底の底の記憶
カレ
スコップ
困惑の第二弾
Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、もしかしたらTRONプロジェクトに関り合いがあるようなないようなことが書かれているように見えることがあるかもしれませんが、もちろんそれは全て錯覚です。
当然、坂村健先生及びTRONプロジェクトとはまったく関係がありません。
これは、底の底でまだ底で墓穴を掘る、ある歴史学徒の哀しいまでの奮鬪努力の記録であります。
2000年12月22日(金曜日)
 会議で古家さんと会った。

2000年12月20日(水曜日)
 推測というより憶測。
 国語審議会の答申は、大きな影響を多方面に与えつつあるようだ。これについては、正確なところを推し量ることは不可能なので、あくまで「体感」レベルの話。
 新聞各紙の報道を見る限りにおいて、今回の国語審議会の答申(特に第二委員会報告)は基本的に支持されているとみて良いだろう。
 つまり、統計的手法に基づき、常用漢字表外の漢字の字体は、基本的に“いわゆる康煕字典体”とすることがコンセンサスである。ただし、同じく統計的に許容される省略字体も存在する。
 この問題の原点とも言えるJIS X 0208であるが、この規格票に於いては、今回の答申と相反する「例示字形」がかなりある。恐らく100〜200字という単位で存在するはずだ。もっともこれはあくまで工業規格であり、文部省隷下の文化庁の、さらに下の国語審議会の答申ごときに左右などされないという意見も存在するだろう。しかし、インプリメンタからは、国語審議会答申との整合性をとってほしいという要望が上がることは想像に難くない。なにしろインプリメンタは漢字の専門家ではないので、「勝手な実装」を意外なほど嫌う(恐らく責任がとれないからであろう)。
 ここに、JCSとしては、国語審議会答申とJIS X 0208を無理なく擦りあわせる必要が生じる。
 「包摂基準」を最大限に活用すれば、JIS X 0208と国語審議会答申との間に「整合性」を持たせることは可能である。しかし、それを実行する人間が必要となる。
 人柱、あるいは、人身御供という名の犠牲の羊が、である。
 魔術的手腕によって、JIS C 6226-1978からJIS X 0208:1997までの各規格を「包摂」してしまった人物に白羽の矢を立てるのは自然な流れではあるよな。

2000年12月14日(木曜日)
 え? 芝野さん続投すんの?!
 よっぽど人材難なのか?>JCS
2000年12月13日(水曜日)
 坂村先生の今日の講演の中で、実に久しぶりにTRONの多言語処理四層構造が触れられていた。
 ……まあ、いいけど。私のBクラでの発表なんて、坂村先生の昔まとめたものの引き写しみたいなものなんですから、いまさら坂村先生がそれを再利用したところで私が何を言えた義理ではないのですがね。
 ただ思うのですよ。本格的多言語処理の四層構造を説明した直後に、超漢字の世界文字入力小物なんぞのデモをするのは、殆ど豊田商事じゃないかって。
2000年12月8日(金曜日)
 超漢字…正確にはB-right/Vは、最早甘えが許されない立場に立たされている。1B時代には、その素性を盾にした言い訳が通用したが、現在ではそれは許されない。まがりなりにも形だけでも、B-right/Vはマイクロカーネル構造を持つ「モダンOS」なのだから。極論だが、Windows9x系と同じ土俵に登ってしまったのだ。相手が横綱でこちらが前頭十五枚目であったとしても、だ。
 土俵の外の星買いや妨害工作、外面の良さと人気の高さで実力以上の評価を受けている横綱かもしれないが(笑)、純粋にぶつかれば粉砕されるのは生来有望な新入幕力士の方であるのは言うまでもない。粉砕されないためには、その実力を小出しにしてはいけない。じっくりと地力を付け、機を見て一気に勝負に出なければならない。自分の得手を伸ばし、苦手を克服して。
 勝負をかけるのが、早かったのではないか、と思わずにはいられない。

2000年12月6日(水曜日)
 歴史学なんて突き詰めれば失敗学みたいなもので、人間がどれだけ愚かしい過ちを繰り返してきたか、を子細に研究する学問なわけよ。結果が、経過が、良かった、悪かったではなくて、必要なのは「なにがどうなってこうなったか」というメカニズム論なわけ。
 その視点で超漢字2の敗因を分析すると、まず第一に、実力以上の名声を得てしまったことが挙げられよう。
 超漢字のボロなんて、両手両足で足りないくらい挙げられると思うが、ではそれを補って余りある魅力があったか、と言われるとかなり厳しいと言わざるを得ない。実身/仮身システムは確かに非常に大きな利点なのだが、これとてスタンドアローンPCの中に収まっていては、実力半減というものだ。
 超漢字のウリは即ち、漢字であったといって良い。しかし、それが本当に実力として身に付けたものであったかと言われると、これもかなり難しい。TRONの多国語処理はGWSM以降全くといっていいほど進行しておらず、スクリプト層の切り替えとて、文字属層の実装を待たねば、唯だだっぴろいコードエリアを用意したに過ぎない。それを糊塗するために「TRONコードはメタ文字コード」などという詭弁を弄した辺りで、真面目に多言語処理をやってきた人間から疑惑の目で見られることになった。
 結局は、自前の文字セットを用意するでもなく、自分でフォントを作るでもなく、外注したフォントの検証さえ満足にできないことを指摘されるに至った。今昔文字鏡については言うに及ばずだ。
 つまるところ、他人の褌で勝負したようとした所にミスがあり、それでも漢字のことでブームになっている間にでも地力をつけられていればまた違った結果も出たのかもしれないが、それも叶わなかった。結局は売れない役者が大舞台に登ったが如く、化けの皮が剥がれたら客足も遠退いた。
 残ったのは昔からのファンだけだった。
 そういうことだろう。

2000年12月5日(火曜日)
 気付いていましたか? TRONSHOWて展示されていた超漢字の文字検索小物で、緑の字が出てこなかったこと。
 いや、いいんだけどね。

2000年12月3日(日曜日)
 多言語処理的常識に即せば、「文字は可視化処理をしない限り見ることができない」。
 これは「音は可聴化処理をしない限り聞くことができない」というのと全く同じである。
 「200Hzの音」というのは、可聴化しない限りは誰にも聞こえない。それは実在ではなく、論理的存在なのである。同じように、「平仮名のあ」という文字も、可視化しない限りは誰にも見えない。
 ここでなぜこのような対比をするかといえば、音楽の可聴化処理者及びその記録者には著作隣接権が設定されているが、文字の可視化処理者及びその記録者には著作隣接権が設定されていないという著作権法の不思議に思いを致すからだ。
 私に言わせれば、両者は、「特定プロトコルに依存してデータ化された情報」という点で全く同じ物である。
 しかし法的な扱いは全く違う。
 この違いが一体何に根差して生まれたものなのか、情報学を学んだものとして考えてしまう……。
2000年12月2日(土曜日)
 あるいはデジタル情報記録というものに対し、最も無頓着なのは、誰であろう、コンピュータ技術者なのではないかと、思うようになった。
 この辺の考えは、いつかまとめておきたい。
 前車の轍だ。

2000年12月1日(金曜日)
 普通の人が、まず感知し得ないことを察知してしまう人間は不幸だ。
 「日常」で表される言葉が「昨日の延長としての明日」を意味しなくなっている。つまり、日常とは、地下鉄に乗っていたらサリンを目の前で撒かれて何の前触れもなく、死ぬ。道を歩いていたら、突然、信号を無視して歩道に突っ込んできた車に跳ねられて死ぬ。そんなものだ、と。
 「常識的に考えて有り得ない」ことよりも「理論的に考えて当然有り得る」ことの方が思考の中で優先されている人間と言い換えられるかもしれない。
 根拠無く常識を信じるには、現実主義者過ぎるのだろう。不幸なことに。

2000年11月26日(日曜日)
 痰に血が混じっていた。
 「肺病くらい病まないと、文学に携わるものとしては二流」
 という格言があるらしいので、これで私も文学関係者として恥ずかしくない最低線は越えられたのかな?(苦笑)

2000年11月24日(金曜日)
 「學天則はなぜ學天則であって學則天ではないのであろうか?」
 朝、ふとこんなことを疑問に思ってしまった。
 つまり、「天則を学ぶ」であって、「天に則すことを学ぶ」のではないのである。分かるだろうか、この両者の間にある、細くて深い溝を。
 つまり、他動ではなく自動なのだ。
 自動機械が自動的な名前を与えられているのは、恐らく偶然ではあるまい。西村真琴博士は間違いなく、狙ってつけたに違いない。
 學天則の奥深さを知った朝だった。
 風邪で熱に浮かされていただけかもしれないが。

2000年11月22日(水曜日)
 徒然なるままに思うこと。
 著作権法がデジタル時代を想定せずに成立していることは、仕方ないことだ。しかし世の中は歴然と変わっていくわけで、不備があろうと想定されてなかろうと、法として使わないといけない。
 情報学的観点から大きな問題だと思うのは、情報とデータとプロトコルと媒体の問題が全く見整理なままだということだろうか。
 例えば、僕が作った文章があるが、大抵これはTADがShift-JISテキストだ。これをWeb上に公開しようと思えば、HTMLでタグ付けして、さらにISO-2022-JPに変換するのが通例だ。これでも勿論私の著作物だ。まあ、タグ付けは自分でやってるし、変換もツールにコマンドを出すのは自分だ。
 しかしこれを他人にやらせたら、彼らに著作権は生じるのだろうか?
 いやそもそも、データストリームは適切な復号手段を講じない限り、誰にも理解できないビットストリームでしかない。あるファイルが誰かの著作物であることを証明する合理的で明快な方法とはなんだろうか? この文章を見ている読者は、この文章を僕の著作物と認めるだろうか。なぜエディタが僕の操作に従って生成したデータストリームをブラウザが正しく表示していると信用できるのだろうか。
 日本語で書かれた文章を英語に翻訳したら翻訳に伴う著作権が生じる。しかし、僕の書いた文章をデジタルデータに変換しても翻訳著作権は生じない。なぜだろうか? もし僕が誰かの文章をバイナリエディタを使って1バイト単位で全部データに変換したら、そこには翻訳著作権を主張できるだろうか?
 なんか考えるだけで知恵熱が出てきそうだ。

2000年11月21日(火曜日)
 某キヤノン製の複合機が入って一週間。
 発見したバグが四件。うち再現性を確認したものが二件。再現性未確認の二件のうち一件は複合機自体がハングアップするというかなり致命的なもの。現在職務の合間を縫って再現性を確かめている。LIPSドライバのバグか(最有力)、複合機本体のバグか(有力)、OSの問題か、伝送系の問題か、あるいはそれらの複合か……。
 バグを報告された営業さんは、死にそうな顔をしていた。今頃本気で後悔しているかも知れず。「あんなところに納入しなければ良かった」とか。
 駄目だよね、最後まで責任持たなきゃ。折角四社競合で生き残ったんだから、あとは一蓮托生ってもんでしょ。

2000年11月14日(火曜日)
 最近、ネット上で短歌や俳句を交歓する人々が増えている、とよく報道される。
 それを見て、「ああ、マンガ・トロンですら世界を先取りしていたのだな……」とか思ってしまうのは、やはり問題なのだろうか。
 っつーか、もしかして、それって少数派?
2000年11月6日(月曜日)
 表の日記に連動して。
 要するに歴史学界というところはコテコテの権威主義社会であって、旧帝大か一流私大の歴史学科の連中が首を縦に振らない限り、岩宿ですら「なかった」ことになるわけなのだ。
 かつて国策としての皇國史観を全面的に是認し、学究者としての矜恃も良心も売り渡した歴史学界は、戦後その反省に立って再出発をした筈だった。しかしその再出発は今度はマルクス主義的進歩史観という毒素にまみれていたのだ。そしてその両者に共有されていたのが、学閥による権威主義だった。
 そこに民間から風穴を開けたのが相沢忠洋だった。
 岩宿遺跡が“発見”されるまでの三十数年を経て、日本の歴史学界が漸く手に入れかけた自由な研究風土を、藤村新一氏の行為は烏有に帰さしむ危険を孕んでいるのだ。いや、恐らくこの危惧は遠からず現実化するに違いない。
 民間研究者が主体となって行われていた発掘は、その全てが洗い直され、権威付けがなされるであろう。そして民間の手による研究や発表が、眉に唾をつけて眺められる日が来るのだ。
 我が心の故郷、歴史学界がそのような世界へと染まっていくのを、私はここから眺めることしかできない……。

2000年10月30日(火曜日)
 オフィスを共有しているお隣さんに、今日複合機が先に入った。CanonMedio
 朝から業者が入って、これまでスタンドアローン的に使われていたPCネットワークの整備から始まって、機械の搬入、セットアップ、PCへのドライバインストール、最後にレクチャーと、丸一日がかりだった。
 横目でちらちらと見ながら、ネットワーク周りの手際が悪いな、と思っていた。本職じゃないからしょうがないんだけど。なんぼか手を出そうかと思ったが、別組織のことでもあり、主事の「一日貸し出そうかしら」という冗句にトドメ……もとい、止まる。

 うちも最初はFAXまで一体化された複合機を考えていたのだが、50枚機という要望に敢え無く断念した。(註:高速機の場合、FAX機能がボトルネックとなるため、全体的なパフォーマンス低下を避けるためにFAX機構がない)
 ただ、現在の各社の複合機のスペックを見比べていたときに、設計の変更によって、今後改善の余地はあるな、とは感じた。
 というのも、現在の複合機は、基本的にプリンタ、またはデジタル複写機をベースとして、そこに別機構を付加することで成立しており、システム全体で主記憶やHDDを共有していない。これはシステム全体に冗長性を持たせることによって得られる信頼性を優先しているためなのか、あるいは個々のシステムをユニット化することによる商品展開性を考えているためなのかは分からない。個人的印象では後者と言う気がするが。
 複合機の全ユニットを別構造としつつ、接続時のメモリ/タスクの一体性を確保しうる新たなシステムができれば、各機構の同時平行動作も可能なはず。当たり前のことだが、FAXがボトルネックになるのは、送受信が遅いからであって、機載OSの整備によって、高速機であってもFAX機構を搭載することは不可能ではないはず……。
「本体搭載のHDDはプリントジョブのスプールには使えません」
 というメーカーの回答に思うのであった。


2000年10月29日(月曜日)
 来月一日付けで、文字鏡Webがスタートする。
 だからなんなんだと言われても困るが。
 まあ、色々大人の事情という奴があるんだろう。僕はもちろん何も知らないけど。
 しかし、これって商売としてちゃんと軌道に乗るんかね……。そこが心配だよ。

2000年10月22日(日曜日)
 DVDソフトの多くにはコピーガードがかかっている。といっても、アナログ波形に出力してしまえばガードもクソもない。入っているのは、VHSの特性を利用した、画面を乱す、あるいは狂わす信号である。
 こいつのお陰で、善良なユーザは私的複製を作ることすらできないのが現状である。
 今回、このコピーガードを回避してビデオテープへの私的複製を作る方法を考えてみた。
 技術的にはマクロヴィジョンというのだが、この信号は走査線の隙間にあたる部分に入っていて、通常のテレビで見る分には影響はないが、VHSビデオに記録しようとすると、覿面に画面を見づらいものにする。
 これはVHSの特製を利用しているので、Betamaxや8mm Video、DVには効果がない。
 ではまず、VHS以外のシステムでコピーを……と考えて、うちにあるDVデッキに録画してみようと思ったのだが、なんと「コピーガードがかかっています」というメッセージを出してダビングができなかった。
 この辺で、ちょっとカチンときた私は、本格的に方法を考えることにした。
 コピーガード信号は、NTSC信号とVHS記録の両方に依存している。よって、どちらかの要因を排除すれば良い。しかし、DVデッキはそれを見越して、コピーガード信号が乗ったNTSC信号の記録を拒否する。とすれば、NTSC信号からコピーガード信号を除去するのが手っ取り早い。
 しかし、現在では、コピーガード信号を破るのを主目的とした機器の販売・購入は違法である。当然、謹厳なる一般市民である私にそのような物を手に入れられる道理もない。
 と、ここで登場するのが、ゲームもできるDVDプレイヤ、ことPlayStation2である。PlayStation2はNTSC信号の他に、水平同期周波数15KHzのRGB信号も出力として取り出すことができる。この信号をスキャンコンバータでNTSCに変換してやれば、当然マクロヴィジョンコードは入っていない、という理屈になる。
 早速、今日必要機材を買ってきて実験。結果は上々。思ったとおり、これでコピーガードを回避できた。

2000年10月13日(金曜日)
 新聞協会との会合で思ったこと。
 新聞紙を作ってから、それをDB化して商売にするのではなく、新聞社とはニュースDBを作る会社であると視点を変えて、その記事DBから毎日の紙面を作り、縮刷盤を作り、記事検索サービスを提供する、という形にすれば、外部筆者の原稿も、「紙面に載せる」のではなく、「最初にDBに載せる」「次に紙面に転載する」などという形になると思うのだが。一時利用がDBで、紙面が二次利用ということですね。
 今後の新聞各社体制がどうなるかにもよるが、こうしておいたほうが未来には有利だと思う……。
 あくまでも個人的な見解ではあるのだが。
2000年10月12日(木曜日)
 青年の主張。
 だから、違法なことを私に訊くのはやめてくれ。私はなにも知らないんだ。

2000年10月7日(土曜日)
 東大での会議の後、懇親会があって、そこで文字鏡の谷本さんといろいろ話した。なんとなく、二人して溜め息を吐いていた感じだったが。
 まあ、要するに、「自分が損をするのは耐えられるが、他人が得をするのは許しがたい」という、非常に人間的な心理が働いているのではないか、という当初からの私の予測を裏付けるような確認が取れただけであった。
 合掌。

2000年10月2日(月曜日)
 協会にて。
 新聞にピッキング強盗対策グッズが売れているというニュースが載っていたのを見て。
「5年前だったら“ピッキング”って言葉そのものがマイナーでしたからねぇ」
 というと、また変な顔をされた。
 一応告白しておくと、私はシリンダー錠をばらばらに分解したことがあるので、その構造をある程度知っている。その当時持っていた工具で、鍵がなくてもピッキングで錠を外せることも確認はした。
 しかし、間違ってもピッキングで鍵開けをしたりはしないのである。
 ピッキングレンチもテンションレンチも持っていないのに、ありあわせの工具だけでシリンダー錠を外すのは、かなりの手間だ。ピッキングレンチがあっても結構時間と根気のいる作業なのに、だ。
 第一、ノブと同軸のインテグラル錠だったら、なにもピッキングなんぞせんでも、大型のプライヤーでノブを噛んで、力づくで回せばあっさり開くものなのだ。シリンダー錠はその構造上、あまり力学的に強固ではないんだから。
 ……。
 つまり何を言いたいかというと、ピッキングは必ずしも最良の手段ではないという……。あれ?
2000年9月29日(金曜日)
 「Book Offで、1日に同じCDを6回売った」という話があった。要するに、発売初日のCDをRやMDにコピーして売って買ってという話なのだが、そのとき視線を感じた。
 主事が私を見ていた。
 私が一体何をした!?
2000年9月27日(水曜日)
 招待講演者の一人、Stephen Griffinさん。
 Digital Library Initiativeにおいて、著作権はどう考えられているのか、という質問に答えて曰、
「なんも考えてない」(意訳)
 ……。まあ、正確にはもうちょっと細かく言っていたのだが(ケースバイケースで対応が違うし、利権が絡むし、純技術的には考えてもムダだし……)、こういうことを後で著作権者団体であるところの文藝家協会で報告する立場と致しましては、もーちょっと考えて欲しいところだ。

2000年9月26日(火曜日)
 最近ますます協会の万能十徳ナイフになってます。
 でも流石の十徳ナイフでも、一度に使える道具は一種類なわけで、一度になんでもできるわけではありません(笑)。
 問題はそこですねぇ。
 つまり、私がもう一人いればいいんですが。
 「そんな恐ろしいことを!」とか「世界の破滅だ!」とか「一人でも多すぎだ!」とかいう意見は全部却下。
2000年9月21日(木曜日)
 NT(Windows2000)とIIS使ってWebサーバを作るというのは、確かに簡単だわな。Linux + Apacheで同じことをやったときより、遥かに楽だわ。っつーか、これならある程度の基礎知識と手引き書があれば素人でもなんとでもなる。これにAccessとかSQLサーバを用意して、あとはIP固定の専用線があれば、簡単なOPACシステムが組めるだろう。
 もっとも、安全性もクソもへったくれもないものになるだろうから、あくまで「動く」程度の代物でしかないがね。
 でもそれが、外注数千万と比較という話になれば、費用対効果を考えても良いレベルになりそうだから、世の中侮れない。
2000年9月18日(月曜日)
「最近、カレイドスコープの更新止まってますね」と何人かから言われた。
 別にここは裏の裏なので、読者はいないハズであるので、何を誤解していても私には無関係である。
 知らないんだってば(笑)。
2000年9月17日(日曜日)
 下記の話題について、数日間の情報収集活動などにより、真実の断片がかなり集まってきた。しかし、まだ事実の姿は見えてこない。5W1Hの殆どがまだ空白の状態。
 しかし事実関係が不明瞭であろうがなんだろうが、事態だけは時系列に沿って現在進行形なわけで、一介の一エンドユーザAとしては、気を揉むくらいしかすることがねーやな。
 いや、本当。勿論守秘義務だとか緘口令だとか、ないわけじゃないけど、僕は一介の末端利用者にすぎないんですよ、ホント。

2000年9月14日(木曜日)
 朝っぱらから、ロクでもない問題が持ち込まれる。
 今昔文字鏡がその利用規定を変更したと連絡が入る。即座に調査に入る。
 新利用規定を読む限り、法的な知識が深い人間が書いたとは思えないフレーズが多々見受けられる。明らかに著作権法を逸脱した規定もある。
 一体今昔文字鏡に何があったのか?
 そんなにイカレた集団だとは思ってないんだけどなぁ>文字鏡研究会
2000年9月13日(水曜日)
 表に続いて裏でもクイズです。
 16pt活字による欧文「Alphabet」と、8pt活字による欧文「Alphabet」を光学的に200%拡大したものは、同じサイズとなるか否か、答えよ。

2000年9月9日(土曜日)
 今の所眠っているPCが1台あって、どうしたものかと思っているのだが、CD-R焼き専用マシンにしてまおうかと思い付き、ケーブルを捜してみた。
 引っ越しの時に、ケーブルというケーブルを分類もせずに放り込んだ箱を漁ると……10BASE/Tが5m、10m、20m、シリアルケーブル(25pin D-SUB)が2本、シリアルコネクタの変換ボックスが1個、PS/2の延長ケーブルが2本、マウスが1匹、アナログディスプレイケーブルが1本、SCSIケーブルが3本と変換コネクタが1個、内臓用のFDD、IDE、SCSIのフラットケーブル、そして究めつけに、パラレルケーブルが各種5本。
 明らかに必要数より実際の本数の方が多いな、こりゃ。
 一体何に使ってたやら。
 なお、これだけのケーブルがあって、それでも必要なSCSIケーブルはなかったという話(炸裂)。
2000年9月6日(水曜日)
 表の日記の――
「……大打撃というものだ。拳銃で犯人を射殺して万事解決じゃないぞ(謎)。」
――の元ネタって『無敵刑事 大打撃』なんだけど、一体どれくらいの人がわかるって言うんだ? あれって8801とか9801用のゲームじゃなかったか? ……とか思ってファミリーソフトのサイトへ行ってみたら、Windows用の新作を作っているらしい。
 なんだかなぁ、虚無感の方が先に立つよ。

2000年9月5日(火曜日)
 Content Management Forum 2000へ行って、別に話自体は珍しくも何ともなかったのだが、セッション終了後に、JASRACの人やORACLEの人と話ができたのが収穫かな。
 もっとも、私は協会の下っ端事務屋Aなので、こういう繋ぎを作ってもあまり意味はないだろうが。
局長「駄目だよ。もっと顔を売って、あちこちで有名になってもらわなきゃ」
小熊「……」
 私は没個性的で群集埋没チックなイマドキの若者Aです。
2000年9月4日(月曜日)
♪私の青春を返せ! 輝くときめきを戻せ! 捧げて尽くした月日をさあ寄越せ!
花火のように現れて 煙のように消えて行く 青春よそれじゃ ア・ン・マリだぜっ!
『45歳の地図』by 爆風スランプ

 ああもう! 何が悲しうて、一日十回以上もリブートが必要なシステム&アプリで仕事をせにゃならんわけ? もちろん給料のためさ! 自己完結。終わり。


2000年8月24日(木曜日)
 亡くなった会員のお別れ会場で、挙動が変な二人組を発見。無線機をぶら下げているし、片方は特殊警棒なんかをこれ見よがしに吊っている。よくよく観察すると、警視庁の人間らしいことがわかった。SPだ。警護対象になっている人間に見覚えはなかったが……椅子に深く腰掛けたり、警護対象から2m以上離れたりと、もしテロリストが本気で狙っていたら、絶対に阻止できないだろうな、と思った。
 実際、SPの仕事は、自分の命を捨ててでも警護対象を守ることだ。それが、咄嗟に身動きできない位置に身を置いたり、テロリストと警護対象の間に割って入ることができない距離に退いたりしては、その意味がない。(基本的に、複数のSPによる防衛圏の中に、安全確認ができない人間を入れてはいけない)
 社会的に見て不自然で邪魔で迷惑な位置に居なければその本分が果たし得ないという意味で、SPという仕事も報われないものだと思ったが、もしかして日本のSPは質が低いのではないかという疑いも浮かび上がる。
 式の間、そんなことを考えていた。

2000年8月23日(水曜日)
 協会の協会印(実印に当たる)が磨滅しているため、登記変更に伴い作りなおす話になった。その際、私は「チタンの判子」を提案したのだが却下された。
 腐蝕しないし磨滅しないし人体にも無害だし環境にも優しい(と思う)、その上半永久的に使えるわけだから、法人の印章としては金に次いで良いと思うのだが……。
 ちなみに、チタン印鑑は一般的に売られているものであって、特注しようとか言う話ではない。念のため。
 金印は勿論議論以前の問題である。

2000年8月16日(水曜日)
 ようやくライセンスの問題にGoサインが出た。
 もう一つ、古くて調子が悪いマシンを超漢字専用とすることが決定される。HDDは2GBもあるので充分でしょう。
 そして1台をできれば年内に入れ替える(パソコン減税は来年3月まで)。そのマシンは少しスペックを欲張って、ファイルサーバ兼用とする(多分Windows 2000を投入することになる)。
 ライセンスが片付いているので、フロンティア神代あたりでOSオンリーなマシンを作ってもらうことにしよう。そうすれば廉くつくから、経理委員会を説得しやすい。
 経理委員会といえば、一つ案件があって、複合機を入れたいという要望が局内にあって、これもどうやらパソコン減税の対象品目らしいということで、年内導入を目指して動きだした(私が)。
 局内の要求は、コピー機、FAX、プリンタの兼用でソータ・フィーダ付きといったところ。はてさてと、とりあえず富士Xeroxの営業に電話をかけて話を聞くことにした。
 RicohKonicaMitaといった文藝家協会と縁深いメーカーや、CanonEpsonといった大手を敵にまわし、富士XEROXを選んだ理由は、大学にあった数多いプリンタの中で一番速くて安心だったからだ。(KonicaやMitaは製品そのものを見たことがないが)
 でも超漢字を使うならCanonの方がいいのかなぁ……。
 うー。文藝家協会から「PostScriptプリンタに対応してくれ」とか言ったら対応してくれるかなぁ?
2000年8月14日(月曜日)
 先日の話。
ny文藝家協会のホームページってさ、どこが変わったの?
小熊DOCTYPE宣言をきちんとつけるようになった。文法間違いを直した。画像を全部PNGとJPEGにしてGIFを廃止した。
ny……そんなことだろうと思った。
 言うまでもないが、大改造である。見た目は変わらないのに、中身は殆ど別物である。それこそコメント文に「Marked Up by OGUMA, Yoshiyuki」とか書き込んでおきたいくらいだ。
2000年8月11日(金曜日)
 竹居さんが電話で訊ねた。
竹居そういえば小熊くん。今日はどういう理由で職場休んだの?
小熊は? コミケへ行くって言ってありますけど。
竹居いい職場だね。
 私はオタクではないので、別にコミケへ行くことを恥じらったりはしないのである。別に後ろ暗いことをしているわけでなし。
2000年8月4日(金曜日)
 先日の非公式セッションに懲りたのか、国税庁は所得税課の次長が、税務委員長(ほか一名)との直接頂上会談を行うことにしたらしい。前回は向こうが敵陣へ乗り込んできたので、今回は逆にお二方が国税庁へ乗り込んでいく形になるそうな。
 吉目木さんの話では、文藝家協会には「役所へ討ち入り」などと言うと異様に興奮して志願するような人がいるとかいないとかだそうなので、ヒラの書記としても今後の展開に注目したいところ。
「面白くなってきた」
 とは、局長の弁。
 ステキな職場だ。

2000年8月1日(火曜日)
 某美崎さんが言ってたけど、『超漢字3』って、本当に年末になっちゃうの? まあ、その辺りに商品が必要だっていう事情はわからんでもないけど、やっぱりここは『超漢字2 GTフォントキット』とかにした方が良いような気がするよ。

2000年7月27日(木曜日)
 今日のメインイベントは、国税庁の役人を招いての非公式セッション。
 ま、要するに来年1月分からの所得について、文筆家も記帳して欲しい、という筋の通った申し入れがあったわけである。確定申告のなかでも作家は、経費について“目安”というドンブリ勘定が許されていたのだが、これが原則不可となる、という話。
 もっとも、作家なんぞというものは自分の人生を切り売りしてナンボの商売なわけで、そういう意味では生きていること即ち創作活動と言えなくもない。日々の生活から家族旅行まで、ネタにしようと思えばネタにならないものはなく、経費という一見明快な使途が、境界不明な怪しい金に化けてしまいかねない。
 とにかくある委員が「目安がなくなると日本文学が滅ぶ!」と主張するのにはまいった。苦笑を押さえるのが大変。流石の役人もタジタジだった。

2000年7月26日(水曜日)
 昨日の一件を局長伝えたところ「それはマズいね……」と言われる。そりゃマズいなんてもんじゃないっスよ、ええ。というわけで、これらの件を秘密裡に処理すべく、ラオックスのザ・コンへ行って台数分のライセンス購入を見積もってもらったら、22万円と言われる。

2000年7月25日(火曜日)
 職場で、Microsoft Officeをライセンス購入に切り替えるべく、ライセンス本数の調査に乗り出してみた。
 ……が、終わった時には「調べなきゃ良かった」と思った。
 動いている本数の方が、ライセンス本数より多いんだから……。
 著作権を守るべき団体がこれじゃマズいだろ?
2000年7月24日(月曜日)
 13日の日記の替え歌の元歌だが、皆さんご存知の通り、ラジオ体操の前に流れるあの歌である。問題はこの歌のタイトルで、「新しい朝」だという記述と「ラヂオ体操の歌」であるという記述の二通りが存在する。どちらが正しいかはJASRACに問い合わせないと分からないのであろうか?

 しかし引っ越してそろそろ一月になろうかというのに、家の中の片付けが一向に進まないのはどうしてだろうかといぶかしく思う。
 色々考えてみたところ、問題点は三つあり、

  1. 机がない。
  2. CDキャビネットの配置がない
  3. 廃棄物が転がっている
という具合であることが検討の結果わかった。机は注文してあるのだが、届くのが土曜日なのだ。本当は木曜日と言われたのだが、木曜は大蔵省の役人がやってくるし、金曜日にはGT書体のお披露目+レセプションだ。
 土曜日というのは妥当だろう。
 CDキャビネットの問題はもうちょっと切実だ。
 かなり気に入っている品なのではあるが、サイズが少々我が部屋の中では切りが悪く、また、積み上げるだけの強度が不足しているからだ。
 廃棄物に関しては、手続きは終わっているのだが、まだ回収日にならないんだよなぁ……。
2000年7月19日(水曜日)
 秋葉原でお買い物。他人の財布でお買い物(笑)。
 キーボードが500円、サウントカード(Sound Blaster Pro64)が2,000円、ビデオカード(RIVA TNT2)が5,000円〜etc...。折角他人の財布なんだからみみっちく買うなよとか言われそうだが、身に付いた性分という奴はなかなか拔けないものなのだよ。CPUはK6-IIIの400MHzを1万円で。おお、私がこれまで買ったチップの中で最速だ!(爆)
 ビジネスソフトを動かすだけなら、この程度のスペックで充分の筈だ。
 液晶モニター(韓国製)を買い、CD-ROM(ATAPI、メーカー不明)を買い、HDD(8.4GB)を買い、FDD(ミツミ製1,800円)を買い、ケース(現品処分)を買い……。
 あとはM/BとメモリとNICとケーブルを買ってきたら終わりですね。
2000年7月14日(金曜日)
 文藝家協会がmediagalaxyに払っている年間の金額が25万と聞いて、一瞬自分の耳を疑った。web pageを開設しているだけだろう……?
 独自ドメイン取得&管理+Webアカウントにメールアカウントを足しても、さくらなら6万ちょっと/年だぜ?
 にわかには信じ難いほどの状況に呆気にとられるが、なにより驚いたのは、誰もこの状況をおかしいと思っていないことだった……。
 私はここでは異星人なのだ。

2000年7月13日(木曜日)
♪あた〜らしーいー書架が来た 希望の書架だ
 喜びに箱を開け 文庫を並べ
 ラヂオの声に 大量の本を
 この馨る書架に並べよ ソレ1、2、3っ!
(JASRACから文句が来そうだ……)
2000年7月9日(日曜日)
 7日に、ほら貝の加藤弘一さんからメールが来た。その中で、中村正三郎さんのSHOW'S HOT CORNERで件の『電脳社会の日本語』が話題になっていたことを知る。あそこ、広告が入るようになってから巡回外したんだよね……。
 しかし手口が汚いね、相変わらず。
 批判なら加藤さん本人のところへ持っていけばいいのに、取り上げたサイトやSIG、News Groupに対して関節的に攻撃を加えるってやり方、なんかかつてのTRON批判を髣髴とさせるね(笑)。

2000年7月4日(火曜日)
 いざ出かけようかというところで電話。エアコンの修理をお願いしたコロナから。なんとコロナの東京支店は、うちのとなりである(笑)。電話が来て五分もしないうちに徒歩でやってくる。
 調べてもらったところ、バルブが一つ駄目になりかけているらしい。とりあえずすぐすぐどうにかなるものではないというので、ガスをチャージしてもらうだけにしてもらう。
 料金は凄く勉強してもらった。なにしろ、歩いて三分なのに出張費は(そんなに)取れないって(笑)。

2000年7月3日(月曜日)
 前日の裡に綿密に段取りを組んでいた筈なのに、見事にすっころげてしまった。
 まず区役所へ行って転入届。続いて、保険と年金の切り替え。そして免許証の書き換えをしたあとに銀行口座開設。午後には東京ガスとNTTがやってくる。つまり、そういう段取りだったのだ。
 役所はとりあえずスムースに進んだのだが、次に免許証の書き換えをしようと思ったら「他府県からの転入の場合は写真が必要だ」と警察署の窓口で言われる。そう言われてみれば、つくばに移転した時も写真がひつようだったような気が。慌てて写真を撮りに行く。一旦家に戻ったら東京ガスが既に来ていたらしく、扉に貼り紙。電話はまだ開通していなかったので公衆電話を求めて彷徨う。
 写真がなんとか出来上がって警察署へいき、そのあと王子駅前の富士銀行で口座開設。これがまた隨分と待たされる。
 帰ってきたら、今度はまた例によって待ちモード。東京ガスが先に来て、NTTが後で来る。電話を繋ぐ。
 PCを組み立てて、セットアップして……。
 引っ越しって、面倒だねぇ(嘆息)。