底の底の記憶
カレ
スコップ
転落の第十一弾

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、もしかしたらTRONプロジェクトに関り合いがあるようなないようなことが書かれているように見えることがあるかもしれませんが、もちろんそれは全て錯覚です。
当然、坂村健先生及びTRONプロジェクトなどとはまったく関係がありません。
よって、非論理的な方や妄想癖のある方、事実とフィクションの区別がつかない方、勝手な拡大解釈が得意な方は読まない方が身のためです。
これは、底の底でまだ底で墓穴を掘る、ある歴史学徒の哀しいまでの奮鬪努力の記録であります。
2005年6月29日(水曜日)
 スター・ウォーズ新三部作で描かれたライトセイバー戦について考察少々。
 SFガジェットとしてのライトセイバーはともかく、あれが実在するとしてその剣法がどうなるかと考えていくと、殺陣担当のNick Gillardの功績は高く高く評価されて良いと思う。現実の剣法はどうしても基本として刃筋を立てる必要があるので、剣の軌道は基本的に限られる。構造強度の問題もあるので、例えば日本刀で剣の腹で相手を殴るような技もない(峰ならともかく、腹で殴ったら刀が曲がる)。
 しかしライトセイバーは光刃部はどこで触ろうとぶった切れるので、上記のような現実の剣の制約がない。となると動きは現実の剣法とはまた違ったものになることが推察できる。近いものを挙げるなら、恐らくスポーツチャンバラになるだろうが、それではあまりにチャチすぎる。(べつにスポーツチャンバラがちゃちいと言っているわけではない)
 現実に存在しない武器による刀法、かつ映画で見栄えのする動きを考えたという点でNick Gillardは素晴らしい。
 だが問題も幾つかあって、恐らくNickやRay Parkが試演したときは見事だったのだと思われる立ち回りを、役者が上手くこなせていない場面が少なからず見られた。
 Episode Iの Qui-Gon JinnことLiam Neesonがそれで、相手役のDarth Maul(Ray Park)がいなかったらとても見れたもんじゃなかっただろう。これはObi-Wan(Ewan McGregor)にも言えて、速さと勢いはあったけど技量的にはRay Parkが2段も3段も上だった。(Ray Parkはスタントマンで武術家だったわけで、Ewan McGregorあたりがちょっと練習したくらいで追いつけたらそっちの方が問題だが)
 Episode IIの殺陣は最悪に近かった。Darth Tyranus/Count Dookuは比較的良かったが、これはスタンド・イン(=スタント)そのCount Dooku相手に大立ち回りを見せたYodaはCGパペットだ。Ewanは殆ど肉弾戦担当で、Anakin Skywalker(Hayden Christensen)の動きは手足が伸びきっていて踊り状態。100人Jedi大乱戦の中で何人か良い動きを見せているのはいたけど、恐らくスタントマンなんだろうなぁと思ってみていた。ジェダイ・マスターの中でもMace Windu(Samuel L. Jackson)は結構酷くて、動きが緩やかな分、実際の技量が高くないところが露呈してしまっていた。(激しい動きの方が、実際の巧拙は分かりにくい)
 で、それらの中で一人私の目を惹いたのが、特徴的な頭のKi-Adi-Mundi(Silas Carson)。ライトセイバーを振るシーンは少ないものの、フェンシング経験者と思われる躰捌きが一際目立った。でもEpisode IIでは殆ど「その他大勢」の役割で、Episode IIIでは味方に射たれて死ぬ役。あわれなりけり。
 Episode IIIはそれまでのウサを晴らすかのような立ち回りが用意されていたが、Episode IIから長足の進歩を遂げていたのがHayden Christensen。Episode IIのときの悪い癖が直っていて、殺陣師としても一流どころであるところを見せた。Ewan McGregorも負けず劣らず努力の跡が見えた。
 しかし一番良かったのはDarth Sidious/Palpatineの殺陣で、これは当然スタンド・イン。Michael Byrneという方がやっていたらしい。
 個人的には、STAR WARS外伝として、本職の殺陣師やらスタントマンやらによる2時間ぶっ続けライトセイバーチャンバラムービーを見てみたいと結構本気で思っていたりするわけだが、Lucasもそこまで暇ではないだろうか……。
2005年6月25日(日曜日)
 すっかりご無沙汰だったな、この裏日記(笑)。

 大して書くことがあるわけじゃないんだけど、スター・ウォーズ新三部作雑感。
 ルーカスって思想的には老子なんだよねぇとか思ってみる。
 共和国の守り手、善なるジェダイは結局共和国の腐敗と崩壊を止めることができず、それどころか客観的には崩壊を加速させ、最後の引鉄を引いてしまう。シスがジェダイから離反した一派であることを考えれば、究極的にフォース追究の学問的派閥抗争が宇宙戦争を導いたといえるかもしれない。
 それにしても賢者ヨーダは、結果論的に失策に失策を重ねている。碌でもない弟子筋を残したという点(ドゥークー伯爵→クワイ=ガン・ジン→オビ=ワン・ケノービ→アナキン・スカイウォーカー)は差し引くにしても、アナキンの弟子入りに反対しながらも最終的に受け容れたところから始まって、危機を予感しながらも積極的に避けようとしなかった辺り、フォースに身を任せ過ぎというか、かなり流されまくっている。その辺が賢者らしいといえば賢者らしいのだが、そういう奴が共和国の守護者の頂点にいたというのが、ジェダイと共和国の不幸だったのかもしれない。
 最終的にヨーダは一人のうのうと生き延び、したり顔でルーク・スカイウォーカーを育てていたりするわけで、反省の色もない。
 この緑のちっちゃい賢者は、あるがままに世界を受入れ、そして滅びを加速させたという意味で、消極的な善人ってのが時に積極的悪人に優るダメージを世界に与えると警告しているようにも思えたりする。


2005年6月15日(水曜日)
 大体の方針を固める。
  1. ケースを変える。
    現在のケースが排熱の限界に達しているので是非もなし。ターゲットはサンワサプライのTK-AL5SV。
  2. メモリを載せる。
    できればM/Bの限界まで。
  3. CPUを換装。
    目標はSocket A最速Athlon XP 3200+(FSB 400MHz)。
  4. OSのXP化。
    ただし、Windows 2000のメインストリームサポートが延長されたら2000のままで行く。
 とりあえず上記の順番で。
 AMD64/EM64Tへの移行はまだ先っつーか、もう1〜2年は様子見だねぇ。今の段階で人柱になる趣味はないし。でももう1年かそこらしたらAdobeが言ってくるだろうな。64bit環境へ移行しろと……。

2005年6月14日(火曜日)
 マイケル・ルイスの「コーチ」を読んだのだが……うーむ。コーチ・フィッツのやり方が常に正しいとは思わんけど、アメリカの親どもの問題はまた別にあると思った。要するに二つの問題が一箇所で鬩ぎあっているのがニューマン高校ってことなんだろうと思ったが、多分多くの読み手はコーチ・フィッツに同情(あるいは心酔)して、過保護な親たちを譴責するのではないか。
 小熊的には「教育に“たった一つの冴えたやり方”は存在しない。だから常に“オルタナティヴ”が必要なんだ」ということになるわけですが、コーチ・フィッツは“とある冴えたやり方”であるとは思いました。

2005年6月10日(金曜日)
 20日開催予定の日韓首脳会談の予定がまだ立たないって、一体どないなっとんねんな?
 真面目な話、韓国側は日韓関係を冷却化する気がないのか? こういう危機的状況では、たとえ成果がでなくても対話を続行することに意義があるってのに。
2005年6月5日(日曜日)
 Macintoshのx86化って、なんかなぁ……。
 でももう何年かこのまま技術開発が進んでいくと、今のPCって昔のミニコンとかメインフレームみたいなシロモノになっていくよなぁ。ハードの上でまずVMが動いてその上でOSが複数動いて……とか。そうなったらMacでも何でも平行動作させられるようになる可能性はあるんだけど、確かに。
 ついでだからアプリケーションとかも全部中間コード化してランタイムコンパイラとか使ってインストール時にコンパイルとかするようになれば、プロセッサを意識せずに使えるようになるかもしれず。

2005年6月1日(水曜日)
 日中関係ですがやっぱ紛争でもやって力関係をはっきりさせた方がいいんと違うかなぁ。
 最近、中国の行動が目に余るわ。
2005年5月23日(月曜日)
 某Adobeに税を納める季節が迫りつつある。
 問題は、Adobeに税を納めるだけではなくて、税を納める度に上げられるマシンの要求水準の方なんだよなぁ……。
 Athlon XP 2400+/512MBというのは、日頃の生活には全く不自由しないんだけど、さすがにAdobeアプリを同時平行で扱うには厳しい。これがバージョンアップした日には……。
 今ならやっぱりAthlon 64かOpteronだろうなぁ。Windows XP x64 Editionぶち込んで、メモリを目一杯載せて……。
 うわ……いくら金かかるかわかったもんじゃないや。
2005年5月20日(金曜日)
 チリ陸軍がアンデス山中で八甲田山やっちゃったそうな。
2005年5月19日(木曜日)
 あ、本当に浮上してきやがった>ブレーキ問題(回生失効)
2005年5月18日(水曜日)
 尼崎の事故だけど、事故った運転士が始発駅を含めて3回非常ブレーキを使っていたと報じられていて思ったんですが、このあと「車輛のブレーキが甘かった可能性」とか浮上したらどうすんのかね? 散々っぱら運転士を叩いたあとなんだけど。

2005年5月17日(火曜日)
 ちょっとノーベル流平和ちっくに考えてみる。
 イスラム系の武装組織がテロを方法論として使う理由は、正面兵力の圧倒的な差にある。当たり前だが、米軍やイスラエル軍と正面からぶつかることが可能であれば、正々堂々と軍事行動を行う方が国際世論を味方に付けられる以上有益なはずだ。
 しかし現実には武装組織が有している装備は携行個人火器までで、迫撃砲すら充分に揃えられないのが現実であり、砲兵や“陸戦の雄”戦車、“戦車殺し”攻撃ヘリなどは望んでも手に入れられない。航空戦力にいたっては言うに及ばず。
 このような状況下で武力鬪争を行おうとすれば、必然的に軍ではなく民間をターゲットとしたテロ行為が、最善ではないにしろ、費用対効果の面から、敵へのダメージを与える手段として浮上してきてしまう。
 特にイスラエル‐パレスチナ鬪争などは、米国の経済支援を背景とした優勢な装備を持つIDFに対して、パレスチナ自治政府は有効な阻止抑止力を持たないことがイスラエルの横車を許す結果となっている。
 このことから、テロを減少させるために、武装組織に通常軍並みの軍事力を持たせるのは一案ではないかと思うのだがどうだろうか。
 こうすれば、制御不能なテロが減って、比較的制御可能な紛争や戦争が代わりに増えてくれると思うんだけど。
2005年5月13日(金曜日)
 新聞に「軍事」欄ができないものかと密かに思っていたりする今日この頃。
 平和を希求する人間にとって、軍事的知識って絶対必要だと思うんですが、違いますかね?
 まあ、軍隊をなくせば平和になるとか考えておられる方は少なくないようなのですが。

2005年5月10日(火曜日)
 フランス外人部隊かぁ。有名所だよな。日本人の隊員も少なからずいるし。
 事情が許せば日本にも外人部隊が欲しいところなんだけど、管理運用のノウハウがないから難しいよなぁ。
 給料のために命を投げ出せと命じるわけで、それなりのメリットがなけりゃ兵隊が動かないからなぁ。
 米国なんかも実は国籍なくても軍人になれるんだよね、労働許可証が必要だったかな。グリーンカード持ちが軍隊に入ると米国籍の取得が楽になるとかで、外国人も多かった気がする。その辺は多民族国家らしいというべきか。
 日本はその点国民国家だから、他国籍者を受け入れる余地が少ないんだよね……。
 でも、三年勤務で退役後の日本国籍取得をインセンティブにすれば人は集まるかなぁ?>外人部隊
(規律面でPKOとかに派遣しにくいんだよねぇ。最前線ならさほど問題ないんだけど)

2005年4月29日(金曜日)
 先日母と話をしてたら、母が日本はスイスを手本にした中立国に……みたいなことを曰ってのけぞった。まあ、団塊の世代らしく左寄り平和主義者なんですが、流石に身内からこういう言葉が出ると溜め息が出そう。

 スイスが平和な国だというのは、一体どこから流れてきたのかわからないかなりキョーレツな誤解で、日本ではなぜか蔓延している。19世紀まで主要産業が傭兵派遣だったような国が平和国家とは片腹痛いと思うのだが……。

 人口736万人(日本の6%)で、動員兵力が22万。職業軍人は3,400人。日本の自衛隊の定数が23万5千人で予備自衛官が4万8000人。もしこれをスイスと同様にするとなると、日本は動員兵力を360万人弱にしないといけない計算になる。
 スイスの国防予算は25億4800万米ドル。日本が424億8810万米ドルであることを考えれば確かに少ないが、GDP比は同じく1.00%。しかも内陸国スイスには海軍がない。実質的な経済負担はスイスの方が大きい。(国民の義務でやってるから人件費が抑制されているだろうしねぇ……)
 あと、スイスは中立国だけど、2002年の国連加盟以来PKOには参加している。外務省の「国連平和維持活動参加国及び派遣数」によると、部隊派遣2、軍事監視18、文民警官派遣14件の実績があるらしい(6p)。結局中立国になっても海外派兵からは逃れられないようだ。
 うちの母の主張を丸呑みすると、徴兵制を中心とした軍拡を大幅に行い、PKO他にも積極的に参加することになり、現在より遙かに軍事国家としての体裁が整ってしまうように思うのだが……。
 政治主張はちゃんと調べてから発言しないととんでもないことになるってこと。
2005年4月28日(木曜日)
 また事故の件で、メモ。
  1. カーブ進入時の速度は108km/h
  2. 207系電車は頑張れば130km/hくらい出るらしい
  3. オーバーランした伊丹駅から事故現場到達した時点で、90秒の遅延はほぼ回復していた
  4. そのために必要な速度は「平均120km/h」

2005年4月26日(火曜日)
 で、JR福知山線の事故なんですが、これまた安全学的見地から検証のし甲斐のある事例ですね……不幸なことに。

 分かっている情報を、ちょっとだけこねくり回しておく。

  1. 現場のカーブは70km/h制限
  2. 直前の直線は120km/h制限
  3. 計算上は133km/h以上で脱線
  4. 脱線時の速度はおよそ100km/h
  5. 事故を起こした207系電車の最高速度は公称120km/h
  6. 7輛編成。定員は1輛163人。制御車は150人。単純計算で編成の定員は1,115人
  7. 乗客はおよそ580人。定員比は52%。
  8. 運転士のキャリアは11ヶ月。その間に今回のものも含めて2度のオーバーラン。車掌勤務時に訓告1回、厳重注意1回。前回のオーバーランで訓告。

2005年4月21日(木曜日)
 18日に御台場の東京ジョイポリスで起きた事故について。
 事故は、東京ジョイポリス内にある「ビバ!スカイダイビング」という落下系のアトラクション(座席を60°前傾させ、約10m上下させる)から男性客が転落し死亡したというもの。問題点は、この男性がシートベルトをせずに遊具に乗っていたこと。乗客はハーネスとシートベルトで体を固定することになっていたが、シートベルトはウェストが130cm以上の人間には締められず、その場合は以前から客の同意を得てシートベルトを着用しないままの運用が行われていた由。死亡した男性は両足が不自由だった。
 一見して、どうも原因は一つじゃなくて、複数の要因が重なっているような感じ。
 もちろん、根本原因はシートベルトを締めない運用も可としていた現場マニュアルにあるんですが、そこに至る経緯が単純じゃなさそう。
 安全学的見地から、実に検証し甲斐のある案件のようだ。

2005年4月20日(水曜日)
 広島県教育委員会と韓国全国教職員労働組合大邱支部が共同で制作した歴史の副教材が今月発売になるとか報じられていましたね。「朝鮮通信使―豊臣秀吉の朝鮮侵略から友好へ―」という題だそうで。日韓両国で同じ内容の副教材を刊行するという点で、画期的かもしれません。
 中身を読まないことには何も言えませんし、その上私はその時代は専門じゃないので、今その内容に言及することはしませんが、意味のあるものになっていることを期待します。単に両国にとって都合の悪いことを省いた本になってたら、笑いますが。
 日本側に都合の悪いことといえば、対馬の宗氏が国交回復を急ぐために国書を改竄してたなんて話がありますな。韓国側に都合の悪いことといえば、捕虜の送還を求めたのに、殆ど帰国希望者が出てこなかったことでしょうか。
 対馬藩の経済は日朝貿易に頼っていたところがあるので(ちなみにさらに以前は海賊が主要産業だった時代もある)、国交回復は藩の死活問題だった。そんなもんだから、徳川家康の国書を改竄し、朝鮮側が受け取り易い「日本国王」の親書をでっち上げたという話。中華秩序の中では「王」とは中国皇帝によって王に封じられものを言うが、当然将軍は将軍であって王ではない。ちなみに、最後の王は室町幕府の将軍様。当然のように後々になって国書の偽造が発覚したが、うやむやの裡に処理された。次に問題になったのは明治政府と李氏朝鮮の間であるが、結局この時は李朝は判断を誤って国を滅ぼすことになった。
 朝鮮側としては初期の通信使が「回答兼刷還使」という名前だったことでも分かるとおり、「刷還」すなわち捕虜送還を目的の一つにしてて、日本側もこれに協力してたんだけど、文録・慶長の役から二十余年、日本に連れてこられた虜囚の多くは日本に生活基盤を作ってしまっていて、中には薩摩の沈氏のように知行を得たものまでおり、はいそうですかといって還る気にはならなかった模様。なかなか帰国希望者が集まらないことについて韓国側は、朝鮮人は愛郷心が強く、帰りたいに決まっている。日本側の努力が足りないのだと幕府を非難していた。どっかで聞いたような話だな。
 歴史なんてものは多くの部分は後世の人間から見れば都合の悪いことで埋め尽くされているものなので、その辺に目を瞑ってしまえば、得られるものは年号の暗記くらいなものなのですよ。

後日追記表日記に実物を見た感想を書いた。


2005年4月19日(火曜日)
 弟の歯科医師国試の合格発表日だったので、頼まれてひとっ走り厚生労働省まで。
 インターネットでの公開は受験番号だけなので、不安だというので。ちなみに弟は一足先に研修先となる郡山にいるため、自分では厚生労働省に見に行けない。
 発表といっても壁に大きく貼り出す形式ではなく、省内の講堂にテーブルを置き、合格者名簿の冊子を十部余ほどだろうか、列を作って調べさせるという形式だったため、前の人が時間がかかって、心理的に隨分待たされた。
 番号と名前(カナ)を確認して、省内の公衆電話から弟の携帯電話に連絡した。
 あとで母からも電話があり、名前は確認したかと言われたので、片仮名でちゃんと書いてあったよと安心させた。
 ただ、母がなんでインターネットでは名前を公開しないのだとぶつくさ文句を言ったので「個人情報保護法の関係でね」と説明した。
 そう言えば、医師会の方は個人情報保護法完全施行に際してマニュアルを作成・配布したと聞いたが、歯科医師会の方はとてもそんな状況ではなかったと聞いた。大丈夫なんだろうなぁ?>実家
2005年4月18日(月曜日)
 料理中にふと思い付いた言葉。
 「法の対称性」
 調べてみたが、どうもこのような用語用法はないらしいので、私の発案ということになるのだろうか。
 勿論、法が対称性を持っている必要はない。特に法が強者から弱者を守る役割を持っている場合は対称性は法の趣旨を破壊しかねない。
 が、それ故に時に法は論理的整合性を越えて存在しても良いと暗黙に思われてはいないかと思った次第。例えば、少年犯罪は原告に優しいが、被告にとっては犯人が少年であるか成人であるか老人であるかは基本的に関係ない、など。
 念のためもう一度書いておくが、法が対称性を持っている必要はない。

2005年4月17日(日曜日)
 某所の日記を書いてて思ったことを徒然に。
 努力信仰というか頑張り賞賛というか、“頑張ることは良いことだ”ってのは日本の価値観の一つだと思うけど、「無駄な努力」って言葉があるように、何事も過ぎたるは及ばざるが如しだと思う。特に身近に「聞けば即座に答えが返ってくる」ような相手がいて、しかも無償ではあるものの仕事として付き合ってるわけなんだから、そんなことは一々自分で頑張らずに訊けばいいんじゃないかと思うわけ。
 解決の目処が立たないと思った時点で連絡してきてくれれば、無駄な時間を使わずに済んだのに……とか思ってしまう。

2005年4月15日(金曜日)
 行き着けの泌尿器科で先生が検査会社へパソコンを接続しながら、個人情報保護法のおかげでインターネット経由の接続ができなくなって、会社に直接繋いでるんだ…とぼやいたところから話が弾んで、なぜかセキュリティだの危機感理論だのを隨分ながく喋ってきた金曜日。
 伝染病との戦いには、法による自由の制限がある程度不可欠だと力説する先生が、なかなか格好良かった。アメリカでは風疹が撲滅できたのに、日本ではまだ妊婦が感染して胎児に障碍を残している……と。あの自由の国にできることが、なぜ日本にできないのか、と。
 他にもFEMAの話とか、パソコンを廃棄するときのHDDの処理のしかたとか。
 笑ったのは、「電子カルテにしないで良かった。物理的なカルテなら、全部持ち出そうと思ったらトラックが要るからね」というお言葉。
 そうそう。物理量がセキュリティになることもあるんだよね……。

2005年4月5日(火曜日)
 なんかフランスで、ローマ教皇の逝去に際し、半旗を掲げるよう通達した首相の措置が政教分離原則に反するとかで話題になってるそうな。
 去年からこっち、フランスでは政教分離にまつわる話題が政争化してますな。学校へのムスリム女生徒のスカーフ禁止令とか。
 「バチカン市国元首」ってことにして宗教的慣行ではないとしといたそうですが、反対意見も根強いらしく。
 前にも書いたんですけど、完全完璧な政教分離って不可能だと思うよ。どっか適当な線引きってやつを考えないとマズいんだと思う。

2005年3月24日(木曜日)
 地政学的に見ると、韓国の位置は日・中・露という三大国に囲まれた楔地で、この土地を三箇国のどこが取るか三竦みの状態にある「空隙地帯」だ。一国が手を出せば残りの二国が反対するわけで、二大国を相手に回しこの半島を手にするのは容易ではない。かつて大日本帝国は十年をかけて中国(清朝)とロシア(帝制ロシア)を各個撃破したが、1945年に御破算になっている。
 さて、この土地を手に入れたものが残りの二国に対して優位に立てる、のかというとそうでもない。どちらかというと、取られることによって不利になるのが嫌だというくらいの価値しかない。しかも必要なのは土地であってそこに住んでる人も国も関係ない辺りが物悲しい話だ。大韓帝国が存在しようが大韓民国があろうがはたまた無人の荒野であろうと、戦略的重要性にはさほどの違いはない。
 ここに恐らく韓国という国の誤解がある。
 悪いが、韓国という国には、彼ら自身が思っているほどの戦略的重要性がない。つまり、韓国政府がこの三国の何れかに付くことによって三竦みのパワーバランスを崩せるかというと、そうではないのだ。つまり、韓国の外交動向が問題になるのは、日中露の三国のどこかに韓国が付くことによって残りの二箇国を凌駕できる場合であって、そうでない場合、韓国の動向など顧慮するに値しない。
 それどころか、三箇国はいずれも国内で韓国人や朝鮮族の問題を大なり小なり抱えており、できれば政治的にこれ以上の爆弾は抱え込みたくないと考えている。しかし残りの二箇国との関係上手を拔くわけにもゆかず、敢えて言えば「無くなってくれりゃこれ幸い」だと内心思っていることだろう。
 ぶっちゃけ、韓国はカードであってプレイヤーではないのだな。
 日中露という3箇国間での利害を考えれば、現状のまま内戦でいがみ合って死なない程度に繁栄してくれてれば結構って所になっちまうのではないかと思うのだがなぁ。

2005年3月19日(水曜日)
 sakuraネットsumireサーバのアクセスランキング上位20の常連と化しているこのサイトですが、昨日見たら7位にいた……。
 誰だ、こんなサイトを毎日のように見てる奴は……。

 エロサイトの中にぽつんと日記サイトが混じっている様は、かなり異様だ……。


2005年3月15日(火曜日)
 インドネシアのアチェへ派遣されていた自衛隊が撤收して、今頃自衛隊の中では戦訓作りに追われているんだろうなぁ。
 今回の派遣は「統合運用」のモデルケースとして、初めて本格的な統合運用が実施されたわけですが、問題続出だったようで。
 統合司令部は輸送艦くにさき(おおすみ級三番艦。8,900t)に置かれたのですが、まず司令部を置く所が艦内になかったという話(爆)。
 おおすみ級は輸送艦とは名ばかりの強襲揚陸母艦なのですが、陸自隊員を「運ぶ」ことは想定されていても、陸自部隊の「宿営地」となることは想定されておらず、陸自司令部を運用するスペースが艦内に設定されていなかったため、食堂を使ったりなんたり結構大変だったらしい。
 また、通信設備も陸自のものが素直には持ち込めず、臨時にアンテナを設置したとか。
 自慢の全通甲板がCH-47JAの運用には手狭だったなんて問題もあったらしい。
 結局足りていたのは寝る場所(居住スペース)だけで、他はないない尽くしだった模様。
 これらから考えるに、恐らく海自の次の輸送艦はさらに大型化し、陸海空三自衛隊の司令部を設置できる艦内スペースと通信設備を装備した超重装備艦になることは間違いなさそうなのですが、機能的には殆ど米海軍の艦隊旗艦クラス(ブルーリッジ/16,987tやコロナド/15,375t)に伍するシロモノになることになります。艦内外のスペース等を考えると、1万トンは超えるでしょうねぇ……。
 もちろん、三自衛隊の統合運用を出先で行うなどという話になれば、司令部機能を丸ごと動かさねばならず、効率から言ってそんなものは艦に乗せてしまうのが一番なのは確かなのですが、他国から見ればちょっと待てと言いたくもなるだろうな。
 日本国内から見ても、派遣先での運用しか考えられない(自国内で使うことはまず有り得ない)装備品になるわけで、「自衛隊」の存在意義とかとも関ってきそうな悪い予感。

2005年3月6日(火曜日)
 「日帝徴用被害者を相手に手数料だまし取る…詐欺団が摘発」とかいうニュースを見て思うわけ。
 騙す方も騙す方だけど、騙される方にも問題あり過ぎだろ……って。

2005年3月5日(土曜日)
 近代以降における“日本にとっての朝鮮半島”とは安全保障上の重要問題として常に位置付けられていて、朝鮮半島をいかに日本の友邦とするかについて、日本は隨分腐心してきている。地図を見れば分かるとおり朝鮮半島は日本に突きつけられた匕首のようなもので、ここが友邦か敵性かで、日本の安全保障はがらりと変わってしまう。
 日本としては当然朝鮮半島が友邦下にあり、海洋国家日本の安全保障のための大陸との緩衝地帯となることを期待したいわけだが、それはあくまで日本の都合であり、半島には半島なりのご意見があろう。
 ロシアは常に不凍港が欲しいし、中国としては太平洋への防波堤になっている日本を掣肘するには朝鮮半島を勢力圏下に置くのが効果的なわけで、当然朝鮮半島への影響力浸透を図ることになる。
 半島の立場に立ってみれば、中国、ロシアといった大国と国境線を接するわけで、何も日本の味方になって両大国と対峙する義理もない。しかし一方で日本の後背には米国が控えておりこれまた覇権国家として中国・ロシアと時に手を結び時に反目しあいながら、全体としては馴れ合わない並立ムードを醸成している。
 最近では台湾問題で日本(&米国)と中国が対立しており、海洋資源問題やらシベリアパイプライン問題やら、周囲は色々騒がしい。半島国家としては旗幟を鮮明にするなり両面政策をとるなりする必要があるわけだが、最近の韓国の姿勢を見ているとどうも中国側につくつもりなんじゃないかと思えなくもない。
 百年前とは事情が違う(と思う)ので「じゃあ一発戦争でもやろうか」ってわけにはいかん(と思う)ので、日本としては「日本につけばこんなにもお得」といった形で韓国には利益提供していたりするわけだが、どうも芳しい成果が上がっているようには見えない。
 となると、日本としては朝鮮半島全域が中国の影響下となった場合の国防政策を考えんといかんわけで、在日韓国・朝鮮人問題なんかも劇的な政策変更が必要とされることになろう。
 対外政策としてはまず台湾の友邦化が必須条件となり、台湾独立も視野に入れた工作が必要になろう。ついでに中国国内における少数民族のなかで、内蒙古やチベット、新疆ウイグルなどの独立運動に肩入れするなど、中国国内に火種を撒いて内政を適度に混乱させる必要もある。
 対露政策もシベリア、サハリン、千島列島辺りに盛大に金をばら撒く宣撫工作によってロシア中央との離間策を講じることが重要になろう。しかしこの点をよく理解していたと思われる鈴木宗男氏が放逐されてしまったこともあり、今後の政策について今一つ不安が残る。
 どちらにしろ日本の未来を安泰にするためには様々な政治外交軍事に亙る政策が必要となり、今後とも色々面倒なことは多そうだと溜め息を吐いておく。この辺を考えると民主党に政権を渡すのはなかなか難しいのだ。

2005年3月2日(水曜日)
 これについては朝日の社説が狂々になってて面白い。
 URLはhttp://www.asahi.com/paper/editorial.htmlなんですが、毎日トコロテンなので、全文引用。
■日韓関係――大統領演説への戸惑い

 朝鮮半島が日本の植民地支配下にあった86年前の昨日、民族の独立を訴える声がソウルからわき上がった。「3・1独立運動」だ。いま国民の祝日となり、韓国民の民族意識が大いに高ぶる。
 そのことは十分わきまえたうえでも、盧武鉉大統領が記念行事で行った演説には唐突感が否めない。
 大半を日本との関係にあてた演説のなかで日韓関係の進展を評価しつつも、更なる発展のために日本側が「真の自己反省」を示すよう求めた。
 「過去の真実を解明し、心から謝罪し、反省し、賠償するものがあれば賠償し、和解する」ことが「過去清算の普遍的な方式」であって、日本にはそうした努力が足りないとも指摘した。
 ますます深まる経済関係。サッカーW杯の共催成功。「韓流」ブーム。日本人の韓国への親近感はかつてないほど増した。とはいえ、植民地支配の歴史をどう総括したらいいかをめぐる問題となると、日韓関係はまだまだぎこちない。
 小泉首相の靖国参拝が韓国の人々の神経を逆なでしているのは確かだし、植民地支配や侵略戦争の被害を受けた側の思いに日本人が鈍感でありがちなことも否定はできない。朝日新聞は社説で、自らの過去をもっとしっかりと総括し、教訓をくむべきだと主張してきた。
 その一方で、日本は95年の「村山首相談話」で植民地支配に「痛切な反省」と「心からのお詫(わ)び」を表明し、それを踏まえて3年後、小渕首相と金大中大統領が共同宣言で「未来志向」の関係構築を確認した。近年の日韓の緊密化はその延長線上にある。
 大衆の人気に支えられて政権の座に就いた盧氏が、国民の間にくすぶる日本の歴史認識への批判を意識せざるを得ないことは分からぬではない。自国の歴史の見直しを政権の実績にしようとしているさなかの国内向けの演説でもあろう。
 しかし、「謝罪」を言い、「賠償」という言葉をいたずらに使うことには、日韓の将来を真剣に考える我々も戸惑う。
 大統領は日本人拉致問題に同情を示しつつ「日本もまた日帝から数千、数万倍の苦痛を受けたわが国民の怒りを理解しなければならない」とも語った。拉致問題に多大な関心を寄せながら、過去の植民地時代に行ったことを忘れたかのような日本にクギを刺したかったのだろう。それは理解できる。
 だが、植民地支配という歴史と北朝鮮による拉致は同じ次元の問題ではない。北朝鮮の対日非難に通ずるかのような物言いは、日韓関係にとって逆効果だ。小泉首相は北朝鮮との過去の清算をめざして2度の訪朝をしたが、交渉の進展を妨げているのはむしろ北朝鮮である。大統領はそこを冷静に見てほしい。
 北朝鮮問題の解決には、まず日韓の協調である。日本は歴史をもっと見つめなければならないが、韓国がいたずらに違いを強調することも賢明ではない。

 あの謝罪と賠償が大好きな朝日新聞ですら韓国万歳な記事が書けないというのは、なかなかイカした状況じゃないか(苦笑)。
 ところで、この社説にある「侵略戦争の被害を受けた側の思い」は韓国には当てはまりません。
 先の大戦に限れば朝鮮半島は日本の一部として太平洋戦争に参加しており、普通に考えれば日本と一緒の敗者であって、間違っても侵略された土地ではありません。戦中から多くの志願兵が大日本帝国陸海軍にいたことは知られていますし、昭和19年からは徴兵制すら敷かれました。戦後は多くのBC級戦犯が有罪判決を受けたことでも知られています。当然、サンフランシスコ講和条約では戦勝国の中に韓国は入っておりません。そういった歴史的事実を棚に上げて韓国が勝者面しているのを見ると、さすがに嫌悪感が湧きますな。
 日本が明確に半島を侵略したのは、豊臣秀吉の文禄・慶長の役まで遡ってしまいます。明治政府が半島の覇権を争った相手は清であって朝鮮ではなかったしね……(戦場にはなったが)。

2005年2月27日(日曜日)
 ホントにガードマン雇うんやってねぇ……>学校
 21世紀、これまで公的サービスとされてきた“治安”の民間へのアウトソーシングがますます盛んになっているのですが、実はこの流れは世界的潮流でもあったりするんですよね。諸外国の場合“治安”と一言で言っても、上は軍事レベルから下はガードマンまで多彩なんですけども。
 日本の場合行政警察レベルの治安行政の一部が、大幅に警備会社などにアウトソースされる可能性があるんだよなぁ。
 なんて素敵な世界じゃないか!(溜息)

2005年2月18日(金曜日)
 長崎の小学生の時も思ったんだけどねぇ……結局、レア・ケースの分析をしたとしても、やっぱり得られる知見は普遍的なものにはならないんじゃないだろうかと。統計的には少年犯罪って昔に比べると圧倒的に減ってるわけで、しかもその中でもさらに稀な殺人事件について、社会全体が蜂の巣突ついたみたいにああでもないこうでもないって論評するのってどうかと思うよ。
 対策っていうなら、学校でガードマン雇うってのが良策って辺りがオチだろうしね。

2005年2月14日(月曜日)
 その昔、1929年の2月14日に、シカゴのバッグス・モラン一家が警察を装った武装集団に蜂の巣にされました。名付けて「聖バレンタインデーの虐殺」。
 日本では2005年当日、大阪の寝屋川と東京の台東区で刃物を持った男が現れ、大阪では寝屋川市立中央小学校で教員一名が死亡、二人が重傷。台東の方では警察官が発砲しこれを取り押さえました。
 しかし……ソープ街で3発発砲して命中一。装弾数が5発のニューナンブだったとすると、ギリギリですな。失中した2発はどこへ行ったんでしょうか。通行人の量によっては問題が起きたでしょうなぁ……。
 これがもっと繁華街、渋谷新宿池袋辺りだったら、制圧のために拳銃を使うのは考え物ですね。
 個人的には、日本刀や槍、刺叉なんぞを装備した方がいいんじゃないかと思いますが……。
 米国の警官などは、最初から銃の使用を前提とした行動様式を取っていて、そもそも刃物が届く距離に接近しませんが(そんで不審挙動を見せた途端に蜂の巣)、日本の場合間合いを詰めてしまうことが多いので、銃よりも刀剣の方が有効ではないかと思います。

2005年2月11日(金曜日)
 さあて一段落着いたし、出かけようかな!と腰を浮かしかけたところに電話を受ける×2。
 こうなったら意地でも出かけてやる!(なんか違う)
2005年2月9日(水曜日)
 記者blog連続炎上事件(?)に関し、ネット上で賛否両論が展開されていて、個人的には非常に面白い。全体傾向として、被害者擁護が既存権威、加害者擁護がネット住人に多いように思うが、あくまで感想。
 さて、インターネットが盛大に普及し始めた頃に私は出版関係の職にあったわけだが、「インターネットは編集者がいないから駄目だ」という意見はよく聞いた。確かに、この日記も含めて、誰も校閲なんかしてないことが圧倒的に多いので誤字脱字や文法ミス、用語の間違いや表現の錯誤など、数え上げればきりがない。そういう点では「悪貨が良貨を駆逐」している感はある。優秀な編集者のスキルは一朝一夕で身に付くものではなく、おいそれと代替が効くものでもないことは、実際に出版に携わったことがある人ならお分かりの通り。
 確かにそれは紙媒体では成り立つのだが、現在のネットワーク言論を見ているとネットワーク社会にはそんなものが必要ないのではないかと思う。そういった手順を踏まない手軽さがネットワーク社会の特徴であり、品質が劣るとされることは、むしろ多様性とのトレード・オフの関係なのではないだろうか。
 一方で、有象無象が犇めくネット社会は淘汰圧も必然的に高いものとなり、紙媒体のようなインターバルが存在しないため、下手な挙動を見せれば反応が洪水となって押し寄せ、あっという間に押し流され潰されてしまう。悪い言い方をすれば、西部の荒野か密林の秘境かみたいな場所で、自分の身を護る術を身に付けていない者が踏み込めば、あっという間に身ぐるみ剥がれて野垂れ死にとなる。その辺は、現在の報道各社が置かれている環境よりも遙かに淘汰圧が高い。
 逆に、ネット社会に適応した言行を弁えている、あるいはそれ以上に実力を有している限り、ホリエモンであろうが切込隊長であろうが許容されるのが恐ろしいところで、切込隊長の発言などは、通常の紙媒体では到底行えまい。しかしそれが許されるのがネット社会の特徴であり、その言動は本人の実力実績だけが担保している。逆に、十年選手だろうが何だろうが、本人の実力が足りなければ、大手新聞の記者だろうがなんだろうが一瞬で火達磨にされてしまう。
 ここに至れば、結局最後は「分を弁える」ことが重要ということになる。つまり、実力相応の扱いしかこの世界では受けられず、扱いに不満があるなら実力を示すしかなく示せないのであれば扱いを甘受するか、逃げるかどちらかである。
 新聞社の記者などは、これまで会社に守られ、さらにマスコミ各社に守られ、よほど阿呆なことをしでかさない限り(珊瑚とか)、追及されることはなかった。しかしblog界はそんな甘いものじゃない。準備も用意も覚悟も実力もなく踏み出してから地雷原だったことに気付いてもしょーがないじゃないか……と思う今日この頃。

2005年2月8日(火曜日)
 ちなみに、次に火が付くのは「ブログ時評」あたりじゃないかなぁ。「ネットは新聞を殺すのかblog」は上手く立ち回りそうな気がする。
2005年2月7日(月曜日)
 果たしてblog等のネットワーク媒体は、新聞・雑誌・テレビ・ラジオといった既存の報道媒体を代替しうるのか? 基本的には相互補完関係だと思うのだけど、最近はやや対立関係にあるような気がしないでもない。このまま関係が悪化すれば、分断ということもありうるかもしれない。でもそうなったら、困るのは基本的にネットワーク媒体側ではなかろうか。
 2chや各種ニュース系/評論・論考系のblogはそのネタ(あるいは標的)を既存の報道媒体から得ていることが多いわけで、そういう意味では二次情報と言ってもいいように思う。一次情報を幅広く拾ってくるためにはどうしても組織が必要で、良くも悪くも既存メディアはそういったものを備えている。blogなどは個人が主体なので、どうしてもその点は弱い。でも、逆に報道媒体は時間(流行)に縛られた存在でもあるため、常に新鮮なネタを流し続けなければならず、結果的に「続報」や「詳報」は手薄になる。
 これを補完するのは、かつては書籍化されたジャーナリズム、ルポルタージュ等であったろうが、ここをblogが現在代替しつつあるのではないか。そう思う。
 しかしそれをきちんと理解しない報道が、blogや2chなどを単なる大衆扇動と認識している節があり、それが噴出した例が去年から今年にかけて見受けられるあれやこれやではないかと思っている。

2005年2月6日(日曜日)
 野球には、指名打者制(DH: Designated Hitter)というものありまして、日本のプロ野球パシフィックリーグアマ野球などで広く採用されています。国際試合でも殆どがDH制ですね。
 DHはルールによれば「先発投手または救援投手が打つ番のときに他の人が代わって打ってもその投球を継続できることを条件に、これらの投手に代わって打つ打者を指名することが許される」ので投手にしか設定できません。
 しかし、webなどで調べると「投手でなくても良い」などと書いてあることがあります。
 ルール上は明らかに間違いなのですが、この都市伝説がどこから出てきたのか、多少興味がありまして、調べてみました。
  1. ソフトボールとのルールの混同
    以前書いた覚えがあるんですが、ソフトボールのDPは投手以外にも設定できます。これが野球のルールと間違えられた可能性があります。ソフトボールのDHがDPに名称変更されたのは2003年ですが、それ以前はDHと称していたので、このような誤解が生じた可能性があります。
  2. フィクションとの混同
    水島新司の「白球の詩」という作品で捕手にDHを設定したことがあるらしい。他にも練習試合だが池田恵の「無敵のビーナス」でも捕手にDHを起用していたっけ。こういったマンガのフィクションを現実と混同したという可能性はありかも。
  3. 実際の間違い
    こちらの最後に「某大学リーグ(硬式)の下部リーグで、ライトの選手に対して指名打者が使われていたことがあったそうです(03年5月)。ルール上は認められず、のちに当該試合の審判は注意を受けたようです」とあり、実際にそういう試合が(公式ルールを外れて)行われ、それを見た人からの伝聞が伝わった。
 こんなところでしょうか。要するに、お前らルール読め、という所に落ち着いてしまうわけですが……。
2005年1月29日(土曜日)
 確定申告の時期が近付いてきて、あれこれ確認したりしているわけだが、ユビ研との仕事はもしかして向こうから支払証明を貰うのではなくて、こちらから領収証を発行しなければならないのかもしれないと思った。形式上、こっちから請求書を出す形になっているので。
 うわっ。
 印紙と複写式領収証を買ってこないとかも。

2005年1月27日(木曜日)
 本日所用で金属探知ゲートならびにX線手荷物検査を受けたわけですが、荷物の中に自転車用の工具が入れっぱなしになっておってですね……。
 迂闊にそんなもん持ってた方が悪いといわれればそこまでなんですが。
2005年1月21日(金曜日)
 左でシャドウピッチングをしても痛みがなくなりました。
 で、調子に乗って右でやったら激痛。
 のたうち回ったり。
 でもこうやって固着した関節を解していかないと、本当に動かなくなっちゃうからねぇ。
2005年1月18日(火曜日)
 昨日、ようやくあくびができるようになりました。
 今日は正拳突きができるようになりました。
 やあ、一日一日と、体が回復しているのが分かりますね。

2005年1月15日(土曜日)
 NHKの問題について、表にはさすがに書きにくいことを、裏に。
 まず、検閲とは
①行政権が主体となって、
②思想内容等の表現物を対象とし、
③その全部又は一部の発表の禁止を目的として、
④一定の表現物につき網羅的一般的に
⑤発表前にその内容を審査した上
⑥不適当と認めるものの発表を禁止すること

札幌税関検査違憲訴訟判決より

ということなので、今回の一件は「検閲」には当たらない。
 で、「政治家による報道への圧力」が許されるかどうかという話だが、そんなもの許すも許さないも、本来NHKは政治による介入を受けるものだ。
 というのも、NHKは放送法に規定される公共放送であり、我々から受信料を徴收する権利を持ち、その一方で予算・決算について国会の承認を必要とする。つまり、国民から取り立てた受信料の使い道を、国民の代表である国会によって審査される存在である。そういう意味ではNHKとは常に圧力をかけられる存在であり、理屈の上では公正・中立であれと言われはするが、本質的に介入を受ける存在である。
 しかしこれはNHKに限った話ではなく、民放であればスポンサー企業の介入があるし、実業家や政治家や政治団体やその他被害者団体やらなにやら、果ては宗教団体までが色々な圧力をかけていることは周知の通り。
 完全な公正・中立などというものはそもそも有り得ない。その前提の中でどれだけ公正・中立たらんとする努力を払ったかが重要になる。
 さて、放送局が公正・中立たらんとしようとするときに、これを搖るがす要素として外部からの介入といった「外的要因」の他に、放送局内部においてその権力(放送することによる影響力)を恣意的に行使しようとする存在に対する対処もまた重要になる。つまり、赤裸様な右翼・左翼・宗教的プロパガンダ放送を行わんと試みる獅子身中の虫にどう対処するか、である。
 今回のETV2001について言うならば、「内部の問題」に「外部が介入した」ケースということになる。つまり、外部の介入を受けた段階で、NHK内部の自浄能力に疑いが持たれたというわけだ。小熊の見るところ、今回の問題について最大の責任を負っているのは、あの馬鹿気た番組を企画した連中であり、続いてそれを見拔けずに編成会議を通してしまった連中だろう。
 結局予告を打ってしまってから内容の改変を行うことになったのはNHKとしては痛恨事であり、その時点で最早外部からの介入は不可避であったと思われる。これを政治介入問題と位置付けるのは結構だが、それを呼び込んでしまった連中の責任を問わないのは不可解を通り越して危ういことだ。
 なぜなら、もしこれで外部からの介入が不可能となった場合、NHK内部における今回のような勢力への対抗能力が事実上封印されてしまうことになるからだ。結果的に呼び込まれるのは、「偏向報道」であろうことは疑いがない。

2005年1月13日(木曜日)
 朝鮮日報より。
プリチャード氏「北朝鮮崩壊時は中国に吸収可能性高い」

 第1期ブッシュ政権で韓半島和平担当特使をつとめたプリチャード氏は13日、「韓国が金正日(キム・ジョンイル)総書記を過度に支援しているという印象を米国に与えないのが、何より重要だ」と述べた。

 プリチャード氏はこの日、ヨルリン・ウリ党のシンクタンクであるヨルリン政策研究院が主催した「北東アジアの平和と繁栄のための国際シンポジウム」で、「開城(ケソン)工団と係わる電力供給網の建設や鉄路拡張、港湾、道路施設など平壌(ピョンヤン)に利益をもたらすと見られる韓国の特定方案に対し、ブッシュ政権が制限を加える可能性がある」としながら、このように述べた。

 また、「北朝鮮が崩壊すれば、二つの韓国が統一されるだろうとほとんどが仮定するが、北朝鮮が中国に吸収される可能性がさらに大きい」と見通した。

 プリチャード氏は「北朝鮮は燃料と生活必需品の相当数を中国に依存しているため、吸収過程は実際、極めて順調かつ自然である可能性がある」とし、「中国は全面的な(北朝鮮)吸収を正当化するため、満洲と北朝鮮がはじめから中国領土だったということを立証する趣旨で、北東アジアプロジェクトチームによる学術的研究を適切に行うだろう」と述べた。

 クリントン政権とブッシュ政権第1期で北朝鮮問題を扱って来たプリチャード氏は、現在米国ブルキングス研究所の客員研究員として働いている。

ペ・ソンギュ記者 vegaa@chosun.com

 もし、本当に金氏朝鮮王朝が崩壊に際して中華人民共和国に吸収されるような事態に陥った場合、日本は韓国を「事実上の保護国」化するなりして緩衝地帯を強引に設けなければならなくなりかねませんね。

2005年1月12日(水曜日)
 from ジャカルタ。
豚肉含む援助食料OK、とインドネシア最高権威宗教令

 【ジャカルタ=黒瀬悦成】スマトラ沖地震と津波で甚大な被害を受けたインドネシアで、同国のイスラム社会の最高権威である「インドネシア・ウレマ評議会」が、被災者の信徒らはイスラム教で禁忌とされる豚肉が含まれた外国の援助食料を食べても構わない、とする宗教令(ファトワ)を発布した。
 同評議会は、「現状では、どの食料がイスラム教に沿った処理をされているか確定するのは不可能だ。緊急措置として、被災者は当分の間、生きるために何を食べても構わないことにした」としている。
(2005/1/12/18:08 読売新聞)

 これじゃ日記のネタにならないなぁ。「ハラルを守るためには飢え死にもやむなし」とか「援助物資のハラムを食してしまった場合のための免罪符を発行」とかだったら、ネタになるんだけど。
 まあ、実際のところ元々のイスラムはその辺寛容な宗教なんだけどね。(礼拝も戦争中とかはしなくていいし、ラマダンも病気ならしなくていいし)

2005年1月7日(金曜日)
 右肩強打によって右腕が丸三日間くらい動かせなかったわけだけど、日常生活にさほど影響がなかったのは、結局は左手で飯も食えれば字も書ける技能のお蔭だったわな。なんせ大抵のことは左手でもできるわけで、片手が不自由という以上の不自由をせんでよかった。
 肘から先は平気だったので、キーボードはなんとかなったし。
 ただ、胸筋も結構ダメージ受けてて、筋性防御がキツかった。外に出られなかったのは殆どそのせい。布団から身体起こすのも億劫だったもんでね。体が冷えると筋肉が萎縮しようとして傷ついた筋肉が刺戟されて痛み、それに反応して筋性防御が出て呼吸が!というアホみたいな状態に陥ってしまったり。
 んなわけで、暫く安静にしていた次第。

 本当は自転車から落車した時に背中から落ちれば良かったんだけど、背負ったバックパックに大事なものが入っていた関係で、背中から落ちれなかったんだよね。


2005年1月5日(水曜日)
 ああ、なんかまた日記のアクセス数が復活してきているなぁ……。一時期減ってたんだけど。
 なんか面白いこと書いたっけ? 常識的なことしか書いてないはずなんだけどなぁ。
2005年1月1日(土曜日)
 奈良の小1少女誘拐殺害事件の犯人が捕まったのはいいんですけど、報道の方がねぇ……。かつての宮崎勉事件を髣髴とさせますなぁ。これでまた規制強化とかされるんでしょうか。すごく物悲しいのですが。