哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀2003年7月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクト、並びにパーソナルメディア社は関与しておりません。
守秘義務の関係上、伏せ字になっている箇所があります。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

2003年7月1日(火曜日)
 実は朝の「おはよう日本」を観るまで、今日から7月だってことを知りませんでした。いやぁ、てっきり31日があるもんだと……(爆)。

 「日本雑誌協会とTCA、「デジタル万引き」への注意呼びかけ との報道。その「デジタル万引き」ってのはどう考えても立派な犯罪だろうよ……。撮影現場を確認できたら、著作権法違反で立件できますな。
 ちょっと想像力を働かせりゃ分かりますが、例えばコンビニでマガジンスタンドに置いてある雑誌を取って、その場でコイン式コピー機に載せてコピーを取ったら、「私的複製」の範囲を越えちゃいますよ。もちろん、会計を済ませて所有権を得てからなら、私的複製の範囲内に收まるでしょうけど(程度にも因るが)。
 しかしカメラ付き携帯電話の普及は止まるところを知らないし、またデジタルカメラが手軽なメモツールとなっているのもまた現実です。時は逆回しにはできないし、カラーコピーの紙幣検出みたいな方法も難しいでしょう。早い話が「打つ手なし」。
 こんなことが続いていくと、「雑誌」という紙の情報提供媒体は、徐々に衰退していくかもしれませんね。i-modeなど、確実に課金が取れるところに移っていくでしょう。あるいは、リクルートの出版物みたいに、完全なコマーシャル媒体になってしまうか。
 最後に残るのが文芸誌だったら、ある意味笑えるよな……。

 Netscape 7.1とMozilla 1.4、ちょっと悩んで結局Mozilla 1.4にした。
 勝手に書き換えられるレジストリがレジストリがーっ!


2003年7月2日(水曜日)
 「IBM Refreshed PC」か。値段にもよるけど、ありがたいお話ではある。
 特に「超漢字マシン」を考えている場合は。

 サーターアンダギーを頬張りつつ、赤ペン握って同人誌の赤入れをする、BGVは新海さんの「笑顏」をエンドレス……。なんつー生活だ。そんなこんなで最近寝不足気味。
 未読の処理も遅々として進まず。
 追加ページのために各種手続きをこなしたのに、肝心要のページがまだできぬ。
 その上仕事は着々と増えている……。一度は振り切った筈の[ピー]がワープ3で接近してくる(謎)。

 「一生懸命勉強して、いい大学に入って、いい企業に入れば幸せになれる」っていうのは、「自分は一生懸命勉強する機会を得られず、いい大学に入れず(もしくはその機会すらなく)、いい企業にも入れず、幸せになれなかった」という現状の裏返しとしての期待感である場合もあるので、一概に穿ってみる必要はないかもね。
 ただし、「国立大学の大学院を修了し、院生時代からそれなりに各種活動をこなし、さりながら本人の希望する進路を得られずまったく不幸」という人もいますからね、まさにここに。ですから、幸福がそういう規格化された進路によって得られるものではないということが分かっていないという意味では、どっちも変わらないよね。
 本人の幸せは本人にしか決められないので、端から見るとどれほど腐った人生でも、本人が幸せと思える道を歩んで欲しいと思います。
 僕の邪魔にならない限り。

 HSFD2は回收に失敗し、不時着。破損セリ。

 ミツルんが紹介していた“右脳派左脳派どっち”を僕も試してみた。

診断結果:
あなたはバランスのとれた中間派に位置しています。
左脳と右脳のバランスを取って行動しています。バランスがとれている事はとても素晴らしい事ですが、それに甘んじてはいけません。右脳と左脳の訓練をして、より幅と深みのある人生が送れるように脳の活性化を図りましょう。右脳は物事をイメージで捉えます。一方の左脳は論理的、分析的に捉えます。訓練をすれば右脳も左脳も今以上に活性化されますので仕事や私生活に役立つでしょう。右脳の訓練にはイメージトレーニングをしたり、芸術にふれると良いでしょう。左脳の訓練には語学を学んだり、物事を分析する練習を重ねると良いでしょう。
 ……。脳を訓練するためだけの時間なんてとれねぇってばよ。
2003年7月3日(木曜日)
 『東京大学特別講演会「TRONプロジェクトの20年」』か。休暇の申請しますかね。

 東京都の水道メーターの談合事件の経緯を見ていて、これは単純に談合が違法だとかいう話だけではないと感じた。執行猶予が明けてすぐに談合が繰り返されたということは、背後にはなんらかの構造的な問題があるのだろう。
 入札という制度は、政府(地方自治体)などの公共事業における各種調達において、入札希望企業各社に平等に機会を与えることと、調達価格を低く押さえること、この二つが大きな目的だと思う。
 しかし機会の平等も調達価格の低廉化も、品質が伴っていることが前提だ。品質を伴わない粗悪濫売や、市場占有率拡大のための不当廉売などは排除されねばならない。これらが横行した場合、企業の営利行動だけが再生産され、納税者が大きな負担を負うことになる。
 こう考えていくと、品質をきちんと評価できるかどうかが重要であること分かる。
 今回の水道メーターならば、入札応募企業が提供する製品が都が求める品質を満たしているかどうか、不当廉売ではないかどうかについて、入札を行う側である東京都側が判断できなければいけない。入札担当者は、入札物件について、各企業担当者かそれ以上に、熟知しており、厳しく品質と対価について判断ができなければならない。
 これらの前提が成立していてこそ、健全な入札制度が維持されるのだと思うが、談合が繰り返され、しかもそれを都側が見拔けなかったことを考えると、実はこの前提が成立していなかったのではないかという疑いは濃い。

 品質の評価って本当に難しいよ。勉強してないとできないもん。


2003年7月4日(金曜日)
 先天性人柱症候群なきさらちゃんはっぴぃさんとこで大丈夫だったということは、入れても大丈夫かなぁ>SP4

 最近、この国の人的資源というものについてよく考える。
 子供の頃は、この国には地下資源がないから、人的資源が大切だと教えられていた記憶があるのだが、鑑みるに、確かに地下資源はないが人的資源の育成にも失敗しているのではなかろうかと。
 誰も真剣に10年後、20年後、50年後の日本を想像していなかっただけなのかもしれないが。


2003年7月5日(土曜日)
 昨日の夜から、一体何回FAXとメールが飛び交ったことか……。夏コミ新刊の編輯も佳境というか修羅場というか。

 日本のホワイトカラーの生産効率が非常に悪いということについて思いを巡らせていたら、はたと「これはかつての社会主義国における低生産効率問題と同種の問題ではないか?」と思い至った。
 そう言えば80年代だったかに、「日本は最も成功した社会主義国である」という評があったことを思い出す。
 なるほど、社会主義国であったればこそ、社会主義国と同じ病弊を抱いたわけか。とすれば、行き着くところも同じようなものかも知れず。


2003年7月6日(日曜日)
 昨日付けで、「学校における情報教育の実態等に関する調査結果」という発表が文部科学省からなされたのですが、いやはや、相も変わらぬハコモノ行政っぷりがお見事です。
 別に学校にパソコンを配備してネットワーク線を繋ぎ、インターネットへ接続することが悪いとは言いません。でも問題はそういう設備面での整備ではなくて、子供たちにじゃあ何を教えるのか何を学ばせるのかであり、その方針に沿った教員の意識と品質の改革が必要なんですが、どうもこの報告書読んでると、研修を終えた教諭=情報教育実施可能という定義をしているっぽくてとてもステキです。
 例えば職業教育としてのパソコン教育にはハードウェアが必須ですが、情報科学的な側面からのコンピュータ教育には必ずしもパソコンは必要ないですよね。ていうか、TK-80とかならともかく、Pentium 4マシンなんぞあてがわれても困るし。
 さらに数学や理科などの一般教科におけるパーソナルコンピュータなんてものは、極論すれば、OHPやビデオセットと一緒で一種の視聴覚教材に過ぎないんですよ。なにもわざわざ使う必要もないシロモノです。
 これに対して「使え使え必要があろうとなかろうととにかく使え」という、かなり予算消化とか備品稼働率とかそういう単語が背後に踊っていそうな雰囲気を感じるのが、今回の調査結果でしたよ。

 WebでJPEG 2000を使いたいなぁと思っているのだが、まだまだ普及に時間がかかるっぽい。PNGより時間食ってるんじゃないか?

 「DVカメラ4社、現行DVテープでハイビジョン撮影実現の「HDV」規格を策定
 つ、つまんねぇー!
 テープなんだよシーケンシャルメディアなんだよ!
 折角のテープメディアなんだから、フレーム間圧縮ナシのMotion JPEG 2000で記録するとか、そういう「方向的には正しいんだけどなんかおかしいような気がする」って技術的解決を目指すべきだと僕は思うわけです。
 何でもかんでもMPEG-2なのは嫌。


2003年7月7日(月曜日)
 ポニーテールの日
 世間様一般では七夕らしいが、いいかげん、新暦で祝うのやめようぜ。梅雨の真っ只中じゃん。

 神保町からの帰り道、やけに紙袋が重いなぁと思っていたら、文庫本が13冊ほど入っていましたですよ。家に帰ってから積み上げたら、未読書塔が20冊を超えました。危機的状態です。でも入稿まではこんな調子でしょうね。はあ。


2003年7月8日(火曜日)
 きさらちゃんミツルんAMD GCABによる技術関連の専門用語と複雑性についての調査結果に言及していたので、僕もテストを受けてみたです。
 で、あっさり全問正解だったりしたわけなんですが……。うーん。全問正解は3%ですか?
 確かにちょっと答えに迷うというか、どっちでもいいんと違うかこの選択肢やったら?とかいう設問がないわけではないので、8/11くらいが及第点ぢゃないでしょーかしら。
 ところで、これが自動車だったらどんなもんでしょうかね?
 rpmの意味は?とか「馬力」の定義を述べよとかエアバッグってなんですかーとかとか。結構悲惨な結果が出そうな気がしますよ。

2003年7月9日(水曜日)
 一日に長崎で起きた4歳男児の殺害事件の犯人は、12歳の少年だった。やるせない話ではあるが、さしたる衝撃はなかった。
 慣れてしまっていることに、愕然とした。

 まだまだ干支が一周する歳でしかないのに、一生かかっても返せないほどの社会的負債を抱え込むってのも、解せん話ではあるよな。もっとも、自分が12の頃には、まさか自分がここまで長生きするとは思っても見なかったが。
 このように自分の人生をぶち壊しにする少年がいる一方でネットで知り合った若者たちの集団自殺が引きも切らない所を見ても、将来や未来に展望も希望も持たない人が増えてるんでしょうかね。
 半端に刹那的なのが嫌らしい。

 連動企画です。
 『「ハイテク用語はチンプンカンプン」-米消費者調査』ですが、きさらちゃんの言うように、全く以って「売る方も買う方もよく分からない状態で機械だけが売れていくというのは、なかなか趣味の悪い笑い話のよう」ですよ。消費者教育の重要性はこの日記で、本当に自分でも何回採上げたか分からないくらい書いてますが、消費者教育って大事ですよ。消費者自身にとっても、企業にとってもね。
 こんな性格だから、非PC系の友人知人は私のところに相談に来ないのですが(苦笑)。

 韓国語が文字化けするんじゃ、ISO-2022-JP-2とは言えんだろう。JP-1だね。>Safari
 でもこのページの宣言はJP-2なので、JP-1動作というのもおかしな話なのだが。それともフォントがあれば良いだけの話なのか?(よしんば表示されても、こんどはハングルが読めないと正しいかどうかは不明ということになるが)
 ところで、JP-1ってRFCになってたっけ?

 R.4.100は明日明日!


2003年7月10日(木曜日)
 昼間、くるっと椅子を回した時にタイピンが机に引っ掛かってパッキリ折れました。
 ああ……。安物でも3,000円くらいすんのにぃ〜。
 タイピンがないと、イマイチ締まらないというか、ネクタイ邪魔!

 長崎の4歳男児の殺害事件の犯人とされる12歳少年だが、彼の犯した罪は勿論彼のものであるが、この事件を防げなかった警察と社会の問題はちゃんと取り沙汰されているのだろうか。4月26、27日に起きた事件を真剣に捜査し、犯人を突き止めていれば起きなかった事件だということを、もっと真剣に考えて欲しい。
 警察が重犯罪重視で捜査体制を敷くのはある程度仕方がない。しかし、割れ窓理論に見られるように、犯罪は放置されると悪化するのだ。
 かといって警察の事件処理能力は限界に達しつつあり、刑務所の収容能力もパンク寸前だ。検挙率は最低を更新しているが検挙者数は増えている。再犯率も上がっている。
 現体制では、もう駄目なんだ。

 嗚呼三連敗……。


2003年7月11日(金曜日)
 ISO-2022-JP-1はRFC2237でしか。thanx>きしもとくん

 『長崎男児殺害:「親は引き回しの上、打ち首」鴻池大臣発言
 親が市中引き回しの上打ち首なら、事件を未然に防げなかった警察は打ち首獄門で、学校関係者は磔刑ってところですかね。クラスメイトは遠流、地元社会はみんなで剃髮の上出家、教育委員会と教育長はお家断絶で歴代文部相・文科相は閉門蟄居ってところが妥当か。
 厳罰化が必ずしも解決とはならないことは、かの「酒鬼薔薇」事件以降の少年法改正と少年犯罪の傾向を見てりゃわかる筈。法は厳しくなってるけど、犯罪は増えてるんだよ。つまり、少なくとも「厳罰化は少年犯罪を減らさない」。その程度のことがわかってないって時点でこの鴻池大臣の能力は知れますな。
 刑罰は、犯罪が割に合わないと思う程度に重ければ充分で、それ以上は、社会現象の問題になる。例えば、「殺人はその理由の如何を問わず全て死刑」という法律を作ったとしても、殺人が無くなるわけじゃない。「連座制度を適用し、親類縁者に至るまで死刑」にしたところで減りはしないだろう。つまり、ある一定値を超えてしまうと、抑止効果はない。
 私の見るところ、現在の少年法は充分に厳しいと思う。これ以上刑事罰年齢を引き下げても、大きな効果は得られないだろう。
 であれば、いかに未然に犯罪を防ぐか、ということに焦点を合わせねばならない。今回の事件に限って言えば、事前の二件を解決していれば……ということになる。

 大量破壊兵器はどこへ行った?との疑問に相変わらず答えない米国ですが、「それで世界が平和になったんだからいいじゃないか」とは凄い言い分だ。そういう結果論で物事を謀る連中とは、親しくお付き合いしたくないな。
 米国大統領の訴追と弾劾を求めたい。


2003年7月12日(土曜日)
 今週の総失点が44点ってのは、一体なんのスポーツだね? 勝率も5割切っちまったし……。
 はあ。
 来年はマトモなチーム編成になって欲しいなぁ。ついでにマトモなオーナーも欲しいな。

 入稿を明日に控えてまだ赤入れやっているの。
 通しで3回直してるのに、まだ誤字脱字があるってのもなぁ……。


2003年7月13日(日曜日)
 本日入稿セリ。
 疲れた。もう寝る……。
2003年7月14日(月曜日)
 極限状態で編輯作業なんぞやってると、ロクでもないミスをします。
 というわけで、今回の入稿で、表紙をミスりました。本体128pなので、当然紙の枚数は64枚です。背表紙の厚さは64枚+表紙の紙厚で計算しないといけません。なのになんで128枚で計算したかな>自分。
 こんなミスをやったのは初めてです(__; 印刷所の店頭で平謝りしましたですよ。完璧なデータ入稿がモットーなのに……。
 何のためにン十万もかけてDTP環境を整えているのかわかりゃしない。

 「サイバーテロ:総務省、研修センター創設へ 民間技術者養成」というニュースが流れてまして、そういえば経済産業省も「セキュリティ甲子園」とかぶち上げてたなぁと。
 まあ、言ってることはそれ程的外れじゃないとは思うのですが、方法論が正しいかどうかは疑問が残りますな。
 危機対処技能というものは、その実力を発揮せずに終わればそれが一番良いわけで、より上位の危機管理能力と対になります。そして危機管理能力が高ければ高いほど、危機対処能力は暇になり、一見なにも起きなくなるために、危機管理能力が発揮されているのかどうか分からなくなります。
 これをコンピュータではなく、火災に置き換えれば判り易いと思いますが、防火が危機管理、消火が危機対処です。防火が徹底されれば火災が起きにくくなるので、消火能力が暇になります。これがさらに進行すると、一体消防署は何の仕事をしているのか?と疑問に思われてきたりするわけです。
 特に予防的側面が強い危機管理については、見栄えのする派手な仕事をしているわけではないので、「本当にそれは必要なのか?」と問われた時に相手を説得するのがなかなか骨だったりします。アンチウィルスソフトのウィルス定義を更新したり、それでも追い付かないウィルスの情報を蒐集したり、ユーザが勝手にポートを開けてないが確認したり、トラフィックの流れを監視したりするのは極めて重要ですが、「それでどんな効果があるのか?」と言われると、それは防火防災と一緒で、起きなくていいことを起きないままにするわけだから、定量化できる何かがあるわけじゃない。気休めと違うのかと言われても反論のしようがなかったり。
「それ、やらなくなったらどうなるの?」
 と言われたことがありますが、私はこう答えましたとさ。
「何か起きるまでは大丈夫でしょう」
 火事が起きたときにボヤで済むか全焼するかの違いしかありませんが(!)、火事になるまで判らないものなのですよね、これが。
 つまり何が言いたいかというと、そういう技能や能力を有している人間をたとえ雇っていたとしても、経営者の側が物事を甘く考えていたりすると能力を十全に発揮することができないので、人を雇って金はかけたがセキュリティはザルだった、なんてお馬鹿な話になりかねません。
 重要なのは、経営責任者側の意識なんじゃないのかなーと思う次第。

 危機対処というと、先日の長崎の事件ですが、犯人の割り出しに街頭監視カメラが威力を発揮したことは記憶しておくべきでしょう。
 街頭カメラやら店内監視カメラやらに対してビッグブラザー的な批判をする向きもあるようですが、ネットワーク経由で個人情報を収集しているのとは些か趣を異にすると私は思っています。適切に使われている限り(その用途をきちんと把握できる限り)において、これが迅速な犯罪捜査に有用であることは間違いありません。ただでさえ「隣の人はなにする人ぞ」な都会暮らしをしていると、こういうシステムでもなかったら逆に困るだろうと思いますね。
 とりわけ、自分が犯罪に巻き込まれた時を考えれば。
 セキュリティなんぞ名目だけのデータ駄々漏れなホストとかにデータを置かれては堪りませんが、専用線で繋がったストレージに一定期間保存されるだけで、用途も犯罪捜査のみとかなら、私は許容範囲だと思っています。ただし、刑訴法の改正はした方が良いと思います


2003年7月15日(火曜日)
 「日本政治家のべっ視発言に批判」なんて報道があったりして、「石原慎太郎には政治家の資格がない!」と息巻いているフェミニストがゐるようですが、里見くん日記から丹念に裏取りをしたページがリンクされていました(続報続々報)。
 おーおー。こりゃすげーや。元の発言なんかアンドロメダ銀河の彼方だな。
 私自身は一次資料へのリンクをできるだけ張るようにしていますが、それは私にとっては当然極まりない話で、伝聞に伝聞が重なれば、事実無根の都市伝説など簡単にでき上がります。歴史学徒として、一次資料に当たることの重要性は骨の髓まで叩き込まれています。
 その結果がこの有り様なのですが、それはともかく。
 昔と違って今はネットワークで繋がったコンピュータ上に様々な情報が蓄積されており、こういった形で自宅に居ながらにして報道のウラが取れる素晴らしい時代になりました。一昔前だと、高い金払って契約したデータベースとかが調査の道具だったのですが、今やタダ同然です。ちょっとしたスキルがあれば、あれよあれよという間に情報が集まる時代で、サーチャーなんて仕事が無くなる日も遠くないのではないかと、かつてNHK書庫をうろうろしていた自分を思うと感慨深いものがあります。
 それだけ、情報で飯を食う商売の人間は、褌を締め直してかからないといかんわけですよ。阿呆な記事を書けば瞬時に火達磨にされる時代なわけですから、より価値の高い情報を提供し続けるための努力を怠ってはいかんと思うのですが……。

2003年7月16日(水曜日)
 てっきり新刊だと思って買ってきた文庫本が、単行本を改題したもので、しかも単行本持ってるし……。

 今日は小学館のサンデーコミックスの配本日だったので、絶対上京してきているだろうという強い予想の元に神保町のコミック高岡を覗くと、思った通りに竹居さんがいた。
 夕食をご一緒する。

 多分銃弾は飛び交っていないと思う漢字コード問題ですが、椅子や机は飛び交ってるよな。でもこれはバランス感覚の問題というより、責任を負うべき立場の人が政治決断を行わずにずるずると今日まで問題を放置してきたためであると私は思います。
 例えば、「漢字制限は国是である。常用漢字1,945字以外は使用すること一切罷りならん」という法律ができてしまえば、それはそれで一つの解決なわけですよ。ところが何故か常用漢字は「目安」であって強制力はそもそもないし、人名地名にいたっては制限があるやらないやらで、制限するなら制限する、統制するなら統制する、放置するなら手を付けない!というきちんとした政治的な姿勢が保たれなかったのが問題の元凶であって、高度経済成長も終わってから生まれた私が20代最後の夏をこんなわけわかんない仕事に費やさねばならないのは誰のせいなのかと、問うてみたいものだ。問題はその問うべき相手が不在なことなのだが(爆)


2003年7月17日(木曜日)
 昨日と同じように神保町に行ったら、昨日と同じように竹居さんと会い、昨日と同じように飯を食った。

 未読書の積み上がり方がやや危機的状況であるため、ここ一週間で頑張って10冊ばかり消化しました。で、今日8冊ばかり買ってきてしまったので……。
 どうして未読が減らないのかと真剣に考えたくなりますね。

 そうそう。来週の月曜日って、なんと祝日だったんですね。今日まで忘れていました(爆)。
 祝日といえば4月29日を「昭和の日」に、5月4日を「みどりの日」にする法案が委員会を通ったそーで。そんだったら11月3日を「明治の日」にしろよ、まず。
 んで11月23日は「新嘗祭」、敬老の日は「養老節」だな(笑)。

 あなたのところは大丈夫でしたか?


2003年7月18日(金曜日)
 さあ週末だ。
 心置きなく原稿に赤を入れよう(おい)。

 ジャイアンツ サヨナラ負けが 癖になり。


2003年7月19日(土曜日)
 午後。
 愛用三色ボールペン、ゼブラジェルスリーを握って竹居さんの原稿に朱を入れているところに、電話。
 じゅりちゃんだった。
 従妹の結婚式のために上京してきた彼が言うには、「神保町にはどうやって行ったらいいの?」。
 そう。彼もまた重症のR.O.D.なのだ。東京に来たら神保町と秋葉原に逝かずにはおれない末期患者なのだ。
 とりあえず、頭の中では“東京駅から大手町駅に移動して地下鉄半蔵門線に乗る”というルートが弾き出されたが、瞬時に却下された。理由は簡単。じゅりちゃんはこれまた筋金入りの方向音痴だから。なにしろ、東京駅の中で待ち合わせ場所を間違えたことがあるくらいだ。
 そこで、“中央線に乗って御茶ノ水で下り、一番進行方向側の出口(御茶ノ水橋口なのだが、そんなことを言っても彼には無駄である)から出て左折し、坂を下る”ように指示した。
 かくして神保町は、三連休の初日に時ならぬ怪獣の襲撃を受け、地獄の業火に包まれた。だがあれが最後のじゅりちゃんだったとは(以下省略)。

 朱入れが終わると、午後4時を回っていた。
 そう言えば今日は都心へ出る必要があったと思い出して、ついでに秋葉原でじゅりちゃんと落ち合って食事にした。虎の穴で、コミケカタログと攻殻機動隊1.5を確保。


2003年7月20日(日曜日)
 後輪のスポークが何本か折れてしまった自転車を修理に出す。後輪総取っ替え決定。はあ……。

 午後一時半頃から、駅前のデニーズ竹居さんと編集会議(?)。赤と青でぐっちょんぐっちょんにしてしまった原稿を捲りながらあれこれ相談。些か心苦しいながらも、正直に話す。

 夕方からは、溜まっていた雑誌を読み進める。よくよく考えると、文庫本は電車でも読めるが、B5版やA4版の雑誌はそういうわけにはいかないため、未読として積み上がり易いのだな。日付が新年号とかなっている雑誌を読むのはなかなかに辛いものが……(^^;


2003年7月21日(月曜日・海の日)
 NHKでアッテンボロー卿のドキュメンタリーを流していたので視聴。やはりSir David Attenboroughは良いな。

 そういえば日米修好150周年とかで、20th Black Ship FestivalNewport市で開催されていたそうな。
 ただ、ジョン・ダワーが展示に絡んでいたという話なので、尊敬する歴史学者ということもあり、興味があった。

 中国が100日以内に有人宇宙飛行をやると息巻いとります。日本は! 日本は!
 少し落ち着いて、そういえば「プラネテス」がアニメになるそうですね〜。アニメにしにくそーな内容なんですけど、どうすんだろ……。


2003年7月22日(火曜日)
 職場でこんな質問を受けました。
「當」という字を電話でどう説明するか?
 瞬間的には「当選の『当』の旧字」という説明が浮かんだんですが、略体ではない伝統字体の識字率の低下は近年想像を絶するものがあり、とても楽観できません。もっと確実な方法はないかと、しばし頭を捻りました。
 さて、「當」の字ですが、部首は「田」、旁は「尚」で、音は「トウ(タウ)」です。見ての通りの形声文字で、「尚」の部分が声符で、「田」が意符です。ですから、部首である「田」の部分を取り替えると「棠」「黨(党)」「堂」などとなります。音は異なりますが「賞」「裳」「掌」「嘗」などが同様の構造を持つことがわかると思います。こういう風に見ると、漢字、特に形声文字の構造性が非常によく分かって、覚えやすかったりするのですが、それはまた別の話。
 さて、ここまで来れば「『尚』の下に『田』」と伝えれば良いということが見えてきます。しかし下手に「尚」と伝えて、本当に厳格に「尚」の字を書かれても困りますので、ちょっと工夫しました。
「『党』の足を取って、『田』を書く」
 どんなもんでしょ。

 書店の店頭で『文藝年鑑 平成十五年版』が並んでいるのを見て、もうそんな季節か、と。4,200円ってのは流石に自腹切って買うのは厳しい値段だよな……。
 図書館に入っていればそれで良いというレベルの参考図書な上に、幸い北区立図書館は新旧一揃いあるようなので、必要だったら図書館まで行けばいいや。
 高いといえば世の中には更に高価なこんなのもあったりします。でも著作権法を語る時には必携なんだよな、これがまた……。
 「逐条講義」は検索参照の利便のためにCD-ROM版も欲しいと前々から思っているのだが、そーゆー予定とかないのだろうか。


2003年7月23日(水曜日)
 「民間刑務所:PFI方式で1000人規模の刑務所建設 法務省という報道を見て、来るべきものが来たな、と。というか、これ以外に早急に打てる手が思い付かないというくらい、状況は切迫しているんですよ。
 次は探偵が警察の下請けでも始めるってところですかね。

 イラク特措法関連の審議、見ててかなり辛い。
 自衛隊……名称はなんでもいいけど要するに武装組織を送らなきゃいけないような場所だから自衛隊を送ろうって話なんであって、これは唯の災害派遣じゃない。武装してないととてもじゃないけど身の安全を保てないような所が派遣先で、武器があっても恐らく完璧じゃない。自衛隊はこれまでも、「次こそ犠牲者が出るんじゃないか」という緊張感の中で派遣を続けてきたけれど、政治が「イラクは安全なのか?」「安全かどうか分からない」とか言っているようでは問題だと思う。
 政治家は、「犠牲は出ないに越したことはないが、出るかも知れない。そういう場所だからこそ自衛隊を送るのだ」という事実を公言すべきだし、国民も自覚すべきだ。その上で日本の国際貢献が如何にあるべきかを問い直すべきだろう。
 私は「それでも派遣すべきところには派遣する」という答えが出ることを望む。(人の命がかかってるんだから、とにかくもっと真剣に議論してくれと言いたい)

 土曜日、BTRON Club欠席します>関係各位


2003年7月24日(木曜日)
 ここ数週間というもの、付箋の消費が異様に多いため、補充のため文具店へ赴いた。
 これまでは漫然と適当に店先に並んでいるものを買っていたのですが、これほど短期間に大量消費すると、流石に好みというのも大分固まってきます。
 私の場合、付箋に直接書き込みを入れることは少なく、主として朱筆や指定を入れたところに挟む栞に近い役割を期待しています。ですから、材質も紙である必然性も特にはありません。
 そこで選んだのが住友スリーエム680DHです。詰め替え用もあって、色々と勝手が利きます。
 問題は、品が店に置いてなくて、客注をかけることになったことです……。
 こだわりが人生を豊かにするという言葉を聞いたことがあるのですが、どうも私の場合は豊かになるより別の問題が浮上することが多いように感じます。

 茅田砂胡の新刊を入手して即読了。ついでに「風光る」とか「苺ましまろ」の新刊なんぞも入手はした。
 とっとと読みたいのだが、しかし今朝から熱っぽくて風邪気味なんだよね、実は……。


2003年7月25日(金曜日)
 あかん……大分意識が朦朧としてきてる。
 連日3時間睡眠では流石にキツい〜。
 なんでそんなにへろへろになってまで他人の原稿の赤入れなんぞやってるのか、時々自分でも不思議に思うが……でもまあ、自分の原稿を自分で直すのよりは、よっぽどやりがいがあるよ。

 今日の「坂村健独演会」は、いちおー仕事の名目で行ってきた。2時半開場と聞いていたので、2時半少し前に到着してみたら行列ができていた。しかももう入場が始まってたし。
 会場内には、いそうな人は大抵いましたね。正面の特等席はTRON者どもで占められていましたよ。
 とりあえず興味深かったというかさもありなんと思ったのは、「優秀なビジネスモデルほど、二番煎じはできない」というフレーズかな。あと「デファクトスタンダードは先に動かないと駄目」か。
 どっちもその通りなのだけれども、それを理解していても、なかなか行動することはできないものです。


2003年7月26日(土曜日)
 Kinko'sで出力した紙束を担いでえいさほいさ東京を移動した土曜日。
 電車に乗って席に座るともうそこは睡眠時間……。

2003年7月27日(日曜日)
 久しぶりにたっぷり寝て起きる。

 起きた後はひたすら原稿の校正。付箋がどんどん消費される。
 午後三時過ぎに、一応終了を見る。
 五時から上野にて、竹居さんに校正稿を渡す。そのまま確認作業が三時間。
 自宅に戻る前にスーパーによると、「土用の丑の日」という謳い文句が翻っていて、ふらふらと中国産鰻の蒲焼きを買ってきてしまう。
 鰻の大漁虐殺の片棒を担いだと思うと心苦しいが、私が買う買わないに拘らずこの鰻は既に調理済みである訳なので、合掌して味わうことにした。

 そういえば先日、三重にある水産総合研究センター養殖研究所で、世界で初めてシラスウナギの人工生産に成功したという報道があった。
 鰻は、日本人が非常に好む魚であるが、その生態についてはよく分かっていない。既存の養殖鰻は、鰻を卵から孵すのではなく、シラスウナギを捕獲し、成魚の鰻にまで育てていたわけなのだが、世界を股にかけた濫獲(もちろん平賀源内のせいであるによって水産資源としての減少が問題になりつつあった。
 もちろん現在は、卵からシラスウナギになるまで2年近くかかるという気の長い話であり、すぐさま完全養殖鰻がご家庭の食卓に上がるわけではないが、これまで不可能であった卵からの完全養殖が「不可能ではない」ことを明らかにしたことは大きい。
 人間というやつは、「不可能ではない」ことが立証された物については、それはもうもの凄いばかり熱意で実用化に邁進するものであるからだ……。

 その昔1901年のことですが、Simon Newcomb氏は「人間を積んで飛べるような飛行機械なんぞ作れねぇよ」と宣いました。が、なんのことはない、その2年後、1903年にライト兄弟がノースカロライナ州キティホークで動力飛行を成功させてしまうわけです
 かくして動力飛行機が空を飛ぶことが立証された……わけですが、よくよく考えてみると、その後の航空史にライト兄弟の名前は出てきません。
 実を言うと、現在世界の空を飛んでいる飛行機はライト兄弟の造ったライトフライヤーの技術的系譜には連なっていません。発動機を積んだ飛行機が空を飛べることさえ分かってしまえば、なにもライトフライヤーの真似をする必然性もなく、それこそ雨後の筍のように世界各地で動力飛行機が空を飛び始めます。様々な試行錯誤の果て、フランスのファルマンIIIとブレリオXIが登場するのが1909年(ちなみにブレリオの設計はレイモン・ソルニエ)。ファルマンIIIとブレリオXIは絵や写真を見れば分かりますが、主翼と直交する細い胴体、垂直尾翼に水平尾翼という、正に私たちの知る「飛行機」の姿をしています
 ライト兄弟は後に特許裁判に巻き込まれたこともあり、航空業界から消えてゆき、彼らの技術はいわば技術史上連続性のない遺物となってしまったのでした……。彼らは「動力飛行機を発明した」とは言われるものの、「航空業界の祖」でもなければ「飛行機の生みの親」でもないのです。
 不可能に挑戦し、打ち勝った者が必ずしも勝者にはならないと言うお話。


2003年7月28日(月曜日)
 きさらちゃんに負けてはならぬと、「茄子 アンダルシアの夏」を観てきました。
 恐らく最初で最後の自転車アニメという話ですが、確かにそうかも。だってねぇ……自転車の群れって、どう考えても動画泣かせぢゃん……。
 それはともかく、映画はとても面白うございました。
 人生の全てがレースのスパートに收束していく描き方には、スポーツもの特有の熱さを感じました。

 「中村正三郎のホットコーナー」に懐かしいぐりちゃんの名前が。
 ネタは7月19日の朝日新聞土曜版「be」の連載の内容がデタラメだというタレコミ。
 ……。
 うーん。
 私もHTMLをテキストエディタで書いてる口なんですけど、それなりに「正確な」HTMLを書こうと努力はしています。そういう「正確な」話を全部拔きにしてああいう書き方は、些か問題かなと。なにもW3CのDTDを引用しろというのではなくて、記事を見る限り記者が「正確な」HTMLの書き方を知った上で書いているのではなさそうだというところが問題。
 読者に伝えることを正確に知らない記者が書いた記事なんて、ねえ……。


2003年7月29日(火曜日)
 気がつくと、ここ三日ほどで注文した書籍の金額がン万円。
 だってしょうがないじゃないか! 「幕末軍艦咸臨丸」の復刻初版・箱付きとか言われたら買っちゃうだろ、普通! な!?

 昨年刊行されていた「日本のユダヤ人政策 1931-1945 外交史料館文書「ユダヤ人問題」からという本を見つけて鬱になる。それはもう、物凄く。
 ああ……俺の卒論と同じテーマ……。付録の史料なんて殆どコピー持ってるし……。
 涙しか出ねぇよ……。
 あの時道を踏み外してさえいなければ……
 いつか研究を再開しようと思いつつ、早六年か……。
 一体私はいつ歴史学の道に戻れるんだ?

 暫く鬱だな。

 遠藤響子の新譜がSACDとは……。プレイヤ揃えてヘッドホン買って……うきゅう(滅)。


2003年7月30日(水曜日)
 クレヨン社活動再開というニュースが飛び込んできて、鬱は一日で終わりました(爆)。
 まだ何も決まってないというのに、うきうき状態で仕事してるし。

 夜、神保町で竹居さんと邂逅。
 別に示し合わせているわけでもないというのに、よくまあこれほど都合よく出会えるものだ。大戸屋で食事をしながら打合せ。漸く……ってところかな。あと2回くらい校正すれば……。

 一番廉いSACDプレイヤはONKYODV-SP155(S)もしくはDV-SP205(S)かぁ……。それでも今狙ってる自転車買えるくらいの値段やで。
 うーん、うーん。


2003年7月31日(木曜日)
 一日に1.5〜2冊ペースで本を読む。とにかく読む。読まないと積まれてしまう。一度積んでしまうとFILOなんで、続きを読むのがいつになるか分かりゃしない。

リコー、帯広市役所の戸籍関連データを紛失
 うわ……キツ。
 あーでも、リコーこういう製品を出してたのはこれのためだったんだな。一つ納得。

 本日の精神疲労。
 グライダーの父・オットー・リリエンタールの墓碑銘。
「犠牲は払われなければならない」
 ……。
 死んぢゃえよ。(死んでるけど)