哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2001年10月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、並びにパーソナルメディア社は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2001年10月1日(月曜日)
 全体的に体調不良な一日。

 自衛隊のアフガニスタン(周辺)への派遣の問題は、完全に政争ですな。自衛官の命をなんだと思ってるんだか。
 軍を派遣するということは、被害は折り込み済みでなければならない。勿論、被害など出ないに越したことはないが、指揮官・参謀は絶対に損耗を前提として作戦行動を立案しなければならない。神の恩寵か、あるいは悪魔の加護でもなければ、戦鬪行動において損耗ゼロなどということは有り得ない。自衛隊が、「戦域無き戦争」の現地に派遣されるということは、いつ何時飛行機が陣地に突っ込んで来るかわからんということ。
 そういうことを考えていれば、持っていく武器兵器類に関しては、歩兵戦鬪車はもとより、対空自走砲くらい持たせてやりたいくらいだ。どれほど重武裝させても、足りないくらいに。


2001年10月2日(火曜日)
 米国大統領がアフガニスタンへの空爆を決定したとか言う報道が。
 戦略的観点から、陸軍の展開は困難なので、空襲をするだろうというのは、あちこちの軍事分析家の一致した見解ではあったものの、やるということは、ある程度目標が定まったということ。潜入部隊が一定の成果を上げているということですね。
 念のため。
 戦争は犯罪ではありませんが、こういった軍事部隊による潜入諜報活動は、国際法上非合法ということになります。必要ですし、どこの国でもやっていることではありますが、「やっている」とは口に出せない類の話で、実際米国政府関係者で、潜入部隊の存在を公言している人はいません。
 日本でそういう不正規活動の話が出たら、必要不必要の話を拔いてわんわん騷ぐ奴多そう。

 大和記者らしい記事でございます(^^;


2001年10月3日(水曜日)
 NHKのクローズアップ現代で狂牛病の特集を組んでいた。
 見ながら思ったのだが、結局人間って感情で動くんだよなぁと思う。終わってしまったことを、未来の視点から分析して、あれやこれやというのは実に簡単なんだってば。本当に、過去のある時点において、狂牛病に対する対策が講じることができたのかどうか、というのは判斷が難しい。結果論だけから言えば、できなかったから今の現実があるわけで。
 正直言って、「日本で狂牛病が発生する可能性は低い」という専門家の見解には、一定の根拠があったと思う。「発生しない」とは言ってないが、確率が低いとしている。その先となれば、それは費用対効果の問題だ。
 安全第一だとか、安全はなにものにも替えられないとか言うのはたやすいが、そのためのコストは誰かが負担しなければならないわけで、大抵において安全第一とか平然という人が同じ口で税金の無駄遣いだとかなんだとかと言い出すことが多いように思う。
 防疫などがそうだが、きちんと機能していることが当たり前になってしまっていて、そのために割かれている人的資源や時間、資源というものに配慮を払うことは少ない。しかし、当然それらもある種の予算枠内と時間制限内で動いていて、完璧な防疫体制など端から不可能なのである。だから当然、危險性が高いものを重点的に、危險性が低いものは網の目を緩くする。
 バケツでウラン溶液を作るような話は論外にしても(笑)、常に危險性が確率論で語られる以上、どこかで閾値を設定して対処するしかない。
 その閾値の設定が適性であったか否か、事後の対処に問題がなかったかを論ずるのは結構だが、閾値を設定したことそのものを問題にする傾向が、この社会には強い。
 これは治安・防衛問題について特に言える。
 再三述べているが、その気になった人間を、事を起こす前に止めるのは非常に難しい。こと犯罪・テロなどは社会問題なので、予防など事実上不可能だ。よって、予防策などというものは、気休めよりはマシという程度でしかない。そのような前提の上で、費用対効果の許す限りの対策を講じようという話であることは、本来諒解事項でなければならないはずなのだ。だからこそ、起こったときのことや、その後のことも真剣に考えなければならない。

2001年10月4日(木曜日)
 TRONフォントアーカイブセンター構想ねぇ。
 車輪の再発明っていうか、なんというか。
 メーカー外字も含めて、外字とは即ち将来の情報交換が保証されないものだった筈なんだけど、そういう美しい前提って、あっさり崩れ落ちるのよね。「お客様は神様です」とか言われちゃったりすると、もうなんか「神様お願い」とか信じてもいないものに縋り付きたくなったりして。
 データウェアには最も気を遣わなきゃなんないってのはTRONの中心思想の一つだけど、いい加減なデータウェアの後始末は金もかかれば時間もかかるし、徒労度拔群なんだっていうことは、あまり理解されてない。これもリテラシーの問題なのだろうかと思わなくもないのですが、悪しき結果論主義のお土産なのかも。

2001年10月5日(金曜日)
 テルアビブからノボシビルスクへ向かっていたロシアのシベリア航空機が黒海上空で墜落して大騷ぎ。こんな微妙な時期に……。
 テロ説やら演習中のウクライナ軍による誤射説など、今のところ原因は不明ですが、現象としては「狙ったようなタイミング」ですね。
 例のテロ以来、どこの国の軍隊もピリピリしていて、まともな指揮官であればあるほど、胃が痛くなるほど悩んでるはずなんですよ。“もしも”のときは人質が乗っていようとなんだろうと、撃ち落とさねばならないのですから。こんな時期に“間違って”旅客機なんか撃ち落としたくはないでしょう。
 いつ起きてもおかしくはない類の事故ではあるんです。ただ、時期が時期だけに、色んなことを疑わねばならないだけで。

2001年10月6日(土曜日)
 昼食の料理をしていたら、木元くんからTel。
 料理が終わるまで待ってもらって(笑)、再電話を貰ったら、内容は歴史講義の要請だった。今回のテロに絡んでの、「いかにして緊張状態は作り上げられるか」という、非常に不穏当な内容。
 元来平和に生活していたところに、外部から干渉を行うことによって、階級を作り上げ、階級対立を発生させ、いがみ合い、憎しみ合わせ、最後に点火して騷乱へと成長させるのは、案外簡単らしい。さらに火がついた所に油を注いで、虐殺を招来するのも。
 歴史的には、多くの地域で実踐された確立された技法といっても良いのではなかろうか。
 問題は、一度騷乱状態に陷ってしまうと、恢復させる手段がまずないということだ。
 そんな後先考えないようなことをするんじゃないと言いたいところだが、人類という奴は常に後先を考えなかったからここまで進歩してこれた側面もあるので、あまり強く言えないのが難点だ。
 それはともかく、一度騷乱状態に陷った地域において治安を恢復し、平和な生活を取り戻すのは並み大抵ではない。騷乱を起こすために使ったものの数倍から数十倍の時間と労力を要する。そしてなにより、卓拔した指導者を必要とすることが多い。
 私は歴史屋であって政治学者ではないので、平和恢復のために卓拔した指導者が必須であるのかどうかは判斷できないのだが、過去の事例を見る限り、よほど人間離れした指導者がいないとどうにもならないような気がする。
 それでなければ、外部勢力がより強力な武力で全土を平定し善政を敷くか、であるが、これまた成功事例が極端に少なく、挑戦を躊躇うようなやり口ではある。
 人間の本質が悪だからなのか、それとも蛇に唆されて知恵の実を食べたからなのかは知らないが、現世に生きる私どもとしては、頭の痛いことこの上ない問題ではある。

 夕刻から夜中にかけては、ぶんぶんの準備をしていた。


2001年10月7日(日曜日)
 床屋に行ったら、近所の小学校で運動会をやっていた。床屋の親父に尋ねたところ、実は小学校のグラウンドを借りて幼稚園が運動会をやっていたそうな。
 その小学校は投票所に指定されている関係で何度か入ったことがあるのですが、グラウンドがアスファルトで敷き固められてるんですよ。転んで怪我でもしなきゃいいんですけど。

或る床屋での会話
床屋の親父「お客さん、肌白いねぇ」
「陽に当たらない仕事してるからね」
床屋の親父「“夜の仕事”かい?」
「……唯の事務屋ですよ」
 ツッコミ不可。

 友人から、「この際、ASIMOを実踐に投入してはどうか」という意見が。
 地雷原を啓開する肉の盾か?と思ったら、チェーンガンを積んで移動砲台にしようという提案だった。
「指揮官機は三倍の速さで動いて頭にツノをつける」
 ……。
 確かに定石だな。(なにがだ?)


2001年10月8日(月曜日)
 朝から米軍による空爆が始まったと号外。
 いつか始まるものが始まっただけではあるが、痛ましいことではある。

 気が付いたことがあって、今回のテロに最も強硬な米英両国って、先進国の中では歴史が最も短い二ヶ国なんですね。意味があるのかどうかはわかりませんけど。英国についてはテロの本場でもあるので、歴史が云々というより、単にいつシティに飛行機が突っ込んでくるかわからんという実感の方が先に立っている可能性は高い。
 日本の議論って、真剣味が足りないよなぁ……。


2001年10月9日(火曜日)
 電車の車内で、結構厚い携帯電話の取扱説明書を読んでいる人を見掛けた。
 驚いたのは、あんな携帯電話に、下手するとウチのファクシミリより厚いマニュアルがあるってことですよ。いや、携帯電話持ってないもんで、携帯電話の多機能化が進んでるとか言われても実感全然なかったんですけど、単なる取扱説明書があの様子だと、結構使う方も大変そうですね。
 もっとも、機構的な意味での使い方は覚えても、モラル面での使い方を覚えてる人間は少ないみたいですけど。映画館で携帯電話が鳴るのも、ある種「常態」となりつつありますし、ステッカーがあろうが車内アナウンスがあろうが車内で携帯電話を使う人はいなくなりませんしね。車の運転中の電話は、法律で取り締まった方が良いような気がしますよ。独りで事故って死ぬ分には私は一向に構いませんが、巻き込まれたら災難では済みませんから。
 電波といえば、最近、漸く違法無線を積んだトラックが目に見えて減ってきました。携帯電話の普及が原因でしょうねぇ。
 一応説明しておくと、電波は公共物なので、周波数と変調方式はきちんと区分されていて、目的毎に使って良い帯域と変調方式と出力は決められているんです。ちなみに管轄は総務省(旧郵政省、さらに昔は逓信省)。電波局は基本的に免許を受けて、各地方の電波管理局に申請を出して免許状を頂かないと電波を出すことができません。(携帯電話などはまた別ですが)
 にも拘らず、違法改造の高出力無線を積み込んだ連中(主にトラック)がかつてはそこらじゅう違法電波を垂れ流しながら走っていました。そらもう、近くのスピーカーが勝手に電波拾って鳴り出すくらい強力な電波を。
 携帯電話の普及と足並みを揃えるように、違法無線は減っていっていますね。そりゃそうか。無線機とアンテナを買うくらいだったら携帯電話買えるもんね……。

2001年10月10日(水曜日)
 きっかけは少々悪いにしても、この際だからイスラム世界に対する理解を深めるのは悪いことじゃないと思う。
 しかし、アフガニスタンの現状の遠因は冷戦構造にあってイスラムとは余り関係がない。たまたまアフガニスタンがイスラム社会だったというだけの話で、これが仏教国であっても事情は大して変わらなかったろう。
 本当に宗教的事情だけで人間結束したり同胞意識を持ったり分かりあったり友情が芽生えたりはしないわけで、憎しみあうことになれば同じ神を頂いていようが同じ親を持っていようが人間いがみ合って殺しあうというのは、わざわざ例を探す必要すらありませんな。そんなわけで、所詮は人間のやることですので、あまり相手を特別視するのはよろしくありません。お互い人間だと思って、絶望して下さい。

 戦争に犠牲者は付き物。国連職員だからって別に弾が避けてくれるわけでもないでしょうに、何を一体驚いているんですか? 一般市民の犠牲が、千人になるところが百人で済んだ良かったねってレベルで話し合わなきゃいけないでしょ、戦争なんだからさ。味方の犠牲が少ない割には、敵に大打撃を与えました。キルレシオが非常に良かった。作戦に見込まれた犠牲を遙かに下回りました。大成功じゃない。
 私が非人道的なことを言っていると思うのであれば、それは戦争が非人道的だからに過ぎません。
 戦争反対、ごもっとも。私も嫌い。


2001年10月11日(木曜日)
 シューレの学ゼミ。

 可処分時間が足りない。
 やりたいことがたくさんあって、頑張っても数分の一も片付けられていない。なのにまたまたまたやりたいことが増える。
 こういう状態になると、どうして人間寢ないといけないのか、などと真剣に考え始めるので、更に不毛だ。


2001年10月12日(金曜日)
 冨士靈園で墓前祭。

 くたくたになって渋谷に着いて、食事にビールを入れたら、不整脈の発作が起きた。ここ暫く、ビールの一杯や二杯では発作が起きてなかったので油斷していたといえば油斷していたのだが、やはり本質的には治癒するようなものではないので、疲れているという自覚があった分、用心すべきだった。判斷力が鈍っていたか。

 明日も早いので、今日は早く寢るつもり。


2001年10月13日(土曜日)
 今日は協会のイベント。

 うちのサイトを見た人から。
妹さん凄い美人。全然似てないね」
 ……。前半が何を意味しているのかはともかく(笑)、後半は当人達にも自覚がある。
 しかし不思議なことがあって、例えばと私は似ていると良く言われ、妹も父親似なのである。
 筋が通らない、変だと思われる向きもあるが、この兄妹を並べると同じ親から生まれたと信じる人は激減するのだ(笑)。
 生き方や人生観については、最早語るまでもない。


2001年10月14日(日曜日)
 出かけようかと思っていたのに、結局疲労恢復を優先させてしまう。ちょっと精神低調かも。燃えつき?

 常識力検定なるものを発見し、なんだかなと思う。ちなみに、サイトに載っている三問は、当然ながら全問正解した。
 そのうちこの検定なんかも一つの指標として使われるようになったり、就職に有利になったり、参考書が出たりするんだろうか。
 常識ってそういうものとはチト違うような気もするのだが……。
 ましてや、常識を「知っている」ことと「従う」ことと「縛られる」こととかいう話になれば、そら全然違った話になりますわな。

 ジャン・アレジが引退したりミカ・ハッキネンが休養したり……一時代が終わる感じ。


2001年10月15日(月曜日)
 考えなければいけないこと、あるいは考えておきたいことがたくさんあるのに、放り投げて寢てしまう。完全に精神低調。
 あるいは、単なる風邪か?

 先日、市ヶ谷の某所で迷彩服に64式を抱えた門衛を見て思った。
 道具を持っていても、それを使う技術を持っていても、結局は目的意識がなければいけない。そこで何をしているのか、何のためにその道具を持っているのか、どのような時にそれを使うのか。そういった意志が備わっていなければ、どのような武器を持っていたとしても、役立てられるかどうかは疑問になる。
 逆に人間意志さえあれば、わざわざ武器など持たなくても人を殺すしね。
 何のために人殺しの武器を持たせているのか、ということを再確認した方が良いのではないかと思うのですがね、政治家の方々。


2001年10月16日(火曜日)
 結局風邪でした。
 朝から洟ぐすぐすだったのですが、午後2時頃から頭痛と悪寒と吐き気と異常発汗が襲ってきて、こんなときにうっかり常備藥を忘れている。しょうがないので早退させてもらいました。
 自宅に直行して藥をがばがば飲んで一眠り。大分よくなりました。

 はい、エスペラント語です。
 エスペラントは……言語としてはあまり面白くないんで(人造言語の上に「世界言語」を目指してるんだから、当然といえば当然ですが)、個人的には興味は余りないのですが、なんというか「さあ次行ってみようかぁ!」ってカンジではありますね。

 炭疽菌で世界が盛り上がっているようなので、ちょっとBC兵器の話など。
 BC兵器とひと括りにしますが、B(Biological/生物)兵器とC(Chemical/化学)兵器ではかなり性格が異なります。禁止条約も違います。
 一般的には化学兵器の方が威力もあり、また製造も簡単であり、使用についても輕易です。毒ガスというと大袈裟に聞こえますが、なにもタブンやソマンじゃなくても、塩素ガスのように簡単に作れて結構な毒性をもっているものもありますので、ちょっとした化学肥料工場でもあれば調達できるんです。
 しかし毒性が非常に強い、つまり兵器として強力な毒ガスとなると流石に製造・管理・使用が難しく、特に開発となると大規模な設備が必要となります。自爆覚悟というならともかく、使用される瞬間まで安全でなければいけないという意味では、結構難しいところのある兵器ではあります。
 そして生物兵器、ことに細菌・ウィルス兵器となると、これよりさらに難しい問題があります。
 一つは、効果判定の問題。
 我が国は前大戦時に731部隊等において人体実験を繰り返した前歴がありますが、とにかく人間を対象とした生物兵器は、効果がどのくらいきちんと現れるか、事前に知るのが難しいという問題があります。化学兵器はこの点ある程度組成から毒性が予想できるのですが、病原体となると、人間の固体差やら病原体の状態やら環境やらによって、罹ったり罹らなかったり、罹ってもすぐ死ぬやら一週間で死ぬやら恢復してしまうやら、これまた想像がつかないところがあります。
 さらに生物である関係で、制御がかなり難しい。無分別に広がられても困るが、あまりに濃密になって感染が広がる間もなく收束されても困る。病原体だって生き物なので、宿主ごと全滅するってのは生物としてよろしくないので、生き残ろうと様々な努力(?)をして、密度が高いと変異をたくさん起こす。あまり変異を起こすと毒性を失ったり、逆に撒いた方の衛生防禦を突破する怖れがある。
 兵器というものは、ある一定の用法に於いて一定の効果が安定的に見込めることが重要です。爆発するまで効果範囲も威力もわからない爆弾など使いようがありません。
 そんなわけで、使用されたときの対抗処置を研究する必要上、生物兵器の研究は行われてはいるのですが、あまり兵器として実用性を追求してはいないというのが昨今の事情だったはずです。
 今回炭疽菌がテロに使われたわけですが、効果の程は……と言われると、純軍事的にはあまりないんですね。
 ただ、社会的にはモラルハザードを引き起こしますので、そこそこ効果があるわけですが。

 張学良氏が亡くなった。100歳。
 1936年西安事件を起こし、第二次国共合作の立て役者となった人物。蔣介石や毛沢東の陰に隠れてはいるが、歴史上の重要度という点では引けをとらない。しかし戦後消息不明となり、台湾で軟禁状態に置かれていることが分かったのが10年ばかり前だったろうか。彼が生きているというニュースを驚きをもって迎えた記憶がある。台湾民主化以後は、ハワイへ移住していたそうだ。
 父である張作霖が爆殺され、名跡を嗣いだ時は20代。西安事件時もまだ35歳。かくも長き「その後」である。
 彼がその間、一体何を考え、どう暮らしていたのか、そして周囲はどう扱っていたのか、興味がある。


2001年10月17日(水曜日)
 風邪気味なんだから一目散に帰ればいいのに、デュアル文庫と富士見ファンタジアの配本日だったから、ちょっとだけ神保町に寄る。
 するとそこには竹居さんが……。

2001年10月18日(木曜日)
 もうまもなく登録完了のアーヴ語文字セット。登録完了と同時に入力モジュールやらフォントコンバータやらを公開すべく、ドキュメントを書く。っつーても、基本の部分はきしもと君が作ってくれたので、私はもっぱら文章の推敲と図表の作成に力を入れる。
 あああ、今日はそれだけで終わってしまった……。

2001年10月19日(金曜日)
 何かが足りない話。
 ふと街の食堂でこんな貼り紙を見た。
当店では国産牛肉を一切使っておりませんので、安心してお召し上がりになれます
 これを見て、店の連中の頭がおかしいのか、あるいは客を馬鹿にしているのか、もしくは悪質なジョークの類なのかと疑った。
 説明するまでもないことだが、「国産牛肉を使わないこと」と「安心して食べられること」には直接の因果関係が成立し得ない。頭からケツまで、この文章、全然意味が通っていない。
 狂牛病関係を疑うのであれば、国産であろうと輸入であろうと、安全性の定義すら満足にできていない話なので、何を安心していいのやらわからない。それ以外の話であればなおさら理由が分からない。もしかしたら値段のことを言っているのか。財布に優しく安心です、と。
 こういう意味不明の貼り紙がまかり通るところに、病的なものを感じたりするのだが、世間はそうでもないらしいと、大して長くもない人生の中で感じることは多い。

2001年10月20日(土曜日)
 今日は一日、よく歩きました……。
 午前中から秋葉原にいってちょっと買い物。んで家にとってかえしてPCの部品交換。これで家庭内のちんけなLANが100Baseになりました……。無意味な(笑)。
 んで職場の近くのコピー屋へ行き、いろいろ試す。結果的に、コピー機の精度のチェックをしていたような……。±2mmくらいで印字位置ってずれますね。結構ずれるもんですね。
 その後、新宿へ出てハンズで買い物。溜まっていた割引券を使い切る。
 最後は映画を見た。「ワイルドスピード」(原題:The Fast and the Furious)。内容はどうでもいいが、とにかくL.A.を走りまくる日本車が楽しい。これでもか、というほど日本車が出てくるのだが、FDや右ハンドルのR33まで出てくるのには苦笑した(註:GT-Rシリーズは基本的に日本国外では販売されていません)。戸田奈津子の字幕は相変わらず僕の感性に合わない……。

2001年10月21日(日曜日)
 昨日とは打って変わって家に居た一日。

 何度か延期しての、「日本人はるかな旅」の第3回。繩紋時代のお話。
 最新……という程でもないが、新しい発掘資料に基づく番組作りは好感が持てる。
 私が高校生の頃は、“繩文時代”といえば「狩獵・採集・漁獵」と教えられる時代で、中期以後には「原始的な農耕も行われていたらしい」ってなもんであった。実際には、その頃には既に「少なくとも栽培農法が行われていたのでなければ、推定人口を養うことができない」という推論が成立していたことを、大学に入って考古学を学ぶようになってすぐに知った。
 講義の第1回目で「高校までの歴史の知識はすべて捨てるように」と申し渡されるだけのことはあったわけだ。
 繩紋時代がそれまで信じられていた以上に豊かで繁栄した時期であることが、考古学的手法によって確認されてきたのは、確かにここ十数年ではあるが、それ以前から発掘された資料の検討によって推測はされていた。
 繩紋時代は約一万年続いた文化位相であり、その長さは、彌生以後現代までよりも長い。日本の文化的基層は繩紋に根差すと良く言われ、確かにその一面は否定できないと思う。しかし、我々は繩紋時代に培った生活技術の殆どを失っている。一万年を生き拔いた文化の知恵はいかなるものであったのか、現代文明の経験値のなさを感じる身としては、なんとか一端でも知りたいものだ。

 わはははっ。(なんか行き着くところまで逝ってますな)


2001年10月22日(月曜日)
 アフガニスタンから押し寄せる難民に対して、パキスタンの国境警備隊がこれを押し戻そうと発砲し、負傷者が出たとか。
 事前に予測された事態ではあるので、別に驚きもしない。有効な対処法、特に即効性の高い対策はない。難民キャンプに援助物資を送ったり施設をこしらえたりすることは勿論可能だが、それとて今日明日に可能とする資金もなければ人的資源もない。
 これから冬がやってる。いかなる事態に陷るかは、予測という高等なものですらない。
 当然、これらは予想された上で開戦に踏み切られているので、我々にできることは、犠牲者の存在を認識した上で、自らの目標へ到達する任務を全力で遂行することだけということになる。
 彼らを難民にしたのも、飢えさせているのも、凍えさせているのも、間違いなくこちら側の我々であるが、我々には彼らを踏みにじってでも達成しなければならない目標があるというだけだ。

2001年10月23日(火曜日)
 霜降。シモフリと読むべからず。
 節気とは裏腹に、今日は暖かい一日でしたが。

 なーんか精神方面の復元力が、損傷に追い付かなくなりつつある感じです。
「心が疲れている」っていうのはこういう状態をいうんだろーなーとか漠然と思ったりして。
 報道を見てても、戦争報道が目について、神経がささくれ立ちます。晩ご飯なんか、食欲ないのに無理矢理詰め込みましたよ(苦笑)。


2001年10月24日(水曜日)
 朝は食欲ゼロ。昼はなんとか食べられた。本日のテーマは気分転換。

 昼休みに赤坂まで歩いて、日本規格協会の直販所まで。私物の規格票を買ってくる。JIS X 0221-1:2001。JIS X 0221-1995の改訂版で、ISO-10646:2000に対応する。
 A4版でタウンページより厚い、凶悪な代物。1236ページある規格票って、「票」って言えるのか……? ふうふう言って持ち運びながら、ふと「JIS X 0221殺人事件」などという益体もないことを考えてしまった。実際に使用するなら(なににだ?)ハードカバーのUnicode 3.0の方がオススメだろう。
 発売されたのは6月だったんですが、なにしろ値段が値段ですし、大きさも大きさですんで二の足踏んでたんですが、「気分転換」に買ってきました。
 目玉(?)はハングル大移動と漢字のExtention Aですかね。あと目立たないところではCJK Compatibility Ideographsとか“一度でいいから実裝を見てみたい”Ideographic Description Charactersとか。
 これを完全実裝できる人は、神か悪魔か、とにかく尋常ならざる知性の持ち主であることは間違いないでしょうね。少なくとも凡人である僕にはできません。
 予定では来年あたり、Extention Bを含んだJIS X 0221-2が刊行される予定です。

 岩本隆雄の『ミドリノツキ(下)』、捕獲読了。小川一水の『追伸・こちら特別配達課』も入手。


2001年10月25日(木曜日)
 ヒトの細胞って担保になるんですねぇ……。
 担保にしたほうも、担保を受けた方も、差し押さえた方も、苦労が多そうな話。
 差し押さえた裁判所だって困るだろうに、保管すんのに……。

 「キャンディ・キャンディ裁判」の上告が棄却。これで高裁判決が確定しました。(地裁の原審はこちら
 有無を言わさぬ棄却で、付帯意見すらない。一刀両斷ですな。
 妥当といえばあまりにも妥当な判決で、挾むべき意見すら殆どない。

 最後の追い込み中。>アレ


2001年10月26日(金曜日)
 アキハバラじゃOEM版のXPが午前0時売りで、米国じゃパッケージ版が発売。全ては低迷するパソコン市場のためらしいが、起爆剤にはならないんじゃないかとアナリストの分析が飛び交ってる。
 100MIPSあったら何に使う?なんて話が夢だった時代があって(笑)、夢が覚めてみればOSだけでPentium II/233MHz、主記憶128MBを要求する世界(大型コンピュータじゃないんだから……)。OSだけで主記憶128MBって一体なんだよそれ……。Windows95を、なんだかんだでi486DX/33MHz・主記憶16MB程度で動かしていた時代が確かにあったよなぁ。勿論XPはNTベースだから単純比較はできないんだけど、それだけのリソースを食い潰す価値のあるOSなのか?と問いたくなるのも確か。
 豊富な計算資源をふんだんに濫用できるようになったというのに、私を取り巻くコンピュータ環境が決して良くなっていないというのは、いくら相関関係がないと言っても溜め息を吐きたくなる。

 最近、AMDの努力のせいか、パソコン雑誌でIntel Pentium4対AMD AthlonXPのベンチマークテストをやたら見掛けるようになった。
 ちらちら斜め読みしたところでは、どの雑誌の記事も似たり寄ったりで、要は「実用ソフトではAthlonXP、マルチメディアではPentium4」といった感じだ。
 異なる設計に基づくCPUの性能を駆動周波数だけで測るような風潮が根付いたのは一体なぜなのかは分からないが、まともにプロセッサー、ひいてはコンピュータというものと向き合ってくれるなら、この手の記事は悪くないと思う。
 しかし一時期のCISC/RISC論争ではないが、結局はそれが一体どういう意義を持つのかも理解されないままに、押し流されていくのではないかという気がしないでもない。
 そういえばあの当時、TRON ChipはRISCじゃないから云々とか言ってた連中がいたけど、どうなったかなぁ。きっと幸せに暮らしてるんだろうけど。
 ちなみに私がもしPentium4とAthronXPの選択を迫られたら、性能ではなく、パッケージングでAthronXPに決めます。頻繁にパッケージを変える製品は、怖くて使えません。もし破損等によって代替部品を求めなければならなくなった場合に、「Socket 1ってなんですか?」なんて状態になったら困るもん。


2001年10月27日(土曜日)
 デンパ大阪来襲に付き本日休載。
2001年10月28日(日曜日)
 昨日は朝から良い天気で、洗濯などを済ませて、午後からちょっと神保町へ。神田古本まつりをやっていたので、覗いてくる。但し、本は買ってこない。欲しい本がなかったわけではないのだが、欲望に身を任せると書架が埋まってしまう。

 前日にいきなり電話があって泊まることになったデンパ大阪を拾いに秋葉原へ移動する。「絶対ここに居るだろう」という確信のもとに電話をかけると、やはり秋葉原に居た。分かりやすい奴である。間違ってもデンパを受信したのではない。
 同行の彼の友人と食事をご一緒する。
 帰ってきて、撮り溜めたプロジェクトXを見る。

 今朝、7時起きでデンパはCレヴォへ出かけていった。

 天気が良ければ今日も古本まつりへ行こうと思っていたのだが、雨という予報にめげる。家でNHKスペシャル「イスラム潮流」の再放送などを視聴する。なんだかんだで、やはりNHKは質の高い番組つくるよなぁ。夜には年間シリーズ「宇宙」を見る。

 夜、珍しく弟から電話。
 PCから音が出なくなったという。
 電話口であちこちのプロパティを表示させて内容を読み上げさせるが、異常がない。物理配線の方を疑ってテストをさせてみるが、これも問題はないらしい。どうにも納得がいかないまま、思い付きを口にする。
「音楽CDを再生してみて」
 すると、電話越しでも分かる、スピーカーから音が……。
「ボリュームチェックしたって言ってたよな……」
「えーっと……あ、なんか一つだけ音量ゼロになってる。WAVE。」
「アホかーっ!」


2001年10月29日(月曜日)
 米軍英軍共同のJSF計画システム選定が終わりましたロッキード・マーチンノースロップ・グラマンBAeの合同チームのX-35が、ボーイングのX-32を下しました。
 JSFは……なんというか、野心的といえば聞こえは良いのですが、構想を聞いているだけで、「本当にできるんか?」と不安になるような計画です。なにしろ、単一のベースとなる機体から戦鬪機・攻撃機、STO・VL機を派生させようというんですから。
 このテの多目的軍用機計画はどんな時代でもあって、欧州のトルネードなどが有名ですが、成功すれば傑作機と呼ばれ、失敗すれば無謀な計画であったと貶される、シビアな分野であります。
 性能面から言えば、それぞれを独自に開発した方が、設計上の自由度も増しますし、結果得られる性能も高くなる傾向があるのですが、とにかく最近の航空機の設計開発にかかる費用はハンパではないので、予算の都合上、こういう形態をとることが多いようです。国際共同開発も今や珍しくなくなりました。我が道を行ってるのはフランスとスェーデンくらいでしょうか。
 とりあえずシステムベースが決まっただけで、これからそれぞれの軍の要求に応じたバリエーションを実際に作って要求仕様に応えるという大仕事が残っています。開発者にとっては、これからが正念場ですね。

 ちょっと某社のノートパソコンを触る機会があって、驚いた。
 典型的なWindowsMEマシンだったのですが、メーカーデフォルトの外字が用意されて、各フォントの私用領域にリンクされていたんですよ。
 多分、その会社がかつて販売していたワープロ専用機(後日註:まだ今でも作って売っているんだそーです)との兼合いだろうと思ったんですが(さすがにWindowsMEの標準とは思えなかった)、小さな親切大きなお世話って感じでした。
 いや、仕様上は正しいんです。
 私用領域とは、規格の利用者、この場合はメーカーが勝手に使って良い領域のことなので、エンドユーザがどう思おうと、デフォルト外字ファイルを作って載せておいても仕様上は全く問題はないんです。
 さて、こんなパソコンでエンドユーザが自作外字を使おうとなると、一度フォント間に定義された外字のリンクを外してかからないといけないのですが……購入者のうちどのくらいにその作業ができるのかと考えると……。
 できないよなぁ、やっぱ。


2001年10月30日(火曜日)
 携帯電話でハイドライドがプレイできる時代ですか……。
 確かに初代のハイドライドをどんな環境で実行していたかと考えると、Z80にメモリ16KBくらいだった筈だから、今のケータイの方がよっぽどリッチな環境を持ってることは確かなんだろうけど……良い時代になったと言うべきなのか、本当に? 心の奧底で、「何かが違う」と叫ぶ声がする。

 昨日の某社のノートPCじゃないけれども、世の中を悪くするのは、大抵「良かれと思って」やったことだったりする。せめて悪意があればこちらとしても罵るなり罪を科すなりできるのだが、真実善意だったりすると厄介極まりない。
 まさに始末に負えない。


2001年10月31日(水曜日)
 きさらちゃんとこの日記で「何と言うかレイヤー分けして物事を考えられない人って多くて困ります。」とありましたが、全くもって同感。
 事実より思い込み優先で生きてる人も少なくないしねぇ。

 国会図書館の利用者年齡制限が現行の20歳以上から18歳以上に引き下げられるらしい。
 実は10年ほど前までは、年齡制限は18歳以上だった。それが20歳以上に引き上げられた理由は、受験生が国会図書館内で勉強をするというものだったと記憶している。
 もちろん18歳でも、きちんとした大学生が調べものをする必要がある場合もあるのだろうが、その場合は現行では紹介状が必要だった。私も、ある授業で国会図書館を利用することになった時に、グループの中に未成年がいて要らぬ苦労をした経験がある。
 今回の決定は言ってしまえば「元に戻す」なのであるが、できることなら国会図書館には20歳、あるいは18歳という年齡制限にどのような妥当性があるのかをきちんと検証して貰いたい思う。

 3年前に千葉大に飛び入学した学生が、今度は大学院にスキップ入学を果たす予定だそうだが、とても羨ましいと思った。大学・大学院と合計7年いたが、2〜3年くらいは短縮できたんじゃないかと思えて仕方ない。

 ふと思い立ってうちのサイトのhtmlファイルのブラッシュアップをする。
 というか、昔作った部分に間違いが大量に残っていたのを、潰してまわった。でもまだかなり間違いが残っている。
 最初からきちんと正しいHTMLで書くべきだと思った。