底の底の記憶
カレ
スコップ
投擲の第十七弾

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、もしかしたらTRONプロジェクトに関り合いがあるようなないようなことが書かれているように見えることがあるかもしれませんが、もちろんそれは全て錯覚です。
当然、坂村健先生及びTRONプロジェクトなどとはまったく関係がありません。
よって、非論理的な方や妄想癖のある方、事実とフィクションの区別がつかない方、勝手な拡大解釈が得意な方は読まない方が身のためです。
これは、底の底でまだ底で墓穴を掘る、ある歴史学徒の哀しいまでの奮鬪努力の記録であります。


2008年6月30日(月曜日)
 表連動
 歴史の何を教えるべきか、学ぶべきか、という取捨選択は常に難しい問題で、言ってしまえばこれこそが歴史教育の政治性の源泉です。当然ながら、誰しも全てを学ぶことはできませんからねぇ。
 であれば、できるだけ学んだことが後で役に立ちそうな項目を重点的に教えるほうが理に適っているような気がするのですが、それとて主観を排除できるものではありません。信長‐秀吉‐家康の三人は駄弁りのネタには打って付けの内容でしょうが、そこから学べるものに何があるのかと言われるとかなり苦しい。でも前者が大事なケースの方が多そう(笑)。個人的には、学ぶなら三代将軍徳川家光の治世なんかが学ぶべきところが多いと思うわけですが。
 ただ、実用主義的な歴史教育は、ともすれば人類の負の側面を延々と見せつけることにもなりますから、情操教育という点ではマイナスでしょうな。

2008年6月9日(月曜日)
 表連動
 とはいえ、死刑以外はないだろうなぁ。

2008年6月8日(日曜日)
 表連動
 私の興味は既に「この後の展開」へ移っているのですが、正直、事件の再発防止とか不可能だしねぇ。
 GOA(Gun Owners of America)的発言をすれば、「群衆の中に武器を持った市民が居れば、犧牲者はもっと少なかったはずだ」って辺りだろうけど、その辺も余り期待できない。秋葉原は知っての通り一時期偏執的に刃物狩りを実施した地域だっただけに、護身用の武器の携帯もままならない。
 実際の所、社会はこのような事件と付き合っていかねばならないのだけれども。

2008年5月28日(水曜日)
 ダビング10の事実上の延期について、JEITA側は肚を括ったのだろうか。全面対決っぽい感じなんだけど。
 COG(コピー・ワンス)からEPNへの変更であれば、番組送出側のコピーフラグ変更だけで済んだのに、それをCOG+9という小売機器への新機能搭載を必要とされる制度へ改まった時点で、メーカ各社には開発負担がのしかかっている。その上開始日に合わせてファームウェアのアップデートまでしなければならない。これに加えて補償金まで払えというのは横暴だ、という意見はとてもよく分かる。
 権利者側はCOGからCOG+9へ移行するのに、何も負担してないもの。
 彼らは「譲歩した」と主張しているけど、実際に経済的負担をしているのはメーカとユーザだけなんだわな。
 彼らは実際にはなんの経済的負担もしていないにもかかわらず、補償金の拡大を要求している。これは強欲に過ぎる、という意見は尤もだろう。
 COG+9が期日どおりにスタートしないのであれば、合意を破棄してEPNに拘るというのも戦術としてはアリだ。消費者からのクレームはJEITA一人が被るわけでもない。世論は著作権者に厳しくなってきている。
 権利者団体はメーカ側を非難する会見を明日開くそうだが、果たして一般消費者の理解を得られるかどうか、怪しいところだと思う。寧ろ、そのような会見を開かねばならなくなっていることに、危機感を抱くべきだろうね。

2008年5月27日(火曜日)
 江東区のマンションで起きた殺人事件。
 犯人は隣人ってことだけど、明らかに劇場型犯罪者なんだから、言ってることを鵜呑みにして片っ端から報道したらアホ見るぜ。他人の注目を集めるためにどんだけでも嘘吐けるタイプの犯罪者なんだから、裏が取れてから報道しないと誤報の山になるだろうよ。
 大体、人間一人の肉体をトイレに流せるわけないだろうが。
 バラしたとしても、いいとこ生ゴミだろ。まあ、河川敷辺りに転がしたか川に流したか、じゃないかね。

2008年5月23日(金曜日)
 表連動
 この手の教師の度し難いところは、自らの正義を伝染させようとすることで、故に正義病などと揶揄されることになる。

2008年5月17日(土曜日)
 表連動
 野村雅昭氏と言えばJIS漢字コード83年改訂を主導した人間として知られているわけですが、なるほど、全き確信犯であったことが本日のシンポジウムで分かりました。
 「日本語の生き残りのためには漢字を廃した日本語が必要だ」とか真顔で主張する様は、実に堂に入っておりまして、こりゃもう、この人を主査に据えたことが全ての間違いだったとしか言いようがない。
2008年5月12日(月曜日)
 舞鶴の女子高生殺害事件。
 特に興味もないのだが、一言だけ。
 若い娘が未明の街をうろついていて殺されました、では何を不思議に思ったらいいのか分からん。そんなの、自ら地雷原に踏み込むくらい馬鹿気てる。
 無論犯人は捉えて司法の裁きにかけることは当然だが、こんなの再発防止もなにもない。自殺みたいなもんだ。

2008年5月8日(木曜日)
 午後、いい感じに茹だった頭で思いついた。
 コンパクトデスクトップパソコンはどうしても拡張性が犠牲になる。なぜかと言えば、マザーボードから見て上方の空間が圧縮されてしまうから。この方向はHDDにしろ光学ドライブにしろ、圧縮しやすい。HDDは2.5インチ、光学ドライブはスリムドライブと、ノートPC用のコンポーネントを用いれば良いから。
 しかしその結果として、拡張ボードを挿すための空間が失われてしまう。
 拡張カードの高さは最大106.7mm。Low Profileのものにしても64.4mm。本体の高さはこれ以下にすることが可能である(例えばMac miniは高さ50mm)ことを考えると、この数値はいかにも大きい。(カード長173.1mm(short)/312mm(full)ってのもあるが、ここでは考えない)
 かくして、コンパクトデスクトップにおいてはPCI/PCI Expressカードによる拡張性は犠牲になる。
 どうもPC業界においてはこの問題は割り切って切り捨てるべき問題と考えられているようで、コンパクトデスクトップはオンボードの統合グラフィックチップ(稀に独立したグラフィックチップを積んでいることもあるが……)というが主流だ。
 しかし世の中には私のように、オンボードのグラフィックチップは嫌いだがデカいデスクトップも嫌いだ、という常識人も存在する。
 そこで、どういうレイアウトならこの両者を満足させられるか、と考え付いたのがライザーカードだった。
 当たり前といえば当り前の解決策で、マザーボードにライザーボードを立て、そこにPCI Express x16コネクタを一つなり二つなり付けておけば、万事解決だ。
 こんなこと誰だって思いつくに違いない、と思って調べてみると、あにはからんや、そういうケースがあった。Silverstone SST-ML02B-MXR。
 Micro ATXだけど、面白いケースだなぁ。
 個人的にはもうちょっと厚みがあってもいいから、拡張カードが2枚入ると良かったな。

2008年4月28日(月曜日)
 表連動
 うちの母は年齢の計算などで「今年は昭和8x年だから……」などという計算をしていて、いい加減平成に慣れろよと思わんでもなかったが、生まれてから40年を昭和で過ごした人には些か難しいのかもしれない。

2008年4月24日(木曜日)
 表の12日の記述について、「自動車の前を旗を振って走る先導員」のネタが分からない人がいたらしい。
 なんという不勉強であろうか。
 Wikipediaで「赤旗法」を引けと。

2008年4月21日(月曜日)
 Bクラ2次会で話していた「データへイブン」のアイデアまとめ。
 海面上昇で水没しかかっている国家を、データへイブンを求める集団で合法的に乗っ取る。モルディブやツバルがターゲットか。
 法を改正し、データへイブンを作る。
 その上で当国船籍の大型船を購入しデータセンター設備を船内に構築する。Sunのコンテナを積み込んでも良い。
 上記の船を公海上で運用する。
 色々細かい問題はあるが、大枠では上の通りになる。
 船は大型タンカーサイズがあれば良いが、電力を考えると原子力空母、あるいは戦略型原潜の流用が望ましい。
 外部との通信回線の確保は、衛星通信が主になるだろうが、場合によっては別の方法を用意しなければならないかも知れず。

2008年4月15日(火曜日)
 連動。
 つまり私は、ACCSには言論の自由方面ではなーんも期待していないのです。
 アレはそういう組織じゃない。

2008年4月14日(月曜日)
 連動。
 つまり、公開された作品が人権を侵害している、というのであればそれは民事なり場合によっては刑事なりで始末をつければ良い。
 しかし、まだ公開もされていない作品については当事者同士で話し合うべき事柄であり、第三者がとやかくいうのは言論の封殺に近い。私はマスコミが騷げば騷ぐほど、状況が悪い方向に転がっていき、結果としてマスコミ自身を含めた言論の自由を損ないかねないと危惧しているのです。

2008年4月8日(火曜日)
 表には書きづらいので、裏に。
 近畿地方にある、とある高校教諭が、クレヨン社の曲「Noctovision」を使ったビデオクリップを作って、許諾を求めて来られたのですが、まあ、そのこと自体は「学校教育での利用には許諾は必要ありませんよ」で済む話なのですが、そのビデオの内容に首を傾げた。
 「Noctovision」は♪命より重い教えが瓦礫の山を築く〜などと歌うかなり反戦テイストな曲なんだけど、ただ反戦というより、平和への取り組みが上手く機能しない世界への苛立ちのようなものを歌いこんでいて、7thアルバムの中でも屈指の作品。特にターゲットにされているのが宗教戦争と、その舞台裏での大国間の利害関係、そのために止められない戦火、舞台の上の人々は終わらせる術も知らず戦い続けるだけ……という感じ。
 ところがその先生は、何をトチ狂ったのか、ビデオクリップの中で「反核」を掲げていらっしゃる。
 気分的には「ハァ?」。
 核じゃねぇだろ、この歌の主題は?
 反応するなら、この世界に億の単位で拡散した小型兵器の問題だろうと思うわけだけど、頭の古い人なのかなぁ。第一、テロ屋やゲリラどもが今の世界における最大の危機だっちゅーに、そいつらと核が何の関係があるかね。
 スーダン・ダルフールとかソマリアとかケニアとか、イラクもアフガンも、問題になっているのは核じゃねぇ。小型火器なんだよ。そしてそいつを使っているのは、貧しい連中なんだ。貧しい連中がより貧しい連中を襲い、貪るのが、21世紀の紛争社会なんだよ。
 大国の核兵器をとやかく言ってりゃ反戦だった時代は終わったんだよ、90sにな!

2008年3月26日(水曜日)
 「人間の行動には全て理由がある」と、考えられているのだろうか、この日本では。
 凶悪犯罪が起こる度に、そんなことを思う。
 自分の行動を振り返って、理由のない行動をしたことはないだろうか。余人に説明の付かない判断をしたことがないだろうか。単なる思いつきで、あるいは何かを思い詰めて決定を下したことはないだろうか。後になってみて、あのときの自分はどうかしていた、と思うことはないだろうか。
 立場を変えれば、犯罪者が余人には分からない理由で罪を犯すことは、何の不思議もないということにならないだろうか。
 大体、「ついカッとなって殺った」のは大して気にもしないのに、「周到に準備して無差別殺人を犯した」のは分析しようというのは、隨分な話だと思うがね。

2008年3月20日(木曜日)
 なんかチベット問題に絡んで「オリンピックボイコットを」って叫んでいる人がいるけど、無理だろう。モスクワ五輪の時とはオリンピックそのものの性質が違う。
 1984年のロサンゼルス五輪以降、サマランチ率いるオリンピックの商業化が進んだことはよく知られているが、それはオリンピックというイベントが経済の中に組み込まれたことを意味する。各国の放送局は莫大な対価を支払い競技の放映権を獲得し、これを放送によって回收しようとするし、旅行代理店はパックを用意し、飛行機を押さえ、旅館を確保する。航空会社は場合によってはオリンピックに合わせて新型機を導入しているし、旅館に至ってはオリンピックのために建設されていたりする。中国国内のインフラ事業は言うに及ばず、国外に於いても中国への投資という形で金が動いている。公式スポンサー企業は宣伝効果を見越し、様々な商品を売らんと虎視を眈々とさせている。プロ選手たちもオリンピックに合わせてスケジュールを調整している。
 さて、これらを突如「ボイコットします」の一言で吹っ飛ばされたらどうなるだろうか?
 というわけで、単純な政治的判断でボイコットはできない。もし可能になるとしたら、経済的に開催が見合わなくなったときだろう。そのような事態にこそ、陥ることを恐れるべきだと思うがね。

2008年3月10日(月曜日)
 職場に新しく入った派遣の女性。
 教えたことを憶えてくれない。昨日教えたことを今日また平気で聞いてくる。マニュアルがあっても読まない読めない。
 丁寧に教えれば仕事ができないわけじゃないし、頭の回転が悪いわけじゃないのだけど、とにかく人の言うことをきちんと聞かない。なのに自分が仕事ができないという自覚がない。思い込みが激しく妄想気味で、自己防衛のために平気で嘘を吐くし、論理的な思考力なんて当然期待できない。
 余程甘やかされて育ったのか、自分が全く見えていないのか……。
 一番困るのは、自分自身の能力を全く評価できていないところで、自分自身で思っているより周囲からの評価は相当低いタイプ。
 まだ20代だって言うけど、いい加減自分で悟らないと、この先苦労するぞ。

2008年3月6日(木曜日)
 特になんの前触れもなく、「シリコンウェハって、塊を切り出すんじゃなくて、シート状あるいはテープ状に作ることってできないのかね?」と思った。洋紙や圧延鋼板のようなロールシート状にできれば便利だろうに。
2008年3月2日(日曜日)
 イタリアで、中国製のステンレス鋼材からコバルト60が検出されたと報じられていたが、放射線系の医療器具を原材料(屑鉄)として使ったんだろうなぁとか思ったり思わなかったり。最悪の場合、掻っ払ってきたとかいう話になりそう。

2008年2月27日(水曜日)
 表連動
 九条教の皆様におかれましては、是非現地へと赴き、九条を以て混乱を鎮めていただきたく。

2008年2月21日(木曜日)
 表連動
 まぁったく最近の時計ときたら、錘もねぇしゼンマイもねぇ。鎖の調節もいらねぇし、ゼンマイを左右均等に卷く必要もねぇ。振り子の長さの調節もいらねぇ。天府も脱進機もねぇ。一体こりゃなんてキカイだね?
 バラしたところで出てくるのは電子部品ばかりぢゃないか。
 これならいっそ、針と文字盤もなくしちまった方が合理的なんぢゃないかね。
 え? 最近の若い奴は時計を持たないって? 全部携帯電話?
 そりゃ魂消た驚いた!
 そいじゃオイラも一丁若者の真似でもしてみるかね。
 よいしょ、っと。携帯電話を取り出しまして……1、1、7っ…と。
 おあとがよろしいようで。
(てけてんてけてん……)

2008年2月20日(水曜日)
 裏教訓
  • ダウンジャケットは摑み難い。
  • 組み付くときは腰から下でないと振り払われやすい。
  • 冬物衣類は挌鬪時に邪魔。
  • 「実戦では当身が重要」を実感。
  • 他人は当てにならない。

2008年2月17日(日曜日)
 Genesisさんが日記米軍という組織に対して特にペナルティーはないように思えると書いているのを見て思うのだが、非番の個人の犯罪のペナルティを組織が負わねばならない理由って何だろう、と。
 例えば、Genesisさんが非番の日に犯罪を犯したとして、そのペナルティを勤務先の病院が負わねばならないというのは理屈に合わないと思う。綱紀粛正とか言われても、雇用側は労働者の私生活に積極的に干渉すべきである、とは私は思わない。
 少なくとも私はそう考えている。
 職務中の過失や犯罪には、組織が負うべき責任もあろうが。

 敷衍して考えるに、もしかするとGenesisさんは、「米兵の犯罪は米軍軍法会議で裁くべきである」という主張の持ち主なのかも知れない。つまり、たとえ勤務を離れていても軍籍にある以上その行動は軍の指揮下にあるべきであり、当然その間に犯された犯罪は軍法を以て律せらるるべきである、というのであれば筋は通る。
 その場合、米軍兵士は日本国内に存在する限り、通常内国法の管轄下から完全に離れることになるが、責任は明確になる。
 日米地位協定では、軍務に就いていない間の米兵の犯罪について、日本側に裁判権があることを定めている。早い話が、責任分限を明確にしている。任務中の責任は米軍が負い、そうでない場合は個人が負う。
 これを全て米軍におっかぶせよう、とGenesisさんは主張しているのだろう。


2008年1月31日(木曜日)
 まあウチの場合、Genesisさんの周囲の人であれば、「黒日記を書いている人が実在するなんて、またまた冗談でしょ?」くらいは言ってくれそうだから、安心だな。

2008年1月28日(月曜日)
 連動。
 実のところ今回の“フォーマット戦争”は、コンテンツの力じゃなくて、ハードメーカーの力勝負で決まったな、と。むしろワーナーみたいに両対応していたコンテンツホルダは、恩を売るタイミングを逃したな、と。ワーナーは自身で状況を動かしたんじゃなくて、動いた状況に乗っただけだからね。決断が半年早ければ、恩を売れただろうけど。

2008年1月24日(木曜日)
 ふとぼんやりしているときに思いついたことをメモ。
 人型ロボットのデザインで以前から「人間を下手に摸しすぎる」ことが気になっていて、どうにかして別のデザインはなかろうかと頭を捻っていたが、別のアイデアから思いついた。
 ブロック状の頭・胸・胴・腰・腕・足etc...といったブロックをそれぞれ順に結合するのではなく、一つの主フレーム(仮称:竜骨)に直接接合する。
 竜骨は人間で言えば脊柱に比されるが、ここに腕を、人間で言えば肩甲骨に当たる部分から接合する。脚は、腰骨右半分と左半分に分け、それぞれ竜骨に接続する。頭部は竜骨頂部に接合する。胸部・腹部も竜骨に接合する。
 要するに、竜骨は動力と応力のバスだわな。

 で、どっからこんな変なことを思いついたかというと、身障者用の義肢の接合方法を考えていて思いついたのだ。
 義手にしろ義足にしろ、現在残っている部位に密着させるわけだけど、骨に繋がっているわけではないので、応力を受け止めると皮膚や肉に負担がかかる。骨にソケットで直結させるというのも、強度的に難しい。
 で、一体何処に取り付ければ自由度が高く、また応力負担が楽か、というのを考えて行ったときに、最後は腰骨と肩甲骨になってしまったのだな。


2008年1月12日(土曜日)
 連動。
 あとで「発表者がどのくらいマジだったのか?」と聞いてみたところ、「もの凄いマジでした」と言われ、臨席しなくて良かったと、本気で思った。
 発表終了を待たずに会場が流血の大惨事になったことは想像に難くない。

2008年1月4日(金曜日)
 連動。
 21世紀の出版は、もしかしたら文春みたいに「高貴な趣味」になるかもね。会社は別に本業というか生業を持っていて、そこで儲けた金を出版につぎ込んで散財する。それに耐えられる連中しか出版に関わらない。
(文藝春秋社は自社ビルによるテナント收入が收益の柱で、出版事業はそもそも儲かっていない)