印刷所の修羅場が想像できる。
 色んな知り合いが来て、多少なりともうちの本を買ってってくれる。
 午後四時頃には、もうクタクタになっていた。その後、某オタクMaster糸野と某マッドドクター創を載っけて帰って来る。
 なんとか頑張って買い物までは出かけたが、料理する前にKnock Out。寢てしまう。
 レポート……。
1999年8月16日(月曜日)
 午前4時に目覚める。で、レポートをしこしこと書く。他にも色々やっていたら、なんと午前9時を回っていて、授業に遅刻してしまう。間拔けだ。大体、早起きした時に限って、余裕こいた挙げ句遅刻するというのが私の悪癖なのだ。
 明日は、CICCでの多言語処理のWGに参加するため、司書教諭講習を欠席する。そのため、明日提出のレポート類多数を今日仕上げなければならないわけだ。
 忙しさの余り昼食を食べる時間がなくなり、結局17時まで空腹を抱えて受講する羽目に。終わった後糸野くんのところへ行って『バランスデイト』を馳走になる。あとで返礼に『リポビタンD』を差し入れたら、「おおー!」とか大喜びで飲み干していた。
 何か間違っているような気がした。

 今年の“終戦記念日”で興味深かったのは“敗戦記念日”という呼称をする場合が散見されたことだろうか。私は以前から“敗戦記念日”と言うべきだと考えている人間なので、こういう呼称が少なからず見受けられることに、好ましさを覚える。戦争が終わっただのと、他人事みたいな言い方をするのは、気に食わない。あれは日本人が敗けた戦争だったのだ。
 歴史学の重要な仕事の一つに、失敗の分析があると私は思っている。歴史の中の失敗に対し、多角的に分析し、再び同じ過ちを繰り返さないための教訓とする。
 戦前の大日本帝国には、構造的欠陷があった。政府には軍を制御する術がなく、天皇には制御する意志がなく、軍には自省する頭がなかった。
 さて果たして、現在の日本国は大丈夫かな? (私にはやはり構造的欠陷が見えているが……)


1999年8月17日(火曜日)
 今日は司書教諭講習最終日……だったのだが、CICCのMLIGのWGの方が優先ってことで、欠席させてもらった。
 月に一度のこの会議で片岡先生に会う度に、私は自分がまだまだ多言語の世界の入り口に立ったばかりなのだと思い知らされる。奧が深いというより、果て無き世界だ。
 私たちが手にすることができる「歴史」など、人類が過ごした時間のごくごく一部にすぎない。であるにも拘らず、その歴史は私たちの手に余る。知らないことがこんなに沢山ある。
 今日、WGでM上さんから8世紀頃のインドの貝多羅葉の写真を見せてもらったのだが、あまりの恐ろしさに敵前逃亡しようかと思ってしまった。真剣にタイムマシンの開発を始めた方が良いかもしれず。

 WG終了後、片岡先生と秋葉原へ出向く。片岡先生がオーディオマニアであることを知る。ヤマギワ電気のオーディオコーナーで、片岡先生ご自慢のCDを様々なアンプとスピーカで聞かされる。
 しかしそのCDが凄い。

小熊どうやって手に入れたんですか?
片岡先生秘密。
 スピーカやプレイヤが違うだけで、あれだけ音が違うとは。初めての体験だっただけに、新鮮だった。なんか本当に良いスピーカとDACのセットが欲しくなってしまった。
 しかし片岡先生、半分仕事、半分趣味の公私混同らしい。なんでも大学の方でチペット語の音声資料の録音・再生環境を構築するのだそうで、金に糸目をつけなくていい状態だとか。
 自宅の方のオーディオ環境が引っ越しのせいでイカレたとかで、自分の新しいスピーカも搜しているのだそうだが、散々注文をつけた挙げ句、ご本人は「オーディオマニアじゃないよ」と宣った。
 そうそう。本人は必ずそう言うんだよ……。
片岡先生ちょっと意外だったでしょ。
小熊え? 片岡先生だったらたとえ原爆作ってても僕は驚きませんよ。
片岡先生なんだよそれ。ロスアラモスに呼ばれて原爆作れって言われたことはあるけど。
小熊……。
 コメントは差し控えさせていただきます。19時20分頃に、秋葉原駅で別れる。濃い一日だった。

 WGに出席する前に、ふと上野のまんがの森に寄ったら、笹本祐一の『星のパイロット』シリーズの著者サイン本が売られていた。もちろん私はコレクターではないので買わなかった。それよりドラマCDを早く手に入れなければ……。

 夜、NHKスペシャルで『ノモンハン事件 60年目の真実』 という番組を放送しているのを偶然見つけた。酷いものだ。帝国陸軍の死傷率76%……。普通軍事上の常識として、三割の戦力が失われれば「壞滅」と呼ばれるのだぞ。
 しかし日本という国は、本当に反省が下手だ。反省するというのは、過誤を直視する勇気の事だ。間違っても、全てを否定することではない。なにが誤りであったのか、痛みを堪えて覗き見ることだ。
 この日本の反省下手の体質は、今も昔も変わらないようだ。
 歴史学がちゃんと機能してない国なんだよな、この国は。歴史学徒としては、心苦しい限りだが。


1999年8月18日(水曜日)
 司書教諭講習の最後のレポートを一日がかりで仕上げる。
 これで明日からは修士論文の方へ戻れる……と思う。
 でも同時平行で図書館やら、[ピー]MCやら、某所やらから舞い込む案件を考えるだけで脳が沸騰しそう(笑)。「小熊さんモテモテ」とか言われちゃってるけど、モテるなら女の子にモテるほうが、まだ健康的だよな。

 昨日約束したとおり、片岡先生にメールを出す。さてさて、これでまた一つ、問題の文献が私の手の内に入るわけだ。恐らく、この大学では私一人だけが真面目に考えている、資料電子化にまつわる問題。
 いや、だってこの大学駄目だもん。電子図書館やってるけど、資料の電子化に際して、どのくらいの精度が必要かなんて誰も研究してないし。大体、それを問題だと認識してないもん。
 文字コードの問題も、突き詰めれば精度の問題だけどね。包摂基準をどこに置くかという、精度の問題。閾値の設定如何で、再現時の精度も決まるってわけだ。

 仲間内で流行っている「あなたのPC汚染度チェック」をやってみたら、汚染度148.8%と診斷される。「もうかなり駄目なレベルに来ています。」……。
 いつの間にこんなに進行したのだろう? そのうち紙の資料を見るよりディスプレイのドットを眺める方が落ち着くとか馬鹿なことを言い出しそうで怖い。


1999年8月19日(木曜日)
 残暑厳しい八月後半。
 あちこちから舞い込む案件を、一つ一つ考えては返すなんてことをやっているだけで、あっという間に一日が過ぎてしまう。
 しかし[ピー]MCのS谷さん……。メールのタイムスタンプが、ちょっとヤなんすけど(^^;。この会社しか、私に金を払ってくれんとは……。わしの力って、そんなに些細なものなんだろーか?>大学

 昨日の「あなたのPC汚染度チェック」なのだが、ULISで絶対に私より汚染されているはずの二人(糸野くんIPCの竹居さん)が私より低い値を出した。これは絶対に嘘を吐いているに違いない、と糸野のところに押し掛けて、私の監修の元に再チェックを受けさせると、128%まで上昇する。ほらみろ。きっとまだ私の分からないところで嘘を吐いているに違いない。嘘つきはいかんね、嘘つきは。


1999年8月20日(金曜日)
 今度は「貴方のダメ人間度チェック」。私は164.8%で、「あと一歩で完全なダメ人間です。立ち直ることはすでに無理でしょう。」ときたもんだ。

 今日から本格的に修論戦線に復帰する。とか言いながら、最初から多言語の方に流れていたような気も……。石川先生のところでモンゴル語の話をしていたことを考えても……。


1999年8月21日(土曜日)
 「貴方のダメ人間度チェック」で私の値を越えた人間がいた。誰であろう、ミツルんである。堂々の172.8%。ぶっちぎりである。
 なお、「あなたのPC汚染度チェック」でも、悪友都筑くんが170%台を叩き出した。
 ああ良かった。正直な人間が周囲にいて。

 今日は腰痛がなぜかひどかったので、唐突に休養日にしてしまう。いい加減、畳に寢ゴザで寢るの止めようかしらん。


1999年8月22日(日曜日)
 朝六時十六分に、[ピー]MCのS谷さんにメールを出した。
 出した直後に気がついた。「今日は日曜じゃないか。図書館も閉まってる、か。ちょっと欲しい文献があったんだけど、月曜回しだな」。
 そんなこと考えていた。
 そしたら、二分後に返事が届いていた。
 ……。
1999年8月23日(月曜日)
 司書教諭講習が終わったと思ったら、午前九時くらいに寢て、午後四時くらいに起きる生活になってしまった。これじゃいつ日記を書けばいいのか分かりゃしない(笑)。
 日曜日に見つけたシソーラス辞書について、図書館で調べてもらおうと思っていたら五時過ぎてた。困ったもんだ。
1999年8月24日(火曜日)
 久しぶりに、雨が降った。お陰で昼間でもさほど気温が上がらず、寢やすかった。

 書店で梶尾真治の『クロノス・ジョウンターの伝説』を手に入れる。昔、『グリフォン』という『獅子王』の後釜SF雑誌(すぐ潰れた)に読み切りとして掲載された作品に、あと二本追加して一冊ものにしたもの。クロノス・ジョウンターという副作用付きタイムマシンをつかった男女の恋物語三本。ちょっと書き下ろしは読み切りに比べて甘さが増しているけど、悪くなっているわけじゃない。読み切りの切なさがたまらなく好きだった人には、少々たるいかな、という気はするけど。
 あと、漫画を一冊買った。木村紺『神戸在住』(講談社アフタヌーンKC)。何の事はない日常を描いた、漫画エッセイ。でも神戸の地震が絡んでいて、なかなか読ませる。
 こういう作品を見ていると、漫画という表現手段で、小説でも隨筆でもなんでもやれるんだなって思えて、非常に嬉しい。僕は絵は描けないけれど、漫画好きとして、ね。
 95年の1月17日というと、僕は前の大学の二年生で、丁度その日、後期の試験だった。当時はテレビもラジオもない生活で、新聞は大学の図書館で読むだけ。だから朝、僕は何も知らずに試験会場に入った。そこで、蒼い顏をした神戸出身の福崎くんからニュースを聞いたのだ。
 20歳最後の日だった。

 今日のNHKの『クローズアップ現代』で稀少動物のペットブームを取り扱っていた。そもそもペットというものについて、今の私にはあまり理解がないのだが、これが保護対象の稀少動物となると、なぜそんなものを飼いたがるのか全くわからない。
 番組中では「珍しいから」「コレクション性」とか言われていたが、生き物をなんだと思っているのやら。きっと連中にとっては、他人はすべて「ホモ・サピエンス」なのだろう。だからペットも種名でしか判斷しないのだ。


1999年8月25日(水曜日)
 夏休み明け、最初のゼミ。指導教官の評価:「崖っ縁」。
 そうか。崖っ縁か。でもいつもの事って気がするのは、きっと何かタチの悪い勘違いに違いない。
 ああ、今週の後半も忙しいな。来週も忙しいな。調べないと搜さないと考えないと仕事しないと。
 きっと私より頭のいいやつがどっかでサボっているに違いない。
1999年8月26日(木曜日)
 ずれまくった生活時間帯を一撃で元に戻すべく、徹夜を敢行する。ふらふらになって東京へ。今日はTRON-GUIだった。

 給料日明けで東京、それも神保町とは目と鼻の先の本郷に到達した私は、あとは例によって例の如く、湯水のように本を買い漁った。先日[ピー]MCのN内くんと給料を何に注ぎ込むかという馬鹿話をしたことがあったが、私の場合はもはや何も言う必要はないだろう。

 書店で、『Hello! あんくる』の総集編を発見する。
 作者はみず谷なおき。寡作だが『人類ネコ科』などの代表作をもち、人気のある作家、だった。この人のことを過去形で語らなければならないことが、本当に辛い。今年の2月に急逝。不帰の人となった。享年38歳。若すぎるよ……。
 『Hello! あんくる』は氏の最後の連載作となり、最終回の一話前で中斷したまま、とうとう未完となった。
 今日まで、名古屋で原画展が行われていました。原画展を東京で開催しようという有志の動きもあるようです。


1999年8月27日(金曜日)part 1
 自転車の後輪を交換してもらう。三年目なのだが、溝が殆どなくなっていた。

 夕刻、妹から電話がある。元旦には帰省するかとの問いに、多分と答えると、結婚式をするから帰省しろと宣う。妹24歳。高校時代からの付き合いの彼氏と、結局ゴールインするらしい。
 妹は千葉で看護婦を、彼氏は北海道で教員をやっている。結婚式に呼ぶような知り合いは高校時代の同窓とかなので、全員が帰省している元旦を狙うということらしい。また面倒な日を選ぶ。
 その彼氏とは教育実習で一緒だったが、別に悪い人間じゃなかった。面白い人間だとは思わなかったが。よくも悪くも普通の人間だ。
 まあ、妹はなにかと突飛なことが嫌いだったから、それでいいのだろう。(この件については兄を反面教師にしたという説があるが、斷じて違う)
 しかし元旦に実家に帰るためには、その前にきちんと修論を終わらせなければならないワケで、それを考えると色々頭が痛い。
 大体、正裝もないからつくらんとあかん。紋付袴ってどのくらいするんだ?←フォーマルにする気はないらしい 冠婚葬祭兼用の紋付ってあるのかな? 家の紋って二重鷹の羽だけど、どっち重ねだっけ?
 やっぱ面倒臭いから欠席しようかしら(笑)。

 親も妹も、私のことをよっぽど心配しているようだが(苦笑)、相手がいなければ結婚というものはできないわけで、そもそも相手がいないんだから心配したってしょーがなかろーに。え? それが心配の種だって?


1999年8月27日(金曜日)part 2
 本棚一本を占拠する同人誌の山を、少し整理せねば本が本棚から溢れだしてしまうので、段ボール箱に收納して押し入れに格納することにした。しかしただ押し入れに放り込むと封印と一緒で、なにがあったかわからなくなるので、その前段階作業として目録づくりをしなければならない。
 司書教諭講習の実習の一環だと思えば……。
 当然、B-right/V上のマイクロカードで作りはじめた。同人誌といって侮るなかれ。表題や出版者に補助漢字を使うようなツワモノが結構いるのだ。どうだBTRON。
 とか言って調子乗ってたら、なんと補助漢字にも入っていない漢字が入った題名の同人誌が出てきてしまった。
 ぐあ!
 S谷さーん。どーしよー(笑)
 結局なんだかんだでとりあえず段ボールに放り込む分、約170冊(三箱)のデータを入力した。この時点で補助漢字外字が2字という体たらく。世間は思ったより厳しいようだ。

 JIS制定後の用字用例調査は、JISの影響下にあるために、ある種の偏向がかかっている可能性が高いと、今回の一件で思った。同人誌のように一種「治外法権」的な出版物の場合、その軛が弱いのか薄いのか、こういう結果が出たというわけだ。

 しかし同人誌を整理していて思ったのだが、田中久仁彦がカラーを描いてるやつ(しかも乱丁)とか、荻原一至の同人誌とか、甲斐智久の同人誌とか、梶島正樹が出した天地無用!の同人誌とか、なんかレアなのあるなぁ……。
 もし死んだ時に、まとめてリサイクルゴミにされたら、たまらんな……。きちっと遺言状に書いておかないと駄目だねぇ。


1999年8月28日(土曜日)
 今日は休日。休日にする。
 だって明日は仕事だよ? しかも無給で。
 大量に買い込んできた本を処理することにする。

 深夜、FTRONの月例チャットに出る。すると一斉に「9月に何があるのだ!」と責めたてられる。躱すのが大変だった。私もK元くんのような毛の生えた心臓が欲しいものだ。こんな小心者を責めんで欲しいわ。


1999年8月29日(日曜日)
 体が二つ必要だった日。
 朝からまず池袋のコミディアに出かける。サンシャインシティの地下広場での開催、800スペース。非常にいい雰囲気。だが私はここで仲間にサークルを託すと、すぐに日本橋まで取って返し、丸善日本橋店で翌日からの展示の設営にかかる。
 私の役所は和泉先生の助手。で、先生は午後2時に到着とか言っていたが、その前に私でできるところをやってしまう。まず貝多羅葉の上下を確認し、チベット仏教の版木の上下を確認し、鉛活字組版が90度倒れていたので傾け、あっちをいじりこっちをいじり。
 しかし、説明不足なのか何なのか、設営している人々の中にすら、何を展示しているのか理解されていないものもあった。
 午後1時、和泉先生到着。次々と和泉先生の指示が飛ぶ。
 その最中、森事務長が和泉先生に仰った。
「いいお弟子さんねぇ」
 俺は和泉先生の弟子だったのか……。坂村先生の下僕だったりもするわけで、二師を仰がずという古い格言に反しているわけだな。
 和泉先生の仕事が終わると再びサンシャインに移動。コミティア閉会にぎりぎり滑り込む。その後サークルの面子と冬コミ合わせの新刊の〆切などを話し合い、分かれる。
 Too Hard。
1999年8月30日(月曜日)
 色々と買い物をして昼間を過ごす。しかし、昨日の影響からか寢違えたためか、左肩が痛く首が回せない。「なるほど、忙しくて首が回らないとはこういう事か」と得心した次第である。
 昨日録画したNHKの『世紀を越えて』を視聴する。地雷の話だった。地雷は安価で効果の高い兵器だ。もちろん兵器であるわけだから、非人道的であることは言うまでもない。先週は核兵器だったが、実害という意味では地雷の方がよっぽど問題だろう。
 あまり知られていなかったことだが、日本は世界でも指折りの対人地雷保有国だった。これは自衛隊の防衛方針だったからであって、別に輸出していたわけではない。地雷は攻めるにも守るにも、非常に効果が高いのだ。
 しかし人類文明における各種技術と同じく、こういったものは大抵後始末はてんで考えられていない。様々な地雷撤去技術はあるが、最終的には人手でちまちま処分していくしかない。
 世界各国のボランティア団体が活動している。もちろん、日本のもだ。
1999年8月31日(火曜日)
 明日はゼミがあるというのに、殆ど作業は進行していない。……っちゅーより、どれだけ作業しても「進んでいる」という手応えがない。毎日毎日漢字と睨めっこしているわけで、それなのに調べなければならない漢字は一向に減っていかない(もちろん実数としては減っているはずなのだが)。時間だけを浪費しているような気になる。
 明日も忙しいな。なんとかゼミまでにつくばに帰ってこなければ。