終章

 改めて。
 かつて日本だけは、ユダヤ人に対し、比較的好意的であったとされている。
 これは完全な間違いではないだろうが、必ずしも正しいとも言えない言葉だと、調べ終わった今は感じる。
 日本は比較的外国人に対して厳しい国である。現在も日本への外国人の入国審査はかなり厳しく、就労ビザは(特に発展途上国民に)発給されにくい現実がある。私事ともからむが、日系人に優先的に査証が発行される現実が、現地国での不公平感を増大させてもいる。
 今回の調査で、私は日本の体質が、古くから基本的に変わっていないことを実感した。
 日本のかつての対ユダヤ政策は、平時、とりわけ現代であれば偏狭の謗りを受けて然るべきものだったろう。利害関係のソロバンを弾きながら対応を決めるというのは、人道的とはいえない。
 しかし、当時の世界情勢は、そのような非人道的な立場ですら「比較的」としながらも好意的であったと言わせるのだ。
 日本がユダヤ人の排除に積極的でなかったことは、当時の趨勢からは外れていたが、誇るほどのものでもない。日本のお蔭で命を拾ったユダヤ人は少なくない。それは確かだ。しかし積極的に救済を行っていれば、ナチス・ドイツによって殺された数百万の命を、もっと劇的に減らすことが可能であったろうことも、また事実だろう。
 戦後、当時の政策のもたらした結果への反省から、多くの先進諸国が移民に対して寛容な政策を採ったのに対し、日本は先進国中最も移民を受け入れない国となっていった。それは日本が変わったからではなく、日本が変わらなかったために日本が取り残されたのだ。国際情勢から取り残されているという意味では、昔も今も変わりがないともいえる。
 日本はかつての対ユダヤ政策を誇るべきではない。所詮それは、他人の落ち度のようなものなのだ。今回の対ユダヤ政策の調査は、日本の外交、引いては政治の問題点を浮かび上がらせたようにも思う。
 少ない資料、不十分な調査。至らない点は沢山あり、研究とはとてもいえない程度のものではあるが、卒業論文として、以上をもって締めくくりたい。
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