序章

 20世紀、特にその前半は、ユダヤ人にとって受難の時代だった。ナチス・ドイツによるホロコーストを最大のものとして、帝政ロシアからロシア革命期におけるポグロム(集団略奪)、各国によるユダヤ人難民受入れの拒否など、一民族に対する拒絶が、すさまじいばかりに全世界を覆っていた。
 そのなかで、日本だけは、ユダヤ人に対し、比較的好意的であったとされている。
 初めてそのような記述を目にしたのは、たしか中学校の図書館にあった、『六千人の命のビザ』の旧版だった。リトアニア領事杉原千畝という一人の人間が発給した通過ビザによって、多くのユダヤ人が難を逃れることができたというものだ。
 ただ、それだけでは単に個人の功績に過ぎない。「日本が」と言われる以上、それ以上の何かがあったに違いない。
 日本政府はユダヤ人をどう見ていて、どうしようとしたのか。
 思い立って調べ始めたのは良かったが、重要な記録が海外へ流出していたり、先行研究がほとんどなかったりと、思いの外苦戦することになった。粗い分類がなされただけの外交資料の中から目的にかなう文書を捜し出すのは、金鉱捜しにも似ていた。また、言いにくいことではあるが、金銭的な問題も大きかった。政府機関の資料複写料の値段は、様々な事情を考慮しても常識的ではない。今ここにある程度のまとめとしての卒業論文をまとめねばならない。まったく資料不足というほかはない。外交資料館の方々には実に丁寧に対応していただいたというのに、応えられないのが本当に辛い。
 いつか、時間と知識と金を揃えての再戦を期したい。
 それはさておき、ユダヤ人問題研究につきまとう、一つの重要な定義を、私も論文をまとめる前になさなければいけない。それは
「ユダヤ人とは何か?」というものである。これはそれだけで論文の趣旨足りえるものであり、世界各国で様々な研究がなされており、また今なお答えのでない問題でもある。
 一般的に、ユダヤ人とは、ユダヤ教を信奉する人々のことである。だが、20世紀初頭におけるユダヤ人差別においては、ユダヤ教からキリスト教に改修した元ユダヤ教徒も、差別の対象となった。このことを正当化するために、当時しばしば、ユダヤ人は「セム人種」と呼ばれた。つまり宗教差別ではなく、人種差別であるとしたのだ。これらの差別を科学的に肯定するために、人種衛生論なる奇説も誕生した。
 では真にユダヤ人が「人種」として差別されたのかというと、例外も実は存在している。血統的にはユダヤ人ではない、ユダヤ人の再婚相手の連れ子なども、ユダヤ人と同様に差別されたのだ。それ以上に、ユダヤ人はヨーロッパ全土に広く、時間的にも長く根付いており、進行した混血は、血統一つをもって彼らを区別することを非常に困難にしている。
 私は厳密にユダヤ人を規定しようとは思わないので、当時の人々が「ユダヤ人」の規定として見なした見解を、大ざっぱにまとめて利用させてもらうことにする。
「ユダヤ人とは、主にユダヤ教を信奉する人であり、その近親、文化的影響下にある人をも場合によっては含む、特定多数集団を指す」
 大ざっぱであまり厳密ではないが、境界線というものは、マクロには明確でもミクロには曖昧なものであるのが常であるため、この辺りで妥協したい。このような曖昧な存在を規定するものは、所詮人の感情であって、科学ではないのだから。
 19世紀以後、科学の進歩によってもたらされた情報圏の拡大が、実感的「生活圏」の大きさを「国家」という地理上の枠組みに広げることになった。これは20世紀になって、小さな同質的文化圏に国家と同じ立場を与えることに繋がり、それは「民族」とされた。つまり情報媒体の進歩が、まず距離を克服し、次に数を克服したことを意味しているわけなのだ。これは私の個人的な考えでまだ何の裏付けもないが、ユダヤ人はこの距離と数の克服過程において、大きな力を持った人々だと、私は思っている。かつて各地の地域社会において常に少数派であったユダヤ人が、空間距離を超克するメディアによって、地域を越えた集団=ネットワークとして機能するようになったのだ。
 交通事情が劇的に改善し、その気さえあれば世界各地、どこででも移住して暮らすことが可能な現在とは違い、人間そのものの動きは極めて小規模であり、距離を問題にしないのは情報だけであった当時、情報交換によって繋がっている、密度は低いが面積は広いネットワークは、時代を先取りした形であったことだろう。地域主義から国家主義(ナショナリズム)、マルキシズムに代表される思想による連帯と、人は徐々に物理的距離の桎梏から解き放たれてきた。まだようやく国家主義が芽生えていた当時、国家を持たず、宗教という連帯感のみを基に世界中で活動することができたユダヤ人の力に、当時の人々は畏怖を感じたのではないだろうか。
 昭和初期から連綿と唱え続けられている
「ユダヤコネクション(フリーメーソン)による世界征服」などという荒唐無稽な意見は、そのような想いを基盤にしているように、私には感じられる。
 日本は、戦前世界において、ユダヤ人に対する病的な妄執から逃れ得た、唯一の大国であった。日本国内に根付いたユダヤ人は数少なく、政治経済を動かすほどではなかったし、現在をもっても、政治経済の中枢部にユダヤ人を殆ど持たない。
 そういう、ユダヤと特別な関係を持たない日本で、かつての日本の対ユダヤ政策は、なぜ好意的であったのか。
 浅くではあるが興味深く見てゆきたいと思う。
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