哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀1999年7月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

1999年7月1日(木曜日)
 魔の7月が始まった。7月攻勢とも言うかもしれないが、とにかく私の7月は忙しい。というわけで、次回のBTRON Clubは発表を差し控えさせてもらうことにして、明日までに概要は作らない。作らないんだってば。

 今日は17時半から留学生歓迎会があった。学校の金で食べ放題飲み放題である。
 藤野副学長が乾杯の音頭を取ったのだが、なにせ前置きの長い乾杯であった。

副学長みんな目がキラキラしてますね。歳をとるにつれ、目の輝きは失われていくものですが、皆さんは……
小熊(ボソっと)俺はそうはならんぞ。
阪口先生大丈夫。君は絶対になれん
 留学生より日本人が圧倒的に多い歓迎会だったが、とにかく食べて飲んで話す。七夕ということもあってか、会場内に笹が持ち込まれていて、短冊を自由に書いて結べるようになっていた。「萬事如意」だとか「八紘一宇」だとかとか書く奴はいたが、概小市民的で面白みのない短冊であった。
 私の願い事? 大したもんじゃないですよ。
1999年7月2日(金曜日)part 1
 昨日の一件について、本人が日記の中で苦しい言い訳を展開していた。自分が言い出したことを貫徹し得ない人間は見苦しいものである。先日も『愛國戰隊大日本』にハマったことを私のせいにしていたようだが、やはり人間、自分の行動には責任を持たねばならないと思わなくもない。
1999年7月2日(金曜日)part 2
 今日は、午前4時に大学から帰った。もう空は白みだしていて、月が西の空にあった。なんという生活だ!
 と、いうのも、今日の午後には院生有志による修論の着手発表会があったからだ。もっとも、所詮着手発表会なのだから、気楽なもんである。
 今日はとてつもなく暑かったこともあって、柄にもなく着手発表会場に冷房を所望してしまった。お陰でバテてしまった(馬鹿)。空腹感はあるのに食欲がないんでやんの。いい加減お腹がグウグウ鳴るのでパスタを茹でたら、今度は食が止まらなくて二人前食べてしまった。ああ、目茶苦茶。

 あらりあさんのお好みフォント計画がちゃくちゃくと進行しているようである。まさに二代目フォントの鉄人ですね。やはり初代のS谷さんとタッグを組むのだろうか?


1999年7月3日(土曜日)
 蒸し暑くてたまんない日々が続いている。そのくせ建物に入ると冷房が効いていて、これまた堪らない。この蒸し暑さの中、長袖を着てパーカーまで持って歩く。夏の日本には私の居場所はないのか?(笑)
 STARWARS Episode Iの先行ロードショーに行って来る。Light Sabreによる立ち回りが非常に良い。あんまり視点を切り替えないで、もっとじっくり見せてくれれば良かったのに。特にDarth Maulの動きが良い。Darth Maul役のRay Parkは本職の武道家らしいが、さもありなん。
 Light Sabreの動きは、中国武術の動きに近いように見えた。

1999年7月4日(日曜日)
 先週から、Research Libraries Groupとやらが作ったというREACCという漢字コードのことを調べているのだが、手掛かりがなくて難航している。誰か何か知らないものだろうか。
 こういう調査って、手がかりが掴めないうちは砂漠の真珠探しみたいなことになるからなぁ……。
1999年7月5日(月曜日)
 砂漠の真珠拾いに一筋の光明が見えた。探し当てた関係者の一人が、指導教官の知り合いだったらしい。世界は狭い……。この狭さが、学問の世界の特徴なのかもしれない。

 昨日、ヘッドホンを踏んづけて壞してしまった。簡単な修理なら自前で済ませてしまう小熊が、一瞬で匙を投げるような壞しかただった。当然安物なので、修理に出すより新しいものを買った方が早い。
 そして勢いでヴァーチャルサラウンドヘッドホンを買ってきてしまった。DVDプレイヤを買った時から考えてはいたものの、値段が値段だけに購入には二の足を踏んでいたのだが、今回の一件を奇貨として、思い切って購入に踏み切った。
 小熊の知られざる一面だが、実は小熊は意外と運命論者である。人間の努力や意図を粉砕して進行する、暴風のような存在を疑ってもいない。運命はあまりにも強大で残酷な存在であるので、普段はそういうものとは無縁でいようと日々努力しているのだ。しかしてそういうものに出くわしてしまった時は、できるだけ利用することにしている。
 今回も、そういうことなのだ。
 だから君は驚く必要がある!>糸野

 久しぶりにCRAYON FACTORYへ行ったら、掲示板に、「DAMに『地球のうた』が入っている」との書き込みが! 活動が休止になってから配信かよ! でもいいや。そーゆーわけなんで、今度の機械はDAMにしたい!!>関係者各位


1999年7月6日(火曜日)
 落合さんからREACCについて情報を頂いた。有り難や有り難や。しかし落合さん、順調に文字コードの道に陥ちているよーな気がする。大丈夫ですか〜?(何を今更)
 あちこちで仕事が同時進行気味になってきていて、「今何をしたらいいのか」という瞬間判断が利かないこと、しばしば。こういう時、人間は徐々に現実逃避の傾向をしめしはじめるものだ。しかし逃げることも放り捨てることも無視することもできないときはどうしたらいいのだろうか? 酒でも飲んで寝てしまうか(笑)
 軽口が言える裡は大丈夫さ。
1999年7月7日(水曜日)
 唐突だが、小熊が全くと言って良いほど疎い分野の一つに、博物学がある。実はこいつは日常と非常に密接した学問で、ある程度以上の知識があると、俄然生活空間が面白く見えるようになる(ハズ)。
 七夕なのに、見上げるべき星が分からないというのも、なかなか哀しいものがある。
 ふと思ったのでした。(星空は天文学であって博物学とは直接には結び付かないが)
1999年7月8日(木曜日)
 午前8時半の高速バスで東京へ向かう。目的地は東京大学。参勤交代という奴である(違う)
 予定した時間は11時半。朝、交通情報で首都高6号線渋滞の情報を聞いて、余裕を見越したら、9時半に上野に着いてしまった。困った。どうやって時間を潰そうかと思いながらぶらぶら歩いていると古本祭をやっていたので、ふらふらと入り込む。戦前の岩波新書と文庫をそれぞれ一冊づつ購入。そのまま東大まで歩き、11時から総合研究博物館の坂村先生の研究室の前で椅子に座って読書に耽る。ちなみに買ったばかりの岩波新書『科學と宗教との鬪爭』。
 何か飲み物でもと思って一旦博物館を出たところで坂村先生がタクシーでやってくるのと出くわす。
坂村「遠くからでもすぐ分かるね」
小熊「コレ(唐草鉢巻き)のおかげです」
坂村「それ、24時間365日してるの?」
 ンなワケないって……。
 そのまま中華料理屋で昼食をごちそうになりながらいろいろ話をする。
坂村[ピー]MCに入るの?」
小熊「今んとこそういう方向で話が進んでいます」
坂村「君に会社員なんてできるの?」
 非道い。これは非道いと思わないか?
坂村「いや、会社でやりたいことちゃんとあるの?」
小熊「多漢字と多言語が終わるまではやることありますよ」
坂村「じゃあ一生だね」
 酷い。これも酷いっ。
 さて。本題は殆ど漢字のことであった。来週今昔文字鏡との初顏合わせをやるということだ。BTRONとしては、Unicodeも今昔文字鏡もe漢字も何でもぶちこんで、それらの議論の土台となるものを目指す。ボクサーを送り込むのではなく、リングの設営をするのだとか。
 しかしそのようにして種々雑多なものがスクリプト層にぶち込まれてしまった後、文字属層を設計する側はとんでもない労苦を負わされることになるだろうなと思ったがコメントは差し控えた。何か言うと、全て自分に跳ね返って来るような根拠のない不安に駆られたからだ。
 なにはともあれ、その今昔文字鏡との話し合いがうまく行けば、いよいよBTRON上に今昔文字鏡を載せるための実作業がスタートすることになる。
 坂村先生はしきりにe漢字も載せたいと言っていた。京大まで[ピー]MCのS谷さんと一緒に行ってこいとまで言われた(笑)。
 個人的には電子大漢和辞典の方が先に欲しいと思うのだが駄目だろうか?
 大修館書店と写研を相手に交渉するってのは大変だろうが……。

 その後、司書教諭講習の教科書を捜して神保町や新宿をうろつくが、半分以上が見つからずに終わってしまう。困ったもんだ。


1999年7月9日(金曜日)
 昨日見つからなかった本を購買部で……と思ったら、夏休みだった。くそー。大学院は年中無休のコンビニエンス状態なんだぞ。開けておいてくれよな。仕方ないので普通の書店で注文をかけるが……間に合うか?

 竹之内くんが、昨日の日記を見て「旧漢字ってどうやって入力すんの?」と訊くので、彼の愛用であるATOKの文字パレットの使い方を教える。しかし教育というより調教と言う言葉の方がしっくりくるのはどうしてだろう?
 ちなみに小熊はWindows 95上では、WX3 for Windows 95を愛用している。だってDOSと辞書が共有できるんだもん。DOSも使ってるしね。DOSのWX3はかなり細かい辞書登録が出来るので、使い込んでいる私としては手放しがたいのだ。
 BTRONにもWX3が欲しいんだけどね。(あと『契沖』と)
 明日は宜しくお願いします>きしもとさん。


1999年7月10日(土曜日)
 今日は色々お世話になりました>きしもとさん
 徹夜明けで疲労困憊で倒れそうだから、とっとと今日は寝るつもりだったのに、まだ寝れない。だれか睡眠時間をくれ〜。
1999年7月11日(日曜日)
 本当なら山本正之のライブに出かけて、ほくほくになっているはずだった今日。そう思うと仕事は手につかない(こらこら)。

 各方面から「TADとHTMLの連係」という話について尋ねられるので、この際だから私見をまとめようと思いつつ、後回しにする。軽く触れておくと、HTML 3.2→TADなら、ちょっとTADいじればできる。でもTAD→HTMLは本質的な難しさがあるので、BTRON上で動くhttpdにリアルタイムコンバータでもつくってごまかすのが良いだろうと思っているのだ。

 吉目木さんからメールを頂いて、色々考える。これは落合さんとのやりとりの初期にもあったことだが、多言語処理については、理解すればたやすいことが、理解するまで本当に大変だということがある。なにしろ易しい入門書もなければ詳しい解説もない。片岡先生の言葉は異次元言語だし(笑)。挙げ句に、理解しようとしている本人が多言語生活なんかしていないから、なおさら実感としての理解が難しくなる。
 これはもちろん私にも当てはまる。到底多言語処理を理解しているとは言えない自分が説明するのだから、なおさら悪い。

 昨日、Sonyから郵便物が届いていた。全く心当たりが無かったので気味悪かったが、開けてみて理解した。DVDプレイヤを買った時に、抽選でDVDソフトをプレゼントというアンケートを出したのだった。つまり、当選。私はあまりこういう籤運は良い方ではないので、あまりの珍しさに驚いてしまった。ちなみに当たったソフトは『Dr. STRANGELOVE』(邦題:『博士の異常な愛情』)。一応アンケートを答える時に希望ソフトを書いたのだが、当たったからには大切に見ることにしよう。
 そう言えばスタンリー‐キューブリック監督の遺作って公開されてたっけか?

 東芝の例の問題リンク集に入れることを決断する。決断の理由は、東芝側が見解を発表したことにより、これまでのような一方的な東芝叩きの段階が終わりそうだと考えたから。


1999年7月12日(月曜日)
 明日、図書館情報大学に和泉先生がいらっしゃるので、お会いして話し合うことを約束している。当然その前に、ある程度以上の資料などを揃えねばならないわけで、なかなかに忙しい。しかし作業は遅々として進行しない。
 私の考えている修論用の漢字コードは、あちこちから妙な問題が発生してきて、実用的なものを目指すとなると、なかなかに面白い……じゃなかった難しい懸案事項が出てくることが分かった。
 巨大な問題は、漢字を使って生活している我々が、漢字のことを良く分からずに使っていると言うことだな。かくして誤用が蔓延していくわけだ。
 ははははは。
1999年7月13日(火曜日)
 和泉先生が長期研修での講義のために来校なさっていたので、約束通り講義終了を待って訪問すると、そのまま仕事を手伝うことに。なんでも来月日本橋で当大学による展示会があるそうなのだが、その展示物の整理だった。(和泉先生は当学を退官されているのだが、名誉教授としてこき使われているらしい)
 メソポタミアの粘土板やらエジプトのパピルス紙、甲骨文字の刻まれた亀甲、中世ヨーロッパの羊皮紙など、さんざんっぱら素手で触りまくる。いいのか?
 ちなみに小熊の仕事はこんな感じだった。
和泉「次。ビルマ文字で書かれたパーリ語とビルマ語の対訳」
小熊「……これですね」
和泉「次。タミル語で書かれた『マハーバーラタ』」
小熊「……これですね」
和泉「どっちが上?」
小熊「……こっちが上です」
和泉「チベット語の仏典の版木。どっちが上かわかる?」
小熊「……こっちが上ですね。あ、表裏で上下が逆になってます」
和泉「四庫全書から適当に二冊くらい持ってきて」
小熊「適当って……(ちなみに一千巻くらい)」
 展示物に付けるキャプションなんかも同時平行で修正したりしてたのだが、中国古典を中心に、当然のように出ない漢字がでてくる。難儀なことよ。bbbなら見れるんだろうが、入力はどーすりゃいいんだ? バイナリエディタでしこしこ作ってもいいが……。

 それはともかく。
 作業後、河岸をファミレスに移し、夕食を食べながら私の修論についての話し合いに入る。流石に和泉先生は漢籍の専門家だけあって、漢字のことに詳しい詳しい。やはり単純に字義に依ろうとすると字義そのものが内包する歴史的変遷が大きな問題になってしまう。かといって字形に依る現在の文字コードの欠点は明らかだ。
 かくして私と和泉先生は話し合いを続け、事前には思いもよらなかった面白い結論に達したのであった。
 なんか光明が見えてきた感じ。


1999年7月14日(水曜日)
 院生室でくつろいでいたら、M1の谷本さんが呼び出しにくる。ゼミがあることをすっかり完全に忘却していた。お陰で全く準備なしでゼミに挑むことになってしまった。自業自得とはいえ、なかなかスリリングな体験だった。

 今日はもの凄い湿気だった。学内各所で、結露が見られた。ニュースでは水戸で洪水が起きていることを報じていた。つくばでは道路の冠水がよくおこる。近くに川がないのは設計段階で分かっていたんだから、これは設計時の排水設計が甘かったからだろう。


1999年7月15日(木曜日)part 1
 13日にワープロで出せなかった漢字四字、補助漢字に全部入っていたので、試しにバイナリエディタで作文してみた。それをBTRON上のbbbで見たところ正常に表示された。よって、iso-2022-jp的には正しいであろうと思われるので、リンクを張る。
 読めねぇ奴はOSとUAの設計がクソであるからだと覚悟しろ!
 これだ!
1999年7月15日(木曜日)part 2
 今日は東京シューレの学生ゼミの日だった。そういうわけで、午後から東京に出る。
 ゼミ自体はとても面白かった。でも今回はちょっと議論がなくて残念。それに、終わった頃には高速バスの終バスを気にしなければならない時間帯とあっては、おちおち知り合いと酒も呑めない。常磐新線ができれば少しは状況が改善されるんだろうけど……。いつまでたっても出来やしないものを待ってもしょーがないしね。
 八月は学生ゼミがないので、次は九月だね。

 にしても、最近の忙しさは殺人的だ。これが八月半ばまで続く予定だというのだから、もう笑うしかないね。


1999年7月16日(金曜日)
 妙に忙しい一日だった……。疲れたな。でも18日までにある程度仕事を形にしとかないと来週の発表に間に合わないんだなこれが。吶喊!
1999年7月17日(土曜日)
 週末、ハント族とかいう阿呆どもが家の周囲をくるくる車で回ってうるさいことや、熱帯夜ということもあって、家から大学に逃げ出して、大学で寝ていた。

 補助漢字のページだが、学内各所の協力によって、大体の傾向が見えてきた。
 まず、きちんと表示できたOSとUAだが、B-right/V / bbbは当然として、HP-UX / Netscape Navigator、Solaris / Netscape Navigatorが正常に表示できた。
 准正常と言うべきなのが、MacOS / Internet Exploere。IEのくせに、補助漢字部分を「?」としていたそうな。
 文字化けして恥じないのが、Windows 95、98のIE及びNetscape Navigator(含Communicator)。全滅。
 意外に思ったのは、BeOSのNetPositiveが文字化けしたこと。あれほどUnicode Unicodeと叫んでいたBeなんだから、この程度は軽くクリアして貰いたかったね。
 その他のOS / UAでの報告、お待ちしております。


1999年7月18日(日曜日)
 昨日のことだが、学友・都筑くんが蟹を手に入れたので、このクソ暑い最中に鍋をやらかした。
 彼は私のことを詐欺師だとか変人だとか、とてつもない誤解をしている人間だが、先日は私と自分が一歳しか歳が違わないという事実を突きつけられて驚いていた。どーして俺が27、8に見えるんだ? 話をすれば「なんでそんなこと知ってるんですか?」を連発するし。

 それはともかく。
 日曜日だということを忘れて外出してしまい、そこらじゅうで交通渋滞と人波に巻き込まれてしまう。大学になんとか辿り着いたが、なかなか仕事に身が入らない。困ったものだ。

 なお、明日は奈良先端科学技術大学院大学でおこなわれる第15回デジタル図書館ワークショップを見に奈良まで行く。ついでに奈良先端御自慢のデジタル図書館を見学して来る。早朝払暁に出発して、午後には到着する予定。車中一泊して20日中には帰って来るつもりだ。


1999年7月20日(火曜日)
 奈良先端から無事帰ってきました。片道約7時間。総走行距離1,267kmでした。途中山ほど後悔しました(笑)。

 奈良先端でのDL15は、なんか図書館情報大学出張所と化してましたね。自家用車で乗り付ける奴。高速バスを乗り継ぐ奴。新幹線で京都経由の奴。特急でやってくる奴。流石にヒッチハイクや徒歩はいなかったみたいだが、じゅりちゃんに言わせると「SCEBAIの慰安旅行か」。
 19日の午前3時に出発して、到着したのが10時ちょい。会場を下見していたら先生と遭遇してそのままEd Foxさんと会うことに。寝不足疲労で日常会話の聞き取りならともかく、研究についての話なんてできるわけないやん……。漢字について話すが、最期まで何か行き違いがあった。問題は、なにが行き違っているのか最期まで分からなかったことか。ま、23日に図書館情報大学にいらっしゃるようなので、またチャンスもあるだろう。
 Workshopはつつがなく終わり、じゅりちゃんと飯を一緒したあとちょっとダベって、22時ころ奈良を出発。富士川SAで2時間ほど仮眠とって、帰ってきたのは午前8時。
 風呂に入って洗濯機を回して、睡眠不足を解消すべく爆睡する。
 さあ、明日はゼミだ。
1999年7月21日(水曜日)
 昨日は、人類の月到達30周年だった。30年経った今も、月は人類が到達した最も遠い天体だ。空に浮かぶ月に、人類の足跡があるかと考えると、月見一つが、なかなかおつなものになる。今夜は雨だったけど。

 補助漢字のページについて、鈴木“師匠”創さんから新たな報告があった。MacのiCabというブラウザで「?」表示になるそうな。「マトモなブラウザ」「マシなブラウザ」「クズ」の3段階に分けた時に、「マシなブラウザ」に分類できるであろう。

 本日はゼミの日だった。今週は忘れなかった(笑)。
 ゼミ終了後まで、方針やらなんやらで延々と討議が続く。結局私が作っているのは「字書」なのだということで、最終的な意見の一致を見た。
「漢字と心中やね」
 指導教官様の有り難いお言葉である。

 東芝の暴言問題の主役、アッキーさんがWeb Pageを閉めた。「今回、ホームページを閉鎖する理由は、東芝からの働きかけによるものではありません。匿名に身を隠した方の嫌がらせに耐えかねたからです。」という言葉を、とても悲しく受け止める。
 私は匿名という無個性の海に埋没したあらゆる言論を嫌う。例えそれが悪口雑言であったとしても、堂々と胸を張って口にする人物をのみ、認める。私がNIFTYなどの商用ネットに、一定の限界の枠内でありながら言論の場としての価値を見出しているのは、まさに管理されているがゆえの匿名性の限界のためだ。
 自由とは責任を伴うものであり、その責任を忌避する者は自由を享受してはいけないということを、なぜ理解しない輩が居るのだろうか。
 私はインターネット上での匿名メールアカウントなどは即刻廃止すべきだと考える。

 秦さんの『私語の刻』の中の19日分を見る。机が飛び交うような様相を想像していたのだが、思いの外、第一ステージの総まとめは静々と進行したようだ。
 当日私は奈良先端の方へ行っていたので、文字コード会議の方には出席できなかったのだ。まあ、どうせ委員じゃないし報告書の草稿が読める身分でもない(ハズ)なのでね。
 何事も、終わってみれば大した事じゃなかったと思えて来るものだが、果たして文字コードはどうだろうか。


1999年7月22日(木曜日)part 1
 今日から司書教諭講習が始まった。どうやら当学の学生でこれを受講するのは私一人らしい。これから三週間、ぶっとおしで講習である。

 朝、いきなり日本文藝家協会の元理事長であった江藤淳の訃報を聞く。98年1月の「漢字を救え」で遠目に見掛けただけであったが、見知った人が亡くなったという話は、なんとはなしに物悲しくさせる。

 学内を歩いていたら、ポスターを発見した。先日のお手伝いした展示のものだった。丸善日本橋店で「メディア それぞれの時代」と題して8月30日から9月4日まで催されるらしい。たった一週間にもならない展示のために、あれだけ苦労するのか。


1999年7月22日(木曜日)part 2
 NHKで放送中の『世紀を越えて』。放送スケジュールが良く分からなくてときどき見逃すのだが、先日の放送の「戦争 果てしない恐怖 第1集 戦場の革命」は、ビデオ録画をかけて、今日ようやく視聴した。
 このシリーズ、全体的に良い造りだと思うのだが、歴史的・巨視的な視点に欠ける嫌いはある。
 今回の放送も、戦争シリーズの第1回なわけだから、もっと歴史的・政治的な話をすべきなのに、そういう手順をすっ飛ばして、戦場の高度情報化を語ってもしょうがない。一歩間違えると、これでは戦争の恐怖だけを抽出して伝えかねない。
 戦争は手段にすぎない。クラウゼヴィッツを引くまでもない。
 最善最良の手段を追求するのは、目的達成のための常道だ。兵器も戦術も戦略も、そういう意味では手段であり、戦場の高度情報化も一方策に過ぎない。
 戦争を語るならば、戦争を道具として用いる政略・外交をまず語らねば、そこには何の意味もない。戦争を、外交問題解決の手段として用いるプロセスそのものを考えなければ、戦争の正体も見えてはこない。
 今回の放送は、軍隊や戦争を忌避するあまり、何か重要なことを見落としているような気がしてならない。
1999年7月23日(金曜日)
 朝の9時から午後の5時まで講義漬けなんて、何年ぶりでしょう。早起きが辛いね。

 夜、ヴァージニア工科大学のEd Foxさんを迎えてのバーベキューパーティ。焼肉将軍の指導教官が遅れてきたため、それまで私が焼肉副長をやっていた。しかし準備した女性陣。下味付けるの忘れてる。しかも全部。なんというべきやら。
 とにかく食べる。

 明日は午前中一杯講義に出た後、上京してBTRON Clubへ出席。二次会、三次会を経て、翌日になってから帰る予定。


1999年7月25日(日曜日)
 24日土曜日。午前の授業が終わると同時に高速バスに飛び乗って東京へ。
 車中、完全に意識を飛ばし熟睡。主観時間では5分と経たずに上野へ到着。もちろん実時間は2時間ほど経過していた。京浜東北線で大井町。BTRON Clubに到着した時には、丁度坂村先生の講演が終わったあとの休憩時間が終わるところだった。
 あまり重要な話はなかったらしいが……。毎回これが一番の楽しみなんだけどねぇ。会う人会う人から、「今日は発表ないのね」とか言われる。
 ちょっとした隙を見計らって、坂村先生と密談する。
 BTRON Club終了後の二次会@つぼ八は、うるさ型が同じテーブルを囲む事になって、大層盛り上がってしまった。某Nyちゃんとか、某πちゃんとか、某火炎龍さんとか。お題は「フィジカルかロジカルか」。
 ちょっとだけ私見を書いておくと、フィジカル(物的)であるかロジカル(論理的)なものかというのは、さほど重要ではない。フィジカルなもののほうが情報伝達には有利であるように一見思えるが、線文字Aではないが、結局受け取る側にその文字言語についての素養がなければ、なーんにもならないのだ。で、コンピュータ上で扱う「情報」は実は「データ」であり、私達はより効率的かつ高速なデータ処理の手段としてコンピュータを求めており、多言語処理や多漢字もその一方策に過ぎないわけさ。
 手段にこだわるのは個人的にはあまり趣味ではないのだが、目的を達するための手段を手に入れる必要が、今の私にはあるというわけだな。

 二次会が終わった後は喫茶店で三次会。この時点でほぼ面子はいつものカラオケメンバー+火炎龍さん。喫茶店から追い出された後は、ちょっとゲーセンに寄って、最後にカラオケへ突入。面子が一人増えるということは、歌える歌数が減るということだ。
 午前5時にカラオケ終了。私とN濱さんは東京駅地下の銀の鈴で仮眠をとる。10時に動きだし、秋葉原へ移動。本を買い込む。
 コミケカタログを入手。しかし……なんっちゅー厚さと重さだ。殆ど武器だぞ、これは。これを持って数万人が有明に集まるわけだが、もしかしたら凶器集合準備罪に問われるやも知れず(大笑)
 午後。なんとかつくばに戻って来る。そして寝る。
 猛暑の中、起きたら午後9時を回っていた……。
 明日は朝から[ピー]MC、そして午後にはCICCだ。


1999年7月26日(月曜日)
 朝8時半。高速バスに乗って東京へ。まずは11時に[ピー]MCにて打ち合わせ。M隈さんとS谷さんと、多言語・多漢字についてのこと。内容については守秘義務があるため、残念ながらなにも書き記すことができない。ただ、「思っていたより進行しているな」というのが正直な感想。それと同時に、「こりゃぁ文字属層の仕事は大変だ」とも思う。
 この猥雑たる文字の世界を、いかにかの整理整合された論理回路に載せるか。この辺りを真面目に考えているところが、BTRONの偉いところ。そしてドエライとこ。

 13時半からはCICCにて多言語処理のWGにオブザーバ参加。すっかり顏見知りになってしまって、発言もぽんぽんしてしまった。隨分態度のでかいイリーガルだ(笑)
 この会議の凄いところは、「Unicodeは破綻する」という確定的未来を想定して、次の一手を打つべく行動しているところだろう。現在は、多言語入力・出力に要求される基本的な機能の取りまとめとAPIの整備をやっている。
 一応この場での私は「多言語に興味がある一介の大学院生」であり、TRONについてはおくびにも出していない。もちろん身分詐称などではない。全てを語っていないだけで。
 この会議、とても有意義なのだが、TRONであれば考えなくて良いことに多くの時間を割かねばならないのが残念だ。TRONなら「理想的な文字コード」を最初から想定しても大丈夫なのだ。
 ここで得られたものは、私が漏れなくBTRONに活かそう。

 片岡先生は、完全に私を覚えてしまった。しかし私が文学部卒の歴史屋さんだということまでは知らなかったようだ。現在の修論のことなどつらつらと帰り道に話していたら、漢字のことに話は流れた。

片岡「最近、甲骨文字の勉強してんの」
小熊「……。」
片岡「もうちょっと読めるようになりたくてさ」
小熊「……少しは手加減したらいかがですか? 跡を追いてくる人がいなくなりますよ」
片岡「だから最近大人しくしてんじゃん」
小熊「……」
 駄目だ。この人は全然駄目だ……。

 帰りに『TRONWARE vol.58』を入手してくる。そーいえば坂村先生にちょっとした提案をしていたっけか……。返事は、当然来てない。
 もう一つ、書店で『正しいHTML 4.0 リファレンス&作法』という挑戦的な書名を見掛けて広げてみる。素晴らしい。これまで見たことがないほど「正しい」HTMLの解説書であった。W3Cにある仕様書を徹底的に読み解いたのがよく分かる。ただ惜しむらくはHTML 4.0であるということだろうか(笑)。うちはちなみに全面的にHTML 3.2である。なお、リファレンス自体はHTML 2.0、3.2、4.0を網羅している。
 初版は一年半前だが、この度第二版が出たので、平積みになっていたようだ。Web Pageを適当に作っている人には、是非とも見て欲しい本だ。


1999年7月27日(火曜日)
 梅雨が終わったと思えば、連日の猛暑。熱帯夜で睡眠も浅くなりがち。ついでに早起きせんとあかんから、なおさら大変。今日、最初の単元が終わった。明日からは「情報メディアの活用」へと入る。
 「学校経営と学校図書館」の単元で面白かったのは、やはり“禁書”の話だろう。図書館には図書館の自由があり、選書閲覧の自由が保証されているのだが、一方で書物そのものがプライバシーの侵害を疑われていたり、差別助長の種を孕んでいたり、意図的に真実を隠蔽する目的を持っていたりする。「教育上好ましくない」ものももちろん世の中にはあるだろう。
 かような理由から、学校図書館の収蔵図書の選書にはより神経を使わねばならない。
 しかし、中には偏向を強いるものもいるという話だ。特に校長らしいのだが、司書教諭らが選んだ本を不可とする場合があるらしい。で、問題のリストとやらをOHPで見たのだが……。
「理由:著者がアカだから」
 ……。アカっすか。
1999年7月28日(水曜日)
 「情報メディアの活用」の授業は、拷問に等しい。単位の読み替えができないだけで出席しているわけだから、内容なんて全部分かりきったことばかり。先生からして「なんで君こんなとこにいるの?」と最初に言いよるし。
 かくして午後の演習(CD-ROMの検索)にはTAになっていた。(言うまでもないが、Teaching Assistantであって、Tactical ArmorでもなければTerminal Adaptorでもない)
 分かりきった授業なんだから寝てりゃいいとも思うのだが、こういう時に限って睡魔がやってこないのだから嫌になる。せめてノートパソコンでもあればレポートが書けるのに……って、手書きで書きゃいいのか。

 きしもとさんから『正しいHTML 4.0 リファレンス&作法』にも多少ならずミスがあると指摘が入る。ついでにそれらをリストアップしたページまで教えてもらう。この世に原理主義のネタは尽きまじ、ってとこか。

 夜。月を見る。今日は部分月食。右下を少し食われた月を見上げる。


1999年7月29日(木曜日)
 すっかり早寝早起きが身に付いてしまった。一方で、冷房漬けの日々に、体調は少々崩れぎみ。
 二日間のTAですっかり気分はサービス業。それも今日で終わった。今日こそレポートをとか思っていたのに、結局果たせそうにない。ああ……

 朝っぱらからipcを中心に、色々動きがある。夜にはセンターからメール。困ったもんだぜ……。


1999年7月30日(金曜日)
 今日から講義の先生が大庭教授に変わったのだが、変わったら変わったで私にとっては苦痛だった。なにしろ私は哲学が嫌いだ。なのに授業内容はメディア関係論という哲学バリバリの関係論なのだから。
 というわけで、いきなり最初の時間にテキストの内容についてケチをつける。むちゃくちゃだな、俺……。
 科学は、客観そのものだ。例え縁も所縁もなく、言葉も思想も違う二人であったとしても、1g重力下での落体の計算をすれば同じ結果を出す。これが科学の素晴らしさだ。そして私は「人文科学」の出身である。歴史学もこの恐ろしいまでの客観性を備えている限り、すなわち事実そのものを見つめる限り、史観の問題など出ようはずもない。(私の卒論に対して「主観が入っている」という指摘は勘弁して欲しい。だってあれ学士号貰うための卒論なんだもん)
 駄目だ駄目だ。哲学なんて考えただけで怖気が走る。竹之内くんには悪いが、やっぱりあれは科学の徒が触れるべき世界ではないと思う。

 今日、一緒に司書教諭講習を受けている安光さんが仰った。
「最近、若い人の間でそういう格好が流行ってるんだってね」
 なんでも朝のニュース番組で、最近の若者の流行は、甚平に扇子だと報道されていたとか。ちなみに私の格好は紺の作務衣に扇子(面には「義理人情」)、そして唐草の鉢巻きである。数年前から夏はこの格好なのだが、知らない間に時代の最先端になっていたらしい。
 そのうち私の真似をして作務衣に扇子、唐草鉢巻きで学校に来る学生が増えるのだろうか?

 以前から作務衣はどうやって手に入れるのかという質問が少なからずあったので、こちらを紹介しておく。

 折角新しいコンテンツが増えたというのに、どーやらこのページしか見ていない不届き者が少なからずいるようだ。反省するべし(笑)


1999年7月31日(土曜日)
 TAの日々が終わったと思ったら、今日は講義をしてしまった。お題は「電子図書館について」。おお、指導教官のお株を奪うような所行だ。きっと罰が下って、私はごく普通の学生生活を強いられることであろう。願ったり叶ったり。
 講義の試験時間が早まった関係上、試験終了後に時間が浮いてしまったので、その空き時間に電子図書館のことが分からないという小数の受講生のために電子図書館の文系的解説というやつをしたわけだ。なぜか大庭教授まで受講していたけれども(笑)。
 受講生が文系の方々なので、電子図書館を構成する要素技術なんか解説しても混乱を助長させるだけ、という判断から、もっと根源的な話をさせてもらった。

 書籍を一つのパッケージとしてみた時、これはハードウェアとソフトウェアに分解することができる。ハードウェアは言うまでもなく紙とインクであり、文章(図版なども含む)がソフトウェアだ。
 電子図書館と言うのは、これらのソフトウェアをデジタルデータ化することによって、ハードウェアという物理的桎梏から解き放とうという試みだ、と説明することができるわけだ。
 どんなに大漢和を愛用している人でも、背負子に担いで持ち運ぶことはできないが(いるかな? いないよな)、これが電子化されていれば、パソコン一台持ち運ぶだけで済む。ネットワーク上で共有されていれば、端末さえあれば良いということになる。漢和辞典を引いているうちに腕に筋肉がつくのも避けられるというものだ。
 しかし電子化のための基礎技術がきちんと出揃っているかといえばさにあらず。文字コード一つとっても、不完全もいいとこだ。
 山に登るならそれなりの準備というものが必要になるものだ。

 TA経由・にわか講師よる適当講義も終わって、来週からは一介の受講生に戻れる予定だ。……戻るんだってば!