底の底の記憶
カレ
スコップ
唐突の第一弾
Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、もしかしたらTRONプロジェクトに関り合いがあるようなないようなことが書かれているように見えることがあるかもしれませんが、もちろんそれは全て錯覚です。
当然、坂村健先生及びTRONプロジェクトとはまったく関係がありません。
これは、底の底でまだ底で墓穴を掘る、ある歴史学徒の哀しいまでの奮鬪努力の記録であります。
2000年6月26日(月曜日)
 IDECの方の仕事が、本日23時半頃に終わりました。ちなみに、当初の予定では23日に入稿だった筈ですが、原稿は遅れるわ差し替えるわレイアウトは変更するわのてんやわんや。多分、同じページを平均2〜3回は作りなおしたな。
 本当なら、ページ辺り5,000円は請求しないといけない仕事なんだけど、縁故で受けたので、超特価。っつーか、同業他者から文句来そうな値段。だから公開せず。
「お金を儲けたかったら、縁故の仕事は受けてはいけない」と言ったのは樋口乃亜センパイ(by『はじめちゃんが一番』)だったっけ?(本を梱包しちゃったから、もうわかんないや)
 まあ、二度とこんな仕事はしないだろうからいいんだけど。

2000年6月23日(金曜日)
 仕事料が振り込まれていました。なんとか食って行ける金額でした。引っ越しがなければ(爆)。現在、引っ越しの関係でPMCの仕事が殆どできない状態になっているので、来月はひどいだろうなぁ……。
2000年6月22日(木曜日)
 不謹慎ネタ。
「こらこら、そこの君! 危ないだろう」
「うるせえ! 俺は17歳だぞ!」
「そうか、なら仕方ないな」
 嗚呼、素晴らしきかなニッポン。

2000年6月19日(月曜日)
 そうか、今日は月曜日だったのか。
 土曜も日曜もなく仕事を続けていたのだから、曜日感覚が少々ずれても仕方ないというものだろう。しかし、先週後半、PMCの仕事を放擲しただけあって、IDECの方も、小林めぐみの方もなんとか形になってきた。あとは私以外の人間の問題である。
 IDECは原稿ができてこなければ紙面が埋まらないし(レイアウトは全部できた)、『続・大地〜』は印刷所が頑張ってくれれば良い。
 次は引っ越しなんだが……北ケーブルの動きが鈍い!
 やはり携帯電話持たないと駄目かな……。
 明日は引っ越し屋が見積に来るぜ!
 とりあえず日にちさえ決めてしまえば、電気ガス水道に電話の移設を手配できる。それが終われば、あとは梱包の日々……。本棚15本分の本を段ボール箱に入れる作業か……考えるだけでヘヴィだ。

2000年6月17日(土曜日)
 仕事を外注にする時、人はなぜ無理難題を押し付けるのであろうか? 自分たちにできないことができる人がいるからといって、彼があたかも所要時間ゼロの無敵万能アイテムであるかのように考えているのではないかと勘繰ってしまいたくなることがたまにある。

2000年6月16日(金曜日)
 昨日くらいから体調がボロボロで、ドリンク剤と錠剤だけで体力を維持していた。んで、今日家に帰ってきたら、筋肉痛がっ。
 えーい、次は消炎鎮痛剤だ!
2000年6月13日(火曜日)
 久しぶりに大学の友人に会っても、誰も彼も私の消息を知っているというのは一体どういうことなんだろうか? みんなそんなに暇なのか(笑)。
 説明の手間が省けていいんだけど。

 その一方で音沙汰が全くないのが[ピー]MC。五月末〆で出したレポートについてのコメントがまだ来ない。まあ、『超漢字2』で忙しいのはわかるんだけど。なんちゅーかさぁ……。


2000年6月8日(木曜日)
 赤羽近辺に越してくることを知った堤さんから、早速怪しいデンパがまとめて飛んでくる。どこそこのレンタルビデオ屋にはアニメが豊富だとかなんだとか。
 そのうちDVDを持って乗り込んできたりするのだろうか。
2000年6月5日(月曜日)
 引っ越しのための第一候補地を、北区赤羽に狙い定める。
 堤さんがいるということでデンパ障害が気になるところだが、不動産関係の友人曰「人外魔境」だそうなので、面白い物件が転がっているかもしれない。
2000年6月4日(日曜日)
 引っ越しのための物件探しがインターネットでできるのは良いことなんだろうけど、なんとなく、でも本当に良い物件は足で捜さなきゃならないのではないかと思わなくもない。今住んでいるところも、そうやって見つけたものだから、余計に。
 でも足で捜すとなると、ある程度場所を絞り込んでからにしないと無駄足になるからねぇ。ああ、しんどい。

2000年5月29日(月曜日)
 なんかあっちでもこっちでも、祖父が死んだとか母が死んだとか。凶事は連れ立ってやってくるものとは言うけれど、あんまり立て続けだと、何か運気の低下を感じてしまうわ。
 もっとも、一年中、誰かの命日ではない日は有り得ないわけで、人の死なない日もあるわけがなく、人間が自分の社会的認識範囲内でしか現実感を得ていないことの裏返しでしかないのかもしれない。どんなに想像力が豊かであっても、見ず知らずの他人の死に涙することはできないものだ。
 但し、この考え方は一歩間違えると、他者の痛みに序列を付けることになりかねないので注意だ。例えば、同じ信教を持った人間の死は悲しむが、敵対する宗徒の死は喜んだりするわけだ。
 意識して、分かっていて、確信犯的に犠牲者の品定めをするなら構わないと思うが、罪を負うことを考えずに命の軽重を思うことはあってはならないと思う。命の軽重を考えなければならない瞬間など、一生にそうあるとは思えないが(普通は一生ないかも知れない)、その時に罪の意識を覚える程度の心構えはしておきたい。

2000年5月25日(木曜日)
 給料出ました。廉かったです。
 そりゃまあ、実際仕事を始めたのが先月の24日で、〆が今月10日、間に連休を挟んでいたから実動日数が十日にも満たなかったことは分かってるけど、一月食ってけない額だったのではやり切れないやな(笑)。
 これを基に計算すると、一ヶ月頑張ってきちんと働けば、食ってける額になるはずではある。

2000年5月19日(金曜日)
 一人の仕事を始めると、貴重品というものが家の中に転がり始める。
 頭の痛い問題だ。
 ちょっと考えただけで、郵便貯金通帳、銀行預金通帳、年金手帳、保険証となる。当然、付隨して印鑑もいくつも転がることになる。
 こういったものをどこにしまうか。
 僅かでも私の全財産を左右できる貴重品類なので、それなりに管理したいと思うのだが、よく使うものでもあり、利便性を損なっても困る。手提げ金庫などは防犯的側面から機能はゼロなので(そのまま持ち運べば終わり)導入する気にもなれないし、大型金庫は手に余る。
 それより我が家の最大の資産は、誰がどう見ても本なのだが、これを盗む奴は相当の泥棒だな。誉めてやっても良いくらいだ……。その価値が分かる人間にとっては宝の山なのだが、分からない人にとっては紙の山。

2000年5月17日(水曜日)
 東京シューレが事務局を設けているIDEC (International Democratic Education Conference) in Tokyo 2000だが、色々手が足りないらしく、先の学生ゼミの時に、有料でいいからチラシ/パンフ作成などを手伝ってくれないかと打診があった。そのあといろいろ調べたら、どうもこういうものの製作はA4版5,000円くらいらしい。小遣い稼ぎには丁度いいか、と思いつつ、こんなことなら本格的に個人事業登録をした方がいいのかもしれないと思い始める今日この頃。
 私の場合、メリットとデメリット半々くらいなんだよな……。
2000年5月11日(木曜日)
 ふと、漢文を読んでいて、「訓点、まどろっこしいな。無くても読めるのに」と思ってしまい、驚く。これはきっと悪い兆候に違いない。
 音読を経由せずに直接意味を文章から拾って読むなんてことに慣れても、良いことなどあるわけがない。

2000年5月9日(火曜日)
 結局、1,000件以上のデータから、900件程度のデータを救い出せた、と思う。ただし、どこが拔けているのかわからないので(古いデータが一年分くらいごそっと無くなっていたのはわかったが)、使い勝手はかなり落ちた。

2000年5月8日(月曜日)
 「インデックスが不正です」とか言われて、89年以来、細々と作ってきていた雑誌記事索引データが全部パアに。
 慌ててバックアップから復旧してみたら、バックアップしたデータも壞れていた。
 もうやんなっちゃう。だって12年分、150冊以上、記事件数で言えば1,000件以上のデータが一瞬で消えちゃったんだもん。シャレになんないって。もう不貞寝するくらいしか手がないってもんだわな。
 不幸中の幸いといえば、同じ雑誌についての記事データがオンラインでフリー公開されていることか。もっとも、自分が作ったものじゃないから、勝手が違うんだよね。
 マイクロカードへの信頼が大きく揺らいだ瞬間でした。
 今のところ、雑誌記事索引はもう一件持っているのですが、こいつはもっと重要なのでCSVへ書き出すようにします。

2000年5月3日(水曜日)
 西鉄高速バスのバスジャック事件について、警察の不手際を糾弾せねばならないだろう。警察は、可及的速やかにこの事態を収拾すべく、銃火器による制圧作戦を実行すべきだった。相手は人質、それも六歳の少女を楯に取り、一人を刺殺している。男性客を降ろしていることからも判るとおり、臆病な卑怯者だ。
 相応しい対応は、力による制圧だと私は信じる。

2000年5月1日(月曜日)
 グヮテマラへ観光に行っていた日本人が、暴徒に教われ死亡した。報道によれば「子供が外国人に攫われる」というデマが飛んで、扇動され判断力を失った群集が日本人観光客とバスに襲いかかり、結果として邦人一人、バスドライバー一人を殺してしまったわけだ。
 あまりこんなことを書きたくはないが、犠牲者二人なら御の字だろう。
 全員が虐殺されていても私は驚かなかっただろうし、危機対処能力を持った人がその場に存在し、現地人暴徒を死なせるような事態も起きなかった。ちなみに、「その時最良の一手」は何であったかというと、暴徒に取り囲まれた段階で逃げ込めるだけの人間を乗せたバスを発進させ(つまり乗れなかった人を見捨てて)、暴徒を轢き殺しながら脱出することである。冗談を言っているのではない。自分の身を守るために、躊躇なく他人を犠牲にする覚悟をしている人間のことを、残念ながら危機対処能力を持った人間というのだ
 ついでに言っておけば、危機対処能力を持った人間は、自らを危険なところへは追いやらない。危険に晒されるということは、自分と他人を等しく不幸にするからだ。そんなことをわざわざ望むことはない。

 資料探しをしていたのだが、今日は散々な一日だった。
 ある論文に引用されていた論文の原典を当たろうと思ってOPACで調べたら出てこなくて、「絶対に収蔵されているはず」と省略名称から正式名称を推定して、かつ旧漢字入力でようやく発見。なんとか探し出した昭和2年の本は酸性紙による劣化の進行によってボロボロ。触っただけで崩れていく。こりゃ駄目かと思いつつ、慎重な手つきでページをめくる。この時点でなんと目的の論文が掲載されていないことが判明。つまり、引用ミス。
 泣きたくなるほどの絶望感に打ちひしがれながら、雑誌の前後数巻を紐解く。幸い、次号に目的の論文を発見。なんとかコピーをとることに成功した。
 しかし、ここまでに数時間を費やしたわけだ。


2000年4月25日(火曜日)
 ようやっと、誓約書にサインするところまで来ました。
 ふう。(©Ny)
2000年4月23日(日曜日)
 表の日記にも書いたけど、大修館の人と顔見知りになったので、今度会ってこようと思う。
 向こうは、最大の問題を入力だと考えているらしいことが聞いて取れたが、私なんぞは最初からOCRによる自動読み取りにはなーんも期待していないので、問題はデータ構造などに向けられると思っている。最初にどういうデータを作るかによって、あとあとの利用性に大部分が決定されるからだ。
 やっぱりTRON Code + SGMLか?
 そのあとで写研のブースにもいって、フォントについて探りを入れたのだが、やっぱり駄目っぽい。あそこの会社も強情だねぇ。フォントと組版は一体であって別々には売れないという姿勢を評価するにやぶさかではないのだが、これだけPC上でのDTPが浸透してしまった世の中では、どう考えても時代遅れだ。

2000年4月18日(火曜日)
 諸隈さんからメールが来た。なんだ、仕事はあるんじゃないか。しかし、少々内容が変だ。よく理解していないんじゃないかなぁ、多言語のこと……。社内におけるリテラシーに問題があるんじゃないか?

 人前に出ないもんで、髭が伸び放題。ヒゲダルマとなりつつあります(笑)。面白いからこのまま伸ばしてみよう。


2000年4月14日(金曜日)
 国立環境研究所で図書整理係のアルバイトは駄目でした。他の人へ流れていきました。求人一名に対して申し込みは五名。ただ、今後書庫整理の短期バイトが回してもらえそうなのは収穫か。
 さて、と。いよいよ塾講師かなぁ。
2000年4月11日(火曜日)
 表の日記でリンクを張った件だが、当然、フォントの美しさなどは二の次で、とにかく見れれば良いのだという意見も存在することだろう。
 しかし、いかに人間が心眼で文字を読むにしても、不正確なフォントは困るのだ。
 分かってるのかね、そのあたり?>PMC
 フォントの外注までは良いとして、その検証を全くしなかったというのでは、恥ずかしくて多文字なんて言えないじゃないか……。

 国立環境研究所で図書整理係の募集があったので、申し込みをする。面接は金曜日。


2000年4月9日(日曜日)
 就職情報誌をつらつら眺めて。
 情報が県央に偏ってるなぁ。県南のつくばは求人が少ない。……雑誌間違えたか?
 つくばでは、家庭教師登録とパソコンのサポーターがめぼしいところか。あと、ちょっと遠いが下館市に学習塾チェーンの求人があった。時給はいいんだけど、通勤を考えると厳しいか。
 今度は大学の掲示板でも見てこようっと。

2000年4月5日(水曜日)
 契約社員から嘱託へ。契約も給金も、不定に。
 生活の軸足をTRONから別に移すことにする。
4月9日追記:「PMC以外の仕事もできる」というのを、「PMCの仕事を主に他に細々とした雑多な仕事も受けられる状態」と思っていたが、実体は「PMCの仕事を副業にして下さいね」ということだったということを見拔けなかったのは私のミスだよな。
2000年4月4日(火曜日)
 あああ駄目だ。
 じっとしていると気が狂いそうだ。行動を起こそう。

2000年4月3日(月曜日)
 会社から、何の連絡も無かった一日。
 年度始めに何の連絡もないと言うことは、私を雇う気が社にはないと看做して行動した方がいいのかも知れない。塾講師か家庭教師の口でも捜すことにしよう。やれやれ。国民健康保険やら国民年金やら、手続きが大変だ。

2000年4月2日(日曜日)
 [ピー]MCのK元くんから電話。蔵文辞書を使えるようになったとか。孤立語は活用や格変化がないからいいよね(しみじみ)。
 彼と私の会話は、歯車のようだと思う。噛み合いながらも堂々巡りを続けている(笑)。なかなか先に進まないところが悲しい。
 先に進むことが幸せとは限らないのだけれども。
2000年3月30日(木曜日)
 今更だけど、JIS X 0213:2000の仕様書の中の謝辞に、私の名前が記載されていたんだね。恐ろしいことだ。

2000年3月29日(水曜日)
 ふと、ほぼ究極のテキストレイアウティングの方法を思い付いた。
 文字一つ一つを構造体にしてXY座標を持たせ、そいつらをリスト構造にするのだ。こうすれば、二次元の紙面上にどのように文字を配置しようと一次元的繋がりが失われることがない、驚異の(あるいは凶悪な)レイアウトが実現するだろう。
 そんなことしてどうするかだって?
 そしたらあんた、新しいレイアウトが登場する度に、新しい付箋を作る必要がとりあえずはなくなるじゃないか(笑)
 編集はとてつもなくしにくくなるけどね……。
2000年3月27日(月曜日)
 王様の耳は驢馬の耳ぃぃぃぃぃぃっ!
2000年3月26日(日曜日)
 メタ文字コードでは多言語書理は実現しない。
 多言語処理への最短距離は、一つ一つの言語を、地道にこつこつと片付けていくことであって、早道もなければ王道もないのだ。
2000年3月20日(月曜日)
 同人誌即売会の会場で、マヤ文字の同人誌と、アイヌ語の同人誌を買ってくるあたり、もはや労災認定ものだろう。
 「寝ても起きても、休日でも仕事のことが頭から拔けないんです」
 とか言ったら、労災認定通るかなぁ……?

2000年3月14日(火曜日)
 イランの国家規格、ISIRI No.3342が手に入った。ペルシャ語版と、英語翻訳版。
 ペルシャ語は印欧語族に属する言語で、ギリシャ語の近縁語である。が、アラビア文字で記述がなされる。ただ、ペルシャ語はセム語族のアラビア語とは発音体系が違うので、それを補うためにも、四文字ほどアラビア文字に追加をしている。(余談ではあるが、ここで追加された四文字は、アラビア語では外来語記述のために使われていたりする)
 国の名前はイランイスラム共和国。ご存知の通り、イスラム教シーア派による宗教国家である。国内は現在イスラム革命以後の鎖国政策の転換を巡って、保守派と改革派がぶつかっている。
 話を戻すと、ペルシャ語は印欧語族に属する言葉なので、名詞結合が起きることがある。名詞同士が繋がって、新しい一語になるやつである。英語ではあまり見ないが、ギリシャ語やラテン語、ドイツ語などでよく見られる長大な綴りの単語である。ペルシャ語でもこれが起きるのだが、この記述に際しては、名詞同士の結合点で文字の連結が起きないという規則がある。
 アラビア文字は文字の連結が有名であるが、それがある条件で起きないのだ。つまり、自動化が極めて難しいのだ。
 こういう話を持ち出すと、じゃあ一体どうしたらいいんだとかいう話になってしまいそうなのだが、一体どうしたらいいのかこっちが教えて欲しいくらいなんだ……。

2000年3月12日(日曜日)
 11日の事だが、昼頃に目が覚めて、数秒間まどろんでいたら、突然電話がなり出した。
 こういう経験をしたことはないだろうか? 目覚まし時計が鳴り出す直前に目が覚めたり、音がするより早く音源に反応していたり。きっと人間の脳には先進波を受ける器官が存在するに違いない。よって、武道家が気配を察知したり、虫の報せで胸騒ぎがしたりするのは、科学的に説明がつくのだろう。
(あまり本気にしないように)
 それはともかく。
 電話は昨今多言語にのめり込んでいる[ピー]MCのK元くんからで、ビルマ語をスクリプト層による力技処理で処理出来そうだという話だった。
 彼は私と違って、スクリプト層中心の処理を考えている。私はあくまで文字属層の整備が重要だと考えているが、現状を鑑みるに「とりあえず」やっちまうならいつでも切り捨てられるスクリプト層だろうとか思っていたりする。
 また、スタッフの相互補完やバックアップを考えれば、彼が多言語にのめり込んでくれるのは実に有り難い。
 しかし、ビルマ語をスクリプト層で処理しようと思ったら、どのくらいの組み合わせがあるのか、まず計算してかからんとマズイよなぁ……。

 某K岡先生は、組み合わせが開集合になる結合文字は読めないから存在しないと断言するが、私はそれ程楽観出来ない。というのも、人間は歴史に学ばない生き物で、個人的忘却の他に、文化的忘却も絶えずおこなっている存在だからだ。これはどういう意味かというと、書いたっきり忘れ去られてしまった語なんてそれこそ忘れ去られるくらいあって(笑)、確かに閉集合なんだけど、限りなく開集合に近くなっていることはよくあることなのだ。
 印度系の結合音節文字には、外来語を書くに際して、言語ルールに外れた記述を行うことが多々あるのだな、これが。

 集合の大きさ自体がそもそも特定出来ない言語は、主に未解読言語に多い。マヤ文字とかインダス文字とか。
 そういえばプロジェクトリーダーがASCII誌でマヤ文字をやるとかぶち上げてたらしい。冗談だと思いたい。マヤ結合文字らしいのだが、殆ど未解読なので、文字セットの大きさもわからんのに。
 インダス文字はもっと凄い。何しろまだ発掘途上であり、解読はおろか、文字のサンプルすら満足にないのが実情なのだ。しかしこのインダス文字、春に日本でインダス文明展があるらしい。プロジェクトリーダーの目にとまらないことを祈るばかりである。


2000年3月7日(火曜日)
 昨日の続き少し。
 合成禁則とは違う話なのだが、日本語の組みには大きく二つの流れがある。
  1. 文字間0で組む「ベタ組み」
  2. 文字間を開けて組む「開け組み」
 通常はベタ組みを使用するのだが、開け組みも時と場合によっては利用されている。問題なのは、開け組みを行う時、句読点や括弧類が文字間に入り込むということなのだ。
 現在以って、私にはこれの解決策を見出せないでいる……。(序に言えば、開け組み時の二倍約物の類の処理など、考えたくない事は沢山ある。そう、沢山だ……)
2000年3月6日(月曜日)
 吉目木さんから開き鉤括弧の「合成禁則」の話を持ち込まれた。今ではあまりやってないんだけど。70年代から90年代は禁則が一番揺れ動いた時代だったりするんだよね。会話文の開き鉤括弧が字下げされてた時代もあるし。
 で、開き鉤括弧が段落頭に来た時に、開き鉤括弧と次の文字を合成して一桝に入れるのが合成禁則。比較的新しい文献でも見られるのだが、近年は行われなくなりつつある。文中で鉤括弧が出てきた時は、基本的には半角で組む。他にも段落頭でも半角で開き鉤括弧を組む方法もある。
 追求すると、部屋の中からとんでもない資料がごろごろ出てくる事でしょう……(^^;
2000年3月3日(金曜日)
 TRONコードの中のUnicode部分の責任は誰がとるんだ? 誰が面倒を見るんだ?
 やはり、腹を切ってでもやめさせるべきだったのだろうか?

2000年2月28日(月曜日)
 祖父、逝く。本音を言えば、「よかった」。もちろん、人が死ねば葬式もせねばならないし、行政手続きも待っている。一人残された祖母のこともある。生き残った者たちにとっては、新たな始まりにすぎない。しかし、健康など取り戻す術もなくただ死なないままに生き続けていた祖父にとっては、全ての終わりである。

 今日見つけだした資料は、またみんなで頭を抱えなければならないようなもの。はははははー。

  1. 元朝秘史
     『元朝秘史』そのものは漢字で書かれているのだが……、蒙古語が漢字で書かれているのだ(笑)。漢字で表しきれない音には、漢字の横や下に記号が付いている。一種の反切表記だ。そして全く読めないこの漢字表記蒙古語の右隣に、単語を区切りながら漢文逐次訳が書いてある。
     ついでに同じ文章の古ウイグル文字表記とパスパ文字表記とかいうのを見つけてきた。
     蒙古人たちは、どうやら自らの文字という物に対する愛着のあり方が、我々とは大きく異なっているようである。
     私の知る限り、蒙古語を表記する方法は以下の通りである。
    • 古ウイグル文字表記
    • 古モンゴル文字表記→伝統モンゴル文字表記
    • 改良モンゴル文字表記
    • パスパ文字表記
    • 漢字表記
    • 満洲文字表記
    • ソヨンボ文字表記
    • キリル文字表記が三系統(モンゴル国と旧ソ連内蒙古族が二つ)
     後代の我々にしてみると、これは悪夢以外の何物でもない。
  2. 注音符号発音表
     注音記号というのは、中華民国成立後に作られた読音統一会で選定された、中国語の表音記号である。これは更に後の中華人民共和国で決められたピンインとは違い、漢字の部分というか、奇天烈な記号で構成されている。その音と記号の対照表をまず入手。  これは現在でも台湾で使われており、実例として注音符号による“総ルビ”文献を実例として入手した。
     さあ、みんな苦しめ!

2000年2月22日(火曜日)
 TEPIAからの帰り道々、馬鹿なことを考えていた。
 実は現在、TrueTypeの方では「Intelligent Font」とかいう考え方で、Unicodeだけでは不可能な結合音節文字のレンダリング処理をやろうとしている。残念ながらそれでも破綻するのだが(文字コードにきちんと情報がなければ、どうやったって駄目なものは駄目)
 で、私が考えていたのは「Intelligent Character」(笑)。
 CharacterそのものがTACLのようなオブジェクトになっていて、自分自身の挙動(主に視覚化にまつわる)を記述してあると言う……(爆)。
 物凄く冗長なのだが、「あらゆる記述を実現」するためには、こうでもしないと、自由度と記述性を両立できないかもしれない。
 ……楽をしたいだけだろうという意見は却下する。
2000年2月16日(水曜日)
 日記に書いたフリーのJIS X 0213フォント作者だが、とても表には出せないコメントをこっちに書こう。
 世の中には、確かに凄い努力はしているんだけど、どう考えても方向性が間違っている人ってのがいる。これもそのクチだ。規格として公示もされていない文字コードをページのコードとして指定してみたり、Windowsの外字領域にX 0213をマッピングしたフォントを出しておきながら「公的規格だから互換性は大丈夫」とか曰ってみたり、頭のネジが緩んでいるのか、さもなくばX 0213の狂信的親派かどっちかだろう。
 その努力は認めないではないが、出発点と方向が間違った努力は誰も幸せにはしない。本人は満足かもしれないが、ゼロには何を掛けてもゼロにしかならない。
 そもそもフォントレベルでの解決が万能なら、今昔文字鏡は完全無欠の解決策になってるよ。

 危篤状態に陥っていた祖父だが、息を吹き返した。末期癌+肺炎+脳卒中という、死んでもおかしくない組み合わせだったのだが、現代医学は彼の人の意識を取り戻すところまで持ってきてしまった。
 今日、気道に入れていたチューブを拔いたそうな。つまり、自発呼吸ができるようになったというわけ。酸素マスクはしているけど。でも意識は朦朧としているし、足の筋肉は弱ってしまっているので自立できない。峠は越えたというものの、いつか来るべきものが先延ばしになっただけ。親族にとっては、これからが長い鬪いというわけさね。


2000年2月14日(月曜日)
 12日の[ピー]MCのK元くんとの電話とも絡む話なのだが、TRONの今の多言語処理の概念では、一行内での相方向表記(バイディレクション)が処理できない。今日CICCでも片岡先生から同じことを指摘された。

2000年2月9日(水曜日)
 危篤。意識不明。自立呼吸困難。そんな状態でも生かせてしまう現代医療ってなんだろうとか、ぼんやりと考える。
 祖父はまだ生きている。チューブに繋がれて、病院のベッドの上で。

2000年2月8日(火曜日)
 祖父危篤。
 その報を聞いても、動揺もなければ驚きもないのは、心構えがあったからだ。
 見つかったときには既に末期癌で、どうして今まで痛みがなかったのかと医者が不思議がるような状態だった。その時点で治療は不可能、すぐにQOL(Quality Of Life)改善の話になり、あれよあれよという間に母方の祖父は死を待つ人になった。正月の妹の結婚式に、出てこれないと聞いた時点で、もう長くはないことは確実だった。
 もう十年近く、直接会ってはいない。顔もロクに思い出せない。身長は150程度の小柄ながら、俊敏な人で、技術職として戦中は軍属として南方へ行っていたらしい。地主の家系で戦中戦後と食料に苦労しなかったことを、心苦しく思っていたようだ。肉親に夜逃げされて借金を背負込むようなお人好しの苦労人で、一体どうしてこんな孫ができたのか悩まねばならないような人だった。写経を趣味とした達筆の人で、手紙を出すとき、いつも悪筆の自分にできる精一杯の字を書いていたものだ。
 もうすぐ、全てが思い出になる。

2000年2月6日(日曜日)
 表の方でも話題にした京都小学生殺害事件の被疑者自殺のことだが、報道番組のなかで、自殺死体が仰向けになっていたと聞いた。
 飛び降り自殺の死体は、統計的に俯せになっていることが多い。あくまで統計的な話だが。水泳の飛び込みをやったことがあれば分かるが、腹を打つことはあっても、背中を打つことはまずない。足から飛び込むにしても、背中側が下になることは少ない。
 察するに、手すりを乗り越える勢いでそのまま落下したのか、あるいは後ろ向きに手すりから手を放したのか。
 よほど慌てて飛び降りたのだろう……。
 京都府警を責める声が多いが、連続殺人犯を捕り逃して次なる犯罪を引き起こしたわけでもないのだから、個人的には別によかろうと思うのだが、そういう考えでは駄目なのだろうか?
2000年1月28日(金曜日)
 私はミもフタもない性格をしている。

 つくば情報通信研究開発支援センターへ見学に行ったときの話だ。ハイビジョン用プロジェクタを四台使って、精度二倍の画像を映し出すシステムの案内を受けたときに、案内してくれた人が言った。
「絵画なんかの完全な再生なんかを用途として考えてます」
「……油絵なんかだと、“タッチ(筆遣い)”って、絵の具の盛り上がりですから、二次元に取り込んだ時点で完全な再現は不可能ですよ。それに顔料系の画材を使っていた場合は、RGB以外の色も出てますし」

 正直は罪か?


2000年1月27日(木曜日)
 多言語処理の最前線近くで塹壕を掘って雨に打たれて砲撃に晒されている身としては、「Character is invisible !!」とか空に向かって叫ぶくらいしかないわけで、それでも突撃喇叭が吹き鳴らされたら、塹壕から飛び出して弾雨の中を匍匐前進せねばならないわけだよな。往々にして指揮権を持っている連中ってのは前線のことを知らなかったりして、ワケワカンナイ作戦を立てて実行に移したりするわけだ。『遠すぎた橋』とか(爆)。
 犠牲となる前線の一兵卒と致しましては、せめて無駄死にだけはしたくないなぁとか思っていたりして。

 ちょっと前振りが長くなっちゃったけど、要するに、多言語処理的常識によれば、「Characterと言うものは不可視である。Characterを視認するためには可視化処理を行う必要があり、しかしそれで得られたものはGlyph Imageでしかない。人間はGlyph ImageからCharacterを類推して文章を読むが、必ずしも論理的にGlyph ImageからCharacterを抽出できるとは限らない。よって機械処理対象である文字コードは、Characterを記述するものでなければならない」ということがあって、なのに全然世間の常識になってないから、前線の兵士は泥沼に填り続けねばならないわけだ。
 泣けてくるね。


2000年1月14日(金曜日)
 CICCの会議は、年度末が近づくにつれ、殺伐とした雰囲気が弥増してきている。
 多言語と長く関っていると、どうやら性格がねじくれ曲がってしまうらしい。とにかく「理解されない」ことによる精神的外傷(笑)には根深いものがあり、相手を理解させるために非道な手段を躊躇なく選ぶようにマインドセットされてしまっている。
「これからTRON、TRONって言い続けてTRONを有名にして、そんでもってTRONがコケてくれると、みんな多言語が難しいって理解してくれるな」
 こんな台詞が私を前にして交わされるのである。
 うぐぅ。(;_;)

 現在捜索中の本は、中野美代子『砂漠に埋もれた文字 パスパ文字の話』(ちくま学芸文庫 1994年)なのだが、これは実は塙新書から71年に出た本の改訂版である。塙新書版の方が大学の図書館にあったので、借り出して眺めてみた。
 パスパ文字の基本というか基礎というか、歴史とか変遷とか性格とかを掴むにはいい本かもしれないが、読解には向かないかもしれない。しかしそれより、この本にソヨンボ文字の情報があったことが、私には大きかった。
 ソヨンボは、その存在は知っていたのだが、日本語で読める資料が殆ど見当たらず、お手上げ状態だったのだが、こんなところに埋もれていようとは。
 これはいよいよ文庫版を手に入れねばなるまい。


2000年1月12日(水曜日)
 緊急指令。全力で逃亡せよ。
 本日のゼミで、XMLによるRDFスキーマの話から、ふとUnicodeの話になった。XMLではUnicodeによって多言語を扱うことになっていたからだ。そこでUnicodeの現在と多言語処理の話をちらっとしたら、座長のT先生がふと漏らした。
T先生「そっかぁ。もう居なくなるんだなぁ、これだけ詳しい人が。もったいないなぁ」
S教授「居させましょうか」
 駄目だ! 逃げないと駄目だ! しかしなぜなんだ! 進んでも止まっても、同じようなものという気がするのはなぜなんだ?
2000年1月10日(月曜日)
 先日、[ピー]MCのK元くんとの話で出てきたのだが、KS X 1001(旧KS C 5601)という規格は非常に面白く、コード順に並べるとソートができるようにできている。
 これはコード系としては希有な事で、ASCIIですら、大文字小文字を同一視しないと(具体的には第2ビット無視する)ソートはできないのだから。
 ところがこれで「ハラショー! ウリマルマンセー!」とか叫ぶとあとで馬鹿を見る。韓国語の漢字の発音は、多くは一漢字一発音である。だから、発音順に漢字を並べると、ほぼソート順となる。ところが、世の中必ず例外というものはあるもので、複数の韓国語音を持つ漢字というのも、実は数百という単位で存在する。
 これをKSではどう解決したか?
 全て発音順にダブルコーディングしたのである(一部はトリプルコーディング)。
 よってKSコードで書かれた漢字混じり文は、漢字音が分からない限り検索は常に不一致の危険性を孕むのである。
 で、本来ならここで「おらの知ったこったねぇべや、はあ」とか言っていれば良かったのだろうが、何しろ超漢字にはKS X 1001は取り込まれているので、将来の検索データベースにはこれを反映しなければならないのである。
 頑張れS谷ちゃん!