哀愁日記
底に哀はあるの。

西紀1999年5月分

Caution!
このページはあくまで小熊善之個人の責任において製作されており、坂村健先生及びTRONプロジェクトは関与しておりません。
また、守秘義務の関係上、伏せ字が多くなっています。伏せ字の中身を御推測なさるのは結構ですが、あてずっぽうの内容を他者に広めて誤解を拡大再生産することだけはないようお願いいたします。

目次 | 前月 | 初日 | 末日 | 翌月

1999年5月2日(日曜日)
 5月1日から同人誌の編輯に没頭する。その様子を端的に表現すると、こうなる。
  • 午前2時 Jリゲインを飲む
  • 午前4時 リゲインを飲む
  • 午前6時 リゲイン48を飲む
 そういうわけで、Million Means vol.10は出来上がった。
1999年5月3日(月曜日)
 憲法記念日。護憲派と改憲派が仲良く気勢を上げる日であり、日本国憲法がいかにないがしろにされているかについて深く考察し、また世界に目を向け、アメリカ合州国憲法では、軍隊が二年を年限に編成される臨時組織であるという事実に深く敬意を表する。
 二日間の疲れを癒すべく、寢る。と書きたいところであったが、サンマリノGPを見ているあいだに終わらせるつもりだった製本作業が明け方まで食い込んでしまった関係上、結局徹夜明けで眠ることに。
 起きた後、意味記述に対して考察を深める。

 はっきり言って、あまり気乗りがしない。
 例えば、数値を例にとって見よう。
 「5km」と「5000m」は数量として等価である。しかしその数字表現は異なる。意味記述上ではこの二者は等しいものと扱えなければいけない。となると、「数値」と「数字表現」を分けて処理しなければならないということだ。数値と対応する数字表現(の変換辞書)を保持し、表示に際して処理を行わなければならないと言うことだ。
 考えただけで面倒臭い。
 もっとも、表計算ソフトがまさにこのために存在しているわけだから、そういうものは表計算ソフトに任せればいいじゃないかとか思ってしまう。
 しかし表計算ソフトやデータベースなどのデータが相互に融通できなければアプリケーション異存型のデータとなってしまい、TADの理念に反するというのも理解できる主張だ。

 これって、どこかで堂々巡りしているような気がするよ……。
 やっぱTACL万能論なのかなぁ、行き着く先は。どう思う?>その筋の人


1999年5月4日(火曜日)
 国民の休日。三連休を狙って祝日化するのは悪いことではないのだが、もうちょっとネーミングに頭を捻って欲しかった。
 徹夜明けでコミティアへ出かける。コミティアではGodSpeedのてつまさんと長話したりする。
 帰りに秋葉原によってCD-ROMドライブを搜す。雨が降っていたために露店がなく、ちゃんとした買い物ができなかった。最終的には約7,000円で32倍速を手に入れる。これでRWメディアが読めるドライブが二つになって、使い道の無かったRWに使い道ができてくる。
 秋葉から帰ろうとしたときに、平衡感覚が失調をきたす。立ち止まっているのに、風景が回っている。連日連夜の徹夜作業が、知らず知らずの裡に体を蝕んでいたようだ。ふらふらしながら東京駅から高速バスに乗ってつくばへ帰る。
 観たい番組が二つばかりあったが、エアチェックは無理と判斷。ビデオタイマーをかけてから寢る。
1999年5月5日(水曜日)
 子供の日。端午の節句という名前ではどうしていけないのだろうかとふと考えてしまった。
 映画の日なのだが、映画を見に行くことはなかった。観たい映画はいくつかあるのだが、映画館が遠い。つくばの映画館は売れ筋の映画しか放映しないし、土浦へ行けば駐車場代が馬鹿にならない。
 これまで使ってたTRiSAN(鳥取三洋)のCD-ROMを糸野くんに売り飛ばす。
 18時からのTBSの特集をずっと見ていて、感動する。こういう番組にTRONが取り上げられるようにならないといけないよな。
1999年5月6日(木曜日)
 数日前から続いている微熱に加えて、喉の痛み、関節の痛みが加わる。これって風邪じゃん?
 夕方、指導教官の研究室に出向いて修論についての話し合いをする。かなり深刻な話だった。なにしろ、時間のなさに関しては折り紙付きである。
 「紙の上の」研究題目から始まって、徐々に現在TRONで関っている部分との関連を考えたものに近付いていく。最終的に「キャラクターコード」+「グリフセレクタ」で一文字を表示するシステムを作る方向で固まりかけた。
 なんか、これって、今度のBTRON Clubの発表と重なっているなぁ……。
1999年5月7日(金曜日)
 このページ、最近TRONと関係のないことが多い。しかし迂闊に書くと、本当に洒落にならないらしいので、多少愼重にもなる。
 前から調子が悪かったディスプレイを修理に出す。こいつはNEC製でテレビ兼用。よって現在うちにはテレビがない。しかしビデオデッキのチューナとアップスキャンコンバータとディスプレイの組み合わせでテレビは見れる。こういうのを、諺でなんと言ったっけ?
 明日はBTRON Club。発表のための追加資料をテラペンに焼く。ちなみにテラペンとはOHPの透明シートのことである。一体何語なのだろう?
 そういえば坂村先生が「BTRON Clubより前に打ち合わせしよう」とか言っていたはずだが、これも実現せずに終わる。ま、いつものことである……。このページにTRONの最新情報のリークを求めている人達に、こういうセキララなシンジツがどのように受け止められているのか、興味深い。
1999年5月8日(土曜日)
 睡眠2時間×2で上京。BTRON Club。とても面白い内容だった。私の発表も、先生にインパクトを与えたようだ。
 BTRON Clubが明けた後、行き着けのつぼ八が開くまで駅裏でたむろってたのだが、きゅりあんから流れてくるBGMに合わせて踊りだしたDDRジャンキーが二人。両方とも[ピー]MC関係者だった。それでいいのか?>[ピー]MC?
 つぼ八での第2BTRON Club(笑)が終わると、更に一部メンバーがコーヒーを飲みに。怪しい話や裏話などが噴出する。
 そしていつもの人間が最期まで残り、徹夜カラオケに突入する。
 JOY SOUNDは最近落ち目なのだろうか。メジャーな曲の中でも拔けが目立つ。
1999年5月9日(日曜日)
 徹夜カラオケから午前8時に帰ってくる。寢る。10時に起きる。
 日中は色々あって何もできなかった。
 夜になって、昨日のBTRON Clubのフォローアップのため、タイ語の文字コード資料を漁る。タイ語もそうなのだが、構造を持つ文字の文字コードは難しい。構造表記と文字の表示を切り離さないと、ちゃんとした処理はできない。そのためにTRONでは「四層構造」を提言しているわけだ。
 この辺は基礎中の基礎だが。
 調べて分かったのだが、タイ語の文字コードって、メジャー所で五種類くらいあるようだ。どうなってんだか……。
1999年5月10日(月曜日)
 とにかく寢る。8時間の睡眠を取った。
 昼間はビデオを見て過ごす。先週レンタルしてきたビデオの返却期限が迫っている。ちなみに『地上(ここ)より永遠(とわ)に』とか『俺たちに明日はない』とか。
 夕刻、坂村先生からメールが来ていた。タイ語の文字コードの件で、もっと詳しいことが分からないか?と。
 かくして大学に出かけてひたすらタイ語の資料をネット上で搜しまくる。
 しかし、タイ語の素養が全然ないため、やはり大枠を摑むあたりで挫折する。英語の論文を数個発見して読むが、その程度の理解で終わってしまう。
 しかし問題を持っているのは確かなようだ。誰かタイ語が分かる人をプレスギャングせねばなるまい。

 しかしデヴァナガリ文字といいタイ文字といいラオ文字といいチベット文字といいビルマ文字といい、古代インドを源流に持つ結合文字の処理の難しさには、実際の開発をしているわけではないというのに、げんなりとしてしまう。同じ構造文字にしても、ハングルの方がまだしも楽だ。
 もしタイムマシンがあったなら、古代インドのバラモン僧を皆殺しにしてしまっていたかもしれない。


1999年5月11日(火曜日)
 Web Pageのアクセスログをチェック、とんでもないことに。ログファイルのサイズが1.7MBってなんだよそれ。BLACKページが出来てからというもの、異様にアクセスが増えている。
 アラビア語版Windowsのローカル仕様は、GUIパーツが全部左右反転しているという話を聞いた。やはりか。そうじゃないかとは思っていたのだが。
 多言語処理を考えていくと、その問題は避けて通れない話題だ。例えばBTRONがこのまま多言語化したとする。実身名がアラビア語だったら、ピクトグラムは仮身のどちら側にあるべきか。ウィンドウを開いた時はどうするのか? メニューのカスケード方向は? そもそも「右側が正」というTRON作法は?
 モンゴル語や満州語ではどうなるのか? そいつらと多言語共存した時に「望ましい」GUIとはどういうものなのか(想像もつかん)
 昔越塚先生がGUIインタプリタとか言っていたような記憶がある。いよいよか?
 明日はゼミ。
1999年5月12日(水曜日)
 Studio Ex-BBSにも書いてあったけど、落合さんと最近メールを頻繁にやり取りしている。最初はXMLのことだったのだが、最近は文字コードに移りつつある。
 文字コード問題の難しさは、問題そのものの難しさもあるが、なによりちゃんとした文献や論文が、全くないわけではないが、極めて少なく、またあったとしても入手しにくいものだったりするためだ。結局は多言語を考えるものは多言語と接せねばならず、深い知見を得ようとするならば深入りしていくしかない。そしてこの道は底無しの泥沼に続いている。
 考えてみると、私自身、文字メディアよりも直接色んな人と会って話をして得た知識が多い。特に早稲田(現・大谷大学)の片岡先生に本当に沢山のことを直に教えてもらえたのは僥倖だった。
 しかし私は文字コードの専門家ではない。あくまで身を持ち崩した歴史学徒だ。諸先生をさておいて私ごときが多言語について語るべきではないだろう。
 ……。
 しかし私の修論はどうやら文字コード、それもグリフセレクタ関連になりそうだ。つまり、「やってはいけない」ことに手を出すことになるってわけだ。
1999年5月13日(木曜日)
 学校の書籍部から連絡があって、連休前に注文した本が入荷したことを伝えられる。欧文組版の本で、2冊で1万円を越えた。……需要と供給が価格を定める冷酷なる資本主義の原則を体感することになる。
 このテのタイポグラフィ関連の本というのは、どういうわけか宗教的潔癖さによって成立していることが多いので、その内容はあたかも戒律であるかのようである。そしてもうひとつ。悪貨は良貨を駆逐するのだということを如実に表してもいる。
 誰だって細々とした戒律に縛られた清い生活よりも、安穏と自墮落お気楽に暮らしたいに決まっている(爆)。
 これはきっとTRONにもあてはまるのだろうが、さて、その目標の気高さをどこまで維持しながら普及のために妥協するか。難しいところだ。いっそのこと、本当に宗教法人になったほうがいいのか?
1999年5月14日(金曜日)
 とりあえず、昨日の本を全部読み切る。ローマン体の見分けかたまで身に着けてしまった。ちなみに明朝体なら六種類くらい識別できる。こんな特殊技能を身に付けて何になると?
 午前中大学で過ごし、午後東京へ出かける。タイ語の資料を封筒に詰め、東京大学総合研究博物館内の坂村先生のオフィスの扉の前に置いて逃げる。文字通り遁走である。
 その後は気楽に秋葉原でお買い物。廉いCD-Rを搜すが、以前はあった10枚980円が姿を消してしまい、結局つくばとあまり変わらない値段で買うことになる。

 夕方には新宿へ出向き、アニメ映画を二本梯子する。『逮捕しちゃうぞ the Movie』と『天地無用 in LOVE2』。
 『逮捕〜』の方は一応値段分の価値はあったと思うが、複線の張りかたが稚拙で、同じ材料でもっとよい映画が造れたはずだと感じた。同じような材料で、『パトレイバー2』の方がきちんと料理されているのと比べたからかもしれない。しかし私は『パト2』は一度しか見れなかった。冒頭の密林戦のシーンが、私にはちょっと重過ぎた。悪夢に見るほどに……。
 『天地〜』の方は、「金返せ!」だった。テレビ放映を意識したフレーミングにも腹が立ったし、よくも悪くも「筋書き通り」の展開にも呆れ返った。大体『天地無用』のシリーズといえば、私が一番気に入っている初代OVAが未だに完結してなかったりするわけで、テレビシリーズだなんだとメディアミックスの名の元にハイエナ商法で食い潰される良質の作品を悲しく思っていたりする。エルハザードだって、最初のOVAのまとまりの良さを思うと……。

 つくばに帰ってくると、また新たなる文字コード関係の電子メールが。今度は多言語処理だぁ? オブザーバだぁ?(いつから俺ってそんな重要人物になったんだ?)


1999年5月15日(土曜日)
 アメリカでは『STAR WARS Episode I』の公開を控え、映画館の前に徹夜行列が出来ているという。羽根があれば飛んでいきたいものだ(爆)。
 午前中一杯寢過ごし、午後になって学校へ行き、メールを出す。最近疲れているっちゅーより、なんか消耗してるカンジ。
 修理に出していたモニターが返ってきて、お金を取られる。そしてまた配線し直す。しかし電力線から始まって、同軸アンテナ、映像、音声、デジタル音声光ケーブル、RGB、パラレル、シリアル、SCSI、電話線にキーボード&マウスと、ありとあらゆるケーブルがのたうちまわっている。
 そういえば昔、知り合いの女の子のPCの面倒を見た時に、お店で並んだケーブルから無造作に必要なケーブルを選んで取ったら「なんでわかるの?」とか不思議な顏されたっけ。最近、確かに自分がおかしいのだとわかるようになった。

1999年5月16日(日曜日)
 F1の予選を見ながらWindowsのMediaPlayerをいじり倒しているあいだに朝を迎える。不毛だ。
 そういえば実時間TADはどうなっているのだろうか。個人的な意見だが、実時間TADと現在のTADはある程度切り離して考えた方が良いように思う。現在のTADはPDLであるうえに、必ず頭からシーケンシャルに読み込まなければならない。そういう仕様のところに巨大なサイズの音声やら動画やらをぶち込むのはあまり気乗りがしない。
 ここはファイルシステムのマルチレコードを活かしたやりかたをして欲しいものだ。仮身みたいな取り扱いかたがいいな。

1999年5月17日(月曜日)
 [ピー]MCから文字コード勉強会へのお誘いが届く。日本ペンクラブ秦さんが書いていた奴だ。坂村先生に「私も見学させて」とお願いしていたのだが、吉目木さんの方からお話が行ったようだ。
 有り難いことだが、ふと気になることが一つ。
 見学だけで終わるんだろうか。
1999年5月18日(火曜日)
 国際情報化協力センターから多言語情報処理の報告書が送られてきた。総重量3kgなり。今日は流石に明日のゼミのことで手一杯となってしまっているため、翌日以降に持ち越すことにする。
 しかしまあ、あちこちで似たような研究をしているものだ。ときどき思うのだが、相互協力とか成果の融通とか、やらんとあかんことが結構あるのではないだろうか。電子化要求って、こういう所から始まるんとちゃうんか。

1999年5月19日(水曜日) Part1
 徹夜明け。天気は悪く、小雨がぱらついている。予報によればこの後崩れ、大荒れになるという。
 ひたすらゼミのレジュメを作って徹夜するなんて、一体何ヶ月ぶりだろう(おいおい)。副業大学院生などと呼ばれるわけである。丁度いいことにNIFTYが定期メンテしていたお陰で、メールチェックもせず(注:大学からも.forwardしている)、ひたすら思考回路を空回りさせていれば良かった。
 しかし本当に空回りしていたので、全然シャレにならん。

 先週のアクセスログをチェックしてみた。このページへのアクセスは延べ138件。まあ、回線問屋からのアクセスが多いのは当然として、東北大を筆頭に大学が多いのもわかる。まあPMCからのアクセスが多いのも許そう。HITACHIはあの人だろうし。
 しかし到底このページとは関係なさそうな会社からもアクセスがあるというのは、不思議なことだ。社内の個人が見ているんだろうけど……就業中は見つからないようにしましょうね(笑)。


1999年5月19日(水曜日) Part2
 ゼミが終わると雨は上がっていた。雲量は10だから、夜空は見えなかったけど。折角月がない夜なのだから、星空が見たかった。
 3kgの資料を読むが、どっかで見知った文章が……って、片岡先生じゃん。うむぅ。片岡イズムが全編通じて漂う報告書だぜ。
 スケジュールを確認してみたら、明日はTRON-GUIだったらしい。すっかり忘れていた。

 今日はアメリカでのSTAR WARSの公開日。


1999年5月20日(木曜日)
 4時間睡眠で起きるつもりが、2時間寢過ごしてしまう。結果、TRON-GUIに30分ばかり遅刻することになってしまった。
 今回のお題はディスプレイプリミティブだった。個人的な興味は専ら文字表示周りに集中する。当たり前だが。文字コードはTRON Codeに限定しないというのは妥当な撰択だろう。大体、BTRON GUIのμ版として考えているものなのだから。はっきり言えば、最少セットには文字表示なんぞ要らないんじゃないかと密かに考えているが、その辺りは今後メーリングリストで議論されることになるだろう。
 本格的多言語環境なんか限定環境で作れたもんじゃないしな。

 TRON-GUIが終わった後、同じ会場でBTRON普及委員会(?)が坂村研[ピー]MCと[ピー]ネットとTRON協会とであった。らしい。というのも、私は同席しなかったから。そのあと私が博物館の頭蓋骨に嚙り付いている間に追い付かれて、その後喫茶店へ。
 BTRONの中国への普及活動を考えているようだが、思うに軍事方面から働きかけた方がいいんじゃないだろうか? 巡洋艦ヨークタウンの件ではないが、軍用コンピュータにもPCは隨分と普及しているが、OSを米国の一企業に握られているというのは、どう考えても良くない。BTRONは仕様がフリーなのだから、仕様の普及を考えるなら、考慮すべき方策だと私は思う。
 問題点があるとするなら、それではB-rigt/Vの普及には繫がらないということだが(それが一番問題か)

 夜は東京シューレの学生ゼミに参加。先月のゼミを日付ミスで逃していたので、実に3ヶ月ぶりということになってしまった。
 普段わけのわからん魑魅魍魎の跋扈する電脳世界を相手にしているだけに、顏の見える人間を相手にすると心が休まる(病的だな)
 福祉関係の専門学校へと進学した知り合いにTRONイネーブルウェア研究会のことを教えてあげたら、隨分興味を持ったようだった。資料を送ってあげる約束をする。
 明日は燃えるゴミの日。


1999年5月21日(金曜日)
 14時半起床。ちなみに寢たのは9時。徹夜して朝天気が良かったので洗濯してから寢るという健康的な生活。お陰で午前中の予定をすっかり忘れていた(核爆)
 床屋へ行って髮を切ったり、学校へ行ってイネ研の資料をコピーして郵便局から発送したり、DIYショップへ行って板とパイプを買ってきてモニターの上にプリンタを置くための台を作ったりした。
 しかし人間体で覚えたことはなかなか拔けないものだね。久しぶりに鉋を出して、当然刃は引っ込めてある訳だけど、玄翁でコンコン刃出しして……。趣味の日曜大工としては上出来なんじゃないかな。
 夜になって、溜まっていたメールの返事をがんがん書いて出す。
 明日は文字コードの勉強会。93年以来のPMC行き。6年振りらしい。
1999年5月22日(土曜日)
 8時には起きだして、スーツを着込む。平服でも良いかなとは思ったのだが、半分出勤みたいなもんだからとネクタイを絞める。
 一旦学校へ行ってメールをチェックしてから、11時につくばセンターへ。……高速バス乗り場には行列が出来ていた。おいおい。つくばを出る時には11時40分になっていた。それでもまだ渋滞にさえ捉まらなければ……と思っていたが、首都高に入った途端、八潮で渋滞に引っ掛かる。もう駄目だな。
 途中PMCのS谷さんに電話を入れて、事前に出社することができそうにないことを告げる。結局PMCに辿り着いたのは14時5分前だった。余裕で3時間かかるんだもんなぁ……。

 今日の勉強会は、日本ペンクラブと日本文藝家協会の共同のもので、何かと技術色の強い文字コード問題への理解を深めるのが目的だった……んだと思う。秦さんや吉目木さんがいらっしゃっていた。中沢さんも遅れてやってきた。
 勉強会はPMCのS谷さんの解説で肅々と進む。途中質疑応答があって、私も少し口を出した。本当に分かりやすい説明だった。欲を言えばもう少し技術的な解説(あるいはパンフレット)があると良かったかも知れない。
 もっとも、文筆家の方が文字コードのアーキテクチャに精通している必要はないのだが……。
 いろいろ聞いていると、文筆家の方々と技術畑の方々とでは、バランスの欠いた話し合いになるということのようだった。むべなるかな、ってとこではある。アーキテクトで人文科学が分かる人は殆どいないだろうし、逆に人文科学の徒で文字コードならともかく、アーキテクトまで語れる人もいないだろう。だからこそ片岡先生のような異能者は得難い存在なのだ。坂村先生も話の分かる人だが、本質的なところでやはり技術者なのだと、時折感じることがある。

 TRONWAERのvol.57をお土産に貰って来る。もう一つ、個人的なお土産を貰ってきた。Thanx>πちゃん


1999年5月23日(日曜日)
 今日は休養日、と決めて、家に閉じこもる。撮り溜めしてあったビデオなんか消費して、終日自墮落に暮らす。
 しかし途中で、隨分前から気に掛かけていた、Windowsのアイコンが化ける症状を直そうとしはじめてしまい、延々と馬鹿みたいにWindowsをいじることになってしまった。最終的には、windowsのシステムディレクトリにあるShellIconCacheを吹っ飛ばすことによって解決を見る。
 明日は文字コード標準体系検討委員会。
1999年5月24日(月曜日)
 東京タワーの向かい、機械振興会館での文字コード会議の第6回。この会議は第3回から確か参加しているはずだが、一進一退というか三歩進んで二歩下がるというか、とかく会議が踊りぎみなのが特徴だろうか。坂村先生は既に出席を拒否しており「あとでレポート書いて」と私に言いつけるのみである(爆)
 今回の議題が何なのか、結局案内が来ないまま顏を出したのだが、どうやらこれまでの議論のまとめらしい。これまで何度も見た内容が繰り返される。枝番方式だとか異体字コードだとか登録外字だとか。
 この会議はあくまでISO 10646の枠組みの中で議論する会議だ。主催者側は「そうじゃない。文字コード全般のアーキテクチャを……」とか言っているが、残念ながらその主張に説得力はない。その上漢字の専門家やら文筆家やらを集めてしまった辺りで、もはや漢字コード以外の話題をメインストリームにするは絶望的だ。
 今回の議論を聞いていて、私が唯一発言した内容は、以下のようなものだった。

「漢字を用度に応じてレベル分けするのも切り替えにするのも結構だが、それではISO 2022への反省に立って作られたはずのISO 10646が再びISO 2022のような切り替えコードになってしまい、またその切り替え機構をどこもサポートしないで終わってしまうということになりかねない」

 いやはや、一般参加者のくせに態度がでかいものだ、我ながら(苦笑)
 結局決めなければいけないのはどの漢字にコードを振るかとか、BMPの中にぶち込みたいだとかそういう話ではなくて、多言語環境を構築しうるインプリメントモデルを確立し(POSIXじゃないけど)一つの環境として規格を造り、その実裝を推進することではなかろうか?

 あと、とりわけ漢字については、帰りのタクシーをご一緒させて頂いた今昔文字鏡の古家さんとの話が最も有益だった。
 はっきり言うが、この会議における漢字の議論は全て机上の空論なのだ。全く用例調査の無かった20年前ならともかく、現在今昔文字鏡などの努力によって、漢字が何文字あるのかという問題については、大体の上限が見えつつある。百万字規模のコードポイントエリアを持つISO 10646などならば、全部の異体字にコードポイントを振っても、まだ余るだろう。
 また、線引き問題にしても「線引きの結果選定される漢字はどれだ」と明快に提示できない。これは「漢字は一体どのくらいあるのか」という基礎情報が欠落しているためであり、議論をするべき土台がまずないということになってしまっている。だから抽象論がまかり通る。
 まずやるべきことは、「国際漢字機構」のような組織を作って、とにかく漢字を同定してはアイデンティファイアを付与することである。それを特定の文字セットに含めるかどうかは、次の問題だ。そういう機構によってIDを付与しておけば、文字セット間のコンバートなどのリファレンスとなりうる。
 そういう議論をするための基礎固めをきちっとしていないことに関して、私は危機感を抱く。


1999年5月25日(火曜日)
 BTRON3仕様書の公開が最大の話題か? まだしっかりとは読んでいないのだが、TAD仕様書のバグは少し修正されているようだ。でもTADバージョンがきちっと書いてない。これじゃ仕様書としては失格だぞ!
 今日は昨日の報告をちまちまと書いた。その後勢いで、アクセスログを整理するgawkスクリプトを作ってしまった。夜になって、国際情報化協力センターの報告書を読んだりして過ごす。
 いいこと書いてあるねぇ……。
1999年5月26日(水曜日)
 ガイドライン関連法成立を記念して、『突撃』と『西部戦線異常なし』をビデオで見る。どちらも戦争というか軍隊というか、そういった世界の異常さと不条理さを描いた作品。ただ、言っておくと、現代戦においては前線と後方の区別は基本的になくなっているので、所属国家が戦争状態に突入するということは、すなわち日常が戦場になることであり、生活が全て戦争一色に塗り潰されるということだ。後悔した時には既に戦争に巻き込まれているというわけだ(後悔する暇もないかもね)
 戦争がいかに馬鹿馬鹿しい原因で起こるかというのを痛切に描いたのが『博士の異常な愛情(Dr. Strangelove)』と『セカンド・インパクト(Second Civil War)』だろうか。
 今週末には、NHK放送技術研究所一般公開がある。毎年出かけているが、今年も行く予定。図書館情報大学の学生が言うのもなんだが、どうして図書館では放送電波の記録をしていないのだろうか? 10年前の新聞で番組欄を見ることができるが、実際にどういう放送がされたのか確認する術はない。将来の現代史研究のことを考えると、考えておかねばならないような気がするのだが。

 JIS X 0208:1997の規格書を読んで、「最初にいい加減なものを作ってはいけない」と痛切に感じる。結局苦労するのは後を受けた者たちなのだから。そういう意味でUnicodeは禍根を残したな、と思う。この業界の「拙速を以って尊ぶ」風潮はどうにかならんものだろうか……。


1999年5月26日(木曜日)
 ニュースを見ていたら、ミロシェビッチ大統領が国際戦犯法廷に起訴されたと報道していた。
 戦争なんてものは、所詮話し合いで言うこと聞かない相手に対して拳骨を叩きつける行為の拡大版だ。話し合いに応じないという点に関しては、当事者全員が同じ程度というわけだ。もちろん、全員言い分はあるだろう。
 戦争というもののもっとも救いようのないところが、「勝者総取り」の鉄則だ。古今、勝者が責任を問われたことはない。

 キーボードの汚れが気になったので、唐突にキーボードの掃除を始めてしまう。106個もキーがあると、外すだけで一苦労だわい。


1999年5月27日(金曜日)part1
 徹夜する。理由はない。
 眠れぬままに午前3時を回ってしまったので、gawkなんぞいじくりはじめ、前々から考えていた「日記を日付順に並べ直す」スクリプトを約3時間で完成させる。これで4月分は日付順に上から下へと文章が流れるようになったので、ログを読む人は楽になったろうと思う。
 終わった後で思ったのだが、CかJavaの方が楽だったんじゃなかろうか?

これからNHKの技研へお出かけ。


1999年5月28日(金曜日)part2
 午前中に都庁へ……と考えていたのだが、都庁に着いた時には12時半だった。第二庁舎28階の東京都教育委員会選考課へ行って教育職員免許状授与証明を発行してもらう。高校一種地理歴史。あのまま歴史学の大学院へ進んでいれば、これが専修免許になったんだよなーとか馬鹿なことを考える。
 この夏に司書教諭講習を受けることにしたので、その下準備というわけだ。

 都庁から新宿駅に向かう時に、ふと思い付いて都営12号線を見物することにする。リニアモータを使った地下鉄ということで興味があったのだ。(注意:小熊は鉄ちゃんではありません
 まずホームに立って思ったのが、「架線が低い、線路が浅い」というもの。ホームと路面の距離が近いせいだろうか、軌幅が広いようにみえる。中央にリニアモータが走っていることもあるのだろうか。でも標軌に見える……。実際の列車がやってきて「パンタが低い」。乗り込んでみて「幅が狹くて天井が低い」。まあ、ゆりかもめほとじゃないけど。乗り心地も、思ったほど靜かじゃなかった。

 新宿から小田急線で祖師谷大蔵へ。びっくりしたのは、小田急の高架工事の影響で、下り線のホームだけが高架になっていたこと。上りと下りのホームが全然違う高さにあるってのも、変なものだね。
 年に一度通る道をぶらぶら歩いてNHKの技研へ到着。いつも目印にしていた電波塔が無くなっていた。去年予告はされていたけど、なんというか、技研が技研じゃないような感じ(笑)。技研の敷地内は建て替え工事の真っ最中。しかしいつもの建物は背広姿で埋め尽くされていた。金曜日の方が人が少ないかなと思っていたのだが、さにあらず、企業関係者は金曜日に押し寄せるようだった。これで土日は一般人が参加するのだからな……。
 お目当てはいくつかの発表。特に「映像アーカイブ用動画検索システム」。現行の検索システムというものは、マルチメディアだろーとなんだろーと、とにかく文字列のキーをつけてそれを検索するというシステムを作っている(それだけに、検索システムの基盤という意味でも、文字コード問題は重要で根が深いのだ)。映像アーカイブを構成するのに、一体どういう手法でインデクシングなどをやっているのか気になったが、予稿集を買った時点で目論見違いだったことが判明。発表はハードウェア/ソフトウェアシステムのことだったのだ!
 マルチメディア・マルチメディアと経文の如く唱える連中に好感を持ったことなど一度もないが、図書館のハイパーメディア化は不可避と私は見ている。しかし「デジタルライブラリ」などという言葉面の美しさよりも、私はもっと底辺で、足場固めをするような営みが必要だと思っている。ことある毎に言っている、放送電波の24時間記録というのも、結局は記録こそが図書館の使命と考えるからだ。

 技研の見学の細かいことは、別ページを作ることにする。


1999年5月29日(土曜日)
 少々無理が祟ったのか、体調が芳しくなかった。夜早々に藥と酒を飲んで寢たら、一時間もしない裡に電話で叩き起こされてしまう。これが火急の要件ならば仕方ないと思うところだが、なんだかわからないセールスの電話だったから腹が立つ。私は寢付きが悪いんだよっ!

 昨日の日記について、こんなところを紹介してくれるメールが届いた。有り難うございます。
 確かに全ての放送を24時間記録というのでは、コストが大変。特にこれからは多チャンネル時代に入るだろうから。全部が駄目なら、主要チャンネルだけでもいいからやってほしいなぁ。絶対未来の現代史研究に必要だと思う。
「20世紀とはかくも異常な時代だった!」とかさ(笑)


1999年5月30日(日曜日)
 結局、昨日の電話には感謝するべきだったのかもしれない。NIFTYのFTRONの定例チャットの存在を私はすっかり忘れていたのだから。チャットは午前4時まで続き、私は朝の7時に寢た。
 起きたら、糸野くんからメールが来ていた。先日の中古ソフト販売に関して、ゲームソフトに頒布権が及ばないことを確認する訴訟の判決文がどこかで公開されていないかと尋ねていたのだ。彼は著作権にも詳しいオタク野郎なのだ。判決文を読んで色々と考える。

 私は元々、ゲームソフトの中古販売に賛成の立場をとっている。ただ一方で、ソフトウェア製作者たちが欲していることも分かっている。現在のソフトウェアは売り切りで、一度売ってしまえばあとはどれだけ使われようとお金は入ってこない。100万本売れたソフトがあったとして、それが1年365日使われようと、10年に渡って使い続けられようと、あるいは一日で捨てられようと、入ってくるお金は一緒だ。そして一旦行き渡ってしまったソフトはもうお金を産み出さない。それが際限のないバージョンアップ競争に業界を突き動かしている側面がある。
 今回の判決は、比較的コピーの難しい家庭用ゲーム機についてのことだった。しかし今後この流れがPC用のソフト全般に適用されるとなると、色々と難しいことも起こってくるだろう。


1999年5月31日(月曜日)
 数日前から血尿が出ていて、ヤバいなと思っていたら、今日、痛みで目が覚めた。結石の再発。前回左尿管だったからか、今回は右。のたうちまわる。
 昼過ぎて痛みが收まり、うつらうつらしているうちに17時を回ってしまい、結局医者にはいけずじまい。

 大学へ行くと、院生室に糸野くんが訊ねてきた。過日貸した『星虫』を返却に来たのだったが、そのまま讓渡してしまう。日本のファンタジー小説の隠れた名作と呼ばれる『星虫』だが、絶版になって久しく、再版を望む声は多い。

 その後、彼の院生室に河岸を変え、例の中古ゲーム販売についての判決について話し合う。この件については彼の日記にも記述があるので参考にされたい。

 その最中に、中国内蒙古自治区からの留学生(研究生)・満都拉(マントラ)さんが来て、糸野くんとのチュートリアルの打ち合わせに入る……ところが、そこに私がいたのが僥倖だったのか不幸だったのか。
 彼がモンゴル語の図書館情報システムを研究したいと言ったとき、全ての歯車は狂いだした。
 モンゴル文字は、典型的な表示位置依存性文字……つまり語中のどこにその文字がくるかで、文字のグリフが変わる文字である。類例としてはアラビア文字や満州文字などが挙げられる。特にモンゴル文字は語頭形・語中形・語尾形が複数あったり、別の文字の間で共有されていたり、さらにリガチャリングがあったりと、素養がない人間にとってはどこからどこまでが一文字か判別することもできないし、よしんば切り分けられてもどのような音価を持つか特定できない文字だ。
 こいつを処理する図書館情報システム。
 目眩がするだろう?
 彼は内蒙古で使われている現在のコンピュータを持ってくればいいくらいの考えでいたようだが、そうは問屋が下ろさない。現在の中国の国家規格の中にある蒙古文字コード(GB8045)は、グリフに文字コードを振り当てている典型的な馬鹿コードだ。言うまでもないことだがこういうことをすると、二文字が一文字になっていたり、違う文字の同じグリフに同じコードが振られたりするため、文字の同定もできなければ、検索もできない。辛うじて表示ができるだけだ。(この辺りはタイ語と事情は一緒)
 その後は延々レクチャー。
 現在内蒙古/モンゴル共和国共同でISO 10646に提案されている(……そろそろ決まるはずではある)Mongolian Basic Character Setは、文字コードとグリフが変換規則で結ばれた形をしている。つまり、Character-Glyph Modelでは実裝できない形をしている。これからモンゴル語圏における図書館情報システムを考えれば、このコードに則した方が良いに決まっている。しかしそれは現行のCharacter-Glyph Model処理系での実裝が著しく困難であることを意味する。Unicodeなら実裝レベル3だろうか。
 彼の研究目標がモンゴル語圏の将来において極めて重要な研究であることを、なぜか私が彼に説き、励まし、様々な国内研究を紹介した。
 学内で手に入れられた資料を彼にコピーして渡し、彼を見送った時には既に22時を回っていた。彼の未来に幸多からんことを祈るばかりである。