底の底の記憶
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殲滅の第十五弾

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、もしかしたらTRONプロジェクトに関り合いがあるようなないようなことが書かれているように見えることがあるかもしれませんが、もちろんそれは全て錯覚です。
当然、坂村健先生及びTRONプロジェクトなどとはまったく関係がありません。
よって、非論理的な方や妄想癖のある方、事実とフィクションの区別がつかない方、勝手な拡大解釈が得意な方は読まない方が身のためです。
これは、底の底でまだ底で墓穴を掘る、ある歴史学徒の哀しいまでの奮鬪努力の記録であります。


2007年6月23日(土曜日)
 連動。
 日本の道路工事現場で見られる超小型パワーショベル(ミニショベル)は、日本生まれ。なんであんなものが必要になったかといえば、労働単価が上がって、単位時間当りの作業量を上げなければならなくなったから。当然だが、最低労働賃金が安い地域では需要そのものがない。
 人間と同様の環境で働ける人型ロボットも同じことで、「ロボットのコストが人間より廉くならねば……」というのはつまるところ「人間のコストがロボットより高くならねばならない」のと同義語である。
 労働単価はどうやったら上がるのか?
 経済圏における平均労働単価はその経済圏のGDPに比例する。ただし、これはあくまで「平均値」の話で、最低賃金が上昇するわけではない。
 最低賃金が上昇するためには、最低賃金に分類される職種が人手不足になることが必要である。
 労働市場が閉鎖系の場合、最低賃金職種は、放っておいても人手不足になっていく。当たり前だが、誰だって条件の良い職種につきたいからだ。かくして需給の不一致が起こり、これを解消するために賃金の上昇が発生する。
 ところが労働市場が開放系の場合、より経済力の低い経済圏からの低廉労働力の流入が発生するために、いつまでたっても最低労働賃金が上昇しない。一方この間にGDPの増加が順調に進行した場合、経済格差の増大という結果を招く。
 というわけで、日本の労働市場開放には、小熊は否定的なのでありました。

2007年6月21日(木曜日)
 某所で辞表の話があったので、つらつらと思ったことをば。
 辞めたいと思っている人間を引きとめ働かせるのは、会社の士気なり、当人の意欲なりを考えると、有害な行為で、お互いに納得ずくで別れるのが一番だと思う。
 その意思表明としての辞表、というものを考えたとき、ありきたりな文例集にある「一身上の都合」などという文言は、これまたお互いに無益なのではないか、と思った。
 多くの会社においては、新入社員に教育を施し、業務の一翼を担わせているわけだから、辞職によって社員を失うことは、人的資源の損失であり、経済的損失でもある。損失が発生すれば、営利企業としてはそれを補填せねばならず、同時に対策を考える必要がある。
 そこで調査と原因の究明、再発防止という正のサイクルを生み出すことを企業は考えるわけだが、その調査の端緒となるべき辞表に「一身上の都合」などと書かれては、交通事故で社員を失ったのと大差がなくなってしまう。
 本人に瑕疵のあるなしはともかく、辞職に至る理由は正確に書かれないと、人事上問題なのではないかと思うわけだが、実際のところ、その手のサイトには「立つ鳥跡を濁さず」的な表現と共に「一身上の都合と書いておきましょう」などと紹介されていたりする。
 個人的には上司や同僚、経営陣への恨み辛みであっても、きちんと理由が書かれているほうが良いと思うのだが。

2007年6月13日(水曜日)
 朝鮮総聯の本部土地建物を、差押え回避目的で、元公安調査庁長官が運営する投資顧問会社が購入した件。
 色々考え方はあると思うが、18日に朝鮮総聯が敗訴し、朝鮮総聯の土地建物が差押えられた場合、有象無象の連中が野に放たれてしまうという問題は確かに存在するんだよね。朝鮮総聯の建物に取り敢えず押し込んでおけば、監視もやり易いしね。

2007年6月3日(日曜日)
 現在政府で進められている集団的自衛権行使にまつわる憲法解釈の変更は、「日本が集団的自衛権を行使しなければいけない事態の現出に対し、改憲が間に合わない」という推測に基づいていると考えられます。「極東有事の方が改憲より先にくる」という、恐らく一定レベル以上の確信を、政府首脳部が持っていると考えられます。
 時間的余裕が存在するのであれば、国民投票法が成立した今、事を急がずとも改憲は可能ですので、あの憲法懇話会には急ぐ何らかの理由があると考えるのが自然です。
 恐らく、朝鮮半島有事か台湾海峡有事が迫っているのでしょう。
 歴史屋は断片的な情報から元の像を推測するのが仕事なわけですが、自分の推測が外れていることを望んで止まないところです。

2007年5月30日(火曜日)
 佐川急便のアレっぷりに怒り心頭。
 結局Amazon使わなくなった理由すら、佐川だもんなー。
 連中にとって「顧客」ってのは荷物を預ける側であって受け取る側ではないんだろうな。

2007年5月28日(日曜日)
 連動。
 しかしなんというか、故松岡大臣、清清しいまでの族議員っぷりでありまして、恐らくその「手腕」を買われての農水相拔擢であったろうことは想像に難くありません。彼なくして、この日本の農林政策の難局を乗り切ることができるのか、不安で一杯です。
 まあ、確かに金と利権に汚い人だったんだけど、それだけに自分のナワバリを守ることにかけては目敏い人だったんだよ。スシポリスと揶揄された日本食レストラン認定制度とかね。

2007年5月16日(水曜日)
 連動。
 実を言えば足尾銅山鉱毒事件の運動は突然生まれたものではなく、江戸時代から続く支配‐被支配階級間の交渉の歴史を踏まえた上のものなんだよね。田中正造は庄屋の生まれであって、その立場は即ち、上と下の間を結ぶものだったわけです。
 江戸時代に於いては支配階級といえども被支配階級の同意を得ずに勝手気ままに施政ができるような時代ではなく、農民も不満があれば、軽ければ庄屋や代官を通じて意見を出しましたし、訴文を出すこともありましたし、果ては一揆という形で強訴することもありました。
 当然支配者側もこれらの意見を汲まねば政治ができかねるわけで、互いに議論し譲歩しあいながらの治世が続いていたわけです。
 これらついて、20世紀に一世を風靡したマルクス史観に於いて、「下層階級市民による階級鬪争」という訳の分からない位置づけをされたため、現代に於いても「一揆=武力鬪争」という、史実とは異なる理解が広まってしまいました。
 余談ですが、これら江戸封建時代の階級闘争を経て達成された明治維新を、マルクス史観の発展段階説におけるブルジョワ革命に比定するか、市民革命に比定するかについて史学界を講座派と労農派に二分して半世紀以上に亘る大激論を繰り広げたわけですが、現代の史学的見地から見ると滑稽極まりない話ではあります。
 江戸期の社会がどれほど進んでいたか、を物語るエピソードとしては、幕末にできた各国領事館には、治外法権による外国人犯罪についての訴文が続々と送りつけられ、通訳が呆れていたなんて話が残っています。治外法権だの領事裁判だのと言えば難しいのですが、当時の百姓たちにとって見れば「異人の事件は代官所じゃなくて領事館に持っていく」くらいの感覚だったみたいですな。

2007年5月8日(火曜日)
 さて、実は先日、日本は外交で大失点を記録しました。
 エリツィン元露大統領の国葬に、日本から駐露大使しか参列できなかったんです。
 その理由が、「政府専用機は首相訪米のために使えず、間に合う直行便がなかった」……。

麻生外相、便利な小型の政府専用機導入を提案

 麻生外相は8日午前の閣僚懇談会で、「政府専用機は大型のものしかなく、緊急に海外に行く時に非常に不便だ」と述べ、小型の政府専用機導入を提案した。

2007年5月8日21時57分 読売新聞

 いや全く。
 実の所を言えば最適任者(橋本龍太郎)が既に没していたことから、参加すべき候補者も村山富市(ナポリサミットで会っている筈)くらいしかいなかったんだけど、誰も行けないなんていう間拔けな事態は避けられるようにしないとあかんね。

2007年5月7日(月曜日)
 大好評のS.B.Mobileですが、s-b-mobile.pa-i.orgへ移転するそーです。
2007年5月3日(木曜日)
 憲法なんて四半世紀に一回くらい見直してもいいくらいだと思うけどなー。別に金科玉条ってわけでもなし。もっと手軽に改正できるようにしても良いと思う。
 英国みたいに成文憲法を持たず、慣習憲法ってのもアリだと思うし。

2007年4月26日(木曜日)
 連動。
 天皇の政治的影響力を肯定し、憲法にもその旨を明記し、その上で権力の抑制を図るのが上策だと私は思う。これまでのように、全てを曖昧な「菊のヴェール」の向こう側に押し込めるのは、もう無理だ。
 「ご進講」があり「内奏」があり、そして様々な発言があり、それでも「天皇には政治的権能はない」と強弁するのは、余りにもよろしくない。

2007年4月24日(火曜日)
 連動。
 もちろん、「テレビ朝日は報道の自由を守るために一切の法的強制に対抗する!」とか宣言して、出入り口や窓にバリケードを築き、局に籠城して当局に抵抗するっていうならそれでもいいがね。そん時は機動隊がテレビ局に突入する現場が見られるだろうナ。
 俺が首相だったら、自衛隊に治安出動を命じるかもね。
 それは多分、日本の言論の臨終を看取る瞬間でもあろうさ。

2007年4月23日(月曜日)
 πちゃん謹製黒日記リーダを涸井戸で紹介しろというメールがあったので紹介
 ここ読んでる人には敢えて言うまでもないと思うけど、おおっぴらにはしないように。

2007年4月22日(日曜日)
 おお、気がつくと2週間も開いていた。
 最近、玄箱からみょーな音が聞こえる。もしかしてHDDがイカレてきたのか……と思っていたのだが、どうもHDDのアクセスとは無関係に震動音がする。
 うーん……なんだろう……。
 と思っていたら、リアにある冷却ファンが埃で詰まって止まっていましたとさ。
 うわっ。
 熱暴走しなくて良かった……。

2007年4月7日(土曜日)
 表のコメントアウト連動
 僕の大学生活の数少ない自慢が、川島先生の授業でA判定を獲得したこと(笑)。
 なにしろ受講生の6割を容赦なく落とすということで有名な先生で、授業一発目に評価方法をきちんと説明し、全方法で満点を取れば200点近くなる評価のうち60点を取ればCは貰えると言うのだから、ある意味大甘でもあった。
 で、こうなったらもうA判定どころか総合100点以上を目指すしかないだろう、人間として?
 ただ、同時に川島先生のやり方は、一般的でもなければ、賛同を得られるものでもなかっただろうな、とも思う。大学に勉強しに来ているような特殊な学生はともかく、そうでない学生からは怨嗟の声が上がっただろうし、中には川島先生の単位を取得できないばかりに卒業できなかった学生もいただろう。川島先生は自分にも他人にも厳しい先生だったから、救済などしなかっただろうし。
 また、教える内容も、いっそ清々しいほど左寄り・反権力に傾いていて、概論であっても問答無用で専門的な内容を講義していた。
 そういう一徹者の先生が大学上層部から疎まれていたことは想像に難くなく、あのような事件を巻き起こすことになったのだろうと想像する。
 昨年、先生の地位保全を求めた訴訟は、先生の訴えを認める形で和解していたらしい。窮屈な立場に置かれているとは思いますが、元教え子の一人として、今でも先生を応援しております。

2007年3月22日(木曜日)
 百度正式サービスとか言ってるけど、とりあえずアクセス禁止処置。
 metaタグのロボット避けを読まない奴等とは付き合えん。

2007年3月12日(月曜日)
 いずれ表に上げるかもしれないけど、とりあえず殴り書き。
  1. 大本:シフトJISを捨てられるか?(IT Pro)
  2. 反応:シフトJISを捨てられるか?:ITpro
  3. さらに反応:UTF-8は十分かどうか
 テキストデータ処理のみを考えている人と、可視化まで含めた書記言語処理を考えている人では、立脚点が違うからなぁとか思った。ぶっちゃけ、rubyはテキスト列を処理してOSに渡して終わりなスクリプトでありんして、それを渡されたOSが書記言語処理における可視化を担っている。
 で、書記言語処理における可視化の難度というのは、身近にある言語をいくつか拾っただけで「酒飲んで忘れて寝てしまおう」と即断できるくらいには高い。
 アラビア文字で書かれていても、それがアラビア語なのかペルシア語なのかウルドゥ語なのかわからないと、そもそも可視化処理ができない。それが書記言語処理の厄介なところ。
 ていうか、一言語一文字集合なんて言語は、世界に殆ど存在しない。もし世界の言語が全て一言語一文字集合だったら、こんな問題は発生しないのだが、災いなるかな、災いなるかな、ローマンアルファベットは西欧諸言語で広く使われているし、それ以外の言語でも借字されているし、トルコアルファベットのような派生文字体系まで存在する。
 逆もまた真なりで、カザフ語はキリル文字とローマ文字とアラビア文字での書記系が存在する。モンゴル語に至っては……呪 わ れ て し ま え !
 とまれここで言いたいことは、文字をコードで表現しただけでは可視化処理は困難である、ということである。そこに書かれている言語が何であるかが「何らかの手段で」明らかでないと、そもそも可視化処理に移れない。
 ここでlocaleが重要な役割を果たすのは、ユーザの使用言語を「暗黙的に」指定するからである。localeがあれば「とりあえず」localeを頼りに暗黙的に可視化処理をしてしまえる。
 それ以上のことはプレーンテキストの手に余る、というのが私の考え。

2007年2月28日(水曜日)
 音声圧縮に使っているFLACが1.1.4にバージョンアップしてたんで、変えてみたんだけど、確かに僅かに圧縮率がよくなってる。
 でもそれ以上にエンコードが重くなってる〜〜〜。
 元々FLACはデコードが軽いってのが特徴なんだけど、いくらなんでもここまで重いとなぁ。多分、最近のSSE2/3命令をサポートしてるようなでゅあるこあぷろせっさーで圧縮しろってことなんだろうけどさー。

2007年2月24日(土曜日)
 そのうち医師は弁護士のような半公務員にしないといけなくなるかもねぇ。

2007年2月20日(火曜日)
 「全ての子供を歴史家として育てよう!」と言わないだけ良識的な内容であったと自負するわけだが>表日記
2007年2月5日(月曜日)
 すえちゃんがmixiの日記で柳沢厚労相発言を採り上げて、
子供を増やしたければ、まずすべきことは、子供を育てる支援をすることだろう。特に職業を持ちながら育児をすることが「当たり前」にできるような雰囲気作り、制度や法律の整備をするとか、収入が無くても子供の養育費にだけは困らないような制度が必要だと思う。(たぶん両方必要だけど)
と書いていて苦笑いした。
 典型的な観念論だなぁ。馬鹿馬鹿しいほど無意味な反論ですよ、そりゃ。
 「子供を育てる支援」とやらを、ではどの程度の規模で、どのくらいの予算で、どのような方法で、という実務レベルに落としていった時にぶつかるのが、結局の所柳沢発言なんですもの。
 出産可能年齢の女性の数が決まっていて、人口減少を食止めるには合計特殊出生率を2.1にしなければならなくて、その場合に一人当たりの平均出産数が出ますが、ここからさらに「産まない女性」や「産めない女性」を差っ引いていってようやく一人当たりの産児数が予想され、それに対して必要な産院の数や保育所の数などが割り出せるわけで(予算規模や準備の年限も大体判明する)、そういった数値的裏付けがない状態で「子育て支援」などと発言することは政策立案・実行側の立場では無責任もいい所だと思います。
 その意味で、その意味でだけは、柳沢厚労相はライトスタッフを持っていると私は判断するわけです。
 すえちゃんのような考え方が、結局の所日本の人口政策を暗中模索に追い落としてきたのではないか、と。

2007年2月4日(日曜日)
 連動。
 本当に不穏当な見識ってのはな、もっと酷いことを考える人間のことだよ。
 私だったら「出産を産業化し、産む側と産ませる側の間に需給関係を成立させよう」とか言いかねませんが。「日本人の父母から人工授精した受精卵を、(労働賃金の低い)国外の代理母に産ませる」とか正気で考えますよ。
 もちろん私が厚労相ならそんな考えおくびにも出しませんがね。

2007年1月30日(火曜日)
 富山の冤罪事件)で富山県警は冤罪被害者男性に職を斡旋するとか言っていたわけだが、ふと一体どこを斡旋するのかと考えた時に、交通安全協会とかプリペイドシステム協会とか警察天下り団体なんかが斡旋されんのかなーとか思った。
 こういう時に天下り組織があると便利っちゃぁ便利だな、と。

2007年1月22日(月曜日)
 連動。
 私ゃそのまんま東なる人物は知らんわけですが、選挙期間中の発言(失言)を仄聞する限り、それなりに勉強はしてるんだろうな、とは感じました。
 とはいえ行政能力が未知数であることには変わりなく、宮崎県民はオッズの高い賭けに出たな、というのが正直な感想ですな。
2007年1月21日(日曜日)
 携帯電話に縁ができたので、ちと調べてみているのだが、どうもやはり日本と日本以外では相当な性質の差があるな。
 日本では既に去年の裡に2Gが商品価値を失っていて、新機種投入は殆ど行われていない。auに至っては3G化率98%とか酷いことを言っている。国外では「高機能の3G」「低価格の2G」という住み分けが進行しているけど、日本では一気に2Gが駆逐されてしまったわけだ。
 この辺の動きを全く読めてなかったのが旧Vodafoneで、世界標準とか言って2G端末を日本に投入したりした、と。結果として競争に敗退し、SoftBankに日本法人を身売りすることとなった。
 ところで先日のiPhoneがまさに2G携帯なんだよね。日本では使えないということだけど、日本で販売してそもそも売れるのかどうか。

2007年1月10日(水曜日)
 正直、iPhoneのどこが凄いのかサッパリわからん。iPodにも携帯電話にも全く縁が無いもんで……。
 それよりもApple ComputerがApple Inc.に社名変更したことの方がショックだ。

2007年1月3日(水曜日)
 表連動
 悪い言い方をすると、アメリカの人種問題は既に一定の解決が着いています。良くも悪くも、問題は白日の元に晒され、その存在は誰もが知っていることなんですよ。ところがフランスの人種問題については、国の公式見解が「フランスには人種問題は存在しない」ですから、この作品が面白いわけです。
 日本人から見ればアルジェリア系フランス人なんて白人とどこが違うのよ?って感じですが、サッカーフランス代表キャプテンだったジダンがアルジェリア系移民の子供だと誹謗されたことがあったように、見えない所で色々あるんですよねー。
 いやもちろん、「フランスには人種問題は存在しない」んですがね!

2007年1月2日(火曜日)
 世界終末時計が、北朝鮮の核実験を理由に、進められるらしい。1998年に9分前、2002年に7分前となったこの時計は、80年代以来となる時間を示すことになる。
 北朝鮮の核実験は日本に非常に大きな影響を与えましたが、同時に、世界において日本を軍事的に注目させる要因でもありました。国内においては目にすることは少なかったのですが、CNNを始めとした海外メディアはこぞって日本の軍拡・核武装を懸念する文章を発表しました。
 一般論として、インド・パキスタンの例を見るまでもなく、対立する隣接国の片方が核開発を行えば、もう一方もこれに対抗する、というのが理であります。そして世界はその理に従って日本を見ています。
 日本がどれだけ声高に自分たちが核を保有しないと言った所でこれは無駄な話で、日本は今後望まぬ形での「核疑惑」に晒され続ける可能性があります。
 であれば、寧ろ積極的にそのような論を誘導し、攪乱するのも日本の外交の一手法と看做せますが、どうもその辺を分かっていない野党がいるようで困る。