このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、もしかしたらTRONプロジェクトに関り合いがあるようなないようなことが書かれているように見えることがあるかもしれませんが、もちろんそれは全て錯覚です。
当然、坂村健先生及びTRONプロジェクトとはまったく関係がありません。
これは、底の底でまだ底で墓穴を掘る、ある歴史学徒の哀しいまでの奮鬪努力の記録であります。
- 2001年6月22日(土曜日)
- 師父曰。
「TRONはみなさんのための、私のものです」
答えて曰。
「俺達ゃ乞食じゃない」
- 2001年6月13日(水曜日)
- 表には書けないけど。
協会には色んな人が集まっていて、その中には旧仮名論者も少なくない。
實を言へば、私も舊假名遣ひが好きだ。舊假名遣ひには、日本語が積み重ねて來た歴史の痕跡が色濃く残されてゐる。音には消えてしまつたけれども、意味や、構造の中に息づいてゐる、日本語の姿を感じさせる。それは決して安易なセンチメンタリズムなどではない。
今更旧仮名遣いに戻せなんて言っても無理だけど、教育だけでも続けるべきだと思う。
- 2001年6月12日(火曜日)
- ちょっと職場で精神病理について話した。
精神病、というか特異な性格の持ち主とか奇癖の持ち主とか、通常の社会生活を送ることが極めて困難である難儀な性癖の所有者とか、まあそういう人たちは確かにいることはいるんだけど、ボーダーラインは極めて曖昧なのよ。
理由は幾つかあって、一部の自閉症などを除いて、完全な原因が特定できていないこと。そして判断基準が常にその時代の社会背景を背負っていること。
つまり、殺人癖のような過度の嗜虐性を持った人間ってのは、恐らく現代日本じゃまともな社会生活は営めないだろうけど、これがアフガニスタンの戦場なら、逆に英雄の素質かもしれない。日本の戦国時代とかね。
つまり、「正常な人間」の定義が既に時代や社会の世相を受けたものでしかないので、「異常な人間」もまた相対的にしか定義できない。当然、ボーダーラインは曖昧になる。実を言えば「責任能力」だって曖昧なもんだ。責任能力を客観的かつ合理的に定義することは不可能だね。だからこの世に存在する人はすべからく「正常っぽい人」と「異常っぽい人」でしかないというわけだね。全員グレーだ。
勿論、どの時代のどんな場所、どんなシチュエーションでもオカシイと思われるであろう精神病理も確かに存在するのだけれど。
- 2001年6月11日(月曜日)
- なんか月末から来月頭あたり、なにかあるそーですが、なにかは知りません。
もしアレだったら、僕の脳は沸騰しますね。
- 2001年6月9日(土曜日)
- これまでは、良くも悪くも渾然一体としていても良かったんだと思うのよ、BTRONって。BTRON(3)とB-right/Vとか、TRON協会とPMCと坂村研とか。良く言えばその蜜月関係があってこそって所があったわけで。
でも、そろそろ、線引きをしなきゃいけなくなってきてると思うわけ。
それだけ、注目度も大きくなってきたし、影響も無視できなくなったと僕は思うのだけど。
なのに今でも「TRONは私のものだ!」とか一言で仕様をいじられたらかなわんがな。
- 2001年6月7日(木曜日)
- 表外漢字字体表は、その存在そのものにまず意味がある。戦後、国語民主化論などに乗っかるかたちで強引に推し進められた漢字簡略化、その流れを、明確に断ち切ったこと。これが最大の意味だ。
で、JIS X 0208との関係は、まさにここに尽きる。83年の改訂に際して進められた簡略化は、否定されるわけだ。もう少し詳しく言えば、JIS X 0208:1997の『「包摂」による解決』は否定されたのだ。この上もなく明確に。
もちろん、表外漢字字体表の不備や問題をあげつらうことは可能だ。JIS X 0208:1997の作業量に比べれば、隨分とお手軽に表外漢字字体表が作られた嫌いがあることも確かだろう。しかしそれでも、大方針として間違っていたのは、JIS X 0208:1997の方なのだ……。
戦略レベルの勝敗を戦術レベルで覆すことができないように、枝葉末節を突ついて表外漢字字体表を攻撃しても、JIS X 0208:1997の劣勢は挽回できない。既に、改訂は既定路線であり、97JISの命運は尽きた。
97JISに残された道は、従容として改訂されるか、滅びの道を歩むか、二つに一つだ。
- 2001年6月3日(日曜日)
- 昨日のBクラで収穫があったとすれば、それは坂村先生が私に反論するために事前にあれこれ準備してきてたってことでしょうか。
水掛け論はいくらしたって無駄なので、これからは実行も伴うことにします(笑)。
坂村先生が何といおうと、TRONは「私たちのもの」にしてみせます。
N.
- 2001年5月29日(火曜日)
- なるほど、例のステテコ君の目的が、僕の職場内での立場を悪くすることだったのなら、その目的は多少なりとも果たされたわけだ。
私ゃ被害者なんだけどねぇ。苦情だったら、加害者へどうぞ、ってなもんだ。
それとも、そういう被害もひっくるめて全部被害請求するべきなのか?(苦笑)
個人的見解として、JCS委員会はJIS X 0213を「使われてない規格なんだから無視しよう」って腹括るべきだわな。幸いなことに、前JCS委員会がJIS X 0212を無視した前例もあるし。
……。
もう一つの代案としては、JIS X 0208を廃止し、字形を置き換えたJIS X 0214(?)を制定するってのもあるな。
究極的にはこっちの方が良いような気がするけど。
- 2001年5月23日(水曜日)
- 表に連動して。
玉虫色の解決策=最悪の解決としては、JIS X 0208はどうせこのまま使われなくなっていくんだから、とりあえず「JIS X 0208とX 0213の一本運用でカバー」ということにして、「実際に不足している文字はISO-10646系へ追加していく」ことになる場合ですな。
ま、実際にそんな動きが出てきたら、最終兵器投入だとかなんだとか、とんでもない事態になるだろうケド。
表の日記でどのくらいの人が気付いたかわからないけど、JIS X 0213を闇に葬り去った場合、一番困るのは実は超漢字だったりするんだわ。日本語基本にJIS X 0213入れちゃったもんだから、JIS X 0208と0213の整合性が取れなくなったら、モロ覿面に影響を受ける。別の面に分けた方がいいとは言ったんだけどね……。
ま、後始末するの俺じゃないからいいけど。
- 2001年5月17日(木曜日)
- 将来、漢字コード史を語る時、一体誰に責任を負わせるべきなのだろうかとかぼんやり考える。
漢字学者の不在が、原因の全てではないにしろ、その一端であるような気がしてならない。現在イニシアチブをとっている連中のように、片手間に漢字をやっているような人間ではなく、漢字の片手間に文字コードをやるような人間が必要だ。絶対に必要だ。
- 2001年5月11日(金曜日)
- 自国に……というか自分達にとって都合の良いように歴史書を編むなんてことはどこだってやってるのよ。それこそドイツだって。
ドイツの歴史教育を賞揚する連中がいるけど、歴史学的立場から言わせてもらえばちゃんちゃらおかしくて、あれはナチスを絶対悪と規定することによる免罪符でしかない。現にドイツでは、今以って、ナチを相対的に評価する言動が不可能に近い。
翻ってユダヤ人はどうなんだと言わせてもらえば、戦後のパレスチナでやったことを見れば「ヒトラーがユダヤ人を絶滅させていたら、戦後の中東戦争はなかった」なんて言い方をしたくなる連中だっているだろう。特に、肉親をツァハールに殺されでもすれば。
ヴィシー政権下でナチに協力してたフランス人が、解放されるや否やドイツ兵と交際してたフランス人女性を吊し上げたなんて“当たり前”みたいな話だし、38年にはファシスト党のシンパだったけど、45年にゃナチに銃を向けてたイタリア人だっているわけよ。
そういったものを全部ひっくるめて受け止める覚悟はできているんだな?……って言いたいわけ。
夢も希望も幻想も、お題目もスローガンも信じられない、そんな人生を選択したい人だけが歴史なんてやってりゃいいのよ。
- 2001年5月7日(火曜日)
- 総力戦における兵站部門は、全線で戦う士官兵卒同様に重要である。
JIS X 0208:2002戦、勃発前夜。
- 2001年5月2日(月曜日)
- OSレベルでそれを実現することと、「Wordで多言語!」っていうのでは、天地ほど差があるんだけどな。
- 2001年4月29日(日曜日)
- うーん。例のカラフル馬鹿ですが、全然関係ない板で「どうして俺のIPが分かるんだよ」とか吠えてました。
だって素通しじゃん……。
この程度の馬鹿と付き合うってのもなんかヤだよなぁ。
- 2001年4月27日(金曜日)
- 反TRONな奴からいくら攻撃されても全然堪えやしないけど、まがりなりにもTRON親派の人からああいう掲示板荒らしとかされると、気が滅入るっつーかなんつーか。
あとから沸いてきた義勇軍に自らの後方を脅かされる最前線の気分ですな。
とりあえず邪魔な味方は叩き潰すのが得策でしょうかね。
- 2001年4月25日(水曜日)
- 多くのマークアップ言語ではタグが入れ子になるが、これは便利なようでいて、実は処理上はめんどくさい。階層構造なんて言えば聞こえは良いけど、ネストしすぎりゃ何がなんだかわからなくなるし、正しく記述することは困難になる。
ま、なんでもそうだけど、理想の解決に一見見える方法が、実は問題解決をさらにややこしくするなんてことはよくある話なんだけどね。
ISO -2022とか。
- 2001年4月24日(火曜日)
- ふーん。TADの拔本的見直しねぇ……。
うーん。
なんか方針にある種の影を感じる。
- 2001年4月22日(日曜日)
- 非常の人材が平時の凡才として大過なく一生を送れるような社会を維持することが為政者の仕事であって、非常の人の価値を誉めそやしたり、求めたりしてはいけない。
天才とか鬼才とか、凡に非ざる人間がその実力を発揮することを喜ぶのは、スポーツの中だけにしなければならない。社会とは、凡人の集合体であって、天才に率いられる群れであってはならない。
- 2001年4月14日(土曜日)
- 店内のBGMが「太陽戦隊サンバルカン」だったのに、私の脳には「愛国戦隊大日本」になって届いていた。ふと歌詞のタイミングがずれた拍子に気付いて愕然とした。
マズいよ、それ……。
- 2001年4月13日(金曜日)
- TRONの未来を背負って立つ人材であるところの里見君。日記に変なことを書いていた。
他の高校生と比べると偏ってはいるけれど中途半端、これが自分の全てなのかも知れません。少しはそれを無くそうと思って日々努力している?つもりではいるんですが、まだまだどの分野にも精通すると言う事が出来ていません。
いや、私は別に「駄目人間ノスゝメ」を書いたつもりはないんだが……。まあ、本人が駄目人間を志望しているなら敢えて止めるのも野暮というものなのだろう。また一人、TRON系駄目人間ズのデンパを浴びて墜ちて逝ったわけであるな。
合掌。
- 2001年4月12日(木曜日)
- RDBをカード型DBのように使うのが我が職場の流儀らしいのだが、いい加減仕事量と効率を考えればRDBはRDBらしく使うべきであろうと、一時的な業務停止期間(夏休みとも言う)を設けてDBの大改造を行いたいと具申したところ、そんなことはできないから通常業務の合間を縫ってやれと言われた。
走りながら車の改造ができると思っているのだろうか……。
いざとなったらコンピュータなしでも仕事できるから、とまで言われちゃしょーがない。知ったことか。
- 2001年4月10日(火曜日)
- 秦恒平さんの日記を読んで思う。
もちろん、秦さんの意見は秦さんの意見として拝聴するにやぶさかではないが、何というか、私には辛いものがある。
私は自然にダブルスタンダードを嫌う性癖を持っているので、国家による国民管理に異を唱えるのと同じ口で、姓名異体字を整理していこうとか言われると、その戸籍は法務省管轄下の国家による国民管理そのものではないのかと問いたくもなるわけだ。
文字コード論で重要なのは、独善の自覚だ。万人が納得する文字コードを作ることができない以上、そこにはどうしても偏向や矯正が働くことを自覚していなければならない。字体をコーディングすれば字形レベルの差異を押し殺すことになるし、“文字”をコーディングすれば字体と字形をどこかで保証しなければならない。自分が一体何をコーディング対象として文字集合を作ろうとしているのかということを自覚していなければ、話がそもそも始まらない。
そこが、秦さんの意見には見えてこない。
- 2001年4月5日(木曜日)
- 妹とは人生観が違い過ぎて、恐らくお互いを理解することは終生ないと思うのだが、ふと一つだけ、今日染井吉野並木の下で桜吹雪まみれになりながら感じた。
彼女は、多分幸せなのだ。
心の裡に、渇望を住まわせていないのだろう。いや、そもそもそんなもの生まれた時から持っていなかったに違いない。自分の現状に満足ができるという意味で、彼女はとても素晴らしい資質を持っているわけだ。
これは変身願望などという生易しいものとは違う。もっと純粋でどす黒い欲望だ。
昔付き合っていた女性から、「なぜそんなに上を目指すのか?」と問われたことがある。
そんなこと、私に分かるわけがない。
なにしろ私はこれ以外の生き方を知らない。理想の自分とか、なりたい姿とか、そういうものがあって目指しているわけじゃない。そんなものは全く無意味だ。ただ呼吸するように、生きているということが、求道の世界に没入してしまう、そういう難儀な魂を持っているわけだ。
妹は、多分私のような思いを一生抱かずに過ごすに違いない。それが幸せなのだろう。
- 2001年4月2日(月曜日)
- 巨大な疑問がある。
文字鏡研究会の連中は自らの無謬性をいかにして信じているのか、ということだ。
ちなみに私はTRON側の無謬性をカケラも信じていない(笑)。なにしろ最大の失敗は今昔文字鏡と手を組んだことなのだから。
- 2001年3月23日(金曜日)
- 情報規格調査会の会議は、結構苦痛だ。
私は所詮なんの権限もないオブザーバで、かつ協会の職員にすぎず、言ってしまえば協会の遠隔スピーカに過ぎない(笑)。一方で、図情大での三年間を文字コードとともに過ごした関係で、会議に追従できるだけの知識だけはあるときた。
実績と地位はあっても体系付けられた知識のない人の言い分は、場にそぐわないと感じてしまう。
経験則はここでは振り回してはいけないのだ。経験則による例外を挙げ始めればきりがなくなり、議論は発散し、収拾がつかなくなる。
そういう反省にたった上での議論だと理解していないのか、あるいはそうであっても自分がキャスティングボードを握ってないと我慢がならないのか。
文字コードに求められる機能を集約すると、次のようになる。
- 処理上の一文字が弁別できること
- 字形を最終的に導き出せること
- 最終的な字形から可逆的に文字コードが導けること
- 対象言語を不足なく記述できること
極端なことを言えば、この四点をきちんと満たしていれば、どんな文字コードだって及第点は貰えるはずだ。
問題は、この四点すら満たしていない文字コードが多すぎることなのだ……。
- 2001年3月10日(日曜日)
- 某協会の奥深くで、こんな会話がなされているらしい。
「協会で電子出版するとなると、機材はともかく、運用に金がかかるね」
「彼にやらせりゃ大丈夫でしょう」
なんて恐ろしい……。
- 2001年3月5日(月曜日)
BTRON.com-BBSから始まって、NIFTY FREKIに飛び火、このまま燎原の炎のように燃え広がりそうな勢い。最早水をかけたくらいじゃ収まりそうになく、爆破による消火が必要な様相だ。
文字鏡と超漢字の問題は、いくつかの問題に切り分けることができる。もちろん、これはそれぞれが別個の問題だというのではなく、お互いに深く関係しあってはいる。しかし、見通しを良くするには、大雑把に捌くことも必要だろう。
- 超漢字3にとって深刻だったのが、エーアイ・ネットとPMCとの間の契約だが、これについては、真相は薮の中である。
- PMCと文字鏡研究会の関係については、FREKI/MES 19に暴露されたように、PMCは一度文字鏡研究会の賛助会員としての資格を失っており、その後復帰している。現時点では問題はないらしい。
- 我々個人とエーアイ・ネットとの関係はやや問題を孕む。
超漢字ならびに超漢字2のパッケージの中には、「今昔文字鏡フォントデータを使用するための使用許諾契約書」という紙が入っていた筈である。文字鏡フォントを使っている方は、これによってエーアイ・ネットと契約関係にある、とされる。この契約書は有効なのか?というのがそもそも疑問。
問い合わせようにもエーアイ・ネットの連絡先は契約書に記されてなかったりする。思えば不思議な契約書だ。とりあえず文字鏡研究会に打診してみとこう。
- 最期の問題は、エーアイ・ネットの商行為って是なわけ?というかなり際どいものなのだが、これについては私は当事者ではないのでなんとも言えない。文字鏡研究会の人達がどう考えているのか聞きたいとは思っているが。
以上、表の日記に書いたのだが、公開直前に思いとどまって裏に置いた。
- 2001年2月19日(金曜日)
- 自己無謬性を疑いもしない連中は嫌いだ。不可謬存在を戴く連中も嫌いだ。なのに世界の過半はそういう奴等で占められている。
- 2001年2月15日(木曜日)
- 某文字コード委員会での話。
私 | 「文藝家協会から委員は出さず、オブザーバとして私が参加するということになりました」 |
幹事 | 「小熊さんがいればその方がいいや」 |
私 | 「……。」 |
もしかして私のことを委員会の戦力としてカウントしてないか?
既に第一線を退いたロートルに何を期待しているんでしょうか?
- 2001年2月14日(水曜日)
- 協会の会員DBなんだけど最初に設計した奴が、どこか頭の螺子が一本も締まっていなかったらしく、データ型に対する考慮が全然されていない。その結果、不正なデータが結構蓄積しており、データ型を正しくしようと思うと、そこらじゅうからエラーを指摘されたりして気分はげんなり。
誕生日が00月00日とか(そんな人間おるかいっ!)、入会年月日が00月00日とか(ンなわけあるかい!)。名前の読みなんかあてずっぽうのいい加減。データには全角半角入り乱れ、外字は闊歩し、地には緑(意味不明)。
……ということを報告し、可及的速やかにデータを修正すべきであると進言した私に、主事さんはこう言った。
「そういう時間がかかることは夏休みにしましょう」
夏休みは休暇であって働く時間ではないわーっ!(絶叫)
- 2001年2月13日(火曜日)
- 表の日記でおおっぴらに書くわけにもいかないので、裏に。
パソコンと20年も付き合っている人間は、大なり小なり、ハッキングに類する行為を行ってコンピュータを学んできたはずだ。8進数や16進数の列を読み解き、データを書き込んだ人間の意図を類推し、そこに意味を見出し情報を抽出してきた。多分、僕と同じ世代の連中の殆どが、何らかの形で似たようなことをやっていたと思う。
もちろん、著作物の同一性保持権は認められなければならないと思う。改造セーブデータを売るような行為は慎まねばならないと思う。
しかしそれでもこう思う。
同一性保持権が及ぶのは、プログラム本体までではないのか、と。
奇妙に聞こえるのは承知で言うが、セーブデータを改竄し、裏情報を拔き取り、没シナリオを暴きたてるのも、一つの楽しみ方だと思う。ゲームデザイナ達が企図した通りに遊ばねばならないのであれば、意図的に禁じ手を作って遊ぶいわゆる「縛り」プレイですら「同一性保持権の侵害」となりかねないではないか。
小説や映画や絵画は、いかように受け取っても良い筈だ。本の読み方を統制されるのであれば、私は本なんか読まない。「最初に最終章を読む行為は、著者の構想を破壞するので禁止」と最高裁が言っているように、僕には聞こえてならない。
改造されたセーブデータを使っても、プログラムは「正常」に動き、シナリオは「企図されたとおり」に選択されているはずだ。確かにゲームデザイナの意図からは外れていても、僕はそれを承知でゲームを楽しんでいる。いや、いた。
僕は、哀しい。
- 2001年2月11日(日曜日)
- 日頃、PC上では17inchのディスプレイで1600×1200表示をしているせいか、DVDを鑑賞するとどうしても画面の粗さが目に付く。dpi値は120dpiを少し越える程度か。まあ、大体B-right/Vのディスプレイプリミティブ相当ってところか(笑)。
NTSCの有効水平走査線数を480としても、そこからさらにレターボックスで上下が切られるわけで、そうすると有効水平解像度は三百幾らかとかいう話になってしまう。流石にこれでは……と思うが、だからといってワイドクリアビジョンやハイビジョンを導入しようかという気にもならない。
多分、一番気に入らないのは、ブラウン管という表示装置なのだと思う。
現時点で手に入る表示技術の中では、コストパフォーマンス的に最も良いのはわかっているのだが、どこかしら、納得していないのだ。液晶も、プラズマも、まだ実用化されて日が浅い。ELはまだ実用技術ですらない。
まだまだブラウン管に頼らねばならないことは良くわかっているのだが。
- 2001年2月10日(土曜日)
- フォントには著作権が認められない。
しかし、フォントの製作や維持管理には莫大な金がかかる。
この金を賄うために、フォントの小売り価格が信じられないくらい高かったり、そもそも小売りしてなかったり、市場フォントの出来が悪かったりするわけだ。
これを鑑みるに、工業所有権として金を稼ぐことが国家として認めていないもの動向を、市場任せにしようとしていることが問題だということになる。
国が整備すべきことなのだ、本来は。
ところがこれについても、かつてフリーフォントフェイス「平成明朝」が策定されたときに、業界団体の反発と圧力により、正気とも思えないようなデザインになったことは記憶に新しい。
っつーか、そんなモノ使わされているんだが、超漢字ユーザは。
それはともかく。
国がやらねばならぬことだとするならば、これは一体どこの管轄だろうか。文部科学省か、その隷下の文化庁か? 財務省か、その隷下の印刷局か? はたまた総務省か、法務省か……。
いや違う。
この日本の根幹をなす問題を担当すべき省庁は、ずばり「宮内庁」であろう。
日本の伝統芸能最期の砦、宮内庁。古来、時と文字は帝の専管事項だ。現に、今でも「元号」という形で我々の時を制している。始皇帝は文字を統一したし、清朝康煕帝は康煕字典を世に送った。となれば、日本の宮廷がこれなすことに問題などあろう筈もない。
宮内庁文書館の中に書体官でも作って、営々と文字フォントを作り続ける。名付けて「天皇明朝」(炸裂)。
なんか全共鬪世代から爆破テロでも喰らいそうだが……。
- 2001年2月4日(日曜日)
- NHKスペシャルの地中海シリーズとETV2001の戦争をどう裁くかのシリーズをこの一週間程で見たわけだが、色々と考えさせられる内容ではあった。
私は、歴史学を学んだこともあって、人類の賢さというものに過大な期待を持っていない。にしても、これほどまでに戦争・紛争が多発するようになったのは近代に入って以降の話で、恐らく背景には、近現代が本質的に持つ何かが、戦争を原罪として持つのではないかと疑わずにいられない。
絶対価値として君臨する「豊かさの希求」が多様性を否定しているのではないか、と今日思った。あるいは、「豊かさ」について、なんらかの絶対価値が押し付けられているのか。
- 2001年1月25日(木曜日)
- ある友人が私を軍事になぞらえてかく評した。
「凄く便利な予備兵力」
彼が言うには、こうだ。
「汎用多目的でいかなる戦場にも対応が可能だが、限定戦域兵器と正面から激突すると確実に力負けするので、正面装備には使えない。しかし予備兵力として確保しておけば、薄くなった戦線のどこでも増援として投入できる。役に立つときは常にピンチ」
楽な仕事がしたい、と言った私に彼はそう言ったのだった。
- 2001年1月24日(水曜日)
- 作家という職をもつ人に幻想を抱かなくなったなぁ。
いや、別に深い意味はない。
- 2001年1月22日(月曜日)
- 「S.B.さんのO.J.T.能力には素晴らしいものがある」(by πちゃん)
これは絶対誉められているのではないと思ったね、俺ぁ(笑)。
- 2001年1月21日(日曜日)
- BTRON Clubのあいだ中、頭痛はするわ、気分は悪いわ、体調は最悪だった。
で、二次会で酒呑んだら治った。
アル中になる人間の気分がわかったわ。
- 2001年1月19日(金曜日)
- バージョンアップ版がないことについてのある団体職員の冷厳たる発言。
「余裕がないんだろう」
- 2001年1月16日(火曜日)
- 始まったな。
私にゃ超漢字3の発表が、黙示録の天使の吹き鳴らす喇叭の音に聞こえるよ。
- 2001年1月10日(水曜日)
- BTRON Clubの原稿を書いていて……。
「目を覆わんばかり」
という表現を体感したような気がした。なお、お題は「最近文字コード事情」である……。
- 2001年1月5日(金曜日)
- まだ冬休み中なんですが今日はちょっと職場へ行ってきたですよ。
なんか目を覆いたくなるほど郵便物とか溜まってたですよ。
とりあえず新聞だけは片付けてきたですよ。
なんか3時間くらいかかったですよ。
- 2001年1月2日(火曜日)
- 去年の末に某師匠から東鳩で請け負った仕事を、ちまちまと書いているのだが、なかなか進み具合がよろしくない。っつーか、必要な図が多すぎて、テキストだけで書ききれんやん……。
「心眼で分かれ!」とかいう方が楽です〜。
- 2001年1月1日(月曜日)
- 新年ですね。去年一年のBTRON周辺があんまりっちゃあんまりだったので、今年こそはマトモな展開を期待したいもんです。
とはいえ、TRONSHOWで見たB-rihgt/V R.3にゃ希望も何もないんだよなぁ……。
ま、所詮現実なんてそんなもの、といっちゃえばそこまでなんだけど。