底の底の記憶
カレ
スコップ
暗闇の第六弾
Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、もしかしたらTRONプロジェクトに関り合いがあるようなないようなことが書かれているように見えることがあるかもしれませんが、もちろんそれは全て錯覚です。
当然、坂村健先生及びTRONプロジェクト、さらには日本文藝家協会などとはまったく関係がありません。
よって、非論理的な方や妄想癖のある方、事実とフィクションの区別がつかない方、勝手な拡大解釈が得意な方は読まない方が身のためです。
これは、底の底でまだ底で墓穴を掘る、ある歴史学徒の哀しいまでの奮鬪努力の記録であります。
2002年12月24日(火曜日)
 「原子炉のメルトダウンを未然に防ぐため」、金氏朝鮮の原子炉を、先手を打って破壞してしまうというのはどうでしょうか(笑)
 対金氏朝鮮戦争の損得分岐点が、そろそろ近付いてきていますねぇ。戦争を回避するためのコストが戦争のコストを上回ったら、待っているのはホンモノの戦争だったりするんですけど〜。ただでさえ「廉い国」なんだからさぁ……。

 保守新党ねぇ。結局“菅・鳩山”の民主党ってイメージが拔けないんだもんなぁ、拔けたくもなるわな。これが「引き際を誤った結果」だと私は思うのですがね。


2002年12月20日(金曜日)
 特定個人宛、先達(笑)としての忠告。
 諦めるのはいいが、「○○の指示によるアカウント設定により以下のような問題が生じますが、これらについての責任は○○が負います」という一筆は貰え。是非貰っておけ。
 ああいう脳の足りない指示を出す奴等は、そこまでしないと絶対に自分の指示の結果であることを認めないから。

2002年12月19日(木曜日)
 先週MS Windows 2000のパッチ(Q329170)を当てたら、妙に終了処理が異様に遅くなった。妙だと思って調べてみたら、(fj.os.ms-windows.win2000の記事によると)パッチにバグがあり、正常に終了できなくなるらしい。
 God bless you!

2002年12月16日(月曜日)
 人の死をネタにするのはあまり良くないとは思いつつも。

 迂闊にも知らなかったのですが、6月に韓国で女子中学生二人が在韓米軍の架橋運搬用装甲車に轢かれて亡くなったという事件があったそうですね。轢いた運転士は米韓駐屯軍地位協定に基づいて米軍の軍法廷で裁かれて無罪だったそうです。
 んで、韓国では隨分な反米運動が繰り広げられているようですが……。
 まず、事件そのものを語るには情報が少なくて、私にはなんとも言えません。ただ、事件後の米軍の対処自体は、理に適ったものだと思います。勿論、死んだ二人やその遺族、友人、関係者にとってはそれどころではないでしょうが。
 ただ、私の理解する限り、日本でもし同じ事件が発生したとしても、同じ経過を辿ったことと思います。
 どうも報道の中には、沖縄における米兵犯罪と同列に扱っているものも少なくないので、困惑するのですが、事故を起こした車輌は訓練中、すなわち「公務」に就いていました。このため、もし日本で同じ事件がおきたとしても、日米地位協定の第17条に基づき、第一裁判権は米軍側に属します。日本側に第一裁判権があるのは、基本的に米軍将兵の「公務外」の犯罪についてです
 つまり、沖縄の米軍将兵犯罪についていえば、それが「公務外」であるから日本の問題なのであり、もし「公務中の犯罪」であればそれは米軍法廷の所管するところとなります。もちろん、「公務」だったらなんでも許されるわけではありません。一般的に公務中の犯罪については軍法の方が遥かに厳しいものとなります。
 駐屯地や演習地以外で演習する権利について地位協定がどうなっているのか知らないのでなんとも言えませんが、それが許されているというなら、もうどうしようもないんじゃないですかね……。訓練地域から民間人をきちんと全部締め出すようにしろ、民間人の安全を最大限確保しろ、とか、そういう方向に持っていくしか。
 もし韓国が米軍を必要としないほどの軍備を自前で持とうと考えているのであれば、考え直した方がいい。


2002年12月10日(火曜日)
 結局勝っちまいやがんの>菅。

2002年12月9日(月曜日)
 報道を見ていると、社会事件が多く、治安が悪化していることが実感できる。
 実際、統計的にも増えているし、逮捕率は下がっている。問題だ。
 しかし一方で検挙者の方も増えていて、当然、受刑囚の数も増えている。刑務所は過剰収容でひいひい言っている。刑務所の環境が悪くなれば矯正が充分に行えなくなり、受刑者の社会復帰と言う当初の目的が達せられなくなる。刑期を終えた者がまた罪を犯し、再び舞い戻ることが多くなる。この傾向は、確か10年以上前から問題になっていたはずだが、未だに有効な対策がとられていないようだ。
 刑務所で、例えばパソコン教室のようなことってしてるのだろうか? 相変わらず加工業みたいなことばかりさせているのだろうか……。
 金使うとこ間違えてるよな、この国は。
 社会不安の増大は、景気を悪化させる大きな要因。全力で取り除くのが吉。

2002年12月7日(土曜日)
 立場上表には書き辛かったが、文化庁の文化審議会著作権分科会のメンバーの中で、レコード協会の代表者が「著作権を無視するような機械なら売れなくてもいい」なんて発言をしていて、考え込まされた。
 正直言えば、それは本末転倒だろうと思った。
 技術の普遍化によって逐われる程度の仕事だったんじゃないかってね。
 ワープロが普及したからといって、誰もが作家になれるわけじゃない。DTMが普及したからといって、誰もが音楽家になれるわけじゃない。CG技術が普及したからといって、誰もが画家になれるわけじゃない。
 だから、技術の進歩は、決して芸術家の命を奪いはしない。
 今問題になっているのは、経済的著作権、すなわちCOPYRIGHT=複製権なんだよね。
 これはCOPYRIGHTが出版者の権利としてスタートしたところから問い直さないといけないことのように思う。著作物の販売・流通業者は、その複製能力をほぼ独占することによって、これまで利益を上げてきた。それが彼らの能力に拠ってではなく、独占する技術に拠っていたがためのこの結末ではないかと思わないでもない。技術は普遍化し、陳腐化するからねぇ……。
 流通業者は、最早媒体に頼る旧来の配給方式で利益を上げ続けることを、不可能と考えるべきではないかと思った次第。彼らが怠惰だというつもりはない。ただ、既に変わってしまった社会を元に戻そうなどと馬鹿なことを考えるくらいなら、新しい時代で金を儲ける方法を考えた方がいいだろうと思った。

2002年12月6日(金曜日)
 ここでの菅さんの役割は、党首選に破れることだと思うが、いかがだろうか?
 無投票で党首が決まるより、選挙をした方が外聞がいいに決まっている。そして破れる候補が大物であればあるほど、若い新党首に箔が付く。
 それを見越して立候補したのなら、凄い政治センスだと誉められると思う。
 でも多分違うんだろうなぁ……。

 引き際ってものを、色々考える。
 本田宗一郎や井深大が偉大だ偉大だと誉めそやされる一因には、間違いなく両者の「引き際の良さ」があったと思う。もちろん、ちゃんと両者の足跡を追えば、二人とも引退間際にはかなりマズいことをしている。逆にそうなったときに、潔く身を退けたからこそ、今の評価があるのではないかと。彼の二人が、その引退を十年遅らせていたら、今の名声を得られただろうか。
 生き方とは即ち死に方である、という言葉があったと記憶している。誰の言葉であったか思い出せないが。そこから、征き方は退き方でもある、と思う。


2002年12月4日(水曜日)
 鳩山氏の自由党との合併模索から始まった退陣要求から、退陣表明までの流れを見ていて。
 退き際を誤ったな、と。
 正直言えば、先の代表選に出た時点で間違いだった(なお、菅氏の出馬もNGであったと思う)と思ったのだが、いかがなもんだろうか。
 創業より守成がより難しい、とされるのはこの辺りで、民主党はいわば菅・鳩山によって創設されたわけで、ここで「次の世代へ党を受け渡す」ということをしておかないと、「菅・鳩山の党」というイメージがついてしまう。いや、過去形にすべきかな。
 大抵の事業において創業者というのは偉大である。偉大であり過ぎることが多く、不可侵となり、末節を汚すことも少なくない。いかに綺麗に幕を引くか、は意外と重要な問題だ。
 ま、他山之石としましょう。
 私たちもまた、偉大なる創業者を戴いているのですから……。

2002年12月2日(月曜日)
 高円宮さまの話を続けて申し訳ないが、友人で研修医のGenesisさんの日記に、こうあった。
飲みながらふと、さきごろ亡くなられた高円宮さまの話が出た。死因としては心室細動であったと報じられていたと思うのだが、「果たして周りの人々はBLSを施したのだろうか?」というのが気になっていたりする。この話を出したら某先生曰く「そんな恐れ多いことはしなかったんじゃないか?」と。
あり得そうな気もするが、一方でもしそうだったとしたらそれはそれでやっぱりよろしくないことではないかな、と思う。
 一応説明すると、BLSってのは「Basic Life Support」のことで、通常は一次救命処置(Basic CPR)のことを指す。なお、CPRはCardiopulmonary Resuscitationの略で心肺蘇生処置のこと。
 特に心停止については、BLS、そして続くAdvanced CPRが重要である、というのが一般的な救急医療における常識。よって、できるだけ多くの市民がBLSを行えることが重要である、ということになる。日本では現在自動車運転免許証の取得時の研修において義務づけられている。で、当然事に及んでは実践が期待される。
 んで、先日の件について、現場の医師の見解が上か……と。先日会った現場の救急隊の方の意見も、実は似たり寄ったりだった。「BLSが行われていれば……」と。
 皇室には悪いが、これを奇貨としてBLS普及のための礎にはなってもらえないものだろうか。

2002年11月26日(火曜日)
 あらりあさん先日の件で『いきなり目の前で人が倒れた場合に「もしかして心臓が止まってるのでは?」と考られるかどうか(自分は考えられない方だと思う)…つまりはそういうことなのではなかろーかと。』とツッコミ入れてくれたので(^^;
 理想を言うと、訓練はそういう時に「もしかして心臓止まってるんじゃないか?」と疑って初期救命処置を開始できるようにするために存在しているのではないかと……(苦笑)。
 心臓マッサージや人工呼吸を、救急車が到着するまでの5分に行っていれば救えた命……という話は多いが、日本ではなかなか解決が進まないのがなんとも。救急救命士制度ができるときも無用なほどすったもんだがあったけど、目の前でぶっ倒れた人に医療処置を施すと、医師法違反で獲っ捕まるのが日本という国だったりする。
 どこか「医は医者のもの」的な世論風潮が根強くあるのが、そういう「とにかく脈をまず確認しろ! 次は呼吸だ! 心臓マッサージと人工呼吸の用意! 救急車を呼べ! 警察も呼べ! 医療関係者はいないかと周囲に呼び掛けろ! 手すきの奴は三角板立てて発煙筒持って交通整理!」的な行動規範の徹底がなかなかなされない原因の一つではないかと思う。
 ちなみに、私は目の前で人が昏倒したら、まず脈を確認すると思う。

2002年11月25日(月曜日)
 現実主義者はこの国じゃ流行らない。
 ここに平和論者がいたとする。大抵の平和論者は、戦争について非常に無知だ。
 「敵を知り、己を知らば百戦また危うからず」と説いたのは孫武で様々な局面で引用される名言なのだが、大抵の平和論者は実践しようとはしない。戦争憎けりゃ兵法まで憎い、といったところか。
 平和論者はジュネーブ条約もハーグ陸戦条約も知らない。知らなくても良いと思っているらしい。なにしろ、戦争は悪いものだから、戦争を戦争たらしめている国際法規は知らなくてもいいということなのか。
 軍の編成や、運用、兵站、指揮……などに精通している平和論者は稀だ。少なくとも私はこれまで殆どお目にかかったことがない。
 倒そうとする敵のことを知らずして戦いができるものだろうか?
 私は軍事面について色々な知識を持っているが、だからといって決して戦争賛美論者でもないし、鷹派好戦主義者でもない。どちらかといえば、戦争なんでしないに越したことはないと思っている。学んだから、当然その理由も色々説明できる。
 戦争は悲惨だとか間違っているとかやってはいけないとか言うのは結構だが、その理由をきちんと説明できない平和主義者は、恐らく自己無謬性について微塵も疑いを抱いていない、ある種の宗教「平和教」の信者なのではないかと私は疑っている。
 戦争はなぜいけないのか?
 私の答えはこうだ。
「費用対効果があまりにも悪すぎる」
 こういうことを正面から言うと、なぜか嫌がられることが多い。どうも金の話題は、崇高な平和の趣旨にそぐわないらしい。

2002年11月23日(土曜日)
 金氏朝鮮に拉致されてこの度帰ってきた曽我ひとみさんの夫は、元米兵で、AWOLだと報道で耳に挟んだ。んで、金氏朝鮮から日本へ渡って来ると、憲兵に逮捕されて陸軍裁判にかけられる身らしい。
 米国の場合、軍人の罪は軍事裁判所(日本の旧帝国陸海軍で言うところの軍法会議)によって裁かれる。ちゃんと法曹資格を持った士官(法務士官)が弁護人になる。検察役も判事役も法務士官だったと思う。ただ、陪審がつかない。
 陪審制度は合州国憲法で保証されているが、軍人だけは「この限りではない」ことになっている。当然、AWOLであるからには、一般の法廷ではなく、軍事裁判所で、軍法ならびに軍規による裁判が待っている。
 しかし、AWOLそれ自体はそれほど大きな罪ではなかったと記憶しているのだが……それとも敵前逃亡か? しかし敵前逃亡罪は戦鬪行動中にのみ適用される罪科だしな。スパイ罪ならとんでもない刑が待っているだろうが。
 ちなみに余談になるが、現在の日本の軍隊たる自衛隊では、自前で裁判を行えない。だから当然「法務幹部」は存在しない。法的根拠としては、日本国憲法の第七十六条に「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」ことになっているため、ということらしい。つまり自衛隊には特別司法警察官たる警務隊員(=憲兵)は存在するが、捕まえた違反者は通常の裁判所へ送られ、公判を経て、通常の刑務所へ行く。よって、自衛隊刑務所なるものも存在しない。
 曽我さんは夫の赦免を求めているようだが……どうなんだろうか。
 曽我さんは拉致されたので、現在まで完全に日本国籍である。しかしチャールズ・ロバート・ジェンキンス氏は自分の意思で越北したらしいので、亡命であると看做すこともできる。この場合、彼の国籍は金氏朝鮮となり、彼の身柄は金氏朝鮮が保護することになる。彼が金氏朝鮮籍である限り、ある意味「無事」とは言えるだろうか……。まあ、米国のことだから、日本に一時入国した瞬間にMP動員してかっ攫っていく可能性もあるが、日米地位協定の第17条あたりを参照するに、米軍から協力を「要請」された場合、日本としては協定に基づき彼を逮捕して米軍に引き渡さなければならないようだ。これは色んな意味でヤバい。今更地位協定の問題をとやかく言ってもしょうがないが……。
 かくして日本の力ではどうも彼を守りきることは難しいと考えられる。
 しかも相手は軍規だ。AWOLを簡単に見逃すこともできないだろう。なにしろ軍の秩序に関る。正直、訴追そのものを免れるのは難しいと感じる。
 米軍の軍法がどのようになっているのかは分からないのだが、あまり重い罪にならないようなら、日本に到着するなり米軍基地に出頭して真っ当に軍裁判を受けて、司法取引なりなんなりで執行猶予とか放免してもらうとか向こうに居た期間を服役期間に算入してもらうとかの裏技を期待した方が良いのではないだろうか……。

2002年11月22日(金曜日)
 気になったので引用しておく。
【慶応大病院の主な記者会見内容】
産経新聞 Sankei Webより
 高円宮さまご逝去に関する慶応大病院の主な記者会見内容は次の通り。

 病院長 高円宮憲仁親王殿下は本日(21日)午後、カナダ(大使館の)コートでスカッシュをプレー中に倒れ、慶応大病院に救急車で搬送された。到着時には意識もなく心肺機能停止の状態でした。

 集中治療室(ICU)で万全の治療をしましたが、本日午後10時52分、薨去(こうきょ)されました。詳細は救急部長から報告します。

 救急部長 救急隊の情報によると、救急隊要請が午後3時53分、救急隊が現場に到着したのが午後3時58分。そのとき殿下の意識はなし、呼吸なし、脈拍触れず、瞳孔径は5ミリ、対光反射なしという心肺機能停止状態でした。救急隊は現場で心室細動を確認し、電気的除細動を2回施行し、その結果、心電図は心静止に至った。

 慶応大病院救急部には午後4時22分、救急車で到着。そのとき意識なし、呼吸停止、脈拍触知せず、血圧測定不能、瞳孔径7ミリ、対光反射なし、体温は35度でした。

 心肺機能停止状態でしたので、高度の心肺蘇生(そせい)術を施行したが、心拍は回復せず、血液の循環を補助し酸素を供給するPCPSを施行したところ、一時心拍が回復しました。

 その後、PCPSと大動脈内バルーンパンピングという装置で循環補助を続行し最大限の治療をしましたが、薨去されました。

 救急隊到着から、病院の搬送に至るまでの初期処置には、何の問題も見出せない。マニュアル通りと言っていい。
 気になる点は、救急隊が現着した時点で既に対光反射がなかったこと。救急要請から現着まで5分。病状が急速に進行したとしても、些か早すぎる気がする。Vf(心室細動)が起きて昏倒してから、救急車を呼ぶまでに時間があったのではなかろうか……。

 私的なメモ。
 四宮家:江戸時代以前から続く宮家。伏見宮、有栖川宮、桂宮(八條宮→京極宮→桂宮)、閑院宮の四家。桂宮家、有栖川宮家は明治に断絶。桂宮は後、三笠宮の二男宜仁親王殿下が襲名。
 十四宮家:明治以後、終戦時にあった宮家。伏見宮家、閑院宮、東伏見宮、久邇宮、東久爾宮、北白川宮、竹田宮、朝香宮、賀陽宮家、山階宮家、梨本宮家の11宮家に明治大帝直系の秩父宮、高松宮、三笠宮の三家。あと宮家ではないが、李王家がある。うち、直系三家を除く11宮家と李王家が皇籍を離脱した。


2002年11月18日(月曜日)
 きさらちゃんの16日の日記を読んでいて、僕だったら、「やらない」と答えた方を評価するなぁと思った。自分の力量と問題の難度をちゃんと評価できるってことならね。教育目的などが設定されており、ちゃんとリスクがコントロールされている状況下であるならば、「やる」のが正解ですけどね。
 成功率の高い低いの問題はありますけど、誰がリスクをコントロールしているか、そしてその能力に信頼がおけるか、がチャレンジのGo / No Goの判断には大切になりますよね、兵隊としては。
 私は何故か無謀なチャレンジャーだと思われているようですが、私はどっちかというと慎重派で、失敗したときのフォローや代替手段なんかを事前に準備していたりします。なのになぜこのような誤解が蔓延しているのかについては、色々考えされられるものがあります。

 今回はちゃんと更新されたようですが……例によって、レビューはしないのね(苦笑)。


2002年11月15日(金曜日)
 金氏朝鮮が崩壞して困るのは、結局周辺国、とりわけ日中韓の三国ですよねぇ。ロシアも部分的には問題でしょうが、今はそれどころじゃないだろうし。
 米国なんて、所詮「対岸の火事」だと思ってるから好き勝手なこと言うけど、KEDO凍結してまた難民増やすんか? 日本だって、いい加減足元火ぃ付いてる関係上、そうそう脱北者を受け容れられるわけじゃないし……。
 バブルの頃にこんな問題片付けておけばなぁ……(溜息)。

2002年11月12日(火曜日)
 拉致された方々に生きていて欲しいと願う気持ちはわかるし、私もそう願わずにはいられませんが……「差し出された物証(?)がいい加減だから生きているに違いない」ってのは論理的に破綻してるよな。
 「差し出された物証(?)がいい加減だから死亡確認は取れない」というのが正しい論理であって、シュレディンガーの猫が死んでなくても生きていないのと一緒で(爆)、死んでなくても生きていないかも知れない。
 正直言えば、生きている可能性の方が圧倒的に低い状況に変わりはないと思う。

2002年11月11日(月曜日)
 私自身としては、なぜ失職中にも拘らず、自分がなぜ忙しいままなのかということについて明確な理由を見出すことができずにいるのだが、どうやら他人はそうでもないらしい。
 しかも皆なぜか「自業自得」だなどと、私自身に問題があるかのような言い方をするのだ。
 なぜだ?

2002年10月30日(水曜日)
 拉致被害者の家族をもし日本に呼んだらさ、彼らはもう、事実上国に帰ることはできなくなるんだってことは、誰か指摘しないのか? それともみんな「金氏朝鮮で生きるより日本で生きる方が幸せに決まっとる!」と信じているのか?
 穏当な方法としては、拉致被害者を一旦国へ戻すと同時に、臨時の領事館(この場合なんという名前になるやらわからんが)を平壤に開設して、領事と駐在武官を置いて彼らの身の安全について圧力をかけることだと思うんですよ。
 正直言って、拉致被害者の当人たちは、もう金氏朝鮮で生きることは不可能に近いわけです。しかしその家族まで巻き込め、というのは、いささか乱暴な論法だと思います。

2002年10月23日(水曜日)
 んーっと、「超漢字岩波新漢語辞典」に合わせてGTセットがバージョンアップするんじゃなかったっけ?
2002年10月20日(日曜日)
 僕が政府のオエライサンだったら、例の拉致被害者の方々には、永住帰国後は外務省の嘱託になってもらって、対金氏朝鮮外交の道具になってもらいます。

2002年10月17日(木曜日)
 某友人とのメールでのやりとり。
友人K「なあ、○○って、どこに落ちてるか知らねぇ?」
(ちょこちょこっと検索して)「××にあるよ。俺は検索エンジンかなにかか?」
友人K「俺は何もお前が人間図書館とか、リビング検索エンジンとか、剛理的熊人形とか思ってるわけじゃないさ」
 コメントは差し控えさせて頂きたいと思います。

2002年10月15日(火曜日)
 一時帰国した拉致被害者の方々を見ていると、日本へ永久帰国させるのが良いことなのかどうか、本気で考え込みたくなる。
 もちろん、国としてはそうせざるを得ないのだが……。
 世の中、それが最善ではないと分かっていても、主義主張とか体制とか色々な理由で「そうせざるを得ない」場合がある。
2002年10月11日(金曜日)
 元々政治的メッセージ性の高いものではあるんですけどね、ノーベル平和賞は。でも今回のカーター氏への授賞は、現政権への強烈な面当てですな。内心苦笑しました。
 今後の現政権の動きが注目です。

2002年10月10日(木曜日)
A couple of New Jersey hunters are out in the woods when one of them falls to the ground. He doesn't seem to be breathing, his eyes are rolled back in his head. The other guy whips out his cell phone and calls the emergency services. He gasps to the operator: “My friend is dead! What can I do?” The operator, in a calm soothing voice says: “Just take it easy. I can help. First, let's make sure he's dead.” There is a silence, then a shot is heard. The guy's voice comes back on the line. He says: “OK, now what?"
 「let's make sure he's dead.」がネタなわけね。「彼の死を確実なものにしなさい」ってワケだ。(確認しろ、という意味でもあり、トドメを刺せ、という意味でもある)
2002年10月9日(水曜日)
 時々人間って奴は、善意の名のもとに、とてつもなく残酷なことをする。
 北朝鮮の拉致被害者の一時帰国実現の報を聞いてそう思った。
 24年と言う歳月は、誰にとっても短いものじゃない。拉致されたこと自体は確かに不幸なことだし、国家犯罪だし、日本国としては被害者を何としてでも連れ帰りたいと考えることに異論はない。しかし、彼らとて既に四半世紀の時を彼の国で過ごしていて、家族もあれば子供もいる。「日本に来れば幸せになれる」なんて童話の結末は、中国残留日本人孤児の家族を例に出す必要もない。
 今回の一時帰国に家族は隨伴しないそうだが、当然だろう。
 彼の国で生まれ、彼の国の人として育ち、彼の国の人として生きようとしている連中にとって、この国の姿を見せるのは、そしてそれが父母の国だと、君にもこの国の国籍を持つ権利があるなどと言うのは残酷というものだ。
 拉致被害者本人にとっても、24年の空白を経て日本に帰国するべきかどうか、大いに悩ましいところだろう。家族がいる。彼の国での生活がある。仕事もあるだろう。交友もある。日本には、何もない。親類縁者はいるが、生活基盤といえるものは何もない。日本で働くための技能も殆どない。
 外務省や厚生労働省がどこまで頑張れるのかは分からないが……国の責任だと腹括って、彼らを何とか幸せにしてやってほしい。

2002年10月7日(月曜日)
 某デンパ大阪のHDD不起動問題を横目で見ながら、現在の仕事環境であるWindows2000の最悪の状況への対処を考える。
 正直言えば、NTFS-DOSを購入したいのだが、値段が約30,000とあっては、おいそれと手が出せるものじゃない。今のところマシンが2台あって、両方ともWindows2000+NTFSで運用している上、HDD一台をバックアップに回せる状態ではあるのだが、何が起こるかわからないというか、「起こりうる状況は全て起こる」というマーフィイズムが支配するのがこの世界なので、何とか対策を取っておきたいと思いつつも、今日も仕事を続けるのであった……。

2002年10月6日(日曜日)
 セカンドマシンのWindows 2000が、どうしてもSCSI接続のCD-ROMを起動時に自動でマウントしてくれなかった。起動後に、手動でマウントしてやると平然と動くので、タイミングの問題かなぁと思っていたのだが、今日、ふと思い付いてSCSI IDをずらしてみたら、それでOKだった。
 なんか……SCSI IDとドライバのインストール順を散々試行錯誤したDOS時代を思い出すなぁ(溜息)。

2002年10月4日(金曜日)
 金氏朝鮮のこと、まだやってるねぇ。
 うーん。
 現状は現状として、では過去にもっと良い方法があったか、ということを検証し、未来への礎とするのならば解らんでもないのですが、やんやんと現状から過去を批判しても無益なんだけどなぁ。
 次回同じことがあったら、問答無用で救出部隊を送り込み、軍事作戦を展開してでも国民の安全を確保すべきだ! 憲法改正だ!とか叫ぶんなら、まだマシかと。
 日本政府だって、政府開発援助とかその他借款なんかを、人道援助以外みんな凍結して(あとKEDOがあるか)、言うなれば金氏朝鮮を兵糧攻めにしたわけじゃん、25年間も。そんでその結果(かどうかは確証はないが)金氏朝鮮の経済は崩壞し、インフラは瓦解し、工業はおろか農業に至るまで全面的に破滅してまって、降れば洪水、晴れれば旱魃、道路の上には車影はなく、飢えも渇きも日常茶飯事な状況になった。その上で9-11があって折れた、と。
 その間に出た死者(餓死者や天災による罹災死者)の何パーセントかは日本の外交政策が原因だ、と言われても反論できんと思うのだが……。
 「兵糧攻めは非人道的だから、人道的に軍事作戦を!」とかいうのは駄目?
2002年10月1日(火曜日)
 主に自分自身のためのメモ。
 Windows NT系のOSでは、ドライブ名はハードディスク署名&パーティション番号に対応付けられる(その情報はレジストリに記録される)。よって、パーティションコピーツールなどでパーティションの内容をコピーしただけだと、OSが起動不全に陥る。
 ハードディスク署名は、NT系OSにHDDを接続すると勝手にMBRの0x1B8〜0x1BBに書き込まれる。
 この署名がなかった場合、OSは適宜新しい署名をつけ、接続順にドライブレターを割り振ろうとする。
 よって、パーティションコピーによってNT系OSを起動させる場合、MBRのハードディスク署名を0クリアすれば良い、ということになる(正確にはさらにboot.iniの内容と合わせる必要がある)。

2002年9月30日(月曜日)
 あらりあさんの日記に、「英語のできない技術者は〜」的なことが書かれていたので、ふと思った。
 もちろん、技術者が英語の文献を読めることは大切だと思うのだが、それは技術者の立場の話であって、技術を育てる国政の側からすると、必ずしもよろしいことではないのだよな、と。母国語での教育、研究、開発体制があるかどうかというのは、かなり国の科学・技術開発能力に影響するし、とりわけ蓄積に影響する。まず英語を学ばないとまともな技術者になれない、という国家社会が技術大国になることはまずなかろう。科学者・技術者を支えるのは究極的には広汎な科学・技術への理解なのだ。その文化が失われると、科学者や技術者というのは、存在することがかなり難しくなるだろう。
 人文科学研究者が辿った「前車の轍」である。

2002年9月23日(月曜日)
 血を吐きながら続けるマラソン。

2002年9月19日(木曜日)
 18日の巨人‐横浜戦。先発はご贔屓の桑田。
 桑田は二回裏、第1打席でホームランをかっ飛ばした。第2打席もツーベース。打率も3割に乗った。本当にピッチャーか?(苦笑)
 ところで、ローテーションの関係で、桑田は今シーズン、殆ど打撃練習をしていないらしい。
 一月ほど前だったか、桑田登板の試合の解説を堀内恒夫氏がしていたことがあって、そこで投手の打撃についての話題があった。堀内サンが言うには、「(打撃練習なんて)役に立ちませんよ」「週一の練習で打てたら打者は要りません」etc...。ピッチャーの打撃練習はあくまで生きた球を打席で見ることにあり、基本は送りバンドだうんぬんかんぬん。
 ひとしきり堀内サンの蘊蓄が終わったところでアナウンサーが言いましたとさ。「でも堀内さんも現役時代は隨分打っていたはずですが」。
 堀内恒夫。生涯打撃成績、1010打数174安打82打点21本塁打。堂々たるものである。既出の話題ではありますが、1試合3ホーマーなどという記録まである。その試合はノーヒットノーランだったのだから、「慈悲の心はないのか?」と言いたくもなる(笑)。
 さてアナウンサーに突っ込まれた堀内サンですが、慌てず騒がず、こう言ってのけたのでした。「私は高校時代の延長で打ってましたから」。それで打てたら、やっぱり野手はたまんねぇんじゃないかって思いました。はい。

 そういえば、西武の松坂が、一昨年代打でヒット打ってたっけ。


2002年9月18日(水曜日)
 もさくさと考える。
 金氏朝鮮王朝(笑)がなぜ日本との国交正常化交渉に応じたかと考えると、二つのポイントがあって、一つは経済問題で、もう一つは米国の圧力があるわけです。
 前者については、ここ10年の日本の不況が大きな影響を及ぼしています。よく知られているとおり、金氏朝鮮は経済的には日本に寄生する形になっているので、日本の長期不況が金氏朝鮮を経済的に追い込んだというわけですな。もし日本の経済が現在もって順調であったなら、在日朝鮮人を通じて本国に流れ込む外貨(円)によって、まだ強気でいられた可能性は高いと思われます。
 続いて米国の9-11以降の「ならず者国家」認定によって、「ならず者国家」とレッテルを貼られてしまった金氏朝鮮は外交的に強烈な孤立状態に陥りました。韓国に米軍が駐留している以上、正面戦力として米軍と対峙しなければいけないのは仕方ないにしても、政治的外交的にはできれば米国とは直接敵対したくないというのが金氏朝鮮の本音だったでしょうから、これも困惑の種だったでしょう。
 この二つの大きな追い風を受けて日本は金氏朝鮮との交渉に臨んだわけです。軍事力を背景にできない日本としては、これは隨分大きな後ろ盾だったのではないでしょうか。
 振り返れば、拉致されたと考えられていた人達の安否について、これまでも日本政府は何度となく金氏朝鮮に対して問い合わせを発していましたが、丁重に無視されていました。金氏朝鮮側としては、それで一向に差し支えなかったわけです。日本は軍事力こそ持っていますがそれを外交カードとして切ることができない国ですし、世論の問題で在日朝鮮人を人質にとることもできない。要するに、北に対する強力な外交カードが事実上なかったわけです。(それでも送金停止などが考えられますが、これは相手国の社会治安を悪化させ、囚われている日本人の身柄を危うくするという意味で諸刃の剣です)
 ところがここにきて米国が9-11以降少々強硬になってきて、「ならず者国家」への攻撃も辞さないと言い出したわけです。東支那海では工作船が沈められてしまいましたし、日本人の拉致に関しても状況証拠がほぼ揃っています。米国が「金氏朝鮮を攻撃する」と言い出したところで、日本の世論は反対してくれないでしょう。
 こうなるとかなりマズい状況で、金氏朝鮮としても、なんとかして米国との交渉チャンネルを確保しなければならず、そのためにも対日講和は急務となります。
 そのためには大幅讓歩もやむなし、というのが今回の金氏朝鮮側の選択なのではないかと考えました。

 日本が拉致問題を解決するために、もっと早くから、自分たちが持っている外交影響力を正しく行使しうる世論を醸成していれば、恐らくもっと早く、事態の解決を見ることが可能であったろうと思います。


2002年9月15日(日曜日)
 買ったソフトがバグ持ちだったので、自分で商用ソフトウェア著作物を改変してパッチ当てて動かしたら著作権法違反になるか?
 というのは、最近、ある種のジャンルのソフトウェアについて、バグを持った状態で出荷されることが極めて多く、購入後、開発元のウェブサイトへ行きパッチファイルを探すのが「当然」とされているからである。
 私の場合、自力で回避できるレベルのものであれば、適当に自分でいじるなり運用回避するなりして「なんとかしてしまう」のだが(笑)、これが法的に大丈夫なのか、最近気になり始めた。
 というのも、ユーザの中には、「そんなもん自力でなんとかしたらええやん」という反応を示すと怒り狂う人がいるからだ。勿論、例えば某アドビのように、厳格な使用権契約にサポート契約までして、計ン十万という金を支払わされている会社なら理解できんでもないが、契約書一枚付いてくるわけでもない、小売り価格が1万円以下のソフトウェアとあっては、何をか言わんやである。
 で、ここで問題になるのは、もし、ユーザの自助努力、特に「運用回避」ではなく、著作物に手を入れるような方法が法的に許されないのであれば、たとえ端金であっても、購入したソフトに対するサポートは必須となる。っつーか、してくれないと困る。
 んで色々調べてみたんですよ。
 その結果、第47条でなんとかならんかな、と。
(プログラムの著作物の複製物の所有者による複製等)
第47条の2 プログラムの著作物の複製物の所有者は、自ら当該著作物を電子計算機において利用するために必要と認められる限度において、当該著作物の複製又は翻案(これにより創作した二次的著作物の複製を含む。)をすることができる。ただし、当該利用に係る複製物の使用につき、第113条第2項の規定が適用される場合は、この限りでない。
 バグ持ちプログラムを叩いて直すのは「必要と認められる範囲内の翻案」と私は思うんですが、どーでしょう?(笑) 改変というほどでもないと思うのですが。一応、ソフトウェアのバージョンアップは翻案である、とされてるハズだし。

 というわけで、バグ持ちプログラムを自力でなんとかする権利が購入者にあるとすると、さて、次はサポートサービスは小売り単価に含まれるかどうかということになりますが、これについては2年前の文書になりますが「崩壞しつつあるオンラインソフト文化」が、法的な問題は横に置くと、私の考えに一番近いわけです。ソフトウェアベンダが「これは使用権ビジネスだ」と明快に主張していない場合については、私の感覚は商用ソフトに対してもシェアウェア的反応です。お布施とかお賽銭とか、そういう感じ。「俺は金を出した客だ! 要求を聞け!」というのではクレーマーに近くないか?と。
 もちろん、売る側(製造側)としては、次の商品の売上を伸ばすためにもユーザサービスを充実させるのは有効な手段であり、最も基本的な部分といって良いことです。だがそれはあくまで売り手の論理であって、消費者がそれに慣れるというか安易に期待すべきではないと思います。しかし消費者の立場は基本的に弱く、民法や消費者契約法などで守らねばならないようなものです。あるゲームがしたいと言う欲求は基本的には代替不能であるので、そのゲームに欠陥があるならば、ユーザとしては泣いたり喚いたりして製造者側に欠陥を直させる他にはないことになります。自助努力でどうにかならないのであれば、ですが。
(製造物責任を持ち出す人もいますが、製造物責任法をちょっとでも読んでいればわかるとおり、あれは生命・身体・財産に影響が出たときに適用されるもので、ソフトウェアのサポートとは基本的に無関係です)
 慣習的ソフトウェア契約というものが成立するかどうか、というのは法律学者の中でも意見が分かれているようで、そういう状況では「サポート料金はソフトウェアの複製物の売買に含まれるか」というのは、議論以前の問題でしょう。私としては、明快に契約書なりライセンスにサポートが含まれない場合は、「お願い」以上のことはできないと思います。真摯に受け止めてくれる会社は伸びるだろうとは思うが……。
(サポートを契約してる会社には、もう容赦はしねぇ(笑)


2002年9月13日(金曜日)
 某所で、「小熊さんにツッコミをもらえるなんて、ちょっぴり感激です。」なんてコメントを頂いたんですが、またぞろ、「小熊善之の伝説」がどこかで一人歩きしてるんと違うか……?

2002年9月12日(木曜日)
 11日の中日‐巨人戦。見ていて気になったので調べてみたら、主審は杉永政信。この人もジャイアンツ贔屓の「ジャンパイア」と名指しで非難されてる人だけど、実際は単にジャッジが不安定な人なんだなぁと昨日実感。
 審判も人間なんだから間違いはあると思うし、機械のように正確にストライクゾーンを判定できるわけじゃない。でも、誤差は小さくして欲しいな。巨人に有利なジャッジになっても、不利なジャッジになっても、審判のジャッジが不安定だと、見る方がイライラする。
 あと、ビデオ判定については、よほど審判自身に自信がない場合を覗いて不可とすべきだと思う。
 日本相撲協会と違って、自前で撮影してないんだもん>野球
2002年9月11日(水曜日)
 昨日の図情大の講師の懲戒免職について。
 関係者に迷惑をかけたくないということで表の日記には書かなかった。……というのに、糸野が書いてくれたので、裏に書き置く。
 私はあれは学内の政治問題であって、実際の行状の問題は口実だと考えている。筑波大学に統合された後では、自由に馘が切れないからという理由で、今の時期を選んだのだろう。
 当の講師とは私は直接の接触はない(講義を受講したりしたことはない)ハズなのだが、糸野に聞く限り、人文科学の領域ではありがちな徒弟制度を実行したように見える。あれやこれやの手口で研究費を捻出するのもありがちな話で、私だってかつてどこでとは言えないが科研費の申請のためにデタラメな書類を作ったことがある。理系ではではそういうことがないのかと言われると、そうでもないようで、論文について指導教官の名前が共同研究者になっていることは珍しくない。指導と共同研究っていささか違うように思うのだが(その辺は歴史と伝統が絡む問題なのだろう)。なんにせよ研究者としての立場を優先するならば、学生など書生も同じで、金の要らないアシスタント程度に考えている人も多かろう。学生側としても、研究を間近で見て手伝ってノウハウを吸収し、教官の目を盗んで資料をコピーし、自分の論文に必要な資料を密かに研究費購入書のリストに加えたりして自分の論文に流用したりするわけだから、ある意味においては「もちつもたれつ」の関係でもある。坂村先生だって学生遣いの荒さでは有名だ(苦笑)。
 今回なぜあのような事態にまで発展したのかと考えると、かねてからのかの講師と教授会の軋轢が修復不能な段階まで進行したのだろうと想像するほかない。かの講師と教授会との間にあった問題の原因がどの辺りにあったかについては、全く憶測になるので、ここには書けない。だが、そういった事情を踏まえて見ると、あれは見せしめなのだろうと思う。叩いて埃のでない講師など少なかろう。
 あんまり憶測を重ねるのは趣味じゃないし、学内の政治問題にも興味はない。
2002年9月10日(火曜日)
 9-11の件で、米国の陰謀説が流れているみたいね。個人的には「真珠湾陰謀説」並みの話でしかないと思うけど。適当な規模で先制攻撃を受けたかった、というのはあったとは思うけどね。少なくとも、あれだけの大惨事を期待していたとは思わないし、思えないね。FBIやCIAの連中が、相手を甘く見たってことはあると思う。だが、誰も想像し得なかった方法で、彼らは事をやってのけたわけで、それ自体は脱帽しか言い様がない。
 前例のない事態を予測することは難しいし、たとえ予測し得たとしても、その予測を他人に諒解させるのはもっと難しい。その上で対策を立てるのは……。

2002年9月7日(土曜日)
 5年前は、MDでベスト盤作りましたよ。3年前からはCD-Rで作るようになりました。んで今は……アルバム全曲HDDに吸い上げてMP3でジュークボックス演奏ですよっ。そのうちoggにするでしょー(炸裂)。
 とまあ、そこまでやっても所詮クレヨン社、大した量にならないってところがとても悲しいんですが。
 でもそーやってエンドレスクレヨン社マーチで仕事状態のときに、「痛み」がかかったりすると、かなり痛いっす〜。
痛み
作詞:柳沼由紀枝 作曲:柳沼由紀枝 編曲:加藤秀樹
赤く暮れる 校舎の裏で
わかりあえない もどかしさに殴り合い

切れた唇 血の味と痛み
悪ぶることが 勇気だと信じてた

こみ上げてくる 熱い何かを
押さえるすべも 知らなかったのはteenage

コンクリートの 教室は暗く 冷たく感じ背を向けてたけど
少年を卒業する日 振り向いて見た景色を
そっとそっと胸に刻んだ

だれもの背中 くたびれた気配
おんなじような コートを着た人の群れ

鳥も飛ばない 切りぬかれた空
西日のビルの ため息に枯葉が舞う

見かけの自由で 飾り立てられ
目に映るのは ついに渇き果てたtownscape

ああ人ごみで 不意に肩を押され 交差点の途中で立ち止まる
渡りきる前になにか やりのこしている気がして
僕は僕はたまらなくなる

ラッシュのホームで 首をすくめて
血の気のない 風景に埋もれてないか?

網棚の上 おいていかれた
雑誌みたいな 気分に浸りきってないか?

偽りの歌 歌ってないか?
にせものの夢 買わされ続けてないか?

傷つくことに おびえてないか?
ひたむきでいたい 自分をだましてないか?

いたずらに時を 憎んでないか?
招かれるままに 明日へ流されてないか?

汗も流さず 甘えてないか?
なまぬるい部屋 飼いならされちゃいないか?

見ないふりして 逃げていないか?
ものわかりのいい ふりをしてあきらめてないか?


2002年9月6日(金曜日)
 元職場から電話。
 引き継ぎが完了して辞めてきたとは到底言えない状況だったので、こういうことはあるだろうなぁと思いつつも応対。
上長「小熊さんが辞めてから、これまで“小熊さーん”で済んでたことが済まなくなって色々大変です」
私「(そりゃそうだろう……)」

2002年9月4日(水曜日)
 「俺としては、一度で良いから一番って奴を取ってみたいと常日頃思ってます」について。
 人それぞれだと思うので、私がささのさんのその意欲をどうこうは言いませんです。どっちかというと目標を持って努力するのは良いことだと思うし。
 私に関してのみ言えば、私はそういった「一番」とかいう状態は結果であって目標とはしてこなかったので、それを目標にするということに熱意がないわけです。

2002年9月3日(火曜日)
 日本語ワードプロセッサ機の興亡が我々にもたらしたものは、ゴミと成り果てたハードウェアと、読み出すことのできなくなったフロッピーディスクの山であった。
 などということを真面目に主張する人は少ない。なぜだろう。
 私は昭和の時代にワードプロセッサ、文豪mini5を使っていました。この機械には文書ファイルのMS-DOSテキストコンバート機能があったので、非常に助かりました。PCに移行する際に、全ての文書ファイルをDOSテキストにコンバートしました。
 ただ、参ったのはユーザ登録辞書で、しょーがないので文豪をCP/Mモードで立ち上げてファイルをROMディスク内から捜し出し、フロッピーディスクにコピーしてそれをPC上のDOSでCP/Mフォーマットディスクを読むドライバ噛ましてコピーして、最後に文字コードの変換をやりました。確か大学1年の頃ですな。
 そういえば、あのあとすっかりCP/Mとはご無沙汰してしまっています。「ちょっと飛んでただけじゃないか」キルドールもその後天上へ召されてしまいましたし、時代というものを感じます。
 やっぱり私のようなオールドタイマーには隠居が似合いのようです。
2002年9月1日(日曜日)
 あれでいいんか?>文部科学省
 今日、「出題者が期待する回答番号を探」していて思いましたよ。「俺も老いたな」って。もう5歳若かったら、問答無用で「こんな問題真面目にやってられっか! 問題作りなおせゴルァ!」って机ひっくり返してたこと請け合いDeath。
 例えばの問3だけど、アプリケーションゲートウェイはソフトウェアか?と言われると既に答えに困るし。「サーバ上のアプリケーションゲートウェイはソフトウェアで実現される」から一般的にはソフトウェアなんだろうけど……。
2002年8月29日(木曜日)
 ちょっと表には書きにくいので裏に。
 去る25日、火曜日の広島戦の主審は友寄セ・リーグ審判部主任だったんですけど、どうも気になったんですよ、ジャッジが。どちらかに偏っているというのではなくて、全体的に不安定でした。ストライクゾーンが不安定で、明らかなボールをストライクとコールしたり、逆もありました。しかも敵味方問わず。
 友寄さんは昔「ジャイアンツ贔屓」と呼ばれたこともある人ですが……記録からするとそうでもないんですが(苦笑)、ジャッジが不安定なのはどっちのチームにとっても頂けません。

2002年8月28日(水曜日)
 最近の韓国の日本に対する数々の言いがかり(としか思えないアピール)って、もしかして日本の右傾化・軍国化を期待してるのでしょうか? 別に日本海の名称が他の名称になっても一向に差し支えはないのですが、わざわざせにゃならんほどの情熱もありませんよね。第一面倒臭い。名称変更に伴い生じる諸費用を全て韓国が負担してくれるというのを条件にしてはどうでしょうか。

2002年8月20日(火曜日)
 テレ朝の「南京戦の真実」について。
 色々言いたいけど……。
 なんで本職の歴史家が殆ど手をつけていないのか、もう少し考えてから事に臨んで欲しかったね。正直、あの辺って史料批判に堪える史料整備が殆どなされてなくて、偽証の横行による問題を解決するだけでン年単位の時間がかかるんですよ。特に、証言のウラを取るのが大変で、部隊日誌なんかは防衛資料館にあるんだけど、それ以外の史料となると、外交資料は殆ど未整理だったり、GHQが持ってってたり、ひどいのになると空襲で焼けてたりする。
 そんななかで証言だけを頼りにするのは、非常に危ういです。
 僕がNHKで731部隊の生き残りに取材をした時もそうだったんですけど、どう考えても辻褄の合わない証言をする人っているんですよ。年月は経ってるし、本人も老人になってるし、なんか奇妙な思い込みもあるし、本人が隠したいと思っていることもあるしね。そういう証言を、史料と付き合わせて一つ一つウラ取りして、時には再調査をして、そしてインタビューをし直したり……と、本気でやると凄い時間かかるの。

 次いで、虐殺について。
 南京で何かがあったことは間違いないが、だがそれは南京でだけ起きたことでもないし、日本軍だけがやったことでもない。
 犠牲者の数で言えば文革の方が圧倒的に上だし、南京と同じようなことなんてベトナムでもどこでも起きてんの。それは戦争の性なのよ。家庭の良き父、良き夫、良き兄であった人が、戦場に送られれば、そうなっちゃうの。そういうことをしちゃうのよ。
 だから、戦争はすべきじゃないし、平和はとても貴いの。
 日本軍の蛮行を取り上げるなら、等しく米軍の蛮行を取り上げて、戦場とはいかなる場所であるかをしっかり報道してくれ。太平洋戦線であれだけ泥沼みたいな鬪いが繰り広げられた責任の半分は、間違いなく連合軍にあるのは、戦史をきちんと追えば明らかだ。連合軍が捕虜をきちんと扱い始めたのは戦争も終盤になってからで、それまでは投降してきた日本兵を射殺するなどということを日常的に行っていた。その結果が、玉砕だったのだ。玉砕はなにも日本軍だけの問題ではない。
 そういうことを全てひっくるめて戦争反対を訴えてくれ。そうでないと余りにも浅薄だ。


2002年8月16日(金曜日)
 夏コミでもさんざんっぱら「才能の無駄遣いだ」と言われたんですよ、無職状態について。個人的には結構楽しんでるんですけど。
 才能って言われてもね……。
 私の持っている才能なんて、十人並みだと思うけどね、どの分野についても。
 多方面に並みの知識を持った人間って、各方面に並みの知識を持った人間を揃えられたら、あっさりと白旗挙げないといけないような存在で、使い道ないんだよねぇ、結局。
 米軍の空中給油機にKC-135とKC-10ってのがあって、KC-10はKC-135の3倍の空中給油能力を持っています。ではKC-10の機数がKC-135の1/3で足りるかというとそういう問題じゃないんですねぇ、これが。1機のKC-10は一度に1機しか給油できないし、飛んでいられる時間も3倍はないから。3倍の能力があっても、3倍の仕事は処理できないわけね。
 それに、もう一つ。私にもし他者に優る能力があるとしたら、それは恐らくある種の危機対処能力なのだと思う。けれども、それは要するに「何事もなければ一番いい」類の能力で、役に立たないに越したことはないシロモノ。
 協会で仕事してたときもそうなんだけど、色んなツールやスキルを取りそろえて、しかも日々細々と情報収集をして、週に一度はバックアップやら何やらやって、その全ての準備が役に立たなければ最高なわけです。確かに、損壞したPCからデータをサルベージしたり、誤って上書きしたファイルをバックアップから復旧したり、毎日のように送り付けられてくるウィルスメールを処分したりしてましたが、それはどう考えても「悪い状況」なのであって、「役に立って良かった」のではなくて「失敗しましたね」の状況なんですよ。もっとも、個人の力だけではどうにもならない部分ってありますけど。
 主たる問題は、危機対処能力が高いということは不幸だということなんですよ。役に立たない方が良い能力が高くても、そんな能力持ってても虚しいし、役に立ってもやっぱり虚しいじゃないか。

2002年8月15日(木曜日)
 ゲームをやっていたら、
「……得意だから、能力があるからというのと、
 それが好きだとか、天職だとかいうのは全然違うことだ。」

 なんてフレーズが。
2002年8月13日(火曜日)
 高等学校の「情報」の免許取得試験の勉強とかも少しずつ進めてるんですけど……、まず学習指導要領から出題されるっていう傾向はどうにかならんものかね。いや、マジにやってもいいんだよ、あそこに書いてある内容を全部高校生に叩き込んでもさぁ。
 オイラは全部わかるからね。

2002年8月8日(金曜日)
 前の職場から電話があって、引き継ぎの不完了事項について問い合わせ。でも、DB関連だったので、電話口で説明しても理解できる人がいない。先方はキレ気味だったが、そんなこと言われても困る。DBを少なくとも運用するための、最低限度の知識を持った人間が全員いなくなることはわかりきっていたのに、退職3日前にバイトに引き継いで何ができると?
 私が退職を申し出たのが4月1日。実際に退職したのが7月末。その丸4ヵ月に何もしてこなかったのが原因だ。

2002年8月1日(木曜日)
 私の退職が純粋な自己事由か、と言われると困るものがあるよな。主たる問題は私ではなく職場の方にあった訳で。

2002年7月30日(火曜日)
 昨日、今日と私の仕事は鬼軍曹でした。
 昨日、いきなり上長から「小熊の仕事を引き継げ」と言われた哀れな仔羊ちゃんを、カステルノダリよろしく最低限のDB操作ができるように教え込んでいたわけです。それはもう、「データ型とは何か」から始まって、実戦的なクエリ発行、レポートの作成まで。このまま一ヶ月も続けたらタイガーマスクが誕生するんじゃないかってくらいですよ(一部嘘)。
 まあ、二日でやれることなんてタカが知れてますから、できないことについては無理をせずに私のせいにするようにと言い含めておいた。
 本人はしきりに「勉強になります」を連発し、スキルアップを実感していたようです。最初に理論を刷り込んで、あとはぶっ壞してもいいとDBのコピーを渡して、ひたすら実技演習でしたからねぇ。普通そんな機会ねぇって。
 とりあえず新兵訓練が終わったばかりの二等兵くらいの戦力にはなると思いますです。

2002年7月24日(水曜日)
 今日が求人の〆切だった。ああ、疲れた。ここんとこ本当に通常業務に支障が出てたから。
 ところで、上長による電話での聴取を聞いていて思ったんですけど、協会の求人条件で真っ先にはねられるのは、その条件を口にしている自分自身なんですよねー(笑)。

2002年7月22日(月曜日)
 B-ingに載ったせいか、通常業務に支障を来すほどの応募です>某協会の求人
 ところで、居残り上長は応対のたびに「編集経験があって校正ができる人」と叫んでいますが、個人的にはDBの維持管理ができる人を最優先に最低一名確保すべきだと思いますけどね。もっとも、上長の思惑は経理一名、編集一名、だそうですけど。その上で「Access使えますか」と尋ねているのだが、その本人は全く駄目ないのだから、その問いになんの意味があるのかと多少考えなくもない。
 辞める職場の心配しても始まらないんですけど、私たちが今一番恐れているのは、上長のヒステリーによって、次々と新人の首が切られる(あるいは辞めていく)ことです。

 本日の上長の迷言。
「管理職がいないのよ!」
 アンタがその管理職だって……。


2002年7月19日(金曜日)
 何からぶちまけたものやら。

 今日、コンピュータ会社の人来ましたよ。データベースアプリケーションを組んでくれるんですって。わあ凄い。
 うちみたいな、ルーチンワークがきちんと定まっていなくて、その場その場での柔軟な対処が求められるところって、どっちかというと綺麗に作り込まれたデータベースアプリケーションってあまり力を発揮しないんですよね。だから私は、「データベースアプリを使う人」ではなくて、「自分でクエリを発行したり入力フォームを作ったり出力レポートを作れる人」を育てたんです。自分で言うのもなんだけど、MS-Access遣いを2年で3人育てたってのは、とんでもない話ね。
 まあ、その結果、現場対処能力過多なメンバーが運用するデータベースにはいつまでたっても定型処理をするアプリケーションがつくられず(だって要らねーもん)、人材がごそっと拔けてしまうと二進も三進もいかなくなってしまった。私の方針が間違っていたといわれればそこまでですが(苦笑)。
 今日いらはった会社の人も、「最大時にはクエリ/フォーム/レポート作成能力所有者が3人いたので、データベースアプリケーションを作る必要がありませんでした」と私が言ったのを聞いて、「こんな小さな職場にそんな人間が3人もいるなんて聞いたことがない」と驚いていました。そりゃそうだろう。
 それがどれほど異常な、そして恵まれた状態だったか、未だに理解していない人がいる、というのが……。

 先日、私が職場で念のためにウィルスチェッカを走らせていたら、それを見た上司が言いました。
「これなら私もできそう」
 思ったね。
 そりゃ、医者が注射するの見て、「自分でもできそう」って言うのと一緒だよ。
 医者は注射するけど、病の診断や薬の選択、それ以前に流行等に対する情報収集、病理学的知識など、非常に多岐に渡る準備行動を取っている。
 コンピュータ・ウィルス対策だって一緒で、僕が最初にFrethemを処理した時は、まだウィルス対策ソフト各メーカから対処用のファイルが出揃っていなかった頃。もちろん、情報はきちんと収集しているから、問題なく処分できた。うちの職場の場合、感染の可能性が極めて低いことも理解していた。それでも、私がいない間にメール開いてわざわざ実行かます奴がいないとも限らないので、ウィルスの定義ファイルが出た後でチェッカを走らせた。
 そう言った前段階を全く察知しないで「私にもできそう」なんて口走る人が上司にいるってのは、不幸だよな。
 もう辞めるけど。


2002年7月13日(土曜日)
 結局、私の代わりにコンピュータ環境のお世話をする人間は来ないらしい。
 全部そのテの会社に丸投げするんだと。
 今さらいいけどね。

2002年7月9日(火曜日)
 モノじゃなくてヒトなんだよ、と住基ネットの問題を見ていて思うわけ。
 この国の人的資源が払底しているとは思いません。ただ、「世有伯楽、然後有千里馬」(韓文公「雑説 下」)という故事が生きているんじゃないかと思います。「驥服鹽車」だとか「使驥捕鼠」なんて話がごろごろしてるんじゃないかな。
 驥でもなんでもない駄馬である私としましては、どんどん世の中に埋もれている驥を発掘し、こき使うことこそ、私の隠居の実現の一手段であろうと思うわけです。
2002年7月8日(月曜日)
 WZ Editorのマクロが思ったように動いてくれていないことに気づいて、ソースを見て修正する。殆どcなので、プログラムの組めない私でもなんとかなるってのが素晴らしい(爆)
 コンパイルの方が手間取った(^^;
2002年7月5日(金曜日)
 ZDNetの記事「リンク先はトップページでなければならない?」は頭の悪い内容なんですけど、笑っていられない部分もあるわけです。
 というのも、実は私は職場から「業務命令」という形で文藝家協会のWebページへのリンクを禁じられています。もっとも、URLを表示することも、文藝家協会と書くことも禁止はされていないのですが。
 このように、「リンクとは何か」とか、「HTTPとHTMLによるWorld Wide Webシステムとは何か」とか、そう言ったことを一切合財無視して、「リンク禁止」とか言う人って少なくないわけです。少なくとも、ウチの職場には居ます。
 で、そういう人に限ってまたWWWの恩恵にどっぷり浸かっていたりするわけで、じゃあリンクの張られていないページってなによ、存在してないも同然じゃん?(って、決してそんなことはない。特にこのページを見ている方々(笑)
 リンクが張られるということに、無意味なほどに意味を見出す人が多いんですな。
 あんなもん、URLが書いてあるだけだってのに。

2002年7月3日(水曜日)
 うーん。
 本当、いつになったら後任が着任するんだろう。
 全然予定が知らされてないんだけど、いいんかなぁ。

2002年7月1日(月曜日)
 立ち上げの時に関ったNPO法人、全国不登校新聞社から事務局長として来てくれないかとの打診があったが、残念ながらお断りした。流石に事務局長ともなると責任もあるし、フルタイムで仕事に就かねばならないだろうし、あそこの企画しているイベントの数を考えると、土曜も日曜もなく仕事に追いまくられることになるのは明らかだった。
 今はとりあえずNortiaを優先に考え、メシ喰う算段もしつつ、お断りさせて頂いた次第。
 もっとも、ヘルプなら、ということにはなった……。